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継続:科学と疑似科学を判別する

440とりあえず:2025/05/18(日) 00:04:45 HOST:pd8bfe8.hyognt01.ap.so-net.ne.jp
続き

んでここが本題。

>課題として教育を挙げたではありませんか。16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も、教え伝えられたことで、巨大な貢献をしました。
>もしこの両者が逸脱なら、科学の進歩にとって、教育は完全自由がよく、拘束などかけるべきでない、という歴史の教訓になるかも。今のID論も同じ。
>
>この回答をするのは初めてではありませんよ。

だから結局は、私が何度も指摘したように、
「科学的に逸脱してる“非科学”とされてるものを持ち上げるために、過去に支持されなかったけど返り咲いた学説が同様に“逸脱”でなければならない」
ってだけでしょう?
どうしても当時の波動説逸脱でないと貴方が論理展開に困るってだけでしょう。この指摘も初めてではありませんよ。


で、16世紀の地動説も、18世紀の光波動説が逸脱と定義するのは勝手ですが、ID論は逸脱の質が異なるから光波動説を逸脱としたところで意味はないと言っています。

貴方の定義による逸脱では、前者は単に既存の理論や常識に反する概念を仮定に入れたと言うだけです。ID論はIDと言う常識に反する概念を仮定に入れたから批判されているんじゃありません。
何度も言うように仮説を立てることは本来自由ですからね。おかしな仮説は速攻で検証でボコボコにされて棄却されるか、無視されて終わりですから。

IDとかが問題視されているのはその後の科学的手順での逸脱なんですよ。
だから波動説を逸脱としようがしまいが関係ない。問題部分がそもそも異なってるんです。

IDを信じて研究するのは自由です。好きにすりゃいい。
個人やIDを信じるコミュニティで研究教育も好きにすりゃいい。誰もそこに拘束なんかかけてやしない。
批判しているのは公共教育とか基礎教育の場に真っ当な手順をとらず持ち込むことです。

16世紀も18世紀も現代も科学的手法は基本的に変わっていません。
16世紀の地動説も、18世紀の光波動説も別に手順の逸脱はしていません。

もう一度書きます。
貴方の言う自由は自由じゃない。「無法」って言うのです。
当時の地動説も波動説も科学に則ったものです。

現在、非科学とされているものや批判されているものは、どう言うところが批判されているか考えてください。
当時の波動説とかとは全く質が違うと思います。
ルールを守るならIDだって当時の波動説と同様に科学として扱えると言うのが、私の最初っからの主張です。


「18世紀の光波動説は逸脱でした!逸脱でも当時教育研究されてました!それにより後の科学の発展に貢献しました!IDもそうするべきです!」
良いんじゃないの?別に否定しませんよ。好きにすりゃ良い。
教育も研究も特に科学者だって否定しないでしょうよ。相手にしないだけです。

否定的に評価をされているが真っ当に研究してる分野なんて今でも結構ありますよ。
IDも科学を謳うなら、そうあるべきと言うのが私の主張です。科学的手順の遵守。それに尽きるのです。


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