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継続:科学と疑似科学を判別する

365Ken:2025/03/12(水) 22:20:40 HOST:softbank126093106030.bbtec.net
>粒子の観測は技術的に無理なのに圧力は技術的に観測可能とする根拠はなんですか?

現実に気圧は観測されているではありませんか。それも17世紀から。ボイルの法則が確認された実験を知りませんか? 閉空間の空気を押す注射器の原理です。
letstalkscience.ca/sites/default/files/styles/x_large/public/2020-01/boyles_law.png?itok=b_PdmQXY

一方で気体の粒子の観測なんて、現在でもできませんよ。酸素分子の実物写真なんて、見たことがあります?

>質量のない不可量物質と言う概念は普通に当時あり、

問題は、不可量物質が波動を伝える媒質になるのかです。波動方程式を導けないなら、なりえません。あなたは、方程式の導出は「できる、できる」と言い張るだけで、やってみせようとはされません。

>m = Eです。

では「v² = S ∙ Δx / m = A ∙ Δx / m = A ∙ Δx / E」から「m = E = A ∙ Δx / v²」を導くステップの、どこに誤りがあるのか示してください。
ご存じないかもしれませんが「F = ma」に基づく「m = F/a」は、慣性質量の定義そのものです。そのmがゼロだからといって、代わりに「F = Ea」とすれば「E = F/a」で、mと同じ定義をしているのです。記号mを記号Eに変え、「質量」を「エーテル弾性率に伴う係数」と言い換えても、定義が同じなら、結局同じものであり、m=Eになってしまいます。

数式を用いる意味はここにあります。言葉だけの誤魔化しが通用しないからです。

>波動説は逸脱の体と言う仮定もそれで済ませる訳ないじゃない。それで一旦「論証」しようと言ってるの。

「一旦」とはどういう意味?
私は、18世紀の知識体系の中では、光波動説を優位に置くロジックの筋道が通らないことを、論証しようとしています。論証できることを、仮定する必要はありません。

>これ、私達が初めっから言ってることですよね?どんな仮定も立てて優位に置くのはそいつの自由だと。

では、言っておきましょう。

まだ以前の掲示板にいた時ですが、根拠バトルで負けており、世の中で認められない理論を、学校で教えることの是非が論題になりました。あなたの主張は、そういう理論を教育の場に持ち込むべきではない、というものでしたね。

私の主張は、どんな理論だろうが、教えたい人と学びたい人がいるなら、教育の場に持ち込むことを認めるべきというものでした。公教育であってもです。そのようにして、教育内容を最大限に自由化することが、科学の進歩に貢献すると言いました。

地動説も光波動説も、根拠バトルで負ける時期が長く続きました。コペルニクスからケプラーまで約百年。ホイヘンスからヤングまではそれ以上です。それでも、教育の場で人から人へ伝えられたからこそ、理論が消え去ることがなく、やがてケプラーやヤングのように、強力な証拠を見つける人が現れたのです。

おっしゃるところの「自由」とは、教える自由を含むのですか?
それなら、私の見解と一致します。


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