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継続:科学と疑似科学を判別する

287Ken:2025/01/06(月) 21:15:09 HOST:softbank126093106030.bbtec.net
この話を、あらためて語っておくべきかもしれない。

光粒子は、観測できない
エーテルは、観測できない
直接の観測ができないのは、どちらも同じ。それなのに、

光粒子が観測できないのは、光粒子説の致命的な弱点にならない
エーテルが観測できないのは、光波動説の致命的な弱点になる

この、きわめて不公平な扱いの差は、どこから来るのか?

その答えは、粒子と媒質の根本的な違いにあります。
粒子とは離散的なものです。媒質は連続的なものです。

光粒子がどれだけ小さく、かつまばらに存在しても、粒子として機能できます。光粒子を観測できないのは、小さくてまばらだから、という説明が可能なのです。光粒子を戦場の弾丸に例えたのは、それを説明するためです。

しかし、波を伝える媒質には、切れ目があってはいけません。切れ目があれば、そこで波が伝わらなくなるからです。媒質は、切れ目なく連続して存在せねば、媒質として機能しません。ばねが伝える力は、ばねが切れた所で、伝わらなくなりますよね。

媒質が固体や液体の場合は、構成粒子が互いに接しており、本当に隙間がありません。

気体の粒子には隙間がありますが、その粒子は高速で運動しており、粒子同士の衝突回数は巨大なものになります。現代の熱力学では、標準的な大気中では、1つの分子は1秒間に35億回も衝突すると、算出されます。衝突で飛ばされた粒子が、次の粒子に衝突することで、その方向に、切れ目なく力を伝えてゆきます。

そして、切れ目なく力を伝えるには、切れ目なく弾性と密度が続かねばなりません。
切れ目なく弾性と密度が続くのなら、弾性と密度の観測は、18世紀の技術で可能です。鉄や、水や、空気の弾性と密度を測定するのと、なにも変わりません。

光粒子を観測できないのは、技術的な問題だが、エーテルを観測できないのは、正確にはエーテルの弾性と密度を観測できないのは、技術的な問題で片付けられない理由は、ここにあります。

光粒子を観測できないのは、光粒子説を肯定する理由が弱いことを意味します。
エーテルを観測できないのは、光波動説を否定する理由が強いことを意味します。

ゆえに、光波動説は仮説A、光粒子説は仮説Bになります。


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