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継続:科学と疑似科学を判別する

280Ken:2024/12/26(木) 23:34:19 HOST:softbank126093106030.bbtec.net
>ごめん。何が理解出来ないのか本当にわからない。
>分散していくから単純に浮力が働かなくなると言っているのですが…。

現実のヘリウムは上昇せず、大気中に滞留しますか?

>ですからどうやって?

エーテルと通常物質の間で力が作用するなら、前に説明した注射器の原理で、弾性を測定できます。エーテルを押せば押し返すのだから。密度はもっと簡単。体積と重量を測ればよいのだから。

>だったら粒子説論者も粒子の観測を怠った逸脱とみなさないとおかしいでしょ。

光粒子の観測ができないのは、超微小な対象を観測する技術がないからです。一方、エーテルは、上記の方法で、その弾性と密度を観測可能です。

>光粒子説も物理的矛盾はありましたが、それは許容できる逸脱だと?

光粒子説は検証しますので、今は、光波動説の矛盾に集中してください。

>逸脱の大小で評価とのことですが、その評価で科学と疑似科学が分けられると?それって結局は感性の問題になりませんか?

なりません。

16世紀の地動説と18世紀の光波動説の問題は、

※恒常的な風が吹くはずなのに吹かない
※光の速度に必要な弾性と密度がない

という、積極的に否定する観測事象があることです。しかも、そんな理論を持ち出さずとも、天動説、光粒子説という代案があります。

これに対して、たとえば、この世が創造主に作られたという理論は、それを積極的に肯定する観測事象はないが、積極的に否定する観測事象もありません。だから、リチャード・ティレルのように、この世は仮想世界で、創造主はプログラマなんて、説明をする人が現れます。

積極的に否定する観測事象がある理論を、代案があるにも関わらず支持することと、積極的に肯定する観測事象がないだけの理論を支持することとは、質が異なります。より大きな逸脱は前者であって、これは感性の問題ではなく、論理の問題です。


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