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継続:科学と疑似科学を判別する
158
:
Ken
:2024/09/18(水) 21:41:53 HOST:softbank126109230106.bbtec.net
科学者が間違いと知りつつ、特定の主張を行う問題を、なぜ私が持ち出したと思いますか?
あなたの主張の最も誤った点を、分かっていただくためです。
18世紀の波動理論では、3次元空間を伝わる波が、光のような巨大な速度をもつには、その空間には、鉄よりも硬い弾性が必要という結論しか導けないと私は主張し、あなたは反論をしました。その反論の1つが、実に奇妙なものです。
あなたは、エーテルが鉄よりも硬いという考えを、当時の人がもっていたのかと尋ね、もっていたことを示す根拠を、繰り返し要求しましたよね。その根拠を示せないなら、エーテルが鉄より硬いとする根拠がないと、おっしゃいましたね。
そんなもの反論になりません。
そこにあるのは、理論の正しさに対する、誤った定義というしかありません。要するに、正しい理論とは、科学者が正しいと主張する理論のことだ、というものです。もし当時の科学者が、エーテルが鉄より硬いと言わなかったのなら、鉄より硬いとするのが間違いというものです。
観測事実に基づく法則のみが、仮説の是非を判断する基準のはずなのに、なぜ、そこに、人間が何を考えたか、という異種の基準が入るのでしょうか? 人間が考えたことは、観測事実に判定される対象であって、人間が何を考えたかが、仮説を判定するのではありません。
要するに、あなたは、科学的考察を自ら行うのではなく、世の科学者の権威を頼ることしかできない人なのです。しかし、世の科学者は、あなたが信じるほど、科学に真摯に向き合う人ばかりではありません。18世紀の科学者が何を主張したにせよ、その主張の存在自体は、主張の正しさを保証するものではありません。
このままこの先の議論へ進めば、同じことが繰り返されます。例えば、私は、光が作る同心円が光波動説の根拠になるとは思いませんし、水紋の同心円とニュートン環の同心円は、別物と考えるのが、18世紀には正しかったと思います。しかし、私がそれを論証しても、あなたは、当時の人は根拠になると考えた、と開き直ることができます。
あなたが過去の行為を反省し、支持者の有無を仮説の是非を決める因子に、2度としないと約束されるなら、今回私が言ってる検証は不要です。
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