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おしゃべりルーム

57Sekko:2006/05/28(日) 18:57:38
自己実現
 私の翻訳した『聖骸布の仔』という小説の解説(帯裏にも転載されてます)にこう書きました。「本書が秀逸なのは、ヒーローが数々の試練を経て、または啓次を得て、人間的に成長していくというただのイニシエーション小説やニューエイジ風の自己実現小説とは一線を画し、人は、「ありのままでい続けて、なおかつ成長できる」という驚くべきメッセージを発していることだ。」
 要するに私はニューエイジ風の自己進歩史観が苦手なのです。それは、たいてい、他の烏合の衆とは違う解脱やら悟りやら超人やらを目指しているみたいなので。そういう人に限って、「まず世間並みになることをめざせば?」といいたくなる人も多いです。それに、自己、自己と言ってますが、所詮、他人より偉いとか、他人から認めてもらえるとか、他人から羨まれるとか、他者を基準とした市場価値みたいなものが入り、自己実現って、自己満足のことかと突っ込みたくなります。また、他人によって高められたいとか磨かれたいという根性もちょっと卑怯な気がしてました。たとえば、「自分を高めてくれる人と結婚したい」なんていう女性よりもまだ、僕が妻子を養わなければ、と思っている男の方が潔いと思ってます。キーワードはやっぱり「assumer」かしら。他人を巻き込んで自分が選択したことを投げ出さない、というのは基本ですね。
 たまに私に向かって、「あなたはいいわよ、自己実現してるから、」という人がいます。私が「自己実現って何?」と聞くと「ほら、本を出してるし」という答え。しかし、私の本は、援けてくれる編集者や、スタッフの方や、共感してくださる少数の読者とのかかわりの中で、多くのものを受けながら少しでもお返ししたいという気持ちで、本来なら「何もしないのが一番楽」という怠け心と戦っている日常の、終わりのない苦労が時々形になるというものであり、しいて言えば、ある種の関係性の実現です。その関係性がまた、育って、こういうサイトにつながっています。
 私の友人で中古の医療機器をアフリカに送るNPOをやっている人がいて、そのパンフには「Ce qui n’est pas donne est perdu.(与えないものは失われる)」と書いてあります。私がそれを別の人に見せたらその人は、自分は昔から「Ce qu’on donne aux autres murit, ce qu’on garde pour soi pourrit.(他人にあげるものは実を結ぶが、自分のためにとっておくものは腐る)」と教えられて育ったといってました。形のないものでもそれは同じだと思います。




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