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歴史掲示板

1管理人:2012/01/12(木) 17:24:57
古代史掲示板を新設しました
古代史掲示板を新設しました。画像・動画等の投稿も可能です。古代史関連の投稿をお待ちしています。

10773管理人:2021/03/08(月) 00:29:36
アイヌ・蝦夷の起源5
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011339M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011339_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011339_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/シャマシュ



10774管理人:2021/03/11(木) 00:38:32
アイヌ・蝦夷の起源6
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011340M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011340_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011340_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/盤瓠



10775管理人:2021/03/18(木) 01:12:19
アイヌ・蝦夷の起源7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011341M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011341_2M.jpg

また先日の続きで、アイヌ神話の比較研究をしています。

先日も紹介した畑中武夫著『アイヌの信仰』先住民族文化研究会,1972。に、入れ墨とコロポックルの話があり、興味深く感じたので、図1,2として引用しておきますね。

ここで、興味を引くのは、アイヌが来る以前にコロポックルという入れ墨をした小人がいたとの前提で話が進んでいる点です。

思うに、コーカソイドや弥生人などに比べて比較的背の低かった縄文人の子孫のことをコロポックルとみなしていたのではないでしょうか?

記紀の記載でも、タケウチスクネが対面した蝦夷といった原住民は入れ墨をしていたようですし、吉野の原住民とされる国栖なども思い浮かぶところですね。その国栖については、人となり淳朴で山の菓やカエルを食べたとされ、このコロポックルの性格と共通しています。

アイヌの入れ墨と、沖縄の入れ墨に共通要素があることなども、縄文人の子孫の影響が強いことを意味しているように感じますが、ただ問題は、アイヌ自身が、それ以前にいた原住民のコロポックルからそれらの習俗を継承したとされていることでしょう。

それではアイヌのもう片方の祖先は、いつ、どこからやってきたのか?ここが問題となってきます。

先日の分析から、ひとつには縄文晩期から弥生初期にわたってきたであろう殷からきた集団との見方ができそうですが、もうひとつは、その後、春秋時代末期から戦国時代にかけて東遷してきた白テキなどの西方遊牧民の子孫の可能性、特に中東方面に起源をもつ集団を想定してきたことがありますね。中国の舜・シュン帝などの神話をもたらした集団です。

高辛氏・高句麗や沿海州を経由して、北海道や東北方面へと渡ってくる・・。

再度、アイヌ語やDNA面から、その痕跡を探す必要があるかもしれませんね。




10776管理人:2021/03/19(金) 00:52:46
縄文・アイヌ遺跡ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011342M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011342_2M.png

ちょっと別件で青面さんご紹介の二風谷のアイヌ資料館の件で調べものをしていて、方位ライン関係を調べていくうちに図1のようなラインが浮かび上がってきましたのでお知らせしておきます。

これは先日紹介した図2の縄文遺跡を結ぶラインと、後代のアイヌ時代の拠点を接合した構造となっています。

具体的には、まず図1では先日の図2でも指摘した大船遺跡(環状列石)⇔カリンバ遺跡⇔冷水遺跡(岩見沢公園)⇔神居古潭環状列石を結ぶ60度偏角のラインがあり、また、大船遺跡⇔二風谷遺跡⇔嶋木遺跡を結ぶ約30度偏角のラインがあり、そのラインを斜辺として大船遺跡⇔黄金山⇔嶋木遺跡で直角三角形を構成しています。

また、図1のように、二風谷遺跡⇔神居古潭⇔手宮洞窟を結ぶ60度角の正三角形と、同じく二風谷遺跡⇔大船遺跡⇔手宮洞窟を結ぶ60度角の正三角形、さらに二風谷遺跡⇔嶋木遺跡⇔神居古潭を結ぶ60度角の正三角形がみてとれます。

関連して二風谷遺跡⇔発寒チャシ⇔手宮洞窟のラインがあり、また二風谷遺跡⇔冷水遺跡⇔黄金山へのラインは、嶋木遺跡⇔大船遺跡のラインと直交しています。

そのほか、白老ポロトコタン⇔二風谷遺跡⇔帯広空港遺跡への5度偏角のラインもあり、加えて、二風谷遺跡⇔カリンバ遺跡北方⇔発寒チャシ⇔手宮洞窟へのラインもみてとれるでしょう。

このようにみていくと、二風谷遺跡は、これらのライン拠点の中でも、比較的中心・重要な位置にあったと言えるはずで、縄文時代にはじまり、アイヌ文化期までなお重要視されていたことも理解できるような気がしますね。

方位ライン面での特徴としては、30度、60度、90度のラインを多用していることで、これらは東北・北海道の旧石器・縄文遺跡を結ぶラインの特徴ともなるのですが、一部、アイヌ文化期までその測量技術継承されていた可能性も考慮すべきでしょうか。

今年は特に、この二風谷の遺跡や資料館と、浜益の黄金山(チャシ?)、その間の冷水遺跡(いわみざわ公園)を見に行きたいところですね。





10777管理人:2021/04/04(日) 22:17:05
発寒環状列石ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011343M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011343_2M.png

https://rubese.net/gurucomi001/?id=2439100



10778管理人:2021/04/15(木) 20:55:01
札幌遺跡方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011344M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011344_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011344_3M.png

また、先日に続いて、北海道の遺跡を調べてますが、今回は我が家のある札幌の遺跡を結ぶラインを考えはじめてます。


図1は、先日もお知らせしたアイヌのチャシや縄文・旧石器時代の遺跡を結んだラインと、札幌のT204遺跡を結ぶラインです。

この遺跡の重要性は、白老チャシと黄金山を結ぶラインと、手宮洞窟と二風谷遺跡を結ぶラインの交点上にあることでしょう。

この遺跡については下記サイトを参照いただきたいですが、ここからは、縄文・続縄文の連続した遺跡が出土しており、他の縄文遺跡と異なり、続縄文時代まで活用されていることから、重要な拠点であったことがわかります。

なお、縄文遺跡とともに、それ以降の遺物を出土した札幌の遺跡を結んだラインが図2となり、これも意図的なラインといえるでしょう。

そのT204遺跡周辺の地形と、古地図を重ねたものが図3ですが、こうみると、この遺跡(オレンジ)の周辺が尾根上に伸びており、河川(月寒川)が蛇行していることがわかります。

この尾根上に伸びたところに、チャシがあった可能性があるでしょう。

実際現地にいくと、若干の丘陵となっているのですが、今後の調査に期待ですね・・。








10779弓張月:2021/04/18(日) 18:00:28
あれあれ、不思議
またまた、これなに?
バラが有名な県立フラワーパークがリニューアルオープンするとのことで、4月29日開業。パークは、九つのエリア,約900種,九千株が咲き誇る県花のバラを満喫できるのが魅力とのこと。住所は、石岡市(旧:八郷町)下青柳
この文、「90」が無いですね。
古代史から「90」は、九十九(つくも)とつくば(筑波)から、九十波とすると、90は、くわ(桑)になりますね。
鹿島神宮は筑波山の冬至の日の出の方位、栃木県小山市の寺野東遺跡も同じです。
また、鹿島神宮は、富士山の夏至の日の出の方位は、正確には富士山ではなく富士山本宮遷宮神社のようですね。富士山レイライン(パワースポット)の研究 (fujigoko.tv)
そして、筑波山と鉾田市子生の厳島神社と長野県松本市並柳の弘法山古墳は真東西のレイラインにあります。
よって、鹿島神宮の本殿は、冬至の日のシリウスの方位になっている。
常陸国風土記にみえる「富士筑波伝説」もあり、正しい古代史は、現在も残してあるのでしょうね?


10780弓張月:2021/04/21(水) 15:26:23
あれあれ、不思議(続き)
九十九は、「つくも」,筑波(つくば)=九十波=桑波(90はクワと)と考え、もう少しこの考察を進めると、十九は「くも=雲」ですね。出雲は、出十九です。そして、十九代天皇は允恭天皇。桑(九十)と十九を合わせると、十が重なり二重(にじゅう=二十)です。日本国憲法二十条は信教の自由で、伊勢神宮の遷宮は二十年ごと。:憲法十九条は、思想・良心の自由の規定のようです。
記紀や風土記には、土蜘蛛(つちぐも)も書かれています。これも、暗号ですかね?


10781秦野北斗:2021/04/26(月) 17:39:50
アイヌ aynu 人間、アイヌ民族
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011347M.jpg

https://city.hokkai.or.jp/~ayaedu/udic/sdic.html



10782青面金剛:2021/04/27(火) 14:11:50
委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011348M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011348_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011348_3M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=_3XwTYce08I



10783秦野北斗:2021/04/27(火) 23:13:12
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011349M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=_3XwTYce08I



10784青面金剛:2021/04/28(水) 04:42:18
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011350M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011350_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011350_3M.jpg

https://omouhana.com/2020/07/14/宗像大社 辺津宮:海祇ノ比賣 03/



10785秦野北斗:2021/04/28(水) 08:23:48
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011351M.jpg

青面金剛さんへのお返事です。

伝えられています。ですか、出雲・・・古事記読んだら、出雲も青面金剛も七世紀から創作されたもの
、宗像三女神は紀元前2世紀ですぞ。畿内に大和王国など、ないの・・・

神籬(あまつかみ、かき)御神木(み、あまつかみ、たちき)

青面金剛には御神木の意味が理解できんやろな、御神木はアマテラスなのよ。


◎宗像大社の御神木と神籬と高宮斎場

『 畿内に大和王国が誕生する以前、日本で最も大きな支配力を持った国が出雲王国でした。その出雲王国の6代目王「臣津野」(八束水臣津野/ヤツカミズオミツノ)の子である「吾田片隅」(アタカタス)が筑紫にて宗像家の祖となります。

> 玉垣に囲われたその奥を包む深い神気。禁足の聖域奥には、更なる結界で囲われた連理の木が立っています。社伝ではここに宗像三女神は降臨したと伝えられています。






10786青面金剛:2021/04/30(金) 04:31:05
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011353M.jpg

https://kodaishi.net/nature/himorogi



10787秦野北斗:2021/04/30(金) 15:28:18
Re: 委奴(いと)国の成立
青面金剛さんへのお返事です。

なんだ、これは、日本書紀の捏造文でも読んでろ。真実の白村江は旧唐書、古事記、万葉集に記録される。
久々に見直すと、天智天皇の母が斉明天皇に成ってる、天智天皇の生みの親は母なんですな。斉明天皇は
皇極天皇の名です、日本書紀に書いてある。youtubeで紹介してやるよ。
旧唐書に出雲の国引き神話があるぞ、天智天皇に従い、若狭国、越前、越後、越中に来たのよ。
白村江は韓江(漢江)に北(北朝鮮)になる、韓国と学者の馬鹿は白村江(現在の錦江河口付近)だと・・・

> ※ 白村江の経緯を記録したサイトへのリンクを貼らないのならば、これ以上、議論を深めようも無いので、秦野さんとの議論は打ち切らせて頂く。
>




白村江の戦い

白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。 ...



https://www.youtube.com/watch?v=I0IVENJ5iTE



10788秦野北斗:2021/04/30(金) 15:52:49
Re: 委奴(いと)国の成立
https://www.youtube.com/watch?v=I0IVENJ5iTE

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10789青面金剛:2021/05/10(月) 04:11:41
Re: 委奴(いと)国の成立
秦野北斗さんへのお返事です。

> 旧唐書に出雲の国引き神話があるぞ、天智天皇に従い、若狭国、越前、越後、越中に来たのよ。
> 白村江は韓江(漢江)に北(北朝鮮)になる、韓国と学者の馬鹿は白村江(現在の錦江河口付近)だと・・・

※ 白村江の位置は長い事、不明瞭だったが、「韓江(漢江)に北(北朝鮮)」の説も、二十年ほど前から北側の主張として、把握している。

☆ 白村江の時は既に、百済の陸軍は壊滅していた。大和朝廷側は、百済の王族・貴族を日本に避難させるべく、救援の船団を出した。そのルートが示されていない。また、従来説の通り、大規模な艦隊決戦が果たして有ったのかも、疑問が残る。

☆ 加治木義弘氏の説く様に、白村江で敗戦したとしても、博多湾から関門海峡に掛けての、第一次日本本土決戦、そして明石海峡から大阪湾に掛けての最終決戦が為された筈。

☆ 「天智天皇に従い、若狭国、越前、越後、越中に来たのよ。」。それが白村江以後の事ならば、日本側の地元水軍との抵抗に遭ったのか。


◎ 天智天皇=新羅武列王(金春秋)説が結構多い。

1.中臣鎌足と中大兄皇子との出会いは、けまり大会で皇子のぬげたくつを鎌足が拾ったなれそめエピソードと同じ話が新羅本紀にある。(金春秋と金ユシン)

2.中大兄皇子が蘇我石川麻呂の長女を嫁にもらおうとしたら、誘拐されてしまった。父親が狼狽していると妹が進んで嫁になった。(これも同じ話が新羅本紀にある)

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Fsystemwelware%2Fdiary%2F201207150000%2F



10790秦野北斗:2021/05/11(火) 02:07:49
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011357M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=I0IVENJ5iTE

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10791青面金剛:2021/05/11(火) 03:25:15
Re: 委奴(いと)国の成立
秦野北斗さんへのお返事です。

> 日本書紀の白村江の戦いはなかったのですな、
> 新羅の建国が広開土太王、好太王碑の文章がある。
> 714年に唐は韓半島の管理を放棄し、新羅に移している。
> 韓国は棄てられている。


☆ 古田説では、「倭国酋長は薩夜麻」(『古田武彦の古代史百問百答』175頁、『古田武彦と百問百答』136頁)とされ、薩夜麻は九州王朝の摂政とされます。そして俀國のトップである天子は斉明であるとされます。つまり薩夜麻は王者ではないと考えられています。

??薩夜麻が俀國の王者ではないとするならば、私の考えと同等であり、その上で「倭国酋長は薩夜馬」とする古田説ならば、よく理解できます。
??なぜなら、薩夜麻は、「百済を救う役」の661年から天智天皇10年(671年)まで唐に居たと考えられますので、高宗の封禅の儀が行われた麟?二年(665年)には、薩夜麻は唐にいました。その薩夜麻が倭の王者ではなく倭の酋長として参列した可能性は高いと考えます。

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Ffurutashigaku-tokai%2Fentry-12597384774.html

※ 九州王朝の摂政とされる筑紫君薩夜麻は、百済の王族・貴族を救援する船団を送り込む事を第一とし、軍船は、その護衛程度しか付けなかった為に、唐・新羅連合軍の奇襲によって、薩夜麻は捕虜となってしまった、のでは無いか、と考える。

10792秦野北斗:2021/05/11(火) 05:06:46
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011359M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=FuEjONKb3fQ

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10793青面金剛:2021/05/11(火) 08:41:42
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011360M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011360_2M.jpg

https://omouhana.com/2018/04/08/田手神社:斎王 番外/



10794秦野北斗:2021/05/12(水) 01:21:47
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011361M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/魏志倭人伝

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10795青面金剛:2021/05/12(水) 03:48:17
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011362M.jpg

https://omouhana.com/2018/04/07/別宮・倭姫宮:斎王 09/



10796秦野北斗:2021/05/20(木) 09:54:58
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011363M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=8EW9J0mgVUk

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10797青面金剛:2021/05/30(日) 04:15:14
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011364M.jpg

https://ameblo.jp/314416tg/entry-12212445260.html



10798秦野北斗:2021/05/31(月) 02:37:41
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011365M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/大神神社

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10799弓張月:2021/05/31(月) 08:27:44
前回、続き
土師氏,土井氏,渡会氏の言霊関係

土の子,土蜘蛛の「土」は「と」ですから、土師氏は、渡治氏で、土井氏は、渡井(とい)で「わたらい」も含まれていますね。
「渡井」(わたい / とい / わたらい)さんの名字の由来、語源、分布。 - 日本姓氏語源辞典・人名力 (name-power.net)
となると、土井氏=渡会氏ですね。
ウィキペディアには、「土井氏は、江戸時代に徳川幕府に提出した資料によれば、清和源氏土岐氏の庶流とされ、土岐五郎光定(光貞)の次男土井孫太郎定親から始まり、師親、貞秀と続き、途中不詳ながら戦国期に(早乙女)利重、(土居)利昌、利勝へとつながる。これは当時家系を名流に求めるのが常であったので、真偽は疑わしい」とある。
茨城県小美玉市と鉾田市の境を流れる巴川の両岸には、宮脇鹿島神社(小美玉市下吉影)と主石神社(鉾田市大和田)があります。
鹿島神社(茨城県小美玉市下吉影字宮脇) - 神が宿るところ (goo.ne.jp)
古代史の謎の鍵ようです?

そして、土井氏は、利勝,利重と必ず利(とし)が付きます。「とし」は、土師となりますからでしょうか?また、利根川は、「とし」ならば土師根川、「と」でしたら土根川かな?


10800秦野北斗:2021/05/04(火) 02:21:42
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011367M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=w9Kq4MVP2Yo

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10801青面金剛:2021/05/05(水) 01:52:21
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011368M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011368_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011368_3M.jpg

http://embamuseum.ec-net.jp/



10802秦野北斗:2021/05/05(水) 03:10:54
三角縁神獣鏡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011369M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/檀石槐

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10803青面金剛:2021/05/05(水) 11:17:25
Re: 三角縁神獣鏡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011370M.jpg

http://www12.plala.or.jp/himukai/index.html



10804秦野北斗:2021/05/05(水) 13:25:11
Re: 委奴(いと)国の成立
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011371M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/土蜘蛛

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10805秦野北斗:2021/05/05(水) 17:46:30
Re: 三角縁神獣鏡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011372M.jpg

http://www12.plala.or.jp/himukai/index.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10806青面金剛:2021/05/05(水) 20:13:39
神門(みかど)神社。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011373M.jpg

http://blog.livedoor.jp/ushijimatoshihiro/archives/45107723.html



10807秦野北斗:2021/05/05(水) 22:54:38
Re: 神門(みかど)神社。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011374M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=ln9KBz74Vh8

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10808秦野北斗:2021/05/06(木) 00:42:02
扶桑国
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011375M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/扶桑

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10809弓張月:2021/05/06(木) 15:45:15
前回、続き
委奴(いと)の逆は、「とい」樋・土井=渡井で、渡会
委奴(いと)の「い」ですが、「良い」の良の読みです。漢字の「良」から、カタカナの「ラ」になったようですね。古代エジプトの「ラー」は太陽神。イネ科の葦は、ウィキペディアに、「和名ヨシの由来は、もともと本来の呼び名はアシであったが、「悪し」に通じるため、「ヨシ」と言い換えられたものである。日本の在来植物で、『日本書紀』に著れる日本の別名「豊葦原千五百秋瑞穂国」とあるように、およそ平安時代までは「アシ」と呼ばれていたようである。『更級日記』においても関東平野の光景を「武蔵野の名花と聞くムラサキも咲いておらず、アシやオギが馬上の人が隠れるほどに生い茂っている」と書かれている。」とあります。たぶん、吉や義も「良(ラー)」からですかね?
津島の逆は島津ですが、島津の紋は、”丸に十”〔チョット苦しいですが逆さまで、”に十丸”(=に本国憲法20条)〕
「よい」と「いい」の違いは、
「今日は天気がよい」とも「今日は天気がいい」とも言う。何か違いがあるのか。また、「よい」と「いい」はどういう関係なのかという質問を受けた。
 この2語に意味の大きな違いはなく、どちらも物事の性質、状態、様子、機能などが好ましく、満足すべきさまであるという意味である。だが、ことばとしては「よい」のほうが格段に古い。「よい」の文語形は「よし」だが、『日本書紀』『万葉集』といった奈良時代や平安時代初期の文献にも用例が多数ある。
 これに対して「いい」はかなり新しい。最も古いものは江戸時代中期の用例である。このようなこともあって、『日本国語大辞典』は、「江戸時代前期に見られる『えい』の関東なまりとして生じた語か。」と推定している。この「えい」は、たとえば、『雑兵物語』(1683頃)にも「もはやゑい時分だ程に今にこべい」などとある。『雑兵物語』は江戸時代の兵法書で、雑兵(下級武士)の心得を説いたものだが、江戸初期の口語資料としても貴重である。文中の「こべい」にも注目していただきたいのだが、この「べい」は「べいべいことば」「関東べい」といわれた「べい」である。「こべい」で、来るにちがいないといった意味である。
 「えい」は『日本国語大辞典』によると、
 「明和、安永頃(1764〜81)から広まり使われたらしく、明和八年(1771)頃「遊子方言・発端」には通り者が「ゑい」を用い、明和八年「俠者方言」に「ゑゑ」が見えるなど、俠(きお)い者や、それに近い人から用い始めたようである。」とある。
 「通り者」「俠い者」とは、義俠・任俠をたてまえとしている者、つまり俠客(きょうかく)のことである。
 このように口頭語として使われていた「えい」が「いい」となり、徐々に文章語にも定着し、意味も「よい」と同じように用いられるようになるのである。
 以上のことからもおわかりのように、「よい」は文章語的、「いい」は話しことば的と言える。だが、それ以外にも大きな違いがある。
 「よい」は形容詞としての活用をすべて持っているのに対して、「いい」は終止形(「・・・したほうがいい」など)と連体形(「いい感じ」など)の用法しかない。このため、「よい」と「いい」を別語と考えずに、「よい」の終止形・連体形に「よい」と「いい」の両形があるとする立場もある。
 しかし、最近は「よい」よりも「いい」の方が優勢になりつつあるため、終止形と連体形に限っては「よい」を使うと文語的なニュアンスを持つと受け止められることが多くなった。
 たとえば「頭がよい」と「頭がいい」、「腕のよい料理人」「腕のいい料理人」などの違いである。
 なお、「いい」には、終止形・連体形以外の活用形「よく・よかった」(連用形)や「よければ」(仮定形)などに当たる形はないと書いたが、実は方言としては「いく」「いかった」などの形も見られるのである。日本語は本当に面白い。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fjapanknowledge.com%2Farticles%2Fblognihongo%2Fentry.html%3Fentryid%3D280
まあ、平家物語には、「 驕れる者は久しからず」とありますし、万世一系の平和国に出来た訳でしょうかね?



10810青面金剛:2021/05/06(木) 22:47:06
隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011377M.jpg

https://asia-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=13011&file_id=22&file_no=1



10811秦野北斗:2021/05/07(金) 13:35:37
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011378M.jpg

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou72/kai07206.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10812青面金剛:2021/05/07(金) 19:07:41
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011379M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011379_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011379_3M.jpg

https://plaza.rakuten.co.jp/utiwauke/diary/?PageId=6



10813秦野北斗:2021/05/08(土) 11:42:42
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011380M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/癸未

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10814青面金剛:2021/05/09(日) 04:34:23
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011381M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011381_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011381_3M.jpg

https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb



10815秦野北斗:2021/05/09(日) 09:05:06
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011382M.jpg

青面金剛さんへのお返事です。

何これ、鏡の銘文が相当、異なるな、全文不明のため、参考

癸未年八月日十大王年男弟王在意柴沙加宮時斯麻念長寿遣開中費直穢人今州利二人等取白上同二百旱作此竟

添付してある、銘文の赤が訂正部分

癸未年八月日十大王年男弟王在意朱(あけ、)以加宮時斯麻念長奉(まつる)遣開中費直穢人今州利二人尊(みこと)所(ところ)白上同二百旱作此竟


癸未八月、日十(あき、すべて)大王年(ね:種族)男弟王、在(あり)意い、朱(しゅ、)(大(たい、)朱(しゅ、)王(おう、))以(い)(あか、もって)加わる宮を時(とき)斯(ここ)に麻念長(あざ、おもう、おさ)、奉(まつる、)(まつる)遣わす、開(ひ)らく中(あたる)費(つい)やす、直(まこと)穢(けが)人、今州(いま、くに)利(よ)し二人尊(みこと、)所(ところ、)白(つくも)、上同じ、二百(ふた、なり)旱(陸地)作る、此れ竟(さかい)。
?


第51回 韓国史 広開土太王、好太王碑 ?改定(原文直訳)

?

https://www.youtube.com/watch?v=ln9KBz74Vh8

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10816秦野北斗:2021/05/09(日) 12:01:03
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011383M.jpg

https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10817青面金剛:2021/05/09(日) 22:43:23
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011385M.jpg

https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb



10818秦野北斗:2021/05/10(月) 08:41:59
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011386M.jpg

https://note.com/spinozaist1/n/n1b8e5522cddb

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10819青面金剛:2021/05/10(月) 16:24:14
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011387M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011387_2M.jpg

http://www.ten-f.com/suda-kagami-to-oshisakamiya.html



10820秦野北斗:2021/05/10(月) 22:57:35
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011388M.jpg

http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_27.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10821秦野北斗:2021/05/12(水) 08:21:42
Re: 隅田八幡鏡銘文
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011393M.jpg

https://dictionary.goo.ne.jp/word/空しい/

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10822秦野北斗:2021/05/13(木) 10:27:36
Re: 磨溝(甘粛)、金蝉口(青海)、石?(Shimao、陝西)、牛河梁(遼寧)、夏家店(内蒙古)、バヤン・ウルギー(西モンゴル)制覇!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011396M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

青面金剛さんと同類だな・・・?

> 黄土高原で青銅器社会を形成し殷商と激しく対立した

黄土高原は古代には荒地で鍬もなかったの、海岸でイワシ漁で貧しく生きてたようだ。
史記を読め・・・

>
> もう一点。夏家店下層文化集団を気候変動で南に移動した「原殷人」と見なすと、殷の人々は古羌と同じ祖先を持っていたことになる。女系MT-haploで見れば、古羌と中原の人々とはさらに区別が付かない。羌と殷商の人々の互いに対する敵意は、彼らの生業の違いからのみ来ていたことが確認できるんだよ!!
> 感動だろ。
>

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10823管理人:2021/05/13(木) 15:22:00
Re: アイヌ・蝦夷の起源7
シマオゥさんへのお返事です。


>
> アイヌのもうひとつのルーツといえば、オホーツク人に決まっている。彼らが熊送りをはじめとして、アイヌの精神文化に多大な影響を及ぼした。
>
> では、オホーツク人はどこから来たか?文化的には靺鞨の強い影響下にあった。しかし、オホーツク人の骨格の研究では、アイヌ人とは全く異なることは当然として、靺鞨やツングース系とも異なる北の渡来人。ニヴフやコリャークが関わってくる。1ー2年前からの遺伝人類学的研究の進展で古墳時代人の来歴もだいたい分かったし、あとはオホーツク人の全ゲノム解析が行われると面白い。
>


ルーツさん、おひさしぶりです。1年半ぶり・・ですね、お元気そうで何よりです。

アイヌ人のルーツ、興味深いですね。先日はアイヌ神話を分析してみましたが、その構造に中東的?要素が多く、いつごろそれらの神話伝承が持ち込まれたのか、その起源に興味があります。

ご指摘のニブフやコリャークの言語なり成立過程がどうなっているのか、気になるところです。

あと、こちらの掲示板は来るものは拒まず、去る者は追わずの方針ですが、誹謗中傷の度が過ぎている場合は削除対応しますので、よろしくご了承ください(^^)

10824管理人:2021/05/14(金) 07:50:45
Re: 発寒環状列石ライン
シマオゥさんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > ここ最近胃の調子悪く、更新滞ってます。
>
>
> なんじゃこれ。新興宗教?

中学レベルの幾何学がわかる知能指数に達してないと決してこの図の意味は理解できないと思う・・。

強いて言うと、旧石器時代から縄文時代にかけて、かなり知能指数の高い人種が紛れ込んできた可能性を示しているのだが、どこのどういう人種だったか?を突き止めたいところだね・・・。

朝から血圧あげてくれるのは毎度感謝していますよ(^^)

10825管理人:2021/05/14(金) 22:38:48
発寒環状列石
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011406M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011406_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011406_3M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ストーンサークル#世界のストーンサークル



10826秦野北斗:2021/05/14(金) 23:03:15
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011407M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=BQxh2H0iaio

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10827秦野北斗:2021/05/15(土) 01:26:33
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011410M.jpg

http://www.daido-it.ac.jp/~sawaoka/kyoiku/index14.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10828aoide:2021/05/15(土) 09:33:26
額田王 
https://blog.goo.ne.jp/yuki0805/e/547ce56f34986418d2b6166ee8df161d

https://blog.goo.ne.jp/yuki0805/e/547ce56f34986418d2b6166ee8df161d



10829秦野北斗:2021/05/15(土) 13:40:48
Re: 額田王 
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011414M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=y5dMmfnz6o4

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10830aoide:2021/05/15(土) 14:55:33
Re: 額田王 
有り難うございます。YouTube見ました。高槻という地名がありますが、古名は高月ですね。
槻の一族という意味もあり、弓月君のように、月の属性があるという意味ではないでしょうか。槻は弓の材料でもありますね。
額田王の事で間違いないと思います。

https://blog.goo.ne.jp/yuki0805/e/547ce56f34986418d2b6166ee8df161d



10831秦野北斗:2021/05/15(土) 16:31:31
Re: 額田王 
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011416M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/イカル

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10832aoide:2021/05/15(土) 17:06:17
Re: 額田王 
秦野北斗さんへのお返事です。

藤ノ木古墳はいいですね。
私は神武から数代は九州と奈良で激しい往来があったと考えています。
中原氏の祖先、十市首の祖先が、饒速日に同行したホホロ。
戦後、熊本の鹿子木氏によって公開された家系図から、中原氏は熊本に拠点を置いたまま、奈良で活動していたようです。
安寧天皇の皇子の子孫とされています。
阿蘇山周辺では、綏靖天皇は金属の神(金凝神・かなこりがみ)として祭られています。
鹿子木氏の人々は、熊本を出るとカノコギと名乗りますが、熊本ではカナコギと名乗っています。最近ではあまり気にしないようですが。
blog貼っておきます。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fyuki0805%2Fe%2Fb6e777afe925f1340741113e290fbc31

10833秦野北斗:2021/05/16(日) 01:33:11
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011420M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

黄土高原は、広いな、中国も尖閣など言わず、黄土高原を開発したら・・・と思うよ、
ところで、DNAと関係あるの、文献がないな・・・どうせ史記だろう。黄帝は総称で、史記には
これ何々(太郎)で記録されてる。

黄土高原の侵食は速いようだな・・・馬鹿な秦野です。
島尾は、エジプト?同様に古代には黄河を溯った・・・
島(しま):海や湖沼にあって、常に水上に出ている陸地。
尾(お);うしろ。あと。すえ。「尾行」「船尾」、番外の意味に入り江の港がある。

> エリートの埋葬、そして豊富な遺物。私たちの最近の学際的調査は、後者の発見に沿って、以前は黄土高原と見なされていた地域である黄土高原からオルドス(以下、北黄土高原と呼ぶ)への移行帯で発達した予期しない先史時代の複雑な集落システムを明らかにしました。集落の多くは丘の上に建てられた石の要塞であり、このシステムの主要な中心は陝西北部のShimaoにある巨大な石壁の場所でした。これらの新しい発見は、課題と研究の機会をもたらします。
>
> 2. Shimaoの発見
> Shimaoは、陝西省楡林市神木郡の南西約40kmの高家堡郵町にあります。この場所は、翡翠との関連性から1970年代から知られています。世界中の美術館や個人のコレクションに保管されている約3000から4000の翡翠は、おそらく島尾に由来すると推定されています。
> Shimao遺跡と翡翠の関係を明らかにすることを目的として、1970年代から1980年代にかけて小規模な発掘調査が行われた(西安番浦博物館、1988年)。しかし、収集された翡翠の正確な出所も、Shimao遺跡の規模も明らかにされていません。
> 何千年もの間立っていた壁は、王朝時代に建てられた万里の長城の一部であると考えられていました。 1990年代以降、Shimaoの城壁の翡翠に関する噂が地元の村々に広まり、略奪活動が激化し、敷地に甚大な被害をもたらしました。サイトを保護し、その歴史的重要性をよりよく理解するために、陝西省考古学研究所は2011年からShimaoとその周辺地域で体系的な調査と発掘を行い、この壮大な場所の正体を徐々に明らかにしてきました。



https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10834管理人:2021/05/16(日) 01:41:35
続中国方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011421M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011421_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011421_3M.png

シマオゥさんが今回紹介してこられたShimao遺跡について、ちょっと気になったので、方位ラインで結んでみました。図1のとおりです。

以前、図2,3のラインもこちらでお知らせしたとおりですが、今回このShimao遺跡を含めて再検討してみた結果、いくらかまた新たな位置関係がわかってきましたね。

中国方面における測量の起点としては三星堆遺跡があることは以前も申したとおりなのですが、そこから龍山文化に属する鹿台崗遺跡と大汶口遺跡へと伸びるラインですね。

これが重要で、その大汶口遺跡から烏海に至るライン上に、SHIMAO遺跡が位置しています。

この烏海については、どういうわけか多くの遺跡の測量起点となっており、当時の遺跡があるんじゃないかとおもうんですね・・、いや、あったかな、記憶がおぼろげ・・・?

それで、その烏海から陶寺遺跡、そして洛陽そばの二里頭遺跡へのラインがあり、また同様に鳥海から鹿台崗遺跡をへて長江方面の良渚文化へと伸びるラインも見えてきます。

あと、後代になると、昆明から二里頭遺跡をへて殷墟へと伸びるラインが出てくるわけですが、この辺のラインは時代的に相違があるので、他の拠点とは図をみても関係してこないこともわかりますね。その殷墟については図2のように亀ヶ岡方面へと伸びるラインがあるのですが、今回は説明は割愛します。

今回のSHIMAO遺跡に関しては、これらのライン関係をみるかぎり、大汶口文化ともっとも深くかかわる可能性があり、また次点として龍山文化の一部や良渚文化、あるいは三星堆文化とかかわってくるように予想しますが、どうでしょうね・・・。

そのSHIMAO遺跡の年代としては、ご紹介の翻訳によれば、西暦前2300年から1800年とされますから、夏家店下層文化や、大汶口文化の後期、あるいは三星堆文化の年代と重なりそうですが、ちょうどそのころに、縄文人の世界に先の環状列石があらわれてくるわけですね。一部は図2のように、朝鮮の漢城周辺も経由しているはずです・・・。

以前も図3で示したように、インダス、あるいはシュメール文化方面から南まわり、あるいは北方経由で東遷してきた集団の影響があるのではないでしょうか。この時期に急激に都市構築や金属精錬などの特殊技能が発達したようにみえます。

もちろん、その担い手の多くはそれ以前にいた中国の集団であることは間違いないのですが、一部の支配層・技術者層に西方からの移民が混じっていた可能性もあるんじゃないかなと思いますよ。その痕跡をDNAなり言語面から見いだせれば面白くなりそうです。




10835秦野北斗:2021/05/16(日) 06:54:58
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011423M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

史記には、種族も出ているの・・・

この世界は不公平なの・・・

>
> > 黄土高原は、広いな、中国も尖閣など言わず、黄土高原を開発したら・・・と思うよ、
> > ところで、DNAと関係あるの、文献がないな・・・どうせ史記だろう。黄帝は総称で、史記には
> > これ何々(太郎)で記録されてる。
> >
>
> ん?「黄土高原が広い」んじゃなくて、秦野よ、「あんたらの世界」が狭すぎんの!!
>
> 勉強不足以外の何ものでもない。卑小だからこそ、蚊蜻蛉は跳ね返ろうとする。
> そうして、井の中の蛙のような夢を作り出す。そう、これは表裏一体なのだよ。
>
> 中国の古人骨データもこの1ー2年でかなり蓄積されて来た。いまどき、遺伝人類学の最新データを知らずに古代史を語ることなどできない。
>
> 黄帝そのものが実在したかはともかく、黄帝に類する有力者やその部族が存在したのは確かだろう。紅山文化晩期の牛河梁遺跡で出た五号大墓双亀老人(ハプログループF8〔威信財から当時の宗教的統率者と推定〕)か大?(Shimao)文化のF8-A9459-F438-Y17728-F2137-MF15397あたり。黄帝の本拠地はまさに黄土高原北部とされるから後者がより可能性がある。年代も近い。
>
> F8は紀元前2000年から紀元前1000年にかけて最も有力な農耕牧畜集団であり、夏殷周から、秦漢、五胡十六国時代までこのハプログループF8を中心に歴史が展開して行ったと言っても過言ではない。中国人においてF8としては15%、F438としては5%を占める。漢代以降、北方・南方の諸民族を編入し割合を下げた。
>
> 当然、我が国の歴史、日本人の形成にも大きく関わる。原日本語集団はおそらく遼河〜山東で成立したはずだ。F8としては現代日本人の5%、F438としては2%を占める。日本人も、中国の場合がそうであったと同様に、列島で異民族の縄文人や縄文人との混血である弥生人を多く組み込み割合を下げる。現代人に5%残っているというのはかなり凄いことなのだよ。
>
> 毛玉さんがこのグループに残ってたら張り合いも出るが、今の面々では学ぶところがなさ過ぎる。
> さて、そろそろ、管理人の別ハン「通りすがり」君が登場する頃じゃないか?・・・

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10836秦野北斗:2021/05/16(日) 13:53:08
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011424M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

> 毛玉さんがこのグループに残ってたら張り合いも出るが、今の面々では学ぶところがなさ過ぎる。
> さて、そろそろ、管理人の別ハン「通りすがり」君が登場する頃じゃないか?・・・

般若心経で送ってやるよ、
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切[注 5]顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経

誰も読めないな、農業技術の伝来の記録だが、百姓の4000年の歴史



https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10837秦野北斗:2021/05/16(日) 22:54:09
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011429M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

ハプロでは、説明が出ないだろ・・・

中国文献も読めず、ハプロだけじゃダメなの

ヒントは倭国なんだ、こいつらが匈奴になる、フン族だよ・・・

ユーラシア帝国をつくる、モンゴル帝国より大きい。

ハプロのごちゃごちゃが説明できるだろう。

次ぎは、ハプロの混血説明できるかな・・・


>
> 諸君に共通して言えることですが、「想像」だけではダメなんですよ。そんなもん子どもにもできる。
> 「証拠」が伴わないとね。

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10838管理人:2021/05/17(月) 00:39:38
続中国方位ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011432M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011432_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011432_3M.png

https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12619747152.html

http://



10839秦野北斗:2021/05/17(月) 08:18:14
Re: 続中国方位ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011435M.jpg

https://ameblo.jp/shimonose9m/entry-12619747152.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10840管理人:2021/05/17(月) 12:55:03
Re: 続中国方位ライン2
シマオゥさんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> まー、どうせ暇つぶしでやる分には良いんじゃないですか?こちらも批評するの面倒くさい。
> 最後に管理人さんの年齢当ててみましょう。
> 「ムー大陸とかオカルトが流行った世代」の宮台真司くらいで、1960年前後生まれ、つーと、60歳前後、でしょ。>元オウム真理教の上祐も同じ世代なんだね。秦野は高次脳機能障害の終末期老人。


こちらも、たくさん投稿されても読むのが大変だよ・・笑
シマオウ(ルーツ)くんは、そのマンガ世代の言葉遣いからみても、20代後半くらいかな??博士論文まで書いたんだから、研究所や大学の金食い虫で終わらないようがんばってね!


10841秦野北斗:2021/05/17(月) 16:47:24
「遮光器土偶」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011437M.jpg

https://www.baobuzz.com/info/115528.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10842秦野北斗:2021/05/17(月) 22:40:36
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011439M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/邪馬台国

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10843管理人:2021/05/18(火) 00:58:19
続中国方位ライン3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011441M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011441_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011441_3M.jpg

秦野さん、シマオウさん、わかちあいありがとうございます。

まずは秦野さんの遮光器土偶の件から・・・、確かによく見ると、遮光器土偶と西周時代の青銅器の紋様には共通性があるようですね。

以前、殷と亀ヶ岡について、その遮光器土偶等との両者の関連を指摘されているサイトがありましたが、やはり殷の影響が大きいのではないでしょうか。年代的にも重なってきますしね。

以前もお知らせした殷墟と亀ヶ岡遺跡などの亀ヶ岡式土器を出土した遺跡を結んだラインについて、もう少し精度を上げたものを作成しなおしてみました。

図1、2です。両者は図法が異なり、図1は緯度・経度の位置が正確です。図2は角度を見る際に役立ちます。図3は拡大図。

ここでは、まず三星堆遺跡を起点として、殷墟を経て、常呂遺跡に至るラインがありますね。その常呂遺跡自体は亀ヶ岡遺跡よりはるかに古いのですが、ただ亀ヶ岡式土器が出土しているそうですから、後代の前1000年前後にも、この遺跡が再活用されいたのでしょう。

そして、殷墟⇔平壌南部⇔亀ヶ岡遺跡へと伸びるライン、殷墟⇔城子崖遺跡北部⇔三崎山遺跡へと伸びるラインがあります。

その三崎山遺跡からは殷代の刀子が出てますから、殷との関係が疑われるのですが、また図のように、三崎山遺跡と亀ヶ岡遺跡をさらに北へ伸ばすと手宮洞窟へと至ります。手宮洞窟からはフゴッペ洞窟と同様な先刻文字がありますね。これも縄文時代のものと考えてきたとおりです。

そして、亀ヶ岡遺跡⇔大湯環状列石北部⇔大洞貝塚へと伸びるラインがありますが、また常呂遺跡から大湯環状列石北部を経て三崎山遺跡へと至るラインもあります。

加えて、図のように手宮洞窟⇔亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡へのラインもあります。

あと、図のように平壌南部⇔漢城中心部⇔金海へと伸びるラインがありますが、また漢城⇔手宮洞窟⇔常呂遺跡へと伸びるラインも確認できます。

そのほか、殷墟⇔城子崖遺跡北部⇔三崎山遺跡⇔大洞貝塚へのラインもあるかもしれません。

これらのラインの誤差については、図3の各遺跡と、そこを通過するラインについての拡大図を確認していただきたいのですが、まず、上記の三星堆⇔殷墟⇔常呂遺跡に至るラインについては、殷墟の位置において北へ3KM前後の地点をラインが通過している、つまり誤差があることがわかります。

三星堆⇔殷墟間=1096?、三星堆⇔常呂遺跡=4925?に対して、3?のズレですから、3/1000 前後のズレが生じていたと考えてよいでしょう。

また、同じく漢城⇔手宮洞窟⇔常呂遺跡へと伸びるラインですが、これも手宮洞窟の北1km前後の地点をラインが通過してますから、同様に漢城⇔常呂遺跡=1605?で、漢城⇔手宮洞窟=1340km となりますから、1/250くらいの最大誤差がありますね。

なお、この漢城⇔手宮洞窟⇔常呂遺跡は、先の平壌南部⇔漢城⇔金海に対して直交、つまり90度になってますから、意図的な角度とみなしうるでしょう。偏角は東30度となるわけです。

そして、手宮洞窟⇔亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡については、亀ヶ岡遺跡の東の500mあたりをラインが通過してますから、手宮洞窟⇔亀ヶ岡遺跡=265?、亀ヶ岡遺跡⇔三崎山遺跡=201?ですから、最大で1/400くらいの誤差があると考えるべきでしょう。

あと、大湯環状列石の北部2kmあたりを上記の亀ヶ岡遺跡⇔大湯環状列石北部⇔大洞貝塚へのライン、また常呂遺跡⇔大湯環状列石北部⇔三崎山遺跡へと至るラインが双方通過していますが、大湯環状列石⇔三崎山遺跡=152?、大湯環状列石⇔大洞貝塚=156?ですから、2/150前後のズレがあり、ややこの時代の測量としては誤差が大きいですね。この誤差発生には何らかの別の理由があるはずです。

ちなみに三崎山遺跡⇔大洞貝塚=160?ですから、正三角形の領域を構築しようとした可能性も考慮すべきかもしれません。

このようにみていくと、幾何学的な測量方法を用いて、殷代からその末期あたりにかけて、朝鮮半島、日本の東北部へと移住していった集団がいたと考えるべきかと思いますし、それが亀ヶ岡式土器や三崎山の殷の遺物と、殷との相関性にあると考えれば理解しやすくなりますね。

その測量精度としては、ばらつきはありますが、概ね1度以内の誤差に納める精度はあったのではないでしょうか。距離が数百キロ単位ですから、GPSもない当時としてはよく測量していたと思います。

そして、これらのライン上、特に交点には、まだ明らかにされてない当時の遺跡が多くあるはずですし、そこにポイントを絞って発掘すれば、自ずから結果がついてくるでしょう。

ローラー作戦的な考古発掘は数十年となされてきたわけですが、ここらでもう一段階、その発掘精度を上げて、経費や労力を削減ために、方位ライン分析をそろそろ採用してみてはいかがですかね・・・。

また、これらのライン上の遺跡については、同一集団の移動が予想されるわけですから、当然その遺骨にも同じ遺伝子が混じっている可能性が高いと言えるでしょう。

これもローラー作戦的に遺伝子を把握する段階から、ライン上の都市を絞り込んでその遺伝子を調査していけば、もっと目的の遺伝子を持つ人物が多く見えてくることも予想できますし、目的達成までの効率が良いと思います。

ローラー作成が終わるまで待たずとも、早い期間で結果を出せれば、それだけ早く学問を発展させうるわけです。

方位ライン分析にこだわる理由は、研究を効率よく進めるためといっても過言ではありません。地道なローラー作戦をしている時間や資金は、そろそろ日本人にはなくなっていくような気がしますからね・・・。






10844管理人:2021/05/18(火) 01:26:55
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
>
> それでも、ミトコンドリアは体重の1割をも占めるんで、MT-haploはY-haploより存在感があります。6リットルの水って結構重たい。Y染色体DNAを抜いても生きていられるだろうが、ミトコンドリア抜いたら死ぬだろうね。しかし、私のY-haplo O-F438は「自閉症リスクが低い」という研究結果もあるので、「重要ではない」とは言い切れない。
>

なるほど、、ミトコンドリアって、確かに細胞内でも体積占めてますよね、そこまで重くなってくると、ミトコンドリアダイエット!とかもできるかも・・・・!体への影響力が大きいですね。



> 以上、DNA的アイデンティティをまとめると、「現代北東アジア人の私は、ルーツを辿れば過去の黄土・チベット高原、シベリア集団、もっと絞れば、黄土高原・長城地帯の集団の一員だった」ということになります。古墳文化を日本に齎した北方集団です。彼らの故郷は、北方中国とくに遼西・遼東半島、そして朝鮮半島(北京漢族に最も近いのは奈良県人)。
>

なるほど、偶然か必然か、そのご自身のルーツに近いところへとお出かけになられているようですから、本能的なものもあるのかもしれませんし、また帰国される際には、日本の渡来人の遺跡もめぐってみてくださいね・・・!



> あと、おまけで、
> (5) 「トレジャー遺伝子」ー良いものにも悪いものにも感謝!
> ? 中国の長寿遺伝子
> ? 炭水化物代謝が早い遺伝子
> ? 脂質代謝が早い遺伝子
> ? アルツハイマー・リスク低減遺伝子
> ? トップアスリート遺伝子
> ? ハゲ遺伝子ー管理人さんにあげたいですが、今は良い薬もあるようだから、早期発見・早期治療を目指します。
>
> 管理人さんのトレジャー遺伝子は何ですか?



いやはや遺伝子調査をしたことないので、遺伝子面では何も言えませんけど、?のハゲ遺伝子は父型にはなく、母方に多いようですので、気にし始めてますが、まだ幸いにも白髪が少々出始めたくらいですから助かってますよ(笑)

長寿遺伝子は、うちも双方そのようですが、細胞のエネルギー代謝の早いのは短命だとかいう研究もあるようですね。ラットとかはそれが人間の2倍近くで短命だとか・・。

あと、やはり脳とか神経系の遺伝の影響は大きいと思いますね。父型は機械系、祖父の父は宮大工だったらしく、祖父もバイクとか何も見ないで分解して組み立てなおせるくらいの空間認知能力があったようです・・・。逆にあまり話し上手ではない、文科系に向いてないというのもそうでしょう・・・だからこんなところでこんなわけのわからない幾何学図形を書いてるわけです(汗)

仕方ないですよね、本能とか適性には逆らえないこともありますから、だましだまし欠点を隠して、その長所を生かせるように使っていくべきでしょう。

グループ作業や研究の利点は、その欠点を補い、長所を生かしあうところにあるとおもうんですよね・・・・。相手の欠点を言い始めたらキリがないですし、双方無駄な時間になるでしょう。

野球でも、先発投手と抑えの投手が役割分担してたりしますが、大局的な準備をするのがうまいひとがいれば、素早い詰め将棋が得意な人もいて、それぞれ適性あるとおもいますし、双方を一人でこなす必要もないかと感じてます。

ハプロタイプの組み合わせ論などでも、о系統とD系統は双方うまくやっていける?とかいけないとか、相性みたいなもののあったんじゃないですかね。牧畜と漁業者の協同みたいなもので、その辺のパートナー論も、見えてくれば面白いですね。

10845秦野北斗:2021/05/18(火) 01:36:45
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011443_2M.jpg

https://kknews.cc/history/blgbopn.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10846秦野北斗:2021/05/18(火) 09:40:02
Re: 続中国方位ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011447M.jpg

http://konchan.net/x/archives/11014

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10847秦野北斗:2021/05/18(火) 23:20:00
Re: Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011451M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/魏志倭人伝

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10848管理人:2021/05/18(火) 23:46:23
続中国方位ライン4
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011453M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011453_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011453_3M.png

https://www.yfull.com/tree/O/



10849秦野北斗:2021/05/19(水) 13:06:27
Re: 続中国方位ライン4
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011455M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/史記

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10850管理人:2021/05/19(水) 13:39:31
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。

> 似とるな。
>
> 私は自分のMT-haplo G3a2繋がりでオホーツク文化にも関心があるので、北海道住まいの管理人が羨ましい。G3a2はロシア沿海地方のウデヘに見られる。「私の血の中に、北海の怪獣狩人の血がまじっていることを知っただけで豊かな思いを持っ

ちょうど、昨日は蔦屋でアイヌ文化の雑誌を立ち読みしてましたが、オホーツク文化は、粛慎、後代の靺鞨とかかわりがあるとみなされているようですね。

粛慎
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%25B2%259B%25E6%2585%258E_%28%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%29


確かに、毒矢や住居形式など現在のアイヌ文化ともかかわり深そうです。その起源は、紀元前の粛慎の風俗にあるということになると、実に長い伝統を継承してきたことになるはずです・・・・。


>
> 2. Okhotsk culture 牙製婦人像
>
> オホーツク文化(プレ期3世紀〜終末期13世紀頃)
> この文化を特徴づける遺物のひとつとして,骨・牙製の婦人像がある。それらはすこし前かがみで,手を前に組んだり,合掌したりしている姿をし,そのモティーフはモンゴル出土の牙製婦人像や遠くセミレチエ地方の突厥の女性石像に類似している。この文化の発生については,南サハリンと北海道北部において自立的に生まれたとする説と大陸からの影響を受けて生じたとする説がある。
> →大陸起源が通説。紅山文化の後裔で、靺鞨と関係。




突厥ですか・・!合掌するのは宗教者っぽい雰囲気ありますよね・・・。

ソグド人の石像、ルーツさん的には突厥のそれなんでしたっけ、その石像文化が、6世紀代に北九州へともたられて磐井の墓の石人となったという見方もありましたね。

同じ突厥の石人文化が、九州と北海道にもたらされていったとすると面白いですね。文化的に双方に共通性が見いだされればもっと興味深い!

個人的には、その磐井等のご先祖の北燕遺民ですね、これらが新漢人として天智系の天皇家のパトロンとして白鳳時代から平安時代ごろまで活躍、靺鞨粛慎との交易ルートを、彼らはもっていて、片方が渤海・新羅からの交易ルート、もう片方が北海道、サハリン、沿海州ルートで、そこに靺鞨人が行き来していたと思うんですね。

その末裔には当然、同じ遺伝子が見えてくるはずですしね・・・。



10851秦野北斗:2021/05/20(木) 08:48:14
Re: 文化とDNA自慢
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011464M.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/ムックリ

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10852管理人:2021/05/20(木) 16:55:21
Re: キラータ(Kirata)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011465M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011465_2M.png

https://hollywoodsnap.com/black-people-bleached-skin-turned-into-a-white/



10853管理人:2021/05/20(木) 17:13:17
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。

> ニヴフが基調だと思います。
> サハリンのニヴフはYに次いでD4mが多く、大陸側のニヴフではYに次いでGです。D4mは悪魔の門の洞窟で出たものと同じです。図は悪魔の門の洞窟集団のデータ。
>
> 図から分かるように、悪魔の門の洞窟の人々は北東アジア人と極東ロシアの先住民とのハイブリッドです。私は、日本人との遺伝人類学的関係において、アイヌよりもオホーツク人の方に関心があります。もっとも、アイヌの女系の多くは彼らが由来なので、アイヌに伝わる文化の中にオホーツク人を感じることができると思っています。



アイヌ文化を考える際に、そうですね、オホーツク人の文化と縄文人、和人のそれの区別も必要でしょうし、さらにオホーツク人のそれもいくらかに分類しながら識別作業が必要ですね。

アイヌのチャシなどは、東北方面にも似たようなものが多くあり、オホーツク人のそれとは異なる縄文人起源だと考えているのですが、神話面では東北のそれと比較したことはないですが、どこか西方的な要素が強く、中・近世にロシア方面からもたらされたのか、やはり縄文系なのかも気になるところです。

入れ墨や刺繍については沖縄と共通要素が多いそうで、縄文系のようですが、ただ、先のアイヌ神話を読む限り、入れ墨をしていたコロポックルのような小柄な先住民がいて、そこにある時期に、文化人であるアイヌの祖先がどこからか移住して、その入れ墨文化を継承したような構造になっているんですよね・・・。

かなりはっきりした歴史記録を継承しているところからみて、それほど遠くない時代にアイヌのもう片方の祖先がどこからかやってきたように感じるのですが、ニブフとかその辺の兼ね合いを考えていくと何かみえてくるでしょうか・・・

あと、アイヌのムックリは有名ですね!呪術で使うのでしょうし、呪術の楽器って、結構その民族において根幹をなすものだったりするので、解明のカギになるかもしれません・・。



10854管理人:2021/05/20(木) 22:07:34
Re: 文化とDNA自慢
シマオゥさんへのお返事です。

> 秦野北斗さんへのお返事です。
>
> > アイヌの楽器(ムックリ)ですか、なんじゃ
>
> 近世アイヌへはニヴフから入ったんだとよ。

確かに形状的にもムックリとニブフのそれは、よく似てますね。

起源は、なぜかShimao遺跡が出てくるところが興味深い・・・・。


「Jew's harp」

History

The earliest depiction of somebody playing what seems to be a Jew's harp is a Chinese drawing from the 3rd Century BC, and curved bones discovered in the Shimao fortifications in Shaanxi, China are believed to be the earliest evidence of the instrument, dating back to before 1800 B.C.E.[4][5] Archaeological finds of surviving examples in Europe have been claimed to be almost as old, but those dates have been challenged both on the grounds of excavation techniques, and the lack of contemporary writing or pictures mentioning the instrument.[6]

/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fen.wikipedia.org%2Fwiki%2FJew%2527s_harp%23cite_note-6


10855管理人:2021/05/20(木) 23:08:07
北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011473M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/龍城



10856秦野北斗:2021/05/21(金) 11:59:29
Re: 紅山文化の人たち
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011479M.jpg

https://wenku.baidu.com/view/e594e7e8bdeb19e8b8f67c1cfad6195f312be8e0.html

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10857秦野北斗:2021/05/21(金) 16:25:07
高句麗の歴史
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011482M.jpg

紀元0年夫余、好太王碑【第一面】韓半島の歴史が記録される。
夫余は臨津江 まで、その後、臨津江を越え韓半島に、時(種族)が欲しがり、高句麗は韓半島に取り込まれた部族。高宗の大唐大將軍(白村江の戦い)で滅亡する。「栄光ナル朝鮮語族」だ、流れ者だぞ、現在の韓国と同じ、アメリカに活かされている。尚、時(種族)は土岐氏、明智君の先祖

好太王碑【第一面】
鄒牟王は大水王(別名)こと臨津と云う。母は河伯と云う、世子(子供)は弱いため、留める黄龍を迎王とする、黄龍こと大朱王(別名)の十七世孫が永楽太王になる。

日本書紀
冬十月、大唐大將軍英公、打滅高麗。高麗仲牟王初建国時、欲治千?也、母夫人云「若善治国、不可得也、但當有七百年之治也。」今此国亡者當在七百年之末也。

解説する、高麗は高宗の大唐大將軍、英公に滅ぼされた。高麗仲(鄒)牟王が建国した国、時(種族)が欲しがり治める、治める善い千(かしら)は歳なり、母は夫(種族)人は云う。此の国は若くないと聴くなり、当り有る700年此れ治めるなり、今此の国亡き者、当り在る700年此れ末(終る)なり。
高宗:母: 文徳皇后長孫氏
在位期間: 649年7月15日? - ?683年?12月27日?
没年: 弘道元年12月4日; (683年12月27日)
父: 太宗(第9子)

朝鮮語族はハプロではゴミ、考えないほうがいい・・・




https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10858秦野北斗:2021/05/21(金) 20:23:26
Re: 紅山文化で行われていた言語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011485M.jpg

https://www.weblio.jp/content/

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10859秦野北斗:2021/05/21(金) 23:34:02
Re: 紅山文化で行われていた言語
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011489M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

理解できないだろうな、

秦野が史記、古事記、・・・が読めるのは共通語を見つけたからなんですな。

DNAには、記憶もありそうだな、シマオゥさんはコロナワクチンで復活???・・・

夢、夢・・・

シマオゥさんへ、好太碑の碑文(文献)訳したら教授になれるぞ、

> > 例、シベリアは痺れる、らしいな。
> > 大変だ、百済、新羅、高句麗、日本(倭)、匈奴、中国・・・は共和国ですな
> >
>
> 秦野さん、きちんとお薬飲んでますか?DNAは、記憶

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10860管理人:2021/05/21(金) 23:34:19
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011490M.jpg

https://youtu.be/6eILFgXv4yM



10861管理人:2021/05/21(金) 23:48:11
Re: オホーツク人研究の発展
シマオゥさんへのお返事です。

オホーツク人の研究史お知らせありがとうございます!


>

> 1974年
> モヨロ貝塚などの人骨を総合的に分析した結果、もっとも類似した関係にあるのがアムール・サハリン地方の諸集団で、その中でもウリチ人が最も近いとされた(山口敏)。
>
> アイヌの精神文化との関係1 クマの牙偶
> 胴部に観察される腹帯がサハリン・アイヌのクマ送り儀礼のものと酷似しており、アイヌ文化の精神世界はオホーツク文化からの強い影響を受けている(渡辺仁)。
>


なるほどですね・・・。



> 1975年 山丹人との関係
> アムール河流域の黒水靺鞨が直接にサハリンから北海道に移住したとされたさらに、アムール河流域の黒水靺鞨はウリチ人であり、彼らの子孫が後に山丹として山丹交易を担ったとされた(加藤晋平、大塚和義)。
>
> 1976年
> 土器、石製品、鉄製品、青銅・銅製品、ブタ、イヌの飼育、仰臥屈葬、木棺墓などにより、オホーツク文化は黒水靺鞨文化を主体としながらも、その前後の文化との類似性も強く認められる。その一方で住居形態や墓制など社会の基本形態の違いが大きいことを重視すると、靺鞨文化や女真文化の直接的な波及はなかった。オホーツク文化の担い手については、中国唐代の『通典』などに登場する「流鬼」すなわちニヴフが該当する(菊池俊彦)。
>
> →こうして、オホーツク文化の成立過程については、北海道の在地文化の影響を受けながらも、基本的には大陸にルーツを持ち、サハリンで成立、北海道に南下したということに一応落ち着いた。
>

ふむふむ。



> 1981年 北アジア人としてのオホーツク人
> オホーツク人の信仰
> 牙製女性像の衣装には鈴や鐸、帯飾りが付けられており、集団内のシャーマンであり、弁髪を結い、スカートをはき、前かがみで手を組むなどの特徴から、北アジアの古代習俗との結び付きがある(加藤晋平)。
>

牙製女性像ですね・・。


> 1989年 アイヌの精神文化との関係2
> オホーツク文化遺物に集中して登場するクマ、海獣、鳥がアイヌ文化の動物信仰と共通していることから、オホーツク文化の信仰はアイヌ文化に受け継げられた(宇田川洋)
>

アイヌ神話には、思うに、動物などを主体としたシリーズと、それとは別のヤタカラス神話によく似た西方遊牧民・中東系のそれとがあるように感じてます。前者がオホーツク人の影響で入ってきた可能性ありですね・・。


> 1990年
> 年代譜が明らかにされた。
> プレ期 3ー4世紀
> 前期・後期 5ー9世紀
> 終焉期 9ー12世紀
>

7世紀の阿部の遠征に出てくる粛慎でしょうね。石狩川より西の道東に本拠をもっていたはず。



> 1994年
> 目梨泊遺跡の墓の副葬品として鉄刀類や鉄鉾、曲手刀子、耳飾りなどの組み合わせがモヨロ遺跡と類似するとともに、帯金具はアムール河中流域の靺鞨文化のものと類似しており、大陸文化の強い影響がある。一方で、両遺跡とも本州文化からの渡来品である蕨手刀が見られ、南北交易の拠点であった。


思うに、その帯金具などの金属精錬技術の確保あるいは輸入が、西方遊牧民や中東系の集団から取りいれたものでしょう。

ステップルートで遼東や沿海州周辺で交易していた集団から、オホーツク人が取り込んでいって、それに付随して、中東・西方系の神話なども、アイヌ神話の原型に導入されていったのかな??



10862管理人:2021/05/22(土) 00:36:21
続中国方位ライン5
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011493M.png

https://kotobank.jp/word/廟底溝遺跡-121364



10863管理人:2021/05/22(土) 00:40:39
Re: 北燕遺民
シマオゥさんへのお返事です。


>
> 紅山文化の古人骨のadmixtureは現代人ではホジェンが近いのでツングース寄りだったんじゃないですか?コリアンにも近いですかね。
>

なるほど・・・、ツングース系の先祖のY-C?と、その後に出てきたY-N、あるいはOの混血の可能性もありますかな・・・



>
> ウラル祖語は、ウラル諸語に現れる動植物や養蜂、塩関係の語彙の分析から割り出された東西南北の境界の推定から、ウラル山脈東西どちらかで起源したという説が一般的なので、紅山文化の人たちがウラル語を行っていたとは思えませんが、サハ(ヤクート)はどうですかね。バイカル方面にいたとされるんですが、でも、サハはMT-haplo D5が多いので結構南にいたのかもしれません。あとは、紅山文化は朝鮮語族の可能性もあります。


バイカル湖周辺の集団・・・気になりますね!!また明日に・・!




10864秦野北斗:2021/05/22(土) 09:56:33
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011499M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011499_2M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=FuEjONKb3fQ

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10865秦野北斗:2021/05/22(土) 11:35:31
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011502M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

PDFだよ、お前の頭じゃ、理解できないだろう
淮南衡山列伝原文よむか、2,3回生まれ変わるな

> ま、秦野は単純にアホな分、キシさんよりマシだ。短文しか書けないから掲示板も見やすい。
ところで、キシさんの漢字遊び懐かしいな、コロナで引きこもりかな・・・
古代史研究家の最先端だな、こじ付け、最先端研究家だよ。古田武彦の影響だろうな

淮南衡山列伝原文+ハプロで教授席は間違いなし、難あり、中国人は読めんな、

>
> >??紅山文化集団は牧畜(秦、以降は農業、コウリャン)
> > 仰韶文化集団は牧畜
> > 騎馬民族ですな、史記の記述がただしいな。
> >
>
> 紅山文化=騎馬民族説?
> 騎馬?最先端じゃん?すごいね!ところで、秦野君は、大学行けたの?
> ま、秦野は単純にアホな分、キシさんよりマシだ。短文しか書けないから掲示板も見やすい。

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10866秦野北斗:2021/05/22(土) 12:08:54
Re: 口琴の発祥地
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011503M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=e-1Qp9Y0RKE

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10867管理人:2021/05/22(土) 20:34:03
Re: 口琴の発祥地
秦野北斗さんへのお返事です。

> シマオゥさんへのお返事です。
>
> > SHIMAOからは最古の口琴が見付かっている。アイヌのイメージくずれる。
>
> 口琴演奏《黄昏》|依然?得从你口中?出再??决如【吹口琴的小园园】
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3De-1Qp9Y0RKE
>
> Olena UUTAi. Earth music festival
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DLH2J81ZjsGk
>
> 口琴好き中学生No.6
> /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DDHvD5QliFTg
>
>

ひとつめの動画は口琴?ではないような・・。2つ目と3つ目は、確かにアイヌのムックリとよく似てますね。

アイヌのムックリ演奏
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DPvv6xzfLyT8


こちらがシベリア方面?のkhomusですね。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FipsdHA3gLnM



口琴についての呼び方ですが、ムックリの語源ってどこからきたんでしょうね?


ハカス語xомыс(khomys)ホムス
トゥバ語xомус(khomus)ホムス
アルタイ語komusコムス
ヤクートkhomusホムス
キルギスtemir komuz, jugach komuz, ooz komuzテミル・コムズ、ジュガチ・コムズ、オオズ・コムズ
カザフshan qobyz, temir qobyzシャン・コブズ、テミル・コブズ
中国口弦、嘴琴
アイヌmukkuriムックリ
北インドmorchangモルチュン、モルチャン
南インドmorshingモールシン
フィリピンkubing, kumbing, afiw, kinabanクビン、クンビン、アフィウ、キナバン
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%258F%25A3%25E7%2590%25B4




10868秦野北斗:2021/05/22(土) 21:52:48
Re: 口琴の発祥地
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011505M.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=e-1Qp9Y0RKE

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10869管理人:2021/05/23(日) 00:43:03
続中国方位ライン6
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011509M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011509_2M.png

シマオゥさんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> > ちょっと先ほど目についた遺跡に廟底溝遺跡がありますが、これが図のように、三星堆遺跡と殷墟を結ぶライン上にあるようです。
> >
>
> 常識ですが、廟底溝は甘粛・青海の馬家窯、斉家文化の母胎です。Y-haploは紀元前3500年頃のO-M133(F5)-F8が出ています。


シマオウさん、お返事ありがとうございます。なるほど、ハプロ系統図からいくと、廟底溝遺跡から馬家窯、斉家文化へと向かうわけですね!

そこで、その馬家窯、斉家文化の遺跡も交えて、ここ数日明らかにしてきた中国各地の遺跡を結ぶラインを整理してまとめてみました。図1はラインの方向性をみるために、図2は距離と方角をみるために図法を変えてあります。

なおこれらのラインとまったく関係がなかった他の遺跡は外してあります。こうみるとほとんどは前3000〜2000前後の遺跡だと言えるでしょう。つまりそれ以前の文化の遺跡は、これらのライン上にはまず載らないことも確認しています。

そして新たに、長江文明と遼河文明の遺跡も追加してあります。

すなわち、三星堆⇔大渓⇔屈家嶺(石家河)⇔良渚遺跡のラインや、良渚⇔呉城鎮⇔昆明へのライン、呉城鎮⇔屈家嶺(石家河)⇔馬家窯遺跡へのラインなどは長江文明と関係しますが、その一部が良渚⇔鹿大崗⇔烏海へのライン、大渓⇔廟底溝⇔陶寺遺跡へのラインのように、黄河文明へと橋渡ししていることもわかりますね。

そして遼河文明の夏家店遺跡、これがやはり測量の起点となっており、図のように夏家店⇔鹿大崗⇔石家河遺跡へのラインのように、3文明を橋渡ししているものも見て取れます。

夏家店⇔SHIMAO⇒馬家窯遺跡へのライン、あるいは夏家店⇔城子崖⇔大エン口遺跡へのラインなどもあるでしょうし、ラインの交差面からみるとやはり三星堆遺跡へのラインもあったはずです。

そしてその三星堆遺跡が測量の起点であり、先日もお話した三星堆⇔廟底溝⇔殷墟へのライン、同じく三星堆⇔二里頭⇔大エン口遺跡へのラインなどもありますし、あとは烏海市中心部も測量起点であり、烏海⇔陶寺⇔二里頭、烏海⇔SHIMAO⇒大エン口遺跡へのライン、などもありましたね。

このように、おそらくは前3000〜2500年前後あたりから中国に移住してきて青銅器などを広めたであろう彼らは、一種の三角測量を用いて、都市の位置を決めてその構築を行っていったことが明らかになります。

ただ、図のように馬家窯⇔陶寺⇔殷墟のラインは、似たような位置にある斉家坪⇔陶寺⇔大エン口遺跡へのラインへのラインと1〜2度前後のズレが生じており、前者のほうが500年ほど新しいので、それが原因でこのズレが生じているのではないでしょうか。

その誤差の発生については、測量方法や北極星の位置のずれ、あるいは冬至の日の出角が緯度によって増減する件を先ほどは考えていたのですが、後者については具体的には三星堆や昆明の緯度での日の出角と、殷墟など北方都市のそれとは1〜2度相違しており、どちらを起点とするかで、それらの誤差が出る可能性を感じます。

なお、地軸の歳差運動の誤差は5000〜1万年単位とかでないと1〜2度はずれないので、違う原因の可能性がありそうですね。

また日の出角を測るためには、ストーンヘンジとか環状列石を立てて、その日の出位置を正確に測りだす必要があり、大きな列石ほど測量精度の正確性が増すので、ストーンヘンジなどは巨大化していったはずです。月の位置を使えば経度の測量も可能だったでしょう。

ちょうどこの前3000〜2000年ごろは、その環状列石が世界に拡散していく時期ですから、中国や縄文時代後期前半の日本の環状列石もその日の出角から緯度を割り出して、三角測量で経度も割り出し、結果として特定の測量起点となる複数の都市から、図のようなラインを放射状に伸ばして、その交点にも都市を造営しながら、地域支配を確立していったように見えますね。

その進出の細かい年代推移については、シマオウさんご紹介のようなハプロ系統図、そこに見える各遺跡の人骨の年代と分岐から、明らかにできるのかもしれませんし、日本における縄文人なり弥生人、渡来人の渡来から地域進出の過程までも、同様な方法で明らかにすることができるでしょう。

そして日本においても、同様な遺跡や古墳を結ぶ方位ラインが多数あるわけですから、双方を比較分析することで、より正確な年代推定や血縁推定ができるようになるわけで、結果として邪馬台国はどこにあって、その人たちはどこへ拡散・移動していったのかなどといったテーマも明らかにできるかも知れない点で、貴重な資料となるだろうと感じますね。何か新しいプロジェクトを立ち上げたいですね。古代測量とハプロ・・・と掛け合わせて、古代史を本格的に解明するような・・・。その辺をまとめていく知恵が必要です。




10870秦野北斗:2021/05/23(日) 01:17:43
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011510M.jpg

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000345549

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10871秦野北斗:2021/05/23(日) 18:09:39
Re: O2(旧O3)とN1、C2は過去も現在も「同じような人々」です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011518M.jpg

https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/iseki/

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos



10872秦野北斗:2021/05/23(日) 21:42:05
Re: 北燕遺民
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0011519M.jpg

シマオゥさんへのお返事です。

合掌・・・成仏しろ、迷うなょ

>
> キシが冥土から呼んどるぞ。
>

https://www.youtube.com/channel/UC0S1Wl7M5js_1zRueXEmwpw/videos






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