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歴史掲示板

10775管理人:2021/03/18(木) 01:12:19
アイヌ・蝦夷の起源7
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また先日の続きで、アイヌ神話の比較研究をしています。

先日も紹介した畑中武夫著『アイヌの信仰』先住民族文化研究会,1972。に、入れ墨とコロポックルの話があり、興味深く感じたので、図1,2として引用しておきますね。

ここで、興味を引くのは、アイヌが来る以前にコロポックルという入れ墨をした小人がいたとの前提で話が進んでいる点です。

思うに、コーカソイドや弥生人などに比べて比較的背の低かった縄文人の子孫のことをコロポックルとみなしていたのではないでしょうか?

記紀の記載でも、タケウチスクネが対面した蝦夷といった原住民は入れ墨をしていたようですし、吉野の原住民とされる国栖なども思い浮かぶところですね。その国栖については、人となり淳朴で山の菓やカエルを食べたとされ、このコロポックルの性格と共通しています。

アイヌの入れ墨と、沖縄の入れ墨に共通要素があることなども、縄文人の子孫の影響が強いことを意味しているように感じますが、ただ問題は、アイヌ自身が、それ以前にいた原住民のコロポックルからそれらの習俗を継承したとされていることでしょう。

それではアイヌのもう片方の祖先は、いつ、どこからやってきたのか?ここが問題となってきます。

先日の分析から、ひとつには縄文晩期から弥生初期にわたってきたであろう殷からきた集団との見方ができそうですが、もうひとつは、その後、春秋時代末期から戦国時代にかけて東遷してきた白テキなどの西方遊牧民の子孫の可能性、特に中東方面に起源をもつ集団を想定してきたことがありますね。中国の舜・シュン帝などの神話をもたらした集団です。

高辛氏・高句麗や沿海州を経由して、北海道や東北方面へと渡ってくる・・。

再度、アイヌ語やDNA面から、その痕跡を探す必要があるかもしれませんね。







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