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歴史掲示板

10011管理人:2019/12/12(木) 00:17:33
チャシの方位ライン
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訳あって、先週からアイヌ文化について調べはじめているのですが、アイヌ時代に丘陵などを整形したチャシという砦が北海道などに多数あるようです。

これが、もしかすると、先日紹介した北海道各地の山頂や尾根を三角錐や四角錘に整形された地形群、およびそれと接合する旧石器時代遺跡群と関係するかもしれません。

図1は、その千歳にあるペサのチャシの測量図です。綺麗な三角錐型に尾根の一部が整形されています。

図2は、道央のチャシを結んでみた方位ラインですが、こうみると、先日も指摘した縄文時代の天神山遺跡にチャシがあり、それと藻岩山を結ぶ東西ラインが見えてきます。

図3は、千歳方面のチャシを結んだラインですが、こうみると旧石器時代の測量拠点となっていた祝梅三角山遺跡や、縄文時代の柏木・茂漁・恵庭公園遺跡・長都遺跡と、そのチャシ群がライン面で接合しているのがわかります。

チャシが文献にみえてくるのは中世ですが、一部のチャシには縄文遺跡も見えるとのことで、その起源は旧石器・縄文遺跡まで遡るのではないでしょうか。

一説によると、沿海州やロシアにみえるゴロディシチェという多角形の砦とも関係するとの指摘があるようですが、その起源は前1000年からのもので、後のスキタイ文化と関係するようです。

その丘陵や山岳地域の一部を整形して多角形のマウンド上にする意図は、以前もお話したように、狼煙を上げたり、焚火を焚いて、船舶や交易者への方位提供・通信、および測量にあったと予想しますが、アイヌ時代には砦や山城、狩猟用の場としての意味も持ち合わせていたようです。

アイヌ人は、そういう意味では1〜2万年前の太古の習俗を継承し続けてきた集団ともみなしうることもあり、もっと注目されてもよいように感じますね。そして、そこから、先の磐座・山岳信仰のようなものが後代の日本人にもたらされていったのではないでしょうか。






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