したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

たそがれ読書部

130誰そ彼:2024/02/27(火) 00:10:24 ID:6yretvz.0
 ちくま新書351 島田裕巳著『日本人の神はどこにいるか』

 一神教と多神教は対立しているものとして捉えられている、を
「一神教=多神教モデル」によって解決しようとする試論である。
 全知全能の一神教の神は世界を創造したりするが(「天空神」を
検索されたい)、それゆえ日常生活者からすると「暇な神」
(あまり相手にされないちょっとかわいそうな神)になってしまっている。
 そこで聖母マリアや聖者などの手近で祈ることのできる信仰対象が生まれ、
いわば多神教化した。
 理を会得して輪廻からの解脱を求める仏教であったが、
いつもまにか祈る対象を発生させ、現在では本尊として特に重要視される
信仰対象を顕示している。これは一神教化傾向があると言える。
 また、近代の国家神道は天皇を神とする一神教的な強い主張であった。
 本書では、これらの「多神教の一神教化」と「一神教の多神教化」を
「一神教=多神教モデル」として統合できるのではないかと提示している。
 つまり、一神教や多神教はそれぞれ信仰の表現型であるのだよ、と言っている。
 対立したものとして考えなくていいんだよ、と。
 どうだこれで統合できただろう。
 止揚という手法で対立を解決しよとしたものであるな。

 おれは、多神教内部で序列が発生し、その序列が先鋭化して最高神が
それ以外の神々の権能を吸収して一神教が発生したと考えていた。
 多神教には人間世界の序列化が投影されて「一神教化傾向」があり、
また一神教には安定化のために「多神教化傾向」があるのが破綻を避けるための
つりあいであろうとおれは思う。
 いずれにせよ、原理主義的な思想と行動は人に異常な負担をかけてしまう。
落ち着ける形に変化していくものだと理解すればわかりやすい。

 もっとも、おれ個人の見解だが、一神教は全知全能の神という「自己言及の矛盾」を
自ら拡大させる論理的瑕疵を売り物にしているという「意味不明の脅威」と
認識している。
 そのような一神教が、論理的には瑕疵のない多神教と同じだという論は、
排他的で並立しない物事を無理やり同じ容器に押し込める行為である。

・民衆宗教の天理教が戦後、一神教を目指してうまくいかなかった話。
・柳田國男の仏教嫌いと「祖霊還元論」「祖霊一元論」の強弁。
「先祖代々之墓」が登場するのは明治二十年代になってからなのに、
柳田は古くは個人の墓は存在せず「先祖代々之墓」しかなかったと述べている話。
・ほかにいろいろあるが、書くのが疲れたのでもうやめる。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板