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悟り全般に関すること
1
:
慧空
:2014/10/02(木) 22:20:57
悟り全般に関することを何でも書いてください。
854
:
慧空
:2015/06/14(日) 15:29:51
>これ私に対して思ってるわけですか?
そんなはずないじゃないですか。
私の殺気や殺意を感じますか?(^o^)
誰かに対して死ねと思うことは確かにありますが、羊さんに対してはそう思ったことはないですよ。
むしろ、どことなく親近感を感じてるくらいですよ。
それにこの掲示板やブログのコメント欄は、最初っからいろんな人が来ることが前提になってますから、
そう簡単に切れたりしません。
こうしたやり取りができること自体、ヒマをもてあましている私には有り難いことだと思っています。
855
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 15:34:59
ああ、よかった
安心しましたけど、慧空さんの気に触れたら覚悟しなければいけない?
ここに来るのも命がけなら、嫌ですね
856
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 15:36:40
それとも何でも命がけでないとダメですか?
857
:
慧空
:2015/06/14(日) 15:45:26
>安心しましたけど、慧空さんの気に触れたら覚悟しなければいけない?
スピや心霊系の方々は、人の念や悪霊等を恐がりすぎです。
念や悪霊などに、恐れるほどの力はありませんよ。
恐れるから、影響を受けているような気になってしまうし、その影響を自らがつくり出してしまうんです。
へっちゃらだと思えば、へっちゃらなんです。
私なんか、飛んでくる念があるのなら、来てみろといつも待っているし、
悪霊の類がいるのなら、ちょっと顔を見せてみろと思っているのですが、
一向に来やしません。(^o^)
858
:
慧空
:2015/06/14(日) 15:46:35
但し、私はサタンに対してもそうですが、神に対しても強い破壊衝動がありますので、
彼らがやってきたら、彼らに対し、何をするか分からないかもしれません。(^o^)
859
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 18:38:04
しかしジャイアン風な悟りですね
慧空さんも長男が成人するまでは生きると宣言しましたよ
私だって他の人だって、それぞれ理由があって殺されたらたまりません
死期を選べるとは考えませんが、リスクは避けなければ命が幾ついることだか(^^;
悟りの段階には、人同士がかかわると様々なリスクがあるので黙るという手段もあるわけでしょうけど
ところで、彼らって誰のことでしょうか?
差支えなければ
860
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 18:39:16
彼ら、わかりました
すみません
読みが浅くて
861
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 18:43:16
だから建前ばかりの世界で暮らしづらくなる
慧空さんも人の笑顔にであえるほど嬉しいですよね
862
:
慧空
:2015/06/14(日) 18:49:20
>しかしジャイアン風な悟りですね
はい、無敵ですから。(^o^)
私は喋りたいタイプなので、どうしても黙るのは苦手です。
たぶん、黙るタイプの方は悟りを説いたりしない人が多いのだろうと思いますよ。
>慧空さんも人の笑顔にであえるほど嬉しいですよね
それはそうですが、それでさえもどこか煩わしいのです。
困ったものです。
863
:
慧空
:2015/06/14(日) 18:50:41
ちなみに、無敵という意味は、殺されないという意味ではありませんよ。
殺されても、何があってもへっちゃらという意味です。(^o^)
864
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 21:20:13
返信速いですね。まあ、なんとなくわかりそうな感じはあります。
でも、それ楽しいですかぁ?
865
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 21:32:03
なるほど、それだけ充実してるってことですか
なら羨ましい環境ですね
本当にそうなら、理屈じゃ無理と思いますよ
経験者しか、わからないのでしょうね
私の許可がおりるのは現世では無理そうだな
身と口と心とバランスが悪すぎる
学ぶことばっかりです
(^^)
866
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 21:50:53
ちなみにですが自論での無敵になる条件は、まず良心の理解により従った動作が完璧にこなせること
次に生かされる理由を把握することで寛容であり、動じることがない
方法論としては、これしかないと考えてますけどね
867
:
慧空
:2015/06/14(日) 22:20:03
>なるほど、それだけ充実してるってことですか
>なら羨ましい環境ですね
決してうらやましがられるような環境でもコンディションでもないですよ。
それほど楽しくもないです。
お相手頂いててこんなことを言うのは心苦しいのですが、
私にとっていろんなことは時間つぶしのような感じになってきているところがあります。
つまり、お迎えがまだ来ないので、それまでのヒマ潰しという感じです。(^o^)
>私の許可がおりるのは現世では無理そうだな
>身と口と心とバランスが悪すぎる
だから、それも羊さんの妄想だって言ってるでしょ。
誰がそう考えているのですか?
羊さん自身は、どうしたいと思っているのですか?
自分はどうしたいのか、ここが最も本質的なところです。
後のことはどうでもいいんです。
本心にさえ従っていれば、決して悔いも無いし、後悔もありません。
868
:
慧空
:2015/06/14(日) 22:21:09
>ちなみにですが自論での無敵になる条件は、まず良心の理解により従った動作が完璧にこなせること
>次に生かされる理由を把握することで寛容であり、動じることがない
これも羊さんの妄想ですね。
そんなことより、羊さん自身がどうしたいのかを見つめてください。
869
:
孤独な羊
:2015/06/14(日) 22:23:02
そうですか、妄想ですかね?
また機会がありましたら、お相手してください
ありがとうございました
870
:
思路
:2015/06/15(月) 04:38:20
>何をどう訓練しろと仰るのか。(^o^)
>訓練とは、まだ何かをどうにかする必要があるという囚われが残っていますよ。
純粋意識の体験は論理的には表現できない。だからたとえば芸術家のような特別の
表現力が必要なの。山下清が切り絵で世界を表現したように、表現方法を持たなければ
単なる馬鹿でしかない。
愛は妄想だし共感は妄想だが、共感がなくてはコミニケーションは成り立たない。
なぜ妄想なくしてコミニケーションが成り立つと考えるの?
判断とは真実の選択だろ。真実がないのになぜ判断できる?
「あいつは小物だ。あいつは小悟だ。」こういうのは判断だろ。
こんな簡単なことが分からないほど論理的には破たんしてるんだよ。
「それは妄想だ。それは殻だから捨てろ」こういう言う乱暴な言葉でも悟りに導くことは
できる。悟りは単に破壊するだけだから、手荒なことをしても到達はできる。
そして「それ」を体験する。まばゆいばかりの神々しい世界。
でも「それ」を表現するのにまたもや「それは妄想だ。囚われてます」と到達した時と
同じような言葉を繰り返しても絶対に表現できない。
871
:
慧空
:2015/06/15(月) 05:56:41
>純粋意識の体験は論理的には表現できない。
思路さんは、純粋意識の体験をご存知なのですか?
仮にそれをご存知だとしても、その純粋意識とやらも、考えであり、妄想なのですけどね。
純粋意識の体験よりももっと先の行程があるんです。
>「あいつは小物だ。あいつは小悟だ。」こういうのは判断だろ。
もちろん、私の判断ですよ。
それがどうかしましたか?
>そして「それ」を体験する。まばゆいばかりの神々しい世界。
思路さんは、「それ」に囚われてしまっているようですね。
人それぞれですから、お好きなようにどうぞ。
872
:
名無しさん
:2015/06/15(月) 06:09:06
一切は考えであり、幻です。
一切のものは、あるような無いような微妙なものです。
しかし、何かを指して「ある」と思っている人にとっては、それは「ある」のです。
「ある」という考えを握り締めている訳です。
そういう人には、それを考えだと気づき、手放す行程があります。
この現実世界をあると思っている人は、現実世界が考えであるということに気づく行程があり、
「それ」や「純粋意識」をあると思っている人は、それが考えであるということに気づく行程があります。
そのように、自分が何かこれは絶対だと思っていることがあれば、必ずそれが考えだと気づく行程がある訳なんです。
873
:
慧空
:2015/06/15(月) 06:42:04
あれ、どうして名前が消えたのだろう。
上の名無しは、慧空です。
874
:
思路
:2015/06/15(月) 07:18:44
悟りが困難なのは断食と同じでリハビリの方。
断食で体を痛めつけて正しく回復すると以前よりも健康体になることがある。
断食は想像するほど難しくない。食を絶つことの恐怖さえ克服すれば食欲はなくなり全く
苦しくもなんともない。ところが回復過程で失敗する。猛烈な食欲に襲われて
食いすぎてしまう。
もともと若く美しい体を持ったもの達が、何を勘違いしたのか断食に取りつかれて体を
損なっていく。
875
:
思路
:2015/06/15(月) 07:29:44
頂点を極めたアスリートでも、そこでガッタッと壊れてしまう人もいるし、解説員など
チャンとした道へ進んでいく人もいる。
彼らも脳みそも体も削って頂点を目指す。だから終わった時には身も心もガタガタ。
そこから着地していく。
為末とか見ると非常にいい着地をしていると思う。
概ね登山は下山が難しい。失敗はエベレストのグリーンブーツのように道標となる。
麻原は下山の道標。
876
:
思路
:2015/06/15(月) 08:49:36
枝豆はある程度育ったところで上部をバッサリ切り取ると行き場を失った栄養は
大量の実をつける。
この刈取りこそ悟りの手法だ。
脳の切除という欠点は最大の利点になりうる。
なぜ脳を損傷してまで悟りを求めるのかというとそこに尽きる。
悟りは刈り取った状態に過ぎない。実がなるにはしばしの時間がかかる。
877
:
慧空
:2015/06/15(月) 09:32:54
同じようなやり取りの繰り返しですが、
私はこれしか能がないのでやりますね。
>チャンとした道へ進んでいく人もいる
>実がなるにはしばしの時間がかかる
チャンとしてるか、してないか。
実がなったか、なってないか。
どちらも二元の囚われです。
誰がそう判断しているのですか?
どういう基準でそう判断し、区別しているのですか?
その基準や判断にどのような根拠があるのでしょうか?
878
:
慧空
:2015/06/15(月) 09:34:12
思路さんも、こんなところで私の相手なんかしてないで、
ご自分にとって何が一番大切なのかを見つめてください。
そして、その大切なことに取り組んでください。
879
:
慧空
:2015/06/15(月) 09:38:42
思路さん、ひょっとすると、ご自分には実がなっていないとご自分を責めてさげすんだりしておられませんか?
自分では気が付かないうちに、自分をさげすんでる可能性があります。
二元の囚われを持っている方は、必ずと言っていいほど、
自分と他者を比較し、優越感を持ったり、劣等感を持ったりしています。
自分をさげすんでないか、確認してみてください。
自分を認めて受け入れて頂きたいと思います。
880
:
孤独な羊
:2015/06/15(月) 12:06:59
おはようございま〜す(*^_^*)
思路さん、私は、あなた様の話がよくわかります。たぶん。
大悟といいますか最終的な解脱は、山頂(涅槃<小悟>)まで登り、再び人里へ戻った場所で得られる境地にある。
涅槃で培った囚われのない自意識を集団意識の中で生かせるとき、漸く大悟(最終的な解脱)を得たといえる。
それが出来なければ、再び涅槃へ行って、また戻る。繰り返しです。
集団意識の規律に頑なに従わない姿勢なら、仙人のような山籠もり(現代だと引篭もり)して生きるようなのが障りがないかもし
れませんね。
881
:
慧空
:2015/06/15(月) 12:48:12
>おはようございま〜す(*^_^*)
なんかしらじらしいなぁ〜
ウソくさいな〜
882
:
孤独な羊
:2015/06/15(月) 16:29:40
慧空さん、別の切り口で苦との対峙方法から展開していきますと、結局のところ苦の解消方法としては単純な話で二種類しかないわけです、
一つが苦を苦としない方法、もう一方は苦を生じさせない方法です
苦を生みだすか生みださないかの違いですね
道理として適うのが後者しかない見解が私にはあるのですよ
883
:
孤独な羊
:2015/06/15(月) 16:31:43
もう少し噛み砕くと、罪悪感からは逃れきれないという見解です
884
:
慧空
:2015/06/15(月) 16:59:55
>苦の解消方法
ですから、苦を解消しようとするから迷いが続くのですってば。
苦はあたり前のようにいつも普通にあるでしょ、ということを私は繰り返し言っているんです。
885
:
慧空
:2015/06/15(月) 17:10:00
>罪悪感からは逃れきれない
罪悪感は、善悪の囚われにより誘発されるものですから、
これについては、その囚われを手放すと無くなりますよ。
現に、私がそうです。
886
:
孤独な羊
:2015/06/15(月) 18:31:07
う〜んとですね、自説は以下みたいな感じです。
人を成長させるのが苦であるので、一切皆苦。そして苦は精神的な意味で罪悪感と言える。
罪悪感(良心の働き)を憶えなければ反省(改心)出来ないので、ついつい知らぬ間に業は膨らんでいくのです。
そこに俗に言われ悪い業に対しては苦として還る業の法則が活かされてるのでしょう。
業の法則は、人生の道理に適うので信頼できます。
業の法則により応じた苦が、罪悪感(反省の動機)が得られるまで還ってくる理屈です。
で良心は個別に段階的にあるので、常識的な枠とか比較してるようでは浅はかということになりますね。
信じるか信じないかはアナタ次第。
887
:
慧空
:2015/06/15(月) 18:36:05
ダメだこりゃ(^o^)
話しにならん。
888
:
慧空
:2015/06/15(月) 19:36:25
羊さんは、頭でいろいろ考えすぎなんです。
頭で理解しようとしても無理なんです。
考えれば考えるほど、意識が外向きになり、外側を彷徨います。
そうやって延々と思考をめぐらせるのではなく、
一度立ち止まって、その思考をめぐらせている自分自身に意識を向けて頂きたいと思います。
889
:
孤独な羊
:2015/06/15(月) 20:38:37
いやいや頭で理解するように業が働いたからです
私は、しぶといほうでしたよ
思考なんて無縁だったんです
対極的な歩みの中で、このようになってるだけです
いいですよ、別に
わかってもらえなくて、そういうものですから
890
:
思路
:2015/06/15(月) 21:34:26
生身の人間である以上は罪悪感からは逃れられない。
たとえば、あなたの頭を叩いたら痛いでしょ。そうすると罪悪感が発生する。何故かというと
ミラーニューロンが働いて、他人の頭をたたくと同じように痛いだろうと反応する。これが
罪悪感になる。
手に電極を付けて残酷な映像を見せてその反応をみるというような心理学的実験をやって
みればすぐわかる。
891
:
思路
:2015/06/15(月) 21:40:51
瞑想の実践を積んだ高僧での実験もあるから、「絶対に俺は大丈夫」と思うのは
錯覚。
俺は悟りを開いたので錯覚しないと思うのは錯覚。
実験シートでテストすれば普通にバリバリに錯覚するとおもうよ。人間だもの。
892
:
慧空
:2015/06/15(月) 21:50:27
>瞑想の実践を積んだ高僧
だから、そういうのが一番怪しいと言ってるでしょに。
どこの高僧だか知りませんが、その坊さんはおそらく大悟(見るものは見られるもの)にも到達してないでしょう。
893
:
孤独な羊
:2015/06/16(火) 14:10:57
「苦しみを楽しみへ変えられる」
そういう悟りへ到達できてなければ、大悟とは言えないはずです
集大成の大悟だというのであれば、人生は充実して輝かしいものでなければ本物ではないでしょう
なので慧空さんも大悟とか最終解脱のような境地にはないと思うんです
きっと信じられませんよね?
894
:
孤独な羊
:2015/06/16(火) 14:23:51
題材は揃ってる
けど甘んじて到達できない
慧空さん、どのくらい苦しんで悲しんできました
これ結構、重要じゃないですか
どん底に行くのは嫌なものですが、地獄の底から湧く意識は悟りには大切です
ただ地獄に呑まれたら悟りどころか悪魔になってしまう
そういう危うさについて、ないかお考えありますか?
895
:
孤独な羊
:2015/06/16(火) 16:48:02
魂と心が統一されなければ、体もついていかない
充実感なんか得られるわけないのですよ
あなたの人生が充実して輝かしいものであれば、私は地に頭を擦りつけても教えを授かります
896
:
慧空
:2015/06/16(火) 18:33:21
>集大成の大悟だというのであれば、人生は充実して輝かしいものでなければ本物ではないでしょう
そういうのが思い込みであり、囚われだと私は言っているですよ。
さすがに同じやり取りの繰り返しばかり、嫌になってきました。
897
:
孤独な羊
:2015/06/16(火) 21:43:42
慧空さん、やっぱりそうなりますよねぇ〜
感謝してます
898
:
思路
:2015/06/17(水) 05:01:03
>さすがに同じやり取りの繰り返しばかり、嫌になってきました。
「それは囚われだ」「それは小悟だ。まだ先がある」を封印したらやり取りは
変わると思うよ。凡人にとっては大悟とかあんまり関係ないんだよな。
最初だけは
「ホッーーー。大悟ですか。凄いですね」
「ホッーーー。肝臓を全部切っちゃったんですか? 凄いですね。!!!」
って思うよ。でもそれは最初だけだろ。同じことを繰り返していたら「ふーん」
としか言いようがなくなる。
要は大悟を興味深く語れるかどうかだよ。別にそれが小悟でも歯痛でもいいんじゃない?
じゃあさー。ゾーンってどうよ。ゾーンとかフローを体験したことある?
大悟するとゾーンだらけというかいつもゾーン状態? てことはないよな。
899
:
思路
:2015/06/17(水) 05:38:12
>私のクラウンチャクラも、今日はねじれるような感じで激しく反応しています。
気が感じれると、気のコントロールができる。
猫とかネズミを気合で落とすのはかなり難しいらしいが、鶏はわりと簡単にできる
らしい。中村天風は鶏を気合で静めて、メガネをかける芸をよくやっていたらしい。
900
:
慧空
:2015/06/17(水) 06:18:00
だから言ってるじゃないですか。
悟りの道を進むということは、囚われに気づいてそれを手放していくことだって。
最後まで、それだけなんです。
だからそれしかいいようがないのです。
大悟も解脱も、そんなに魅力的なものではなく、いいものでもありません。
わざわざそれを目指すようなものでもないです。
しかしいずれ、どうしようもなく強い衝動が起こってくる。
その衝動が大悟や解脱に連れていってくれます。
衝動は舟です。
舟無しには、どうにもならないところです。
気をコントロールしたい人はやったらいいですが、
いくらやっても切りがないです。
猫を落として何になるというのでしょう。
そういうことです。
901
:
思路
:2015/06/17(水) 07:33:44
それじゃあ、同じことの繰り返しで嫌になるのも仕方ない。
902
:
思路
:2015/06/17(水) 07:36:13
>猫を落として何になるというのでしょう。
それが面白いのなんのって。W
兎に角一度やってみてください。体験しないとわからない。
903
:
思路
:2015/06/17(水) 07:38:26
特殊な気のコントロールだろうけど野生のライオンとかワニを瞬時に手なずける
ような人もいる。
動物園に行ってゴリラに手話の指導をしてみるとかどう? そういう芸ができると
直ぐに人気者になる。
なにか得意な部分はあるとおもうけど、やはり練習しないとだめだな。
ヤラセで空中浮遊をして見せたり、マジックで手から粉だしたりするよりは遥かにまし。
904
:
思路
:2015/06/17(水) 07:43:56
俺は俳優だからわかるけど、あいつら大悟とか言ってるけどサクラ使って
ヤラセをやってるだけ。W
バイトだから細部は言えないが、飛んで見せたり、苦しんで見せたり。W
そんなんで客寄せしてもそのうちボロがでる。
暗示にかかりやすい人って絶対にいるから、あとはそういう人を使って広める。
俳優にバイト料はらうより安上がりだからね。
905
:
名無しさん
:2015/06/17(水) 19:58:20
一なるもの、という考え方はべつに独創的じゃないわ。
でも、それなら自分は何と一つなのか、と問いかける人はあまりいない。
問いかけた人も、大部分は神という答えを出すのだけれど、
そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」
と想定してしまう。
この想定は間違っているし、そう考えてしまうと、
ブッダのように心を完成させた賢者でさえ、
恒久的な意味で神に到達できなくなります。
そう、二元性の波動をつくり出す心とは一つになれるでしょう。
その心はすべての次元を超越した無という場にあっては、
完全に時空とかたちのシステムの外にある。
これが非二元性の論理的で妥当な帰結なのだけれど、
それでもまだ神ではない。
それどころか行き止まりの袋小路よ。
あるいは始まりの終わりと言うほうがあたっているかな。
仏教は世界で最も心理学的に洗練された宗教だけれど、
それゆえに神という問題を扱えない。
だから、あなたがたがブッダと呼ぶ身体のなかにブッダがあったとき、
彼は神の問題を取り上げなかった。
わたしたちが非二元論と純粋な非二元論を区別する理由もそこにあるの。
ブッダが「わたしは悟った」と言ったのは、
自分は幻影に参加しているのではなく、
自分がすべての幻影をつくり出していると気づいた、
という意味だったのよ。
でも、そこからもう一歩進んで、すべての幻影をつくり出している心が
それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。
もちろんブッダは優れた段階に到達した人だからそこに気づいて、
すぐにJ(イエス・キリスト)と同じ悟りに進んだわ。
でも、それは世界に知られていない生涯での出来事。
『神の使者』(ゲイリー・R・レナード 河出書房新社)より
906
:
慧空
:2015/06/17(水) 21:48:45
どうも疲れてて、思路さんと名無しさんのコメントにレスを書く元気がありません。
907
:
思路
:2015/06/18(木) 02:22:28
おつかれさん。
エネルギーを感じて、地震が起こりそうなときは騒いでください。高台へ避難します。
908
:
思路
:2015/06/18(木) 02:58:07
>905
ハイレベルな考察だというのは解るが意味は今一つ解らん。
>そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」と想定する
これがなぜ間違いなのかその理由がいまいち理解できん。
「神ではない一なるもの」=非二元論
「神」 =純粋な非二元論
で更にその先へいくと
>それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。
純粋な非2元論は2元論に行きつくのか?
「神」 =純粋な非二元論 --->「神、自分」
909
:
孤独な羊
:2015/06/18(木) 16:00:55
二元論で一般的な見解をすると生が物質的に恵まれているため、死には物質的な恵みがない
地球が観測されることにより生じる不自由であるなら、死後には観測されないままに生じる自由がある
善悪がない無だという人達は、こういう世界に行くかもしれない
そして無も天国も地獄も、きっとありますよ
実体二元論は正しく、一元論も正しい
でも一元論に生きる見解なんて、すべての消滅のような話だろうし程遠過ぎるのじゃないですかね
910
:
思路
:2015/06/18(木) 18:00:36
3回読んだら概ね意味が分かった。
>そして無も天国も地獄も、きっとありますよ
>実体二元論は正しく、一元論も正しい
まさにそうなんだよな。無難で正しい結論。
でもそういう事を考えている今、緊迫感というか切実感のようなものがあるのだろうか?
無い。全然ない。極論すると単なる言葉遊びになる。ところが死(涅槃)は確実にやってくる。
思考の軽さ、軽薄さと現実的な死の重みがバランスしない。死が重いということすら
実感がない。だから思考は正しいが軽いのだと思う。ピッチャーでいうと澤村みたいに
「速いのに玉が軽い」みたいな感じだな。
上村直巳はなぜ危険を冒して山に登るのかと聴かれて、死と隣り合わせた時に生きている
ことを実感するというような意味のことを言っていた。 日本は安全で平和だから言葉の
世界だけになっている。やはり言葉の世界だけではリアリティが生まれない。
大悟しても大悟遊びの大悟。迫真の大悟じゃない。安全で平凡な大悟なんだよな。実際には
もっとリアリティがあるはずなんだよな。
911
:
名無しさん
:2015/06/18(木) 18:20:40
完全に対立して…という日本語訳に問題があるのかもしれませんが、
ACIMは「今我々が認識していると思っている世界は本当は存在していない」という立場なので、
心が世界という幻影を想像した、というその心そのものも幻影なんだという…。
なので『神の使者』の上記抜粋部分でのパーサという登場人物の女性の言葉、
「行き止まりの袋小路」というのが自覚系の人たちの陥ってる状況を表してるんじゃないかなと。
この世界は幻想でそれはわたしが創り出している、そこで終わってしまえば、
確かに一切皆苦でしかなくなるでしょうね。
でもそれはあくまで卵の殻の内側での話でしかないかもしれない。
卵の殻は卵それ自体によってどうやったら割ることができますか?
有精卵なら、雛が孵って内側からくちばしで突くことで殻は割れますが、
我々が閉じ込められている、この牢獄世界の殻、牢獄の鉄格子はそういうわけにはいきません。
どれだけ自覚を繰り返して概念から離れてみても、それは所詮牢獄の鉄格子の内側のお話ではないですか?
普通の人は自分が牢獄の中の囚人だとは思っていません。
牢獄の中であるにも関わらず、努力と運次第では自分の夢を実現し人生を謳歌できると思い込んでいる。
しかし、ここが牢獄に過ぎないことを「悟った」人にとってはまさに一切皆苦でしょう。
もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。
まあ、私は悟ってるどころかただの出来損ないのでくの坊ですから何も偉そうなことは言えませんが。
912
:
孤独な羊
:2015/06/18(木) 18:21:20
孤独を悟った沈黙の世界で出会うとき、互いを理解し合える
至福に包まれる
まさに真に望むところは、そこなんだという気がします
913
:
思路
:2015/06/18(木) 19:16:17
>912
実際にはそうはならない。駄弁をろうして、喧嘩して、笑って、、、、そうして理解が
生まれる。駄弁は沈黙の構成要素。
猫は家の中では餌を与える人を理解しているが、いったん外に出ると、それが誰なのか
さっぱりわからないらしい。近づくと怖がって逃げていく。
猫の世界は家(住処)とリンクしている。一旦住居を離れるとリセットされるようだ。
人の脳はもっと広い住処を住処としている。しかしここを離れるとリセットされる。
人の存在とは住処のことであり、駄弁とけんかと笑いの喧騒がその構成要素なのだ。
だから天国に行ってもそこからやり直し。という気がする。W
914
:
慧空
:2015/06/18(木) 19:40:38
>>911
あれ、ACIMの人。
あなた、ここはやっぱりダメだと言って去っていかれたんじゃないのですか?^^
それとも、ACIMの人は複数来られてるのかな?^^
ともあれ、ACIMの人とは本質的なギャップがありますので、いくらこられてもあなたがたには得られるものはないですよ。
また、あなたがたがここで何を仰ろうと、私がそれに影響を受けることもありませんし。
どうでやり取りが噛み合わないのなら、何か別の世間ばなしでもやりますか?
ところで、ACIMって、何かそういう組織があるのですか?
だとしたら、メンバーはどのくらいの数なんですか?
また、そこで悟っていると言われている人はどのくらいの数いるのですか?
915
:
思路
:2015/06/18(木) 19:45:13
>しかし、ここが牢獄に過ぎないことを「悟った」人にとってはまさに一切皆苦でしょう。
>もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。
リアルに牢獄に入ると、食事の時間とか僅かの運動の時間とかが本当に待ち遠しい。しかしそれでも
そこに慣れてしまう。
刑期を終えてシャバに出た時は、それはそれは筆舌に尽くしがたいほどの解放感を味わう。
「これで何でもできる。自由を得たのだ」と。しかしそれも一週間もすると慣れてしまう。
この世の牢獄から解放されたとしても、すぐに慣れる。
どこまで行ってもリセットされる。
悟ってもリセット。
916
:
名無しさん
:2015/06/18(木) 20:30:45
>>914
もしご不快かつご迷惑なようでしたら以降の書き込みはやめてもいいのですが、
あなたは誰がどんなことを書き込んでも構わないとお書きになっていませんでしたか?
私の勘違いでしたかね?
ACIMというのは書名の略で、あなたの出身母体であるキャンドルライト101のような疑似宗教組織ではありませんよ。
ACIMは完全な独習用プログラムであり、組織化し得ないのです。
そして別に私はACIMの実践者というわけでもありません。
思い当たる節があったので、あの本のあの箇所をここに転載したのみです。
私自身は、あなたはあの本に書かれている、袋小路にはまり込んでいる状態だと思います。
しかし別にあなたに何か影響を与えたいなどという大それたことは考えていませんし、
私がそんなことをする必要性などまったくありません。
一言で悟りだとか覚醒だとか言っても(特にそれが自己申告のものであればあるほど)、
実にいびつなサンプルがネツト上にはたくさん転がっているのだな、
というのが今の私の正直な気持ちです。
しかし、もしあなたが本当に悟りの本当の最終地点にいるのなら、
仏陀もキリストもシャンカラもラマナ・マハルシも、
すべてあなたは超えてしまった人類の歴史始まって以来の大覚醒者なのでしょうね。
素晴らしいことだと思います。
917
:
孤独な羊
:2015/06/18(木) 20:51:14
囚われを失くした悟りの先に、たぶん沈黙によって示される道はありますよ
それを理解したら沈黙するでしょうけどw
恐らく0=+1-1という図式程度までしか多くは語られません
0から1を生じさせる理解などできないからなのでしょう
名無しさん>もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。
思路さん> 悟ってもリセット。
ともに、言い回しが違っても同じ意味ですね。
918
:
慧空
:2015/06/18(木) 22:34:12
>>916
お返事ありがとうございます。
そうです、この掲示板は何を書いて頂いても大丈夫です。
それはそうなんです。
ACIMについて説明頂き、ありがとうございました。
なるほど、何か組織があるという訳ではないんですね。
>私自身は、あなたはあの本に書かれている、袋小路にはまり込んでいる状態だと思います。
そう思われる方は多いだろうと思いますし、無理もないとも思っています。
それに、そうではないんだと口で説明しても、なかなか分かってもられるとも思えませんし。
悟りに関する立場の異なるもの同士の対話は、基本的に困難なものなのだろうと思っています。
>一言で悟りだとか覚醒だとか言っても(特にそれが自己申告のものであればあるほど)、
>実にいびつなサンプルがネツト上にはたくさん転がっているのだな、
この点についても、多くの方にはそう見えるのだろうと思います。
しかし、実はそうでもなくて、悟りには階梯がありますので、その階梯の段階ごとに、
その各段階にいる人の話す内容は、共通性があり、簡単に類型化(判別)もできるんです。
と言っても、これが分かるようになるには、最後まで到達するしかないのですが。
>仏陀もキリストもシャンカラもラマナ・マハルシも
イエスさんは、いろいろ影響が出るとやっかいなので、具体的な言及は控えたいと思いますが、
お釈迦さんは、最終的な悟りに至った方なのかもしれないと思っています。
919
:
孤独な羊
:2015/06/19(金) 17:37:12
悟りを無の意識におく人は、ありのままの自分の姿を現世に映し出すことができる
幾ら善悪に囚われない自由な身になったといっても、取る行動には善や悪の要素があって感情は消滅しないでしょう
もし感情もないというなら、喜怒哀楽も痛みも感じないことになり、そんなバナナことはありえないのです
先へ行くには、ありのままの自分が、善なのか悪なのか見極める必要があると思うのだけども
いってること変ですかな?
※掲示板のヘンな使い方をしてますwご免なさい。ありがとう。
920
:
孤独な羊
:2015/06/19(金) 17:47:52
善も悪も秩序もない
でも釈尊は中道を説き
戒律を制定した
悟りを無とする人が
どうして悟りへ導くのであろうか
どうして態々、自由に好き勝手な無秩序の中に生きることを伝えるのか
そして、それでも生きている原動力は何なのか
なにもわかってないか
ぜんぶわかっているのか
摩訶不思議におもう
921
:
佐藤
:2015/06/19(金) 18:41:16
多分、そういう事どうでも良くなると思いますよ。
考え続けても良いですけど。。
922
:
慧空
:2015/06/19(金) 18:42:10
>いってること変ですかな?
いえ、変でないですよ。
それにもし変でも、別にいいじゃないですか。
思ったことを何でも書いてくださいな。
>でも釈尊は中道を説き
>戒律を制定した
釈迦は対機説法を基本としたようですので、相手によって話す内容をかなり変えていたようです。
釈迦が本当に中道を説いたかどうかは、私は怪しい部分もあると思っていますが、
もし説いたとしたら、それは最終的な悟りへのアプローチとしではなく、悟りの行程の中間段階かその付近に
いる人に向けた説法だったのだろうと思っています。
戒律は、何かの縛りがないと修行すらもおぼつかない人のために設けられたものだろうと思います。
>なにもわかってないか
>ぜんぶわかっているのか
>摩訶不思議におもう
これについては、何も分かっていないという方が近いのだろうと思いますよ。
私は釈迦ではないので、よくは分かりませんが。
923
:
慧空
:2015/06/19(金) 18:43:09
ああ、佐藤さん、こんちは。(^^)/
924
:
佐藤
:2015/06/19(金) 18:55:39
でも 真剣に考える事は、素晴らしいというか 羨ましくもあります。
925
:
佐藤
:2015/06/19(金) 18:57:34
こんばんわ 初の第2スレになりそうですね^_^
みなさま、どこいっちゃったかな。。
926
:
慧空
:2015/06/19(金) 19:03:07
そうですね、950を超えて来たタイミングで第2スレを立てようと思っています。
927
:
孤独な羊
:2015/06/19(金) 20:04:43
確かに釈尊の教えは、宗派を越えて散りばめられてるように感じています
で、その説法は見事に繋がるようですね
本当に知ったかぶりで恐縮なんですが、空とか無を結びにしてしまうと起承転結が失われてしまいます
個人的には920で書いた答えも、きちんと釈尊の教えの中には散りばめられてると信じています
経験しないとわからない愚者なので、要所要所しか知らず詳しくは触れられませんけどね・・
928
:
名無しさん
:2015/06/20(土) 13:20:05
ホンモノの白は多少くすんで見える
真っ白には別の色素が紛れ込んでいる
929
:
名無しさん
:2015/06/20(土) 13:22:59
私は悟った、なんてことがあるのですか?
悟りを体験した私が残ってるじゃん
930
:
めがね
:2015/06/20(土) 15:24:26
悟ったとは、思考と感情は幻だと気付く事で
私が無くなることではないですよ。
思考と感情に翻弄させている方々と比べれば悟ったとゆう
違いはあります。
931
:
めがね
:2015/06/20(土) 15:29:28
しかし、思考と感情に翻弄されているのに
されていないと思っているのも普通の方々なので
悟りの話は届かないことが多いでしょうね。
932
:
思路
:2015/06/20(土) 18:38:56
文章を書いているときは翻弄されなくても、実際の会話では翻弄されるでしょ。
思考のスピードや展開の仕方が違うのでそれに付いていけない。訓練すると
ちょとやそっとでは翻弄されなくなるけども、それでもよりパワーの強い音に晒され
ればそれに引きずられる。腕を取られてブンブン振り回されたら、なすがままになる。
それと同じで、思考も感情も物理現象だからよりパワーの強いものに出会えば
翻弄される。
リズムを感じて歌を歌っているときに紛らわしいテンポの歌が聞こえて来たら
それにつられて歌えなくなる。思考もそれと同じで、紛らわしい思考で混乱させられる
と簡単に翻弄される。それが洗脳の手口。
どんなに訓練を積んだ人(たとえば悟った人)でも、脳内の一部に
ピンポイントで磁場を与えて思考を混乱させれば、簡単に混乱する。
それは単純に目隠ししたら見えないのと同じです。悟りにはなにも特殊なことはない。
普通の知覚と同じです。
933
:
思路
:2015/06/20(土) 18:54:21
相対する思考や感情に翻弄されないためには、よりすばやく思考するか、より鈍感になる
かのどちらかです。
ある意味徹底的に鈍感になるのが悟り。そもそもそういう思考回路を潰してしまえば
翻弄する要因に反応しなくなる。
悟り(破壊)によって知恵が生まれてくるのは、余剰が生まれてくるからです。
本来は翻弄に備えていた控えの脳が余ってくる。そこで思考力に余力が生まれる。
だから元々知的レベルが低くて脳を十分に使い切っていない人が悟っても、知恵は
生まれてこない。控えの脳が余って余裕ができても、そこはもともと使っていない
から知恵にはならない。
934
:
めがね
:2015/06/20(土) 19:07:59
思路さん
面白いですね♪
おっしゃりたいことは良くわかります。
私の場合は車の運転の時などイライラの感情が出ることが多く
色んなパターンで出てきてましたし、自覚して外していくのですが
深くまで取れていないと感情には捕らわれない(と思っていた)のですが
体が避けたくないとゆう反応をしていたり(攻撃したい)
と今は車でイライラすることはほぼないですが、悟りの段階を超えると
大きく感覚が変化して行きます。
また、例えば私が相手を怒らせると2〜3秒ほど重たい負のエネルギーの様なものを
感じますよ、この事は思路さんがおっしゃるように混乱と言ってもいいと思います。
935
:
めがね
:2015/06/20(土) 19:17:35
思考と感情が流れてくるのですが
以前は自分で考えていることで私自身だと思っちゃっていました
なので翻弄されてしまうのですが
思考と感情は幻だと気付きだし、自覚を続けるとどんどん思考や感情が流れてこなくなりますよ
936
:
めがね
:2015/06/20(土) 19:27:41
なので、スピードは関係が無くなります。
937
:
思路
:2015/06/20(土) 20:16:45
たぶんそういう方法で一つづつ外していけば、ある時点で雪崩的に外れる。
そういう臨界ポイントのようなところが段階を踏んで何か所かあるんでしょう。
それが小悟だとか大悟だとか言われている。
イライラだとかは自然界で生き残るためには戦闘態勢に入るための必要な機能な
わけだが、近代化した社会で暮らす場合には無くしてもそれほど問題ない。
>なので、スピードは関係が無くなります。
思考と感情は幻ではなくて、思考と感情です。幻という比喩は感情コントロール
目的の場合には適切だけれど万能ではない。
感情コントロールに成功すると無駄な思考や感情は生まれなくなる。しかし
思考や感情は無駄なものばかりじゃない。
判断が高速化すると、即座に解るということが起こるけれども、判断内容が
複雑化してくればやはりスピードが関係してくる。
100個の条件を判断して決定するには時間がかかるのが容易に解ります。
938
:
思路
:2015/06/20(土) 20:23:45
修行をつめば無用な感情や思考には翻弄されなくなる。しかしまさに有用な
無視できない思考には簡単に翻弄される。
939
:
思路
:2015/06/20(土) 20:36:05
>悟りを体験した私が残ってるじゃん
悟りは「万能な何か」、「究極の何か」ではなくて、「苦悩の解決」これが一つの目標?
しかし苦悩を本当に知ってる人がどれだけいるのだろう。苦悩に出会うためによほど
努力した人か、運命的に苦悩に出会った人だけだろう。凡人は本当の苦悩なんてしらない。
そんなものを知る必要もないではないか?
「苦悩を完全に解決した。決着した」というような人はそもそも苦悩に出会っていない
のではないだろうか?
ちょっとした腹痛ていどで、ありふれた苦痛に過ぎない。そんなものは簡単に解決できる。
それを悟りと勘違いしている可能性が高い。W
940
:
めがね
:2015/06/20(土) 21:09:45
>>感情コントロールに成功すると無駄な思考や感情は生まれなくなる。しかし
思考や感情は無駄なものばかりじゃない。
たしかに無駄なものばかりではないですよね
それを選択できます。
感情もなくならないものがあります。ここは何処から何処と上手にいえませんが
とらわれる時間は短くなりますよ。
941
:
孤独な羊
:2015/06/21(日) 00:26:50
翻弄から逃れるため、あるいは話なんか通じない縁を通じて・・
悟りが近づいているなら、黙々と静かな道を歩みだす
騒々しい人達が仏陀のように悟ってるなんて到底信じ難いことでありまして
更に、批判や中傷誹謗に喰いついてくるものなら、そんなの疑う余地なく悟ってるわけがない
人間は、悟りたくて悟りたくないw
現代人が悟るには、可也の地獄の火が不可欠なほど難しくなっているからでしょう
悟りには、それほどの厳しい何かがある
現代人が認めたくないだけ
942
:
孤独な羊
:2015/06/21(日) 00:28:16
見事な道理で疑問なんかないのが悟りだという気がします
悟りがシンプルで論理的に語られないのは、語る必要がない理由によるもの
ただ、それだけが語られない理由でしょう
943
:
思路
:2015/06/21(日) 06:45:45
我々は身体に宿っており、身体に束縛されている。身体には自然的身体と
社会的身体がある。自然的身体の苦痛の解決は医学による。痛みを治癒し他に方法が
なければ切除する。最終的には死によって解決する。
社会的身体の苦痛を解決する試みが悟りだ。苦悩を見つめ理解することで取り除く、他に
方法がなければ隠遁する。社会的身体は不可視であり不死、不壊である。したがって
苦悩の最終的解決方法はない。
自然的身体にあっては快感が一つの機能であるように苦痛は必然的機能だ。
同様に社会的身体にあって苦悩は祝祭が一つの機能であるように必然的機能なのだ。
944
:
めがね
:2015/06/21(日) 10:17:47
私は初めから悟りたかったわけではなかったんです。
ただなんで生きてるんだろうと病んでいた時期がありまして
幸せて何だろうと考え続け、おっ!非日常なことをすると幸せの感情が来るぞと気付き
それを色々やってみました。そしてその非日常を普通の日常にしてみると
あれだけ幸せを感じた事なのにどんどん幸せを感じなくなってもうやりたくなくなってしまいました。
私はこんな幸せを追っていたんだとハッと気づいたんです。
その頃自転車通勤をしていてすれ違う人たちが避けようとしないことに
イライラする日々を過ごしていました3年ほど前だとおもいます。
ほぼ毎日ライラして仕事場につき、掃除をしながらも感情に捕らわれたまま
イライラしていました。そんな日が何日か続きつづきそのうちに自転車に乗った他の人を
攻撃する気持ちよりもこんなにくだらないことでイライラして仕事に支障がでたりで
バカらしいと視点が変わったんです。その次の日から何故か他の自転車を前もって避けている自分に気付いたんです。
それも感情に捕らわれず、負けた(笑)とも思わづです。
私は何をしたんだろうとどうして感情に捕らわれなくなったのか
解らなかったんです。だけれども感情は自分じゃないと気付いた時でした。
生きることに飽きてきた私にワクワクする人間の感情の仕組みに少し気付いた瞬間でした
結果として悟りになっていくのですが
人生を楽しむ方法はいろいろあると思いますので悟りがすごいと言っているわけではなくて
普通のことにワクワクできなくなって捕らわれの感情を外すのが苦しいのに
ワクワクして楽しくてやめられなくなったのが始まりです。
いわば趣味になったと言えると思います。
945
:
めがね
:2015/06/21(日) 10:42:00
全ての人とは言いませんが
結果的に楽しむことに飽きて幸せを感じることが少なくなっていくと
沢山ある苦しいことだけが残って苦しみあがき
悟りとゆう方向へ進むんだとおもいます。
946
:
めがね
:2015/06/21(日) 11:06:57
同じ事で腹が立ったり、モヤモヤしたり、同じ事を考え続けたり
やめたくても辞めれなかったり、これらの苦しいと感じる事に
翻弄されてしまうのが嫌で外してしていった「結果」、
感情に捕らわれなくなったり、その時間が短くなったりとなっただけなので
苦しいが1番の目的で結果が感情の2番なんです。
2番を求めているわけではないとゆうと伝わるでしょうか?!
947
:
思路
:2015/06/21(日) 14:59:28
そうだと思いますよ。悟りの抽象的な側面はそんなに関心を引く問題じゃなくて、むしろ
普段生きていくうえで生かせる悟りの方がいい。「外す」ということであれば、それが外れた
時の感動の方が面白い。そういう事をやってるうちにある時とてつもない境地に入ったり
する。それがまた面白い。
卑近の出来事を丁寧に見つめなおすということはブッダの教えにも近いと思う。
ブッダやその周辺で起こった奇跡、つまり他を寄せ付けない圧倒的美しさは、気の遠くなる
ような高みではあるけれども、それが一歩一歩の歩みで我々にも可能だということを教えた
に過ぎない。
それは決して万能の神になることではない。
最終解脱者だとかいったところで何の芸も根拠もしめせなければ面白くもなんともない。
948
:
梵々
:2015/06/21(日) 15:25:04
>最終解脱者だとかいったところで何の芸も根拠もしめせなければ面白くもなんともない。
意識レベルが違うのだよ。
地べたでグダグダ人のことを言う人と はるか高い位置で見下ろしている人では。
あなたの放った矢は 決して慧空さんにダーメージを与えられませぬ。
その矢はやがて地べたに落ちてくる。かすりもせずに
949
:
めがね
:2015/06/21(日) 16:26:49
思路さん
>>悟りの抽象的な側面はそんなに関心を引く問題じゃなくて、むしろ
普段生きていくうえで生かせる悟りの方がいい。「外す」ということであれば、それが外れた
時の感動の方が面白い。そういう事をやってるうちにある時とてつもない境地に入ったり
する。それがまた面白い。
そうなんです、そんな仕組みを楽しんでるんです。
伝わったようで良かった(^^)昨日今日とお付き合いいただきありがとうございました!
950
:
思路
:2015/06/21(日) 22:08:18
少しづつ外していくことで悟りに近づくように、少しづつ加えていくことで人格が形成
されます。しかし誤まった教育、特にそれが人生の初期段階から行われた場合は致命的
な精神的奇形を生み出します。「反日」という教育は有機水銀のように作用して単に反日
を刷り込むだけに留まらない精神的奇形を生み出しています。それが最も顕著に表れるのが
宗教界ではないでしょうか?
通常は犯罪者は顔を見れば解ります。その国をリードするような知識人も顔を見れば
解ります。しかしかの国ではその直感が働かない。優秀な大学を卒業した温厚そうな知識人
でありながら、統一教会をはじめとする中小様々な愚劣なカルト集団を形成しています。
951
:
孤独な羊
:2015/06/22(月) 06:02:36
なるほどです
何処にいて、何をしていても楽しむ智恵がある
それが悟りであるということでしょう
めがねさんと思路さんは、悟りの次のステップに進まれてるような感じですね
私の場合、命の危うい状況がある
真に悟ってしまえば、どうにかなることは理解できます
それでも、これを手放すところから入るというのは、手順的には中々厄介なことですよ
952
:
思路
:2015/06/22(月) 13:30:27
天才脳は大抵は自閉症の傾向があります。悟りは人為的に天才脳を作り出す方法です。
そのことによって発現する天才に目を向けると同時に欠落にも目を向ける方がいい。
いいことばかりじゃないということです。
逆も真であって命の危うさは必ずしも悪いことばかりじゃない。
953
:
思路
:2015/06/22(月) 13:31:23
純粋培養をすると人格が変になります。中高一貫校のように整った環境でスクスクと
育つと賢い子が多いけれども、なにか馬力に欠ける。公立中を出て高校から入ってきた子
は勉強は遅れているけど馬力がある。そういう子がグングン伸びて大学受験になると
いいところに入っていく。
純粋培養は効果的のようで実は単調になる。
単調という点では椅子に座って白壁をずっと見ていると、1週間くらいで脳機能が
落ちてきます。おなじようなことを瞑想修行ではやることがあります。
1か月もそんな修行をすると脳が変化してまともな会話すらできなくなることが
あります。修行を終えてしばらくするともとにもどりますが、明らかに脳機能が
低下するのが解ります。
たとえば足が弱って病院でテレビばかり見ているとボケます。テレビから情報が
入ってきているようでも、匂いや風のそよぎのような情報はありません。白壁を眺めて
いるほど極端でなくても、情報量は圧倒的に少なくなるのでボケてきます。
パソコンでも同じです。小さな窓に過ぎません。真の意味で情報装置ではないのです。
聖なる書が本当に聖なる書かというと、そうでもないのです。これもまた白壁です。
小さな窓が開いているだけです。づっと白壁を見ていればボケます。
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