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悟り全般に関すること

1慧空:2014/10/02(木) 22:20:57
悟り全般に関することを何でも書いてください。

815慧空:2015/06/13(土) 06:10:58
羊さん

>なぜなら真実を追求することが人生に他ならないからといえるのではないでしょうか

人生をどう捉えるかは、人それぞれでしょうね。
真実についてもそうです。
私なんかは、真実などどこにも無いと思っていますし。(^o^)

>楽から真実を探ることは大変に難しいことだと教わりました

どの程度それを理解されているのかは分かりかねますが、
まさにその通りなのです。

816思路:2015/06/13(土) 10:12:05
>それ故の一切苦であり、楽から真実を探ることは大変に難しいことだと教わりました

言葉だけからは解り難い。しかし食事をともにするとか日常をともにするとよくわかる。

聖者とともにツレションをしたことがある。
もちろん普段親しいわけではない。偶然便器が隣になっただけだ。こちらとしては少し
居心地悪い。緊張する。
 しかし、あろうことか、その方は小便をしながらこちらに何の遠慮もなしに
ぷーぷーと大きな屁をする。唖然とする自分に向かって、ちんちんをブルブル振りながら
2,3のつまらない世間話をして出て行った。
その話を友達にしたら、
「そんなの非常識。呆れる」ということだった。
 ちなみに自分の場合もうっかりプーとやることはよくある。多少なりとも聖者の素質が
あるのかもしれない。

817思路:2015/06/13(土) 10:12:59
ある犯罪心理学者の見積もりではサイコパスはニューヨークで10万人くらい、北米では
200万人くらいいるらしい。
ニューヨーク850万人の10万人ということは、85人に一人の割合だから、小学校の2クラス
に一人くらいだろうか? 確かにそんなのは学年に一人や二人はいると思い当たる。
職業的には経営者、弁護士、外科医など結構ハイレベルな職業に偏りがある。小学校の同級
でそんな職業に就いたのは5人もいない。ということはかなりの確率でハイレベルの職業には
サイコパスがいるということになる。
ちなみに多い職業の10位以内に聖職者も入っている。

818思路:2015/06/13(土) 10:17:33
>マスターゲート氏がホンモノかどうかは別として、
>慧空さんは彼と袂を分かつのが早すぎたんじゃないんでしょうかね?

何が本物かなんてことは安易には言えない。早すぎたのか、遅すぎたのかそれも
解らない。

こういう時は確率を使ってみる。

A:韓国から歴史を通じて一度でも覚醒した人は出ているのか? 0%
B:私は悟ったという人の悟りの真実度            0.1%
C:確度 =AxB =0%

819思路:2015/06/13(土) 12:42:05
>私なんかは、真実などどこにも無いと思っていますし。(^o^)

真実などどこにもない。それをいうならまさに「悟りなどどこにもない」ということだ。

真実などどこにもない。あるのは景色だ。眼を見開いて眼前に広がる鮮やかな景色をみる。
それは真実への遭遇というよりはリアリティ(迫真性)だ。
昨日窓辺に座っていた猫。今日悟りを開いてみる同じ猫はまるで輝きが違う。
覚醒とは自己がまるごと抜け落ちることであり、崩壊である。崩壊の過程で断片化した
自己が狂気と化す。「崩壊」を防ぐべく矮小化した自己は必至に自己に固執する。
「私は偉大だ。」

820孤独な羊:2015/06/13(土) 16:11:53
真実があるかないか、変な話です
論点も違うのでしょうが・・
真実ない派は生かされる謙虚な気持ちが持てなくて、真実があると思えないというとこでしょうかね
理解できないものだからないとする逃避手段であって、理解できないからこそあることが立証できるわけです
生きてる理由がないなら、あなたは一体なにをしてる?ってことになる
真実がないとする思考については、そのようにしか理解できませんでしょう
わからないことがわかるということは、それは真実です
真実がないとする真実は具体的にどういう見解であって、ならば生きてる理由は何なのか聞いてみたいのですが
どなたかご存知でしょうか?

821孤独な羊:2015/06/13(土) 17:16:46
どのようにして生まれてきて、どのようにして生きていてということまで語れなければ、真実がないとの立証ができないのです
わからないことに対しては常に真実がついてまわるということです

822佐藤:2015/06/13(土) 17:28:56
止まらない感じで、かなり忙しそうですね

823慧空:2015/06/13(土) 18:28:53
>>819

>真実などどこにもない。それをいうならまさに「悟りなどどこにもない」ということだ。

はい、その通りですよ。
すべて考えであり、幻だと、いつも言ってるでしょ。

注意すべきは、この「すべては考え」というのも、もちろん考えである訳なんです。
つまり、「すべては考え」という言葉は、それも考えだと知りつつ、敢えて絞り出している精一杯の言葉なんです。

824慧空:2015/06/13(土) 18:30:55
ああ、佐藤さん、こんちは。
特に忙しくはないですよ。
もともとヒマで困っているところなので、ちょうどいい感じです。
気が向かないときは、スルーですし、気楽なものです。

佐藤さんも一緒にやりませんか?

825慧空:2015/06/13(土) 18:36:03
羊さん

>わからないことに対しては常に真実がついてまわるということです

何を仰ってるのかさっぱり分かりません。
論理構成もおかしいですよ。
論理展開に飛躍もありますし。

真実がどこにも無いということは、悟り以前の話しです。
論理学的な追求で結論が出ます。
正確には、真実であると立証できることがらはどこにも存在しないということは、
論理学的な追求から容易に結論を下せます。

826思路:2015/06/13(土) 18:46:47
1+2=3

827思路:2015/06/13(土) 19:00:12
抽象概念が理解できないと真理は見えない。真理ってのは抽象概念だから。
突然「自己喪失」がおこって、抽象概念が理解できなくなると、その瞬間にリアリティ
を感じるだけになる。
それは完全なる今だし、今しかない。時間という抽象概念は理解できなくなる。
だから左脳のある部分にドリルで穴をあけるとそういう状態になるはず。

828慧空:2015/06/13(土) 19:33:32
思路さん

簡単な話しです。
例えば、目の前にリンゴがあったとします。
そのリンゴが本当にそこにあるのかどうかは分からない訳なんです。
「ある」ということを立証することができないのです。
あるという証拠がどこにもないのです。

真理もリンゴと同じです。
仮に真理っぽいものがあるように見えたとしても、それがあるとは立証できないのです。

829佐藤:2015/06/13(土) 19:50:52
>ああ、佐藤さん、こんちは。
特に忙しくはないですよ。


思路さん、羊さんに向けた言葉でした。
大変そうに動き回ってるなあと思いまして。

830孤独な羊:2015/06/13(土) 19:55:44
共通概念としてリンゴであるものがあるわけです
そういう五感を備えていますよね
この共通概念として実在する五感が幻想的だとか幻想と表現することは可能なのでしょう
仰ってることは確かに同じリンゴに対して異なる図を個別で描いている可能性は否定できません
ですが共通概念における差異の一致は証明できています
共通概念における差異の部分について確証が得られる事実があるわけですから、それを証明すれば真実の立証ということになりますか?

831慧空:2015/06/13(土) 19:57:02
>思路さん、羊さんに向けた言葉でした。
>大変そうに動き回ってるなあと思いまして。

なるほど、了解です。

832孤独な羊:2015/06/13(土) 19:59:50
点としての実在は証明できるが、線とした証明ができない
この線のことを真実だと申し上げるわけですな

833慧空:2015/06/13(土) 20:00:11
>共通概念における差異の部分について確証が得られる事実があるわけですから、それを証明すれば真実の立証ということになりますか?

どこに確証があるのですか?(^o^)
とても簡単なことなのですが、実は難しいことなのですね。

だとすると、優秀な論議学者は意外なほど悟りに近いのかもしれないなぁ。(^o^)
ご縁があれば、それなりの論理学者と話しがしてみたいもんだなぁ。

834慧空:2015/06/13(土) 20:04:29
>点としての実在は証明できるが、線とした証明ができない
>この線のことを真実だと申し上げるわけですな

???
線だけでなく、点も含めて、一切のことがらに実在性は無いといった方がいいのでしょうね。
だって、実在なんて証明不可能ですし、根拠もどこにも無い訳ですから。
実に簡単なことなのですがねぇ。

835孤独な羊:2015/06/13(土) 20:17:17
共通概念にある差異が正確か否かは、確証が持てますよ
それさえ疑うというのであれば、もはや話も終わりでしょう
たとえば、ものをたべるという行為を意識しながら、それを存在していない真実と信じるなら、その世界で生きるしかありませんのでしょ
それは私や一般の人が生きる世界とは異なる世界です
私は、そこに興味も抱かないし関心もない
なので議論しても、食い違うわけです
孤独なのは私より、そちらかもしれませんね

836孤独な羊:2015/06/13(土) 20:23:16
孤独な世界で生きるなら、人と関わる必要があるのですか?
そこに関心があり喜ぶ人間にはよくても、そうでない人間には交流できませんよ
お別れかな?

837慧空:2015/06/13(土) 20:28:37
>共通概念にある差異が正確か否かは、確証が持てますよ
>それさえ疑うというのであれば、もはや話も終わりでしょう

ですから、囚われを持っている人と、囚われを持っていない人との間で、そもそも話しが噛み合うはずがないのです。
それを承知の上で、私はこうして、囚われを手放すことを説き続けている訳です。
話しが噛み合わないなんて、当たり前です。(^o^)

838名無しさん:2015/06/13(土) 21:08:02
十分囚われているように見えますけどね、傍から見てると。
もう一人の自覚を広めようとされている悟らせ屋さんもあなたに対してはかなり辛辣なご意見をお持ちのようですが、
第三者から見ると、お二方とも「囚われを手放すことを説き続けることへの囚われ」をお持ちでいらっしゃいますね。
悟らせ屋さんは文章にいつも読者への恫喝が含まれている分、いっそう深刻ではあるのですが。

839慧空:2015/06/13(土) 21:23:39
明人さんに対する批判は、書きたければここに好きなだけ書いてくださいな。
しかし、私はその相手はしません。

>「囚われを手放すことを説き続けることへの囚われ」

あなたは、それなりの分析力を持っておられるようですね。
あなたが私を批判したり、攻撃できる明確なポイントは、ここしかないのです。
ここしかない。

どうしてそこしか批判ポイントが無いのか、
また、本当に他の部分にはひ批判ポイントは無いのか、
もう一度、徹底的に分析されるといいと思います。

840慧空:2015/06/13(土) 21:34:00
補足です。

いきなり急にやってみてくださいと言っても難しいでしょうが、
自分の内面を観察されて、感情や思考がどういうプロセスで発生しているのかをよくよく観察されるといいと思いますよ。
そうると直ぐにでなくとも、いずれ、囚われに気づいてそれを手放してくださいと言っている理由が分かるはずです。

841思路:2015/06/14(日) 05:05:02
>どうしてそこしか批判ポイントが無いのか、

要は煽いでるのに「どうして飛翔できないの?」ってこと
たとえば山下清は幼くして悟りを開いて、あちこち損傷はあったけれども切り絵の
世界で飛翔してみせた。それがすごいのよ。
 サバンの子供達は、他がだめになるぶん一点に能力が集中してその部分については驚異的
な能力を発揮する。
 あなたは彼等とは比較にならないほどゴッソリと脳みそを削った、つまり自我を全部
取り除いたわけで、無茶苦茶軽量化できたはずです。そんなに軽量化できてなほなぜ飛翔
しないの?ってこと。
 和尚は飛翔してみせた。ラマナも飛翔してみせた。クリシュナムルティも飛翔して見せた。
であなたはどうなの?ってことじゃないかな。
羊君たちがいっているのは「飛んでみせて」みたいなこと。

前も言ったけど、後天的に脳みそを削ったような場合にはそれは無理なのだよ。10年間の
修行が必要。悟りを開いた人は自ら隠遁して、、、とかあるけど、そうではなくて世間には
出せなかった。寺で匿って10年間ちゃんと指導したり面倒みたりする人がいた。そういう
悟りシステムがあって初めて開花したのよ。

素質は十分、あとは修行。それを一人でやるのはなかなか大変だろうなと思う。でも不可能
じゃない。

842慧空:2015/06/14(日) 07:57:18
飛翔については、多くの場合、自我(エゴ)がそれをやっています。
飛翔したいという欲がそれを実現させてます。

現に、歴史を見ても、よく飛んだ聖者は殆どの方がまだ厚い自我を残した小悟の方です。
大悟まで到達した方は殆どいない。

クリシュナムルティは大悟者かもしれないが、彼は愛や幸福を掴んだままであり、それを手放せなかった。
それ故、彼は大悟者でありながら、あたかも小悟者のような雰囲気をまとった。

また、こんな側面もあります。
悟りが浅いほど、自分の都合のいい善だの愛だの幸福だのの二元の囚われを多く握っていて、その意識も民衆に近いのです。
だから、民衆にも広く受け入れられ、持ち上げられる。
覚者の側にも飛びたいという欲がありますから、その欲と合致し、聖者へと飛翔します。

これが聖者が生まれる典型的なメカニズムです。

843思路:2015/06/14(日) 09:13:10
聖者のメカニズム 悟りの階梯

1)小悟  (変人)
2)大悟  (パア)
3)最終解脱(クルクルパー)
4)安静  6か月
5)訓練1 3年
6)訓練2 3年
7)訓練3 3年 (正常)

7つの階梯を経て、正常に戻る。安静期間を含めてリハビリ期間の方が長い。
ただ歩留りがあって、インドなどでは非常に歩留りが悪い。兎に角キチガイを量産して
そのうちほんのわずかが聖人になる。のこりは最終解脱者(クルクルパー)のまま
サドーとしてうろついている。

844孤独な羊:2015/06/14(日) 09:56:11
それほど確信されるなら完全無欠な無のような大悟もあるかな?とも思えてきました
だとすれば涅槃に起てば終わり
魂の終焉を迎えられる予定だったりするかもですね
少なくとも私は、まったく望みません
しかし慧空さん、一切苦と言ってました
完全無欠な無のような大悟にある状態なら、そんな表現をします?
苦という状態を感じながら、囚われがないのに苦のために生きてますかね
とても理解できませんけど

845慧空:2015/06/14(日) 10:22:22
思路さん

訓練ってなんですか、それ。(^o^)
何をどう訓練しろと仰るのか。(^o^)
訓練とは、まだ何かをどうにかする必要があるという囚われが残っていますよ。
訓練なんてあり得ないのです。

まあ、こんなこといくら口で言っても伝わるはずはないのですがね。(^o^)

羊さん

>完全無欠な無のような大悟にある状態なら、そんな表現をします?

その「完全無欠の無のような大悟」という考えが、あなたが勝手につくっている妄想なんすってば。(^o^)

私が言っているのは根本の苦ですから、この苦は簡単には感じられないんですよ。
殆どの囚われを落としてしまわないと、感じられないんです。
理解できないで当然です。

846名無しさん:2015/06/14(日) 10:46:36
で、その根本の苦というのか存在の苦というのか、どうでもいいんですが、
慧空さんはどうしたいのですか? それを大勢の人にわかってもらいたい?
他者にもそういう状況になってほしいわけですか?
マスターゲートは言うに及ばず、仏陀もキリストもシャンカラもラマナ・マハルシも
ニサルガダッタ・マハラジもクリシュナムルティも自分は凌駕して、
ついに究極の境地に到達したのだ、ということを訴えたいのでしょうか?
それを我々が認めれば気が済むのですか?

847慧空:2015/06/14(日) 10:56:17
>慧空さんはどうしたいのですか?

自分の囚われに気づいてくださいと言いたいだけなんです。
囚われに気づくのは、自分自身に意識を向けることが有効ですよと言いたいだけなんです。
それだけです。

私が他の覚者を否定するのは、彼らがまだ多くの囚われを持っている方だからです。
そこじゃないですよと言っているだけです。

私は持ち上げられるつもりもないですし、持ち上げられるのは大嫌いです。
認められたくもないです。
本当に私のことを分かってくれる人がいるなら、その人は私のことを決して持ち上げたりしません。

848慧空:2015/06/14(日) 11:07:03
どうしたいのかについてですが、
上で書いたように、悟りについては、こうやってここで好き勝手に悟りのヒントを伝えているだけで満足なんです。
スカイプで話しをしたり、小さな講話会を開いたりもしますが、小さな活動でいいんです。
小さな活動でいいと言うのは、持ち上げられるのが嫌いなのもありますが、
私の伝えたいことは、小さな集まりの方が伝わりやすいということが第一にあります。

それに、私の言うことが分かるようになる人は、おそらく、極めて少数の方だけなんだろうとも思っています。
ですから、その少数の方だけに伝わればそれで十分なんです。

悟りに関して私のやりたいことは、そんな感じです。

しかし、私には悟りに関することよりももっとやりたいことがあります。
それは、区切りのいいところまではできれば、家族(特に障害を持った長男)に寄り添っていたいと思っています。
その区切りがどこなのか、長男が二十歳になるころなのかどうなのか、よく分かりませんが、
そう思っています。

私が敢えて社会の中で生きようとしているのは、あるいは大げさに言えばまだ命を繋いでいるのは、
家族(特に長男)に対する愛着心です。

849孤独な羊:2015/06/14(日) 11:44:28
慧空さん
悟りのヒントを伝えてる満足とか愛とか、だから、そうなるじゃないですか
それらを善といい良心の働きからなるものでしょう
素直に認めたらいいのに^^;
我を張るのはやめて楽にいきましょうよ
それで気楽になれて気持ちいい

850慧空:2015/06/14(日) 12:05:22
>悟りのヒントを伝えてる満足とか愛とか、だから、そうなるじゃないですか
>それらを善といい良心の働きからなるものでしょう

ダメだこりゃ。(^o^)
ため息出てきた。

私はやりたいことをやっているだけなんです。
ただそれだけなんです。
だから、息子の頭も平気で蹴っ飛ばします。
愚か者にも容赦は無いです。
今すぐ死ね、と思っています。

やりたいことをやっているだけなのですが、
どういう訳か、私の場合、いまのところ、世間的に無難な行動で収まっています。
むしろ、周りの人は、私のことをいい人だと思ってくれます。
有り難いような迷惑なような微妙な感じですが、そういうことです。
私の場合は、どういう訳か、私が好き勝手にやる言動と、世間的な良識との整合性がいいのです。

これは、私の残りカルマの特性がたまたまそうだったのだろうと思っています。
たまさまの結果です。

経典類の記載は余り当てにはならないので、そのつもりで聞いて頂きたいのですが(私もそうしてます)、
お釈迦さんのもとにいは阿羅漢には、結構いろんなタイプの人がいたようです。
普通の世間感覚からすると、こんなタチの悪い人が阿羅漢なんて信じられんというような人もいたそうです。
また、そのようなタチの悪い阿羅漢には、何の因果か、夜道で暴漢に襲われて殴り殺された人もいたそうです。

私はこの話しは、話し半分で聴きながらも、あり得ることだと思っています。
沢山の阿羅漢がいたら、そのの中には希ではあるでしょうが、人を殺す阿羅漢もいるのではないかと思っています。
なぜなら、阿羅漢の中には、ほぼ100%衝動のまま生きているものがいるだろうと思うからです。
腹の底からイラっとくれば、そのまま相手を殺してしまうことは十分にあるのだろうと思っています。

阿羅漢なんて、そういう類の人たちなのです。

851名無しさん:2015/06/14(日) 13:13:45
慧空さん

なるほど、わかりました。
ちょっと言葉が過ぎました、失礼をお許してください。

結局、悟りと言っても百人百様でしかないのかもしれません。
同時代人だったニサルガダッタとクリシュナムルティが
お互いを覚醒者とは認めなかった、というエピソードもあるようです。

それとまったく余計なお世話なんですが、
やっぱりブログをまとめて本を出されたほうがいいですよ。
ナチュラルスピリット社だったら間違いなく本にしてくれると思いますし、
ナチュスピ社のほうで講話会等も企画してくれますよ。
それで仮に大勢の人たちが集まったとしても、本当に伝わるのはごく少数の人たちですよ。
その人たちに伝わればいいんでしょうし、
残りの人たちは慧空さんの収入面を支えてくれる人たちと割り切ってしまえばいいんじゃないですか?
その人たちも好きでお話を聞きに来たりセッション受けたりしてるわけですしね。
慧空さんの生活面をサポートすることで間接的ながらその人たちのためにもなるんですよ。

852慧空:2015/06/14(日) 14:02:18
私には、悟りのヒントを伝えたいという欲求がありますから、
その欲求と関連してそれなりの注目を集めたいという欲求もあります。
しかしその一方で、注目を集めたくないという欲求もあります。

また、私は自分で言うのもなんですが、意外に賢いところがあるようで、
注目を集めるとろくなことがないということも知っています。

それに、私の伝えようとすることは、余り大きな声で言うようなものではありません。
控えめに言う程度でいいんです。
何しろ、私は愛も良心も否定し、神さえもたたき落として踏みつけろと言う訳ですから。

本は出さない方がいいのかもしれないと思っています。
その代わりに、できればそのうち、PDFにまとめて、誰でもダウンロードできるよう、
何処かにアップしようと思っています(ブログにはそのリンクを貼り付けて)。

853孤独な羊:2015/06/14(日) 15:08:20
>今すぐ死ね、と思っています
これ私に対して思ってるわけですか?
私は殺されるのは御免です。私のやりたいことは、そこにありませんから。
迷惑なら迷惑だと言ってくれればひきます。

854慧空:2015/06/14(日) 15:29:51
>これ私に対して思ってるわけですか?

そんなはずないじゃないですか。
私の殺気や殺意を感じますか?(^o^)
誰かに対して死ねと思うことは確かにありますが、羊さんに対してはそう思ったことはないですよ。
むしろ、どことなく親近感を感じてるくらいですよ。

それにこの掲示板やブログのコメント欄は、最初っからいろんな人が来ることが前提になってますから、
そう簡単に切れたりしません。
こうしたやり取りができること自体、ヒマをもてあましている私には有り難いことだと思っています。

855孤独な羊:2015/06/14(日) 15:34:59
ああ、よかった
安心しましたけど、慧空さんの気に触れたら覚悟しなければいけない?
ここに来るのも命がけなら、嫌ですね

856孤独な羊:2015/06/14(日) 15:36:40
それとも何でも命がけでないとダメですか?

857慧空:2015/06/14(日) 15:45:26
>安心しましたけど、慧空さんの気に触れたら覚悟しなければいけない?

スピや心霊系の方々は、人の念や悪霊等を恐がりすぎです。
念や悪霊などに、恐れるほどの力はありませんよ。
恐れるから、影響を受けているような気になってしまうし、その影響を自らがつくり出してしまうんです。

へっちゃらだと思えば、へっちゃらなんです。
私なんか、飛んでくる念があるのなら、来てみろといつも待っているし、
悪霊の類がいるのなら、ちょっと顔を見せてみろと思っているのですが、
一向に来やしません。(^o^)

858慧空:2015/06/14(日) 15:46:35
但し、私はサタンに対してもそうですが、神に対しても強い破壊衝動がありますので、
彼らがやってきたら、彼らに対し、何をするか分からないかもしれません。(^o^)

859孤独な羊:2015/06/14(日) 18:38:04
しかしジャイアン風な悟りですね
慧空さんも長男が成人するまでは生きると宣言しましたよ
私だって他の人だって、それぞれ理由があって殺されたらたまりません
死期を選べるとは考えませんが、リスクは避けなければ命が幾ついることだか(^^;
悟りの段階には、人同士がかかわると様々なリスクがあるので黙るという手段もあるわけでしょうけど
ところで、彼らって誰のことでしょうか?
差支えなければ

860孤独な羊:2015/06/14(日) 18:39:16
彼ら、わかりました
すみません
読みが浅くて

861孤独な羊:2015/06/14(日) 18:43:16
だから建前ばかりの世界で暮らしづらくなる
慧空さんも人の笑顔にであえるほど嬉しいですよね

862慧空:2015/06/14(日) 18:49:20
>しかしジャイアン風な悟りですね

はい、無敵ですから。(^o^)
私は喋りたいタイプなので、どうしても黙るのは苦手です。
たぶん、黙るタイプの方は悟りを説いたりしない人が多いのだろうと思いますよ。

>慧空さんも人の笑顔にであえるほど嬉しいですよね

それはそうですが、それでさえもどこか煩わしいのです。
困ったものです。

863慧空:2015/06/14(日) 18:50:41
ちなみに、無敵という意味は、殺されないという意味ではありませんよ。
殺されても、何があってもへっちゃらという意味です。(^o^)

864孤独な羊:2015/06/14(日) 21:20:13
返信速いですね。まあ、なんとなくわかりそうな感じはあります。
でも、それ楽しいですかぁ?

865孤独な羊:2015/06/14(日) 21:32:03
なるほど、それだけ充実してるってことですか
なら羨ましい環境ですね
本当にそうなら、理屈じゃ無理と思いますよ
経験者しか、わからないのでしょうね
私の許可がおりるのは現世では無理そうだな
身と口と心とバランスが悪すぎる
学ぶことばっかりです
(^^)

866孤独な羊:2015/06/14(日) 21:50:53
ちなみにですが自論での無敵になる条件は、まず良心の理解により従った動作が完璧にこなせること
次に生かされる理由を把握することで寛容であり、動じることがない
方法論としては、これしかないと考えてますけどね

867慧空:2015/06/14(日) 22:20:03
>なるほど、それだけ充実してるってことですか
>なら羨ましい環境ですね

決してうらやましがられるような環境でもコンディションでもないですよ。
それほど楽しくもないです。
お相手頂いててこんなことを言うのは心苦しいのですが、
私にとっていろんなことは時間つぶしのような感じになってきているところがあります。
つまり、お迎えがまだ来ないので、それまでのヒマ潰しという感じです。(^o^)

>私の許可がおりるのは現世では無理そうだな
>身と口と心とバランスが悪すぎる

だから、それも羊さんの妄想だって言ってるでしょ。
誰がそう考えているのですか?
羊さん自身は、どうしたいと思っているのですか?

自分はどうしたいのか、ここが最も本質的なところです。
後のことはどうでもいいんです。
本心にさえ従っていれば、決して悔いも無いし、後悔もありません。

868慧空:2015/06/14(日) 22:21:09
>ちなみにですが自論での無敵になる条件は、まず良心の理解により従った動作が完璧にこなせること
>次に生かされる理由を把握することで寛容であり、動じることがない

これも羊さんの妄想ですね。
そんなことより、羊さん自身がどうしたいのかを見つめてください。

869孤独な羊:2015/06/14(日) 22:23:02
そうですか、妄想ですかね?
また機会がありましたら、お相手してください
ありがとうございました

870思路:2015/06/15(月) 04:38:20
>何をどう訓練しろと仰るのか。(^o^)
>訓練とは、まだ何かをどうにかする必要があるという囚われが残っていますよ。

純粋意識の体験は論理的には表現できない。だからたとえば芸術家のような特別の
表現力が必要なの。山下清が切り絵で世界を表現したように、表現方法を持たなければ
単なる馬鹿でしかない。

愛は妄想だし共感は妄想だが、共感がなくてはコミニケーションは成り立たない。
なぜ妄想なくしてコミニケーションが成り立つと考えるの?
判断とは真実の選択だろ。真実がないのになぜ判断できる?
「あいつは小物だ。あいつは小悟だ。」こういうのは判断だろ。
こんな簡単なことが分からないほど論理的には破たんしてるんだよ。

「それは妄想だ。それは殻だから捨てろ」こういう言う乱暴な言葉でも悟りに導くことは
できる。悟りは単に破壊するだけだから、手荒なことをしても到達はできる。
そして「それ」を体験する。まばゆいばかりの神々しい世界。
でも「それ」を表現するのにまたもや「それは妄想だ。囚われてます」と到達した時と
同じような言葉を繰り返しても絶対に表現できない。

871慧空:2015/06/15(月) 05:56:41
>純粋意識の体験は論理的には表現できない。

思路さんは、純粋意識の体験をご存知なのですか?
仮にそれをご存知だとしても、その純粋意識とやらも、考えであり、妄想なのですけどね。
純粋意識の体験よりももっと先の行程があるんです。

>「あいつは小物だ。あいつは小悟だ。」こういうのは判断だろ。

もちろん、私の判断ですよ。
それがどうかしましたか?

>そして「それ」を体験する。まばゆいばかりの神々しい世界。

思路さんは、「それ」に囚われてしまっているようですね。
人それぞれですから、お好きなようにどうぞ。

872名無しさん:2015/06/15(月) 06:09:06
一切は考えであり、幻です。
一切のものは、あるような無いような微妙なものです。

しかし、何かを指して「ある」と思っている人にとっては、それは「ある」のです。
「ある」という考えを握り締めている訳です。
そういう人には、それを考えだと気づき、手放す行程があります。

この現実世界をあると思っている人は、現実世界が考えであるということに気づく行程があり、
「それ」や「純粋意識」をあると思っている人は、それが考えであるということに気づく行程があります。
そのように、自分が何かこれは絶対だと思っていることがあれば、必ずそれが考えだと気づく行程がある訳なんです。

873慧空:2015/06/15(月) 06:42:04
あれ、どうして名前が消えたのだろう。
上の名無しは、慧空です。

874思路:2015/06/15(月) 07:18:44
 悟りが困難なのは断食と同じでリハビリの方。
断食で体を痛めつけて正しく回復すると以前よりも健康体になることがある。
断食は想像するほど難しくない。食を絶つことの恐怖さえ克服すれば食欲はなくなり全く
苦しくもなんともない。ところが回復過程で失敗する。猛烈な食欲に襲われて
食いすぎてしまう。
もともと若く美しい体を持ったもの達が、何を勘違いしたのか断食に取りつかれて体を
損なっていく。

875思路:2015/06/15(月) 07:29:44
頂点を極めたアスリートでも、そこでガッタッと壊れてしまう人もいるし、解説員など
チャンとした道へ進んでいく人もいる。
彼らも脳みそも体も削って頂点を目指す。だから終わった時には身も心もガタガタ。
そこから着地していく。
為末とか見ると非常にいい着地をしていると思う。

概ね登山は下山が難しい。失敗はエベレストのグリーンブーツのように道標となる。
麻原は下山の道標。

876思路:2015/06/15(月) 08:49:36
枝豆はある程度育ったところで上部をバッサリ切り取ると行き場を失った栄養は
大量の実をつける。
この刈取りこそ悟りの手法だ。
脳の切除という欠点は最大の利点になりうる。
なぜ脳を損傷してまで悟りを求めるのかというとそこに尽きる。
 悟りは刈り取った状態に過ぎない。実がなるにはしばしの時間がかかる。

877慧空:2015/06/15(月) 09:32:54
同じようなやり取りの繰り返しですが、
私はこれしか能がないのでやりますね。

>チャンとした道へ進んでいく人もいる

>実がなるにはしばしの時間がかかる

チャンとしてるか、してないか。
実がなったか、なってないか。

どちらも二元の囚われです。
誰がそう判断しているのですか?
どういう基準でそう判断し、区別しているのですか?
その基準や判断にどのような根拠があるのでしょうか?

878慧空:2015/06/15(月) 09:34:12
思路さんも、こんなところで私の相手なんかしてないで、
ご自分にとって何が一番大切なのかを見つめてください。
そして、その大切なことに取り組んでください。

879慧空:2015/06/15(月) 09:38:42
思路さん、ひょっとすると、ご自分には実がなっていないとご自分を責めてさげすんだりしておられませんか?
自分では気が付かないうちに、自分をさげすんでる可能性があります。
二元の囚われを持っている方は、必ずと言っていいほど、
自分と他者を比較し、優越感を持ったり、劣等感を持ったりしています。

自分をさげすんでないか、確認してみてください。
自分を認めて受け入れて頂きたいと思います。

880孤独な羊:2015/06/15(月) 12:06:59
おはようございま〜す(*^_^*)
思路さん、私は、あなた様の話がよくわかります。たぶん。
大悟といいますか最終的な解脱は、山頂(涅槃<小悟>)まで登り、再び人里へ戻った場所で得られる境地にある。
涅槃で培った囚われのない自意識を集団意識の中で生かせるとき、漸く大悟(最終的な解脱)を得たといえる。
それが出来なければ、再び涅槃へ行って、また戻る。繰り返しです。
集団意識の規律に頑なに従わない姿勢なら、仙人のような山籠もり(現代だと引篭もり)して生きるようなのが障りがないかもし
れませんね。

881慧空:2015/06/15(月) 12:48:12
>おはようございま〜す(*^_^*)

なんかしらじらしいなぁ〜
ウソくさいな〜

882孤独な羊:2015/06/15(月) 16:29:40
慧空さん、別の切り口で苦との対峙方法から展開していきますと、結局のところ苦の解消方法としては単純な話で二種類しかないわけです、
一つが苦を苦としない方法、もう一方は苦を生じさせない方法です
苦を生みだすか生みださないかの違いですね
道理として適うのが後者しかない見解が私にはあるのですよ

883孤独な羊:2015/06/15(月) 16:31:43
もう少し噛み砕くと、罪悪感からは逃れきれないという見解です

884慧空:2015/06/15(月) 16:59:55
>苦の解消方法

ですから、苦を解消しようとするから迷いが続くのですってば。
苦はあたり前のようにいつも普通にあるでしょ、ということを私は繰り返し言っているんです。

885慧空:2015/06/15(月) 17:10:00
>罪悪感からは逃れきれない

罪悪感は、善悪の囚われにより誘発されるものですから、
これについては、その囚われを手放すと無くなりますよ。
現に、私がそうです。

886孤独な羊:2015/06/15(月) 18:31:07
う〜んとですね、自説は以下みたいな感じです。
人を成長させるのが苦であるので、一切皆苦。そして苦は精神的な意味で罪悪感と言える。
罪悪感(良心の働き)を憶えなければ反省(改心)出来ないので、ついつい知らぬ間に業は膨らんでいくのです。
そこに俗に言われ悪い業に対しては苦として還る業の法則が活かされてるのでしょう。
業の法則は、人生の道理に適うので信頼できます。
業の法則により応じた苦が、罪悪感(反省の動機)が得られるまで還ってくる理屈です。
で良心は個別に段階的にあるので、常識的な枠とか比較してるようでは浅はかということになりますね。
信じるか信じないかはアナタ次第。

887慧空:2015/06/15(月) 18:36:05
ダメだこりゃ(^o^)
話しにならん。

888慧空:2015/06/15(月) 19:36:25
羊さんは、頭でいろいろ考えすぎなんです。
頭で理解しようとしても無理なんです。
考えれば考えるほど、意識が外向きになり、外側を彷徨います。

そうやって延々と思考をめぐらせるのではなく、
一度立ち止まって、その思考をめぐらせている自分自身に意識を向けて頂きたいと思います。

889孤独な羊:2015/06/15(月) 20:38:37
いやいや頭で理解するように業が働いたからです
私は、しぶといほうでしたよ
思考なんて無縁だったんです
対極的な歩みの中で、このようになってるだけです
いいですよ、別に
わかってもらえなくて、そういうものですから

890思路:2015/06/15(月) 21:34:26
生身の人間である以上は罪悪感からは逃れられない。
たとえば、あなたの頭を叩いたら痛いでしょ。そうすると罪悪感が発生する。何故かというと
ミラーニューロンが働いて、他人の頭をたたくと同じように痛いだろうと反応する。これが
罪悪感になる。

 手に電極を付けて残酷な映像を見せてその反応をみるというような心理学的実験をやって
みればすぐわかる。

891思路:2015/06/15(月) 21:40:51
瞑想の実践を積んだ高僧での実験もあるから、「絶対に俺は大丈夫」と思うのは
錯覚。
 俺は悟りを開いたので錯覚しないと思うのは錯覚。
実験シートでテストすれば普通にバリバリに錯覚するとおもうよ。人間だもの。

892慧空:2015/06/15(月) 21:50:27
>瞑想の実践を積んだ高僧

だから、そういうのが一番怪しいと言ってるでしょに。
どこの高僧だか知りませんが、その坊さんはおそらく大悟(見るものは見られるもの)にも到達してないでしょう。

893孤独な羊:2015/06/16(火) 14:10:57
「苦しみを楽しみへ変えられる」
そういう悟りへ到達できてなければ、大悟とは言えないはずです
集大成の大悟だというのであれば、人生は充実して輝かしいものでなければ本物ではないでしょう
なので慧空さんも大悟とか最終解脱のような境地にはないと思うんです
きっと信じられませんよね?

894孤独な羊:2015/06/16(火) 14:23:51
題材は揃ってる
けど甘んじて到達できない
慧空さん、どのくらい苦しんで悲しんできました
これ結構、重要じゃないですか
どん底に行くのは嫌なものですが、地獄の底から湧く意識は悟りには大切です
ただ地獄に呑まれたら悟りどころか悪魔になってしまう
そういう危うさについて、ないかお考えありますか?

895孤独な羊:2015/06/16(火) 16:48:02
魂と心が統一されなければ、体もついていかない
充実感なんか得られるわけないのですよ
あなたの人生が充実して輝かしいものであれば、私は地に頭を擦りつけても教えを授かります

896慧空:2015/06/16(火) 18:33:21
>集大成の大悟だというのであれば、人生は充実して輝かしいものでなければ本物ではないでしょう

そういうのが思い込みであり、囚われだと私は言っているですよ。
さすがに同じやり取りの繰り返しばかり、嫌になってきました。

897孤独な羊:2015/06/16(火) 21:43:42
慧空さん、やっぱりそうなりますよねぇ〜
感謝してます

898思路:2015/06/17(水) 05:01:03
>さすがに同じやり取りの繰り返しばかり、嫌になってきました。

「それは囚われだ」「それは小悟だ。まだ先がある」を封印したらやり取りは
変わると思うよ。凡人にとっては大悟とかあんまり関係ないんだよな。
最初だけは
「ホッーーー。大悟ですか。凄いですね」
「ホッーーー。肝臓を全部切っちゃったんですか? 凄いですね。!!!」
って思うよ。でもそれは最初だけだろ。同じことを繰り返していたら「ふーん」
としか言いようがなくなる。
要は大悟を興味深く語れるかどうかだよ。別にそれが小悟でも歯痛でもいいんじゃない?

じゃあさー。ゾーンってどうよ。ゾーンとかフローを体験したことある?
大悟するとゾーンだらけというかいつもゾーン状態? てことはないよな。

899思路:2015/06/17(水) 05:38:12
>私のクラウンチャクラも、今日はねじれるような感じで激しく反応しています。

気が感じれると、気のコントロールができる。
猫とかネズミを気合で落とすのはかなり難しいらしいが、鶏はわりと簡単にできる
らしい。中村天風は鶏を気合で静めて、メガネをかける芸をよくやっていたらしい。

900慧空:2015/06/17(水) 06:18:00
だから言ってるじゃないですか。
悟りの道を進むということは、囚われに気づいてそれを手放していくことだって。
最後まで、それだけなんです。
だからそれしかいいようがないのです。

大悟も解脱も、そんなに魅力的なものではなく、いいものでもありません。
わざわざそれを目指すようなものでもないです。
しかしいずれ、どうしようもなく強い衝動が起こってくる。
その衝動が大悟や解脱に連れていってくれます。
衝動は舟です。
舟無しには、どうにもならないところです。

気をコントロールしたい人はやったらいいですが、
いくらやっても切りがないです。
猫を落として何になるというのでしょう。
そういうことです。

901思路:2015/06/17(水) 07:33:44
それじゃあ、同じことの繰り返しで嫌になるのも仕方ない。

902思路:2015/06/17(水) 07:36:13
>猫を落として何になるというのでしょう。

それが面白いのなんのって。W
兎に角一度やってみてください。体験しないとわからない。

903思路:2015/06/17(水) 07:38:26
特殊な気のコントロールだろうけど野生のライオンとかワニを瞬時に手なずける
ような人もいる。
動物園に行ってゴリラに手話の指導をしてみるとかどう? そういう芸ができると
直ぐに人気者になる。
なにか得意な部分はあるとおもうけど、やはり練習しないとだめだな。
ヤラセで空中浮遊をして見せたり、マジックで手から粉だしたりするよりは遥かにまし。

904思路:2015/06/17(水) 07:43:56
俺は俳優だからわかるけど、あいつら大悟とか言ってるけどサクラ使って
ヤラセをやってるだけ。W
 バイトだから細部は言えないが、飛んで見せたり、苦しんで見せたり。W
そんなんで客寄せしてもそのうちボロがでる。
 暗示にかかりやすい人って絶対にいるから、あとはそういう人を使って広める。
俳優にバイト料はらうより安上がりだからね。

905名無しさん:2015/06/17(水) 19:58:20
一なるもの、という考え方はべつに独創的じゃないわ。
でも、それなら自分は何と一つなのか、と問いかける人はあまりいない。
問いかけた人も、大部分は神という答えを出すのだけれど、
そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」
と想定してしまう。
この想定は間違っているし、そう考えてしまうと、
ブッダのように心を完成させた賢者でさえ、
恒久的な意味で神に到達できなくなります。

そう、二元性の波動をつくり出す心とは一つになれるでしょう。
その心はすべての次元を超越した無という場にあっては、
完全に時空とかたちのシステムの外にある。
これが非二元性の論理的で妥当な帰結なのだけれど、
それでもまだ神ではない。
それどころか行き止まりの袋小路よ。
あるいは始まりの終わりと言うほうがあたっているかな。

仏教は世界で最も心理学的に洗練された宗教だけれど、
それゆえに神という問題を扱えない。
だから、あなたがたがブッダと呼ぶ身体のなかにブッダがあったとき、
彼は神の問題を取り上げなかった。
わたしたちが非二元論と純粋な非二元論を区別する理由もそこにあるの。

ブッダが「わたしは悟った」と言ったのは、
自分は幻影に参加しているのではなく、
自分がすべての幻影をつくり出していると気づいた、
という意味だったのよ。

でも、そこからもう一歩進んで、すべての幻影をつくり出している心が
それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

もちろんブッダは優れた段階に到達した人だからそこに気づいて、
すぐにJ(イエス・キリスト)と同じ悟りに進んだわ。
でも、それは世界に知られていない生涯での出来事。

       『神の使者』(ゲイリー・R・レナード 河出書房新社)より

906慧空:2015/06/17(水) 21:48:45
どうも疲れてて、思路さんと名無しさんのコメントにレスを書く元気がありません。

907思路:2015/06/18(木) 02:22:28
おつかれさん。
エネルギーを感じて、地震が起こりそうなときは騒いでください。高台へ避難します。

908思路:2015/06/18(木) 02:58:07
>905
ハイレベルな考察だというのは解るが意味は今一つ解らん。

>そこで「この宇宙は聖なるものによっていまあるかたちで創られた」と想定する

これがなぜ間違いなのかその理由がいまいち理解できん。

「神ではない一なるもの」=非二元論
「神」 =純粋な非二元論

で更にその先へいくと
>それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

純粋な非2元論は2元論に行きつくのか?
「神」 =純粋な非二元論 --->「神、自分」

909孤独な羊:2015/06/18(木) 16:00:55
二元論で一般的な見解をすると生が物質的に恵まれているため、死には物質的な恵みがない
地球が観測されることにより生じる不自由であるなら、死後には観測されないままに生じる自由がある
善悪がない無だという人達は、こういう世界に行くかもしれない
そして無も天国も地獄も、きっとありますよ
実体二元論は正しく、一元論も正しい
でも一元論に生きる見解なんて、すべての消滅のような話だろうし程遠過ぎるのじゃないですかね

910思路:2015/06/18(木) 18:00:36
3回読んだら概ね意味が分かった。

>そして無も天国も地獄も、きっとありますよ
>実体二元論は正しく、一元論も正しい

まさにそうなんだよな。無難で正しい結論。
でもそういう事を考えている今、緊迫感というか切実感のようなものがあるのだろうか?
無い。全然ない。極論すると単なる言葉遊びになる。ところが死(涅槃)は確実にやってくる。
思考の軽さ、軽薄さと現実的な死の重みがバランスしない。死が重いということすら
実感がない。だから思考は正しいが軽いのだと思う。ピッチャーでいうと澤村みたいに
「速いのに玉が軽い」みたいな感じだな。

上村直巳はなぜ危険を冒して山に登るのかと聴かれて、死と隣り合わせた時に生きている
ことを実感するというような意味のことを言っていた。 日本は安全で平和だから言葉の
世界だけになっている。やはり言葉の世界だけではリアリティが生まれない。

大悟しても大悟遊びの大悟。迫真の大悟じゃない。安全で平凡な大悟なんだよな。実際には
もっとリアリティがあるはずなんだよな。

911名無しさん:2015/06/18(木) 18:20:40
完全に対立して…という日本語訳に問題があるのかもしれませんが、
ACIMは「今我々が認識していると思っている世界は本当は存在していない」という立場なので、
心が世界という幻影を想像した、というその心そのものも幻影なんだという…。

なので『神の使者』の上記抜粋部分でのパーサという登場人物の女性の言葉、
「行き止まりの袋小路」というのが自覚系の人たちの陥ってる状況を表してるんじゃないかなと。
この世界は幻想でそれはわたしが創り出している、そこで終わってしまえば、
確かに一切皆苦でしかなくなるでしょうね。

でもそれはあくまで卵の殻の内側での話でしかないかもしれない。
卵の殻は卵それ自体によってどうやったら割ることができますか?
有精卵なら、雛が孵って内側からくちばしで突くことで殻は割れますが、
我々が閉じ込められている、この牢獄世界の殻、牢獄の鉄格子はそういうわけにはいきません。
どれだけ自覚を繰り返して概念から離れてみても、それは所詮牢獄の鉄格子の内側のお話ではないですか?

普通の人は自分が牢獄の中の囚人だとは思っていません。
牢獄の中であるにも関わらず、努力と運次第では自分の夢を実現し人生を謳歌できると思い込んでいる。
しかし、ここが牢獄に過ぎないことを「悟った」人にとってはまさに一切皆苦でしょう。
もしも「悟った後も」牢獄の中で人生を送るつもりなら。

まあ、私は悟ってるどころかただの出来損ないのでくの坊ですから何も偉そうなことは言えませんが。

912孤独な羊:2015/06/18(木) 18:21:20
孤独を悟った沈黙の世界で出会うとき、互いを理解し合える
至福に包まれる
まさに真に望むところは、そこなんだという気がします

913思路:2015/06/18(木) 19:16:17
>912
 実際にはそうはならない。駄弁をろうして、喧嘩して、笑って、、、、そうして理解が
生まれる。駄弁は沈黙の構成要素。

猫は家の中では餌を与える人を理解しているが、いったん外に出ると、それが誰なのか
さっぱりわからないらしい。近づくと怖がって逃げていく。
猫の世界は家(住処)とリンクしている。一旦住居を離れるとリセットされるようだ。
 人の脳はもっと広い住処を住処としている。しかしここを離れるとリセットされる。
人の存在とは住処のことであり、駄弁とけんかと笑いの喧騒がその構成要素なのだ。
だから天国に行ってもそこからやり直し。という気がする。W

914慧空:2015/06/18(木) 19:40:38
>>911

あれ、ACIMの人。
あなた、ここはやっぱりダメだと言って去っていかれたんじゃないのですか?^^
それとも、ACIMの人は複数来られてるのかな?^^

ともあれ、ACIMの人とは本質的なギャップがありますので、いくらこられてもあなたがたには得られるものはないですよ。
また、あなたがたがここで何を仰ろうと、私がそれに影響を受けることもありませんし。

どうでやり取りが噛み合わないのなら、何か別の世間ばなしでもやりますか?

ところで、ACIMって、何かそういう組織があるのですか?
だとしたら、メンバーはどのくらいの数なんですか?
また、そこで悟っていると言われている人はどのくらいの数いるのですか?


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