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神や霊界は実在するか?

324宗教家:2014/09/19(金) 12:18:58 ID:9uekahg.
>>123のブログの人も同意見です。消えると悲しいので、貼っときます。
http://kukita03.seesaa.net/article/191505430.html

二重目的を達成しようとする本然の人間

・すべての存在は二重目的をもつ連体です。
・すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの
二つのがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと
形状的なものとの二つがあります。
・性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のために
あるもので、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずもなく、
個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがないのです。
・したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあって
いる一つの広大な有機体なのです。
・喜びは独自的に生ずるものではありません。
・無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された
対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状を相対的に感ずるとき、
初めて喜びが生じるのです。
・神もその実体対象からくる刺激によって、自体の本性相と本形状を相対的に感ずる
とき、初めて喜びに満たされるのです。
・すなわち、四位基台の基盤の上で、三大祝福による天国が実現すれば、これが
すなわち、神が喜びを感ずることのできる善の対象となるのです。

日本はかつては全体主義国家としての歴史をもっています。全体主義と二重目的の
違いは個体目的を保障するかどうかということなのです。個人を犠牲にし、家庭を
犠牲にして摂理のためにまい進された多くの方々がいると思います。ですが、そのような
歩みは、結局は個人に、家庭に恩恵として返ってくるのです。本然の歩みとしては
個人として完成することが全体の摂理を促進することにつながり、家庭が円満に
真の愛で満たされる時、全体の摂理も進むはずなのです。三大祝福を犠牲にして
摂理が進む道理がないのです。それがここで説明されていると思いました。
日本の摂理、アジアの摂理として、多くの精誠を捧げて来られたと思います。そして、
今、振り返ってみてください。そのことによって自分は真の愛の人格者として
成長したのか、家庭がより円満になったのか。もし、そうなっていないとしたら、
そこには全体主義という蕩減があることを私は感じています。

原理ははっきりと説いています。全体の摂理は個体目的を保障すると。個体目的を
無視した全体摂理は本然のものではないために決して発展しません。個人を犠牲にして
得られた実績は一時的なものであり、永遠性がないために、発展の材料にはなりません。
本来の発展は授受作用によって次々と新しいものを生み出す時に発展はします。
ですので、摂理で毎日忙しく歩まれている皆様、どうか今一度、自分に与えられている
三大祝福をどれだけ完成に向けて進めたのか確認してみてください。本然の発展は
全体目的と個体目的が補完的に一体化しています。それが、ばらばらであったり、
一方が他方を無視したり、ないがしろにするようであれば、そこに何か改めるべき
ものがあることを意味していると私は思いました。


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