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ウィトゲンシュタイン『哲学探究』読書会

326久保共生:2025/07/16(水) 21:57:32
思うに、私的言語論で論じようとしているのは、鬼界訳第9章冒頭の解説にも書いてある通り「感覚は内的体験の名である」という考えへの批判でしょう。
もし感覚というものの意味するところが自分の内的体験なのだとすれば、他者との実践(言語ゲーム)を一切介さずに自分の中だけでその意味を画定させることができるはずです。
こうしたところから「私的言語は可能か?」という問いが出てくるのだと考えられます。
ウィトゲンシュタインとしては、言語ゲームなくして言語は意味を持ちえないと考えるので、当然私的言語は不可能だという結論になるはずでしょう。


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