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2022/9/4「自由意志とは何か?」
8
:
久保共生
:2022/08/07(日) 23:53:44
突っ込みどころをいくつか挙げておきます。
①手首を曲げる瞬間の「今だ!」というような意識は、果たして意志が発動した時点を表していると言えるのか?
「手首を曲げよう」という意志は本当にその瞬間に生じたのか?
そうではなく、実験に協力し手首を曲げる指示に同意した段階で成立していたと考えることもできる。
意志の発動時刻を特定することは困難だし、恣意的にならざるを得ないだろう。
②なにかをしようとした瞬間の「今だ!」というような意識に先行して脳活動が生じるのは、別に何も驚くべきことではない。
それどころか、「今だ!」という意識に先行して、身体運動が生じることも珍しくはない。
例えば、野球においてバッターがボールを打つとき、打つ瞬間の「今だ!」というような意識よりもずっと前に、バッターはボールを打つ態勢に入っていなければならない。
行動を起こす瞬間の「今だ!」というような意識に先だって、その行動を起こすための態勢が出来上がっているというだけの話である。
③そもそもこれは自由意志についての実験なのか?
「手首を曲げる」という行為は、単に実験者の指示に従っただけのものであり、普通は本人の意志によるものとは言わないのではないか。(少なくとも、自由意志によるものとは絶対に言えないだろう。)
尤も、手首を曲げるタイミングは確かに本人が自由に選択したとは言える。
けれどもここにおける「自由」は、単に手首を曲げるタイミングに特に制限がないというだけの意味であり、「自由意志」とは無関係である。
リベットに限ったことではないが、論者たちはしばしば「自由」と「意志」と「自由意志」の三語を不用意に混同し、徒に混乱した議論を展開することがある。
④実験から明確に分かることは、脳活動は手首を曲げる瞬間の「今だ!」というような意識に先行して生じている、という点だけであり、「脳活動が原因で手首を曲げようという意志が生じる」という解釈は全くの臆断でしかない。
さらに言えば、こうした「心身因果説」的な解釈は一種の誤謬によって生じるものであり、ナンセンスな解釈だと僕は考えます。
これについての詳細は当日の発表で述べるので、ここでは省略します。
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