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2021/5/2 私的言語は可能か?
71
:
久保共生
:2021/07/20(火) 09:41:07
>「身体態勢」のみに「感覚」の意味付けの責任を負わせるのは、物的身体を先行させて世界を立ち上げる世界把握に見える。
横山さんもウラサキさんと同様の誤解をされているように思われます。
僕の想定している「身体の態勢の把握」とは、単なる「物的身体」の把握ではありません。
これはほんとに何度も強調していることですが、やはりなかなか伝わりませんね。
メルロポンティが『知覚の現象学』において、こうした「物的身体」あるいは「客観的身体」という見方を何度も何度もしつこく批判していましたが、やはりそれだけこの見方から脱却するのは難しいのでしょう。
「身体の態勢の把握」については僕も何度も説明していますが、僕以外だと
>>23
のムラタさんの返信も参考になるかと思います。
僕からも改めて説明しておきます。
身体の態勢の把握とは、単なる「物的身体」の状態を把握することでは決してなく、自分が周囲世界に対して、どのような態度で関わっているかという関わり方の様態を把握することです。
したがって僕は、身体の態勢の把握を状況把握の一契機と考えています。
すなわち、自分が今どのような状況にあるかを把握することとは、周囲世界の相貌の把握(知覚)のみならず、その世界に対してどのような向き合い方をしているかを把握すること、すなわち身体の態勢を把握することである、というわけです。
例えば「痛み」の意味にしても、それは私の身体に現れる点的印象のようなものではありません。
私は痛みという感覚の意味を、自分と世界との関わり方の一つの様式として把握するのです。
但し、ここで言う「関わり方の把握」とは、機能主義的な物理的なものの連関仕方の観察的把握とは全く異なるものであることは、強調しておかねばなりません。
客観的観測によって把握するのではなく、おのれの身体の態勢によって、自分の世界に対する関わり方を知るわけです。
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