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2019.4.29『意志と表象としての世界』
1
:
火雨
:2019/03/08(金) 20:11:08
ショーペンハウアーの主著である『意志と表象としての世界』について紹介、考察していきます。
今回使うのは中央公論社の『世界の名著45ショーペンハウアー』(西尾幹二:責任編集)に入ってる版です。
ほぼ同じものが現在は中公クラシックス版(全3巻)で出ていますので、そちらを参照しても大丈夫です。
ただ、内容量が膨大であり、全編分を進みきることができないかもしれません(その時は続きを後日やる予定です)。
全4章(巻)のうち、第1章はカントの解説が多くてかなり読むのがしんどいので、第2章から読むのをオススメします。
2
:
火雨
:2019/04/28(日) 14:44:44
直前で申し訳ありません。
やはり明日中に全編さらうのは難しそうです。あと僕の準備が追いついてないのもあり、おそらく第二章(巻)くらいまでで終わってしまうかもしれません。
また別の月に続きをやることになると思いますが、悪しからずご了承を。。。
3
:
火雨
:2019/04/29(月) 10:58:50
本日配布予定のレジュメを添付します
(リンクの先に'h'つけてください)
ttps://www.dropbox.com/s/z21v490c9yo8rak/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BC.pdf?dl=0
また、参考資料としてウィトの「家族的類似性」という言葉についてショーペンハウアーやニーチェを引いてる論考があったのでそちらも添付しておきます。
ttps://fukuoka-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=1005&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
4
:
横山
:2019/04/29(月) 17:52:59
面白かったです。
僕個人としては、「意志」と「力」の語の意味合いが、思ってたのよりずっと深くて、火雨さんの話を聞きながら、さまざまな妄想が広がってきて、すごく面白かったです。
会の途中でも言いましたが、ショーペンアウアーのニヒリズムの重点が「原因-結果」の視点から「根拠-結論」の視点への転回にあったのではないかと疑れて、その点もとても興味深かったです。
僕を含め、それぞれの参加者がかなり好き勝手に話を広げましたが、ちゃんとした討論になってましたよね。なんかふつうに論議してましたけど、あれって奇跡的にすごいことだったように思います。
火雨さんの信じられないくらいの読解力のお陰だと、ビックリしています。
次回もとても楽しみにしています。
則天去私さんが再来してくださり、ツイッターだけの知り合いだった松本さんが来てくださって、新しい仲間が増えたのも、嬉しかったです。
ありがとうございました。
5
:
松本
:2019/04/29(月) 18:58:30
お疲れ様です。
大阪哲学同好会に初参加させて頂いた松本です。本日は有り難うございました。
火雨さん、プレゼンとレジュメありがとうございました。かなり書き込んだので、今コメダで頭の整理をしているところです。
また、横山さんにはこのような貴重な場をご紹介頂き誠に感謝しております。
さて、火雨さんのプレゼンとレジュメのお陰で、バラバラだった私の本書の理解を整理する事ができました。また、プレゼンからのディスカッションや言及において、ショーペンハウエルとカント批判哲学との比較や、ニーチェ等との関係性など、今までなかったヒントを頂きました。
私自身はプラグマティズムや思弁的実在論から哲学に関心を持ち、物自体=世界自体=自己自体というアポリアを論考するのが楽しいといった段階の入門者です。
普段このような哲学を議論するような場に接する事がありませんでしたので、本日のイベントはとても新鮮で貴重な体験となりました。
今後のショーペンハウエル第二段やスピノザエチカ回、またプラグマティズムジェイムズ回等、大変楽しみにしております。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。
なお、松本のメールアドレスと電話番号を記載しておきますので、待ち合わせなど何かありましたらお気軽にご連絡くださいませ。
本日はありがとうございました。
松本 大悟
090-9855-5563
daigomatsumoto0702@yahoo.co.jp
6
:
火雨
:2019/04/29(月) 19:23:55
横山さん
お疲れ様でした。
「力」の意味についてはまだホントに発想のとっかかり程度しか捉えられてませんが、幸い松本さんが言ってた意志→表象として捉えるニーチェ解釈と、それとは逆のショーペンハウアー解釈についての指摘は、個人的にも展望が広がる感覚がありました。
ニヒリズムについての横山さんの意見、すごく参考になります。まだ整理はできてませんが、仰るような視点から文芸作品も多分咀嚼できそうなんですよね。それも今後の楽しみです。
今日は人数もかなりいましたし、夢の話はエピソードが思ったより人によってバラバラで笑いました。楽しかったです。
また次回もよろしくお願いします。
7
:
火雨
:2019/04/29(月) 19:36:48
松本さん
お疲れ様でした。初参加していただきありがとうございます。
思弁的実在論、これまでは全然食指が向いていなかったんですが、以前あった横山さんのメイヤスーの発表以来、なんとなく他の哲学者らとの違いや関係性までは見えてきたところです。
現代思想やフランスの哲学ではショーペンハウアーもそうですが、ニーチェやベルクソンといった「生の哲学」界隈も未だに注目されてると思うので、松本さんにはこれからどんどんプラグマティズムや思弁的実在論といった方面からやいやい意見言ってもらえるとまた何か新たな理解につながるかもしれません。
ぜひ次回もまたお待ちしてます。
8
:
松本
:2019/04/29(月) 20:45:08
>>7
火雨さん
本日はありがとうございました。
思弁的実在論にも興味がありますが、ニーチェやサルトルの実存主義やベルクソンの生の哲学にも関心があります。やはり生きる事に直結した哲学は重力があると思います。
物自体にアクセスし得るという思弁論も、元を辿ればカントやショーペンハウエルの物自体の論考がベースとなっており、今回の回は古典思弁論としての物自体のルーツを辿るという点でも非常に学びが多かったです。
皆様に学ばせて頂く良い時間が持てて良かったです。
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします❗
9
:
おぐす
:2019/04/29(月) 22:04:59
火雨さん、発表お疲れさまでした。
「意志と表象としての世界」を久しぶりに読み返しながら、相当長いテキストなので1回で終わるかなと危惧していたのですが、複数回に分ける方針になさったのは英断だったと思います。古稀も近い年齢になって再びショーペンハウアーと向き合えたのも新鮮で、得がたい機会を与えていただき感謝しています。
森鴎外に「妄想」(明治44年)という作品があります。すでに海岸の小家に隠棲した白髪の老爺が、失意のうちにおのれの生と死について考えるという設定ですが、ショーペンハウエルについて言及する件りがあります。
「個人が滅びて人間という種類が残る。この滅びないで残るものを、滅びる写象の反対に、広義に、意志と名づける。意志があるから無は絶待(ぜったい)の無ではなくて、相待の無である。意志がKantの物その物である。個人が無に帰るには、自殺をすればよいかというに、自殺をしたって種類が残る。物その物が残る。そこで死ぬまで生きていなくてはならない」
「世界は認識によって無の安さに帰るよりほかはない」という鴎外のショーペンハウエル理解が正鵠を射ているのかどうか判断できませんが、「妄想」というタイトルはかの哲学者と鴎外自身を重ね合わせているようにも思われます。
死を怖れず、死に憧れもせず、ただ余りの生を生きる。最近は「妄想」する膂力もなくなっちゃいましたが自分なりに「意志と表象としての世界」に親しむことができました。ありがとうございました。
10
:
則天去私
:2019/04/30(火) 10:42:52
則天去私です。昨日はありがとうございます。
まだ『意志と表象の世界』を読んでいないのですが、購入して読むとなるとお金と時間がかなりかかる為、購入を迷っています。購入して読んだ方が理解と議論が深まることは承知していますが、購入して読まなくても次回に参加してもよろしいのでしょうか?まだ予定がわからないので、参加確定ではないですが。
11
:
火雨
:2019/04/30(火) 11:10:19
おぐすさん
初めは1回で全編進められるだろうとタカをくくってたのですが、レジュメを作成してくにつれてどんどん「1回では無理だ(!)」と思うようになり、今回じっくり読み進めるスタンスに変えました。
しかし、同好会のことだから閑散とはならないだろうなという根拠のない予想があり、結果的に話も盛り上がったのでこのスタンスで進めて良かったです。
森鴎外もショーペンハウアーの影響を受けた日本文学者の1人としてよく取り上げられますよね。
僕は鴎外にはこれまであまり触れていなかったのですが、ぜひ読んでみようと思います。
どうもありがとうございました。
12
:
火雨
:2019/04/30(火) 11:22:00
則天去私さん
昨日はお疲れ様でした。
もちろん読んでない方でも進められるように発表したいとは思っています。
ただ、多様な解釈のできる作品なので個人的にはやはりぜひ自身で読み込んでもらった方が良いかとも思います。
中公クラシックスだと3冊全部で5000円以上かかりますよね。。。僕は『世界の名著』を中古で1500円くらいで買いました。ハードカバー版とソフトカバー版があり、僕はソフトを買ったのでやや耐久性に難ありでしたが、中身は全く問題なく読めます。ネット通販が確実で、アマゾンやネット古書店で検討してみるのをお勧めします。
13
:
則天去私
:2019/04/30(火) 13:35:55
>>12
すみません。安い古書が見つからないので、新刊を買う気には、とてもならないです。
14
:
ウラサキ
:2019/04/30(火) 19:59:47
則天去私さん、
まずは図書館で借りるのが良いと思いますよ。
私は勤務先の図書館から中公クラシックス版のⅠ巻だけを借りていますが、
「世界の名著」シリーズなら大抵の公共図書館にはあると思います。
15
:
則天去私
:2019/05/04(土) 05:54:06
ところで、関連書籍として、カール・レーヴィットの、『ヘーゲルからニーチェへ』も気になるところですね。
16
:
則天去私
:2019/05/04(土) 23:31:34
アマゾンの検索では、ミシェル・ウェルベックの、
『ショーペンハウアーとともに』が、国書刊行会から発売されるらしいです。
17
:
ウラサキ
:2019/05/05(日) 05:30:34
個人的にはブライアン・マギー『哲学人(下)』のショーペンハウアー解説が、
英米系らしい明晰さ且つ読み易い訳文で感心しました。
18
:
則天去私
:2019/05/06(月) 21:19:17
松本さん
先日はお疲れ様でした。僕もかなりレジュメに書き込んだので、今度機会があれば、松本さんとレジュメを見せ合いたいです。
うらさきさん
うらさきさんは英米系の哲学がお好きなんですね。
もしお互いに機会と余裕があれば、今度教えを請いたいです。
19
:
ウラサキ
:2019/05/07(火) 03:51:37
則天去私さん、
英語教師という仕事上の理由もあり、どうしても英語圏のものに関心が向かいがちです。
学生時代はドイツ語でカントやヘーゲルも(仕方なく)読んでいたのですが、
ヒュームやエイヤーを読み、なんと分かり易いのだろう、とすっかりハマってしまいました。
かのデリダvsサール論争でも、世評とは逆に、デリダはサールに難癖付けているとしか思えません。
20
:
則天去私
:2019/05/09(木) 23:15:37
7月のショーペンハウアー会2、気持ちとしては参加したいのですが、まだ先のことはよくわからないところがあります。行けたら行くつもりです。
21
:
則天去私
:2019/05/10(金) 00:33:56
火雨さん
あとで思い出したのですが、クザーヌスって近代的自我の生みの親ですよね?
22
:
火雨
:2019/05/10(金) 12:19:06
則天去私さん
次回ショーペンハウアー参加の件、了解です。
クザーヌスについてですが、則天去私さんの言う「近代的自我」というのの意味がはっきりしないのですが、デカルト的な「我」のことですかね?
クザーヌスで僕が読んだのは『学識ある無知について』というやつで、振り返る限り「我」のような話は無かったような気がします。
(忘れてるだけかもしれませんが。)
可能性があるとしたらクザーヌスの「反対物の一致」という概念は、デカルトの懐疑が及ばないものであるとは思うので、そこから「我」を導き出そうとすればできるような気もします。
どうでしょうか?
23
:
則天去私
:2019/05/10(金) 12:51:35
火雨さん
僕もよくわからないんですが、新田義弘の現象学の本の中で出てきます。
24
:
火雨
:2019/05/10(金) 18:51:20
則天去私さん
新田義弘さんのクザーヌスへの言及は初めて知りました。
とあるブログにそれらしきことが引用されていたのでリンクを貼っておきます。
ttps://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20091218/1261105482
この中だと以下の文章が特に関連性の高い部分だと思います
「クザーヌスは、神の同一性に対して、世界の同一性は、多性、すなわち差異性のなかにある同一性であるといっている。世界それ自体というものは存在しないのである。世界は一つであるにせよ、個々のもの、個物において相違する仕方で与えられているのである。」
どうやら新田義弘の興味対象は、西田幾多郎やライプニッツにも及んでいるようですね。
その関連でクザーヌスを連れてきているのだと思われます。
神が不可知であるという点はカントなら「物自体」、ショーペンハウアーなら「意志」に通ずる見方だと思いますが、そこに自我性を見出すのは新田さんの解釈を入れてこその視点だと思います。
すみません、全然元文献に接さずに述べてるのでぜんぜん違う可能性もあります。
25
:
則天去私
:2019/05/10(金) 21:49:57
火雨さん
僕もネットで検索してみましたが、僕がクザーヌスを見かけたのは、『哲学の歴史』ではなく、他の新田さんの本(どの本かは忘れました)なので、話が噛み合ってないところがあります。
ところで、火雨さんの中で、ショーペンハウアーとクザーヌスがどう結びつくのかよくわからないところがあります。
26
:
則天去私
:2019/05/11(土) 19:54:38
新田義弘『現象学と解釈学』には、クザーヌスのパースペクティブ性が、ライプニッツに受け継がれたとか、ルネサンス絵画に影響を与えたとか、「学識ある無知」がどうとか書かれていますね。
27
:
火雨
:2019/05/13(月) 11:57:15
則天去私さん
仰るような「パースペクティブ性」とはどういったものなのでしょうか?
28
:
火雨
:2019/05/13(月) 11:58:59
ライプニッツに受け継がれたということは、「近代的自我」はライプニッツも受け継いでいるということなのでしょうか?
29
:
則天去私
:2019/05/13(月) 12:53:21
火雨さん
パースペクティブ性というのはどうも、客観的な真理がなく、限られた視点の認識に過ぎないというところらしいです。
ライプニッツが近代的自我を引き継いでいるかどうかはよくわからないです。
30
:
則天去私
:2019/05/15(水) 22:33:52
うらさきさん
ヒュームといえば、カントやフッサールに影響を与えたことで有名ですが、現代英米哲学にも、影響を与えているのでしょうか?
31
:
則天去私
:2019/05/15(水) 22:36:38
うらさきさん
ヒュームといえば、カントやフッサールに影響を与えたことで有名ですが、現代英米哲学にも、影響を与えているのでしょうか?
32
:
ウラサキ
:2019/05/16(木) 03:03:22
勿論です。
論理実証主義のマニフェストと目されているエイヤー『言語・真理・論理』の序文にも、
思想のルーツとして、ラッセルやウィトゲンシュタインと並んでヒュームの名前が挙げられています。
又、倫理学方面でも事実から当為を導けないとする「ヒューム原理」は、現代も基本と見なされている様です。
33
:
ウラサキ
:2019/05/16(木) 03:17:03
気になってウィキペディアで調べてみたら、
倫理学の方は「ヒュームの法則(Hume's law)」と呼ばれ、、
「ヒュームの原理(Hume's principle)」は数学基礎論でフレーゲに影響を与えたようです。
いずれにせよ多大なる影響力だと思います。
34
:
則天去私
:2019/05/19(日) 18:38:55
南アフリカのベネターという哲学者が、反出生主義を唱えているようですが、ショーペンハウアーは、その先駆者らしいですね。
35
:
則天去私
:2019/05/26(日) 04:36:12
最近、ジンメルのショーペンハウアーとニーチェを読んでいますが、ジンメルはショーペンハウアーの方がニーチェより優れていると考えているようです。実際、ショーペンハウアーに多くのページを割いています。それは多分、ショーペンハウアーよりもニーチェに学ぶことが多いとジンメルが考えたからだと思います。また、ショーペンハウアーとニーチェをダーウィンが橋渡ししているらしいですが、これは、ショーペンハウアーには進化の考え方がなく、ニーチェには、進化論の影響が濃厚にあると考えてよろしいのでしょうか?
36
:
則天去私
:2019/05/27(月) 20:31:26
ここ何日か、ジンメルの、ショーペンハウアーとニーチェを読んでいますが、面白くはあるのですが、難しくてよくわからないようなところがあります。ニーチェよりもショーペンハウアーに多くのページを割いているのは、ジンメルの考えでは、ショーペンハウアーの方がニーチェよりも偉大だと判断したかららしいですが、いったい、ショーペンハウアーの何がそんなに偉大なのでしょうか?
37
:
火雨
:2019/05/28(火) 17:27:45
ショーペンハウアーには進化論が引用されがちな進歩主義的な文脈は全然無いと思います。一方、ニーチェにはそれがあると思います。どちらに首肯できるかは正直その人の好みのような気がするんですよね。
今ウィリアム・ジェイムズの『宗教経験の諸相』を読んでますがその2種類が哲学的な相違ではなく、宗教経験的な相違であるということが指摘されています。僕もそうだと思います。(ジェイムズは2つを「病める魂」と「健全な心」と表現しています。)
ジンメルがショーペンハウアーを評価してるとしたら、ジンメルは「病める魂」の人だということなのではないでしょうか?
38
:
火雨
:2019/05/28(火) 17:37:39
たとえば、「病める」人には、+1を+2にすることよりも-1を0にすることに重きを置いてると思います。彼らには不幸がデフォルトで、大きな不幸を小さな不幸にしていくことが重要なのだと思われます。
なので、ショーペンハウアーが目指すところが0になるわけです。
そしてそれはベネターの考えにも近いのではないでしょうか?
逆に、「健全な」考えを持っていたら、+1を+2にすることが大切だと考えるのではないでしょうか?
39
:
火雨
:2019/05/28(火) 17:43:04
ちなみに僕のアカウント名はその2種類の存在にあやかっていたりします。笑
しかもそれら2つが1人の人間の中にもあることに非常に強い興味関心を持っています。
40
:
則天去私
:2019/05/28(火) 20:29:24
ジンメルはまた、ショーペンハウアーが芸術に対して透徹した理解を示しており、苦悩を慰め、生を肯定する側面を指摘していたにもかかわらず、それを充分展開しなかったので、彼の厭世哲学を修正するに至らなかった、と指摘しています。ショーペンハウアーは厭世哲学を展開していたにもかかわらず、自殺するに至らなかったのは、芸術で我が身を慰めていたからではないでしょうか?
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