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エトセトラ

1はじ銀:2015/10/24(土) 23:09:34
雑談的なスレが消えたので立てました。

198横山信幸:2019/10/09(水) 18:31:27
夫さん、
そうですか。今度の日曜日は、
僕がドゥルーズを面白がっている感じを何となくでもお伝えできたら良いなと思ってたのでちょっと残念ですが、気になさらず無理せずに興味のわかないときは欠席してください。
もともと誰が固定メンバーと決まってたわけでもないので、お互いいつでも、自由に、参加し欠席できる会にしていきましょう。

199夫正彦:2019/11/13(水) 11:59:41
これって、そうなのかなぁ、と思うのですが、みなさんどうですか?
日本って意外と哲学に恵まれていて、いろんな国のいろんな時代の哲学書が読める、
そういう国はめずらしい、という主旨のツイートです。
ある本で、東欧系の哲学者の思想が紹介されてて、調べたら日本語訳がなかった(英訳はあった)
という経験があるので、疑問に思うのですけど。
ttps://twitter.com/WhiteRabbit1900/status/1194010484640403456

200ウラサキ:2019/11/14(木) 04:15:17
独仏の哲学の翻訳は英語より日本語の方が充実している感があります。
『純粋理性批判』『論理哲学論考』『存在と時間』などの翻訳がこれほどあるのは日本だけでしょう。

因みに探偵小説の分野でも、日本では文庫で翻訳を普通に買えるクイーンやカーの作品が、英語版は入手しづらくなっています。

201夫正彦:2019/11/14(木) 12:01:06
いろいろ論点はあると思いますが、

1)実際に重要な哲学者の翻訳は日本が多いのか
2)そこから日本の哲学は諸外国に比べて優れていると結論してもよいのか

1)についてはそれぞれの国で人気のある哲学者ってあるでしょうから、その哲学者が別の国の人なら
翻訳も多いでしょう。ある哲学者の著作がほとんど翻訳されて手に入りやすい、というだけでは、
その哲学者がその国で人気がある、というだけしか意味しないような。もちろん、全体的に、
誰が考えても重要だと思える哲学者の著作がほとんど翻訳されていることがはっきりすれば、
確かに哲学的環境は優れていると言えます。

ヨーロッパやアメリカでは、他の国の哲学者でマイナーな著作も読む必要があるのなら、その国の
言語を習得して原書で読む、ということがあるのかもしれません。

2)は日本の哲学者とその哲学が、国際的によく知られていて、影響を受けた外国の哲学者も多い、
なら、日本の哲学は優れていると言えるでしょう。

まぁ、以前に、日本の江戸時代の識字率は当時世界一だった、みたいなことを言う人がいて、
調べてみると、江戸時代にきちんとした識字率調査はされていないし、明治になってからの調査でも
地域や男女の別でかなりの差があって、決してそういうことは言えそうにない、ということが
わかったということがあって、こういう言説にはちょっと引っかかるのです。
また、哲学をやっている人として、自分の傾向性(自国を称賛しがち)に無自覚で、こういう
言説に飛びついてしまうというのはどうなのかと、自分に対しても批判的になるべきではと
思いました。

いや、そもそもきちんとした根拠があれば(又はもっと限定した言い方なら)それはそれで、
文句をつける気はありません。

202ウラサキ:2019/11/14(木) 12:24:13
翻訳の多さと、学問のレベルとはあまり関係ないのではないでしょうか?
むしろ日本では日本語オリジナルの哲学が貧困であるがゆえの翻訳書の多さもあるかと思います。

203ウラサキ:2019/11/14(木) 12:56:59
昔(1980年代)、竹尾治一郎先生は『理想』誌のアンケートに答えて、
「いまだに日本はドイツの出版社の金持ちの植民地にすぎない」と書かれていました。

今は、大森荘蔵や野矢茂樹、永井均らが出て、状況は少しは改善の兆しが見えいっていないようですすが、
やはり言葉の壁で、まだ海外で翻訳・引用されるまではいっていないようですね。

204ウラサキ:2019/11/14(木) 12:58:45
「見えいっていないようですすが」→「見えているようですが」

205やまうち:2019/11/14(木) 19:57:39
英語圏と比べてどうかはわかりませんが、翻訳は多い気がします。
それを前提に考えると、
1)は、翻訳が多ければ多いほど有利になる気がします。
2)の優秀とは何でしょうか。人気があるとか引用が多いとかでしょうか。
「哲学において、重要とはなにか、優れているとはなにか」。
これ自体が哲学的だと思います。

206夫正彦:2019/11/16(土) 10:11:33
やまうちさん

2)についてなのですが、私が引用したツイートのRT元のツイートがそう主張してました。
「日本って哲学大国、哲学先進国なのでは等々」と主張してます。そのツイートをRTした人は
その理由は翻訳がたくさんなされているからでは、みたいな内容の主張です。
私は、優秀かどうかについてなんとも思っていないので、優秀であるかについて明確な基準を持ってません。
一般的に言えば、諸外国の現代の哲学者たちに大きな影響を与えた哲学が本邦には多い、ということでしょうか。
二つのツイートからは、我が国の哲学は優秀、我が国は諸外国の哲学の翻訳が多い、という二つの主張が
並列して存在しているだけで、翻訳が多いしたがって、我が国の哲学は優秀という流れはありませんね。
この辺りは私の理解不足でした。

翻訳は多い、という言説についてですが、これも非常にあいまいです。どういう基準で多いと言えるのか。
外国の事情と比べる場合、比較する外国の事情に通じていなければなりませんが、そういう人ってあまりいません。
もちろん、だからって、主張して悪いわけではないのですが、そう主張することの根拠があまりないことを
自覚していないんじゃないか、というのが私の感想です。みんなが言ってるからそうだと思ってる、みたいな。
これは、哲学する人は普段から、自分の主張することの根拠について高い水準で反省する習慣をつけるべきなん
じゃないでしょうか。

207やまうち:2020/01/01(水) 08:41:16
2019年に読んだ哲学書を書いておきます。
シェリング著作集4b 歴史の哲学
神話・狂気・哄笑 マルクスガブリエルほか
西田幾多郎フォービギナーズ 大澤正人
エックハルト説教集
時間は存在しない カルロ・ロヴェッリ
今年もよろしく。

208横山信幸:2020/01/02(木) 15:22:28
僕も、2019年に読みかじった哲学書(っぽいもの)を書いておきます。

フロイト「快感原則の彼岸」「あるヒステリー患者の分析の断片」
レヴィストロース「悲しき熱帯」
ソポクレス「オイディプス王」
プラトン「ソピステス」「ポリティコス」「メノン」
リクール「フロイトを読む」
クロソウスキー「ニーチェと多神教とパロディ」
フーコー「アクタイオンの散文」
メルロポンティ「見えるものと見えないもの」
檜垣立哉「ドゥルーズ解けない問いを生きる」「子供の哲学」
池田善昭「モナドロジーを読む」
野口廣「トポロジー基礎と方法」
綿野恵太「差別はいけないとみんないうけれど」
ドゥルーズ「差異と反復」

どれもあまり読み通せてなくて、つまみ食いしかできてないです。

209水素:2020/01/11(土) 03:08:21
はじ銀さんに紹介されてきました、試し書き

210横山信幸:2020/01/11(土) 07:32:34
>>209
水素さん、ようこそこんにちは

211ウラサキ:2020/01/11(土) 07:49:52
水素さん、ようこそ。
宜しければ関心分野等お書込みいただければ宜しいかと。

212ウラサキ:2020/04/29(水) 16:51:31
昨日、数十年振りに月刊誌『Newton』(6月号)を購入しました。
なんとあの科学雑誌が「哲学」特集です。
表紙には「哲学 科学を生んだ人類の思考」というなんとも好意的な惹句です。
編集後記には「実は、Newtonの歴史の中でも、哲学の大特集が掲載されるのは今月号がはじめてです。」とのこと。
で、その内容は古代(タレス)から近代(カント)の主な哲学史の学説紹介と、
現代の部分では「時間の哲学」「生命倫理」などテーマ毎に、Newtonお得意のカラーイラストで初心者向けに解説されています。
活字部分は同好会に参加されている方々には既知の事柄が殆どでしょうが、
オールカラーのイラストや哲学者の肖像写真も多く、眺めているだけでも楽しい。
書店に立ち寄られる機会があれば、一度手に取って御覧になる事をお薦めします。
価格は本体990円+税です。

213かわべ:2020/05/04(月) 23:42:33
私も、2019年に読んだ哲学っぽい本です。
ゲーム的リアリズムの誕生 東浩紀
戦闘美少女の精神分析 斎藤環
神聖喜劇 大西巨人
つげ義春全集(まんが)
エンドレスエイトの驚愕 三浦俊彦

214ウラサキ:2021/08/23(月) 19:35:41
ttps://tetsudoku-kant.peatix.com/(←頭にhを追加)
このオンライン『純粋理性批判』講義に申し込もうか迷っています。
2,500円かかりますが、序論から読んでくれるみたいですので、1回だけ参加しようかな?

215ウラサキ:2022/04/09(土) 09:48:45
現在、月曜日の20:00~22:00 オンラインで「形而上学が始まるまでを読む会」に参加させて貰ってます。
今はクワイン「規約による真理」を読んでますが、次回で読み終わり、その後は同じくクワイン「なにがあるのかについて」を読む予定です。
進め方は邦訳を1段落毎交替で音読→要約していくというもので、参加者は3〜5人です。
主催者の方に、新規参加の声かけの許可を得ましたので、もしご関心がおありなら
祥吾 坪井 <tsuboishogo98@gmail.com>
までお問い合わせ下さい。
尚、読書会の曜日・時間帯は次々回より変更する予定です。

216ウラサキ:2022/04/11(月) 05:01:04
上記読書会、4月21日からは木曜日20:00-22:00に実施する予定です。

217ウラサキ:2022/04/26(火) 12:57:59
永井均先生が、Zoom を使ったオンライン哲学講義も始められるようです。
私は(可能であれば)参加したいと思います。

ttps://note.com/dokuzai_tetsu/n/n2ab4674ba39e#cf21fa06-7bf3-481d-8d93-597897d73fa6(←冒頭にhを追加)

218ウラサキ:2022/05/11(水) 10:00:23
以下の永井人均先生からの返答に関して、理解できる方がおられたら御教示頂ければ幸いです。

以下引用です。

※ゼロ回参加の方からの質問にお答えしました

エビクロス:「〈私〉という比較できず疑いえない特異な存在」が存在するとき、「神」はどのような場所に位置づけることができますか? 永井先生の著作にもあるように、ある意味では〈私〉は「神」をも超越しているように感じています。」

永井:神が存在するとしても、〈私〉がもう一つの(それとは独立の)超越者となりますから、通常の意味での神の役割(や力)は弱まると考えられます。しかし、それでも、〈私〉の存在は無理由・無根拠ですから、〈私〉の創造者としての〈神〉という考え方は、むしろ有効なものとして残りうるとも思われます。

以上で引用終わり。

ウラサキの疑問:無理由・無根拠な存在に「創造者」を想定するのは不自然では?創造者が居れば、それが根拠や理由になるでしょうから。

219ウラサキ:2022/05/11(水) 10:12:18
私の記憶では、『私・今・そして神』について昔私がツイッターで質問した際には、
確か永井先生は「私の「神」は、超越者・全能者としての側面は持つが、「創造者」や「慈愛に満ちた」という属性は想定していない」という返答だったと思います。

220ムラタ:2022/05/11(水) 15:52:05
僕も>>218>>219を読んで、エビクロスさん(ウラサキさん?)と同じ疑問を抱きました。
【<私>の創始者としての<神>】という思考も、結局は<私>という場において行われていることなので、【<私>の創始者としての<神>】などという、<私>を超越している神概念の想定は不合理であるように思えます。
超越していると言いながら超越していないという矛盾をはらんではいないでしょうか?

221ウラサキ:2022/05/12(木) 03:56:33
ムラタさん、コメント有り難うございます。
そもそも「神」という、内包が曖昧な概念を気安く取り入れる所が近年の永井哲学の弱点だと感じます。
尚、エピクロス氏は私では無く別の質問者(=聴講者)の方です(^^;)

222ウラサキ:2022/07/02(土) 09:27:18
現在、オンラインで行っている「形而上学が始まるまで」という読書会で、
次回、7月7日(木)より、あの論理実証主義の息の根を止めたクワインの名論文「経験主義の2つのドグマ」を読みます。
毎週、木曜日20:00-22:00で、日本語訳を1段落ごと音読→要約という方式で、毎回数ページずつ読んでます。
現在、参加者が3名ほどでやや寂しいので、少しでも興味のある方は、
祥吾 坪井 <tsuboishogo98@gmail.com>
まで、お問い合せの上、お気軽に御参加下さい。
なお、テキストは、オンライン上で共有されています。


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