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エトセトラ

1はじ銀:2015/10/24(土) 23:09:34
雑談的なスレが消えたので立てました。

2はじ銀:2015/10/24(土) 23:10:19
本日(2015/10/24)武庫之荘哲学カフェに参加してきました。テーマは「言いたいことは言えるか」でした。
最初僕が事実を言い表せるか、と気持ちを言い表せるのか、という二種類にとれますね、という意見表明から始まった気がします。
ファシリテーターからどう言いたいことを伝えられるかというような意味合いの進行があり、確かに日常的な体験を重視する哲学カフェ的な進行になりました。こういう言い方すると否定的な意味合いに響きますが、僕も途中からそういう意見を述べましたが、哲学的な思考法や言語の用法で迫れる範囲には限界があると。日常的な体験を共有することで思考を進めるという形も一つとしてありうると思いました。
途中やはり事実は言語で表すことが出来るか、という一般的な哲学的問題も提示されましたが、話として長く続きませんでした。僕はそこに対して原理的に無理と表明しました。
最終的に今日の〆として言いたいこととやりたいこと、この二つは別だという話で終わりました。

この辺は僕も最近思うところです。哲学的な思考の世界と現実はやはり別であると。思考の世界は現実世界とアナロジーは構築できるがそのものではない。ここから、現実世界と対応しない=間違い、という理屈は実はそもそも成立しないということがいえるのでは、考えています、最近ですか。先日の科学の話でもありましたが、科学的な観点からは否定されるが、しかし思考の世界では成立する、そういう領域ってあるのではと。そして、意外とそういう世界は多く、先日僕が持ち出したカントの認識論も科学的感観点からは否定されるが、しかし成立するものと思っています。

我々は論証や哲学的知見から議論していますが、感覚を重視する話し合い(≠議論)も思考に刺激を受けるのだなぁと再確認した一日でした。

3ウラサキ:2015/10/25(日) 03:54:32
「感覚を重視する話し合い」というのは
毎週日曜日のNHKテレビ「短歌de胸キュン」や「俳句さく咲く!」で交わされているアレをイメージすれば宜しいでしょうか?

4イイダ:2015/10/25(日) 17:26:59
 長文失礼します。この前、ウラサキさんがおっしゃっていたことに、学際的なものはそれほど多くはない、分子遺伝学はそれがうまくいった稀有な例だ、というようなことがありましたが、シュレーディンガーの『生命とは何か』のように一流学者のなかでまた出てくれば別なのでしょうが、実際には住み分けがまだ根強くあるのと、もう一つには、おおざっぱに言って世界観の壁のようなものがあるんじゃないかということです。前回も、ミクロ経済学とマルクス経済学のことが例にあがっていましたが、文系出身者(経済学部)の立場で言わせてもらうと、法学と経済学の垣根の乗り越えというのはかなり難しいんじゃないか、と。一般に学問というのは人を説得する側面があることを強調されやすいですが、僕はそうは思いません。経済学者ハイエクの有名なエッセイに「真の個人主義と偽の個人主義」というのがあるのですが、アダム・スミスの「経済人の仮定」に関して、人間が完全に利己的ということに疑問を差し挟む声に対して、そんなことは大した問題ではない、と切り捨てている。まるでのれない奴はのってこなくていいというような言い方です。法学部出身者(全員とは言いませんが)にとってはそこが一番気になるところなのでしょう、きっと。と、大学時代の激論を思い出して書いています。
 それにハイエクに限った話ではないですが、大学者というのは大抵論点のすり替えが巧い人たちです。「意識のハードプロブレム」ではないですが、答えにくい問題からは話を逸らせて、他のところで点数を稼いでいく。自分は変な読み方ばかりしていると言われることが多いですが、書いている当人の考えと結構近いんじゃないか、と考えることも多いです(こうやって自惚れている)。それで、本当に分からないときは初期の作品にいく。そうするとまだレトリックもしっかりしておらず熟練していないから、本音の部分がかなり見えてくることも多いんですよね。
 早い話、学問というのが人を説得するものでないなら、我々素人は一つの世界観の提示くらいに受け取ればよい(ただこれは文系と理系でだいぶ差がありそう)。ただ、哲学の場合は当てはまると思います。それならば論証的に書かれたものも、皮膚感覚で書かれたものも、同じく尊重したいし、そこまで大きく違うとは思わない。話は飛躍しますが、本格推理と哲学はかなり似ている要素がある、とどこかで言った気がするけれども、本格推理の場合だって完全に理詰めで書かれたものではなく、感覚優先で書かれたものだって本格たりえる場合がある、哲学もそういうものか、とおおまかにはそういうことを考えています。

5ウラサキ:2015/10/25(日) 19:53:15
哲学は本格だけではなく、変格あり社会派あり耽美派ありで、
探偵(推理)小説そっくりだ、ってのは私の年来の持論です(*^^*)
又、書き手によっては文体に凝り、文学に近づく、って所も相似形ですね。

6はじ銀:2015/10/25(日) 22:11:29
哲学の中でも相容れないものがあるのですから、学問間での意思疎通とでもいいましょうか。よく考えたらかなり難しいものかもしれませんね。
前回の例会で出た話かもしれませんが(僕が言ったのでしょうか)原理を探求するタイプのものと、事実を積み重ねていくタイプのものと、それだけでかなり違うでしょうから。
その学問が提示してくれている知見の正確な理解はその学問に正面から取り組んでいる人に任せて、世界観、考え方、スタイル、そういうものを借用させてもらうというのはスタンスとしてありだと思いますし、哲学の世界で他学を援用する際はたいていこういう形かもですね。
論証的な書き方だろうが、感覚的な書き方であろうが、考えていることや感じていることを表明していることに変わりないのですから、そこに重さの違いがあるというのはそもそも何か違うと思います。この辺も同意です。哲学することより、考えることの方が大事だと思いますし。

7ウラサキ:2015/11/09(月) 05:03:15
今、録画した「ここまで言って委員会」視てたら、
日本は「神の国」か、ってのを議論してたんだが、
日本語の「神」に単数・複数、冠詞の区別が無いが故の混乱が見られ、
話聞いててイライラしてきた。
"Japan is a coutry of gods."
と訳せば恐らく"Japan is a polytheistic country."
という意味に取られ「その通り」ってことになる。

ただ森首相の発言は勿論そういう主旨では無く
「神道が日本の国教です」ってのを、
その場にいた神道関係者にリップサービスしたかっただけだと思う。

8はじ銀:2015/11/19(木) 22:21:01
最近は哲学云々とかどうでもよくて、自分の考えを組み上げることに勤しんでます。
これからの読書は知識人のエッセイとか色々漁りたいなぁとか思ってます。
でもWikipediaにまとまった思弁的実在論の項を読むと熱いなぁと思う。よくぞ言ってくれたみたいなことよく思いますね。思弁的唯物論とかもよいし、絶滅なんかそのまんまですやんと。
そんなこんな色々思いますね、最近。

9ウラサキ:2015/11/20(金) 04:48:59
そうです。
元々、哲学なんてどーでもイイことなんです。
探偵小説でも読むつもりで楽しめば良いと思います。

10はじ銀:2015/11/20(金) 19:12:43
哲学より、思想と思考。
そして思想・思考より、思うこと。
なんかそんな感じですかね。
まぁ、週明けにはまた違うこと言ってるかもですがw

11ウラサキ:2015/11/20(金) 21:31:22
哲学同好会は「哲学」って語は含まれていますが、
実質は何でもアリ、ってのは皆さんご存知の通りですから、
形式・ジャンルには全くこだわる事はありません。
年末の忘年会は酔っ払いのエロ話会かと思って居ります。
横山さん怒るかも知れませんが、、、(^^;)

12横山信幸:2015/11/20(金) 22:34:42
ウラサキさん、
たしかに形式ジャンルは何でもアリだとは思います。
ですが、
そこに哲学を見出していくってのが、わが同好会だと思ってます。
発表者がそこに某かの「哲学らしきもの」を感じてさえいればOKだと思います。
でも、「哲学同好会」ですから、
哲学的思索さえなくっても何でも良いってことにはならないと思うのですが。

13ウラサキ:2015/11/21(土) 05:09:21
哲学的と感じるかどうかは人によって差があるようです。
私は『ドグラマグラ』やサド侯爵の小説、サールの言語論は十分哲学的だと思いますが、
人によっては「あんなの哲学でも何でも無い」という人もいます。
一方、はじ銀さんやケンイチさんが大好きな椎名林檎は、
どこが哲学的か全く分りません。
発表者・提案者の判断に任せるしかないですね。
勿論、哲学忘年会は哲学的エロ話を考えております。

14横山信幸:2015/11/21(土) 10:37:18
>哲学忘年会は哲学的エロ話を考えております。

賛同します。「饗宴」をネタにするエロ話をウラサキさんが、哲学的に興味深いと思ってはるなら喜んで参加します。「善の研究」のときみたく「哲学的価値が薄い」と発表者にきりすてられては辛いとおもっていたので、そんなことがないなら安心です。

15はじ銀:2015/11/21(土) 16:16:21
椎名林檎は歌詞やインタビュー読まれてますか?その上で哲学的要素を全く感じないと仰るのなら、想定以上に思考や感覚の共有が難しいなぁと思います。
いつものように、ちょっかいかける的な意図でそう書かれているのならいいのですが。

16ウラサキ:2015/11/21(土) 19:56:48
頂いたCDで、歌を聞き歌詞を読みました。

インタビューは読んでいません。

紅白歌合戦も視ましたが、
「哲学」は感じませんでした。

中島美嘉や鬼束ちひろを過激にしたような演出で、
やや嫌悪感を感じました。

尚、この書き込みは本心+
敢えて挑発的にも書いています。

17はじ銀:2015/11/24(火) 23:59:30
もっと自由に「てつがく」したい!対話で哲学する東京の哲学カフェまとめ
ttp://matome.naver.jp/odai/2136167936080093501
こんなの見付けました。大阪版作ったらここ、入りますかね?w

18広瀬一隆:2015/11/25(水) 00:07:17
最近、伊藤計劃というSF作家の作品をアニメ化した「ハーモニー」という映画を見ました。
少し前に若くして亡くなった作家ですが、次々と彼の作品がアニメ化され上映されています。

以下、ネタばれです。

アニメでは、世界に暮らすほとんどの人たちの意識がコンピューターシステムで支配されています。
どうすれば幸福なのか、あるいは、自分の能力にあった仕事は何か、などがシステムによって適切に指示されます。

そうした世界を拒否する人物がいて、自殺を試みます。この人物が物語の主要な役割を果たします。
しかし自殺を完遂する直前、システムを護持する研究者たちに身柄を引き取られ、システムが支配する世界を受け入れるようにさまざまな処置を施されます。

薬物を投与された結果、その人物は自殺の願望から解放され、システムが支配する世界を受け入れるかのような振る舞いをするよう変わりました。
しかし薬物の効き目が切れた後、研究者たちがその人物に尋ねると、投与されている期間の記憶はまったく抜け落ちていました。
いわば、「ゾンビ」の状態だったのです。ただ意識はなかったけれど、「恍惚」の状態だったと答えます。

物語の最後でその人物はシステムに手を加え、世界のすべての人々が薬剤を投与された自分と同じ意識状態になるよう仕向けます。
社会は「恍惚」の状態で意識のない人たちに構成されるようになり、エンディングを迎えます。

このアニメを見終えて、仏教のいう「涅槃」とハーモニーで描かれる「意識なしの恍惚」は、同じ境地のように感じました。
すべての意識状態(色)は虚しいと断じるのが「空」の境地ならば、ハーモニーの最後と何が違うのでしょう。
もしも両者が同じならば、ハーモニーは見事に仏教思想を表現した作品だと思います。
でも、たぶん仏教の考えとは違うんでしょうね。なんとなくそう思いますが、私の理解が届きません。

19ウラサキ:2015/12/14(月) 19:46:14
12月20日(日)19:00〜21:00 哲学Bar(京都木屋町)に参加する予定です。

⇒ ttp://www.cafephilo.jp/news/news_2.html#1220_2(冒頭にhを追加)

どなたか御一緒しませんか?

20ウラサキ:2015/12/23(水) 05:16:01
哲学Bar 行ってきましたよ〜。

JJさんから教えてもらったので、来られてるかなと少し期待しましたが、
その日は不参加でした。

司会者含め4人でかなりこじんまりした会合、ってか、
まるっぽ飲み屋でのおっさんの雑談でした。
テーマは「私のライフライン」でしたが、
話は脱線しまくり、私も好き放題に放言してきました。
会場がかなり狭いバー(定員10人位)で、
しかも満席でしたので、途中で隣席の方が議論に入って来たりもしました。
焼酎ロック2杯注文(+つきだし:ベビーラーメン&あられ)でお勘定が1900円でしたので、
正直割高感はありましたが、ま、あれだけ喋れたんで良しとしましょう。

21JJ:2015/12/26(土) 12:12:50
27日 饗宴出席します。よろしくお願いします。
    愛は利己主義だ。
    利己主義は潔い。

22はじ銀:2015/12/29(火) 07:41:17
[Springerから本が色々無料DLできるようになったらしい]
ttp://togetter.com/li/917985
大半英語ですが。


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