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エトセトラ

4イイダ:2015/10/25(日) 17:26:59
 長文失礼します。この前、ウラサキさんがおっしゃっていたことに、学際的なものはそれほど多くはない、分子遺伝学はそれがうまくいった稀有な例だ、というようなことがありましたが、シュレーディンガーの『生命とは何か』のように一流学者のなかでまた出てくれば別なのでしょうが、実際には住み分けがまだ根強くあるのと、もう一つには、おおざっぱに言って世界観の壁のようなものがあるんじゃないかということです。前回も、ミクロ経済学とマルクス経済学のことが例にあがっていましたが、文系出身者(経済学部)の立場で言わせてもらうと、法学と経済学の垣根の乗り越えというのはかなり難しいんじゃないか、と。一般に学問というのは人を説得する側面があることを強調されやすいですが、僕はそうは思いません。経済学者ハイエクの有名なエッセイに「真の個人主義と偽の個人主義」というのがあるのですが、アダム・スミスの「経済人の仮定」に関して、人間が完全に利己的ということに疑問を差し挟む声に対して、そんなことは大した問題ではない、と切り捨てている。まるでのれない奴はのってこなくていいというような言い方です。法学部出身者(全員とは言いませんが)にとってはそこが一番気になるところなのでしょう、きっと。と、大学時代の激論を思い出して書いています。
 それにハイエクに限った話ではないですが、大学者というのは大抵論点のすり替えが巧い人たちです。「意識のハードプロブレム」ではないですが、答えにくい問題からは話を逸らせて、他のところで点数を稼いでいく。自分は変な読み方ばかりしていると言われることが多いですが、書いている当人の考えと結構近いんじゃないか、と考えることも多いです(こうやって自惚れている)。それで、本当に分からないときは初期の作品にいく。そうするとまだレトリックもしっかりしておらず熟練していないから、本音の部分がかなり見えてくることも多いんですよね。
 早い話、学問というのが人を説得するものでないなら、我々素人は一つの世界観の提示くらいに受け取ればよい(ただこれは文系と理系でだいぶ差がありそう)。ただ、哲学の場合は当てはまると思います。それならば論証的に書かれたものも、皮膚感覚で書かれたものも、同じく尊重したいし、そこまで大きく違うとは思わない。話は飛躍しますが、本格推理と哲学はかなり似ている要素がある、とどこかで言った気がするけれども、本格推理の場合だって完全に理詰めで書かれたものではなく、感覚優先で書かれたものだって本格たりえる場合がある、哲学もそういうものか、とおおまかにはそういうことを考えています。


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