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悟りを目指している方
71
:
TK
:2013/08/20(火) 08:27:12
ぽにょさん
>ずっと起きてから「人のためにご飯を食べる」「人のために○○する」と頭の中でいいながらやっていくと
>使っていない筋肉が疲れるような感じで、頭が痛くなったりすごく疲れたりしました。
>
>そういう時はすぐに寝てしまいます。
参考までに、悟りに至るための実践と言う事であれば、精神が擦り切れてもいいくらいの状況が必要となる。
悟りとはその状況まで自分を追い込んで、精神がおかしくなりそうな寸前に、
そうならないための最後の切り札のような形で出てくる。
それを「激流」とよぶ。
もちろん、巷にはびこる自らの誤認による悟りではなく、本当の悟りはという事だが。
私の方法は、恐らくスピ系でメジャーな方法ではない。
スピ系でよくある、ネガが出た時にはじっとして観察してと言う方法、
あれではうまく行かないだろうと思うが、本当にうまく行った者がいるのかが疑問だ。
それもあってわざと、掲示板でスピ系で悟った者がいないか呼びかけてみた。
私は津留晃一などが説明しているあの手の方法を、
塩分を全て除去したラーメンを食べさせられているような方法と呼んでいる。
つまり、来る波をどうやって乗り越えようかだけに終始していて、
自分から進んでエゴを削って行くと言う要素がないという事さ。
私の方法は釈迦、イエスの取った相対の原理だ。
「人のため」、「下から」というのは、スピ系の受け身オンリーのような手段ではなく、
相対の原理での能動的な方法だ。
スピ系の方法に比べたら、釈迦とイエスはやはり歴史に残る天才と言うしかない。
ま、至る前の君に言っても分からない事だがね。
折角だからこの場で簡単に説明しておく。
エゴを減らして行ってやがて辿り着くのが悟りと言う状態だ。
ただ、この悟りと言う状態は目指したら絶対に辿りつく事が出来ないと言う特性を持つ。
だからこそ、悟るんだ悟るんだと目指すことは後回し、すなわちそのような概念を一切捨てて、
「人のため」を優先する。
実はこれが、ダイレクトに悟るための理論だ。
悟りと言うのは自分と言う捉え方を捨てたところにある。
ただ単に自分を捨てろと言われて捨てられるものでは無い、
その捨てるための手段が「人のため」だ。
行為と言うものは「人のため」の行為と「自分のため」の行為の相対の関係で成り立っている。
「人のため」の行為を選択し、「自分のため」の行為を選択しないことで、
これそのものが相対の原理の上での自分を捨てるための手段なのだ。
さらにエゴの行為にはエゴを減らす作用の「善玉エゴ」とエゴを増やす作用の「悪玉エゴ」の2種類があり、
「人のため」はエゴを減らす作用の善玉エゴ、「自分のため」はエゴを増やす作用の悪玉エゴと言う関係になる。
もとスピ系の商売人さん、これくらいの事が分からなければ、エゴの理論(苦から抜ける方法)は展開できないんだよ。
つまり、自ら悟ってもいない盲人は、盲人の手引きなどできないという事だ。
>これから新しくお仕事を探して就職するつもりです。
>運気が下がっていて何をするのも怖かったのですが、そうじゃない、動こう、と決めました。
仕事の環境は実践に向く。
自分に自由な時間を与えない事が良い、つまり、仕事に「拘束」されて自分の好き勝手にできない環境が適しているという事だ。
特に好調期より不調期の方が実践には適している事になる。
あと一度就いた仕事は「嫌だと言う理由では辞めない」と言う覚悟を固めなければならない。
そこには嫌がらせをする人がいるかもしれないし、他にどんなことがあるかもしれないが、
嫌だと言う理由に従って辞めるなどの行動を起こしたら、その時は敗北したことを意味している。
つまり、逃げて他に行ってもクリアーするまでは何度も何度も形を変えて嫌だと思う事が自分の前に現れる。
カルマの定めと捉えて、逃げずに耐えてやり過ごす、それを通してメンタルも急激に変革が進む。
自分を変えずに逃げても、いつまでも同じ世界だが、逃げずに耐えてしのげばそれを通して自分の変革は進み、
同じ環境でもそれは違う環境に変化している、すなわち自分が変われば周りは変わるが自分が変わらなければ、
いくら周りを変えようとしても実質同じなんだ。
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