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【ひとりごと板】

1トキ:2012/07/26(木) 11:42:30
例えば、聖典板で感動しても、聖典以外の事は書き込みに躊躇します。
そんな時に感想を書けたり、自分の書き込みたい板で会話が盛り上がっていて
割り込みはしたくないけど、他は板の趣旨に合わないから書けないなぁという時に
ボソッと独り言を書き込める板です。

基本的に会話禁止で、いちいち「割り込み」を意識しないで書ける板です。

長文で思いの丈を吐いたり、短文でボソッと他板や他掲示板に突っ込みを入れたり
そういう自由にひとりごとを呟ける板としてお使い下さい。

2147志恩:2013/01/27(日) 23:33:07
SAKURA様

私は、ここの掲示板が立ち上がった当初は「木綿豆腐」、今は、ここ本島でも、光明掲示板でも
「志恩」の名のみ1本で入っており、「神の子」でも、他の名でも、入ったことはありません。

但し、別板へは、ヒポポタマスとか、おから2 とか、その他で、はいったことは、
ありますけれど、その場合は、必ず、「おから2=志恩」 というように、正直に書き入れております。

昔の事を話す時と、今のことを話す時と、あります。

元本部職員は昔、今は末端信者。
家族構成についても、未婚のときと結婚後では、変わりました。
私の場合は、全部、事実を話しております。体験談のことも、父のことも全部、事実を話しております。

私の場合は、過去を詳しく話しており、私がだれだか、昔の友人や知人が、この掲示板を見ていらしたら、
分ると思いますので、私の場合は、
嘘は書けないのです。耳の話も事実ですよ。

それを、あなたが信用されなくとも、それは、仕方のないことです。
実際にお会いして話しているのでは、ありませんからね。

2148志恩:2013/01/28(月) 00:09:19
初心者様

もう帰られたんですか?

初心者様は、(そうであるなしにかかわらず)話題の大物のお方です。
出ていらしたら、そりゃ、スポットライト浴びて、大騒ぎされますよ。

初心者様のお言葉

>>「さくらちゃんと話をしたい。これだけです。
 (略)
生長の家でないものがなんでここに来てるのか。なんどこのことを聞かれたで
しょう。答えはあきらか。さくらちゃんと話したいから。
 (略)
はっきり言う。ほかの人は相手にしません。負けるの、いやだし。これからは、
さくらちゃんとだけシッポリよ。」<<

なのに、初心者様が、
こんなふうに言ってしまったら、さくらちゃん以外の、例えば、役行者さまだって、
コメントしづらくなるじゃないですか。

掲示板に出ていらした以上は、二人だけの会話は、なりたたないと思います。

2149ひとりごと:2013/01/28(月) 09:19:15
どうして急に「あたし」などと呼ばれるようになったのでしょう。
睡眠不足で混ざっちゃった?
健康には気を付けてくださいませ。

2150神の子様:2013/01/28(月) 09:30:04
どうして急に「あたし」などと呼ばれるようになったのでしょう。??

一人二役で、多分さくらの表現として「あたし」と使っていたのではないですか?

今回のバレバレを指摘され、相当にご立腹あそばされ、その区別がつかなくなり、初心者の表現に使ってしまったのではありませんか。

2151ひとりごと:2013/01/28(月) 09:32:43
そうですよね。
書き込み時間を見ると0時ぐらいだったから睡眠不足だったのでしょう。
バレバレのボロボロですね(笑)

2152トンチンカン:2013/01/28(月) 09:45:44
初心者さんの 素顔 見えたり!!


>>2144 名前:初心者 投稿日: 2013/01/27(日) 22:45:47
なぬ、なぬ、なぬ〜、さくらちゃん、やめちゃうの。
あたしはどうなんのよ。まあしかし、なに書いたって、内容についての反応は皆無だ。身元詮索やらあらさがしやら、こんなことばっかりだもんね。

あたしもやめるしかなかろう。最後の置き土産に、ロゴス中心主義について書いてやるぜ。

まず定義。とりあえず、言葉には意味があるとする思い込み、これを定義ということにしておく。<<




『最後の置き土産に、ロゴス中心主義について書いてやるぜ』、、これがマサノブ総裁とも推測されている 初心者さんの 発言 であります。


ここに <宗教家としての品格> を感じることができますでしょうか?

“ガキが喚(わめ)いている”、、としか受け取れないじゃありませんか?

これが、初心者さんの 素顔 なのであります。

周囲の人達への <気遣い> がありますか? まったくの <自分勝手> 丸出しですね、、、?

2153初心者:2013/01/28(月) 11:01:19
さくらちゃんが休養宣言したので、ほかの人と話すしかなさそうだ。でも、話す
相手は限定する。相手の揚げ足とりやあらさがしに生きがいを見いだしている
ような人とは話をしない。それと、あたしを総裁であるといった態度で書いて
くる相手とも話はしない。総裁でないということを証明するのは、事実上、困難で
あるからだ。

ところで訊け様、これを読んでおられますでしょうか。とりあえず、訊け様に話し
たいことがあります。

まずですね、生長の家は大衆宗教なのかということですが、どうなのでしょう。
わたしは、生長の家は大衆宗教であるととらえています。

大衆とは何か、これが問題です。吉本隆明は大衆を「知識の過程に少しも入って
こない人たち」と、このように述べているようです。これを大衆の定義とすると、
大衆宗教とは「知を否定する宗教」と定義することができるとおもいます。

たとえばキリスト教は、大衆宗教となるべく三位一体を採用したということです。
ものごとを単純化して知識の過程に入り込まないようにした、ということですね。

その当時のキリスト教はそれほど広くは普及していなかったといわれていますが、
三位一体を採用して教義を単純化した結果、他の宗教を駆逐して大宗教へと発展
する道筋を開くことになったといわれているようです。そのあとどうなったかは、
ご存じのとおりです。

大衆宗教は知を否定することで発展する。こういうことではないでしょうか。では
もし、知を否定することで成り立っている大衆宗教に、知を売りものにしていると
みなされてしまう指導者があらわれたとき、どのような事態が起こると予想される
でしょう。いうまでもなく、その指導者の存在は大多数によって否定されるという
ことです(人間知、唯物論、二元論という言葉をもちいさえすれば簡単に否定でき
てしまうという仕組みがすでにできあがっています)。

訊け様は、雅春先生が和解せよといっておられるのだから和解しかない、といって
おられますが、これはできぬ相談なのではないでしょう。知を否定することで成り
立っている大衆宗教が知と和解する。これは大衆宗教にしてみれば自己否定以外
のなにものでもない、ということになりはしないでしょうか。

2154「訊け」管理人:2013/01/28(月) 11:20:09

>>初心者さま


 私もあまり、女以外とは話ししたくない「訊け」管理人です。・・・(中略)・・・あっ、ここで言う「女」ってのは、まあ、真性の女性を指す次第であり・・・(中略)・・・さっそく本題へ。ちなみに現在、お客さんから電話待ちです。時間が空いてますが電話が来れば、レスに時間を取られるかもしれません。


<生長の家は「大衆宗教」か>

 貴殿ご定義の線に従えば生長の家は、大衆宗教では「ない」と思います。論拠を挙げます。さて、貴殿は大衆宗教をこのように、ご定義です。曰く ―― 吉本隆明は大衆を「知識の過程に少しも入ってこない人たち」と述べている ―― この定義からはたぶん、生長の家は外れると考えます。

 雅春先生の凄みのひとつは、その「方便力」だと思います。「知」(=人間知恵)をきちんと駆使されながら実相の世界を描写なさいました。そこには「知の否定は認められない」とも考える次第です。


<・・・・ところが>

 ・・・・別の切り口からも、考察します。ええ、「じゃあ信徒側はどうだったの」という観点です。「開祖はそうだったかもしれぬが信徒側、これは?」と問われたならば、私見では「△」になるのかもしれません。ええ、信徒側の行動を見れば少々、この吉本隆明氏ご指摘の面も否定できぬのではないでしょうか。(憶測ですが)

 ・・・・余談ながら「とは申せ」な面もあります。掲示板で付き合いのある信徒さま方はこの「知識」「知恵」ですが、「否定はしてない」んです。ガンガンにご自身の知識を披露されておられますから、そう言えます。ケド、「反論に窮した場合は否定してくる」といった面は、ありますよね。
 返答に窮された際に、「それは人間知恵の所産」てな断言で、逃げていかれるシーンはございます。ですんで状況は、複雑ですかね。


<まとめると・・・・>

 この、生長の家は「大衆宗教か否か」に関してですが、私見は、

○開祖側から見れば「そう言えない」
○信徒側行動から見れば「そう言える面もある」

 に、なりましょうか・・・・・

2155神の子様:2013/01/28(月) 11:35:27
さくらさんが休養?
今朝どこがで見かけましたよ

2156神の子様:2013/01/28(月) 11:36:44
有言不実行の有名人がお出ましか

2157神の子様:2013/01/28(月) 11:38:07
ローストチキンの処理に来られましたね

2158「訊け」管理人:2013/01/28(月) 11:42:22


 がんばろう、その「ハラスメント」





追伸

 大丈夫大丈夫。もう本島もそのうち、「誰もいなくなり」ますからね(笑)。
 もう、光明掲示板みたいなノが、もうひとつ増えます。もうデマですが、流し放題という
そんな掲示板が・・・・・皆さんの努力がようやく、報われたのでは?

2159初心者:2013/01/28(月) 12:50:03
訊け様

ご返信ありがとうございます。あとひとつ、原理主義についてのある見方を
述べておくことにいたします。やりとりはそのあとで。

原理主義の原因はさまざまでありましょうけども、そのなかのひとつに、ある集団
の外部から問いかけがあって、その問いかけに一定のもっともらしさがあるにも
かかわらず、集団が問いかけに答えられないとき、その集団のなかで原理主義が
はびこる可能性があるということです。

イスラム社会を例にとれば、外部とは近代社会ですね。外部である近代社会は、
みずからの論理にしたがい、イスラム社会に「近代に乗り遅れた社会」という
レッテルを貼ります。こうしたレッテル貼りは、外部にとってはもっともらしい判断
と考えられているはずです。

これを一種の問いかけとみなします。イスラム社会からすれば、こうした問いかけ
にもっともらしさはありません。みずからの論理で対抗するだけです。イスラムの
教えという思想的背景があって近代化を否定している、という論理による対抗ですね。

こうした論理は、内部では通用しますが、外部には通用しません。しかもやっかいな
ことに、内部であるイスラム社会は、自分たちの論理が外部には通用しないという
ことを知っているわけです。自分たちにはもっともらしくなくても、外部にとって、
その問いかけには一定のもっともらしさがあるということを知っているわけです。

ここでもしも、論理が通用しない外部との交流が苦痛であれば、論理が通用する
内部に閉じこもり、内輪の集団だけでものごとを考えるようになります。閉じこも
り方によっては、原理主義がはびこる可能性がでてくる、ということですね。

以上のようなことを生長の家にあてはめると、どういうことが考えられるであり
ましょうか。外部からはさまざまな問いかけが可能です。たとえば、生長の家は
マルチバースをどのようにとらえているのか、といった問いかけです。

かりに、こうした問いかけに答えることができないということにいたしましょう。
この場合、内部の論理にしたがい、「人間知」のひとことで問題は解決します。
しかしここでもやっかいなことに、「人間知」という言葉による否定は、内部に
しか通用しない論理であるということなのです。しかも内部にいる人々は、
こうした論理が外部に通用しないことを知っているということです。外部は「なん
だ、答えられないじゃないか」と判断することを知っているということなのです。

外部からの問いかけに答えられず、しかもそのことで、外部が自分たちのことを
どのようにおもっているかがわかれば、外部との交流は苦痛になるということで
す。ぎゃくに、内部に閉じこもり、内輪の論理で外部を否定するというのは楽で快適
ですから、こうした方向へどうしても流れていきやすいということが起きてくる
はずです。

外部からの問いかけに答えられないという事態がつづけば、内部への閉じこもりは
ますます加速されます。その結果、生長の家で原理主義がはびこりはじめているの
かどうか、それは私にはわかりかねますが、いずれにしても、内部では、和解とは逆
向きのベクトルが作用しているとみなすべきであると考えます。

雅春先生がこのようにいっておられるのだから和解せよ。はたしてこうした言い方
が正しいといえるのでしょうか。もっと大きなダイナミズムでこの問題をとらえて
いく必要があるのではないかと考える次第です。

2160読者:2013/01/28(月) 13:43:54
[総裁のオバマの評価]

 政治は、“理想論”だけではうまく進まないものである。しかし、利害関係が錯綜する混沌の中にあっても、政治のトップが“理想論”を唱え続けるところから、国は1つの方向に動いていくのだと思う。そういう意味で、私はオバマ氏の2期目の環境対策に静かな期待を寄せるのである。

[総裁の安倍首相の評価]

 ご存じのように、多くの政治家は票を得るためには、人気が出そうなことを何でも言う。夢のあること、美しいこと、耳に快いこと、情緒をかきたてること……を恥ずかしげもなく連呼する。私はそれを聞くたびに、日本国民として悲しい。私たち国民は、政治家からそれほどバカにされているのか、と悔しく思う。なぜなら、そういう候補者は、美辞麗句を並べたてることで自分が当選すると考えているからだ。つまり、彼らは国民を「衆愚」だと思っているのだ。

2161初心者:2013/01/28(月) 15:11:03
訊け様

訊け様はいつも、「雅春先生は和解しか語っておられない」と、たしか述べて
おられますね。本流も雅春先生の弟子ですから、このことはおそらく知って
います。知っていながら和解できない。こういうことですね。

和解を困難にしている何かがあると考えるしかないですね。何かの力によって
そうさせられていると考えるしかないですね。つまり、なんらかのメカニズムが
働いているということです。

本流の反論は「雅春先生は虚説とは和解してはならないといっておられる」と
いうものですが、これはウソの理由ですね。「虚説とは何か」と尋ねられても
まともに答えられないのは、それがウソの理由づけであるためです。

ほんとうの理由は、なんらかの心理的メカニズムによってそうさせられている
ということです。おそらくこれは間違いのないことでしょう。ですから、このメカ
ニズムを解消しないかぎり、和解派がのぞむ形での事態の進展はありえない
のではないか、ということを訊け様にも了解していただきたいとおもうわけです。

「雅春先生はこういっておられる」といくらくり返し訴えても、相手を苛立たせる
だけの効果しかない。このことを了解していただくしかないと考えますが、訊け様
はいかがお考えでありましょうか。

2162「訊け」管理人:2013/01/28(月) 17:54:16

>>2161初心者さま


 いや本当に、あれってどんな心理なんでしょうかね。もう私、全然理解できないのですよ。貴殿にご解説願いたいくらいですが、ダメですかね。


>> 「雅春先生は和解しか語っておられない」と、たしか述べて
おられますね。本流も雅春先生の弟子ですから、このことはおそらく知って
います。知っていながら和解できない。こういうことですね。 <<


 そうなんですよね。知っていながら「できない」・・・・・これ、いったい何なんでしょうかね。

>> ほんとうの理由は、なんらかの心理的メカニズムによってそうさせられている
ということです。おそらくこれは間違いのないことでしょう。ですから、このメカ
ニズムを解消しないかぎり、和解派がのぞむ形での事態の進展はありえない
のではないか、ということを訊け様にも了解していただきたいとおもうわけです。<<

 どんなメカニズムなのか ―― ざっくりした仮説を披露すれば、まあ、キーワードは「とにかく批判したいのよ」になりましょうか。もう、批判することが、生き甲斐になって仕舞っているようにしか、見えぬのですよね。「なんと幼稚な総括か」、そういう方もおられましょう。先手打ちますけども「いや、それでも、そうとしか言えないんじゃ」と云うのがここ、一年半のやり取り結果ですかね。もうこの「とにかく批判したいのよ」こそが、率直な感想てヤツです。・・・・


 ・・・・この件に関し少し「総裁案外まとも論」を例に、話をします。

 いや普通、普通ですよ?普通、私があんなこと書いたら(「総裁は案外まとも」系の一連の投稿ですね)反応って、以下ふたつ以外ありえないと思うのです。いや、「真に本流復活」を願う方ならば反応は、

1)素直に喜ぶ。「ああ案外、総裁って御教えから外れてないんだ」となる。
2)訊けが言っていることは本当か?と調査する。(自分で調べて後「喜ぶ」かまたは、「訊けへ問い合わせ」をする)

 ・・・・どうでしょうか。でもこんな反応、まったくのゼロでございました。

 総裁が案外まともかもという話 ―― 案外「本流って復活してんじゃ?」な話 ――だったにも関わらず、なーーーぜかガッカリな雰囲気が掲示板を、覆っておりました。これ、本当に不思議な反応でしたかね。

 ですんで彼等のメカニズムですけども、これは ―― ざっくりした仮説を披露すれば、まあ、キーワードは「とにかく批判したいのよ」になりましょうか。もう、批判することが、生き甲斐になって仕舞っているようにしか、見えぬのですよね。いや普通、あんな文章掲載したら反応は、上記ふたつ以外に有り得ないと思うのです(本当に「本流復活」を願う方ならば)。でも、それがなかった。むしろ、ガッカリムードになった。「総裁がマトモだったら、困るんですかね?」というのが現在の、まあ、率直な感想なんですよね。

 いやくどいですけども、あれら運動って「とにかく批判したいのよ」という類の、そんなものなのではないでしょうか。(ああまた、怒られるわw)




2163神の子様:2013/01/28(月) 19:49:21
訊け様

総裁にたいする批判は、気楽にたのしくなされているものではないはずです。雅春
先生の教えに反しているのは明白なのですから。

意識せずとも、あそこまでやれば罪悪感はあるでしょう。それでもやってしまえる
のは、精神的に追い込まれたうえでのやむにやまれぬ反応だからかもしれません
(判断は保留します)。「教えを護れ」とことさらに強調するのは、罪悪感から逃れる
ための自分への言い聞かせのひとつであるという気がしなくもありません。

追い込まれるメカニズムについては、「原理主義がはびこるメカニズム」として
一例を紹介いたしましたが、あれですべてというわけにはまいりませんので、和解
を模索しようというのであれば、考えうるメカニズムを可能なかぎり想定してみる
必要があるのではないかと考えます。

それと、批判の根拠として、雅春先生と現総裁の国家観のちがいということが
いわれているようですが、そうであれば、現総裁の国家観をまずは俎上にのせ
て、それを批判するしかないということになるはずです。それをせずに、揚げ足
とりや人格批判に終始しているとすれば、国家観のちがいが批判の原因ではない
と考えるよりほかはないということになります。

訊け様がおっしゃっておられるように、批判する側が、なにがなんでも批判せずに
はおれないといった心理状態にあるのはたしかでしょう。どんな些細なことでも
いいから表沙汰にして批判したい。こうした衝動にかられているのは間違いないで
しょう。それはどうしても抑えることのできない衝動であるということですね。

なにがそうさせているのでしょう。専門家ではないのではっきりしたことは申せま
せんが、脳内のA10神経が関与しているということだけは間違いないというのが、
ド素人の勝手な予想です。

2164初心者:2013/01/28(月) 19:50:21
2163の投稿は初心者です。

2165役行者:2013/01/28(月) 20:03:46
初心者さま
 訊けさあ

 今日は投稿している時間がないのでとりあえず・・・

>>
外部からの問いかけに答えられないという事態がつづけば、内部への閉じこもりは
ますます加速されます。その結果、生長の家で原理主義がはびこりはじめているの
かどうか、それは私にはわかりかねますが、いずれにしても、内部では、和解とは逆
向きのベクトルが作用しているとみなすべきであると考えます。

雅春先生がこのようにいっておられるのだから和解せよ。はたしてこうした言い方
が正しいといえるのでしょうか。もっと大きなダイナミズムでこの問題をとらえて
いく必要があるのではないかと考える次第です。 <<

 初心者さまは外部の人間ですよね。
 ですから、広義の上での生長の家が外部に耳を傾けないことに憂いているのでしょう。

 教団側も、本流側も、広い意味で云えば内部の人間でしょう。

 双方とも、外部に耳を傾けない性質を持っているということでしょう。

 つまり、双方、何らかの方法で外部との接触を深めてゆくこと、そのなか、
双方の間にある亀裂が緩衝されてゆくということと解釈しました。


 >>なんらかの心理的メカニズムによってそうさせられている
ということです。<<

 そうさせられている!というのは、双方争いをさせられている...
ということでしょう。
 
 
 その心のメカニズムを溶かしてゆくには、外からのアプローチということになるのでしょう。

 きけさあ、お久しぶりです。
 本流側は批判することによって、生長の家の正当性を訴え、
生長の家そのものを奪還したいと考えていると思います。
 その思いあまって、揚げ足的なことでも顧みず批判してしまうのでしょう。
 しかし、これは生長の家世論には逆効果になってしまうのです。
 正々堂々と、たとえば、初心者さまが云われるよう、大切なキーワード
「国家観」を俎上にのせて、話し合うとかされた方がいいかもしれません。
 

 奪還しようとしている本流側も、受け身の教団側も双方、内部、生長の家の
人たちです。
 このまま続けていけば双方共倒れです。何らかの方法で、外からの空気をいれる。
 そして、同じテーブルで話し合う、そのことが必要なのかもしれません。
 最初に必要なのは「何らかの方法」でしょう、確かに...

2166初心者:2013/01/28(月) 20:50:30
役行者様

>初心者さまは外部の人間ですよね。
 ですから、広義の上での生長の家が外部に耳を傾けないことに憂いているのでしょう。
 教団側も、本流側も、広い意味で云えば内部の人間でしょう。
 双方とも、外部に耳を傾けない性質を持っているということでしょう。
 つまり、双方、何らかの方法で外部との接触を深めてゆくこと、そのなか、
双方の間にある亀裂が緩衝されてゆくということと解釈しました。

生長の家の信徒の一部には、世間の人々を、真理を知らず人間知でしかものを
考えられない愚かな迷い人、とことさらに見下そうとする人々がいますね。自分は
真理を知った特別な人間であるとのおもいが、そうした人々のなかにあるのはたし
かだろうとおもいます。

真理を知った特別な人間は、真理を知らない迷い人たちと対等に話す必要は
ない。まるでこのように考えているかのような信徒が少なからずいるようです。

総裁もわたしも、彼らからすれば真理を知らない迷い人です。迷い人は、自分たち
の話を聞くだけの存在であり、自分たちは迷い人の話を聞く必要のない存在で
あるとの思い込みが、彼らにはあるとおもわれます。役行者様がおっしゃっておら
れるように、こうした思い込みがいまある事態と深く関係しているのは間違いない
と考えます。真理を知らない迷い人が、真理を知った自分たちに説教しようとする
態度が、彼らにはきっと我慢がならないものとして映るのでありましょう。

総裁の国家観、本流はどこまで批判できるのでしょうか。彼らが本気なら、とことん
やってくれるでしょう。

2167神の子様:2013/01/28(月) 22:16:21

初心者様のお話、今日はよく解ります。たとえ敵対する別の立場であり、意見が違ってもそのいわんとすることを理解しようとする姿勢は大事ですよね。

自分が無知であることを知らず、勝手な思い込みで相手の思いも聞かず、上から目線で悪口を垂れ流すようなことはやめようとつくづく思います。

他人の振りみて我が振りなおせです。

2168トキ:2013/01/28(月) 22:25:54
 人間の価値は、等価値であり、生長の家を信仰していようが、していまいが、全て尊いというのが
生長の家の価値観のはずです。しかし、信仰者である事、それを何か特別の存在であるようなとらえ
方をする傾向はあるかもしれません。気をつけないといけませんね。自戒です。

2169志恩:2013/01/29(火) 06:25:17
トキ様

生長の家教団は、お酒 禁止令 を出したと、光明掲示板に載ってますが、
本当でしょうか?

訊け君、お酒は、ご法度になった。

雅宣総裁を支持されるならば、今後は キャバクラ行きも ご法度であるぞ。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1129

2170「訊け」管理人:2013/01/29(火) 09:16:16


>>初心者さま


 ご丁寧な返信を、ありがとうございます。いやホント、「そうですわ!」てな感じで一度、返信文を作成しました。ところが・・・・・すごい内容になりまして、投稿を止めた次第です。いやなんか、「ああ、こんな文章を掲載したら本流派、うつ病になる人が3名は出るわ」な懸念が生じまして、・・・(中略)・・・で、さっそく本題へ。簡潔ヴァージョンにてお贈りします。テーマは二点になりましょうか。(テーマってほどでもないですが)


<一点目>

>>総裁もわたしも、彼らからすれば真理を知らない迷い人です。迷い人は、自分たち
の話を聞くだけの存在であり、自分たちは迷い人の話を聞く必要のない存在で
あるとの思い込みが、彼らにはあるとおもわれます。<<


 ・・・・ここが本流派、行動が矛盾しています。掲示板設立の趣旨と実際行動が、合致してないんですよね。

 ・・・・・なんでもあの掲示板は、洗脳された迷える信徒(^^)を、感化啓蒙する趣旨があったハズです。ですが実際、そんな人が登場すると粛清されます(^^)。もういったい、連日なにをされておられるんでしょうか。

 少し話が変りますが、返答に窮された際の本流派も、おもしろい行動に出ます。彼等はこの際、レッテル貼りをしてきます。
 返答に窮されると相手を、たとえば「総裁擁護派」とレッテル貼りします。そして恰も、「擁護派には返答義務がない」かのような行動を、採られますよね。(そして後方へ「前進」して行かれます・・・逃げたワケじゃないそうですw)もうこの辺の行動が、実にワカラナイのですよね。

 まとめますと、「迷える信徒」と認定されれば返答義務は「ない」かのような行動を採用します。ですが一方て「迷える信徒のために、我々は情報発信している!」と繰返されます。いやこれ、いったいどんな商売のマーケティングなんでしょうか(^^)。


<二点目>


>>雅春先生と現総裁の国家観のちがいということが
いわれているようですが、そうであれば、現総裁の国家観をまずは俎上にのせ
て、それを批判するしかないということになるはずです。それをせずに、揚げ足
とりや人格批判に終始しているとすれば、国家観のちがいが批判の原因ではない
と考えるよりほかはないということになります。<<



 ・・・・そうなんです。これをやらねば、ならぬハズなんです。ところが・・・・

 もうまったく、話にならないのです。もうまったく話が「具体化」した例が、ありません。これを早急に開始するべきですよね。

>>総裁の国家観、本流はどこまで批判できるのでしょうか。彼らが本気なら、とことん
やってくれるでしょう。<<

 本当にそうです。彼等がいったい、「どの程度までホンキなのか」を、見たいものです。でも、まあたぶん、「ムリ」です。彼等は総裁の国家観のみならず、雅春先生のそれにも「関心がない」からです(!)。
 決め付け発言でしょうか?そう思われる方はぜひ、堂々とご登場ください。当方も堂々と、お受け致します。





2171トキ:2013/01/29(火) 09:31:36
>>2169

志恩 様

 御質問、ありがとうございました。

>>生長の家教団は、お酒 禁止令 を出したと、光明掲示板に載ってますが、
>>本当でしょうか?

 そういう事実はありません。ですから、訊け管理人様は安心して、キャバクラに行って下さい。(笑)

合掌 ありがとうございます

2172読者:2013/01/29(火) 10:00:10
>批判の根拠として、雅春先生と現総裁の国家観のちがいということが
いわれているようですが、そうであれば、現総裁の国家観をまずは俎上にのせ
て、それを批判するしかないということになるはずです。それをせずに、揚げ足
とりや人格批判に終始しているとすれば、国家観のちがいが批判の原因ではない
と考えるよりほかはないということになります

雅春先生(日本)の国家観は「国家」そのものが「生命体」であるという見方だと思います。
この真理は神想観の行により直感的には把握されたものですから、議論より破壊も構築もされません。
雅宣先生の解体されようとしている国家は「契約国家」ですが、日本にはその歴史上「契約国家」は存在しません。
天皇という地位も他の国の王族とは違い人民との「契約」で発生したものではなく、宇宙の真理により当たり前に自然にこの世に存在するのです。

2173志恩:2013/01/29(火) 10:03:49
訊け君

お酒 禁止例は 出ていないそうです、よかったですね。
あなたは、これからも あなたの好きな キャバクラへ胸を張って行けます。

2174読者:2013/01/29(火) 10:56:58
2172に追加

 結局それは直感的に「悟る」しかないのだと思います。

2175トキ:2013/01/29(火) 11:14:39
>>2173

 いえいえ。本流光明掲示板に書いてある事には、一部、信用できない投稿もあります。
もちろん、私が組織内の全ての情報を把握しているのではないですが、確認をする手段は
本流復活派の人達よりも多いと思います。

 確認できる事はしますから、お尋ね下さい。

合掌 ありがとうございます

2176読者:2013/01/29(火) 11:15:36
直感的に「真理」を悟らないAが間違ったことを言っている。

直感的に悟ったBが正しい「真理」を言う。

Aは「理屈を述べよ」という。

Bは「理屈じゃない」という。

Aは『そんなの「原理主義」だ』とか『「自由」がない』とかいう

 そんな状況です。

「1+1=2」だよね。といわれて「はい、そうです」と納得できる人は、算数の世界における本当の「自由」を獲得し満喫できるわけです。
「1+1=2」だよね。といわれて「いや、3かもしれないよ。そう考えることが人間の「自由」だ。1+1=2を信じるなんて原理主義だ」なんて言い始めると算数における本当の「自由」は獲得されないのです。一人で迷うことはそれこそ本人の「自由」です。(偽物の自由ですが雅宣先生はそれを「自由」だと言っています。) しかし人を本当の「自由」に導く立場にいる方が、「偽物の自由」に縛られててはいけません。それゆえ雅宣先生は批判されるのでしょう。

2177ニュー信徒1:2013/01/29(火) 12:18:12
訊け管理人様
初心者様

わたしが証拠です。
一生懸命今の教えを勉強しました。

生長の家の国家観、全然知りませんでした。
もやもやしてよくわかりませんでした。
光明掲示板をのぞくまで。

2178「訊け」管理人:2013/01/29(火) 12:48:47


>>2176読者さま


 どうですかねえ・・・そのご解説には2点の「ダウト」を、表明致します。現総裁ですが、案外まともに作業を行っておられますよ。それが一点目のダウトです。

 どんな作業か?それを説明しますが『歴史から何を学ぶのか』という本がございますよね。総裁監修のご本です。ちなみに今回、「大東亜戦争」ブログ記事作成の際にも参考にしたのですが、知的手順を経てある程度、公正に結論づけておられます。

(参考資料)○大東亜戦争 ――その「誇るべき点」「恥ずるべき点」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65713586.html

・・・・二点目の「ダウト」は貴殿、以下のご発言です。

>>結局それは直感的に「悟る」しかないのだと思います。<<

 
 この点は「たしかにそうです」と言えます。ですが、谷口雅春先生に関するご議論に於いては、間違いではないでしょうか。
 なぜと申して雅春先生の偉大な点とは、その「御文章力」だと思うからです。

 従来宗教が口伝や悟りなど、まあ、言語化できずにいた領域を御文章化されたのが、谷口雅春先生です。でその、>>結局それは直感的に「悟る」しかないのだと思います。<<ご発言ですがこれが、「議論にならない理由」として挙げられたならば、クエスチョンマークが灯ると思います。

 ・・・・・雅春先生のお考えは全て、(註:ここは敢えて「全て」と表しますが)御文章になっております。ですので議論になると、考える次第です。


追伸

 議論が錯綜するとするならばそれは、たぶん「現総裁の国家観」に関してです。この国家観ですが、具体的な指摘が、一向に現われないわけです。本流派はいったい、現総裁国家観の「どこが不満なの?」という点が、瞭然としていないのです。

 先ずはここを、議論の俎上にするべきと考えます。(言うまでもない話ですが、雅春先生のソレと「比較」して行けばよいのです。さらに以下も言うまでもないことですが、雅春先生のソレならば、呼び捨てブログに多数収録してあります。すぐに結論が出ることでしょう。現総裁の国家観ですが、御教えと照らして「◎」なのか「×」なのか・・・・)

2179「訊け」管理人:2013/01/29(火) 12:56:20


>>2171トキ理事長


 「またデマかよ」とか、言うわけではないんですが、まあ・・・(中略)・・・大丈夫ですか、あの掲示板は。



追伸


 そもそも、総裁の擁護派で〝ない〟のみならず、部外者に過ぎぬ身の私です。
キャバクラ通いは教団通達、縛られないのであります(笑)。

2180読者:2013/01/29(火) 14:33:39
>2178

ご指摘がいまいちはっきりわかりません。

2181「訊け」管理人:2013/01/29(火) 14:42:04

>>2180


 それでは話を、絞りましょう。この、>>2178駄文の二点目のダウトに関しては、
いかがでしょうか。

 ここのどこがはっきりしないのか、それが分れば一点目にも触れられるかもしれません。




2182「訊け」管理人:2013/01/29(火) 14:50:02

<もう一点>>2181文の補足>


>>「1+1=2」だよね。といわれて「はい(以下の貴殿例示文)<<


 これ、前提にムリがないでしょうか。さらに貴殿は、以下のような前提を採られておられます。


――――――――――――――――――――――――――――
直感的に「真理」を悟らないAが間違ったことを言っている。

直感的に悟ったBが正しい「真理」を言う。
――――――――――――――――――――――――――――


 これだともう、正しさが「理屈じゃない」に、なりはしませんか。

 ・・・・それで>>2181を投稿した次第です。ええたぶん、他宗に於いてはそんな問題が発生すると、思います。直感的に悟った(ハズ)のB氏がA氏に議論では、負けて仕舞うことはあると思います。

 でも、生長の家ではどうでしょうか。そんなに解釈の幅、分かれるでしょうか。

 しかも直感的に悟ったことを雅春先生は、もう、膨大なご著書で縷々ご記述ではございませんか。なお、個人的ながら私のような「元無神論者」までもが感化・説得されるレベルの、そんな御文章です。他宗に於いては起るであろうその種の問題 ―― 貴殿例示の件ですね ――ですが、生長の家ではほぼ、起らないと考えます。

 ・・・・議論錯綜の要因は単純に、「未読」に尽きると考えます。いかがでしょうか。



2183読者:2013/01/29(火) 15:37:29
>直感的に悟った(ハズ)のB氏がA氏に議論では、負けて仕舞うことはあると思います。

だから「正しさ」は理屈じゃないんです。理屈というのは「人間知(脳)の理解能力の範囲内の理論」。雅春先生も「理屈じゃない」みたいなことをおっしゃってる場面あるとおもいますが。雅春先生のご文章は理論的ではありますが、その究極において「理論」が人を説得せしめているのではなくて、「真理」の直感的把握と読者に対する尋常ではない「愛」が人を説得せしめているのだと思います。

2184読者:2013/01/29(火) 15:44:05
「理論」というのは結局、「現象」の真理を説明する上では有効ですが、「実相」の真理を説明するには「実相」自体人知を超えておりますからほとんど役に立たないのです。
さすればこそ、雅春先生は神想観という「行」の実践に重点を置かれたのだと思います。

2185「訊け」管理人:2013/01/29(火) 16:11:50


 ・・・・・。

 いやなにか、よく分からないのですが。まあ、これ位は可能ですよね?え、それは、

 「雅宣総裁の思想がどれくらい、御教えから外れているの」

 の検証です。これは、どうでしょう。





追伸

 なんか結局は「総裁は愛が無いからダメ」とか、そんな話になるのでしょうか。

 そんなものは、まあ、我々には分るハズもなくさらに、掲示板で議論するならば「濡れ衣撃ちが横行」する
ことに、なるでしょうね・・・・・

2186読者:2013/01/29(火) 16:18:30
>雅宣総裁の思想がどれくらい、御教えから外れているか

「ことごとく誤れり」です。 
偽物の絵画に価値がないのと同じです。
どれぐらい違うかの議論は、時間の無駄だと思います。

我々のすべきことは「神を讃える。」事に集中すべきです。

2187「訊け」管理人:2013/01/29(火) 16:34:39


>>2186


 いや(笑)、どんな点が?「ことごとく」とは言いすぎでは?





追伸

 「御教えを抹殺している!」というそんな、総裁です。チャウシェスクとまで表されて
おられますが、まあ、証拠はないわけです。

 皆さんはどう解釈されるかワカリマセンがこれ、「南京虐殺」や「火星人が攻めてくる」
話と、なんら変らない現在です。「直感だ!直感で総裁は〝悪〟なんだ!」・・・(中略)・・・
もう、そんなレベルの運動なんでしょうか。


 ・・・・まあ、大丈夫です。私他数名で、もう、勝手に検証を開始します。

 たとえば、こんな御文章・・・・(一例)

『歴史から何を学ぶのか』62頁(『信仰による平和の道』210頁)より謹写――

(註:清超先生の御文章につづいて)ここには、どうやって神の国に近づいた国家をつくるかという方法論が書かれてあるのです。つまり「天皇国・日本」というのは、天皇のご生活 ―― これは、我々はいろいろな所で教わっていますが ―― 神意を第一として物事を行っていかれるという天皇の生き方、神意が中心となる生き方が、我々個人のレベルにもどんどん弘まっていくことによって、それが民主主義の国だったら、結果として、そういう神意を重んじる政治家が多く選ばれるようになるであろうし・・・(中略)・・・こういう文脈の中で、「天皇国・日本」は説かれているのです。

 ですから、生長の家でいう「天皇国・日本」とは、大変深い意味での〝理想国家〟を指しているのです・・・(中略)・・・天皇の生き方を模範とし、神意を第一とする生き方が一人一人の国民の間に弘まっていき、外国においても、キリスト教の国ならば〝神の国〟や〝神の国の義〟を第一にする人々の数が増えていけば、そこには神意が現成した素晴らしい国家が建設されるだろうという意味であります。(後略:なお全文は上記ご著書でご確認ください)

2188「訊け」管理人:2013/01/29(火) 16:37:05

 なお後段の、

>>我々のすべきことは「神を讃える。」事に集中すべきです。<<

 には賛成です。

 直感を根拠にした「濡れ衣撃ち」など、もう、生長の家は「言語道断」でありましょうから。





2189トキ:2013/01/29(火) 17:17:17
 これは、一般論ですが・・・・。


 教団側は、反対意見に「分派」というレッテルを貼って、ひたすらそれを否定する事だけに力を入れる。

 本流復活派は、反対意見に「虚説」というレッテルを貼って、それをひたすら否定する事だけに力を入れる。

これって、すごく非生産的な話だと思います。だって、そういう意見が存在するのは、何か理由があるからです。
いきなり相手の発言を否定するのではなくて、先ずは、相手の言い分を聞く姿勢は、私を含めて、みんなに必要
だと思っています。

 私は、生長の家の活動でも、仕事でも、少数意見というか、違う視点からの考え方というものが大事だと思って
います。それが正しくなくても、そういう観点からの意見の存在が勉強になる事も多いです。

 まあ、私自身、偉そうな事は言う資格はないですが。

2190読者:2013/01/29(火) 18:07:22
言い過ぎではないです。
多分議論されても「建設的」な議論にはならないでしょう。
世界のために?生長の家のために?自分のために?
議論する時間があれば神想観されることを私は皆さんにおすすめしたいと思います。

現総裁の主張には根本的実相観がないのです。

2191役行者:2013/01/29(火) 18:10:20

初心者さま

>>
総裁もわたしも、彼らからすれば真理を知らない迷い人です。迷い人は、自分たち
の話を聞くだけの存在であり、自分たちは迷い人の話を聞く必要のない存在で
あるとの思い込みが、彼らにはあるとおもわれます。<<


 よく真理は常識を越えた世界にある!と云われます。
 ところがその常識すらバカにしている、それこそ非常識な人間に、
その常識を越えた世界を知ることも語ることもできないでしょう。

 宗教という特定の団体に所属すると世間の常識というものが見えなくなってしまう
こともあります。その如実な例が世間一般に云われているカルト集団が犯している数々の事例です。
 「常識の世界をよく知る」とは世間の空気も入れた方がいいと云うことに繋がると
思います。
 たとえば一つ例を挙げると、「常識」では「世界を平和にするミッションを宗教が唱える」
というのが大前提なのですが、
 実際は、古今東西、戦争を起こしてきているきっかけが、宗教同士の闘争ということがよくいろいろな
場面でみられます。
 大きい小さいは別として、宗教が闘争をしているのは、世間一般の常識としては「あり得ない」こと
なのです。それが常識を知ることであり、その空気に触れることは大切なことであります。
 その常識を踏まえてこそ、常識を越えた世界、真理に出会えるのだと思います。

2192読者:2013/01/29(火) 18:29:30
ところで訊けさんは会員なんですか?

2193読者:2013/01/29(火) 18:33:52
>いきなり相手の発言を否定するのではなくて、先ずは、相手の言い分を聞く姿勢は、私を含めて、みんなに必要
だと思っています

 そうだと思いますが、今の総裁にはそれは無理だし無意味だと気がつきました。その理由は光明掲示板の方に書き込みました。

2194志恩:2013/01/30(水) 06:36:25
光明掲示板より、読者様の投稿文は、長文ですので、いくつかに分けないと
載りませんので、分けて、転載させて頂きます。


ディベート教育の弊害 (5161)

日時:2012年12月31日 (月) 06時49分
名前:読者

⑴議論をゲーム化したのがディベート 議論の能力を高めようとするとき、真っ先に思い浮かぶのがディベートだ。
与えられたテーマに関し、2つのグループに分かれて議論する。

勝ち負けを明確に付けるのが特徴で、多くの人が参加してトップを争う大会が、いろいろな国で行われれている。
 確かにディベートでは、論理的な意見の交換を重視する。相手から指摘された項目に対し、論理的に反論しなければならない。
また、対象テーマに関わる内容を細かく調べることも教えられる。指摘された全項目に反論したかや、述べた意見の内容で評価し、
どちらが勝ったかを判定する。

 議論の内容を論理的に評価する点では、マトモな議論方法を習得するのに役立つ。
また、対象テーマへの調査を重視するので、きちんと調べて議論に臨む姿勢も身に付く。

しかし、最終的に勝ち負けが重視されるため、大きな欠点を持っている。

2195志恩:2013/01/30(水) 06:37:25
光明掲示板より、読者様の投稿文は、長文ですので、いくつかに分けないと
載りませんので、分けて、転載させて頂きます。


ディベート教育の弊害 (5161)

日時:2012年12月31日 (月) 06時49分
名前:読者

⑴議論をゲーム化したのがディベート 議論の能力を高めようとするとき、真っ先に思い浮かぶのがディベートだ。
与えられたテーマに関し、2つのグループに分かれて議論する。

勝ち負けを明確に付けるのが特徴で、多くの人が参加してトップを争う大会が、いろいろな国で行われれている。
 確かにディベートでは、論理的な意見の交換を重視する。相手から指摘された項目に対し、論理的に反論しなければならない。
また、対象テーマに関わる内容を細かく調べることも教えられる。指摘された全項目に反論したかや、述べた意見の内容で評価し、
どちらが勝ったかを判定する。

 議論の内容を論理的に評価する点では、マトモな議論方法を習得するのに役立つ。
また、対象テーマへの調査を重視するので、きちんと調べて議論に臨む姿勢も身に付く。

しかし、最終的に勝ち負けが重視されるため、大きな欠点を持っている。

2196志恩:2013/01/30(水) 06:42:51
 (光明掲示板より、読者様)

⑵対象テーマに関して調べる段階から、ディベートらしい特徴が現れる。

調査で得られた情報を、自分の立場に照らし合わせ、有利なものと不利なものに分けてしまう点だ。

自分に有利な情報なら、積極的に利用して勝ちに役立てる。逆に不利な情報なら、自分から公表することはない。
それが役立つのは、相手の攻撃を予測する材料としてだけで、反論を考えるのに活用する。

 議論の過程も、ディベートならではの方法が採用されている。お互いが順番に、自分の立場を有利にする意見と、相手を攻撃する意見を述べる。

攻撃されたときは、それへの反論を出さなければならない。このような過程を全部見て、勝ち負けを判定する。
全体的には議論を用いた勝負で、ゲームのような形式になっている。

ディベートでは結論の質が重視されない ディベートを、建設的な結論を導くための議論方法という視点で評価した場合、いろいろな欠点が見えてくる。
代表的なものを挙げてみよう。

 最大の欠点は、議論の末に得られた結論の質が評価されないことだ。

議論手法としてみたとき、非常に大きな欠点である。建設的な結論を導くのが目的なら、もっとも重視すべきなのは、質の高い結論を得ることだ。
だからこそ、質の高い結論を導き出せたときが、質の高い議論だと評価する。

 ところがディベートでは、議論の最中に言い合った内容を評価し、勝ち負けを決める材料とする。
結論が評価されないばかりか、結論を得ようともしない。

これでは、ディベートがいくら上手になっても、建設的な結論を得るための議論方法は身に付かない。

 2番目の欠点は、本格的な検討手法を採用しない点だ。
建設的な結論を導く議論であれば、検討する工程の質を保つ意味で、問題解決などの検討手法を用いる。
これが議論の羅針盤として役立ち、対象テーマに関して質の高い議論を達成できて、より適切な結論が得られる。

意見が対立する場合は、お互いに自分の主張を言い合うだけで、良い結論がなかなか得られにくい。
その点を解消するのが検討手法で、公正を保つための枠組みとして利用する。

 しかし、検討手法を用いないディベートでは、お互いに自分の意見を主張し続けるだけで、結論を導く工程へと到達しない。
両方から出された意見は、適切な検討手法で評価されないままだ。こんな状態では、何時間かけて議論しても、質の高い結論が得られるはずはない。

2197志恩:2013/01/30(水) 06:44:43
トキ様
すみませんが、2195と、ここの削除をお願いします。
2重投稿になりました。

2198「訊け」管理人:2013/01/30(水) 06:50:21


 ↓ まさに「本流脳」ですね・・・・・

⑵対象テーマに関して調べる段階から、ディベートらしい特徴が現れる。

調査で得られた情報を、自分の立場に照らし合わせ、有利なものと不利なものに分けてしまう点だ。

自分に有利な情報なら、積極的に利用して勝ちに役立てる。逆に不利な情報なら、自分から公表することはない。
それが役立つのは、相手の攻撃を予測する材料としてだけで、反論を考えるのに活用する。



追伸

 総裁が「悪」なネタには、もう、ダーッと飛びつきますが、他はシカト。
 特に総裁が「天皇国・日本」に触れていたりすると、もう、涙目の方までおられます(妄想?)。

 ・・・・・もうホント、「自分に有利な情報なら、積極的に利用して勝ちに役立てる。」「不利な情報
なら、自分から公表することはない。」なんていう態度は、あらためませんか。

2199志恩:2013/01/30(水) 06:50:26

3番目の欠点は、自分に不利な情報を出さないことだ。

これは勝ち負けを重視する限り、絶対になくならない。
ディベートの最終目的が勝負だけに、必然的に生まれてしまう欠点である。

 以上のようにディベートは、建設的な結論を導く議論に必要な条件を満たしてはない。それどころか、「結論を出す」という議論の最終目的が欠落しているため、議論手法ですらない。
あくまで、議論を用いたゲームなのである。

勝ち負けを重視すると建設的な結論は得られない ここで少し、ディベートの弊害について考えてみよう。ある組織内で、ディベートが最高に得意な人がいたとする。
その人の所属部門は、非常に不利な立場にあって、今後の方針を決める会議へ出席しなければならない。会議へは、利害が対立する別部門の人も参加する。

 こんな状況で、ディベートの得意な主人公は、その能力を最高に発揮した。不利な立場の部門なので、通常なら悪い条件を押しつけられるはずだ。
しかし、高いディベート能力のおかげで、不利な条件をのまずに済んでしまった。

 さて、この結果だが、本当に良かったのであろうか。確かに、主人公が属する部門だけを見れば、大きく得をしたであろう。しかし、組織全体で見た場合、改革が行われずに大きな損をしたことになる。

 では、何が悪かったのだろうか。最大の問題は、議論の重点が、部門間の勝ち負けになった点である。

本来なら、組織全体の利益が最大限になるように、議論を進めなければならない。しかし、参加者の利害が対立する場合は、そう簡単には実現しない。
何らかの手法や道具が必要で、それがないと勝ち負け重視の議論になってしまいがちだ。

 そんな状況で役立つのが、建設的な結論を導くための議論手法である。目的に適した検討手法を定め、それに従って議論を進めることで、勝ち負けの議論には陥らずに済む。
検討内容の全体像を図や表で表現してみせるとか、検討手法に含まれる評価方法によって、出された情報が適切に評価されるとか、いろいろな要素を複合的に組み合わせて、質の高い議論を達成する。この点が重要なのだ。
建設的な結論を導く議論手法と正反対なのがディベート 建設的な結論を導くための議論手法は、ディベートのような勝負には利用できない。その理由も重要なので、簡単に説明しておこう。

 問題解決手法などの検討手法を用いると、最良の解を求めるために、論理的で科学的な検討を重ねる。細かな手順も定められているし、途中の段階で議論内容を整理して見せる。
このような方法で議論を進めると、与えられたテーマから導き出される結論は、解決が困難な問題を除くと、誰がやっても1つの結論に達しやすい。

 たとえば、タバコの有害性を議論のテーマに選んだとする。議論の参加者は、世界中から資料を集めるだろう。検討手法を用いるので、資料の信憑性を評価する工程が必ず入る。
この作業が一番大変で時間もかかるが、重要なので手は抜かない。その後の工程でも論理的で科学的な評価方法を用い、最終的には適切な結論が得られる。

明確に白黒の判定はできなくても、どちらの可能性が高いかは明らかにできる。
 1つの結論に収束しやすい点こそ、建設的な結論を導く議論手法の特徴であるし、目指している姿である。与えられたテーマで、正しいほうが必ず勝つような議論手法でなければ、適切な手法とは言えない。

もちろん、参加者の多くが議論手法のルールを守らなければ、最適な結論など導けないので、おのずと限界はあるだろう。ただし、議論手法を設計する際には、邪魔する行為やルール違反を発見したり
排除できるように、細かな部分を工夫する。それにより限界を広げられ、適切な議論を達成しやすくできる。

 このような特徴を持つので、2つのグループに分かれて議論しても、立場が不利なほうに割り当てられれば、まず負けてしまうのだ。これでは、勝ち負けを争うゲームにはならない。

2200「訊け」管理人:2013/01/30(水) 06:56:34

――――――――――――――――――――――――――――

3番目の欠点は、自分に不利な情報を出さないことだ。

これは勝ち負けを重視する限り、絶対になくならない。
ディベートの最終目的が勝負だけに、必然的に生まれてしまう欠点である。
――――――――――――――――――――――――――――


 これまたまさに、本流スタンスですね。

 本流からはたとえば、こんな情報は出てきませんよね――

「白鳩」誌(昭和二十一年六月号)より謹写――
 敗退したるところの日本精神は、決して精神主義的なものでも心霊主義的なものでもなく、日本精神の仮面を被った唯物論そのものであったことは先ず最初に注意すべき事柄である。(中略)日本軍部の敗退の原因は其の徹底的唯物論であって兵を観るに『人格』として視ることなく、ただの物品として取扱った。打つ、擲(なぐ)る、蹴るは無論のこと、『鶯の谷渡りをせよ』と云って小鳥の真似をさせたり、『蝉になれ』と云って柱に数時間とまっている真似をさせたり、人間を人格として観ず、鶯や、昆虫や無機物として取扱った。(中略)更に、日本軍部敗退の原因は其の軍需経済の建て方が、唯物的であったと云うことである。換言すれば『奪えば増加し、与えれば減る』と云う物質的算術図式の経済しか知らぬ幼稚なものであったのである。


追伸

 雅春先生による「侵略戦争」発言もありますが、今回は掲載見送りで(武士の情けです)。
 まあ兎も角、「本流に不利になる情報」はいっさい触れない。そんな態度をあらためぬ限り求心力は、低下の一途でしょう。すくなくとも読書階級はついてイケナイでしょうか。

2201志恩:2013/01/30(水) 06:58:27

ここまでの説明から分かるように、ディベートは、建設的な結論を導くための議論手法と正反対の特徴を持つ。

ディベートが重視するのは、途中のやり取りであり、議論の結論ではない。また、議論内容の質を向上するための検討手法も用いない。
建設的な結論を導くための議論手法は、まったく逆である。参加者全員が対立するのではなく、最適な解を得るために協力する仕組みになっている。

ディベートに代わる議論習得方法が必要な時期 以上の話で、ディベートの長所も短所も理解できただろう。
議論の能力を高めようと思ってディベートの練習をする際には、欠点を的確に理解し、長所を生かさなければならない。

 今の世の中には、ディベートが役立つ場面もあるのは事実だ。ただし、あまりにも勝ち負けだけを重視すると、最良の結論から遠い結果となりやすい。
議論テーマが社会のルールなどの場合は、良い世の中から遠ざかる傾向を持つ。結論の影響度を考慮し、よく考えて用いる必要がある。

 ディベートが、建設的な結論を導くための議論手法とは正反対なので、議論の能力を高める目的には安心して勧められない。

ディベートがいくら得意になったとしても、建設的な議論が上手にはならないからだ。
ディベートを学習した後で、問題解決手法などの検討手法、総合的な評価、議論内容の表現術など勉強すれば、万全とは言えないものの欠点は補えるだろう。

 もうそろそろ、ディベートに代わる議論習得方法が必要な時期に来ている。社会の進歩に見合うような、質の高い方法がだ。

本コーナーで述べている内容を参考にすれば、新しい習得方法を設計できる。それが出来上がり、建設的な議論が社会が広まれば、ディベートの必要性は大きく低下するはずだ。

 それはともかく、ディベートの長所と短所は最低でも理解しておきたい。その上で、議論の能力を高めるようにしよう。もちろん、建設的な結論を導くための議論手法を中心に。

2202「訊け」管理人:2013/01/30(水) 06:58:39

 ディベート教育の弊害を脱し、以下の件も正々堂々とやり取りしましょう。


『歴史から何を学ぶのか』62頁(『信仰による平和の道』210頁)より謹写――

 (註:清超先生の御文章につづいて)ここには、どうやって神の国に近づいた国家をつくるかという方法論が書かれてあるのです。つまり「天皇国・日本」というのは、天皇のご生活 ―― これは、我々はいろいろな所で教わっていますが ―― 神意を第一として物事を行っていかれるという天皇の生き方、神意が中心となる生き方が、我々個人のレベルにもどんどん弘まっていくことによって、それが民主主義の国だったら、結果として、そういう神意を重んじる政治家が多く選ばれるようになるであろうし・・・(中略)・・・こういう文脈の中で、「天皇国・日本」は説かれているのです。

 ですから、生長の家でいう「天皇国・日本」とは、大変深い意味での〝理想国家〟を指しているのです・・・(中略)・・・天皇の生き方を模範とし、神意を第一とする生き方が一人一人の国民の間に弘まっていき、外国においても、キリスト教の国ならば〝神の国〟や〝神の国の義〟を第一にする人々の数が増えていけば、そこには神意が現成した素晴らしい国家が建設されるだろうという意味であります。(後略:なお全文は上記ご著書でご確認ください)

2203志恩:2013/01/30(水) 07:03:28
つづき(光明掲示板より)

ディベート教育の弊害と現総裁の文章 (5162)
日時:2012年12月31日 (月) 06時52分
名前:読者

上の文章は引用です。

しかし現総裁の文章の欠点がよくわかります。


「自分に有利な情報なら、積極的に利用して勝ちに役立てる。逆に不利な情報なら、自分から公表することはない。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ディベート教育の弊害と現総裁の文章 (5163)
日時:2012年12月31日 (月) 06時57分
名前:読者

「今の世の中には、ディベートが役立つ場面もあるのは事実だ。
ただし、あまりにも勝ち負けだけを重視すると、最良の結論から遠い結果となりやすい。


議論テーマが社会のルールなどの場合は、良い世の中から遠ざかる傾向を持つ。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ディベート教育の弊害と現総裁の文章 (5164)
日時:2012年12月31日 (月) 06時58分
名前:読者

「もうそろそろ、ディベートに代わる議論習得方法が必要な時期に来ている。社会の進歩に見合うような、質の高い方法がだ」


引用 (5165)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=975

2204志恩:2013/01/30(水) 07:11:34
(別のスレッド、光明掲示板より)

日本人の対話と欧米人のディベートとの違い (5383)

日時:2013年01月09日 (水) 01時35分
名前:読者

ディベートというのは、議論、論議、討論、論争などという言葉で訳されることが多いようです。この言葉に見られるように、討ったり、争ったり、論(あげつら)ったりするのがディベートです。

ディスカッションも、同じです。議論の勝ち負けの要素の強いものがディベート、弱いものがディスカッションと考えてもよいでしょう。どちらも、意見を闘わせることが中心です。

 意見を闘わせるためには、自分の意見が正しいという確信が必要です。そして、相手の間違った意見を互いに論破しようとしてできないとき、そこに妥協が生まれます。
この妥協のレベルの高いものが弁証法ですが、ほとんどの場合、意見の違いは力の差で決着をつけられます。その決着のひとつの方法が多数決です。

 ところが、日本には、こういう議論や多数決の伝統というものはあまりありませんでした。

日本の仏教の中には他宗を批判することを特徴とする宗派もありましたが、多くの日本人は論争とは無縁の生活を送っていました。これは、今でもあまり変わりません。

 本居宣長は、インドや中国になぜ優れた哲学や宗教の理論があり、日本にそのようなものがないのかと問い、その答えとして、インドや中国は民衆のレベルが低かったために、そういう理論が必要だったのだと答えています。

つまり、日本人はひとりひとりの人間性のレベルが高かったので、そのような大げさな理論は必要なかったというのです。これは、かなり都合のよい解釈のようにも見えますが、当たっていないこともありません。

東日本大震災で被災者どうしが自然に助け合うような文化を持つ国では、もともと法律や罰則や警察などは必要なかったのです。


では、日本には、議論に該当するようなものはなかったのでしょうか。

宮本常一は、「忘れられた日本人」(岩波文庫)の中で、昭和25年ごろに調査した対馬のある村の話し合いのことを書いています。そこで、著者は、ある資料を見てそれを一時借りられないだろうかと村の責任者に相談します。

すると、村の人が三々五々と集まり、何時間も話をし、その日のうちに結論が出ないと再び翌日も集まり何日も話をします。その話は、最初のテーマから脱線したりもとに戻ったり、賛成になったり反対になったりしながら延々と続き、
やがてみんなが自然に全員一致になるような雰囲気でひとつの結論が出たというのです。この、納得するまで話し合いをして、自然に全員が一致するという話の仕方が、日本に伝統的にある議論の方法です。

これは、議論というよりも対話の方法と言った方がよいでしょう。



 では、その対話の本質は何でしょうか。西洋の議論が、自分の側にある正しさを主張することだったの対して、日本の対話は、相手の話をとりあえず全部肯定するところから始まります。
そして、相手を肯定したうえで、そこに自分の似た話を付け加えていくのです。いろいろな人が次々と、相手の話を肯定し、自分の話を付け加えていく中で、次第に同じような話が濃く重なる部分が出てきます。

その濃い部分がみんなで共有されるようになると、そこに全員一致の意見が生まれるというわけです。

 西洋の、違うものを削っていってあとに残ったものを正しい意見とする方法と、同じようなものを付け加えていって濃くなったものを正しい意見とする方法と、結論は似ているかもしれませんが、途中の過程は正反対です。



 さて、家庭での対話というものを考えた場合も、西洋的な議論と日本的な対話の両方が可能です。子供が長文を音読して自分の感想を述べたとき、親が、「それは、なぜか」と質問したり、
「その意見は、違うと思う」と反論したりするのは、西洋の議論です。日本の対話は、子供の言った言葉をそのまま肯定して、そこに親なりの似た話を付け加えていきます。
そして、互いの似た話を共有することによって自然に双方が豊かな考えになっていきます。

 人類がゾウやイルカに比べて頭がよいように見えるのは、相手を批判する思考力を身につけてきたためです。しかし、本当に必要な思考力は、相手を肯定するところから生まれてきます。
否定を重ねるところから生まれる創造力ではなく、肯定と重ねるところから生まれる創造力がこれからの時代には必要になってくるのです。 (言葉の森の記事より  )

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1023

2205志恩:2013/01/30(水) 07:14:18
(別スレッド、光明掲示板より)

運動の変化について (6) (5095)

日時:2012年12月28日 (金) 05時14分
名前:読者

理由なき「鎮護国家の看板をおろす」という結論に対する、苦し紛れの論理なので、訳のわからない文章になるんです。

 屁理屈です。

 ディベート教育を受けた人の悪い例です。

2206志恩:2013/01/30(水) 07:16:54
(別スレッド、光明掲示板より)

運動の変化について (5) について (5021)

日時:2012年12月25日 (火) 07時18分
名前:読者

戦争名並べましたねー。(苦笑)

 この 反論をする気を失せさせる 馬鹿な論法もほとほとやめてほしい。うんざり。

 総裁本人個人が孤立するのは自由ですが、生長の家は孤立してはならないし、日本を孤立させるわけにはいかないんです。

 本人の言葉は 最後の数行です。

 だから文章に力がないんです。説得力がないんです。

2207志恩:2013/01/30(水) 07:21:37
光明掲示板の方へ

読者様が、投稿された中で、「ディベート」関係のみのご文章をピックアップして
転載させて頂きました。

2208「訊け」管理人:2013/01/30(水) 07:30:54

光明掲示板の方へ

ディベート教育の弊害を脱し、正々堂々とやり取りしましょう。よろしくお願い致します。




2209志恩:2013/01/30(水) 07:41:21
訊け君へ

読者様は、訊け君と同様に本流(光明)掲示板から追放になってしまわれたお方なんです。

なのに、だれかさんのように、いつまでも いつまでも 執念深く本流を恨んだり
されてないところは、男らしく さっぱりしていらっしゃると思います。

2210「訊け」管理人:2013/01/30(水) 07:44:51

アナタは私を「放置」したはずです。




2211志恩:2013/01/30(水) 07:48:07
それにしちゃあ、

神の子さんの名まで使って、本流対策室で、からんでくるのは、
アナコンダ君の方じゃない?

ご自分の意見に、ご自分で同意したりして、笑っちゃうね(笑)

2212「訊け」管理人:2013/01/30(水) 07:50:51


 勝手な決めつけ、たいへんご苦労さまです。

 ということで、その種のお話しは、お仲間とでもいかがでしょうか。




2213志恩:2013/01/30(水) 07:58:24
勝手な 決めつけでは、ありません。(笑)
でも、
なぜ、分ったかは、今は秘密にしておきます。(笑)

2214「訊け」管理人:2013/01/30(水) 08:05:42


 ・・・・まあしかし、本当に不思議です。不思議なのはまあ、「本流復活を願っている」とされる、一団の反応です。ところで皆さんが願っているのは、まあ、御教えに帰ることなんですよね?(OK?)。で、これまたあんな情報ですが、(>>2202)興味がおありでは、ないわけなんですか。

 いやその、皆さんが願われている(とされる)「本流復活」ですが、案外近いところまで来てませんか?(OK?)。少なくとも可能性、これはありませんか?(OK?)。ならばなぜ、「よしっ!」と喜びながらの検証、されないんでしょうか?いや少なくとも、興味がないのは何故でしょうか?(OK?)。

 繰返しますよ。大事な点ですので。皆さんが願っているのは、まあ、御教えに帰ることなんですよね?(OK?)。で、これまたあんな情報ですが、(>>2202)興味がおありでは、ないわけなんですか。「本流復活」ですが、案外近いところまで来てませんか?(OK?)。少なくともその可能性、ありはしませんか?(OK?)。ならばなぜ、「よしっ!」と喜びながらの検証、されないんでしょうか?いや少なくとも、興味がないのは何故でしょうか?(OK?)。検証等をされた上で、喜んだりがっかりしたり、すれば良いのではありませんか?なぜと申して皆さん、願いはひとつなんでしょう?そしてその願いとは「本流復活」なんでしょう?(OK?)。


追伸

 「証拠は無くとも総裁は悪だッ!」「直感で!」・・・(中略)・・・そういうやり取り(「直観力コンテスト」)ならば、掲示板違いです。少なくともここには、もう、皆さんと比較して「頭のオカシイ者」(直観力の低い者)しか、おりません。エスパーはエスパー同士の交流を、お勧め致します。(そしてそこで、こう叫びましょう。「あくまでも直感では、総裁は悪だッ!」と)

2215「訊け」管理人:2013/01/30(水) 08:06:53

>>2213

 そうですか(^^)。

 ということで、放置できぬならば、「過去の敵前逃亡」話です。

 早急にレスください。よろしくお願いします。




2216「訊け」管理人:2013/01/30(水) 08:18:05

<お忘れですか?>

 ・・・お忘れですか?過去に志恩さんが、堂々と逃げていった、いや、後方へ前進して
いかれた話です。まあいろいろありますが、今回は2点のみ。

○「2円の価値もない和解論」
○「和解の倫理」解釈は、ズタズタヴァージョンのみ使用

 ・・・いずれでも構いません。どうぞ堂々と返信ください。そうすれば貴女の発言信用度ですが、
もう少し向上することと確信致します。(いやだって、普段は「デマ」「捏造」の類でしょう。
さらには謝罪はおろか、「修正」すらされませんよね・・・たまには公論で私を、もう、ガツン
とやって仕舞いませんか?)

2217志恩:2013/01/30(水) 08:25:57
アナコンダは、
すぐそれですから。。

❶敵前逃亡しましたね
❷また、論点ずらしですか。
❸あなたは、何も答えて いないじゃないですか。

これ以外のセリフは ないのか?!



読者様も、すっかり… 失せてる  と予想します

このアナコンダの目つきみたら一目瞭然!!百聞は一見にしかず!!不真面目な男よ!!
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/link.cgi?url=http://storage.kanshin.com/free/img_42/424978/k1160984183.jpg

2218「訊け」管理人:2013/01/30(水) 08:59:01

 じゃあ、言い方を変えてみましょう。さてこの「志恩」さんという方ですが、過去、返答に窮されると
こんな行動を採られます。

1)後方へ前進して行かれます。
2)自分の身が危険な話題は避け、自分が高みから見下ろせる話題に移られます。
3)相手に濡れ衣を着せますがその後、謝罪はおろか修正もなさいません。




2219初心者:2013/01/30(水) 09:23:00
>>2167  >>2168
神の子様
トキ様

わたしは、この掲示板では確実に見下されていますね。もし現実の世界でこれと
おなじことをされ続けたら・・・。そんな人がもしいたら、同情するなといわれても、
その人に同情したくなりますね。

自分がやられてみなければ、それがどれほどえげつないものか、とうていわかる
ものではありません。見下すために見下している。相手がなにを言っているか、そん
なことは問題ではないのですよ。

2220「訊け」管理人:2013/01/30(水) 09:24:58


>>2219初心者さま


 そのうち「快感」になりますよ。たとえば「本日は、ソウ来たかあ(^^)」みたいな。

 私なんてネガキャン、無い日の方が体調がすぐれません。いや、なぜと申して「笑いが不足」するでしょう?(ネガキャン無いと・・・・)



2221志恩:2013/01/30(水) 09:25:34
あいかわらず 口のへらない男 。

朝から ニワトリの如く …

映像のとおりです。 人間 見たまま。

2222「訊け」管理人:2013/01/30(水) 09:26:19



 まあしかし、ここは・・・(中略)・・・えりーと信者の来るトコじゃ、ないんです(^^)。

 皆さんはもう、担任のセンセイ(管理人)に守られたところの掲示板、ここで吠えましょう。
敵対者はセンセイが、排除してくれるでしょ?




2223志恩:2013/01/30(水) 09:26:49
初心者様のことでは、ありません。

2224神の子様:2013/01/30(水) 10:38:36
あの人のことですね、重々承知いたしております(爆笑)

2225初心者:2013/01/30(水) 10:43:06
役行者様

>よく真理は常識を越えた世界にある!と云われます。
 ところがその常識すらバカにしている、それこそ非常識な人間に、
その常識を越えた世界を知ることも語ることもできないでしょう。

やがて、常識のほうが「真理」を超えていくでしょう。「真理」は不変ですが、常識は
進化します。いちぶの常識は、これから「真理」を超えていくだろうと考えています。

たとえば、ひも理論のホログラフィック理論ですが、これが常識となれば、「真理」
をはるかに凌駕することになるでしょう。

ソシュール的常識は「真理」を超えたところを見すえているという気がいたします。
「真理」の側がそれに気づいていないだけ、という気がしてなりません。

ところで、こちらの板は立てこんできましたので、べつの板に書きます。

2226役行者:2013/01/30(水) 10:52:44
初心者さま、了解しました。

2227ニュー信徒1:2013/01/31(木) 08:19:10

信徒連合さま
ありがとうございました。
そうだ!そうだ!と納得して読ませて頂きました。
雅春先生は釈迦キリストが文章で残さなかったので後世色々な解釈がされてしまったのだ
と憂えられて、たくさんの著書を残されたと言われてたと思います。
今の総裁はごじぶんの解釈で生命の実相を説いておられるように思えてなりません。
「雅春先生のみ教えを抹殺しようとしている」とまでは思いませんが、
人間は神の子という真理をそのままズバリとは伝えて下さってないように思います。

2228「訊け」管理人:2013/01/31(木) 08:42:16


>>2227

 信徒連合さまはこちらに、書き込みされておられるのですか?・・・・まあ、いいんですが(^^)。


>>「雅春先生のみ教えを抹殺しようとしている」とまでは思いませんが、<<

 信徒連合さまの御文章を読まれて、そう判断なさったのでしょうか。それならばたぶん、良い文章だったのではないかと。まあ、ここで云う「良い」とは〝公正な〟という意味になります。
 ちなみに情報では信徒連合さま・・・・あの、総裁近著を○×評価なさったとか。さらには「○が19箇所も付いてしまって、焦っておられた」てなメール、着ております。どんな御文章かぜひ、読んでみたいものです。ちなみに私の評価は「△が3〜4箇所」「あとは全部○」「×はなし」というものです。

 さらにちなみに・・・・まあこの、メールにある「焦って」は意地悪な見方ですよね、ええ(^^)。


>>人間は神の子という真理をそのままズバリとは伝えて下さってないように思います。<<


 たぶん、こういうことだと思います。「感化力が足りない」という、そういうことだと思います。伝えていないのでは〝なく〟あくまでも感化力が、不足していると診ます。どうでしょうかね・・・・・まあ、これまたちなみにですが「谷口雅春」先生。まあ、こんな偉大な方と比較してそして、「感化力が足りない」ってのも少々・・・・・酷な話かもしれませんね。
 

>>今の総裁はごじぶんの解釈で生命の実相を説いておられるように思えてなりません。<<


 うーん・・・(中略)・・・それは、どういう点がですかね。それ、非常に興味があります。その、総裁が「ご自分の解釈にて」生命の実相、説かれた点はどこでしょうか。

 ・・・・・ちなみに先日、ある方はこの話を振りましたところ、逃げていかれました。そして私は、またしてもその話が聞けずに困っております。(ええ依然として、「総裁を撃てずにいる」という意味です。)



2229「訊け」管理人:2013/01/31(木) 08:58:36


 ・・・・ちなみに以下も(先手を打って)説明しておきます。ええ私、「決して総裁擁護派ではない」という話です。

 私は擁護しているのでは、ありません。ただ単に批判、できずにいるだけです。撃ちたいのに撃てない派とでも、表してくださった方が正確でしょう。じゃあなぜ、総裁を撃てないのか ―― 理由は以下二点です。

1)総裁の暗部に関する話が、ほとんど「濡れ衣」に見えるため。
2)「和解以外の選択肢」が、聖典のどこにも記述がないため。

 こうなります。これが理由です。これさえクリアされれば何時でも私は、総裁を撃ちます(^^)。でも・・・・・いずれも判明しておりません。ですので未だに、この私は総裁「撃てない」派のままです。

 ・・・・1)に関しても根拠を、くださいませ。さらにはその、「総裁=極悪人」説ですが判明したらばその後は、今度は2)もご説明ください。そうすれば私も、即日で立派な「本流派」となれます。ですんでどうぞ、よろしくお願い致します。




追伸

 ディベート教育の弊害を脱し、正々堂々のやり取りに期待。

2230神の子様:2013/01/31(木) 09:07:28
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=1137
“ご都合主義”に“いいとこ取り”、そして合わないものは「絶版」…そこに谷口雅宣総裁の本質があるのです! (6063)
日時:2013年01月29日 (火) 09時20分
名前:「靖国見真会」参加者


谷口雅春先生の聖典だけでなく、ご講話テープも販売されていない。

建前は「売り上げが少ないから」というわけですが、絶版されたものの内容を検証してみたら、何のことはない、谷口雅宣総裁にとって“都合が悪い”からというのが、よく分かります。

“都合が悪い”

まさしく、これこそが谷口雅宣総裁の本質であると私は見ています。

2231「訊け」管理人:2013/01/31(木) 09:14:27


>>2230

 愛国書の復刊ですが、都合が悪くなるのはいったい、「どなたでしょう?」・・・・・・(^^)いや案外、愛国書ですが素晴らしいですよ。もう、好戦的な話を排除し「大調和」しか、説かれてありません。ですんで・・・(中略)・・・派などが精読すれば、もう、「自らの運動が否定される」おそれもありは・・・・・・しないかと心配になります。

<参考>

○大東亜戦争 ――「誇るべき」「恥ずるべき」点
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65713586.html



 ・・・・また、熊本鎮台殿にとって都合が悪いんじゃないのか ―― 少なくともそう思える記述を、掲載します。ここでは雅春先生は、「実践」「行動」に関して触れられておいでです。
 これと照らせば本流派ですが、「いったい、行動していることになるの?」となります。いかがでしょうか。・・・・・

○「暗黒界に光明を導き出す道」 ――敵に対する日本精神とは
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65712581.html



暗黒界に光明を導き出す道



   一、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)を啼かす。
      (常住不変の實相世界の真理を宣布する)

   二、鏡を作りて中枝(なかつえ)に繋(か)ける。
      (現象的あらわれを心の鏡として、自己反省して心を改める)

   三、弥栄(やさか)の眞輝珠(まがたま)を作りて、それを上枝(ほつえ)に繋ける。
      (實相世界はすべての魂が真に輝いていて美しく、各々の魂は孤立分離して
       いないで、一つの玉の緒によって統一された大調和の世界であることを観ずる)

   四、實相世界の眞栄木(まさかき)を根こじにこじて現象界に移植する。
      (現象が如何に暗黒に見えていても其の暗黒を見ないで、實相の根元世界の
       光明遍照の有様をジッと観ずる)

   五、白和幣(しろにぎて)、青和幣(あおにぎて)を作って下枝(しずえ)につける。
       (人に接するに、必ず和顔愛語の布をもって柔らかく包んで接する)

   六、太御幣(ふとみてぐら)を奉祀して祝詞をあげる。
      (〝大生命〟及び祖先の生命をお祀りして聖経又は祝福の祭文を読誦する)

   七、天手力男神(あめのたぢらおのかみ)をして待ちもうけさせる。
      (機会をはずさず断行の決意をする)

   八、天之日影(あめのひかげ)を手次(たすき)にかけ、天之眞拆(あめのまさき)を
     鬘(かずら)として……云々。
      (心を空しく、雑念妄想を無くして、心が裸になって、神のお導きを待つ)

   九、踏みとどろかし、神懸(かんがか)りする。
      (いよいよ、神霊来臨したまい、何を為すべきかを指示し給う。
       その指示のまにまに、自然に行動する)

   十、八百萬(やおよろず)の神共に咲(わら)いき。
      (暗い表情を棄てて、既にあたかも光明が輝き出たのを悦ぶ如く、
       明るい笑顔をもって行動する)


(以上『古事記と現代の預言』より)

2232「靖国見真会」参加者:2013/01/31(木) 17:30:44
「訊け」さんへ

ご指名いただき、感謝申し上げます。

折角のご指名でしたので、出張ることにいたしました。

“都合が悪い”ことなど、何もありはしません。

だって、「訊け」さんが出していただいたものは、谷口雅宣総裁が絶版にした聖典であり、「光明思想社」が出版した聖典であるからです。

“都合が悪い”どころか、よく出してくれました、「訊け」さん、ありがとう、ありがとう…感謝の思いでいっぱいです。

おしむらくは、一言、二言、こう付け加えてほしかった…かな。

こんなに素晴らしい『古事記と現代の預言』をどうして谷口雅宣総裁は絶版にするの…おかしいよ!

更に、『古事記と日本の世界的使命』は「光明思想社」からではなく「日本教文社」が出すべきだった、なのに、どうして出さなかったんですか…おかしいよ!

それどころか、「著作権裁判」では、『古事記と日本の世界的使命』を回収せよと「光明思想社」に迫ったというではありませんか、谷口雅春先生のお書きになったものを回収せよなんて、よくもそんなことが言えますね…絶対、おかしいよ!

「訊け」さんが、そう言ってくれたら、どんなに嬉しかったことか…?

ともあれ、私は何を出されても“都合が悪い”なんて思いはしません。

万が一、そう思ったとしても、私には、それを阻止する何の“権力”もありはしません!

“都合が悪い”から絶版にする…それは“権力”がなければ為し得ないことであるということをくれぐれもお忘れなく…。

間違った(私がそう判断したのです)“権力者”には、私は絶対に屈服はしない。

“奴隷の平和”には甘んじない、貴兄の尊敬する西郷さんはそう言う人ではなかったでしょうか…?

2233神の子様:2013/01/31(木) 17:39:37

本流派とは違う行動ですが?『古事記と現代の預言』は。。。。
都合悪いのでは?

2234神の子様:2013/01/31(木) 21:58:48
総裁が、「迷いは自由からくる」と発言しているということは、迷いはあると言っているようなものですよね。
迷いはあると考えているなら、実相を説くことはそもそも無理な話です。雅春先生の実相哲学を全く理解していない発言ですし、虚説どころか全く別の教えだと思います。

2235「訊け」管理人:2013/02/01(金) 08:38:23

>>2232熊本鎮台殿


>>だって、「訊け」さんが出していただいたものは、谷口雅宣総裁が絶版にした聖典であり、「光明思想社」が出版した聖典であるからです。“都合が悪い”どころか、よく出してくれました、「訊け」さん、ありがとう、ありがとう…感謝の思いでいっぱいです。<<

 喜んで頂き、なによりです。いやーホント、光明思想社ですが素晴らしいと思いますよ。いやだって、同社刊『古事記と日本国の世界的使命』ですが、以下のような記述が紹介されてあるのですから・・・・・いやー素晴らしい。


-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-

吾等は新日本の前途に就いて毫(ごう)も不安を感じることは要らないのであります。若し憂慮すべしとするならば、三界は唯心所現でありますから、この新日本の実相を信じないで、我国の前途に就て、不安憂慮の声を洩らし、国民の意気を沮喪(そそう)せしめ、国論の団結を破壊してしまう種類の人であって、かかる人は『憂国の人』のように見えましょうとも国民の一致団結を破り、日本の実相の顕現の日を遅らせる働をする人ですから注意せねばなりません。(『古事記と日本国の世界的使命』159頁より謹写――)

-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-


 そうです。もう現象を見て「た い へ ん だ ぁ ぁ」な声を挙げている人をこれ、雅春先生が牽制されておられるわけですよね。私はこの、同書拝読するまで知らなかった御文章でございました。「かかる人は『憂国の人』のように見えましょうとも国民の一致団結を破り、日本の実相の顕現の日を遅らせる働をする人ですから注意せねばなりません。」―― いやホント、光明思想社担当各位に御礼申し上げます。さらにはこんな、御文章まで。



-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-

即ち神の子として追放せられたのであります。如何に天照大御神の天地経綸の機織の邪魔をするものでも、一たび天照大御神に近づきますと、このように光に化せられ、以前よりも明るき姿になり、神の子として追放せられ、後日、神の子としての手柄を立てて赦されるという余裕を与えられるのであります。これが敵に対する(本来敵はないのですから)日本精神であり、磔刑にして置いた上に、心臓にまで止めを刺すユダヤ精神とは異るのであります。(同書より謹写――)

-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-∵-∴-


 (たとえば総裁の)追放策までも教示、されてあります。そうです。誰かを追放する際はもう、「神の子化してあげる」とよいのですよね。ええ・・・(中略)・・・「相手は悪!」「即刻追放!」なんていう、そんなユダヤ精神と日本精神は、違うわけです。いやホント、光明思想社担当各位に御礼申し上げます。こんな気づきはなかなか、得られるものではありませんよね。

 なお全文は、呼び捨てブログhttp://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65712581.htmlです。ちなみに余談ですが今後、「大変だアア」とか「そんなヤツは即刻○○!」などの発言、見られた際はこう言います。「それは、光明思想社の努力を無にする者だ!」と。・・・(中略)・・・光明思想社に弓引く者は、断じて許しません。今後も「著作者と同一行動をとる者ノミ、生長の家と呼称する云々」の記述、これに反する者あらば・・・(中略)・・・もう、止めておきましょうか、これ以上は(笑)。



拝(笑)。

2236「訊け」管理人:2013/02/01(金) 08:46:59

 なお補足・・・・(本島の件)

>>これで「小躍りして喜ぶ」のであれば、私はそんな人を本流復活派とは呼びませんし、また呼びたくもありません…<<


 そういうことは、お仲間に言うべきです。そうでは、ありませんか。

 いやお仲間ですが、「鶏肉」や「弁当」で小躍りしている方々が、多くはありませんか。

 ああいったものを見せられておれば、少なくとも(私の様な)第三者的立場の者は、「はあ?」に、
なりますよ。

 ですんでその種の言葉は、お仲間へ向けて発せられると、よいかもしれません。以上、出過ぎた感あるアドバイスなど。





2237「靖国見真会」参加者:2013/02/01(金) 09:11:38
「訊け」さんへ

小躍りしているのですか…少なくとも、私は、谷口雅宣総裁の言行不一致、或いは姑息な手段で不都合な所は隠してしまう、そういう姿勢への怒りとしか映りませんでしたが…。

2238さくら:2013/02/01(金) 09:14:09
監督。

 >いやお仲間ですが、「鶏肉」や「弁当」で小躍りしている方々が、多くはありませんか。

…うーん…、こういうことを書くと、またいやみ、と誤解を受けるのがいやなんですけど、ここは宗教の掲示板なので…
あるはなしとして、思い出したものがあり、
信仰のせかいは「常識」を超える世界があり、面白いですね…。
…と、まあそういうひとつのはなしとしてのことです。

「或る時、弘法大師が人々を救濟しておられますと、その救はれた内の一人が晩餐に弘法大師に猪の肉の入った料理を供養したのであります。
すると、弘法大師はそれを布施の食物、慈悲の食物、佛の食物としてお喫りになったのであります。
それを見てゐた、日頃弘法大師の強化力の強いのを嫉妬してゐた一人の男が弘法大師のところへ詰め寄って來て、
『お前は、肉食妻帶を戒としてゐる眞言宗の 僧侶であるのに、肉食をするとは怪しからぬ。この生臭坊主の正し體を見さつしゃい』
といって弘法大師を滿座の中で辱かしめようとしたのである。
すると、弘法大師は被仰つた。
『わしは決して肉食など殺生はしないよ。わしは生かし合いの食物、慈悲の食物、佛の食物を拜んで食べただけだよ』
『何を?この生臭坊主め、今、汝が猪肉を食つてゐるのを、わしは眼で見たんぢゃぞ』
と、その男は激しい語調ででいつた。
弘法大師は淡々とした口調でいはれた。
『お前がその眼で見たのならば、恐らくお前が食つたのだらう』
『わしは、お前のやうな生臭坊主とはちがふから、毎日、精進ものばかり食べて肉食などした覺えはないぞ』
とその男はいつた。
弘法大師はいはれた。
『それなら、どちらが肉食したか、互いに吐き出して見たらわかるだらう』
2人は夕餉食べた物を、咽喉へ指を挿し込んで無理に吐き出してしまつたのである。
すると、弘法大師の吐き出した食物の中に一片の猪の肉もなかつたが、その男の吐き出した食物の中には、無數の猪の肉片が混ざつてゐたのであつた。
これは其の男が
『生滅の心行』をもつて実相(じっそう・眼には見えない本当の姿)を見てゐるから、見る通りに肉食の姿があらはれたのであるのであるが、大師は、実相の心をもつて実相を見たから、実相の不殺生の姿があらはれたのであります。
実相においては、この世界に殺し合ひはないのであります。」

2239「靖国見真会」参加者:2013/02/01(金) 09:16:32
「訊け」さんへ

絶版されたこととか、回収を命じられたこととか、そういう「権力」の横暴こそが、私は問題だと思っているのに、そういうことはまともに請け合ってもらえないのかなあ…

2240「靖国見真会」参加者:2013/02/01(金) 09:25:11
「訊け」さんへ

「総裁追放」も「和解」も、私にいわせれば、谷口雅宣総裁の“良心”に待つ運動という点で、実に厳しいという認識であることを以前から、申し上げたつもりです。

だから、私は“棲み分け”で新たな道を探るしかない、それが一番、今の現状にあった道であると申し上げている筈ですが…。

2241トキ:2013/02/01(金) 10:00:49
 おはようございます。

 うーん、実は訊け管理人様が言われた通り、本流光明掲示板では、ローストチキンや弁当のネタで盛り上がっているので、
つい書きました。でも、復興G様の文章と比べると、どうも本流復活派の言動は見劣りしていると感じます。

 それは別にして、総裁の発言は、信仰の本質的な部分にかかわる問題のはずなのですが、本流復活派が誰も問題にしなか
ったのはどうかと思います。その事を申しあげたかったのですが。

 あの発言で、本流復活派を馬鹿にする意図はなかったものの、「靖国見真会」参加者様がご気分を害されたら、それは
私の真意ではないので、お詫びします。

合掌 ありがとうございます

2242「靖国見真会」参加者:2013/02/01(金) 10:14:03
「トキ」さんも怒るべきだったんです!

「森のオフィス」も「ノーミート」も、生長の家の本来の運動ではありはしません!

だったら、その行き過ぎに警鐘を鳴らすべく、怒るべきなのですよ!

それは本流復活派、和解派、関係ないのですよ。

私はそう思っています。

2243神の子様:2013/02/01(金) 10:55:12
就活失敗した息子が死ぬと言ってます
私も一緒に死にたい
自殺は苦しむって本当ですか?
生き地獄よりましなんじゃないですか

2244「訊け」管理人:2013/02/01(金) 12:52:19

>>2243

 お話しでも、しませんか。

 私もリーマンショックの際、まあ、自殺寸前まで行った男です。まあ「気持はわかる」とは、申せませんが
ある程度のお役には、立てるのかもしれません。ですんで決行は少々延期するのは、いかがでしょうか。

 ・・・・メールをお待ちしております。よろしかったらスカイプなど、お話ししませんか。


追伸

 その息子さんにはこう、言ってあげたいです。「オマエ、伸びるぞ」と(^^)。「オマエ、伸びるんだから今死んだら、もったいないぞ」
と。まだ死ぬのは、もったいないです。そう思いませんか。(いずれにせよご連絡、お待ちしています。)

 con5151@livedoor.com

2245初心者:2013/02/01(金) 13:09:49
さくらちゃんへ

弘法大師と総裁を同列にあつかうことはできませんでしょうけど、ローストチキン
問題で総裁を非難している連中と、弘法大師を口をきわめて非難した男とを同列
にあつかうことにはなんの問題もないと考えます。

それにしても訊け様、さすがですね。「信が第一」の人はどうしてるのでしょう。

2246初心者:2013/02/01(金) 13:13:31
>>2234

「迷いは自由からくる」。雅春先生もこのように説いておられたのでは?

神は完全なる人間を創った。しかし人間に自由をあたえた。それは迷うことも
できる自由だった。神は、人間に自由をあたえれば迷うということもご存じで
あった。

こういうことを雅春先生はいっておられたとおもいますが、わたしの思い違いで
しょうか。

実相哲学の本質とは、神がいったんは完全な人間を創っておきながら、なぜ迷う
方向に人間を仕向けたか、ということにあるとわたしは考えますが、いかがお考え
ですか?

完全なる実相世界を創っておきながら、神はなぜそれで終わりにされなかったの
か、この謎を解くのが実相哲学の本質であるとわたしは考えます。


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