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荘周 その言葉

22アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 13:43:19
【解説】

許由や藐姑射の山の神人は、荘子の思想の体現者です。
彼らはすでに自分の心を治めており、政治に関わろうとしないのです。

隠者というやつですが、隠者にもいろいろなタイプがあります。
意外かもしれませんが、儒家にも隠者はいるのです。
彼らは天下に政治が正しく行われれば出ていって政治に関わるのですが、
行われなければ隠れます。
基本的に政治的志向が強いのです。

それに対して、荘子は政治を「人為」であり、自然の状態を損ねるものとして嫌います。
こうした姿勢が社会的共感を得られなかったのは、当時の中国であろうと、いつの世の中であろうと、
変わらないと思います。
そもそも社会を否定しているのですから。

ただ、怠惰にして社会と関わらないのと、荘子は全く異なると思います。
怠惰な人は、労働を嫌い、安穏を愛して 何もしないのですが、
荘子は何かを嫌い、何かを愛する 差別をも否定しています。
何も肯定せず、何も否定せず、いっさいを受け入れ、人為を排して……
枯れ木のようであることが荘周の理想なのでしょう。

23アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/01(日) 14:11:39
【解説2】

ここで、あれっと思った人もいると思います。
「万物斉同」「絶対無差別」を思想とするなら、人為を嫌ったり社会を否定するのは
おかしいのではないか? という指摘は、当然考えられます。
当時から、荘子を攻撃する人たちはこの指摘をしてきました。
そして、荘周なきあとの荘子学派の人々も、自己矛盾に耐えきれなくなったのか、
この指摘を受け入れるようになっていきます。

『荘子』には「内篇」「外篇」「雑篇」があり、「外篇」「雑篇」は全て後世の荘子学派の筆になるものです。
「外篇」「雑篇」は、一部を除いて「内篇」とは全く異なるものといえます。
内容は、人為すら人間の持って生まれた自然であるとして認め、政治も肯定します。

理由の一つには、人間というものをどうとらえるか、それが変化したこともあるでしょう。
荘周は、自然は全て人間の外側にあると思っていた。
人間の心の動きは、なにかはかり知れない大きなものによって決められているものだと思っていた。
「道《タオ》」と呼ばれるやつです。

それが、人間の内面というものが意識されていくにつれて、それを認めようじゃないか、と
思われていったのが大きいと思います。

こうして書かれた「外篇」「雑篇」の中には、『老子』色が強くなったものから、さらに積極性を増し
儒家、ときには法家的な思想をもった記述さえ見られるようになります。

結局、荘周の思想は荘周個人の死をもって『荘子』本編からは消えていきます。

24アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 01:58:45
〔九〕

論理学派の恵施《ケイシ》くんと話したとき、かれがこんな話を聞かせてきました。


「魏王が私に大きな瓠の種をくれてね。蒔いて育ててみたら、五石も入るほどの大きな実がなった。

ところが、こいつに飲みものを入れると、堅いし重いし、持ち上げることもできない。

そこで、割って柄杓にしてみたら、浅いし平たいし、水を汲むこともできない。

ばかでかいだけで、使い道がないから、ぶちこわしてしまったよ」

25アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:20:20
これを聞いて、荘周《わたし》は言ってやりました。


「お前さんは、元々 大きいものを使いこなすのが下手だからな。丁度こういう話がある。

昔、宋の国に男がいた。あかぎれ知らずの薬を作る名人だ。代々、真綿を水にさらして暮らす家に生まれた。

ある時、旅の者がこの噂を聞きつけて、秘宝を百金で買いたいと申し入れてきた。

男は、一族を集めて相談したそうだ。


──我が家は代々、真綿のさらしをやってきたが、収入はせいぜい数金どまりだ。

ところが、今一度にこの技術を百金で売ることができる。ひとつ、売り渡すことにしたいと思うが……

26アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:21:10
結局、旅の男はこの薬を手に入れて、呉王にその効能を説き立てた。

呉越の戦争が起こったとき、男は将軍となって、冬のさなかの水戦で、大いに薬を役立てた。

越軍を大いに破った男は諸侯に昇ったというよ。

どちらもあかぎれ知らずの薬を作ることでは変わりがないが、一方は諸侯になり、他方は真綿のさらし業から抜けられない。

同じものでも、使い方が異なっているわけだ。

今、お前さんも、せっかく五石も入る瓠を持っているんだから、いっそ大きな樽を作って舟に仕上げ、

ゆうゆうとした大江や湖に浮かべてはどうかな。

それもしないで、浅く平たくて水も汲めないなどと愚痴をこぼしているところを見ると、

お前さんも案外、融通のきかない男のようだな」

27アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:43:13
【解説】

『荘子』に十数回に渡って登場する恵施が、ここで初めて登場します。
荘周は恵施の最も厳しい論敵でもあり、最大の理解者でもあり、よき友人でもありました。

この節では、荘周の思想のうちでも重要な「無用の用」が初めて示されます。
「無用の用」とは、

「世間にとって有用なものは、有用なゆえに放っておかれず、人為の世界に組み込まれてしまう。
無用なものこそ、世間の煩わしさから解放され、万物斉同、絶対無差別の世界を手に入れることができる」

という考え方です。

恵施の手に入れた瓠は、日用品にはとても向かなかった。
それゆえに、日用品なんぞに使われることなく、ゆうゆうと水に浮かぶことができたはずだった。

ここでの寓話には注意点があります。
この話では、諸侯となった男を上、真綿のさらし業にとどまった男を下とみなしていて、
本来の思想とはかけ離れているように思えます。
立身出世など、荘周は無関心のはず。
まして「無用の用」は上に書いたように無心の遊びに役立つということであり、世の実用ではないのですから、
誤解を生みかねません。

おそらく、これは導入段階であるがゆえにわかりやすい話を用いることを選んだ、ということだと思われます。
大切なのは、むしろ

「いっそ大きな樽を作って舟に仕上げ、ゆうゆうとした大江や湖に浮かべてはどうかな」

というところです。

28アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 02:50:24
〔十〕

それが悔しかったのでしょう。恵施くんは荘周《わたし》に言い返してきました。


「私の家に大木があってな、人はこれを樗《チョ》と呼んでいる。

太い幹は、こぶだらけで、墨縄のあてようがない。

小枝のほうは曲がりくねって、さしがねも役に立たない。

だから、この木を道端に立てておいても、大工も振り向かん始末だよ。

あんたの議論も、この樗の木のようなもんでな…… 大きいばかりで無用のしろものだ。

誰も振り向いてくれる者はいないよ」

29アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 03:01:17
「ヤマネコというものを知っているかね、お前さんは」 荘周《わたし》は答えました。


「しゃがんでじっと獲物を待っているんだ。いざ獲物とみると、右へ左へ跳ね回り、あたりの土地の高低も眼中にない。

挙げ句の果てに、罠にかかって、網の中で死ぬのがおちだよ。

これと反対なのは野牛さな。野牛の大きさは、天をおおう雲ほどもある。

これは確かに大物で、罠や網にかかる心配はないが、そのかわりヤマネコのように獲物をとらえることはできない。

さあ、このヤマネコと野牛、どっちが良いとあんたは思うかね。

お前さんは、せっかく大木をもちながら、役に立たないことを気にしておられるようだ。

それならいっそのこと、これを無何有の郷、広漠とした果てしない野原に植えて、

その側で彷徨いながら無為に暮らし、木陰でゆうゆうと昼寝したらどうかね。

斧や鉞で命を落とす心配もないし、危害を加えられる心配もないものは、少しも困らないものだよ。

たとえ、それが無用のものであってもね」

30アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 03:06:35
【解説】

社会的に無用な存在は、世の煩わしさから解放され、個人の自由な生活を得られる。無用の用。
それは単に身の安全をはかるという、保身の次元にとどまるものではありません。
宗教の真理は、外物を追う政治の世界にはなく、
孤独な個人の内面生活のうちにのみ現れます。

さて、逍遙遊篇はこれで終わりです。
読んでいておもしろく、心の栄養になる篇ですが、
解説で何度も指摘しているように、荘周の思想の根本である万物斉同の説は、まだ示されていません。
思想として最も重要なのは、次の「斉物論篇」です。

31アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/02(月) 20:40:32
【小話】

「荘周の思想の体現者に『隠者』はいないということ」

荘周の思想に生きる人は、隠者ではありません。
政治に無関心で出仕しないのなら隠者じゃないか、と言われそうですが、
正確に言えば、そういう人たちは自分を隠者だとは思っていない ということです。

隠者という言葉を見てみましょう。
隠れる者です。

政治を行う者にとって、政治の場こそが表の世界。
そこに出てこない者は、隠れている、というわけです。

また隠れている立場の人からすれば、
今の政治は気に入らない。だから私は隠れるのだ、隠者になるのだ、
といった具合になります。

「隠者」とは、政治の場を意識している者にのみ適用される言葉なんです。

荘周の思想の体現者にとって、政治の場など眼中に入っていない。
自分の生活こそが表であり全て。
だから隠れていない。

老荘=隠逸という認識には、少しの誤りがあるわけですね。

32アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/06(金) 00:51:26

第二 斉物論 ─ 物を斉しくする論 ─

〔一〕

楚の国に、子綦という人が住んでいました。

城の南に庵を結んでいたので、南郭子綦と呼ばれていたのですが、今日はこの人の話をしましょう。

ある時、南郭子綦は机にもたれて座り、天を仰いで、大きなため息を吐きました。

この時、目の前には弟子の顔成子游が立ち控えていたのですが、

子綦は茫然として、いっさいの相手の存在を忘れ去っているかのようでした。

顔成子游が言いました。


「先生、いったいどうなさいましたか。

どうすれば、このように身体を枯れ木のように、心を冷え切った灰のようにすることができるのでしょう?

今、机にもたれかかっていられる先生は、先程 机にもたれかかっていられた先生と、まるで違っているように思われます」

33アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/04/06(金) 00:52:09
すると、子綦は口を開きました。


「子游よ、お前も見所があるね。そのような質問をするのだからな。

今、わしは《我》を忘れていたのだ。それがお前にもわかったのかね。

だが、お前は人籟……人が奏でる音楽を聞いたことはあるにしても、地籟……地の奏でる音楽を聞いたことはあるまい。

それにもし地籟は聞いたことがあるにしても、天籟……天の奏でる音楽は聞いたことがないだろう」

34 ◆FFuF8qXBFw:2012/06/09(土) 20:43:13
うーん…、難しくて分かんない(笑)

35アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/06/10(日) 09:24:28
俺は荘子「逍遙遊」を三年間、気が向いた時に読み、読み、読み返して
始めて心に曇り無く理解できたと確信した。
逍遙遊は恐らく荘周が非常に若く、まだ思想が確立されていない頃に書いたものではないかと
俺は思っているが、
逍遙遊を理解できてしまえば、内篇の他の篇はなしくずしに理解できる。

36アンジェ ◆Enju.swKJU:2012/06/10(日) 09:26:12
俺は、今自分が理解したものをわかりやすく書いてはいるが、
それにしても、たった一度読んだだけで、理解するのは難しいのではないか?
「難しくてわかんない」と思った先に読み返しがあるか、ないか、ということだ

37 ◆FFuF8qXBFw:2012/06/10(日) 22:53:14
なるほど、逍遙遊ね。それにしても三年間ってすごいなー。
老荘の教えは結構好きですが、あまり詳しくない…
でも、荘子の人格は気に入ってます。
彼の悠々とした人生を自分もおくりたい

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