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会議室|総合
1
:
サイト責任者★
:2012/02/10(金) 20:48:50 ID:???0
根拠を示す、もしくは探るような突っ込んだ話題。
2
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/18(土) 05:59:19 ID:J6i0JY6c0
気付きによって自分の身に何が起こるかは、本当に人それぞれなので、体調に実際の変化が起こる方もいるし、まったく起こらない方もいます。
自然と調和する感覚が強くなっていると感じることもあります。
何も起こらなくても問題ありません。心配いりません。人それぞれです。
しかし、以前と何か違うという感覚に気をつけるのは、とても大切な事です。
それもまた気付きであるからです。
間違いや勘違いはたいした問題ではありません。誰にでもあることです。
意欲的に分析してください。
我々は、物理的に何も変化がなかったり、自分の体を痛めつけたり、特別な力がないと嘆いたりする必要はまったくありません。もし条件があるとしたら、この文章が読める人です。
我々に必要な変化は、気付きだけです。
3
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/18(土) 08:41:34 ID:J6i0JY6c0
知識について
自分が知り得た知識のみが最高で、そのほかはすべて愚かなことであるという考えは、注意深く考察すると、その考え自体に矛盾が含まれていることに気が付く。
知識は、その時点で完結するものではなく、継続された時間の中でその正確性が強化される。
今が最高ではなく、常に未完成だ。
意識してか無意識か、その根源は別にして、その未完成をできるだけ完成に近づけたいと感じるから、より一層の知識を求める。
その継続は当たり前のサイクルだが、完成したと断じたその瞬間から、継続をやめたその瞬間から劣化が始まる。
知識の種類や継続方法は様々だ。
例えば、宗教なども知識にあてはまるかもしれない。
もちろん、チャネリングメッセージもだ。
知識を求める人々の間でしばしば摩擦が起こる。
平和を願うというような根本的な思想は極めて相似しているのに、それぞれで学んだ知識が唯一無二の真実だとする論争が生まれる。
それは白熱することはあっても終息することはなく、そこに答えなどない。
我々は誰かを負かすために知識を求めているわけではない。
他ならぬ自分を納得させるためだけに知識を求めているはずだ。
4
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/18(土) 08:52:05 ID:J6i0JY6c0
生きるとはいかなる理由があるのか。
今の所、それを普遍的に語るのは誰にも出来ていない。
生きるとは、人の道を歩むことである、と今は仮定しているに過ぎません。
しかし、我々は常に生きているわけで、そこから感じる想いを情報として、可能性を探ることは出来るはずです。
我々が共に歩み、その理由を求めたいと一緒に願い努力するならば、必ずそこへたどり着きます。
5
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/18(土) 09:04:13 ID:J6i0JY6c0
僕が行っているのは何一つ特別な事ではない。
誰でもできる、とても単純な事だ。
事実だろうと思われる物事を積み上げ、そこから導かれる結論を得て、そこからさらに考察する。
結論が得られたらそれを問いかけ、結論が得られない場合は、そのまとめた情報を整理し、情報元に問いかける。
それだけのこと。
6
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/19(日) 17:30:58 ID:xsYsm9JU0
予言、天変地異に対しての考え方
しばしば予言を行う者がいます。
それは、この世界が進む可能性をイメージとしてみることが出来る能力を持った人です。
わかるのはイメージとしてですから、その表現方法や度合いは預言者の表現力に依存します。
ときには恐ろしく正確な予言を行う者もいて、その正確さゆえに、そのあまりの恐ろしさゆえに、その知っているという責任に耐え切れず、情報公開という道を取ってしまいます。
しかし、その予言がいくら正確であっても、いや、正確であればあるほど、それを回避することは困難であるのです。
宇宙のすべての存在は根源的にひとつであるという考えが根底にあると仮定します。
そうすると、この世の出来事すべては、宇宙の意志ということになります。
つまり、世界的な天変地異が起きるからといって、それを回避する、生き残るために何かに執着する、というのはまったく意味がないことに気付きます。
そして、それが来るからといって、絶望を感じる必要はありません。
我々は根源的にひとつですから、本来の意味で、その意志は我々を傷つけるのが目的ではありません。
何の意味もなく自分で自分を傷つけるようなことはしません。
宇宙にとって必要だと思われることが、この世界で起こっているだけです。
ですから我々に必要なことは、正確な予言を熱望するのではなく、何が起こっても宇宙の意志であるという考えをもち、人の道を忘れず、日々の生活を営むことです。
7
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/20(月) 06:07:51 ID:LKOnIRyM0
力
前提:力というのを自分とは違う思想を持った相手を排除する物理的・精神的を問わない力のことと定義
ある力関係を有する集団において、均衡が保たれている場合は、平行線が続きます。
それは一見、平和のように見えますし、状態においては平和なのかもしれません。
しかし、それに満足せず、その均衡を破ろうとするものがあらわれたとします。
その場合、なぜか、力で相手を負かそうとするわけです。
相手を力で打ち倒したとき、その次に起こるのは、それ以上の力で打ち倒されるということです。
力の強き者が勝利を得続けますが、いずれにせよ、それは最初に思い描いた理想郷とは程遠いところにいます。
歴史と言われる過去を紐解くまでもなく、現代の生活においてさえ、その現象は見られるはずです。
そして、それは無限の連鎖を招くだけで、なぜか、どうやっても終わらせることが出来ません。
それはひとつの仮説を作り出します。
力で相手を排除することが問題を解決する方法ではない、ということを。
8
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/20(月) 06:10:12 ID:LKOnIRyM0
生と死に関する考え方
精神的なもの、死にまつわる心理についての考察、物理的な死そのものについての考察、死ぬ瞬間、
様々あるが、唯一いえることは、
現状において、生きているうちは、誰もそれを証明できないことだ。
このような体験をした、このような記録があった。
しかし、それらは特定の個人が体験したことであって、
いつでも誰もが体験できるものではなく、
死後の世界を、生きている者が論じても、誰もが納得する証拠を示すことが出来ない。
普遍的に証明が出来ない知識を論じていったいどのような意味があるのだろう。
死は罪かという問いかけがある。
極めて一般的な話題で、そして、極めて難しい問題だ。
まず、人の死について考える。死とは何か。
死というものを人生の終わりであるものと定義する。
ということは、それを確認するためには生を終わらせるしかない。
生を終わらせる事が可能なのはただ一度きりだ。
そして困ったことに、一般的に、死を迎えると、生では当たり前の会話というものが成り立たない。
情報を得るために死を選択すると、欲しい情報が提供できなくなる。
論理的矛盾。
自殺とは自ら命を絶つことで、それも死だ。
これは自分を痛めつけたり、暴飲暴食などで物理的・精神的に自分を死に追いやることも、自殺に分類してもよいかもしれない。
他人の命を奪うことも死に繋がる。
考察の方向性を変える。
宇宙のすべての存在は根源的にひとつであるという考えが根底にあると仮定します。
宇宙にとって必要だと思われることが、この世界で起こっている。
そして、そのためにすべての存在が役割を担っている。
万が一、その役割が果たされる前に死を迎えたとしたら、それこそ死の罪というものではないだろうか。
自分の役割は自分でしか気付くことができない。
自らの役割を果たす前に自ら放棄すること、他人の役割を果たさせないまま放棄させること、
これらは同義だ。
我々に求められていることは、自分にしか出来ない役割を見つけること。
それを揺ぎ無い信念と努力で成し遂げること。
それを成し遂げられたとき、あなたの生は結実し、宇宙のすべての存在と根源的にひとつになる。
9
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/20(月) 06:16:05 ID:LKOnIRyM0
なんらかの知識を得たとして、それが一体何のかというのを追求するにあたり、
自分以外の見解を求めて客観性を得たい場合があります。
その際、これこれこういうもので、それがこう変化し、最終的にこうなる事についてどう思うか、
といった話をするわけです。
そうして様々な人々の見識を得ていく過程で、その知識の会話を始めるのに一から説明を加えるのは合理的ではない。
だからそれに名称を与えます。
固有の名称が与えられることもあるし、既存の似たような言葉で代用されることもあります。
いずれにせよ、そうやって名称が与えられたということは、そこにある程度の普遍的な観念が生まれたということです。
観念が生まれることは、喜ばしいことです。
それをもとに他の観念とあわせてより広くより深くそれを追求することができます。
10
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/20(月) 06:17:50 ID:LKOnIRyM0
僕が語る知識は、すでに存在するものを拾い集め、再構成しているに過ぎません。
知識はいたるところに存在する。ただ気付き難いだけで。
それはネットにあるかもしれない。
ならば、ネットを探してみればよいのです。
あなたの隣の人が、その答えを持っているかもしれない。
ならば、あなたに必要なのは、その人に語りかけることです。
11
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/21(火) 20:11:47 ID:5W8ZeZB.0
可能性の物語を書きます。
地上で起こっている数々の問題は、政治・経済・教育など、その性質が多岐に渡っています。
地球で暮らす多様な人々の日常から発生する事柄ですから、多様性を持つのは当然といえます。
世界ではそういった数々の問題提起がなされていて、それらに対して識者が論じています。
そして、度々出てくる問題の中で、格差社会が話題とならない日はありません。
それらに対しては、劣等感や選民意識、経済に関わる物事などが原因として挙げられることが多いようです。
その中のひとつ、経済は現在の日常に欠かすことの出来ない要素です。
そしてその経済の中でもっとも知られている要素は、言うまでもなく貨幣制度だと考えられます。
僕は専門家ではありませんので、貨幣制度に関しての本質を語ることは出来ません。
僕の力量では、貨幣制度を語りつくせる表現を持ち合わせておりません。
しかし、貨幣制度には数々の問題があり、多くの専門家がその問題を解決しようと努力をしていますが、いまのところ、その問題を根本的に解決できていないことは知っています。
そして、いま、その貨幣制度は、破綻を迎えようとさえみえます。
もう破綻しているのかもしれませんが。
そこまでしてなぜ貨幣制度にしがみ付かなければいけないのでしょうか。
いっそのこと手放してしまって、一から経済というものを考え直せばよいだけではないのでしょうか。
貨幣制度を一気に無くすと世界経済が混乱するため、それをすぐには無くせないという理論があります。
その代替案として、徐々にその利用を減らしていって影響を少なくする。逆に、極限まで飽和させてしまって湯水の如く使えるようにする。といった理論が生み出されていきました。
でも、どれほど貨幣制度を解決へと導く案が出ても、それが採用されることがありません。
もうそんな小細工などせずに混乱を起こるがままに一気に無くそうという動きも出てきます。
しかし、経済の根幹を成すといってよい貨幣制度を取り払った場合の社会的混乱の懸念に戻り、議論は永久に循環し、終わることはありません。
なぜこのような堂々巡りになるのでしょうか。
本当に貨幣制度というものが原因なのでしょうか。
本当に格差社会が問題なのでしょうか。
この無限連鎖の原因は一体どこにあるのでしょうか。
原因と結果の関係から言えば、格差社会も貨幣制度も問題ではなく、なぜ社会的混乱が起きるのが問題なのではないでしょうか。
そして、我々はその混乱に対しての解決策を論じ合わなければならないのではないでしょうか。
しかし、その社会的混乱に関しての議論はほとんど行われず、いまだに経済と貨幣制度をベースとした議論が永遠と続いています。
終わり無き議論です。
社会的混乱とは何でしょう。
社会の要素とは何でしょう。
社会は家族の繋がりであり、家族は個人の繋がりです。
突き詰めれば、我々が気付きさえすれば、すべての問題は解決するのです。
12
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/21(火) 20:13:03 ID:5W8ZeZB.0
僕のお願いです。何度でも書きます。
宇宙のすべての存在は根源的にひとつであるという観念を常に忘れず、礼節をもって相手と会話をし、本質を見定める努力を続けることが人の道です。
犯した罪は償わなければなりません。それは因果の法則ですから、その結果を受け入れなければなりません。
しかし、それは、決してそのものを貶めるようなものであってはなりません。
根源的にひとつである我々は、彼らといわれているものも含めて、根源的にひとつなのです。
彼らは我々であり、我々は彼らです。
我々を許してください。すべてには役割があります。
13
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/24(金) 00:18:15 ID:KuWEV2mM0
楽しさが悪いはずがない。それは心を豊かにしてくれる。
楽しさが悪いはずがない。それは心を癒してくれる。
楽しさという観念自体が悪いわけではないはずだ。
楽しさを悪いことだと思わないで欲しい。
ただ、我々は知らないことを知りたいと欲求しているだけだ。
無知であることを知り、知る方法を探しているだけだ。
そんな想いが心の底から湧き上がり、戸惑って、どうしようもなくて、わからなくなる。
ただ楽しめればよいなんて言い訳だ。
何を楽しもうとしているのかを見失っている。
我々は何を目指しているのか。
我々は知りたいはずだ。知りたいと欲求している。
知りたいという欲求を満たしたいと考えている。
知ることが喜びで、楽しみなはずだ。
それを見失うと、我々は自分がどこにいるのかわからなくなる。
14
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/24(金) 00:41:59 ID:KuWEV2mM0
僕はふと考えるけれど、いつも答えが虚空に消える。
人と人との違いなんて、ほとんど誤差みたいなものなのに。
僕達は究極に相似しているというのに、なぜその相手を傷つけてしまうのだろう。
いつかの僕がどこかのあなたで。何も変わらないというのに。
15
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/28(火) 09:55:30 ID:EybovGTs0
技術というのは仮説を積み重ねることによって発展すると考えています。
仮説を反証して正確性を高めて、それを踏まえてまた仮設を立てて反証。
このサイクルを繰り返すことによって既知の知識は強化され未知の知識が開拓されてゆく。
知識は知れば知るほど楽しくなってきます。
全然わからなかったことがわかるようになると楽しくなります。
楽しいことは長く継続したくなります。
この継続のためには安定した平和な日々が必要だと考えました。
しかし現状をみると安定した平和な日々とは程遠い状況です。
争いが絶えない、物騒なニュースが流れない日はない。
旧時代ならまだ規模も小さくて何度でもやり直せたと思います。
しかし、いまは技術だけはそれなりに進歩して、
いまでは地球を何度も破壊できるほどの兵器が存在するまでになっています。
絶対にその破壊兵器を使わない、なんて誰が保証できるでしょうか。
地球は常に危険な状態であるといえるはずです。
これは終末思想ではありません。
ただの確率論です。
そして、その危険度は確実に上がり続けています。
16
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/28(火) 09:56:28 ID:EybovGTs0
未来は現在の延長線上にあると仮定した場合、
現在の自分の選択が未来を作っているとも仮定できます。
あらゆる選択肢がそこにはあるので可能性は無限大と仮定します。
時間は不可逆的だと考えられていますが、
仮説としては可逆もありえます。
これらの仮説を組み合わせると、
この物理世界には現在で何かを選択する度に可能性が生成されて無限に広がり続け、
我々はその可能性の道を選択しながら渡り歩いているのではないか、という仮説を導きました。
現在で何かを選択した時点でそこから考えられる可能性(未来)がすべて生成される。
仮説ばかりで夢見たいな話ですが、それほど無茶な考えでもないかなと。
つまり、過去・現在・未来が同時に存在する考えもアリかもしれないと。
この仮説をもとにすると、未来人が存在してもよいことになると。
17
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/28(火) 09:57:10 ID:EybovGTs0
『宇宙のすべての存在は根源的にひとつ』という観念が僕の中にあります。
この証明を得るために様々な情報を集めて、どうにか演繹的な証明を試みました。
しかし、僕の力量ではそれを得ることができないでいました。
ある日、いつものように『宇宙のすべての存在は根源的にひとつ』という観念を
考察していると何の前触れもなく突然気付きました。
『宇宙のすべての存在は根源的にひとつ』という観念を僕は知っている、
としか言いようのない感覚。いまは僕の中で真理として、ただ存在しています。
しかし証明ができていません。
それは反証を大量に積み重ねられれば解決できるかもしれないと考えています。
それは果てしなく遠い道のりだとも感じています。
そこへ到達するための条件として継続的な人の意識向上が必要だと考えています。
これらを満たすために共同研究者を探そうと考えたわけです。
18
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/28(火) 10:00:18 ID:EybovGTs0
■技術革新の問題点
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11650/1328874530/15
■未来人の仮説
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11650/1328874530/16
■『宇宙のすべての存在は根源的にひとつ』という観念
ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11650/1328874530/17
こういった仮説を全員で反証を積み重ねれば真理へと近づけるかなと。
それを現代人や未来人や認識できていないあらゆる存在と共に行いたいと考えました。
それを達成するための方法として以前に記載しましたが、
『未来人』とのコンタクトを確実に完遂して『未来人』との会話を成立させて、
その先の『認識できていない存在』へのファーストコンタクトの模索を継続しようという行動につながります。
19
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/02/28(火) 20:45:22 ID:EybovGTs0
(実現条件とした理由)
ファーストコンタクトに実現条件と付与しているのは、ハッキリとした理由があります。
コンタクト対象の存在が何であれ、その存在は我々が知っている知識では判断が難しい存在であるのは容易に想像が付きます。
今まで一般的に経験されていない事を行おうとしているわけですから当然ですね。
そして、わからない知識を得るためには、仮説を立てて反証を継続する道しか解決方法がありません。
知らないことなので既存知識をあてはめながら、でも既成概念に囚われないで試行錯誤するしかない。
では、何がコンタクトを困難とさせているのか。
まず未知の存在とコンタクトを取る場合、コミュニケーションが必須です。
これは必ずしも会話ではなくても、相手のことを理解しようと努力するならば、
絵を描いたりジェスチャーなどで根気よくやりとりを行えば、
コミュニケーションは成り立つのは、説明不要ですよね。
なので、根気よく継続することができれば条件クリアと考えます。
では、次に、継続的なコミュニケーションを行うにはどうすればよいか。
これは、相手のことを理解しようと思わない限り成り立たないです。
知ろうとする意志、これのみが継続を生み出します。
この場合、相手に攻撃性が見えたとき、そしてそれが命を脅かすほどだと感じたとき、
自分の命を投げ出してまでコミュニケーションを取ろうとするでしょうか。
万が一、どのような事も恐れない素晴らしい献身的な行為があったとしても、
攻撃性を伴ったままのコミュニケーションは、成功率が限りなく低いと考えます。
似たような感情で、恐れを抱いている場合はどうでしょうか。
今度は相手から逃げようとしますので同じように成功率は低い。
2つの存在のコンタクトをこのように想定で想像した場合、
片方がどれほど歩み寄ろうとしても、もう片方がそれを排除しようとする限り、
コンタクトが成り立たない、ということがわかります。
つまり、排除を伴ったコンタクトはありえないということです。
では排除を伴わないコンタクトを行うにはどうすればよいか。
シンプルに答えを導くならば、『受け入れる』しかありません。
排除ではなく受容ですね。
しかし、なんでもかんでも受容することを選択すると、
相手が取る言動すべてが常に正となるわけですが、
これは裏を返せば、相手の言い成りになっているだけです。
これではコミュニケーションとはいえません。
いうまでもなく、きっちりと会話の内容を自分で判断する必要があります。
判断というのは自分の価値観だけで正誤を考える、ということではありません。
何せ相手は未知の存在なのですから、価値基準が違っている可能性が大いにあります。
しかし、
○継続的なコミュニケーション
○受容を行おうとする姿勢
○会話内容を考察する
ができるならば、双方の価値基準を話し合って、落としどころを見つけられるはずです。
少し類推するだけでこれくらいの条件は出てきます。
こういったことをできるだけ多くの方と話す場所を作れれば、
そして多くの人がそこに認識を持つならば、
必ずファーストコンタクトが実現できると考えているわけです。
ちなみに、
『未来人』でも『宇宙人』でも、それはただの名称であって実のところ関係ありません。
それが未知であるならば『隣のおじさん』でも、とにかく自分がイメージしやすい対象で考えればよいです。
未知の存在が何であれ、ファーストコンタクトというイベントを実現するにあたって何が問題なのかを認識することに意味があります。
20
:
ミコノ
:2012/02/29(水) 21:46:56 ID:pa1W.QOI0
未来人とのコンタクトを考える場合、俗に言うタイムパラドックスというのが
どうなるのか?それが気になります。
例えば、親殺しのパラドックスは有名ですよね。
21
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/03/01(木) 01:40:35 ID:vxEB2iW20
>>20
ミコノ氏
タイムパラドックス問題の解決が目指すものは何ですか?
解決した場合は何が得られますか?
22
:
ミコノ
:2012/03/01(木) 12:57:16 ID:kaoTy9rQ0
未来人が容易に我々とコンタクトがとれないorとらない理由があるとすれば、
それはどうしてなのか?を考える必要あると思います。
その答えが、未来人とのファーストコンタクト実現条件とも言えるのでは
ないかと思います。
タイムパラドックス問題は、その実現条件の核になる部分だと
思うのですが?
たけふみさんは、そう思いませんか?
23
:
たけふみ
◆etv6OBblL2
:2012/03/01(木) 17:57:32 ID:vxEB2iW20
>>22
ミコノ氏
判断材料には必ずしも問題の答えが必要ない場合もあると考えていて、
タイムパラドックスはそのひとつかなと感じています。
タイムパラドックス問題とは因果の関係性問題と言い換えれますよね。
原因と結果が逆になった場合どのような問題が発生するか、という思考実験です。
仮説の詳細はひとまずおくとして、
例えば、これが問題なしならば、実現条件として考慮不要です。
では、問題ありとなった場合はどうでしょうか。
その場合は問題があるのですから、そもそも未来人とコンタクトを取ることは不可能となります。
なので、コンタクト対象として未来人は無理かもしれないとなるので、
コンタクト対象の変更を示唆するひとつの材料だ、という結論が得られます。
次のアクションとしては、
コンタクト対象は未来人のままで、他にどのような問題・条件が考えられるか、
もしくは、対象をもっと『未知なる存在』に変更して問題・条件を考えるか、
『言葉の通じない外国人』とより身近な対象に切り替えるか、
といった方向性へのシフトが考えられます。
僕は上述のように感じておりますが、
ミコノ氏が『核となる』と考える根拠はどのようなものか教えてもらえますか?
その根拠と僕の考察を調和させれば、また違った角度で新しい何かが創造できるかもしれません。
24
:
ミコノ
:2012/03/01(木) 18:55:18 ID:kaoTy9rQ0
現在において、周りを見回してみても分かるように「未来人が好き勝手やっている」という
状況にはありません。
なので、なんらかの「秩序」があると思われます。
それが何なのか?
考えられることとして、
・人が決めたルール
・自然界のルール
があると思います。(他にもありますかね?)
まず「人が決めたルール」であると仮定して話を進めます。
その際「未来人とのコンタクトがもたらすメリット・デメリット」を
考えると、その答えに近づけるのではないかと思います。
25
:
ミコノ
:2012/03/01(木) 18:56:27 ID:kaoTy9rQ0
未来人とのコンタクトがもたらすメリット・デメリット
「メリット」
・技術のフィードバック
→このメリットは大変大きく、現在我々が持っている懸念材料のほとんどは
解決されると思われます。
(他に何かありますかね?)
「デメリット」
・タイムパラドックスに関する何か?
・その他(ちょっと思いつきません)
正直、デメリットがなんなのか?は思いつきませんが、
メリットをあきらめざる負えないような強烈な「デメリット」が
存在していると思います。
どうでしょうか?
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