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本流対策室/2 板

1792トキ:2012/07/10(火) 20:24:52 ID:UjnWkWEc
>>1791

 いつも御丁寧なご教示を賜り、深く感謝申し上げます。もし、小生の考えが誤解だとしたら、お詫びします。
私の考えは、以下が根拠になっています。

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間違い指摘の間違い (10305)
日時:2012年06月15日 (金) 22時07分
名前:山ちゃん1952

別の掲示板で『甘露の法雨』の歴史的背景を指摘されたのですが、その指摘が間違っていては何もなりません。
「生長の家「本流復活」について考える」の掲示板に下記の文章が掲載されています。

私は雅宣総裁が記入した文章で正しいと思っています。それは

>では、「聖詩 甘露の法雨」はいつから「聖経」と呼ばれるようになったのだろう。私はこの時期を昭和6年の秋頃だと推測する。その根拠は、昭和7年の元日を発行日とする初版革表紙『生命の實相』では、「甘露の法雨」のことをはっきりと「聖経」と表示し、全文を掲載したこの詩編の最後にも「聖経終」と明示されているからだ。さらに、この本の「甘露の法雨」の説明には、次のようにこれが「生長の家の経典である」と明確に述べられているからだ。<

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 ところで、小木虎次郎先生は、「飛び入り参加」様から頂戴した「生長の家京都光明化50年史」によれば、
比叡山での講習会で、自分が気がつかない間に小水をもらし、これを強く気にされ、他人に迷惑をかけては
申し訳ない、というお気持ちから活動を自粛され、翌年、亡くなられたということです。葬儀には、当時、本部駐在員
だった吉田國太郎先生が参列されたとあります。小木虎次郎博士が晩年、活動を自粛されたのはそういういきさつが
あったのです。

 生長の家京都教化部は、大昔、行ったきりですが、不精な私は地元の友人に電話をかけて、詳しい事を聞く事に
しております。山ちゃん1952様が教化部へ行って、資料室の閲覧を断られたという話ですが、資料室の存在自体
部外には公表していないので、友人は驚いていました。当時、教化部長だった阪田成一氏が設立され、基本的に
教区所属の講師しか閲覧ができないみたいです。

 このたびは、御丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。戦前や戦後の活動については、もはや生存者は少数になら
れたので、こういう地道な顕彰作業が必要になると思います。その意味では、山ちゃん1952様のご活躍には心から
敬意を表します。今後とも、一層のご活躍をお祈りします。

合掌 ありがとうございます


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