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聖典引用 板

446復興G:2012/04/18(水) 10:51:37 ID:ojEbkDH2

<つづき>
谷口雅春先生著『神ひとに語り給う』
  (神示講義 教の巻)より
「新天新地の神示」ご講義 謹写<3>

 前記 謹写<2>につづくご講義は、すでに
>>378〜381に投稿しておりましたから、そちらをご覧ください。
 中略させていただきまして、「イスラエルの十二の分派(わかれ)」に関するところを謹写投稿させていただきます。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 さて「新天新地の神示」のつづきであります。

「『生長の家の神』と仮りに呼ばしてあるが、『七つの燈台の点燈者』と呼んでも好い。七つの教へとイスラエルの十二の分派(わかれ)がわが教へで新しき生命を得るのだ。わが教へはどんな宗派をも排斥するやうな狭い宗教ではない。教への太宗(もと)であるから宗教と云ふのである。」

 七つの教へといふのは、すでに説明致しました通り、七つは「完成」の数で、すべてを表すのであります。「燈台」といふのは「世を照らす光」即ち宗教であります。「七つの燈台」で「すべての世を照らす光となる宗教」といふ意味であり、智慧の光によつて迷ひの暗を消してしまふところの教へであるといふことであります。

 イスラエルの十二の分派(わかれ)とありますが、イスラエルつていふのは、五十鈴(いすず)の川の流れといふ意味であります。「いすす」といふのは五十(いす)の鈴の音即ちアイウエオ・アカサタナ・ハマヤラワ………の五十音によつて全ての言葉のヒビキが代表されますが、神はコトバであり、五十音の展開が万物であり、その万物が「統(す)」によつて統一せられる、それを五十鈴(いすず)といふのであります。

 伊勢大神宮の境内に流れてゐる川があります。それを五十鈴川と申しますのは、宇宙の万物を統一する大神をお祀りしてあるのが伊勢大廟であるからです。

  *「イスズ」の「ズ」は濁音ではなく、「スス」といふ重音です。

 日本の神社神社にお祀りしてある神々は、伊勢の大神宮ほか二、三を除いては、ほとんどすべてが人間の霊魂でありますが、伊勢の大神宮には宇宙の万物を統一する天照大神をお祀りしてあります。天(あま)といふのは「天球(あま)」であつて宇宙全体であります。「天球」即ち「宇宙全体」を照らしてゐる大神といふ意味で天照大神(あまてらすおおみかみ)と申し上げます。宇宙本源の神様が仮りに応化して、伊邪那岐大神よりお生れになつた方が、天照大神であられるわけであります。

 神仏混淆時代に伊勢大神宮の奥院に、阿弥陀仏が祀つてあつたといふ考証を誰かがしてゐられたのを読んだことがありますが、本当にそんな事があつたとしても別に不思議ではありません。阿弥陀とは十方世界光明遍照、尽十方に満つる無礙光といふ意味でありますから天照大神といふ意味と同じ意味であります。それを仏教では尽十方無礙光如来と申し上げ、別の名称を大日如来と呼び奉るのでありまして、十方世界に充ち満ちてをられるところの神様であり、仏様であり、「天球(あま)」に充ち満ちてそれを照らしたまふところの大神であります。

 そこから五十鈴(いすず)の流れ、五十音の言葉の流れが展開して万物が成る(鳴る)のであります。これを象徴して伊勢大廟には五十の鈴が宝蔵されてゐるといふことを承つたことがありますが、私はまだ拝観したことはありません。そこには鈴の言霊が五十音ある。その五十を統(ス)べるスの音が鈴(スス)であります。

 ここから五十鈴(イスス)の川の流れが出て十二に分れ、そしてこれがすべての諸国の民族の本源となつたといふのであります。だから、イスラエルの十二の支流(わかれ)といふのは、五十鈴の流れから発して世界各民族となつたすべての人類といふ意味です。
<つづく>


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