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聖典引用 板
374
:
ももんが《質問・日本篇》
:2012/04/12(木) 20:05:12 ID:XXCuaQns
>>372
金木犀様
金木犀様、丁寧な御回答、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。
御回答していただき、ありがく感謝いたしますが、私は、その回答には、今一つ、納得いかないのです。
金木犀様は、以下の様に、雅春先生の御言葉のまま、のべておられます。
《私は実際のことを調査していないから確言はできませぬが、この神示によると鹽釜神社の正座の社には香取鹿島の神がお祀りしてあって、鹽椎神を脇社に一段下にお祀りしてあるらしいのであります。》
しかし、実際は塩釜神社に祀られてるのは、
①、塩椎神《主宮》《この神を住吉神と同じと観てますよね》
②、建御雷之男神《左宮》
③、経津主神《右宮》
を祀っているのです。
ただし、塩釜神社の説明では、次の如くありました。
『陸奥国が平安に成ったので、塩椎神だけを残して、鹿島神、香取神は、自分の宮に帰らた。塩椎神は、地元で塩の製法を伝承した。』ような、言葉は、私の言葉ですが、この様な、事が書いてありました。
押し込めたと?解釈は、何とも、おかしいな、思っています。
私は、こう捉えてます。
①、建御雷之神
②、経津主神
③、住吉神《塩椎神》
は、”三神で一体“として、国を護る役目を果たしていたのだと。
本来、鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の、関東三社に、元々、本籍を置いていた神様でしたが?
陸奥国平定のおりに、住吉神《塩椎神》だけ、陸奥国一宮として、残られた。
関東三社は、綺麗な、三角形を描きます。
ある、意味、パワーバランスが、崩れたと、この神示は、言われてるのと、私は、感じられたのたのです。
ですから。金木犀様の言われ。
《、戦争当時の頃の鹽釜神社内における配置であり、香取、鹿島神宮と住吉三神の神社の位置関係を言われているのではないようです。》
ように、関東三社の位置関係が、関係ないとは、言えないと、思います。何故なら、このような、例えは違いますが、将門公の怨霊を鎮めたりするのでも、古代の人は、良く使われます。これが、正しいか、間違いかは、わかりません。
息栖神社は、応仁天皇様くらいの頃からの、湧水があり。《現在まで続いてる》
私は、この、神示は、内容は、神様の位置や、神様の働きを、知ると、今まで、言われていたこと以上に、深い意味を持ってるきがしたので、御質問させて、いただいのです。
真に、丁寧に、御回答いただき、心より、感謝いましたす。失礼な御言葉になりましたところは、御許し下した。また、自分でも、勉強して見ます。ありがとうございました。
感謝敬白、合掌、拝。
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