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聖典引用 板

1トキ:2011/11/23(水) 13:32:46 ID:YRze2u3c
 このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連して、雅春先生や
御高弟、他の真理の言葉のみを掲載していくという板です。


 上記に関連するテーマなら、広く受け付けます。また、教団、本流復活派、中立派など
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をお願いします。

 この掲示板は、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
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の投稿はご遠慮下さい。

 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
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ご理解下さい。

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考えております。

19065:2012/02/11(土) 18:02:14 ID:jpmvgJz2
最近話題になってる「無門関解釈」の香厳上樹の所を気になって読んでみた。



太平洋戦争中の事である。ある日、私はいつになくAKのラジオのスイッチをひねって見たら、そこに語られている話は航空兵田中曹長の美談であった。
話の前半は聞き洩らしたので何処の戦闘の時であるかは知らない。上官下方准尉の操縦せる飛行機は不幸にしてそのエンジンの一つに敵弾を受けた。
味方の陣地に帰還するには距離が遠いし、予備のエンジン一個のみの力では力が足りずにズンズン機体が下降して行く。下方には敵軍が待ち設けていて、
飛行機が落下したら、それをろ獲し、乗組員を捕虜にしようと待ちかまえている――まことにこれこそ進退両難である。下方准尉は捕虜になり機体を
ろ獲せられるのは残念であるというので、潔く機体と共に自爆せんものと、既に自爆の準備を行っているのが田中機からは見えたのである。
田中曹長はそれを見ると大声で「自爆してはいけない。死するばかりが忠義ではない。生きられる限り生き延びて最後の一分までも自分の任務のために
尽くすのだ。低空飛行をして続く限り味方の陣の方へ引返せ」と呼ぶけれども、それは無論聞こえはしないのである。田中曹長は仕方がないから空中
に大きく字を書いてその旨を合図する。下方准尉はその合図に気が付いたものか自爆を中止して、エンジンが傷ついて浮揚力の少ない飛行機で低空飛行
を続けて味方の陣地へ引返そうとするのだけれども、機体はいよいよ浮揚力を失って、敵陣の中へ滑走状態で墜落した。田中曹長は上空から見ていると、
下方機は道なき道へ滑走状態で墜落したと見る間に、地面のでこぼこに衝突して転覆して破壊した。と、下方准尉は機から這い出て来て機密書類を焼却
していると、敵兵が周囲から集まって来て下方准尉を包囲攻撃する。付近部落の村民まで出て来て敵軍に加勢する。下方准尉は拳銃を以ってそれに防戦
するのであったが、敵は大勢であり、味方は1人であり、拳銃の弾が尽きたら万事休すである。田中曹長はそれを上空から見ていたが、加勢に自分が降
りて行って下方准尉を自分の飛行機に乗せて帰って、その急場を救いたいと思うのだけれども、適当な着陸地点がないから、もし着陸せば下方機と同様
に転覆して、もう再び空中へ舞い上がる事が出来ない。そして味方の重要な飛行機が無駄になるのだ。又たとい無事着陸しても下方准尉を救い帰るには
田中機は一人乗りだ。もし自分が救援に赴かなかったならば、下方准尉はあのまま敵の重囲に陥って戦死してしまう。それでは上官を見殺しにした
のであって、自分の日本魂が満足しない。右するも死、左するも死である。「香厳上樹」の架空的な机上の閑葛藤とはわけが違う。真にこれ如実に進退
両難である。

19165:2012/02/11(土) 18:03:01 ID:jpmvgJz2
それでは上官を見殺しにしたのであって、自分の日本魂が満足しない。右するも死、左するも死である。「香厳上樹」の架空的な机上の
閑葛藤とはわけが違う。真にこれ如実に進退両難である。その時、田中曹長は、この進退両難の世界から飛び出した。そして矛盾のないただ一筋の道
にまくねんとして突き進んだ。(私がこの講話を生長の家本部の道場でしたときに、企画部の星君が私のあとに道場で立上って、田中曹長が生長の家
誌友であって現在内地に無事帰還していて、その体験談を誌友会で述べたということを発表せられた。)かくの如き危急の世界に於いてさえも生長の家
の悟りから見るときには、「進退両難」などというものはないのである。肉体は本来無く矛盾も本来無い。着陸地が無いということもない。
「着陸地が無い」ということは、ただ心の世界に空想に描いた閑葛藤に過ぎないのである。着陸の必要がある限り、着陸地は到るところにあるのである。
田中曹長は空想に描いた「着陸地なし」の閑葛藤を見事に切断して、敵兵の群る頭上へ滑走状態で着陸した。敵兵は逃げまどう。滑走する田中機の
下敷になって戦死する敵兵は無数である。閑葛藤を見事に切断した田中機は、見事敵兵が虚をつかれて退くところを、下方准尉に応援し、既に疲労して
ふらふらになっている下方准尉を「上官殿、私の飛行機に乗って下さい」と負うようにして、その一人乗りの田中機に乗込んでエンジンにスタートをか
けた。もう進退両難などは田中曹長の前にはないのである。「一人乗りの飛行機に二人乗らせては飛行出来ない。飛行出来なかったら戦死か捕虜かどち
らかより仕方がない。この場合どうするか。」――香厳和尚ならば、こんなことを進退両難の葛藤の公案としてひねくりまわすかも知れないけれども、
実は進退両難などは空想上の弄戯に過ぎないのである。二人を乗せた一人乗りの田中機は無事離陸して味方の陣地へ帰還したのである。だから無門が、
こんな進退両難を公案に持出すなど「香厳真の杜撰、 悪毒尽限無し」と酷評したのも無理はないのである。



この「無門関解釈」s39(1964).11.22に掲載されている内容は「太平洋戦争中の事である。」と書かれてあるので最初の版である「無門関の日本的解釈』
1940(s15年)10.20には載っていないのだろうか。また「太平洋戦争中の事である。」という一文は満州版『大道無門』康徳10(s18年).4.25には載って
なく、s39(1964)の版で加筆されたのだろうか。


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