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聖典引用 板
191
:
65
:2012/02/11(土) 18:03:01 ID:jpmvgJz2
それでは上官を見殺しにしたのであって、自分の日本魂が満足しない。右するも死、左するも死である。「香厳上樹」の架空的な机上の
閑葛藤とはわけが違う。真にこれ如実に進退両難である。その時、田中曹長は、この進退両難の世界から飛び出した。そして矛盾のないただ一筋の道
にまくねんとして突き進んだ。(私がこの講話を生長の家本部の道場でしたときに、企画部の星君が私のあとに道場で立上って、田中曹長が生長の家
誌友であって現在内地に無事帰還していて、その体験談を誌友会で述べたということを発表せられた。)かくの如き危急の世界に於いてさえも生長の家
の悟りから見るときには、「進退両難」などというものはないのである。肉体は本来無く矛盾も本来無い。着陸地が無いということもない。
「着陸地が無い」ということは、ただ心の世界に空想に描いた閑葛藤に過ぎないのである。着陸の必要がある限り、着陸地は到るところにあるのである。
田中曹長は空想に描いた「着陸地なし」の閑葛藤を見事に切断して、敵兵の群る頭上へ滑走状態で着陸した。敵兵は逃げまどう。滑走する田中機の
下敷になって戦死する敵兵は無数である。閑葛藤を見事に切断した田中機は、見事敵兵が虚をつかれて退くところを、下方准尉に応援し、既に疲労して
ふらふらになっている下方准尉を「上官殿、私の飛行機に乗って下さい」と負うようにして、その一人乗りの田中機に乗込んでエンジンにスタートをか
けた。もう進退両難などは田中曹長の前にはないのである。「一人乗りの飛行機に二人乗らせては飛行出来ない。飛行出来なかったら戦死か捕虜かどち
らかより仕方がない。この場合どうするか。」――香厳和尚ならば、こんなことを進退両難の葛藤の公案としてひねくりまわすかも知れないけれども、
実は進退両難などは空想上の弄戯に過ぎないのである。二人を乗せた一人乗りの田中機は無事離陸して味方の陣地へ帰還したのである。だから無門が、
こんな進退両難を公案に持出すなど「香厳真の杜撰、 悪毒尽限無し」と酷評したのも無理はないのである。
この「無門関解釈」s39(1964).11.22に掲載されている内容は「太平洋戦争中の事である。」と書かれてあるので最初の版である「無門関の日本的解釈』
1940(s15年)10.20には載っていないのだろうか。また「太平洋戦争中の事である。」という一文は満州版『大道無門』康徳10(s18年).4.25には載って
なく、s39(1964)の版で加筆されたのだろうか。
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