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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える 3
818
:
義春
:2011/08/28(日) 12:03:15 ID:SjZg29/2
>>817
それを見て残念がったのは宋の左相、華元です。
(ちなみに宋は商の遺民の國です。
左相とは総理大臣みたいなものです。)
彼の國、宋は穣公の後、晋と楚の争いに
ずっと巻き込まれ、両国の争いにより、
國が荒廃していました。
ですので、この和解の好機を逃せば、國が安らかにならない、
それは宋の国政を預かる華元にすれば
宋や他国の平穏が一番の願いでした。
ですから、景公の没後しばらく様子を見て、
楚の令尹、子重に会って、自分が晋の交渉を
しようかと提案を行いました。
(令尹とは楚の総理大臣みたいなもの。
子重とは子が上にくるから楚の王族にあたる者)
楚にすれば、晋から交渉を持ってきたから、
それを保ちたい。如何に景公死後、
次の君主が喪中にある、朝政を執れないとは言え、
こちらから使者を出せば、晋の下風につく、
それは楚の面目が立たない。
それだから、子重は放任する形で認めました。
それから華元は晋の執政である欒書に会い、
和睦への想いを説きました。
その華元の想いに欒書も胸を打たれ、
結果、両国とも覇者を目指す今までの考えを変え、
翌年、宋の首都である商丘の西門に於いて
盟を交わし、晋と楚の仇敵関係の解消という
歴史的慶事を成し遂げました。
…まぁ、何となく思い出した話を書いてみました。
ここまでの仇敵関係でも和解出来る。
そこに現象世界の面白さもあるかと想います。
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