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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える  3

817義春:2011/08/28(日) 11:29:50 ID:SjZg29/2
和解について、一寸、思い出した話を書いてみます。
春秋戦国時代の仇敵と言えば、
覇権をかけて争った晋と楚になります。

元は晋の文公が楚を城撲に於いて、
楚王との約により三舎を避けた後に
打ち破り覇権を確立し中華を
守った事から、仇敵となりました。
それ故に斉恒晋文と並び称せられる事になりました。

しかしながら、仇敵となった事で何度も
中原に於いて、鹿を追う事になり、
互いに疲弊してきました。
正に南北決戦ですね。
又、中原にある両国の傘下の國の荒廃は
凄まじいものがありました。

そんな晋の景公の時代、晋の宮中にて、
楚の冠を被ったものがいました。
物珍しさに話しかけてみれば、
鄭から献上された捕虜でした。

彼は鍾儀と言い、楚の楽人でした。
古来、楽というのは祖霊を喚びよせ、
祀り、又、国柄を表す音楽を伝えていました。

それだから、景公は、鍾儀に楚の音楽を
奏させ、楚の國が如何なる國かを知ろうと想われました。

今まで仇敵としたが、相手に対しての
理解がなかった…そう想われたのかもしれません。

奏し終えて、楚に想う事があったのでしょう。

鍾儀に二三、質問をしました。
その答えが真に君子たるものであったので、

鍾儀を釈放して楚の仲立ちを頼みました。
楚の共王も晋と争いたくないと思っていたので、

お互いに楚からは公子辰を、
晋は大夫糴筏を派遣して協議しました。
しかし交渉は晋の景公が亡くなってしまったので

頓挫せざるを得ない事になりました。

(続きます)


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