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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1728春らんまん:2012/03/20(火) 22:05:03 ID:dq2HsAl2
皆さま、こんばんは。

訊けさんをパトットで殴り倒し、機能は回し蹴りを食らわしたら、ようやく本音を戴いたようで、これに関しては感謝いたしております。

トキ様、当たり前のことを買い下さって、ありがとうございます。
当方が考えていたのはもっとブっ飛びの非常識式行動です。
ですので、教団の危機に際して、今更悠長なことは言ってられないのですか?
という意味合いで申し上げています。

等の本人様は、おちょくられている感覚のようですが、
私は以前から"現総裁が神の子として新生し、これを願わずにはいられないし、
その為に今の位置にある方だから、拝まずにはいられない"と書いています。
"ニセモノとは和解しない"は当たり前ですから、この方たちが"和解だ、大調和だ"と
言うべき相手は現総裁と現教団側であるにも関わらず、
聖典を護った方たちを小馬鹿にするような見識なので、しこたまキレたのです。
私は、一貫して、"新生・神の子としての現総裁としてしか、和解はあり得ない"と書いていますし、
"なんでも和解しろ"他の論調に乗ったことは御座いません
(勝手にチェストを戴いたことは御座いますが)

そして、既に貴康先生他の御尽力で和解に向けては水面下で進んているように感じられますので、
この案はボツになって、それで結構だったということでございます。


私は、現総裁にも、神の子の新生をしていただいて、本当に幸福になっていただきたい、
それと同じに、
あらゆる本流掲示板から"何もわかっていない"烙印を押されている彼に対しても、
一度、本当に練成を
受けて、目を開いていただければ、と思った次第です。
これは、いつの日にか実現するでしょうから、もうここでは述べません。


お騒がせして、大変申し訳ありませんでした。


陳謝再拝

1729うのはな:2012/03/20(火) 22:36:59 ID:El6gIMAw
春らんまん様の真摯なカキコミのあとで、私が出て来るのは場を穢すようで
恐縮ですが、雑言を書かせてもらいます。

 私にはあなたの言われている内容が底に流れる怒りの感情がわかるような気がします。

 総裁宇治への意見は、大論争掲示板というところでもいくつか読みました。
何人もの人たちが春らんまんさんのような意見を持っておられたけど、総裁が変わることは
なかったようです。
でも現総裁のことならともかく、訊け氏のような人に練成なんてすすめても無駄だと思います。
この人は自分が何もしなくても信徒として当然の疑問だ、意見だといっては、言葉を駆使していたいだけの
人だと思います。
他の男性信者から、もう質問しないでください、自分で調べてくださいといわれていましたが、本流サイトでも
一時訊け氏のことを庇うような意見をかいたことがあったが、それは間違っていたなんていわれています。

そしてトキさまになんたることかと本流投稿者に議論体勢になり、バカにしたようなこといい、
浄心行だ、謹慎だといっては3日もしないで出て来るような人です。
今日も彼がどうしてハンドルを無免許としているのか本流をよく読めば書いてあるのに、
どうして無免許なんてするのと女言葉でからかっています。見ていて恥ずかしいです。

総裁でもどてかぼちゃでも、聖地宇治とは波長が合わないから行かない、と考えると納得できます。

1730あさひ:2012/03/21(水) 01:54:58 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

お返事有難うございます。

>、『自己内在の生命の実相』の自覚と、見性とは、私の体験から、同じと
思います。

>真に『生命の実相』を自覚できるようになるには、時間が、かかるのだと、思います。

ということは、『生命の実相』を自覚できるための時間の経過中ということでしょうか?

>(『生命の実相』)を自覚できるなら、聖典の言葉を我が言葉にする事ができるように、なると思います。
というのは私もそう思います。
       
ただ、それがどれほど難しいことか。だからこそ、聖典から学ぶことが必要なのかなと感じていますが。
だからこそ、門脇神父様のような指導者が重要なのでしょうか。

有難うございました。日々学びたいと思います。   合掌

1731あさひ:2012/03/21(水) 02:09:23 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ももんが様のような宗教的教養の広い方はともかく、ふつうの人間が『生命の実相』を自覚できるためにはどんな手立てを提案されますか?お尋ねいたします。

カルトでないかぎり、万教帰一ですが、何教から入っても到達点は同じでしょうが、禅、カトリック、その他、ももんが様はどの門を推薦されますか?お尋ねいたします。

                          合掌

1732「訊け」管理人:2012/03/21(水) 08:20:45 ID:???

>春らんまん様
>うのはなさま

 おはようございます。(実相は)淑女のおふたりへ返信です。なお、片方
の方には霊能者が付いておられます。が、けっしてこのユニットは、お笑い系
ではありません。その点を観客の皆さまに強調しながら、本文へ入りましょう。

 で、返信ですがどんなヴァージョンで参りましょう。お二方がお選びください
ませ。この訊けに於いて以下、どの返信スタイルを希望されるのか「選択」し
て下さいますと幸いであります。宜しくお願い致します。

1)真顔ヴァージョン(聖典を基にガンガン系)
2)お笑いヴァージョン(・・・出たトコ勝負系)
3)オカマヴァージョン(「怖いわよ」系)
4)お願いだから、もう返信しないで

1733役行者:2012/03/21(水) 08:23:05 ID:DNHeR0Ug

 春さま

 >私は、現総裁にも、神の子の新生をしていただい て、本当に幸福になっていただきたい。
  それと同じに あらゆる本流掲示板から"何もわかっていない"烙印 を押されている彼に対しても 一度、本当に練成を 受けて、目を開いていただければ、と思った次第で す。
  これは、いつの日にか実現するでしょうから、もう ここでは述べません<

 いろいろと、生長の家の未来を心配していただき、しかも便宜を図って下さり、心より、御礼申し上げます。
 訊けさあがちょっと(^^ゞ機転が利かなかったようで、いろいろと、ご迷惑をおかけしたことに対して、心からお詫び申し上げます。

 最後は、オチでシメていいものか、春さまの器の広さに甘えて、恋生にいきましょう・・・
失礼しました(__)どうか、アタタカイ目で見守ってあげて下さい。

       感謝 再拝

1734「訊け」管理人:2012/03/21(水) 08:46:55 ID:???

>役行者さん・・・


<補足>

 特に、春らんまん様

 なお1)を選択されるならば事前に、『生命の實相』14巻を予習なさって
おかれてください。「和解の倫理」という章がございます。この章だけを事前
ご拝読たまわりましたらば、愚生主張も容易に了解可能になろうかと思います。

 なぜ事前の予習を希望するかと申しますと、以下箇所に重大な解釈ミスを
認めるからであります。そして以下は同書同章に関連する概念であるからな
のでありますが、貴女さまご発言の以下、

>"ニセモノとは和解しない"は当たり前ですから、この方たちが"和解だ、大調和だ"と
>言うべき相手は現総裁と現教団側であるにも関わらず、
>聖典を護った方たちを小馬鹿にするような見識なので、しこたまキレたのです。

 ここは『生命の實相』14巻です。そしてその解釈は「間違い」であります。

 ニセモノと和解しない、とは上記のような意味ではありません。少なくとも
『生命の實相』14巻ではそう語られておりません。
 貴女さまはあたかも、この「ニセモノ」を相手方の、と解釈されておられま
す。つまり、「相手方がニセモノならば和解不要」かのように解釈されている
フシがある、少なくとも現時点、そう感じます。もしもそうならば、これは間
違いであります。

 雅春先生の申される「ニセモノ」とは、自分側の目です。五官に瞞着され、相手
方に「悪を見てしまう迷い」・・・・これを指して「ニセモノ」と表されておら
れるわけです。よく「サタンよ去れ」と云われますが、その去らせるサタンと
は相手方の悪なのではなく、こちら側の「迷い」なのです。

 ・・・・とまあ、こんな話になるのが1)ヴァージョンです。個人的には、
こちらスタイルでのやり取りを、期待する次第です。いかがでしょうか?

1735うのはな:2012/03/21(水) 09:53:05 ID:El6gIMAw

訊け管理人さんは訊け様は生命の實相を読んでいるのにトラブルが多いですねえといっていた
校長や、訊け君がケンカ腰になると余計にややこしくなるとかそういう意味のことを
いわれていた教頭先生などと遊んでたらいいのではないでしょうか。

きのう、うのらんまんだとかバカげたはなしを読んで気分が悪くなりました。
和解の論理などの講義でも部外者で何の実績もない人から講義を受けなくても、
復興G様でも江戸の爺様でも、内部のものからでも、訊け氏から聞かされなくても
間に合う信者は多いと思いますが、また「ぼくの発表会」をやりたいみたいですね。

 上で、この中からお選びくださいと書いてますが、あなたとは会話がつながらない、
意思の疎通がうまくいかないので、私はどの項目もお断りします。
春らんまん様はどう思われるか知りませんが、どこが現場か特定できるような話をベラベラ調子に乗って
喋ったあげく、彼女たち粛清されませんよね?なんていってる人に関わると何かと面倒だから、
春様もご注意を、、、と思います。

1736うのはな:2012/03/21(水) 10:21:40 ID:El6gIMAw
  最近思った雅宣先生の良いところ

 やくざまがいの部外者に比べて紳士的である。

 末端の女信者から好き勝手に水鉄砲を打たれたりしてるが、質疑応答コーナーでは
 「この答えはこうです」と日時計主義の笑顔で応対する

 75歳の白鳩シスターズを目前にしても、リンリンリンの終了ベルを鳴らさず、
 規定の講話や行事をこなす

1737「訊け」管理人:2012/03/21(水) 10:26:14 ID:???

 はい、ありがとうございました。

1738バカ仲間:2012/03/21(水) 10:33:58 ID:EKjA/Kqs
訊け、
メガミノ部屋でうの婆呼びつけて、上から目線でガンガンやって

こっちでうのはなにマトワリついてるんじゃぁ ない!

オマエが本当に悪い! 面白くない! 信用できない。気味悪い。

2ちゃんで仕事せーーー。

1739うのはな:2012/03/21(水) 10:46:36 ID:El6gIMAw

  魂の向上

「人間は神の子である」ということを教えられても、それが唯単なる観念上の把握にとどまっていては、
「神の子・人間」の実相が現実に現われて来ないものである。

 宗教は単なる哲学でも思想でもイデオロギーでもなく、それは、“実践”される生活でなければならない。
しかもその実践は、訓練を必要とするのである。

 そしてその訓練を教えるのが練成会である。

『いのちを引き出す練成会』 谷口清超 先生著

1740役行者:2012/03/21(水) 11:13:14 ID:47YA/eY6
 ということで、

訊けさあ

 そして、

 春様

 気持ちはよ〜く、分かる_(._.)_
 だけれどもね、私はね、

2)お笑いヴァージョン(・・・出たトコ勝負系)

あんど、

3)オカマヴァージョン(「怖いわよ」系)

 で行きたいのよ。
 どうか、便宜をはかっていただいて、
恋生にいこう! しつこい(;¬_¬)

1741トキ:2012/03/21(水) 11:26:59 ID:K6kpy1HM
>>1738

 ご投稿ありがとうございます。
ただ、そういう言い方は良くないと思います。

1742初子キャディラック:2012/03/21(水) 12:46:25 ID:ixiWFYoQ
とりあえず、おかまバージョンで行くしかなさそうね。
どうせどっちつかずのこの人生。男でも女でも、たいした
ちがいはなさそうだもの。

ニセモノはわが内にあり。これが生長の家の教えであるなら
あたしは認めるわ。たしかにそうだもの。

「サタンよ、去れ!」。サタンは、たしかに内なるサタンであったようね。
他者に悪を認めようとするなら、それは内なる悪を投影することでしか
見いだせない。これが真実。外にある悪をじかに見ることなど、人間に
できるはずがないもの。

悪は見るものではなく観ずるものなのではないかしら。
悪と戦うのは大いにけっこうなことだけど、その悪は誰のものか
ということを、まずは確かめてみる必要がありそうね。外に悪がある
とするなら、それと同じものが自分のなかにもかならずあるってこと。

万人がそれを悪と認めるのならともかく、善と見る人がいると
するなら、あるいは悪とは見ない人がいるとするなら、なぜ自分は
それを悪と見るのか、それを自問自答したほうがよいのかもしれない。
自分のなかの何がそうさせるのか。それを明らかにすることが、
まずは先決のような気がする。

ちなみに、「総裁は真理を知らない」といってる人がいるけど、
それならその人はどんな真理を知っているのか、いちど聞かせて
もらいたいものだわ。突っ込みどころが満載だと楽しいわね。

1743さくら:2012/03/21(水) 12:56:20 ID:XGQFOxIo
初子さん、お久しぶりね、覚えてる?さくらよ。

初子さん、余計なお世話だけど、あまり、女が口だしすることじゃないわよ、
…わたし心配だわ。
ね、それより、女子板で、お茶しない?

1744初子キャディラック:2012/03/21(水) 13:28:12 ID:ixiWFYoQ
さくらちゃんね、おぼえてるわよ。なんか久しぶりだわ。

たしかに、ここはヤバそうだから、あとは「訊け&役行者」様の
ゴールデンコンビにまかせて、女子板でお茶でもしましょうか。
おとなしくしてなきゃね。

でも「訊け子」が割り込んできたらどうするの?女子板もヤバく
なりそうよ。

1745訊子ハラスメント:2012/03/21(水) 14:27:38 ID:???

  聞こえているわよ、初子。

 でも今はムリ。今、ユダヤの手下の手下、の、その部下(関西出身)こいつとケンケンガ
クガクの交渉中なのよ。もう延長戦でヤになっちゃうわ・・・・

 てかあたし、関西弁が超ニガテなのよねええ。「ケンカ売っちょうとか、おはん!?」
てな感じになりがち。でもあたしはぜんぜん悪くない。悪くないから謝らない。

1746うのはな:2012/03/21(水) 14:54:51 ID:El6gIMAw
訊け管理人さんへ、こないだの宇治はツマラナイとわたしが妄想を流したとか、
そんなことでまた口論になりましたが、それについて、思い出したことがあるので書きます。

あなたは、私の文言をまねて、商工会議所にイタ電があったら、と私にいやみのようなことをいい、
何げなくでもこんなことをいわれたらいやでしょう?といってましたが、
その商工関連のことでも、コドモを脅迫されて、でも、本流全部バカだといった?
でも、わたしは、きちんとそのときに補足など説明しています。
これ以上なんだかんだと不満があるなら、出るところに出るから警察にでも
訴えたらいいと書きました。
あなたのように、同じ一語一句を取り上げて、しつこくいいません。
だから、わたしに、其の例をとりあげて、あなたもいやでしょう・
自分が嫌な事は他人にもしないとか子供でも知っています、というのはたとえがちがうと
思います。

1747志恩:2012/03/21(水) 15:00:05 ID:.QY5jUA6
ここの要塞の主(ぬし)

巨像の王様、おかえりなさいませ。
私は、蟻の志恩です。

王様、ご寵愛のさくらさまが、目出たく、ここの要塞に戻られましたから、
きっと、王様の初子デラックス様も,早々に、お帰りくださると、お待ち申し上げておりました。

あたり〜〜ぃでしたわ。

でも、私は、以前のように、貴方様とは、もう、戦いたくありません。

さくら様も、王様の味方。貴方に加勢されてます.それに、,貴方の味方がほとんどの巨像の要塞です。

ゾウ×アリの勝敗は、まともに戦いましたら、誰がみたって、ゾウの勝ちに,決まっていますもの。

どうぞ、ごゆっくり。

1748うのはな:2012/03/21(水) 15:26:03 ID:El6gIMAw

訊け管理人さんへ

 また補足があるので、何回も出させてもらいます。
 わたしがこないだ、もう私に和解だとかいわないでもらいたいという意味のことを書いたのは、
 あなたとは匿名掲示板ではおたがいよくありがちなことでも、こんな妄想を書かれてとか、本流全部をバカだといった
デマを流されてと、問題になり、それについてこちらが説明してもそれで終わらず、
全然わかりませんなど、人の感情を害することをいったり、話の疎通がうまくいかず、
怒る気がなくても口論のようなかんじになって、普通以上に和解が困難だと思ったからです。

宇治ハツマラナイトカ。とかいたぐらいで、こんなにもめるような、ああだこうだといいあいに
なるなんてこと今迄の経験からは考えられません。
他の掲示板からあらしはされ!といわれたり、裁判にかけてやりたい、はやく訴えろといわれている
人だから、こうなるのだと思っています。

それは口では「和解和解」と叫びながら刀でも振り回しているようなので、
わたしに今後「生長の家では和解しかない」などいわないでほしいと思ったからです。

1749訊子ハラスメント:2012/03/21(水) 15:31:09 ID:???

BGM
http://www.youtube.com/watch?v=2bNsI9eXpAc&amp;feature=related

 まだユダヤの手下の手下、その部下(関西人)と交渉中よ。って、
ユダヤって「銀行」のことだけど・・・・って思ってたら、なによ、あんた(うのはな)!

>あなたのように、同じ一語一句を取り上げて、しつこくいいません。


  ふっ(笑)、おもしろい オ ン ナ (笑)

>あなたのように、同じ一語一句を取り上げて、しつこくいいません。

 脳内では、そう編集したのね。オンナの武器よ。使いなさいな。擦り切れる
くらいに、その武器。

>あなたのように、同じ一語一句を取り上げて、しつこくいいません。

 証拠掲載は免除してあげるわよ。ところでご存知?オカマには二種類い
るの。証拠を挙げるオカマとそうじゃないオカマ。私が後者で命拾いね、フ
フフ。


>あなたのように、同じ一語一句を取り上げて、しつこくいいません。

          ブーン
      /⌒ヽ           /⌒ヽ
⊂二二二( ^ω^)二⊃⊂ニ二二( ´ω`)二二⊃
     |    /           |    /       ブ…ブーン
      ( ヽノ           ( ヽノ
      ノ>ノ            ノ>ノ 
  三  レレ         三  レレ

 お花畑で遊んでなさい。

1750志恩:2012/03/21(水) 15:50:46 ID:.QY5jUA6
巨像の王様の初子デラックス様は、おっしゃったのです。

蟻に対して。(下記、貼付けの通りです)


「ちなみに、「総裁は真理を知らない」といってる人がいるけれど、
 それならその人はどんな真理を知っているのか、いちど聞かせて
 もらいたいものだわ。突っ込みどころが満載だ。。。。」

此れは,蟻への宣戦布告に,私は、聞こえました。
 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/1742

1751うのはな:2012/03/21(水) 15:55:18 ID:El6gIMAw

あなたのようにしつこくいいませんとかくと、絶対上のようなことをいってくると
おもっていました。あなた部室版でバカだといった?一語一句をとりあげてあれだけ
口論になって、謝罪したのに、また宇治ハツマラいイといったとか取り上げて、
いいあいになった。そのことをや、何ヶ月も前の事例をとりあげて、
解決したことでも、例にあげてくる、そんなことをしないといってるんです。

あなたはなんのために謝ったり、和解を口にしてるんですか・
証拠がありますとか、それはどこにかいてあるんだ?とか、昔からあなたとやりとりすると、
こっちが犯人容疑者かなにかで尋問でもされているようです。
わたしに不満やうちたいことがあるなら、なぜ、謝罪したんですか・
とにかく、あなたのような人と和解できないということです。

1752うのはな:2012/03/21(水) 15:58:05 ID:El6gIMAw

それに一度否定してるのに、否定していないからだといって、
『光明思想を掲げながら人を排除する精力』の話や操作人などの話を何回も
持ち出されています。

トキ管理人が部室版ができたら落ち着きと思います。といっていた部室版でのことなので、
今後似たようなことがあるならトキかんりにんにも責任を感じてもらいたいと思います。

1753誤字訂正:2012/03/21(水) 15:59:55 ID:El6gIMAw

精力× 勢力○

1754誤字訂正:2012/03/21(水) 16:05:09 ID:El6gIMAw

 それに、ふっおもしろい女だとか、他の投稿者にも、どことなく
人をバカにしたような、からかっているような文言をいつもするのなら、
これから「和解」なんて掲げないほうがいいと思います。

こないだも誰かからバカにしているような言辞だと注意されて、そのときは
謹慎しますといってたようですが。本当に行をされたのでしょうか。

以前ある男性信徒も注意したけど変わってないから仕方がないというようなことを
本流サイトに書かれていました。

愛国本流の管理人さんんも、これでは私が嘘をいったことになる、訴えろだとか、
訊けさんとのやり取りの中でボルテージが上がってしまったようです。

1755うのはな:2012/03/21(水) 16:07:04 ID:El6gIMAw
誤字訂正=うのはな

1756「訊け」管理人:2012/03/21(水) 16:12:17 ID:???

<信仰体験談>

 本日は重要な話があったのです。結論から申せば「◎」でありました。明日
以降も継続される話ではありますが、まず初戦を制しました。

 非常に難しい交渉だったのです。「人間知恵だけでは難しい」、まあそんな
意味になるのですけれども、今回の銀行交渉・・・マジでZ旗が揚がっていた
今日の日でありました。詳しく話せないとは申せ、現在の基準(竹中平蔵策定
)に照らすと「要注意先」に区分される、そんな危機だった弊社であります。
が、な ん と か 回 避 し ま し た 。(無論、合法で)

 先日来、白鳩お姉さん達が、それこそ皆さんで祈ってくださっておられたの
です。私のため〝だけ〟に、そして本日のため〝だけ〟に。もう本当に感謝申
し上げたいところです。生長の家は素晴らしいですね。そしてそんな方々のお
られる組織ですが、大切にして頂きたいと思います。人間知恵で「ムリだ」と
思おうとも、それら全てはこれ・・・・・神の栄光の、現われんがため。

1757うのはな:2012/03/21(水) 16:27:14 ID:El6gIMAw

訊けさん、なにがこちらでどうぞ〜なんですか。
いつでも最後の方になると話をそらすようですね。
わたしの話はとりあえずは、上で終ってますから、こちらでどうぞとか、
こっちにきてくださいでも、仕切ってこなくていいですよ。

1758うのはな:2012/03/21(水) 16:31:11 ID:El6gIMAw

ああそれと、本流掲示板で、訊け氏のことを本当に経営なさってるのか不可解に思うとか、
わたしならこういう人との取引は体よくお断りするとかいう投稿がありました。

それと、愛国本流でも銀行融資を断られるだとか、訊け氏にたいして苦言している記事がありました。
おかしなおんなのコピペをするときに、そっちのほうも貼ったらいいのではないと思います。

1759脱字1758:2012/03/21(水) 16:36:53 ID:El6gIMAw
いいのではないかと思います。

1760初子キャディラック:2012/03/21(水) 17:23:52 ID:ixiWFYoQ
志恩様

総裁は真理を知らない。これはたしかな事実であります。
あたしが問題にしているのは、「総裁は真理を知らない」といっている人は
真理を知っているのか、ということであります。

人間は真理を知ることができない。これがあたしの現在の立場であります。
たとえ総裁であっても、人間である以上は真理を知ることができない。
あたしはこのように考えます。「総裁は真理を知らない」とする発言に
異論はありません。

もしも「真理を知っている」という人があれば、
「真理を知るとはどういうことか」と、このことを訊ねてみたいのであります。

「実相」や「神の子」という言葉をみなさま方は使っておられます。あたしが
訊ねてみたいのは、みなさま方は、この言葉をおなじ意味で使っておられるの
ですか、ということです。もしも「実相」や「神の子」という言葉を、銘々が
それぞれの都合のよいように理解し、異なった意味の言葉として使って
おられるとしても、それでもそれらの言葉は真理を伝えているといえるのですか、
ということです。

「真理」という言葉を、みなさま方はどのように受け取っておられるので
ありましょう。みなさま方は、「真理」という言葉をおなじように理解し、
おなじような意味で使っておられるのでしょうか。「真理」という言葉を、
百人が百種類の異なった意味で使っておられたとしても、それでも
「真理はひとつ」といえるのでしょうか。

百人に百個の真理があるのではないでしょうか。
みなさま方は、確実にひとつのおなじ真理を理解しておられるのでありましょうか。
間違いなくおなじものを信じていると考えておられるのでありましょうか。
「真理を知る」とはどういうことなのでしょう。あたしにはわかりません。

1761春らんまん:2012/03/21(水) 19:33:16 ID:XUDqAHiY
皆さま、こんばんは。
なんだか、イキナリたくさんの人が登場して、面喰っています。

まずは、訊けさん、感情的になって個人攻撃したことについては、謝罪致します。
申し訳ありませんでした。
これについての返信は希望致しません。

うのはな様、色々とレス、ありがとうございました。
自分はうのらんまんって、結構イケてるんじゃないかと(笑)、
それなりに理解しましたので、
(うのはな様と近しくなれて、嬉しいという意味です)
そんなに激怒はしていません。

役さま、この度は、いろいろと御面倒をおかけしてしまい、本当に申し訳ございません。
オチはオカマバージョンがいいかと思います♪


もうすぐ桜が咲きますねぇ。


再拝

1762復興G:2012/03/21(水) 20:43:02 ID:ojEbkDH2

>>1742・1760 :
初子キャディラック様。

 お初にお目にかかります。復興Gと申します。よろしくお願い申し上げます。

>「総裁は真理を知らない」といっている人は真理を知っているのか、ということであります。人間は真理を知ることができない。これがあたしの現在の立場であります。たとえ総裁であっても、人間である以上は真理を知ることができない。あたしはこのように考えます。……もしも「真理を知っている」という人があれば、「真理を知るとはどういうことか」と、このことを訊ねてみたいのであります。<

 ――「チェストー」と言いたくなるような、深いご教示であります。初子キャディラック様は、只者ではない、哲学者、思索家でいらっしゃると感じ入りました。ありがとうございます。

 では――新約聖書ヨハネ伝第8章31〜32節で、イエスは
「汝等もし常に我が言(ことば)に居らば、真(まこと)にわが弟子なり。また真理を知らん、而して真理は汝らに自由を得さすべし」
 と言っています。このイエスの言葉は、どういうことなのでしょうか。考えてみました。

「人間は真理を知ることができない」と初子キャディラック様がおっしゃる、これに私は完全同意いたします。
 イエスは、「汝ら、真理を知れ」とはおっしゃっていません。人間が、「真理を知る」ことなどできないことだと、イエスは知っていらっしゃったのでしょう。だから「汝等もし常に我が言(ことば)に居らば、真(まこと)にわが弟子なり。また真理を知らん」とおっしゃっているのであります。
 では、「我が言(ことば)に居らば」とは、どういう意味でありましょうか。
 それは、同じくヨハネ伝の第1章1〜4節に
「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り、萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」
とあります、その「言(ことば)」に「居る」とはどういうことかと言えば、「太初」の、神の生命そのもの、光そのものを生きる、「吾が生くるは吾が力ならず天地を貫きて生くる祖神の権能」と、己をむなしくしてただただ感謝に生きる、ということであろうと私は思いました。ですから、「私は真理を知った。あいつはわかっとらん」などというのは大うそで、それは真理からほど遠い増上慢なのだと思いました。そうならないように自戒し、謙虚に、感謝感謝で生きたいと思います。ご教示ありがとうございました。

1763ももんが:2012/03/21(水) 22:11:13 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様


トキ様、神の子皆様、こんばんは。合掌、拝。

今年の春は、乱気流の、様に、花も遅咲きで、梅と、桜が、同時に、楽しめてます。

春一番も無く、季節の神様は、如何に、お過ごしなのでありましょうか?

地球生命は、やはり、変動を起こしているでしょ。

環境は、かわれば、我らの生活も、変わるので、ありましょうか。


神様の智恵に、委せるしか、ないのでしょか?


さて、全く、話は、代わりますが、禅と武道とは、鎌倉以来、切って切れない中で、ありまして、鎌倉武士の、最大の武器は、“弓”であります。

私の大好きな、唄に、このような、唄があります。


“世の中に弓ひく弓は多けれど誠の弓は足でひく弓”

正に、見事な、唄であります。

分かる人は、分かる、わからん人は、わからん、唄と、思います。


田中忠雄先生の禅の師で、沢木老師の名友でありました。臨済宗の加藤耕山老師も

“地球の裏側に、足がとどく”と言うような、お話をされたと、聞いたことが、ありますが?


神が、有る?無い?と聞いたとて、そんな者は、南泉老師に切られた、猫と同じ。

趙州和尚に成れば、何時で、自由自在に手に入るのです。
わけのわからん、事をいいましたが、生きた事実は、ソッコン、ソッコン、です。

本日は、疲れましたので、トキ様、神の子の皆様、おやすみなさい。感謝、合掌、拝。

1764初子キャディラック:2012/03/22(木) 00:04:55 ID:ixiWFYoQ
復興G様。

返信を間違えて別の板に投稿してしまいました。部室板の#1464です。
お手数ですが、そちらをご覧いただければありがたく存じます。

生意気な書き方をいたしておりますが、真意は、「生長の家」で説かれる
真理を知るのはあきらめざるを得ない、ということであります。こちらは
こちらで、復興G様がいわれるようなかかわり方をしていければと、
このように考えております。真理の二段構え。これは虫のよすぎる考え方
なのでありましょうか。

1765神の子さん:2012/03/22(木) 01:49:56 ID:dXeBmjcg
>1760人間は真理を知ることができない。これがあたしの現在の立場であります。

ほーそうかね、人間は真理を知る事が出来ないかね?

であるならば、さっさと、呼び捨てブログを始末しなさい。

1766志恩:2012/03/22(木) 01:59:20 ID:.QY5jUA6
初子キャデラック様、

1760の返信を、間違えて、「部屋」板のほうへ書き込んでしまいました。
よろしくおねがいします。

1767復興G:2012/03/22(木) 04:05:01 ID:ojEbkDH2

>>1764
>>「部室」板 #1464 :
初子キャディラック様。

私の>>1762のコメントを、しっかり読んで下さいましてレスポンスをくださり、まことにありがとうございました。

>心をむなしくして、己を立てない生き方をすることでしか「真理の言葉」とともに居ることはできない。イエスの言葉は、このようにとらえてよろしいのでありましょうか。<

私は、そのようにとらえたのでございます。
ところで、

>「真理とは何か」という定義そのものの組み換えが必要かと、このように考える次第であります。<

ということでありますが――

「1+1=2」「2×2=4」というのは数学的真理であり、これは人間が知ることのできる真理かも知れません。それは頭脳的真理と申しましょうか。
しかし、宗教的真理ということになると、これは人間が頭で考えて知る頭脳的真理を超えているので、「人間は真理を知ることができない」ということになるのでしょうね。
だから、真理は「知る」ものではなく、「真理の言葉」とともに居る、生きること。「定義する」という場合は、頭脳的に考えて物を言いますから、頭脳的真理を超えたものを定義することはおそらく困難なことでしょう。極端に言えば、不可能なことかも知れません。
しかし、定義しなければならないとしたら、たとえば、次のようなことになるでしょうか。

<<「真理」とは、「真(まこと)」の理であり、「まこと」=「まること」「全て」であって、神である。「理」とはコトバである。故に、真理とは神のコトバである。>>

それで、神のコトバを知るには、人間知恵では知ることができない。己をむなしくしたとき、「神のコトバに生かされている」と知る。「自分」というものはなかった、といったん自分を否定し、宇宙に遍満するすべてと一体のいのちが自分であった、と置き換わってしまうのではないでしょうか。そこに、無限の霊的な喜びがわきあがる!

ありがとうございます。

1768復興G:2012/03/22(木) 06:22:23 ID:ojEbkDH2

ももんが様。

おはようございます。
今日は、いつもより早く目が覚めたので、すぐに神想観をしました。すると、谷口雅春先生著『第二青年の書』の一節が、湧き上がってきました。それは――

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   第二十章 人類光明化蓮動の選士を讃えて

 人類光明化運動の選士よ、神に選ばれたる若人よ。
 諸君は神武天皇建國の日本國に生れたることを誇りとし、慶びとし、この誇りと慶びとを若き人たちに分ち、子々孫々に傳えることを名誉ある使命とするのである。
 諸君は、天孫、彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)の天降りましてより、神武天皇に至るまで、約そ一百七十九萬二千四百七十余年の古き傳統をもて建てられたる日本國に生れたることを誇りとし、慶びとし、この誇りと慶びとを若き人たちに分ち、子々孫々に傳えることを使命とするのである。
 彦火瓊瓊杵尊の天降りを歴史的事實にあらずと疎んじてはならないのである。諸君は天照大御神の御孫の天降りとは、天球すなわち大宇宙を照らし、それを光明化する理念の天降りであることを知るのである。理念は現實に先立つ、日本の現實はいまだ理念の完全さに達せずとも、宇宙を照らす大理想をもって天降り來ったことが日本民族の使命として斯くの如き神話を創造して代々相傳承して來たことが尊いことを知るのである。
 諸君は知る、天照大御神の孫の降臨とは、眞子の降臨であることを。それは神意の傳承、「まことの理念」の傳承のことである。この尊き天意の傳承の下に日本國は肇まったのである。されど、時運いまだ開けず、交通不便にして、日本民族全體が統一國家になっていなかった時代が幾世代も続いたのである。それを『日本書紀』は「是の時に世、荒きに逢い、時、草昧(くらき)にあたれり」というような言葉で表現しているのである。時期の至るまで、神武天皇にいたる多くの世代を通じて、天皇家の雌伏の時代がつづいたのである。単に雌伏していたのではないのである。「かれ蒙(くら)くして正(ただしき)を養い、此の西の偏(ほとり)を治らす。皇祖皇考(みおや)、神聖(かみひじり)にして、慶(よろこび)を積み、暉(ひかり)を重ね、多(さわ)に年所(としのついで)を歴(へ)たり」と『日本書紀』は書いている。暗黒の時代にも、常に「正(ただしき)」を養って來たのが、日本民族の祖先であり、その祖宗は、「神聖(かみひじり)である」ということを知っていたのである。即ち、日本民族は、連綿として、神の靈統をつぐところの「神の子」であるという自覚をもって正を養い、みずからの修養に盡して來たのである。諸君は、斯くの如き尊き傳承をうけつぎ來った日本民族の一員として生れ來ったことを誇りとし、慶びとし、この誇りと慶びとを、若き人たちに分ち、子々孫々に傳えることを名誉ある使命とするのである。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 というご文章であります。私たちが青年時代にしばしば朗読したものであります。

 私たちは谷口雅春先生から直接、>>1699〜1703に書きましたような真理(神のコトバ)を拝聴することができました。それ故に、只今谷口雅宣総裁がそれを直接お説きにならなくとも、生長の家の教えはこの「日本建国の理想」「日本の実相」顕現にある、それは生長の家の教えの中心部分であると信じ続けております。私たちはそれでよいとして、後継者たちにそれが伝えられ受け継がれなければ、神から与えられた使命が全うされないのではないか。それでは日本の使命が果たされず、世界に「神の国」を実現することができないのではないか。それでは生長の家出現の意義がなくなるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。
<つづく>

1769復興G:2012/03/22(木) 06:23:15 ID:ojEbkDH2

<つづき>
ももんが様は、>>1723
>世界には、この地球上には、人間や動植物と同じ、たくさんの、国や、民族が、地域ごとに、別れて、生活してます。食べ物も、言葉も、文化も、歴史も、宗教も、色々違うから、個性があり楽しいように、思います。
復興G様が、青年でいられた時代より、世界は、狭くなったと、私は、感じてます。
中心帰一は、寧ろ、“神様の無言の智恵”により、“自然に成されて行く”様に、私は、感じてます。<

 とおっしゃっていますが、この世界は言葉によって創られて行く世界ですから、積極的に言葉の力を駆使するのが生長の家の生き方なのではございませんか。

 たしかに、世界は私の青年時代とは急速に変わってきています。インターネットで世界の人々がつながり、瞬く間に情報が伝わります。しかし、それは必ずしも良い方向にばかりは進んでいません。むしろ破壊的な、悪い方向に向かっているかも知れません。日時計主義とは、問題から目を背けることではないでしょう。正しい光明を見て、それを広めることではないかと私は思います。もっと日本独特のすばらしい「大和の理想」に光を当て、これを伝え広めて行くべきではないかと私は考えます。

 昨年3.11の東日本大震災で、それまで隠れていた日本人の素晴らしさが表に出て、世界から讃嘆されるようなこともありました。天皇陛下の素晴らしさも、改めて国民の魂に刻み込まれました。

 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』というベストセラー書を書いた竹田恒泰氏は、まだ三十代のすばらしいオピニオンリーダーです。「神武天皇が実在したことは、疑いようのない事実である」と言っておられ、31歳で山本七平賞を受賞しておられます。こうして、ももんが様のおっしゃるように、中心帰一は「“神様の無言の智恵”により、“自然に成されて行く”」のかも知れませんが、生長の家はその最先端を行く神の啓示を受けて谷口雅春先生がお伝え下さっており、それが生長の家の教えの中心でありますから、私たち信徒はそれをしっかりと受け止め、受け継ぎ、伝えて行くべきではないでしょうか。

1770初子キャディラック:2012/03/22(木) 09:51:22 ID:ixiWFYoQ
>>1765
神の子さま

わたくしは、みなさま方が「真理を知る」という言葉をどのような意味で
使っておられるのか、それがわからないと申し上げておるのであります。
神の子さまは、「真理を知る」という言葉をどのような意味で使って
おられるのでありましょう。

わたくしが使う「真理を知る」という言葉の意味は、「主観と客観の一致」と
いうことであります。「真理を知る」ということが主観と客観の一致である
かぎり、人間は真理に到達できないと、わたくしはこうした立場から発言いたして
おります。

神の子さまはどのような意味で「真理を知る」という言葉を使っておられる
のでありましょう。

1771「訊け」管理人:2012/03/22(木) 10:14:16 ID:???


 ご回答があればこの呼び捨てブログ、素直に始末されましょう(笑)






<付録>

(予想される今後の展開 IN ☆☆掲示板)

 うっかり訊けがクチをすべらせています。ブログを始末できるのは総裁しか
いないからです。ほお?どうした訊けクン、えらく対応が丁寧じゃないか。理由
は初子が総裁だからだよ!!!!・・・(以下妄想日記炸裂)・・・訊けくん
の不用意なエラーでありませう。「始末されましょう」といってくれた訊けくん
に弟子入りしませう。

1772さくら 総裁第一秘書バージョン:2012/03/22(木) 10:31:49 ID:qhp8lIr.
すみません、そこの部外者は、
うしろに下がって頂けますか?

初子キャデラック総裁が、お通りになりますので。

…握手したい?
またですか〜。

あ、聖典は置いてってください、
「次世代への決断」、これ持ってるなら、いいですよ。

1773役行者:2012/03/22(木) 11:07:15 ID:yV77xwkY
 
 >>1728
 

 春さまの仰るとおりかも知れません。
 
 >こ の方たちが"和解だ、大調和だ"と 言うべき相手は現総裁と現教団側であるにも関わらず、 聖典を護った方たちを小馬鹿にするような見識なの で、しこたまキレたのです 。<

この掲示板で、和解を論調しておりますが、
 「果たして、総裁先生のお心に響いているか?このままでは、バーチャルの世界のジャレゴトに終わってしまう。」
 と、敢えて一念発起されたのが、春さんなのでしょう。

 目の前に迫り来る、裁判の結果、それでいいのか?と!

 大変な局面かと存じます。
 

          合掌

1774ハマナス:2012/03/22(木) 14:13:31 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
 こんにちは。

  地上生活学校への入学  (『新版 生活の智慧365章』P/102より)

 宇宙の本源でありところの大生命を“海”と考えるならば、吾々はその海面に浮かび
上がった一つ一つの波だとも考えることができるのである。併し、波は次の瞬間には
消えてしまっているけれども、人間の生命は須臾(しゅゆ)にして消えるものではない
のである。

 仏教者の或る人は、肉体を盃にたとえ、盃に海水を盛ったように肉体に大生命の一部を
汲み入れたのが人間であるが、その盃が壊れると、盃の中の海水は大海原の水と一如に
なってしまうのと同じように人間の肉体がこわれると、その人の生命は個性も何もなく
なって、“宇宙の霊”に帰一してしまうという風に説く人があるけれども、それは間違い
である。善人も悪人も、修行をした人も修行をしない人も、肉体の死後は、全然、同一の
大生命甲海に融けこんでしまうのだったら、何のために、吾々は切実に道を求め、魂の
向上を願うような衝動が内部から起こってくるのであろうか。そのような不合理のことは
ある筈はないのである。

 吾々の肉体は霊魂が地上に於いて或る修行をし、或る使命を果たすための“法服”又は
“作業服”であって、肉体が人間そのものではないから、肉体が死滅しても霊魂は個性を
失ってしまうことはなく、また別の肉体を着て地上生活学校に入学してくることになる
のである。



魂は、無限向上なのですね。それぞれの人生において色々な場面に遭遇し、問題を解決して
精進して行く。かつて、ある先輩から、「何があっても大丈夫。この問題を解決したら、
どの位自分の魂が高まるか楽しみよね。嬉しい、楽しい、ありがたい!」と、言われた事を
思い出しました。
人間は神の子であり、善一元の世界を教えてくれた、「生長の家」に感謝いたします。

生きていることが、太陽を拝めることが、生長の家のお仲間がいることが・・・・
考えてみると、数えきれない程感謝することが、いっぱいあります。
今日は、すべて人、物に感謝したい心境です。

感謝合掌

1776トキ:2012/03/22(木) 19:39:06 ID:iFhznFvc
私どものところに、「どうしてもわかりませんが、どうしたらわかるでんようかとききにこら
れる方や、また、「長い間生長の家で本も沢山よみ、お詰も何べんもきいて、何もかもよくわかって
いるのですが、少しも善くならないのはなぜかとたずねに来られる方がよくあります。
 こんな方に私は、「わかってどうされるのですか? 宗教学者になられるのですか? それとも評
論家になられるのですか、とおたずねします。「宗教は覚えることでも識ることでもありませんよ。
信ずることですよ。生活することですよ」と申します。宗教の根本は信であり、信とは実感であっ
て、味のようなものであります。味というものは他人の説明や話では絶対にわかるものではありませ
ん。自ら食し、自ら体験する以外に方法はありません。身体で行じ、実践する以外にありません。声
なき声をきき、姿なき姿をみるのでありますから、他人から教えられただけで体得することは出来ま
せん。お話や文章は、参考にはなりますが、直接の救いとはなりません。実理は絶対でありますか
ら、表現出来るものではないのです。表現したものはすペて方便であります。真理は表現出来ないか
ら教えることも出来ません。常局は自得する以外にありません。味を覚えるのは食べる以外に方法が
ないのと同じであります。

 求道においてもっとも大切なのは、礼拝行であり、拝み切ることであります。神に見えるまで拝み
切る行であります。真剣に生命がけで拝み切ったとき、拝むこときえ出来ない自分を発見します。そ
の絶体絶命の境地の中から、神をみることが出来るのです。生長の家はただ合掌し、ただ感謝する教
えであります。拝まなければならないのではなく、拝まずにいられなくなる教えであります。それは
人間なるものの正体が明らかになり、本当の自分を発見するからであります。まことの載れを発見し
自覚するとき、拝まずにはいられなくなり、拝まずにいられなくなったとき、腹の庶から満足感が湧
き、喜びがうまれるのであります。そこが天国であり、極楽であります。救われることを願う必要さ
えなくなるのであります。

 人間は本来神の子であり、神でありますから、敬う自由は与えられているのであります。悪や不完
全なものから逃れて、完全な姿にかえりたいと隈う心が起るのは、自我や欲望ではなく、内在の神性
が覿現しょうとする働きでありまして、この願いがそのまま尊いのであります。私たらは常に神想観
を怠らず、素直にその内なる騒いに耳を傾け、その声に従うことが大切であります。自我から出発し
たものは、欲望であり、要求でありますから、必ず苦痛を伴います。苦痛を伴うものは、無明であり
ますから、そのようなものは極力否定し、相手にならないように努め、常に真実の願いに向って前進
することがもっとも肝腎であります。苦痛や後悔を伴うことは、無明であうますから、断じて妥協し
てはなりません。真剣な蔽いは神意の顕現でありますから、例えどのような結果になっても後悔など
ありません。一時わるい結果があらわれたように見えても、それはより完全へと進む過程であります
から、そんなものに動揺せず、確固不動の信念をもって一途に邁進すればよろしいのであります。

「すべてを癒す道」藤原敏之著 p89

1777ももんが:2012/03/23(金) 06:59:41 ID:XXCuaQns
神の子皆様、おはようございます。今日も、素晴らしい、御天気になりました。さあ、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。


いや、先日より、小忙しい忙しいです。あさひ様、復興G様、お返事遅れて、申し訳ありません。復興G様へお返事は、もう少し、お待ちください。

あと、志恩様、畑仕事、がんばってください。私も、2年前枯れはてた、ボックスウッドが見事に生きを吹き返しました。生命の力を改め感じました。先日の親戚の方の日本史のお話、大変面白く読ませて頂きました。一部、私の知る説と違うところも有りましたから、改めて、御感想いたします。春の御仕事がんばってください。ありがとうございます。



『生命の実相・第六巻 』
★『なんじ、心を尽くし、精神を尽くす、思いを尽くして主なるなんじの神を愛すべし』


神の子皆様、掲示板にたくさんの“心”を表されております。

でも、神の子皆様の真の心は、渾て、“神を愛する心”から来ていると、私は、信じております。

それでは、本日も、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。合掌、拝。

1778ももんが:2012/03/23(金) 07:12:33 ID:XXCuaQns
あさひ様

あさひ様、先日は、また、過分な御質問、頂き、恐縮しております。真に、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

私の、答えが、妥当か、どうか、解りませんが、御答えさせて頂きます。

>>ももんが様のような宗教的教養の広い方はともかく、ふつうの人間が『生命の実相』を自覚できるためにはどんな手立てを提案されますか?お尋ねいたします。<<

まず、『生命の実相・第2巻』にこう出ています。


★この存在《もの》の実相《ほんとうのすがた》を知っる力は五官ではない。これは仏教でいえば『阿耨多三ミャク三菩提』すなわち『実相覚』《じっそうかく》といって一種の“霊覚”あります、しかし、”霊覚“と言っても人間の怨霊や動物の霊魂の姿を見るような、第六感ではないであります。このようにな第六感で見える世界はやはり”鏡のように澄みきった“実相の世界でなく、『実相』という鏡の上に『迷い』という息を吹きかけてできた曇りの模様のようなものを見別けるにすぎないのであるます。
で、われわれが、確実に存在《もの》そのものの実相《ほんとうのすがた》を知るには、五官を超越し、第六感さえも超越してこの『実相覚』によるほかないのであります、だからわたしはこの『実相覚』にのみ遠慮なく頼って存在《もの》の実相《ほんとうのすがた》を観ることにするのであります。〜
(104㌻〜105㌻)


★『物質』と『霊質』とは性質においても、本質においても正反対であります。どちらか一方が『実在』ならば、どちらか他方が『非実在』でなければなりません。二元論は自己撞着に陥ります。
存在《もの》の実相《じっそう》をとらえるには『実相覚』によって『一つの神』すなわち、在りとし在らゆるもを在らしめてる一つつの力、生きとし生きけるものを生かしている一つの力を認めねばなりません。『在る』ということと『生きている』ということとは『実相覚』で観れば一つのことであります。在るものはすべて生きている。存在とは生命の別名である。神とは完全の別名である。すなわち存在するものはすべて生命であり、神であり、完全であるのであります。〜(105㌻)


上記に、出てくる『実相覚』とは、正に、生長の家流の、”霊性“や”見性“に当たる、部分と、観てとれます。

要するに、“霊性”でも“見性”でも、そうなのですが、実相を、正しく、観る心を養う事が、必要だ、思うしだいです。

禅や黙想に、正師(正しい指導者)がいるように、神想観の指導も、この“御指導”いただけると、より良く成るような気がします。

私としては、この様な小生意気な事を言って申し訳ないと思います。そう、色々事情もあるし、色々な方がいますから、これが、良い方法とは、言えないと思いますよね。


>>カルトでないかぎり、万教帰一ですが、何教から入っても到達点は同じでしょうが、禅、カトリック、その他、ももんが様はどの門を推薦されますか?お尋ねいたします<<。


私も、あさひ様と、同様に思います。

食べ物や、衣服や、仕事でも、“好み”や“出会い”が有りますし、“向き”“不向き”も有りますから、宗教も、その人、その人により、形が違っても、良いと私は思います。

極端な、お話ですが、例え、“邪教”、“カルト”と現世で思われていても、その方の、“魂の向上”、“心の向上”、“人生の向上”には、必要な事であったのだから、けして、無駄では、無いのだと、私は、思うしだいであります。

禅とカトリックの交流は、可なり盛んです。神父様から、禅坊主に成る人が出たり、禅坊主から、神父になったりと。

アラブ社会でも、禅をしてる話は、聞いたことがあります。

もし、すすめるなら、やはり、禅を、特に、公案禅を薦めたいです。

あさひ様、こんな、ところで、いかがですか?たいした、お話もできませんで、すいません。今度は、あさひ様の、御言葉を、是非、お聞かせくださいませ。いつも、ありがとうございます。おやすみなさい。感謝、合掌、拝。

1779復興G:2012/03/23(金) 15:22:21 ID:ojEbkDH2

ももんが様。

>>1777
>復興G様へお返事は、もう少し、お待ちください。<

 ありがとうございます。たのしみに、お待ちしております。
 ところで、私は明日と明後日の2日間、所用で旅行に出かけますので、いま少し追加の所感を書かせていただきます。

>>1723で、ももんが様は、世界各地で各種民族の方々が、いろいろな形で、神あるいは仏と崇める人に帰一することなどを通して、“天地”に礼拝している、“中心帰一”されているということを教えて下さいました。ありがとうございました。
 教えて頂いたことを要約しますと――
   〜〜〜〜〜〜〜
 カイラスの巡礼も、カバア神殿の巡礼も、“天地”に礼拝している。ガンジス河の沐浴も、“天地”に対しての礼拝であった。ニコライ堂の礼拝でも、信者の人々は、絨毯に、額を擦り付け、“大地”にひれ伏すように礼拝している光景を見た。イスラムも、仏教も、キリスト教も、大地にひれ伏す祈りをする。“天地”最大の祈りは、世界共通だと思った。
 チンギスハンは、モンゴルの人々とっては、日本の人の神武天皇に匹敵する、それ以上の存在である。彼を”神“と崇めるモンゴルの人々は、自分達の先祖や、天地の神に対して、チンギスハンを通して、“中心帰一”されていると思う。
 チベットでは、ダライラマは観音様の化身で、活仏である。チベット仏教の教えでは、今のダライ・ラマも”何回も転生“してる”仏“である。チベットの人々は、それを、大変、信仰されている。
 我が国で天皇様を信仰するの同じように、信仰し、“中心帰一”されていると思う。
   〜〜〜〜〜〜〜
 このように教えて頂いたことをかみしめながら、生長の家の教えを振り返ってみました。

(1)イスラムも、仏教も、キリスト教も、大地にひれ伏す祈りをする。
 生長の家でも、「われ今、天地四方を礼拝して、天地一切のものに感謝し奉る」(『如意自在の生活365章』の冒頭、「新たに生まれるための祈り」)と祈ります。が、そのあとに
「古き天と地と四方一切のものは過ぎ去り、役目を果たし終わりぬ。」
と続き、そして
「霊によって今われ復活せしめられ、物質的肉体意識のヴェールを脱ぎ棄てて、この世界を観、このわが全身を観ずるに、われを含めて天地一切のものが、すでに“霊”であり、“霊”を本質とする霊的存在であることを知ったのである。この世界、この宇宙にはただ一つの霊的実在があるのみである。霊には、物質のごとき、固定した劃壁はないのである。それゆえに宇宙はただ一つの霊なのである。霊は宇宙に普遍して限りなく隔てなく、極微の一点の中にも存在し、極大の宇宙の中にも充ち満ちているのである。これを“神”または“本源神”または“創造の神”とも呼び奉るのである。その霊的実在の中に、神の御心より“想念”浮かび来たる。この“神の想念”を“理念”と称するのである。神の“想念”(理念)とは神のいのちの意識的振動である。意識的振動をコトバと称する。“意識的振動”すなわちコトバには意味と形相とを内在せしめているのである。」
というご教示があります。

 ももんが様に教えて頂いた、各宗各地での祈りも、皆このただ一つの霊なる“本源神”を、それぞれの形で礼拝していることになっているのだとは思いますが、それがどれだけ自覚されているか。生長の家のように
「吾らは凡ゆる宗教が大生命より発せる救いの放射光線なることを信じ、他宗をそしらず、他人の尊敬の対象たるものに敬礼せんことを期す」(「『生長の家』家族の祈願及び修養」の二)となっているか。
<つづきます>

1780復興G:2012/03/23(金) 15:23:04 ID:ojEbkDH2

<つづきです>
眼に見える「形」が存在するとすれば、その「形」は皆それぞれ違うのですから、「他人の尊敬の対象たるものに敬礼」はできない、となっていることが多いのではないでしょうか。ダライラマのように、チベット仏教の法王でありながら伊勢神宮にも参拝されるというような方は少ないと思いますが、いかがでしょうか。

 “中心帰一”とは、「中(みなか)」すなわちただ一つの宇宙霊なる“本源神”に帰一することでありましょう。その中(みなか)なる本源神が、今・此処に、わが内にあってわれを生かし給うている。「中(みなか)」なる神は、天地に遍満していらっしゃるとともに、わが内にましますのである、だから天地四方を礼拝するとともに自分自身の生命を礼拝せよ、外なる神と内なる神は別ものではない、一つなのである――というのが生長の家の御教えでありましょう。そして、天皇を神と崇めるのは、「君民同治の神示」にありますように、
 「人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が、神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。…(中略)…観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。」
 それで日本人は日子・日女(天照大御神の息子・むすめ)の自覚から「すめらぎは神にまします」となり、「君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む」という姿が国体となって展開してきたのでしょう。
 ですから、
 「チベットでは、ダライラマは活仏である。」
 「生長の家では、人間は皆、活仏である。」
 「モンゴルでは、チンギスハンは神である。」
 「生長の家では、人間は皆、神である。」
 ということであって、外に帰一すべきものを求めなくともすべてはわが内にある、という生長の家の教えはまことにすばらしい教えである。そのすばらしい真理をお説きくださいました谷口雅春先生に、感謝せずにはいられません。
 ありがとうございます。

1781あさひ:2012/03/23(金) 15:44:51 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご回答有難うございました。感謝申しあげます。

せいぜい努力して本当の自分に到達したいものと思います。

宗教からも本当の自分に到達できると思いますが、心理学、フロイト ユング
 ラカン アドラー派などからの自己分析からも到達できるように思います。
なぜなら、人間は無限成長の過程を生きていますから。その時、同行2人のその人の無限の可能性
を信じる付添人が存在するとベストだと思いますが。

ももんが様はどう思われますか?お尋ね申しあげます。

色々有難うございます。     合掌

1782ももんが:2012/03/23(金) 19:58:28 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様


トキ様、神の子皆様、こんばんは。合掌、拝

本日は、雨降りの中、如何お過ごしでしでしょうか。

春の一番は、吹かねども、春は、もう来てますね。

さて、以前、『実相と現象』に有りました。雅春先生の、御言葉を、春一番、吹き荒れる掲示板に、今一度貼ります。皆様のお心に甘露法雨降り注ぎますよに。感謝、合掌、拝。


>>『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。

★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。

トキ様、この言葉、現在の、総裁から、教団幹部、分派幹部、(元幹部も含む)、全ての信徒が、聞いて欲しい、言葉かと、思われました。<<

では、では、神の子皆様、おやすみなさいませ。合掌、拝。

1783ももんが:2012/03/23(金) 20:39:35 ID:XXCuaQns
〜コーラン・開扉〜

慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において

①、讃えあれ、アッラー、万世《よろず》の主。

②、慈悲ふかく慈愛あまねき御神

③、審《さば》きの日の主宰者。

④、汝をこそ我らあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。

⑤、願いわくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え。

⑥、汝の御怒り蒙る人々や、踏みまよう人々の道でなく。

⑦、汝の嘉し給う人々の道歩み給え。


※イスラム、マホメットの神示であります。
是非、皆様の心の内で、聞いて下さい。
合掌、拝。

1784トキ:2012/03/23(金) 21:08:40 ID:Xd3NP8Us
>>1782

ももんが様

 ご投稿、ありがとうございました。

 私が若い頃、ソルジェニーツィンの「収容所群島」という本が話題になっていました。
彼は、スターリン時代のソ連で政治犯として逮捕、投獄された人物で、共産主義を告発した人です。
が、彼が、自分の牢獄時代を回顧したシーンで、こんなくだりがあります。

 彼は、確信のある政治犯だったので、自分の行動が正しいと自信を持っていたみたいです。
(実際、正しかったのですが)。しかし、ある日、自分の軍隊生活を思い出して、ゾッとした
そうです。

 彼は、学生から学徒動員で軍隊に招集され、大卒なので将校になります。そして、将校だった
ので、特権的な待遇を受けます。そういう待遇を受ける中で、だんだんと自分が特別な人間であ
るという意識を持ち、威張るようになったそうです。その頃の事を思い出し、自分は何と嫌な人間
だったのか、と痛感したそうです。
 そして、彼は、スターリン時代の体制は告発したが、同時に、「もし、自分が秘密警察に勤めて
いたら、同じような権力の濫用はしなかっただろうか?」と問いかけ、「これに正直に答えるの
は恐ろしい」とも書いております。

 人間は、間違いをおかす存在です。

 自分も組織活動において、多くの間違いをしました。ですから、他の人を批判する権利はありません。
しかし、間違いを放置するのも良くないと思います。自分がミスをするように、他人もミスをすると
いう発想を持ち、他人の過ちは指摘しても、愛情をもって教えて上げ、謝罪や訂正をしたら、それも
認める度量は欲しいと、自分自身、願っております。

合掌 ありがとうございます

1785ハマナス:2012/03/23(金) 23:12:36 ID:u5mC.eb2

ももんが様

ご丁寧なレスをありがとうございます。
大先輩から、過分なお褒めの言葉を頂き、恐縮しています。
ももんが様こそ、色々の版でいつも素晴らしいことばやご文章を載せて下さり
ありがとうございます。勉強させて頂いております。

信仰体験版に投稿されていました、『実相と現象』のご文章も心に残りました。
一人一人が行事て行かなければならないと、思いました。
“皆様のお心に甘露法雨降り注ぎますように。”も 素敵な言葉です。
いつも感謝しております。

合掌、 拝

1786ハマナス:2012/03/23(金) 23:17:01 ID:u5mC.eb2
ももんが様
 すみません、女子会板への投稿を間違えてこちらに投稿してしまいした。
 たいへん失礼致しました。

 感謝合掌

1787下流の人:2012/03/24(土) 00:32:26 ID:rW.yYvdc

>>その前段にて (7411)
日時:2012年03月08日 (木) 19時17分
名前:童子

 『・・・生長の家では「コトバは神なり」とか「コトバの力」のことを言う場合のコトバは、第一義的には身口意の具体的な表現が生れる前の「想念」や「心の波」のことを指すのであって、

 肉声による言葉やそれを録音テープに収めたもの、あるいは書籍に印刷された文字のことではないのである』


 と、谷口雅春先生の『甘露の法雨』講釈を引用して、結論をもってきていますね。

 この場合「想念 = コトバ」と認証さすことであって、表音文字までを否定してはいかんでしょう。


 

 谷口雅春先生は『維摩経講義』にて

 ・・・普通、仏教では、悟りは言語文字にあらわすことは出来ないと云いますけれども、実際は言語文字にあらわすことが出来るのです。

 悟りの境地を言語文字にあらわすことが出来ないのは、本当には、まだ悟っていないからであります。

 私は『生命の實相』二十巻の中に於いて、その解脱の境地をむつかしい哲学的熟語や、仏教用語などを使わないで表現しました。それゆえにこそ『生命の實相』を讀むだけで、読者の生命の迷いが消え、自縄自縛されていた生命の縛りが解放されて、病気が消えたり、人生百般の悩みが解消したりするのである。

 これは言語文字によって、解脱の境地を表現し得る証拠であります。



 また『ヨハネ傳講義』にては

 吾々は聖書や教典を講義して、一字一句どうであるとわかったとて、そんなことは生命の悟りの前には何でもない。

 吾々が語るのは本の字句の講義ではないのです。聖書に託して自内證の真理を話しているのであります。



読めばすぐ理解できる生長の家本流宣言からのコピペ

1788生命の実相万歳!!:2012/03/24(土) 00:37:15 ID:rW.yYvdc

「生命の実相」は素晴らしい!!!

人間を!地球を!未来を!そして宇宙を救う!唯一無二の大聖典であります。

我々は幸せだ!「生命の実相」と出会えたのだから!  万歳!! 万歳!!

1789ももんが:2012/03/24(土) 07:19:38 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様、おはようございます。今朝も、小雨降りしきる日ですが、素晴らしい、朝がやって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。



昨日、御投稿、下されたれた、トキ様、復興G様、あさひ様、SAKURA様、ハマナス様、素晴らしい、御投稿、心にのこりました。

真に、ありがとうございます。感謝、拝。

特に、トキ様、あさひ様、復興G様のお話は、大変、宗教性があり、為になる内容でした。また、改めて、お返事します。

私は、宗教の基本は“冥想“や“祈り”にあると思ってます。

この“行”を“実参実究”しながら、“今”即ち、“現在の自己活きる”事によって、色々と、各自の“心”が、“生長”して育ものと私には思われます。

それでは、皆様、本日も、素晴らしい神の子としての生活を、お過ごし下さい。和解と分派の皆様のご帰還を心より、御祈念します。感謝、合掌、拝。

1790復興G:2012/03/24(土) 09:00:17 ID:ojEbkDH2

皆々様。
合掌 ありがとうございます。

 今やってるNHKの朝ドラは、「カーネーション」っていうのですか、私はときどきチラチラと見るくらいなのですが、今朝は見てて、妻の前で、3回もティッシュペーパーを手にする醜態を演じてしまいました。
 夏木マリ演じるところの主人公小原いと子が、入院中の病院で、患者がモデルになってのファッションショーを開くんでしたか。そこでモデルになる人たちに言う――
 「お客さんは何を見に来ると思いますか? それは、幸せを見に来るんですよ」
 という言葉。そして末期癌を宣告されている患者が、ファッションモデルとして舞台に立ち、
 「私はこの病院の院長、看護師やみなさまのあたたかい愛に包まれて、今、ほんとうに幸せです」
 と笑顔で語る。……私は、泣けました。声を出して泣きたいくらいでした。
 「真理とは、愛である」
 「生長の家とは、愛の家である」
 と、思いました。

 それでは、2日間の旅に出ます。すべての人々の幸せを祈りながら。合掌

1791うのはな:2012/03/24(土) 10:42:43 ID:El6gIMAw
174. 江戸のジジイ 2012年03月24日 07:38
管理人君おはよう。

君にケンカを売り「和解なんてできない」と言いたいだけの様だ。挑発に乗ることは控えるようにしなさい。

昔の愛国運動にいた連中と同じで悲しいものだ。彼らは聖典など学んではいない。生長の家の人だと思って対応すると大怪我する。一言忠告まで。


雅春先生の御教えに殉するエージェント様。おはようございます。
「和解」を口にしながら、刀を振り回していると形容されているのは「訊け」氏のほうですが、
どうも処変われば話も変るみたいで、この話は平行線のままになることでしょう。

 個人提唱家(運動じゃなくて提唱)の訊け氏の周囲には、あいつは精神異常だとか、聖典を読んでいないとか、
統一教会だとか、人を簡単に裁ける、審査できる人が多数いるみたいですね。
ぜひそういう人たちに後進のためにがんばってもらいたいところですが、
これこれこいだから掲示板に参加しないだとか、和解論をやりたいけれど、荒らされるからできないとか、
なんだかんだとぐちぐちいうだけで、実際何もしない、使い物にならないかんじの人が多いようです。

訊け氏もそういう方たちと「女神の部屋」ならぬ「男井戸端会議の部屋」でも
つくって、パソコンの前でああだこうだと正義のヒーローでも気取って遊んでたらいいと思いますよ。
今後はたにんに「デマを流された」「決め付け思い込みはよくない」というのはやめることにして。
だって、あなたたちにそんなことをいう資格はないでしょう。

その場しのぎに「謹慎します」「しばらく来ません」とかいうのは勝手だけど、
これからはいちいち報告しないでもらいたいと思いますね。

1792うのはな:2012/03/24(土) 11:07:06 ID:El6gIMAw

 それと、訊け氏は本流と訊け氏を対立させるような投稿をしたりしている、とわたし
のことを妨害工作員かなにかの話題話へ方向付けしたいようですが、私の見解は違います。
わたしから見ると、訊け氏はほかから「マッチポンプ」といわれるように、訊け氏自身が
何かと本流投稿のことを口にしています。
最近でも他の人たちから訊け君がケンカ腰になるとややこしくなるとか、
訊け氏の本流批判の仕方について注意のような意見があったと思います。
だから、ケンカを売っているとか、議論をふっかけるみたいなことは、わたしから見れば、
訊け氏のほうが本流に対して活発だと思っています。

またわたしとのやりとりでも、他の投稿者との話しに割り込み、「敬意の守備範囲について
教授願いたい」だとか、一度口論になって否定した話題でも、管理人の制止をきかず、
「光明思想を掲げながら排除する勢力」「操作人」などの話題や絵などを
うのはなさんは否定していないといって、何回も持ち出してきて、それが他の人との言い争いにまで
発展しています。

訊け氏が私の文転載のクレームブログをつくったとき、うのはなさんから愛の告白を受けましたとか
いう文に、私は日常で嫌な目にあいましたが、それを訊け氏の妄想のせいでとか、
訊け氏のネガキャンのせいでとか、そういう苦情は出していません。
其の点は不徳の訊け氏とはちがうという点だけ、反論しておきます。

1793うのはな:2012/03/24(土) 11:10:40 ID:El6gIMAw
1460 :うのはな:2012/03/21(水) 19:23:32 ID:El6gIMAw
「他の店のトラブルを持ち込まないように」とお願いしておいたのに、意図的に持ち込んだとしか思えないような混乱を引き起こしているので、その人のご入来をお断りする処置をとりました。

たとえば、186記事に対してレスポンス187で、「あの訊けさんすら」を書き込んだのは「訊け」さん本人で、それにレスして188記事で「笑」を書き込んだのも「訊け」さんで、さらにレスして190で「怒られましたので」を書き込んで親記事の「葵新吾」さんに向っているのも「訊け」さんです。

この人は自分の親友が多い掲示板を持っているのだから、そこで言いたいことを言えば良いはずです。しかし、その掲示板を見ると女性の方と色々あるようで、その掲示板の管理人さんが両方に頭を下げて気を遣っていました。

この「愛国本流掲示板」の管理人は他の掲示板の管理人さんたちのように貫禄も能力も忍耐力もありません。

「訊け」さんが女性がらみのトラブルまで持ち込んでくれたらタマラナイので、ご入来禁止にさせていただきました。

あしからず。


愛国本流掲示板より

1794うのはな:2012/03/24(土) 11:15:02 ID:El6gIMAw
あの方は、「生長の家」に関するブログを出していますが、本当の「生長の家」からズレているのではないでしょうか。


いつまでも女性と喧嘩を続けていますが、ふつうの「生長の家」の人間ならば、
「なぜいつまでも争いが続くのだろうか。自分の心が現れているのではないだろうか。」と最初に考えるはずなのに、結局そのような考えはしない、理解できないようです。

また以前、この掲示板の管理人さんに絡んできた時もそうでしたが、今も「大調和の神示」を錦の御旗にして「本流」に戦いを挑んでいます。ご本人が書いたイラストには、馬に乗った軍勢が前進する絵がありますが、その軍勢の上り旗には「大調和」「和解」などと書いてあります。


数十年前の新左翼過激派が「平和」を大義にして機動隊と争い、さらには内ゲバにまで進んでしまった事とどこか似ています。


また、自称「経営者」も不可解です。
「よくあれだけの時間をブログや掲示板のために取れるものだ。」と驚くだけでなく、そもそも彼のような物の言い方をしている経営者を私は見たことがありません。

「あまりにも軽い」ではありませんか。本流にカルトや暗い勢力が入っていると聞くと、「どれどれ。」と、さっそく出てくる。それもあの人自身が噂を振り撒いたような節があります。



私ならば彼の会社とのお付き合いは、体よくお断り申し上げます。というよりも、本当に「経営」をなさっているのか、どうも不可解です。

1795うのはな:2012/03/24(土) 12:13:26 ID:El6gIMAw

それに江戸のジジイさんて、わたしが、ここでも「女神部屋」でも、
私との話は終ってるんだから閉じたらとか、前のクレームブログでも女神部屋でも
私が反対してるのに訊け氏が勝手に作ったものだということが、いまだに理解できていないみたいですね(笑)

1796宦官の無免許運転:2012/03/24(土) 12:28:37 ID:.TGheg76
<WEB順位>

検索語〝生長の家 本流〟

★1位 訊け
★2位 トキ掲示板
★3位   〃
4位 本流掲示板
5位 愛国掲示板

1797うのはな:2012/03/24(土) 12:40:52 ID:El6gIMAw

でもね、ここの管理人さんは本流アクセス数掲示について軽蔑しているような
発言をされてるんですよ。
そして訊け氏はうのはなさんの2日間の登場でトキさん掲示板よりアクセスが増えてとか、
うのはなさんの字数総数はこれだけで、一日の投稿数はこれだけで、あの人のお陰で
アクセスアップになりましたと、はしゃいでるんです。ここでリンクまでして。
おかしな話ですね。。

1798うのはな:2012/03/24(土) 12:47:12 ID:El6gIMAw
 急ぐことはない  晴れときどき競馬とホークス ブログより

    神は急がない
   
    無限の時間があり  無限の機会がある

    必ず成就する  神が成就せしめる

    神にまかせよ  自然に熟する時が来る


    過去の失敗や不幸を回想してはならない

    過去は過ぎ去ったのである

    反芻して過ぎ去った苦痛を

    もう一度味ふのは愚かなことである


    毎日毎日  過去を捨て去り

    今日を新しく生きるがよい


          谷口雅春師 『女性の幸福365章』より

 というように、谷口先生や春らんまん様の助言とおりに、自己中心的被害者的な
男性の話題はこのへんでやめましょう。静かな週末をくつろいでいる皆様、お邪魔しました。

1799神の子さん:2012/03/24(土) 14:46:44 ID:lH9TEtpk
いやがらせで相手をやっつけたうのらんまんは生長の家のヒロインなのであります

キケ君ブログへの嫌がらせは最高でした(笑)

1800ぼるぼ:2012/03/24(土) 16:29:16 ID:iV0JULqA
>>1798うのはなさん、これもコピペすべき記事でしょう。

真理の言葉って不思議だね。雅春先生がバキュームオイルの求人広告を見た如く、このいいちこブログをめくっていたらこんな記事があった。


 真の宗教は、生を明らめ、生きる道を明らかにし、
 人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。
 
 真の宗教は決して教会や寺院で勝手に定めて、
 それを信者に強制する教条や規則ではないのである。

 その意味に於いて、却って職業宗教家よりも、
 自由思想家、寧ろ無宗教家と云われている人の側に
 真の宗教を体得した人々があると云うことが出来るのである。

 真の宗教は所謂る宗教家の独占ではないのである。


 真の宗教家はみづから真理を実践し、
 みづから真理の生活をいとなみ、自己の生活に真理を実現し、
 神の智慧と愛と生命とを具象化するものでなければならない。



 人生の行路には色々の迷える人が満ちている。そして苦しんでいるのである。
 或る人は病いに苦しみ、或る人は経済苦に苦しみ、或る人は家庭不調和に苦しむ。

 真の宗教家はかかる人々に面して如何なる態度をとるべきであろうか。
 彼らと同一水準に降り来って一緒に同情の涙をかき垂れて号泣すべきであるだろうか。
 それとも物質的な施しを与えて一時的に救うべきであろうか。


 イエスはラザロの死せるを見たとき、同情の涙を流したことが聖書に書かれている。
 しかし、いつまでも彼は泣いてはいなかったのである。
 「死せるに非ず、寝ねたるなり」と彼は云った。

 同情して涙を流すは現象面のことである。
 現象面にいつまでも吾々は執えられていてはならないのである。
 直ちにひるがえって実相健全の姿を見るとき、却って其の相手は復活し救われるのである。

 又、イエスは病にて脚の立たぬ病人にただ「起きて床をとり上げて歩め」と云っているのである。
 「ああ可哀相に!」と云って、
  一緒にそこに倒れふし泣き濡れて動けなくなっているのではないのである。
  
 すべての人間は神の子であるから、
 「起きて床を取り上げて歩む力」を持っているのである。

 倒れているのは「迷い」の具象化に過ぎないのである。
 「迷い」に同情してはならないのである。

 その「迷い」を見ず、「起ちて歩み得る実相」を直指して、
 その力を引き出すのが真の宗教家の使命であるのである。


 真の愛と「苦痛の共嘗」とは異なるのである。
 苦痛に同悲して相手と一緒に墜落して泥まみれになるのは
 真の宗教家のつとめではないのである。


         谷口雅春師 「生長の家」誌 昭和24年10月号

波長さえ合えば、いたるところに宝物が見つかります。

1801ハイブリット:2012/03/24(土) 16:45:35 ID:227JdXOs
ぼるぼさん、いいね。
ありがとう、そのコトバが宝物になった。

1802木綿豆腐:2012/03/24(土) 16:50:51 ID:.QY5jUA6
ぼるぼさま

志恩です。昔の名前で出ています(笑)
1800:
いいですね。心に沁みる言葉ですね。
感謝です。
早速、プリントアウトさせてもらいました。

1803あさひ:2012/03/24(土) 18:46:37 ID:/3nxKE2Q
ぼるぼ様

>真の宗教は、生を明らめ、生きる道を明らかにし、
 人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。
 
 真の宗教は決して教会や寺院で勝手に定めて、
 それを信者に強制する教条や規則ではないのである。

 その意味に於いて、却って職業宗教家よりも、
 自由思想家、寧ろ無宗教家と云われている人の側に
 真の宗教を体得した人々があると云うことが出来るのである。

 真の宗教は所謂る宗教家の独占ではないのである。


 真の宗教家はみづから真理を実践し、
 みづから真理の生活をいとなみ、自己の生活に真理を実現し、
 神の智慧と愛と生命とを具象化するものでなければならない。

上記掲載有難うございました。
心にしみました。
 
                 合掌

1804春らんまん:2012/03/24(土) 19:30:17 ID:DRonmiwU
>>1799

神の子さま、初めまして。こんばんは。

私は、公衆の面前で"統一教会と思われてるぜ、ホレホレ、もっと書け"と書いている人間など、男の風上にも置けない、
クズだと思ったので、ああいう展開になったのですが、

神の子様の御投稿の御主旨は、イヤミですか? おほめ言葉ですか?

神の子様の過去の投稿から、どういうスタンスの方なのか理解していないので、お聞きしたいなと思いました。

私は、いやがらせした自覚は御座いません。
彼自身が、"トキさん、しばらく出てこない方が、いいですかね?"と
と言ったので、
"二度と出てくるなよ"と
後押ししただけのつもりですが。


(考えてみれば、彼は詐欺師のトキ様に純情に子飼いにされ、全体から真実を見る
目を失わされた、気の毒な人だったと捉えております。)

再拝

1805春らんまん:2012/03/24(土) 20:27:38 ID:DRonmiwU
神の子さま、こっちの御回答、お待ちしています!

1806ももんが:2012/03/24(土) 20:47:14 ID:XXCuaQns
>>1781

あさひ様

あさひ様、先日は、素敵なお返事を頂きまして、誠にありがとうございます。感謝、合掌、拝。

<<1781:あさひ
12/03/23(金) 15:44:51 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご回答有難うございました。感謝申しあげます。

せいぜい努力して本当の自分に到達したいものと思います。

宗教からも本当の自分に到達できると思いますが、心理学、フロイト ユング
 ラカン アドラー派などからの自己分析からも到達できるように思います。
なぜなら、人間は無限成長の過程を生きていますから。その時、同行2人のその人の無限の可能性
を信じる付添人が存在するとベストだと思いますが。

ももんが様はどう思われますか?お尋ね申しあげます。

色々有難うございます。     合掌>>


同行2人ですか?

私は、心理学や、哲学の事は、良くわかりまんせん。

しかし、仏教でも、他の宗教でも、“冥想”には、必ず“正師”を置きます。

正師から、色々な、“冥想”時に起きた、“心の状態”の点検、“修行の上”の注意などをしてもらいます。

例えば、“独参”では、老師の室内に入る時は、老師と一対一です。他者は、入れません。色々、老師とやり取りしている内に、“自分の自我”が、無く成っていきます。

本で読んだ感じでは、カトッリクの“告解”は、黙想の修行者の心の葛藤や自我を取り除く為の物で、一般に言われてる、“罪”の懺悔とは、違うような、印象が、私には、あります。
黙想も、師から課題が与えられるようですね。

この様に、ただいたい、冥想は、冥想の上級者が、必ず、指導をして、その“心の状態”を常に、チェックするように、成っています。
神想観は、そうした、冥想では、無いので、なんとも、言えませんが、神想観専門の正師に教わる形は、一つの方法だとは、思いますが、生長の家に馴染むかは、わかりません。

だだ、“懺悔の神示”に神想観の指導をたのめと出てきますから?

悪くは、ないように思います。

要は、指導者と生徒の関係に、常にある事ですね。

余り、上手とは、言えない、回答ですが、申し訳ありません。春ですね、花の香りに、心を観るのも、また、楽しいです。いつも、ありがとうございます。心から、感謝いたします。合掌、拝。

1807トキ:2012/03/24(土) 21:43:54 ID:2TVINrdg
 老師の言葉は常に人を見ての言葉だった。一つのことに囚われないから、こちらが同じこと
を言って褒められる暗もあれば叱られる時もある。
 これも私の未熟を語ることになるが、竜沢寺へ入って一週間ほど経った夜、何のために竜
沢寺へ入山したのかと老師に問われて、私は得々として、言下に答えた。
 「世のため、人のためにと念願して修行したいからです」
 その時は、「ああ、奇特なことじゃ」と褒められたが、それから三カ月経ってのことだ。同
じことを老師に問われて、私が同じことを答えると、いきなり頭ごなしに怒鳴りつけられた。
 「お前は、まだ解らぬのか!。わしは、世のため、人のためにと念じて修行したことは一度
もない。みんな自分のためにやっているのや」
捨て台詞のように言って、老師は隠寮に入ってしまわれた。
 さて、禅堂に帰ってよく考えてみると、世のため、人のためと独り合点して力み返っている
私が、実は自分のことで心がいっぱいで、自分のために修行するといわれる老師の一挙種一投足が、
世のため人のためになっている。小さな我見に囚われている自分の姿に、この時初めて気づか
せられた。

回想 山本玄峰 P102 田中清玄氏の文章より

1808あさひ:2012/03/24(土) 22:32:29 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご回答有難うございました。感謝申しあげます。

>春ですね、花の香りに、心を観るのも、また、楽しいです。<

と書かれておられましたが、確かに花の香り、花の姿、季節の香りなど自然の中に神秘、大いなる力を観ることもある種の瞑想でしょうね。

その自然の神秘を絵に表現する、文に表現するのもある種の瞑想だと感じています。

色々有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。

1809ももんが:2012/03/24(土) 22:42:16 ID:XXCuaQns
>>1807
トキ様

トキ様、こんばわ。感謝、合掌、拝。

昨晩の、素晴らしい、お話と、いつも、玄峰老師のお話、大変感銘を受けながら、読ませていだだきました。ありがとうございます。

玄峰老師と言えば、田中清玄さんとの、やり取りは、大変、有名ですね。

なんせ?“日本の一大事”を本気で、任された、御二人なのですから。

清玄さん、玄峰老師が、質問をします。

玄峰老師『お前は?何の為に、修行しているか?』


清玄さんは?世のため人為と日本のための様な、御言葉を話ましす。

玄峰老師はこの答えに“一喝”

『お前は、まだ、解らんのか!わしは、世の為、人の為に念じて、修行したことなど、一度もない!みんな、自分の為に、やっているのや!』

と答えに、清玄さん、“一転悟”されたようでした。

“世のため、人のため”と言った、清玄さんは、実は誰の役にもたておらず。


逆に“自分の為に為に修行している”老師が、実は、周囲の人からも、色々な事で、人の役にたてている事に、“自分の修行”、心の在り方を反省したのだと、思われます。


掲示板内、でも、”何々の為“と”言葉“が、良く書いてあった、飛びかってますが、自己の問題を解決する事でしか、全ての問題は、解決しえないと、認識すべきであると、思うしだいあります。

完璧な人は、誰もいませんね。許しあう心を持って、和解と帰還を祈念したく思います。
トキ様、体にきおつけて、がんばってください。私は、いつも、御祈りいたしおります。感謝、合掌、拝。

1810ももんが:2012/03/24(土) 23:04:08 ID:XXCuaQns
>>1808
あさひ様

あさひ様、お返事、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

流石に、あさひ様です。

<<>春ですね、花の香りに、心を観るのも、また、楽しいです。<

と書かれておられましたが、確かに花の香り、花の姿、季節の香りなど自然の中に神秘、大いなる力を観ることもある種の瞑想でしょうね。

その自然の神秘を絵に表現する、文に表現するのもある種の瞑想だと感じています。

色々有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。>>


”花を愛でる心“、”鳥の囀ずりを楽しむ心“は、一つの冥想かも知れません。

生長の家なら、”神想観“に役立つのでは、ありませんか?

講師の先生に、御指導受けて、”オリジナルの神想観“良いかもしれませんね。

一般の冥想会や、ヨガでは、有りますかね。

最近、教団でしてる”絵手紙“だって、実は、”心“が、使えないと、素晴らしい作品は出来ないのですから、やはり、一つの訓練としては、素晴らしいと、思いますよ。

地球の音や、香り、空気、光、色、全てを”自分の心“で観じる行為は、神想観に繋がる、行為ではないかと、思いますよ。

コトバて?何も、人間の言語に限りませんよね。

極端な、お話、今朝の雨だて、地球のコトバですね。私には、そう聞こえましたよ。

どう、観じるか、皆様の心の観じる心、しだいと、思う、私です。

では、あさひ様、余りに、素晴らしい、お返事でしたから、直ぐに、嬉しくて、お返事してしまいました。おやすみなさい。また、よろしく、おねがいします。感謝、合掌、拝。

1811ももんが:2012/03/25(日) 08:03:58 ID:XXCuaQns
神の子皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝ですね。さあ、元気に『ありがとう』の生活をして、素晴らしい日に、いたしましょう。感謝、合掌、拝。

本日は、また、雅春先生のコトバを貼ます。


>>それから、『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。

★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。

神の子様、この言葉、現在の、総裁から、教団幹部、分派幹部、元職員幹部、全ての信徒が、聞いて欲しい、言葉かと、思われました。<<



さあ、雅春先生は『心の平和』、そして、イスライエルの別れた部族《分派》の方の御一人、御一人の御帰還を、お待ちと思います。

今朝も、『和解』と『御帰還』を祈念いたしました。皆様素晴らしい神の子ですから、必ず、和解御帰還されると、願っております。感謝、合掌、拝。

1812トキ:2012/03/25(日) 12:04:40 ID:jZpcSfxQ
 おはよございます。

 最高裁判所の判決が出たら、いよいよ生長の家も何らかの決断を迫られます。

 個人的な感想ですが、総裁制度を含めて、今後の生長の家のあり方も議論をすべきではないかと思います。
既に、総裁の条件として谷口家のゆかりの人である事は必須条件から外されています。谷口雅宣先生の言動に
は信仰的にも社会通念から見ても問題はありますが、彼にしても、言いたい事はあったでしょう。

 今回の騒動を契機に、よりよい生長の家とは何か、という事をみんなで話し合いをしましょう。

1813ももんが:2012/03/25(日) 12:33:51 ID:XXCuaQns
>>1812

トキ様

トキ様、おはようございます。合掌、拝。

レスを裁判の事、教えの事、大変、ありがたく、読ませていただいて、おります。感謝、再拝。

>>1812:トキ
12/03/25(日) 12:04:40 ID:jZpcSfxQ
 おはよございます。

 最高裁判所の判決が出たら、いよいよ生長の家も何らかの決断を迫られます。

 個人的な感想ですが、総裁制度を含めて、今後の生長の家のあり方も議論をすべきではないかと思います。
既に、総裁の条件として谷口家のゆかりの人である事は必須条件から外されています。谷口雅宣先生の言動に
は信仰的にも社会通念から見ても問題はありますが、彼にしても、言いたい事はあったでしょう。

 今回の騒動を契機に、よりよい生長の家とは何か、という事をみんなで話し合いをしましょう。<<



私個人として、裁判は悲しい、現実と思います。

私の思いますところ、『裁判』と言う”現象“を、信徒の方、”御一人、御一人“の”御心“に、写る、”嫌な思い“、”悪い事と言う思い“の”現象の姿“を乗り越える事を、神様が、与えくだされた、贈り物。基督教で言うなら、”神の試練“が、皆様の心に、与えらたのだと、思います。

”探せ!さすれれば、そうすれば、与えられる。”《マタイ7の7》に有るように、皆様、各自が、先ずは、各自の『心』や『生活』と向き合う事で、裁判の件も、自然に、善き方向に、向かうと、感じます。


トキ様、裁判のお話ありがとうございます。私も、自己内省して、自己の心、実相の探究に努め、たいと、思います。

ありがたい、御文章、ありがとうございました。感謝敬白、合掌、拝。

1814さくら:2012/03/25(日) 12:49:16 ID:y8mNVyBw
>1812

トキ様

ありがとうございます。

トキ様は、これからどこまで、生長の家では、組織としても、改革が、可能だと感じられますか。

宗教組織の変遷として、今の生長の家の組織も、例外ではない流れだと思いますが、これからの、組織のあり方は、内部ではどの様に話される可能性がありますか。

組織の理論は、まえにトキさまがお話下さり、矛盾が明らかにされたこともあったとおもいます。

組織は、実務能力により発展する性質がありますが、
社会の中の組織のあり方などは、やはり、全体像を見通せる体系的な見方が必要かと思います。

組織のあり方と、信仰のあり方と、宗教的救いのあり方の観点は、少し、分けて考える必要がある気がするのですが、
生長の家では、どの様な可能性がありますか?

1815トキ:2012/03/25(日) 18:41:01 ID:01jXXtcQ
>>1814

さくら様

 ご質問、ありがとうございました。私は単なる教区の会員ですから、私の返答が権威があり、普遍性があるとは思っていません。
しかし、何らかの参考にはなるとは思っています。

 以前、硫黄島の戦闘機の話を書いた事があります。古い中古の戦闘機と最新式の戦闘機が出撃したら、古い戦闘機が無傷で生還し、
最新式の戦闘機が全滅した、という内容です。そして、それは、人間がメカを使いこなせなかったという理由でした。
 そのたとえを流用すると、百万運動時代の教えも、今の教えも間違っていません。しかし、会員は使いこなせないのです。
信仰を持つ事と、原子力発電の増設に反対する事にどんな論理的な意味があるのか。あるいは、経済的に負担しきれない程の誌代を
払わなければ日本が救われないのか。提唱者の頭の中では論理は完結しておりますが、会員の大半は理解していません。当然の話です。

 さらには、本来、宗教法人は、信仰に関心を持つべきですが、それが、環境や原子力発電や防衛問題に関心を持ち過ぎる事で、神様
への性向が希薄になります。これは、間違った傾向だと思います。環境や原子力発電や防衛問題は大事ですが、それは組織ではなく、
組織外や関連組織を作る事で対応がなされるべき問題です。
 
 今の生長の家は、あまりにも余計なものが組織に付着しております。言い方を変えると、船の船底に牡蠣がびっしりこびりついた状態
だと思います。さらには、余計なものを、大事なものと誤解している状態です。テレビに登場するゴミ屋敷の住人を笑えない状態です。

 もともと、信徒は何を期待して生長の家に来ているか、というと、信仰であり、信仰を通じての自己実現であります。そして、この場合
の信仰とは、谷口雅春先生の教えであり、具体的には生命の実相や甘露の法雨であります。吉田國太郎先生や服部仁郎先生の時代に信徒が
いかに生き生きとし、運動が明るく展開していたか、を考える必要があります。今、「小さな政府」が議論になっていますが、生長の家で
言えば、基本的な事、初心に戻る「小さな組織」が求められていると思います。禅宗などは、800年前のやり方を今でも踏襲しています
が、世界に伸びております。それは、ファンダメンタルな部分を重視しているからです。生長の家ももっとフャンダメンタルな部分を重視
すべきです。

 あと、生長の家の歴史で言えば、地方組織に大きな権限があった時代は伸びております。今は本部の言う事に少しでも逆らうと、首が
飛ぶ世界ですが、その結果が教勢の低下です。地方への権限の移譲は、政治の世界でも始まっています。無党派の政治家が地方の首長に
続々と当選しているのはご存知の通りです。だとしたら、宗教でも、マネをすることを考えても良いと思います。

 以上、走り書きですが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1816あさひ:2012/03/25(日) 19:19:39 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご教示有難うございました。

>”花を愛でる心“、”鳥の囀ずりを楽しむ心“は、一つの冥想かも知れません。

>地球の音や、香り、空気、光、色、全てを”自分の心“で観じる行為は、神想観に繋がる、行為ではないかと、思いますよ。

コトバて?何も、人間の言語に限りませんよね。

極端な、お話、今朝の雨だて、地球のコトバですね。私には、そう聞こえましたよ。<


実にそうですよね。山川草木その他宇宙からのささやきが聴けることは瞑想そのもですよね。

真善美を追及する人は皆そうではないかと思っています。

だからこそ、素晴らしい芸術作品に触れた時、瞬時にして何かを感じるのでしょうね。

戦後の廃墟のなかで、自殺志願者が冥土の土産にふらふら入った展覧会場で、作品に
感動して自殺を思いとどまったという話を河北倫明氏が書いておられたことを思い出しますが、
さもありなんと思います。

誠にありがとうございました。

1817SAKURA:2012/03/25(日) 19:27:29 ID:cCzHw4kU
トキ様 へ
>1815 拝読させて頂き…
投稿文章内容は、賛同させて頂きます…。

但し下記の“文章”は…??影響力が多大です…ネ

>あと、生長の家の歴史で言えば、地方組織に大きな権限があった時代は伸びております。今は本部の言う事に少しでも逆らうと、首が
飛ぶ世界ですが、その結果が教勢の低下です。地方への権限の移譲は、政治の世界でも始まっています。無党派の政治家が地方の首長に
続々と当選しているのはご存知の通りです。だとしたら、宗教でも、マネをすることを考えても良いと思います。<

私自身が直接お聞きしました事実ですが…
すでに今からそうです〜ネ!
■ 17年前から、本部【理事会の決定には逆らえない…】その様に、
個人的に相談しておりました「教化部長先生」の口から直接お聞きしました。

この事は、【現総裁先生…になってからと誤解を受ける“言葉”と思います。】

と云う事は、向こうの「社会事業団…」の方へ、現在携わっていらっしゃいます
方がたも、この時期の方に該当致しますので、この部類に入ると思います…。
この辺は、こだわる様ですが…【一言】申し上げたく思います。

■いつ頃からの体制?なのでしょうか??少なくとも、雅春先生時代は〜〜?
                           
                                再合掌

1820トキ:2012/03/25(日) 22:33:07 ID:mD/sOdRo
生長の家が発祥後、各地の支部を支えたのは、地方の篤信の信徒です。
そういう人達がお金や労力を出し合って、支部を結成し、運営しました。本部から駐在本部講師が
在留することがあっても、本部講師の数自体が少ないので、全部の支部に駐在員を置くのが不可能であり、
信徒が合議制で運営しておりました。いきおい、信徒の発言力は強く、当時、駐在した本部講師は苦労を
した、と聞いております。

 その後、聖使命会員制度ができると、段々と本部の発言力が強くなりました。ただ、昭和50年ぐらい
までは、本部は各支部の自主性を重んじる方針を採用しておりました。これは、当時の神誌にも掲載され
ていたのを覚えております。
 生長の家が政治に参加するようになったり、百万運動を展開するようになると、段々と本部の統制が強く
なりました。これは、先輩から聞いております。強引な方針を示したという話も聞いております。

 ただ、当時は、本部と教区とは話し合いが出来る雰囲気はあったみたいです。例えば、本部から幹部が出張
して指導をする場があり、その場では話せない事でも、会議が終わってから、場所を変えて本部と教区の人間が食事
をする慣例があり、その場で、昼間の会議で話せない事をお互いに話し合い、それでうまく流れていたのも事実で
す。また、その頃は本部の人間が教区に良く来たので、話し合いをする場面も多く、人間関係は出来ていたよう
な感想はあります。そういう部分で、結構、弊害は是正されていたとも思います。

 なお、飲み食いと行っても、大半が喫茶店やレストランで、たまに居酒屋があったかな、という程度です。
 
 ちなみに、現在では、谷口雅宣先生の方針で、教区の人間と本部の人間が公金で飲食をするのは厳禁となって
います。私も確かに公金で飲み食いするのは嫌いでしたが、たいてい、会員は自分が呑む分は自腹を切り、あと本部
の人間だけ、適当な理由を付けて公金から出していましたから、考えたらたいした金ではなかったと思います。
(当時の本部の人間の出張の多さを考えると、毎回、自腹を切るのは不可能だからです)
 最初、公金での飲食禁止の話を聞いた時には、谷口雅宣先生が公私混同に厳しい先生だと尊敬をしてい
ましたが、その後、自分のお気に入りを理事や参議に登用し、その理事や参議の給料を高給にし
たり、森のオフィスに150億もの金を投入したので、率直に言って、失望は感じました。それぐらいなら
飲み会ぐらい続けた方が良かったとも思います。
 あと、本部からの出張もC02削減とかで減少したので、本部の人間と何か話す機会はあまりありません。

 ですから、最近では、本部が何を考えているのか、正直、教区の人間はわかりません。
個人的に本部に友人がいる教区の人間が、電話をして事情を聞くしかありません。それをしないと、ある日、
突然、方針が変更になる・・・・ということになり、教区はアタフタする羽目になります。

 教区の側から見ると、こういう事になります。本部から見たらどうでしょうね。

1821ももんが:2012/03/26(月) 06:59:41 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様、おはようございます。今朝も、素晴らしい、朝がやって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。


〜明るい心、暗い心〜

この世では誰でも『幸福になりたい』と思っている。では幸福になると、どんな心持ちだろうか。『まだなかったことがないから、分からない』というかも知れないが、その点をごく簡単に整理して、『明るい心』か『暗い心』かどちらかと聞かれると、『明るい心』に○をつけるだろう。
それならば、先ず『明るい心』になるとよい。するとその心によって、次第に幸福になって行く。一ぺんにならなくても、だんだん、『幸福』になる。
何故かというと、この現実世界は、心によって作られるからだ。心が全ての現実を作って行く。部屋でも、暗くしようと思えば、カーテンでも暗幕でも引いて暗くできるし、明るくしよう思えば、電灯をつけるか、窓をあけるか、天井をブチ抜くかすると、明るくなるだろう。
ところが『明るい心』になるには、そんな天井をブチ抜くほどのことをしなくてもよい。世の中の美しいところや、人に深切なところ、自分や周囲の人々の『美点』を見るようにすればよい。それん見る“練習”をし、鏡の前で笑ったりしていると、だんだん『明るい心』になって行くのだ。その反対に、人の欠点や、いやな所や、きたない所を見て、フクレ面する練習をすると、かならず『暗い心』になって、『不幸な人』になるのである。
ウソと思う人は、この二つの方法のどちらかお好きな方を、せめて一週間ぐらい続けてやると、きっと、『ハハー、なりそうだ』と予感がして来て、さらにもう一週間続けようということになるかま知れない。

〜谷口清超先生著『ありがとう』はすばらし より〜

毎日、ありがとう、してると、真に、自然、笑顔になれますね。
それでは、神の子の皆様、今日も素晴らしい日を、元気に、明るく、楽しく、お過ごしください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1822ももんが:2012/03/26(月) 07:25:15 ID:XXCuaQns
>>1820

トキ様、おはようございます。合掌、拝。


朝から、少しだけ、質問させてください。


>>森のオフィスに150億もの金を投入した<<


この数字て?どこで、報告された、数字なのですか?

とくに、意味は、ありません。

ただ、素直に、知りたかっただけで、解らないなら、解らなくて、大丈夫です。

いつも、心遣いある、御言葉、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1823さくら:2012/03/26(月) 08:25:05 ID:fY9NxAxY
トキ様

おはようございます。
日曜のご多用の時に、返信いただきありがとうございます。

今の段階では、本部の中はもちろん、教区の中も、
組織の改革など、あり得ないくらい硬直化してしまっているのが、
現実だと、分かっています。
しかし、これから信徒の為の組織を本当に(本気で)残していこうと考えるなら、
本部のごちゃごちゃに振り回されるだけでなく、
信徒自身の方から、どういう組織であるべきかを考えて、
行動していくことは、大切であると思います。

このことを考えないと、どんな素晴らしいトップになろうと、
これからも信徒は振り回されることが続くとわたしは考えます。
いろいろな事情を知る方には思惑があって、誰をトップにしたら、
組織が安泰だとする考えがあるようですが・・本当にそうでしょうか。
この組織はトップの行いや人格が素晴らしいから、この団体を選ぶ、
それはそれで、信徒の自由があります。
ただ、わたしには、少し、安易に感じられてしまいます。
もちろん、宗教の団体にとってみ教えに忠実な人が運営する組織、
とそのような観点が最もよいのだとは思いますが、
雅春先生でさえ、組織の運営は試行錯誤だったのですよね。
組織の性質踏まえて全体像を考えていかないと、
繰り返される問題があるような気がしています。

トキ様が仰るように、信徒が「使いこなせない」組織というのは、
現場感覚のない本部、提唱者の頭の中では論理は完結していても、
信徒には理解不能な、方針の押しつけ、などのような今の現実、
それに、閉塞的な人間関係から来る、内部でしか通用しないような妥協、
しがらみとか、思惑とか・・今までの垢といえるようなもの、
そういう雰囲気は、結果的に全体をよくない方向に導いている
原因になっていますね。
おそらく、このままの組織なら、誰がなっても、突き当たる問題があるはずだと感じます。
毎回このようなことに、信徒の信仰が左右されるのは、異常なことですね。

1824さくら:2012/03/26(月) 08:25:35 ID:fY9NxAxY
>さらには、本来、宗教法人は、信仰に関心を持つべきですが、それが、環境や原子力発電や防衛問題に関心を持ち過ぎる事で、神様
への性向が希薄になります。これは、間違った傾向だと思います。環境や原子力発電や防衛問題は大事ですが、それは組織ではなく、
組織外や関連組織を作る事で対応がなされるべき問題です。

宗教の行事と、信仰の発露と、それに基づく組織活動、というのは、
あるつながりを持ちながら、それを行うための基盤となる性質が、
明らかに異なることだと感じています。
明らかに異なるのに、なぜなのでしょうか。
それを、ごっちゃにすることで起こる問題が多いのではないでしょうか。
トキ様が言われるように、大事なものとそうでないものが混在し、
実際活動していくと、どこに何の中心をおいているのか、
葛藤が出てきたりします。必ず、出ます。
このような状態になるのは、
宗教的救いと、個人の信仰や真理の追究の問題と、
それに基づいた活動のあり方、などというまったく性質の違うものを
いっしょくたに考えてしまう点も大きいのではないかと感じています。

>生長の家が政治に参加するようになったり、百万運動を展開するようになると、段々と本部の統制が強くなりました。これは、先輩から聞いております。強引な方針を示したという話も聞いております。

このことは、組織の性質として、その成長過程で、上昇思考をその気質とするのは、
ある意味必然であったと言えると思います。
だから、間違っていたとは一概に言えない、そうような、組織の性質があると、理解しております。
では、信仰としての運動としては、どうあるべきか。
そのことを考えないと、非情なこともおこるし、必然的に衰退の方向にひかれていくと思います。
それは、一人の人間に罪があるということばかりでなく、
組織の性質とはどういうものか理解していないと、
わからない問題もたくさんあるのではないかとも考えられます。


地方のあり方も、本来は地域に密着したお互いの顔の見える救済活動が、
可能なはずですね。
トキ様が言われる小さな組織作りのために、教区から変わって行くには、
トキ様は、具体的な対策として、どんなことが可能だと思いますか。

1825トキ:2012/03/26(月) 10:10:28 ID:Jyl.MQ7g
>>1820

ももんが様

 いつもお世話になります。ありがとうございます。

 「森のオフィス」の予算には、2つの数字が会員の間では流布しております。
本部が公表した40億円台と噂で流れている150億円です。そして、公表されている計画から
見て、40億円台では不可能だ、という声が会員の間では多いです。すると、150億円という
数字が信憑性を増してきます。

 仮に40億円という数字が事実でも、やはり大きなお金であります。それが、総裁だけの
決断で決まるのは、納得はできません。ただ、この計画は既に動き出していますから、
もう、後は、うまく行くのを祈るのみです。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1826トキ:2012/03/26(月) 10:26:32 ID:Jyl.MQ7g
>>1824

さくら様

 御質問、ありがとうございました。

 現在、教区では、独自の行事を開催できない状態です。例えば、co2の問題があるので、30名以上集まる講演会は開けません。
講師も、他の教区の地方講師を招請するのは、事実上、不可能に近い程に手続が煩雑です。新しい企画なども一々本部におう
かがいを立てる必要があり、しかも大半が却下です。少しでも本部方針に違う事を話したら、すぐに問題にされます。

 こういう事態が続き、教区の会員の士気は落ちています。最近、ある掲示板で書かれた某教区の幹部の公金横領事件も
某教区の幹部に電話をして尋ねると事実のようです。似たような話があちこちで聞かれるようになりました。
 
 しかし、こういう規定に果たして合理性があるか、今一度、検討してもよいと思います。無駄に電気やガスを遣うのは推奨
できませんが、社会生活をしている上で、このような異常とも言える環境方針を採用しているのが説得力があるのか。それな
ら、講習会も廃止すべきだという事になります。しかし、講習会は従来通り、「動員」がまかり通っています。

 教区には教区の事情があり、地域によって特色があります。それを無視して、東京の価値観を押し付けるのは、よくないと
思います。環境保護方針は大事ですが、そればかりだと本末転倒だと思います。

 例えば、講演会の開催の復活、外部講師の招請の手続の簡易化、新規行事の開催の緩和などが必要だと思います。また、会計など
は、不祥事根絶のため、会員による監査請求の制度化なども必要だと思います。

 以上、走り書きですが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1827さくら:2012/03/26(月) 12:13:54 ID:y/hbsyWc
トキ様

 >現在、教区では、独自の行事を開催できない状態です。例えば、co2の問題があるので、30名以上集まる講演会は開けません。
講師も、他の教区の地方講師を招請するのは、事実上、不可能に近い程に手続が煩雑です。新しい企画なども一々本部におう
かがいを立てる必要があり、しかも大半が却下です。少しでも本部方針に違う事を話したら、すぐに問題にされます。

このことは、非常によくわかるつもりでおります。

活動は、現在、細かなことさえも、何も通りません。
士気を失うのは、あたりまえですね、

それは、トップだけの問題ではなく、組織の体質にも問題があり、それを本当に改善しようとは考えないのでしょうか。
実際は、出来ない、こういうことかもしれますんね。

本部や教区の誰に聞いても、やっぱり、表面的な答えばかりですね。
現在は、組織は、変わらないし、誰も本気で変えようとはしないんだな、もう仕方ないんだな、とわたしも思っています。
このことを、知るにつけ、
士気を失う気持ちは、たいへん共感しております。

結局は、トップが幹部が教化部長が、信仰がない、人格がない…その議論が終始するのでしょうか。

>こういう事態が続き、教区の会員の士気は落ちています。最近、ある掲示板で書かれた某教区の幹部の公金横領事件も
某教区の幹部に電話をして尋ねると事実のようです。似たような話があちこちで聞かれるようになりました。

こういうことも、わたしも経験しましたが、信仰以前に、管理や、事後処理の問題がとても大きいのを感じました。ちょっと、一般の感覚では、信じられないと正直、感じたことがあります。
これは、組織としては、大きな問題だとおもいますが、その問題が起きたとき、大きな視点で考えるかたがいないのかな、と、不思議なくらいでした。

わたしも、雅宣総裁の方針にも、やり方にも反対ですが、
組織は、思い切った改革が出来ないと難しいことあるとは、思います。
信仰は、原点に帰るべきですが、
大きくなった組織を変えて行く力は、やはり必要だとおもいますが…。

宗教組織って、現場を知るほど、何も変わらない、そういうことなのでしょうか、やはり。

だれか、こういう問題を、考えていらっしゃる方は、
本部や教区にいらっしゃいますか?
この観点からのご意見があれば、お伺いしたいです。
お願いいたします。


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