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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1297志恩:2012/02/29(水) 12:37:58 ID:.QY5jUA6
復興G様の
 1292,1293,1295のご文章と、2/28の『唐松模様』も拝見しましたが、

私も、復興G様のお考えと、同じです。


総裁先生は、「コトバ」「コトバ」と、コトバの表面しか、捉えてないような、いつも書き方をされます。
コトバにこだわるのは、原理主義だと、おっしゃるのは、ご自身がコトバの表面のみを見ておられるからではないでしょうか

榎本恵吾先生は、たくさんのご文章を遺されましたが、そのコトバとコトバの、行間に書かれてあります
奥深い神界からの聖なるメッセージを、分かり易く教えて下さっておられます。

今回も「唐松模様」の最後は、やはり、だから環境問題、、と繋げて、おわられました。

全国代表者会議で、800人も
j集まられた全国の幹部の皆さんが、粛々と、総裁先生が、決められた4月からの新年度の運動方針を受け入れられ、
それが、ほんとうに「生命の實相」にも「聖経」にも頼らないことを、宣言されたことが、事実でしたら、
生長の家から神さまが無くなることになりますので、
復興G様同様に、私も、兄弟姉妹も、親族一同も、離縁していただきます。

1298あさひ:2012/02/29(水) 14:50:13 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

>神様が雅春先生に、”聖典生命の実相“を書き現させたのは、少しでも、この“弱肉強食”の“争い”を無くす為だったと、私は、本日『聖典・生命の実相』を拝読しながら、更に強く感じたしたいです。


ということは、”聖典生命の実相“こそは人類の聖典ということですか? 複眼的思考、多面的洞察、宗教的、心理学的教養広いももんが様ですから、お尋ねいたしたく思います。合掌

1299復興G:2012/02/29(水) 15:45:21 ID:ojEbkDH2

>>1296
ももんが様。

>皆様、雪で道路が滑りやすいですから、きおつけて、お出かけください。<

と、心暖かいお気遣いを頂き、ありがとうございます。
私は、今日出かける予定がありましたが、集まる皆さんが高齢者なので、雪ですべって転ぶと危険なので予定を延期することにし、代わりに、少し雪がやんで来たとき道路の雪かきをしました。すでに踏み固められていた雪は重く、老骨にはけっこう難儀でした。普段は「オレはまだ若いんだ、老骨などではない」と言っていましたが、肉体は老骨であることを自覚せずにはいられませんでした。腰が痛くなりました。しかし、後は爽やかな気持ちになり、雪かきできたことが嬉しく、雪にも感謝致しました。

 ところで、

<残念ながら、谷口雅宣総裁のご文章を読んでも、「内なる実相の魂がそれに共鳴し、歓喜する」ということがない。>

と前に書きましたが、それは、なぜなのかと考えてみました。

谷口雅春先生は、唯一絶対の神の側、「不二の真理の山頂」に立って、現象界、登山道を俯瞰していらっしゃる。そこから現象すなわち相対の、相対立している世界は本来無いのだ! と喝破されている。だから、現象に表現された言葉には矛盾があるように見えても、実相から見たら矛盾はないのである。その真理が、魂に響くのである。
一方、谷口雅宣総裁は、下界の登山道から頂上を見上げながら、すなわち相対の、相対立している世界から、絶対界を想望しながら、「生長の家は唯一絶対の神を信ずる」とおっしゃっているのである。谷口雅春先生は、「人間は神の子であります」と、権威をもっておっしゃる。谷口雅宣総裁は、「生長の家は、人間は神の子であると説くのであります」と、他人事のようにおっしゃるので、魂に響かないのである。
やはり、『生命の實相』がなくなったら、生長の家から神さまが消えてしまう──そのように思われるのであります。
僭越な、生意気なことを申し上げて、申し訳ありませんが、思うまま、感じるままを申し上げました。

1300復興G:2012/02/29(水) 16:08:11 ID:ojEbkDH2

上記、本当に生意気なことを書いて、すみませんでした。
私こそ、相対の世界に立って、つまらないことを書いていました。お詫び申し上げます。
南泉老師様の利剣に、斬り捨てられるべきは私でありました。
ありがとうございます。

1301役行者:2012/02/29(水) 16:14:29 ID:L4NTmRgM
 
 合 掌

 皆様へ
 
 総裁先生のブログから引用させていただき、感想を述べさせていただきます。

>「普通我々が使う言葉は、日常的に普通に存在する事物や人、
それらの関係を表現するためのものである。
 それに対して、宗教で取り扱う重要なことの多くは、“神”や“仏”や“霊”
というような日常生活とは少し次元の違うものである。言い換えれば、普通の言
葉は日常の“俗事”を表現するためのものだが、宗教は“聖事”を取り扱うので
ある。しかし、何によって“聖事”を取り扱うかというと、それは言葉による以
外にないから、“俗を扱う道具によって聖を説明する”という一種の“離れ技”
を行うのである。これが、宗教の教典や聖典の使命である。」<



 >“俗を扱う道具によって聖を説明する”という一種の“離れ技”を
  行うのである。これが、宗教の教典や聖典の使命である。<


 特にここに目がとまりました。
 教典や聖典の大切さを痛いほどご理解されていることが、この文章の一字一句
に見事に表現されていると感じました。


 >この困難な使命を一応達成して残っているのが、世界各地、各宗教の聖典であり、教典である。だから、そういう宗教的書物に記録された音
声や文字表現が「重要である」ことは言を俟たない。しかし、その重要性は、あ
くまでもその文章が書かれた人・時・処においてのものであり、その文章を読む
人や時代や場所が変われば、重要度に変化が生じてくる可能性があるのである。
そのことを考慮せずに聖典に書かれた文章を文字通りに解釈し、それを“絶対の
真理”だと考えると、大きな間違いを犯すことにもつながる。この「聖典の文字
通りの解釈」が宗教上の原理主義の大きな特徴であるということを、私はもう何
年も前からいろいろなところで述べてきた。だから、生長の家の考えでは、「書
かれた言葉は絶対である」というのは間違いなのである。<



この文章で特に注目したところは、


>この困難な使命を一応達成して残っているのが、世界各地、
各宗教の聖典であり、教典である。だから、そういう宗教的書物に記録された音
声や文字表現が「重要である」ことは言を俟たない。<


>生長の家の考えでは、「書かれた言葉は絶対である」というのは間違いなのである。



 上記文章から察するに、
 数々の時代の変遷のなかで、困難な使命を一応達成して残っているのが、世界
各地、各宗教の聖典であり、教典である、と仰っているのですから、聖典の大切
さは重々に知っておられると思います。また、お爺さまの残された聖典が世界に
また未来永劫に轟きわたることを歓ばないはずはありません!
 気になされていることは、書かれた言葉を絶対化することによる歴史の悲劇、
また現在、世界のあちらこちらで起きている悲劇のことなのです。


 >我々の運動の原点は形に現れる前の「コトバの力」の活用であるから、
形にとらわれてはいけない。ある1つの形が行き詰ったならば、同じコトバを使っ
て別の形、別の表現に向かっていけばいいのである。この点が、原理主義を標榜
している信仰とは大きく異なると言えるだろう。<


 >我々の運動の原点は形に現れる前の「コトバの力」の活用であるから、<

  上記内容が原点回帰のことであり、真理の神髄に帰一することの大切さを述
べられてると思うのです。決して、聖典無用論を唱えているのではないと思いま
す。
 前述しましたが、聖典による歴史的、また現在行われている悲劇を鑑みるに、
現総裁は聖典を絶対化することにより起こる危険さを熟知されているのでしょう。

1302春らんまん:2012/02/29(水) 16:47:51 ID:t/2CXHok
合掌
ありがとうございます。

やはり、というか、予見通り、この路線に進みましたね。


トキ様は、お風邪で体調が悪かったから仕方無いのかも知れませんが、
現総裁の発言等、表明することなく"早めに寝ます"で、終了してしまった。。。
残念な気持ちは、残ります。

現教団に組織会員として登録されている信徒様に、伝えたいのは。

①"裁判は、現象に過ぎません"→"心に認めたものが、現れる"ですよよね?
なぜ、現教団が、敗訴したか、これは"学ぶ会や他の分派の争念の表れだ"であったら

②なぜ、裁判になったか、理解していますか?

③どうして、奥付を改ざんしたり、故意に印税を払わなかったり(これにより、どれだけ神の国寮の
経済的困難があって、子供たちの生活が逼迫したか、想像がつきますか?)したか、ちゃんと聞いていますか?

④単に"和解"を迫っていますが、こういう犯罪行為を悪意で行っている方たちと、"和解"が本当に出来ると思いますか?

⑤真に謝罪して、和解すべきは、どちらであるか、理解していますか?

⑥"私たちは何も悪いことをしていない"のは、当然として、"総裁にハイ"で、結局は犯罪行為に加担させられていた、
ということは、認識していますか?

⑦分派は、結局は、"生命の実相"を、護った、ということは、理解出来ていますか?

以上です。

何か、ご質問やご批判があれば、また返答します。

(本日は、この辺で失礼致します)


追伸・800名も集まって、誰ひとり、辞表を胸に臨んだ人はいなかった、ということですよね。
終わっています。


再合掌

1303ハマナス:2012/02/29(水) 18:38:43 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま

こんばんは。今日は雪一色でした。雪に慣れていない都心部では、数センチの雪でも
電車が遅れたり、色々と影響が出ました。雪国の方々のご苦労がわかります。
明日の立教83年記念日を前に浄めの雪であると、思いたいです。

   神 か ら の 採 点   (『新版 生活の智慧365章』P.80)

 真の成功というものは、世間的は名誉を得ることでも、多くの票数を無理をして
掻き集め得たということでもない。その人が如何に神の御(み)こころに一致した
行動をしたかどうかということである。つまり人間の票数を多くかき集めることではなく
神からの採点を高く得ることが真の成功である。また真の成功はある目標に到達したと
いう其の「目標」の到達のみが成功ではないのである。目標に到達する途中で、その人が
魂に何を得たかがその人の成功の一つの示標ともなるのである。また、その目標に到達
する途中で、神の眼から見て、反則をしなかったか、不道徳をしなかったかということで、
採点がかわって来るのである。レスリングでもボクシングでも反則は減点である。
現象的に目的を達成するだけが魂の方での目的ではないのである。つねに魂の
方向に神から最高点をつけて貰(もら)うようにすることこそ肝要である。

感謝合掌

1304復興G:2012/02/29(水) 20:15:57 ID:ojEbkDH2

役行者様。

ご心配、ありがとうございます。

>上記内容が原点回帰のことであり、真理の神髄に帰一することの大切さを述べられてると思うのです。決して、聖典無用論を唱えているのではないと思います。
 前述しましたが、聖典による歴史的、また現在行われている悲劇を鑑みるに、現総裁は聖典を絶対化することにより起こる危険さを熟知されているのでしょう。<

了解しました。

しかし、まだ私には、「聖典を絶対化することにより起こる危険さ」よりも「聖典がなくなることにより起こる危険さ」の方が、はるかに大きいように思われますが・・・・・・

合掌 拝

1305ももんが:2012/02/29(水) 20:19:46 ID:XXCuaQns
トキ様、復興G様、役行者様、ハマナス様、あさひ様、皆様


皆様、真に御寒いですね。私の、先日からの“拙い禅のお話”を聞いて頂き、大変嬉しく感じております。心から感謝合掌、拝。

本日は、真に、忙しく、個別に完全にお返事できないこと、勘弁ください。

トキ様、復興G様、役行者様、ハマナス様、あさひ様、真、コメント御言葉、ありがとうございます。大変、私も、勉強に成っております。

他の方の、御文章も、大変勉強に成っております。


ど言う意味で『勉強』か?と云えば、
“人は自我を捨てる境地”“神に全択する境地”に中々立てないと言うことです。
復興G様ばかりでは、ありません、私も、何度、南泉老師に斬られてると思います。
過ちは、皆犯すものです。その過ちを、許す心、即ち、”自我を捨てる心“を養うことが、慈悲の心に、繋がり、神の心、本来罪なし、の、生長の家の教えに近づくように、また、また、生意気なこと言って、申し訳ありませんが、私は思います。

それでは、寒いですから、暖かくして、おやすみください。今日も、皆様、ありがとうございます!感謝敬白、合掌、拝。

1306ももんが:2012/02/29(水) 20:26:14 ID:XXCuaQns
>>1299
復興G様、役行者様

合掌、拝

追伸・私も、朝は、復興G様の教えの如く、“基本的神想観”してます。祈りの言葉に、“四無量心を行ずる神想観”をしてます。

それでは、おやすみなさい。合掌、拝。

1307トキ:2012/02/29(水) 20:47:21 ID:QuDun742
ももんが様

 激励ありがとうございます。幸い、朝起きての神想観と聖経読誦は熱があっても続けております。
いろいろと心配をかけて、申し訳ありません。

 ご説の通り、他人の事はなかなか気がつきますが、自分の事は気がつかないものです。
昔、ソルジェニーツィンの収容所群島という本を読んだ時に、それを感じた事があり
ましたが、熱が下がったら、書きたいです。

 では、おやすみなさい。ありがとうございました。

合掌 ありがとうございます

1308役行者:2012/02/29(水) 21:23:26 ID:L4NTmRgM

 復興G様


 >私には、「聖典を絶対化することによ り起こる危険さ」よりも「聖典がなくなることによ り起こる危険さ」の方が、はるかに大きいように思 われますが・・・・・ <


 このことについて、無条件に頷く訳にはいきません。


 たとえば、中世キリスト教の魔女狩りをはじめキリストの名を借りての数々の残虐性は、聖書を絶対化して神聖化したことによる時の権力者が為してきたことで、宗教の名を借りた大罪に値します。罪なき多くの民の死と、聖書という書物とどちらの比重が大きいのでしょう。

 わたしは罪なき死を遂げた多くの民に対して軍配をあげます。
 
 万が一、書物がなくなろうとも、真理は宇宙に満ち溢れているのですから・・・


 さて、生長の家の場合は!と云うとどうでしょう。
 キリスト教のように大きな大罪を犯してきているのでしょうか?
 否、ほとんどないでしょう。
 その場合はどうでしょう。
 聖典をなくした場合の危険のほうが大きいのかも知れません・・・

            合掌

1309役行者:2012/02/29(水) 21:35:08 ID:L4NTmRgM

 ももんが様

 >“人は自我を捨てる境地”“神に全択する境地”に中々 立てないと言うことです 。
 復興G様ばかりでは、ありません、私も、何度、南 泉老師に斬られてると思います 。
 過ちは、皆犯すものです。その過ちを、許す心、即 ち、”自我を捨てる心“を養うことが、慈悲の心に 繋がり、神の心、本来罪なし、の、生長の家の教え に近づくように<

 完全同意します。
 わたしも、四無量心を観ずる祈りを、明日より実践してまいります。

          感 謝

1310SAKURA:2012/02/29(水) 22:08:40 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
こんばんは……

夜中より降っておりました“雪…”積もるものかしら〜〜ン!と不安でしたが…
思いのほか…?今日の日中は“晴天”に恵まれました…。“安堵感…”??

【幸福を招く生活365章】
■肉体は心の影
心を騒がせていては、その心の姿が現象としてあらわれてまいります。
騒ぐ心の姿は、生理作用の攘乱となってあらわれてまいります。
恥かしければ顔が赤くなり、腹が立てば筋肉や皮膚が収縮して硬くなり、
心配すれば心臓が苦しくなり、顔色が蒼くなり、呼吸がみだれてまいります。
悲しめば泪が出るでしょうし、梅干しを見れば唾液が沢山出るでしょう。
こう云う風に心に従って、心の通りに現れて来ることを「心の影」と云うのあります。
肉体は「心の影」でありまして心を変えれば状態が変わります。
                            (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆
昔!!「大丈夫〜〜なの?」と聞きますと怒られました事を思い出します…。
“大丈夫?”と言う前に、見て分る事なのに〜〜〜つい!つい!云ってしまう…。
【心配症…】でしたが?

10代後半に“フオ−ク”をしていました時、ある“グル−プ”のファンでした。
その“グル−プ”の解散コンサ−トが、名古屋にて開催される事となり、
当時“ヤマハのトップ…”が、手伝いに行かないか〜と?声をかけてくれまして、
友人と一緒に、勿論!!交通費は半分負担だった記憶がありますが…ウフフ
当時!学生でしたので、残りの出費は???
両親は、時代背景から勿論!反対されましたから…【バイト…資金調達】です。

それで“ヤマハの人”に相談しますと…バイト先を紹介して頂きまして
その“バイト先?”が…何と!!!!【ダイエ−の受付のバイト】でしたが…
“バイトの資金?”で、無事に名古屋に手伝いに行きました。
そして【名古屋の人との“交流”で不思議〜〜】に思ったことがあります。

例えば…或る人が、歩行中に“コケ”たとします…。
九州なら「大丈夫…?」と言いますが〜〜?
此方の方は「いたくない〜〜いたくない〜〜」と言っていましたが…??
どう見ましても“いたそうなのに〜〜><いたくない???”
「どうして、その様な言葉を使うの〜〜」と聞きますと……
此方の人は、「痛いと言えば、益々痛みが走るでしょ〜〜〜」と……
当たり前の事なのです〜〜ョネ!逆に、こちらの方が“オカシイ〜〜イ”と言われ…
今思いますと“ホント”にその通りなんです〜〜〜ネ!
やはり“九州の人”は心配している様で、どうかしますと“陰口…”ですから、
今回の“言葉の力”は、普段の【感情の問題】にもつながるのではと思う次第です。

>トキ様 へ
「風邪…」が……更に!熱が……
私も“風邪”をひきますと、毎年恒例のごとく“病院直行…組”でしたが…
「食事療法…」で治ります…。更に!熱があるとの事…
私の場合は【ツムラの漢方…】を使用します…。
漢方は“福作用〜〜〜”がまだ少ないように判断していますが……?
個々九州に帰郷したばかりの時は、「地元の内科」は殆ど“強い薬!”ですので…
私は、薬を【ツムラの漢方…】を個人的に希望し、お願いいたした次第です…。
■病院行かれ…【漢方!!】を飲まれたら、如何でしょうか??
                                 再合掌
<参考…> 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
漢方ネット診断(ツムラ漢方)
URL http://net-shindan.com/kusuri/index.html

ツムラ  漢方スクエア
URL http://www.tsumura.co.jp/password/m_square/products/ichiran/
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■ 今日は「女子会…」の風邪を引かずに乗り切る“食事”を書いてみます…。

但し4つのポイントを押さえますと風邪ひきにくくなります
1  免疫力を高める
2  粘膜を強化する
3  ストレスに強くなる
4  体を温める…
後程、書きますので…今からでも間に合うはずです!【風邪〜〜飛んで行け〜〜】
更に“熱”が…私は殆ど【ツムラの漢方】で治っていましたが…?
(No.1 NO. 2 No.9 No.19  ……調合していただいておりました。)

1311志恩:2012/02/29(水) 22:28:26 ID:.QY5jUA6
役行者さま

結局、聖典・神殿「生命の實相」は、切ると、決定されたんですか?
書物がなくたって、真理は宇宙に満ちているじゃないですか、というのは、
そういう意味ですよね。

今後も、雅宣総裁に全ての采配をまかせて、幹部さんたちは、現総裁の言うままを信じて
一致団結して、みなで支えて生きて行こうと、誓い合ったのですか?

罪はないのだから、過去のことは、ごちゃごちゃ言うな、ということですか?

1312志恩:2012/02/29(水) 22:36:07 ID:.QY5jUA6
役行者さま

あなたさまは、代表者会議の前におっしゃっていらしたことと、終わったあとでは、
おっしゃることが、変わりました。教団そのものの、守り体制の人になりました。

1313元職員:2012/03/01(木) 01:06:18 ID:???
>私には、「聖典を絶対化することによ り起こる危険さ」よりも「聖典がなくなることによ り起こる危険さ」の方が、はるかに大きいように思 われますが・・・・・ <

この復興G様の意見に同意します。

聖典を絶対化するというコトバ自体に信仰者としての矛盾を感じます。
つまり、その本は聖典ではないと言っていることと同じだからです。生長の家の信仰者は尊師の著わせられた「聖典」をもとに信仰することが
基本中の基本であり(特に神示と生命の實相)その基本を元に、現代における現象救済を行うのですね。現状に合わせた移り変わる救済方法は「方便」であって真理そのものでは
アリマセン。方法です。方法を優先して「神殿」を放棄するかごとき宣言はお話になりません。
 それとも『生命の實相』は神殿ではない・・と言うのならば、その人は「生長の家」を名乗ることをやめて別の環境団体でも立ち上げることがスジでしょう。

 特に今回驚いたことは、純粋な信仰者であられる役行者さんのようなお方が・・・とうとう『生命の實相』を含めた聖典をあたかも不完全なものとする論調に乗ってしまったことです。

それではお訊ねしますが『生命の實相』に書かれた雅春先生のご文章にそのまま従うと、具体的にどこの部分が問題なのでしょうか。お聞かせください(エーテル説以外に)
また、そのままのご文章でで現代を生きる私達にどの様に不適切なのでしょうか。

 よろしいですか、そのような不遜なことは前総裁谷口清超先生は絶対におっしゃられたことはアリマセン。たとえば愛国書といわれているご本についても、絶対に否定されてはいません。
それを現代の(戦後教育を受けた)人にも解りやすく解き明かされて、尊師のみ心を継承されておられました。これこそが「宗教」の跡継ぎとなられる方のお手本と思いますが・・・

 雅宣氏は、なにやら言い訳がましいことをあたかも真理の如く語っていますが、かつて彼が「真理の中心部分と周辺部分」と語っていたことを思い出せば、今回の聖典(つまり『生命の實相』)
は、はたして周辺部分なのでしょうか。答えはとおりです。とりわけ「聖経」は、真理の核心部分であり、これを不完全なコトバと考えるのならば、ただちに「生長の家」のみ教えは成り立たなくなります。

 そのような重大なことを、夫婦ともども自分達のコトバがより進歩していると思わせるような表現をしているがごとき、この傲慢と詐術に引っかかるとは・・・まことに残念。お話になりません。

よく、考えてください。世の中のカルト宗教は、キリスト教系のカルト(統一やエホバ)は、聖書は不完全だと言って勝手な解釈をしてきましたし、仏教系ではオウムやバカボンが、自分なりに釈迦の教えを利用して
人を迷わしています。生長の家を信仰するのならば、まっすぐに聖典に書かれてある真理に従うことが大切なのです。当り前のことです。はやく気がついてください。知らないうちにカルトになっていたらシャレになりません。

1314志恩:2012/03/01(木) 06:01:06 ID:.QY5jUA6
今、私は早朝神想観を終えたところなのですが、神想観してて、ふと、思い出したんです。
以前、ももんが様が、
最高裁へ、上告する件で、微妙な発言をされてたことを(何板何番で発言されたか、探せばありますが)。

ももんが様曰く「私は,昨日、本部の人達と会ったんだけれど、最高裁へ上告することに関することで、すごい話を聞いちゃったのよ。
        あのね、聞くところによると、上告することには、手品に隠し玉があるように、裏に大きな
        隠し玉を、隠してあるんだってさ。どんな隠し玉が、隠されてるのかって?そりゃ,言えない。

        ここでは、その種明かしは、しゃべれないよ」 というものでした。

一般常識で考えたら、教団には、法律に詳しい腕利きの弁護士が数人もついてるそうですから、上告するまえに、上告したら
勝てるかどうか、聞けば、勝ち目は0に近いことは、分かる筈ですよね。

上告したら、また多額の浄財をつぎ込むわ、評判はいよいよ落ちるわ。デメリットの方が大のはずなのに、それなのに、なぜ上告したのか。

上告することによるデメリットを越える、大きなメリット(隠し玉)とは、なんなんだろうか?
つまり、総裁にとっての、メリット(思うつぼになること)は、なんなんだろうか?

皆様も、ご一緒に、お考えくださいませ。
私は,間違ってるかもしれませんが、やっと分かった気がしたのです。

つまり、裁判している間は、総裁は、相手とは、和解しないで済むということです。ケンカを吹っ掛けている相手ですから。
そして、問題を先延ばしすることにより、「生命の實相」「聖経」は、相手から,買わなくて済む。

神殿を、この世から、愛国書をこの世から葬った如く、正当な理由をつけることにより、教団は、テキストには、使用せず、
神殿を、この世から、抹殺できる。

全国代表者会議でも、幹部達に、正当な理由を、賢い頭で説明することにより、神殿の抹殺について、幹部たちを納得させられる、まるめこめる。
これが、上告に踏み切ったことによる、総裁のメリット(隠し玉)では、ないでしょうか。

私の考えが、間違っていましたら、ごめんなさい。

1315志恩:2012/03/01(木) 06:20:04 ID:.QY5jUA6
上記の私の考えは、間違いだと言うのなら、
他の、上告することによる総裁と最高幹部にとっての、メリット(思うつぼになること、隠し玉)は、
いったい、なんなのだと、思われますか?

1316役行者:2012/03/01(木) 08:08:21 ID:L4NTmRgM
 志恩 さま

 >結局、聖典・神殿「生命の實相」は、切ると、決定 されたんですか? <

 たぶん、ご心配のあまり、文章を断片的に読まれていると思われます。
 心情としては分かりますから、応えます。
 先ほども申しましたが、代表者会議で、聖典 生命の実相を切るなど、現総裁は仰ってません。


>書物がなくたって、真理は宇宙に満ちているじゃな いですか、というのは そういう意味ですよね 。<


 これは宇宙の真理です!!!



>今後も、雅宣総裁に全ての采配をまかせて、幹部さ んたちは、現総裁の言うままを信じて 一致団結して、みなで支えて生きて行こうと、誓い 合ったのですか? 罪はないのだから、過去のことは、ごちゃごちゃ言 うな、ということですか?<

 幹部の方々のことはしりません。
 私の応えは、上記に書いてありますが、また書きます。よくよんでください!


>たとえば、中世キリスト教の魔女狩りをはじめキ リストの名を借りての数々の残虐性は、聖書を絶対 化して神聖化したことによる時の権力者が為してき たことで、宗教の名を借りた大罪に値します。
 罪な き多くの民の死と、聖書という書物とどちらの比重 が大きいのでしょう ?

 わたしは罪なき死を遂げた多くの民に対して軍配 をあげます!<


 志恩さまの私の文章引用は、
 上記に、繋がった文章です。


  >万が一、書物がなくなろうとも、真理は宇宙に満 ち溢れているのですから・・<


 文章というのは繋がっているので、引用される場合、その辺のご配慮、よろしくお願いします。
 さて、ここから、私の思いが綴られているのです。
 ここがポイントです!!


>さて、生長の家の場合は!と云うとどうでしょ う!

  キリスト教のように大きな大罪を犯してきている のでしょうか?
否、ほとんどないでしょう!
  その場合はどうでしょう。
  聖典をなくした場合の危険のほうが大きいのかも 知れません・・・<


 つまり、結論をいいましよう!
 いまの段階では、生命の実相という聖典がなくてもいいとは一言も云っておられないのです!
 そのことを申し上げているのです。ここは掲示板なので正確に情報を提供しようと云っているのです。それだけです!!

 私個人としては、万が一、聖典『生命の実相』が失われるようなことがあったら、まず、自分の名をもって堂々と、現総裁先生に諫言します!
 何回もいいますが、一言も、切る!とは仰ってませんよ!


 今日は、生長の家の立教記念です。

 生長の家誕生の日なので、心よりお祝い申し上げます!

 おめでしとうございます。

1317役行者:2012/03/01(木) 08:15:35 ID:L4NTmRgM

 元職員さま

 時間がないので改めて、投稿します。
 志恩さま宛でほとんど思いの長けを述べましたが・・・しばし、失礼させていただきます。

          合掌

1318役行者:2012/03/01(木) 08:22:41 ID:L4NTmRgM

 訂正です。

 × おめでしとうございます

 ○ おめでとおございます。

 大切なところなのでσ(^_^;

1319ももんが:2012/03/01(木) 09:24:20 ID:XXCuaQns
皆様、お早うございます。それと、本日は、“立教記念”おめでとうございます。昨晩、今朝と、関東地域は地震が、有りましたが、素晴らしい、御天気になりました。さあ、本日も元気に、明るく、楽しく、神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。


〜明るい心、暗い心〜

この世では誰でも『幸福になりたい』と思っている。では幸福になると、どんな心持ちだろうか。『まだなかったことがないから、分からない』というかも知れないが、その点をごく簡単に整理して、『明るい心』か『暗い心』かどちらかと聞かれると、『明るい心』に○をつけるだろう。
それならば、先ず『明るい心』になるとよい。するとその心によって、次第に幸福になって行く。一ぺんにならなくても、だんだん、『幸福』になる。
何故かというと、この現実世界は、心によって作られるからだ。心が全ての現実を作って行く。部屋でも、暗くしようと思えば、カーテンでも暗幕でも引いて暗くできるし、明るくしよう思えば、電灯をつけるか、窓をあけるか、天井をブチ抜くかすると、明るくなるだろう。
ところが『明るい心』になるには、そんな天井をブチ抜くほどのことをしなくてもよい。世の中の美しいところや、人に深切なところ、自分や周囲の人々の『美点』を見るようにすればよい。それん見る“練習”をし、鏡の前で笑ったりしていると、だんだん『明るい心』になって行くのだ。その反対に、人の欠点や、いやな所や、きたない所を見て、フクレ面する練習をすると、かならず『暗い心』になって、『不幸な人』になるのである。
ウソと思う人は、この二つの方法のどちらかお好きな方を、せめて一週間ぐらい続けてやると、きっと、『ハハー、なりそうだ』と予感がして来て、さらにもう一週間続けようということになるかま知れない。

〜谷口清超先生著『ありがとう』はすばらし より〜

私は、今朝、掲示板を見て、大変、神様に、感謝申し上げました。それは、何時もの事なのですが、

志恩様は『暗い心・言葉』を私投げ掛けくださり、また、勉強させてもらってます。志恩様、ありがとうございます!と合掌、感謝しました。また、
ハマナス様は、いつも、明るい心・言葉』を読んだり、また、掛けてくださったり、勉強させて頂き、大変感謝してます!ありがとうございます。
御二人は、私の観音様ですね。志恩様も、心を明るいされて、和解されてくれると信じてますよ。ありがとうございます。合掌、感謝
それでは、皆様、本日も、清超先生の『お言葉』の様に、明るい心で、神の子として、楽しい日にしてください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1320神の子さん:2012/03/01(木) 10:41:23 ID:Dd/UbOck
生長の家の立教記念日、おめでとうございます。

役行者様のお言葉ですが
>つまり、結論をいいましよう!
 >いまの段階では、生命の実相という聖典がなくてもいいとは一言も云っておられないのです!

「いまの段階では」「いまの段階では」、生命の実相という聖典がなくてもいいとは言っておられないのですが、
副総裁のブログでは、大切にしていこうという想いは感じられませんでした。

今後「最高裁で敗訴が決定した段階では」どう言われるのつもりなのでしょうか?

トキ様、みなさま、寒い日が続きますので体調に気をつけて、足元に気をつけて元気にお過ごしくださいませ。

1321a hope:2012/03/01(木) 12:27:38 ID:kcv2QXTk

みなさま こんにちは。

今朝は、雪遊びのしすぎか、笑いすぎか、子どもが一人発熱したため、病院へ行ってきました。
ただの風邪のようですが、高熱なので看病してあげたいです。
この板、ちょっと拝見しましたら、活発な討論がされていますね。、
あとで、他の板や、他の掲示板とともにゆっくり拝見させていただきます。

今日は、人生読本の筆写、お休みさせていただきます。
みなさまも、風邪やをひかれないように、じゅうぶん注意してくださいね!

1322役行者:2012/03/01(木) 19:01:28 ID:HQxhbCpI

 元職員さま

  >特に今回驚いたことは、純粋な信仰者であられる役行者さんのようなお方が・・・
とうとう『生命の實相』を含めた聖典をあたかも不完全なものとする論調に乗って
しまったことです。<

 
 まずは、ももんが様とコミュニケーションでの、ももんが様の私への返答を引用させていただきます。

 
  >“公案”事態や、各“聖典”事態のコトバには、差別が、ある訳で無く、
『聖典・生命の実相』もそうである様に、皆、“真言”としてのコトバが書かれて至り、
載っているので、各個人の魂の差は有っても、何らしかの、“悟り”を得ているとは思われます。
それを、得と読んだり、御利益と呼んだりするんだと、思います。
 けして、御利益信仰も悪いわけでは無いと言えますね。そうした、意味では、
『聖典・生命の実相』に出会った縁や、読む事は、大変素晴らしいことだといえると思います。
 先日読んだん、『聖典・生命の実相』第2巻32㌻にこうありました。

〜『本当のことを申しますと、この本が病気を治すのではありません。神の子たる人間
に病気は本来無いのであるから、治すも治さぬもない。本来治っているのであります』〜<

 

 ももんが様の返答ですが、このコトバに尽きると思います。
 本が病気を治すのではありません。本に書かれている、生命の実相が内なる生命の実相に
 感応して、メタフィジカルフィーリングがはたらくのでしょう。
 
 そこで、まず、申し上げておかなければならないことは、決して聖典『生命の実相』を軽んじていないと
云うことです。そこは、真理の言葉で満ち溢れているからです。

  しかし、現総裁のお考えは誰も知る由はありません。
 推測でしか語れません。
 私の推測では、決して聖典 生命の実相を軽んじてないということです。

 >雅宣氏は、なにやら言い訳がましいことをあたかも真理の如く語っていますが、
かつて彼が「真理の中心部分と周辺部分」と語っていたことを思い出せば、
今回の聖典(つまり『生命の實相』)
は、はたして周辺部分なのでしょうか。答えはとおりです。とりわけ「聖経」は、
真理の核心部分であり、これを不完全なコトバと考えるのならば、ただちに「生長の家」
のみ教えは成り立たなくなります。<


 聖典『生命の実相』も『聖経』も周辺部分のはずはなく、真理の中心部分に決まっている、とそのように思います。断じて・・・ただ、総裁先生が仰りたいことを自分なりに解釈すると、現象世界に表現されたものはどんなに真理に満ち溢れていても不完全であるということでしょう。
 ではなぜ、そのようなことを総裁は仰るのか、それはたぶん・・・下記の理由によるのでしょう。


 これから書く内容は、以前私が投稿した内容です。

 >たとえば、中世キリスト教の魔女狩りをはじめキ リストの名を借りての数々の残虐性は、聖書を絶対 化して神聖化したことによる時の権力者が為してき たことで、大罪に値します。<


 聖典の名を借りての犯罪を過去、宗教はえげつなく繰り返してきているのです。
 聖典を現象的な視点から捉え、解釈し、絶対化、神聖化することによる悲劇です。
 聖典の現象的な解釈は不完全です。そのことを仰りたいのだと思います。
 そのような悲劇を繰り返したくないための防衛からの言葉と存じます。
 つまり、聖典 生命の実相を切る!ための防衛からではないと信じております。
 それを信じれなければ、組織のなかにおられません!

         続きます

1323役行者:2012/03/01(木) 19:08:10 ID:HQxhbCpI

 上記文章につづく!

>よく、考えてください。世の中のカルト宗教は、キリスト教系のカルト(統一やエホバ)は、
聖書は不完全だと言って勝手な解釈をしてきましたし、仏教系ではオウムやバカボンが、]
自分なりに釈迦の教えを利用して
人を迷わしています。生長の家を信仰するのならば、まっすぐに聖典に書かれてある
真理に従うことが大切なのです。当り前のことです。はやく気がついてください。
知らないうちにカルトになっていたらシャレになりません。<


 もちろん、聖書、仏典、素晴らしい文章です。聖典 生命の実相も至上の真理が語られているでしょう。
 その聖典を不完全といい都合のいいように勝手な解釈を加えるのは確かにカルトの常套手段でしょう。
 
カルトは思考を停止させるのです。
 上のいうことを絶対化させてしまう。
 考える能力を停止させてしまうのです。それが危険なのです。
 そして、その教祖でなければ、その宗教でなければ救われない!
 と断言して、縛り付けるのです。そしてその後、目的遂行のための危険な手段が待っているのです。

 手段が大切だと仰っておられた清超先生、そしてその法燈を継承された雅宣先生において、間違ってもカルトになるとは思えないのです。
 それどころか、聖典の現象的解釈により起こる悲劇を防ぎ、

〜『本当のことを申しますと、この本が病気を治すのではありません。神の子たる人間
に病気は本来無いのであるから、治すも治さぬもない。本来治っているのであります』〜

 このような視点から聖典を捉えてくださり、真に聖典を守っていただけると信じているのですが、元職員さま、また、本流掲示板で、私の文章を取り上げてくださっている、「靖国見真会」参加者さま、私の考えは甘いのでしょうか?

 きっと、真剣に話し合えば双方ともに理解しあえると信じております。
           合 掌

1324ハマナス:2012/03/01(木) 23:12:45 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま、こんばんは。

昨日とは変わって、今日は立教記念日にふさわしい晴々とした良いお天気でした。
話しに寄りますと、本部会館は大勢の人でいっぱいだったそうです。
心からお祝い申し上げます。
     
三 月  万物めぐむ (『光明道中記』より)

      美 的 価 値 と 行
 
人間は宇宙の生命が咲き出でた美花である。それに気着かぬに人が多いのは
悲しむべきことである。人間自身が花であると云うことに気が着いたならば、
人間はただ美しく生きることに懸命になれるに相違いないのである。
人間の価値には、美的価値と、道徳的価値と、経済的価値とがある。経済的価値とは
物の生産と消費との関係に於ける価値である。経済的価値を生産のみにあると思う
のは間違である。生産と消費との調和に価値が生まれるのである。道徳的価値とは
人間の心に生じたるものを行為に表すところの価値である。経済的価値も、道徳的
価値も、行(ぎょう)を通してのみ、その価値を成就する。美的価値は離れて観る価値
であるから、行と最も縁深いところの価値であるが如く思われる。 併(しか)し、
「美」もまた行(ぎょう)を離れて存在し得ない。「美」は紋理であり、相(すがた)で
あるが、相もコトバの振動によって展開するから、行(ぎょう)なくんば美もまたないのである。

     三月一日   栄光を見る日

 われわれを神が造った。 神と呼ぶのが嫌やな者は生命と言っても好い
                      (『生命の實相』第七巻)

人間の受胎はすべて神性受胎であると云うことである。「斯かる人は血脈(ちすじ)
によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲によらず、ただ神により生まれしなり。
言(ことば)は肉体となりて、我らの中に宿り給えり我らその栄光を見たり」
(『ヨハネ伝』第一章)その栄光を見ることが悟りである。われを肉欲によりて
生れたる者と観ず、われをただ神によりて生れたと観るのである。彼を、汝を、我が
親を、子を、良人を、妻を、すべての人々を神によりて生れしものなりとして観るの
である。そこに人生ならぬ「神性」が始まり、肉生(にくしょう)ならぬ霊性
(れいしょう)は始まり、自分の周囲に住む人々は悉く「神より生れし人々」となる。
かくて自分の周囲は神の国となり、天国となり浄土となる。

 観の転回である。「観ること」が転回して見られる世界と、観られる人間との貌
(すがた)が変る。「菩薩心浄ければ浄土浄し」暗黒を見る心が一転して栄光を見る
心になるのが悔(くい)改めである。
 
「光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」(『ヨハネ伝』第一章)
栄光は照り輝いているのである。栄光のほかに何もののない。されど暗黒は之を悟ら
ないのである。人はすべて神の子である。神性受胎である。吾れ今呱々(ここ)の
声をあげてその栄光を見る。

合掌

1325ももんが:2012/03/01(木) 23:14:38 ID:XXCuaQns
役行者様


役行者様、先日、先々日と、ありがたい、御言葉賜り、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

<< ももんが様

 >“人は自我を捨てる境地”“神に全択する境地”に中々 立てないと言うことです 。
 復興G様ばかりでは、ありません、私も、何度、南 泉老師に斬られてると思います 。
 過ちは、皆犯すものです。その過ちを、許す心、即 ち、”自我を捨てる心“を養うことが、慈悲の心に 繋がり、神の心、本来罪なし、の、生長の家の教え に近づくように<

 完全同意します。
 わたしも、四無量心を観ずる祈りを、明日より実践してまいります。

          感 謝>>


役行者様の、心遣いにの素晴らしさには、頭が下がる思いです。

特に、本日、志恩様の投稿文の中のこの一句一節に、私は、身震いしてしまいました!

>>>書物がなくたって、真理は宇宙に満ちているじゃな いですか、というのは そういう意味ですよね 。<


 これは宇宙の真理です!!!
<<


真に、これは、凄い一句です!

宗教を実践するとは、何者なのか?

それは、自分自身ですね。
その自覚が、役行者様にある証明ですね。真に、心から合掌させて貰います。

私が、谷口雅春先生の修行者として、“心”を見た、一句一節が、『生命の実相・第1巻14㌻』に、あります。

〜わたしは『生長の家』の教祖ではない。わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生きて行こうと努力する一人の求道者にすぎない。わたしがまだこの世的な悩みをいく分でも持っているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生活になり切ってないからである。〜

とこうあります。この続きもありますが、私は、この部分こそ、雅春先生の真の姿、修行者の顔を、少しだけ、我々が、知れる部分と感じました。

役行者様の言われてる事と、雅春先生の言われてる事は、気持ちの上で一致してると、私は思います。


役行者様、いつもながらの、御言葉や心遣いは、感謝感謝です。では、まだ、寒いですから、御体、気おつけて、おやすみなさい。合掌、拝。

1326ももんが:2012/03/01(木) 23:17:55 ID:XXCuaQns
復興G様

復興G様、先日、先々日はお返事ありがとうございます。遅ればせながら、お返事します。感謝敬白、合掌、拝。

昨日は、雪、地震と、復興G様は、大丈夫でございましたか。本日は、現代でなければ、目撃できない様な光景に出くわしました。本日、帰りの路線バスに、何時もの様に、乗っておりました。すると、降り口の前に、太った若い男性【自閉症】の方が、立っていました。二人の老夫婦のお爺ちゃんが、『降りるから、退いてくれ』と、少し強めに言うと、太った若い男性【自閉症】は、『そんなの、勝手に降りればいいじゃん』と退きません。太った若い男性【自閉症】には介添人の男性がいますが、たぶん、何か言うと、その太った若い男性【自閉症】が暴れるかも知れないのでジェスチャーで退くよう袖口を引くだけでした。老夫婦は、怒りながら、むりくり、バスをおりました。
それは、ほんの一瞬の出来事です。太った若い男性【自閉症】は心の病です。それを知らない、老夫婦、常識など通用しない現実は、たくさんあります。両者は、互いに、怒っていたんですね。
すいません、余計なお話しまして。


<< ところで、

<残念ながら、谷口雅宣総裁のご文章を読んでも、「内なる実相の魂がそれに共鳴し、歓喜する」ということがない。>

と前に書きましたが、それは、なぜなのかと考えてみました。

谷口雅春先生は、唯一絶対の神の側、「不二の真理の山頂」に立って、現象界、登山道を俯瞰していらっしゃる。そこから現象すなわち相対の、相対立している世界は本来無いのだ! と喝破されている。だから、現象に表現された言葉には矛盾があるように見えても、実相から見たら矛盾はないのである。その真理が、魂に響くのである。
一方、谷口雅宣総裁は、下界の登山道から頂上を見上げながら、すなわち相対の、相対立している世界から、絶対界を想望しながら、「生長の家は唯一絶対の神を信ずる」とおっしゃっているのである。谷口雅春先生は、「人間は神の子であります」と、権威をもっておっしゃる。谷口雅宣総裁は、「生長の家は、人間は神の子であると説くのであります」と、他人事のようにおっしゃるので、魂に響かないのである。
やはり、『生命の實相』がなくなったら、生長の家から神さまが消えてしまう──そのように思われるのであります。>>



そうですか、復興G様が、感じたことは、御理解できます。
私も、雅春先生のテープ毎日近く聞いてますし、御文章も読んでますから、雅春先生と雅宣先生の比較は、ある意味、共感できる部分はあります。

、復興G様は、清超先生は、どう思いますか?

復興G様の御心配は、『生命の実相』が、教団から、消えてしまうのでは?と、言う事ですよね。

総裁のブログなども、全く、読んでないので、わかりまんが、『生命の実相』が無くなったりする様な感じんは、感じません。

しかし、今後、どうなるかは、わかりませんが、争いは、止めて、和解するように、復興G様が、おしゃるように、基本的神想観しながら、祈念していたいです。
すいません、若輩者が、生意気な御言葉に成っているよなら、反省して、良い言葉で表現できるよう、がんばりますから、また、色々、教え下さい。寒いですから、無理せず、お過ごし下さい。感謝敬白、合掌、拝。

1327ももんが:2012/03/01(木) 23:22:40 ID:XXCuaQns
あさひ様

あさひ様、先日は、お返事ありがとうございます。大変、嬉しい限りです。感謝敬白、合掌、拝。


>>ももんが様

>神様が雅春先生に、”聖典生命の実相“を書き現させたのは、少しでも、この“弱肉強食”の“争い”を無くす為だったと、私は、本日『聖典・生命の実相』を拝読しながら、更に強く感じたしたいです。


ということは、”聖典生命の実相“こそは人類の聖典ということですか? 複眼的思考、多面的洞察、宗教的、心理学的教養広いももんが様ですから、お尋ねいたしたく思います。合掌<<

未熟者な、私に、勿体、御言葉を賜り、恐縮しております。

私は『聖典・生命の実相』の言葉に、神様を見つけました。断っておきますが、私の感じ方です。他の方と違う事はお許しください。

①、『生命の実相第2巻32㌻』”本当のことを申しますと、この本が病気を治すのではありません。神の子たる人間に病気は本来無いのであるから、治すも治さぬもない、本来治っているであります。〜

※、 “病気”の所を“罪”としてら、“人間は本来罪無し”となりますね。人間の“清浄な心”は、汚れを知らない、満月、神の子、神の写し鏡の様ですよと、言われる箇所と私は、思いました。〈神様を現した箇所と言えると思います〉

②、次に、『旧約聖書・出エジプト記』3・モーゼの召命・14より。
“神はモーゼに『わたしは“ある”。わたしは“ある”という者だ』と言われた。また、『イスラエルの人々にこう言うがよい“わたしはある”と言う方がわたしをあなたたちに遣わされたのだ。』


※、神様は『ある』と言う名前で、ある事に、注目のして下さい。これは、わたしの解釈ですから、宛に成らないかもしれませんが、『ある』=『創造』・『生みだす』生長の家で言う所の、創造の神ですね。


③、禅で、やる”無字の公案“も、見性の瞬間や、大悟の瞬間を、例えて、『大死一番絶後に蘇る』とか『無一物こそ無尽蔵』とかいいます。密教でも、胎蔵界曼荼羅も、詳しくわしりませんが、母親の胎内で子供を慈しみ育てるようにとの意味で、これも、”生まれる“を含んでるようですね。

これは、私が、『生命の実相』を読んでいて、自分の体験と今まで学んだ事と、一致〈心が重なる部分〉、心で読み取れる、感じとれる部分が、あったからです。〈昔から知っていたように〉


上記は、私の感じですから、決して、皆様や、あさひ様と一致するとは、思っては、おりません。
だだ、あさひ様が、おしゃる様に、”聖書“や”コーラン”や、“たくさんの仏教聖典”や、他の素晴らしい聖典類と等しく、『生命の実相』も、地球の人類に大切な聖典と言えるでしょ。

あさひ様、私は、表現が
下手ですから、あさひ様と見解が違うようでも、個性の違いとして、お許しくださいませ。真、あさひ様、お答えさせて、頂き、ありがとうございました。あさひ様の、見解を教えて下さると、私も、勉強になりますから、時間ありましたら、お聞かせ下さい。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1328ももんが:2012/03/01(木) 23:25:58 ID:XXCuaQns
a hope様


a hope様、何時も『人生読本』の素晴らしい投稿、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

今日は、お子様が、お風邪ですか?インフルエンザ流行ってますから、病無しとは云え、気おつけてください。御快癒されますよう、御祈りしてます。

何時も、ありがとうございます。ゆっくり、おやすみください。感謝敬白、合掌、拝。

1329ももんが:2012/03/01(木) 23:28:11 ID:XXCuaQns
トキ様

トキ様、こんばんわ。御体の具合どうですか。無理せず、養生してください。感謝敬白、合掌、拝。

先日は、体調悪いのに、ご返答いただき、真にありがとうございます。感謝、拝。
<<ももんが様

 激励ありがとうございます。幸い、朝起きての神想観と聖経読誦は熱があっても続けております。
いろいろと心配をかけて、申し訳ありません。

 ご説の通り、他人の事はなかなか気がつきますが、自分の事は気がつかないものです。
昔、ソルジェニーツィンの収容所群島という本を読んだ時に、それを感じた事があり
ましたが、熱が下がったら、書きたいです。

 では、おやすみなさい。ありがとうございました。>>


『生命の実相第2巻』に、“風邪を引かない方法”が出てました。
しかし、風邪を引く時は、結局引くわけですよね。
風邪を引かないポイトは『くしゃみ』や『咳』が、出そうに成った時、『自分の心』に『風邪』を認めない事だそうです。
これが、中々難しいですよ。『くしゃみ』の時、神経が『くしゃみ』に『心』が集中しやすいから、『風邪引いた』と『心』に認めてしまいうからだそうです。余談ですが、私は、この方法は成功してます。失敗もあります。ただ、その時の状況により違いますね。やはり、仕事が、忙しい時は、心も疲れてますから、うまく行きませんね。『風邪』一つでも、『心』の勉強になるし、『生命の実相』の正しさの証明と、失敗した時は、どうしてかも、分析すれば、『生命の実相』をただ読むだけでなく、より、深く、知る事ができましすね。

復興G様、役行者様、おしゃる様に、『生命の実相』は素晴らしいですね。

トキ様、無理せずに、養生してください。いつも、心使いありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1330ももんが:2012/03/01(木) 23:44:35 ID:XXCuaQns
>>1324

ハマナス様


ハマナス様、いつも、素晴らしい投稿文拝読するたびに、心、洗われる思いです。感謝敬白、合掌、拝。


<<1324:ハマナス
12/03/01(木) 23:12:45 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま、こんばんは。

昨日とは変わって、今日は立教記念日にふさわしい晴々とした良いお天気でした。
話しに寄りますと、本部会館は大勢の人でいっぱいだったそうです。
心からお祝い申し上げます。
     
三 月  万物めぐむ (『光明道中記』より)

      美 的 価 値 と 行
 
人間は宇宙の生命が咲き出でた美花である。それに気着かぬに人が多いのは
悲しむべきことである。人間自身が花であると云うことに気が着いたならば、
人間はただ美しく生きることに懸命になれるに相違いないのである。
人間の価値には、美的価値と、道徳的価値と、経済的価値とがある。経済的価値とは
物の生産と消費との関係に於ける価値である。経済的価値を生産のみにあると思う
のは間違である。生産と消費との調和に価値が生まれるのである。道徳的価値とは
人間の心に生じたるものを行為に表すところの価値である。経済的価値も、道徳的
価値も、行(ぎょう)を通してのみ、その価値を成就する。美的価値は離れて観る価値
であるから、行と最も縁深いところの価値であるが如く思われる。 併(しか)し、
「美」もまた行(ぎょう)を離れて存在し得ない。「美」は紋理であり、相(すがた)で
あるが、相もコトバの振動によって展開するから、行(ぎょう)なくんば美もまたないのである。

     三月一日   栄光を見る日

 われわれを神が造った。 神と呼ぶのが嫌やな者は生命と言っても好い
                      (『生命の實相』第七巻)

人間の受胎はすべて神性受胎であると云うことである。「斯かる人は血脈(ちすじ)
によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲によらず、ただ神により生まれしなり。
言(ことば)は肉体となりて、我らの中に宿り給えり我らその栄光を見たり」
(『ヨハネ伝』第一章)その栄光を見ることが悟りである。われを肉欲によりて
生れたる者と観ず、われをただ神によりて生れたと観るのである。彼を、汝を、我が
親を、子を、良人を、妻を、すべての人々を神によりて生れしものなりとして観るの
である。そこに人生ならぬ「神性」が始まり、肉生(にくしょう)ならぬ霊性
(れいしょう)は始まり、自分の周囲に住む人々は悉く「神より生れし人々」となる。
かくて自分の周囲は神の国となり、天国となり浄土となる。

 観の転回である。「観ること」が転回して見られる世界と、観られる人間との貌
(すがた)が変る。「菩薩心浄ければ浄土浄し」暗黒を見る心が一転して栄光を見る
心になるのが悔(くい)改めである。
 
「光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」(『ヨハネ伝』第一章)
栄光は照り輝いているのである。栄光のほかに何もののない。されど暗黒は之を悟ら
ないのである。人はすべて神の子である。神性受胎である。吾れ今呱々(ここ)の
声をあげてその栄光を見る。>>



二元化した世界を脱却するには、

“神に全択する”しかないですよね。


いつも、素晴らしい教えをありがとうございます。
ハマナス様には、真に、教えられます。

ゆっくり、おやすみください、いつも、心尽くしの言葉、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1331ももんが:2012/03/01(木) 23:57:57 ID:XXCuaQns
>>1322
役行者様

合掌
追伸・役行者の、元職員様の、御返答文章、大変素晴らしいです。感動しました。感激です。私には、こんな、頭の中では、出来ていますが、この表現は難しいです。流石です。役行者様。勉強になりました。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1332元職員:2012/03/02(金) 02:02:42 ID:???
役行者さん、ももんがさんに褒められて良かったですネ

本部内の法則?wのようなものがあります。

>>近くにいて知ったものから去っていく<<

近くにいてその人の言動を知って、自分の想像していたモノとのギャップに愕然として
去って行くんですね。本部からたくさんの幹部が去っていきました。
こんなことは教団の歴史上、今まで無かったことといえると思います。残念ですが現象世界ではこれが現在の本部の
実態です。私も靖国見真会さんも同じです。

 細かいことや誰がこんな時にこういわれた・・・などと書き始めると一冊の本になりそうなのでやめますが・・
『生命の實相』についてだけ特化してお話すれば、こんな事実を上司から聞いて驚いたことがあります。

谷口雅宣氏が副総裁になってまもなく、その年の運動方針の検討が本部内でありました。
その年よりも以前の運動方針の四番目の柱、「世界に伸びる運動計画」の中にあった
*聖典の翻訳活動をさらに進め『生命の實相』を六ヶ国語に○○巻の完成を目指す(要旨)という方針を続けていましたが
その上司が理事会審議の事前に、副総裁に継続を報告したところ・・・

「それは必要ない」と副総裁から言われ、さらに・・・
「海外については僕がそれを(生命の實相にあたるものと思われる)書くから・・・」と指示を受けて次の運動方針から削除されたという
事実がありました。実際に『生命の實相』の英語翻訳は40巻すでに原稿として完成していましたが、その時より出版は停止になってしまいました。
この事実は、関係者だけが知っていたことですが、外部からは知りえない現在の状況を正しく知るためにはとても参考になる事として明らかにしておきたいと思います。

 この事をふまえれば、「今の教え」「現代の世相にあわせた教え」という主張通り、今は総裁となった雅宣氏は『生命の實相』を新たに自分の言葉で書き換えて発表することは
充分に想定内で、とりわけ神想観のニューバージョンとか、真理の吟唱をまねたコトバを発表した゛前歴゛を考慮すれば『生命の實相』を自分で書き換えて『新・生命の實相』を自分の名前で
発表することは当然の事として考えられるわけです。

特に役行者さんに思い返し読み返していただきたいのは、「神示」において本としての『生命の實相』が、「神殿である」と明確に書かれてある部分についてです。
今一度「神示集」や新編「聖光録」を読み返していただければ幸いです。さすがに、「神示」を書き換えることは誰にも出来ないからこれこそを根拠にして考えなければなりませぬ。

1333志恩:2012/03/02(金) 06:39:01 ID:.QY5jUA6
元職員さま

過去に、>「生命の實相」英語翻訳40巻が、すでに原稿として完成していたにもかかわらず、
副総裁時代の雅宣氏に「それは必要ない」「海外については僕がそれを(生命の實相にあたるものと
思われる)書くから‥」と指示を受けて次の運動方針から削除されたという。>

この判断ミスには、驚愕しました。
歌舞伎は古い。古典伝統芸能も古い。全部廃止せよ。というのと一緒です。

うちの子供たちも,全員,「生命の實相」を、拝読しております。実家の弟には、3人の男の子の子供がいて、
3人揃って、慶応大ですが、入学まえに3人とも「生命の實相」を、全巻読んだのだと弟が話していました。

このように現在の大学生年代の子達にでも、「生命の實相」は、充分に通用し、人生観を変えて頂いている聖典なのです。
昔の時代に書かれたんですから、例え話は、古いに決まっています。読む時は、みなさん、それらは差し引いて、
真理のエッセンスのみを、飲み干しているのです。

雅宣氏の、このような判断ミスは、次々と、どこから湧いてくるのかわかりませんが、「生命の實相」を絶つ、ということは
古事記には、樹に学べということが書かれていますが、樹の根っこを全部切り捨てるのと,同じ行為です。

「小閑雑感」を読んで、人生が前向きに生きられるようになりますか?

「日々の祈り」には「甘露の法雨」のような数々の奇跡や功徳は、ありましたか?

この分ですと、雅宣氏著・「新 生命の實相」が、出版されるのは、想定内のことのようですね。

雅宣総裁の,判断が正しかったのなら、なぜ、信徒は激減につぐ激減になっているか、お考えになったことってないのか、
不思議でなりません。

1334ももんが:2012/03/02(金) 07:18:18 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今朝は、曇り空で、少し、肌寒いですね。本日も、元気に、明るく、楽しく、神の子の生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。


〜ある、都会の生き物戦い〜

去年の7月頃でしたか、雨の日でしたが、私は、ある庭の綺麗な喫茶室で、お茶を飲んでおりました。
外をボンヤリ眺めていると、三羽のカラスが、ハトを啄んでいました。そこに、野良猫二匹が、遠くから、獲物を、横取り、しようと、狙いを定めていました。両者、獲物を間に置いて、威嚇しあったり、獲物を引っ張り有ったりしていました。
そのうち、猫が、獲物加えて、遠くへ駆け出すと、空中から、カラスが、戦闘機の様に攻撃してきます。しかし、結局、茂みに隠れた、猫の勝利に終わりました。

〜お話終わり。

先日、お話した、『南泉斬猫』と言うより、『生命の実相』に出て来た、“カエルがヘビに飲まれる”お話に近くお話に見えてしまうでしょか。“自然界のこの姿”悲しい出来事なのに、変える事がで無い。すいません、朝から、少し、暗いお話に成りまして、こんな、お話をしないようにないといけないのに、反省です。
では、皆様、明るい心で、本日も、素晴らしい、神の子として、元気にご活躍下さい。いつも、御拝読、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1335志恩:2012/03/02(金) 08:27:10 ID:.QY5jUA6
夜の月もあり、昼の太陽もあり、
夜も語るも昼を語るも、憎くて言っているのでは、ありませんから、
どちらも、ある意味、光明思想だと思っております。

1336役行者:2012/03/02(金) 08:30:38 ID:9hAzTsMA

>元職員さま

 再度のお声掛け、ありがとうございます。

 >役行者さん、ももんがさんに褒められて良かったで すネ <


 良かったです。このように励まして下さる元職員さま、なぜでしょう、目頭が熱くなってきます・・・


 私は詳しいことを知らないので何とも云えませんが、本部内ではいろいろなことがあったのですね。
 ご心中、お察し申し上げます。

 たぶん、聖典 生命の実相の英語版に関して、そのようなことがあっただろうとは察しがつきます。

 だからこそ、今一度、その当時の関係者を含め、同じテーブル上で話し合うことが大切だと思うのです。

 今回、崖っぷちから投稿することにより、より見えてきました。
 雅宣先生は、根本に人類救済、次世代に明るい未来を!をかかげ、真剣勝負だ、ということが・・・

 真剣勝負なもの同士ですから、話し合えば、必ず、誤解が融けることと思います。

 生命の実相を如何に全世界に普及していくか!という根本的な諸課題をもう一度、みなとも集い、話し合うべきと存じてます。
 
 たぶん、察するに、未だ箪笥の奥にしまわれたままの諸課題が山とあります。
 それら一つ一つをみんなで力を合わせて解決していかなければならないと存じてます。

 ほとんどの信徒は和解を望んでおります。分派の方々の中にもたくさんの優秀な人材がおります。
 思想上、かみ合わないところは、三日三晩の徹夜してでも話し合い、ともに協力しあって人類光明化運動に邁進すべきと存じます。


 >特に役行者さんに思い返し読み返していただきたい のは、「神示」において本としての『生命の實相』 が、「神殿である」と明確に書かれてある部分につ いてです。 今一度「神示集」や新編「聖光録」を読み返してい ただければ幸いです。さすがに、「神示」を書き換 えることは誰にも出来ないからこれこそを根拠にし て考えなければなりませぬ <

 
 いつも、ご指南、ありがとうございます。
 了解いたしました。


      感謝 合掌 再拝

1337ハマナス:2012/03/02(金) 09:11:01 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
おはようございます。

 「今」 新 生 す る (『新版 生活の智慧365章』P.81)

神は常に吾らに新しき日を与え給うているのである。朝々が常にその人にとって
「新生」なのである。神は、「今」新生するとき、過去をもって責め給うことは
ないのである。神が「今」を吾々に与え給うことを、神に対して感謝しようでは
ありませんか? 過去の何があったであろうとも、それは既に過ぎ去ったのである。
「今」は一切の過去を変貌される力をもっているのである。「今」ここに自分の
生命(いのち)に神が在(まし)ますことを自覚したとき、それは自己の魂に
燈をともされたのと同じことなのである。

 過去の一切の悪も業も罪も、闇と同じような仮存在に過ぎないのである。
闇は実在するかのように見えるけれども、それは「光りの非存在」の仮の相(すがた)
であって、光さえ射し込ませれば消えるのである。それと同じく、「今」自己の内
に神が存在し給うことを本当に自覚するとき、過去に如何なる罪や因縁や業が
あるかの如く見えていても、それは消えてしまうのである。


感謝合掌

1338元職員:2012/03/02(金) 12:48:46 ID:???
志恩様ありがとうございます。

 話の流れの中で、思い出したことを書き留めておきたいと思います。
慶応大学の名前が出ましたので・・・国内の幹部の方はあまりご存知ないかもしれませんが
宮澤潔先生は慶応大学卒業の方です。

 先ほど書きました事実のころに副総裁はアメリカに講演旅行に行きましたが、そのことがきっかけになり、大きな問題がおこりました。
宮澤潔先生は当時北米出版局長をされて、すでに10年以上活躍されていまして英語版「生長の家」誌の編集責任者となっておられました。
 雅宣氏の講演はね英語の原稿を読み上げる形の講演であったそうですが、それを英語版「生長の家」誌に載せるように雅宣氏は一方的に
指示した事に対して、雅春先生のご文章を第一に編集に当たってきた責任者としてただちにそれを受け入れませんでした。理由は次の通りでした。
①雅宣副総裁の講演原稿は1つの論文であって、雑誌に連載して載せるには不適当であること。
②むしろ、講演原稿は一冊にまとめて出版することが適当であり、そのほうが読者に説得力があること。
という事であったようです。(しかし実際にその英語は不備な点が多く雑誌のクオリティも落ちる可能性もあったと聞きました)
これを聞いた雅宣副総裁は激怒。国際部長に「あの宮澤を排除しろ」と指示。国際部長はこれを何とか良き方向にも穏便に収めるために宮澤氏と相談の上
宮澤潔はオーストラリアの新天地で代表者として赴任する事に決定。総裁であられた清超先生は特別に<宮澤氏に特命本部講師の称号を与えられました。
 それからというもの、宮澤潔先生はご家族で一から道場建設に取り組まれ、牧場の管理小屋を基点にしながら自給自足の体制作りと自然の中での練成を目指して
木を植え、池を堀り、何も無かった牧場を小鳥達の集まる森へと変えていかれたのです。それを現地の人達は大いに感激して協力者が次々に集まり、道場として練成会
を開催するまでになりました。しかも宮澤氏は足りない土地をご自分の私財を使って購入され、道場はいよいよ理想郷へと姿を変えていきました。

しかし・・・ある日、雅宣氏から突然、福岡ゆには道場の所属講師として(役職なし)帰国を命じられるという事になりました。すると現地オーストラリアの幹部達は
本部の命令のあまりにも一方的な事に激怒。幹事会を開き、本部と包括関係を切ることを全員一致で決議。オーストラリア生長の家はこのようにして独立宣言を現地法律に基づいて
行ったのです。ここから日本本部とオーストラリア生長の家の裁判が延々と続き、5億以上の浄財が日本本部によって弁護士関連費用として使われたのでした。
 この裁判のあり様を心配し和解を主張したのが谷口貴康氏でしたが、その和解を主張したことにより雅宣氏より宮澤氏を弁護しているとみなされて、責任役員を降ろされたのです。
これが、一般信徒のしらない知らされていない本部職員にも知らされなかった事実です。

1340志恩:2012/03/02(金) 16:04:01 ID:.QY5jUA6
元職員様

1338:宮澤潔先生(慶応大学卒)の、生長の家の於ける詳細な情報を感謝します。

このような正確な事実は、われわれ末端信徒の耳にも、生長の家の組織の皆様の耳にも、隠蔽されていることですから、
公開されないまま今日まで至っております。

宮澤潔先生が、かって北米出版局長をされて、すでに10年以上も、生長の家にご尽力されておられ、英語版「生長の家」誌の
編集責任者までなさってましたのに、
雅宣氏が、北米に講演にいらした際、総裁の理不尽な要求を、総裁のためを思い、雑誌への連載を思い留まるよう、説得されたら、
雅宣総裁は、言う事を聞かなかった事を激怒して、
やるわ、やるわ、あくどい事を。宮澤先生に対して。

その後、宮澤潔先生が、オーストラリアに生長の家を開かれた後も、次々、雅宣総裁は、信徒の浄財(確か5億円)をつぎ込んで、
すごいですね、宮澤先生を追いつめる、その執念が。

この裁判のありさまを心配し、和解を主張された貴康先生は、宮澤先生を弁護したとみなされ、そのせいで、雅宣総裁に、責任役員を
降ろされたり。。。

おどろおどろしい事実が、あったのですね。
さすが、マムシ総裁。

こういう事は、やはり、詳しく信徒に公開して頂く事が、必要だと思います。

そうでないと、憶測が憶測を呼びますから、悪かったのは、宮澤先生と貴康先生の方だったのじゃないだろうか。
ふてぶてしく振る舞ってたんじゃないだろうか、という具合に風評は、あちことで飛び交っておりました。

話し合えば、誤解が解ける?この事実も、誤解と思え!っていうことでしょうか。

色々、ありましたが、過去は水に流して下さい.毎日が新生ではないでしょうか、という真理をかざして言われてるお方も
ございますが、総裁は、過去で悪行を終わっておられないのでした。

ing‥今も尚、最高裁へ上告することにより、なにか、隠し玉とネーミングされた怪しげな兵糧攻めの技をご披露中なのですよね。

他のことも、お話頂ければ、ありがたく存じます。

1342うのはな:2012/03/02(金) 16:17:05 ID:El6gIMAw
》私は好きこのんでこんなサイトをつくっているのではありません。
》 みんなの迷惑回避について考えませんか?

 訊け管理人さん、あなたはなぜそんなによくしゃべるんですか。
あなたが、女神の部屋をつくりそこの冒頭で他の方のコメント欄使用は控えてください
一切の反論は受け付けませんといわなければ、わたしも冒頭文を削除してくださいとはいわなかったし、
他の人からあなたは自分は人を批判しても人から批判されるのは嫌なんだと見等ちがいなこともいわれることも
なかったし、コントを楽しみにしていますといわれることもなかったでしょう。
それを最後になってから、わたしは好きでこんなものをつくったわけではありません。

私のところに苦情メールがきています、みたいなこともなかったでしょう。

生長の家の信者じゃない妻子がジャンクフードの店へ出かけている間、他サイトで
ネット布教の話しをしてアク禁になったり、大調和の神示を掲げて大迷惑をかけて
閲覧禁止になったり、ここへはこない、謹慎するといいながら何回も出てきて
女神の部屋に誘導したり、そんな人がトキさんの掲示板のことや誰かの迷惑について
とやかくいえる筋合いだとは思いません。

私への批判でも悪口でもあるなら書いたらいい。
でも、みんなの迷惑にならない方向については、あなたの高尚なブログコメント者たちと
やってください。

1344うのはな:2012/03/02(金) 16:37:51 ID:El6gIMAw

議論妨害になるから私の投稿も削除してもらっていいですが、訊け氏は今は
謹慎中になっていますから、(自主的とはいえ)本当なら、あなたがここで
議論するのは筋違いではないかと思います。

 別に私を悪とみようと、またそれを修行しようと修行しまいとあなたの勝手ですが、
私になにか苦情があるなら、ここの管理者に処置を願ったらどうでしょうか。
あなたが、こっちに誘導してくさいでも、みんなの迷惑でも、大調和の神示でも
説く資格がないといってるんです。

1345うのはな:2012/03/02(金) 16:41:44 ID:El6gIMAw
 以前、削除は自分で申し出ないといけない、わたしがうそをついていると
笑っていましたが、そういう削除するようにうのはなさんに注意してください、でも、
あなたが指示しないで管理者に頼めばいいといってるんです。
トキさんも以前、訊け氏に何かいう時は直接のやりとりはさけて、管理人などを
通したらと提案されていました。

1346トキ:2012/03/02(金) 16:50:55 ID:ew5yuqQg
 まだ、体調が悪くて、朝起きて、その後、ハッサクをせっせと食べているトキです。

 訊け管理人様、謹慎なんて気にしないで、どんどん投稿をして下さいよ。ここは
誰が、何を書こうが、自由な場所です。やはり、訊け様がいないと、寂しいです。

 宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1347志恩:2012/03/02(金) 17:03:14 ID:.QY5jUA6
元職員様

実は、奇遇にも、雅宣総裁の北米の、第1回目の英語講演会に、私の2番目の妹(アメリカ・カリフォルニア在住)が、
聴衆者の一員として、参加しておりました。

そのころは、今のようにメール交換はしてなかったので、妹からの私宛のエアーメールに、英語講演会に参加した時の
感想がシタタメてありました.

ここの掲示板に書いていいかどうか,迷いましたが、手紙に書いてきた妹の率直な感想を書き込む事に致します。

『北米での、第1回目の慣れない英語での講演会のせいか、
壇上に立たれた総裁は、
原稿用紙に書かれた英語のスピーチを、下を向いたまま、ずっと読み上げていた。

アメリカでは、講演する場合は、講演者は、聴衆に顔を向けて話すのだが。

それが、ずっと、原稿を読み上げているため、下を向いたままだった。その上、英語が下手すぎて、
何をしゃべったのか、内容がまったく分からなかった。

その日、私(妹)は、教師をしている義母(夫の母)を、初めて生長の家講演会に,お誘いして二人で参加したのだ。
(日本から雅宣総裁が来られると聞いて)
だけど、ひどすぎて、なんか、恥ずかしくて、あとで、わけのわからない言い訳をしちゃった。』と書いてありました。

そんな、現場で聴いても、何を言いたいのか、わからなかったというような原稿を、アメリカの生長の家の雑誌に連載してくれ!とは、総裁は、
どういう神経の持ち主なんでしょう。

それで、宮澤先生が、総裁を思って、思い留まるように説得したら、激怒して、権力を悪用して、やるわ やるわ。

おそれいりやの鬼子母神とは、こういうことでござんしょうか。

で、おまけですが、第2回目に総裁が,北米へ講演会にいらしたときは、妹は、都合が悪くて行かなかったそうですが、
講演会後に、アメリカの大幹部でいらしたポール菊本先生というお方に、あとで妹が

 「どうでしたか、雅宣先生は。少しは,話がうまく なられてましたか?」と尋ねましたら
 「まあ、まあね」と、ポール菊本先生は,答えられたと、その後の,妹からの手紙に書いてありました。

最近のことは、知りませんが。

1348志恩:2012/03/02(金) 17:32:54 ID:.QY5jUA6
1347;志恩の文には、

私のアメリカにいる妹からきた手紙の内容を書き込みましたが、
事実でありますが、妹に断ってから書いていませんので、本流掲示板への転載は、× にお願いします。

1349志恩:2012/03/02(金) 18:44:37 ID:.QY5jUA6
1347:
※ 以前来た、妹からの手紙には,実際は「雅宣総裁』ではなく、『雅宣さん』と、ありました。
さんづけでは、失礼かと存じまして、総裁という現在の敬称を私が、おつけしました。

1350うのはな:2012/03/02(金) 18:45:00 ID:El6gIMAw

 志恩さんや、トキさんは訊けさんに早く帰って来てと書かれていますが、
こないだでも、訊けさんのは和解の論理がどうだこうだでそんな何回も同じ話しは
疲れるみたいなことをいうと、いいかげん開き直ったらどうですかなんて失礼なことをいわれました。
さあ、はじめましょうでも、なんだかんだといわれて口論みたいなことになったら
あなたがたふたりはなんとかしてくれるんですか・

こっちがふたりとも和解してもらえませんかだとか、漫才は他でやってだとか
いわれるだけじゃないんですか?

1351志恩:2012/03/02(金) 18:56:06 ID:.QY5jUA6
うのはなさん

私は、先日も言いましたが、訊け君と和解してとか、別のところでやってとか、言いませんので
ご安心を。

私は、ふたりの間に 入れないと わかりましたので、ご安心を。

母親だぜ!とも、言いませんので、ご安心を。

だけれど、

訊け君のことは、すきなので、帰って来て欲しいと思っています。

1352生長の家大好き「ぼるぼ」お孫さん教団の苦悶:2012/03/02(金) 19:00:47 ID:iV0JULqA
元職員さんと志恩さんの話に触発されて書きます。

生長の家とは雅春先生の提唱した光明生活法を実践する運動である。雅春先生が帰幽したあと、娘婿の清超氏が教団総裁になって、発音は同じだが、生長の家が清超の家になってしまったと思っていたら、さらにその後発音まで変化し、いまや雅宣の家になっている。

親しみをもって師事していた雅春先生は、大聖師という人間離れした尊称で呼ばれ、清超氏まで同じ尊称で呼ばれている。

清超氏は弟子であり、娘婿ではあって、雅春先生と同格ではありえないし、ましてやその子供に過ぎない雅宣君が同格である訳が無い。

あたかも裸の王様が街頭に出てパレードする、こう言う事態になるのは、組織を白アリの如くに食いつくすヒラメ茶坊主の仕業である。

宮沢氏は縁族だから、優秀であってもお孫さん本流から見て支流である。雅宣がだめなら貴康、というのが時代の要請となるんではなかろうか。

さっき覗いた唐松ブログで、堀とか言う人が脱雅春先生を煽るようなコメントをしていた。こういう媚や煽て記事を真に受けて、裸の王様は、脱原発などを公言するようになるのである。

人類はもはや原始時代には帰れないのだ。前進するしかないのだ。雅春先生が説いたことは、いかなる境遇でも乗り越える知恵と力を神から与えられているということである。

雅春先生の獅子吼は、決して古臭くなってはいない。像法の時代ではあるが、生長の家は、雅春先生の獅子吼は、今もなお日本を世界を救う力があると思うのである。

1353志恩:2012/03/02(金) 19:13:33 ID:.QY5jUA6
ふたりが口論になったら、なんとかしてもらえますか。ということですが、
なんとか、してくれる人、

「どこかにいませんか〜〜〜〜っ」
世界に向かって叫ぶ! トキ掲示板一同

▽ 募集・・腕利きの、二人の仲裁人⏎

 お礼;あなたの好みの花束 1,000本

1354志恩:2012/03/02(金) 20:06:49 ID:.QY5jUA6
生長の家大好き「ぼるぼ」お孫さん教団の苦悩 様

ぼるぼさま、心強いコメント,ものすごくうれしかったです。
そうですよね。

やり直し、見直し、やり直しのお方は,
貴康様でしょうか、援護射撃は、宮澤先生ご夫妻でしょうか。
そちらのほうの詳しい事情は、知らないのですが。。

唐松模様で、堀氏が、脱雅春先生を煽るようなコメントをしていましたか。
脱原発、脱雅春先生、脱生命の實相、脱聖経、、、ほんとの新年度の運動方針。(泣)

生命の實相を,古いとは、現代に通用しないとは。
通用しないのは、雅宣ご夫妻、お二人のおつむの中の世界のみのことです。
世間知らずもいいとこです。

ぼるぼさまのおっしゃる通りです。
>人類はもはや原始時代には帰れません。前進するしかないのだ。雅春先生は、いかなる境遇も乗り越える知恵と力を
神から与えられているのである。

雅春先生の教えを古臭くなってると思える頭の構造は、スカスカのカラッポ模様だと思います。

私も、3/1,唐松模様を拝見しましたが、やはり,雅春先生のことを最初に出されて、神の子を生きるとは、四無量心を
生きる事、それを実践するとは,化石燃料を使わない、生態系を破壊しない.つまり,環境問題。それに加えて
脱原発。至上愛とは、つまり、環境問題、脱原発。これを実践することが、神の道であり、至上愛を実践することなのである。

と、宣言されてますね。人類救済に対して総裁は、真剣???????
日本と世界を救うのは、これですか???????????????

私は、以前、Queen Beeママが、話してくださったシエクスピアの『リア王』を、連想してしまいます。

1355ももんが:2012/03/02(金) 22:43:41 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子の皆様

トキ様、神の子の皆様、こんばわ。合掌、拝。
本日は、雨が凄くて、首都圏は寒かったですね。お外に出たかた、大変でしたね。真に御疲れ様でした。

今日、掲示板を見て、私が『心』に残った御文章は、二つあります。

①、志恩様の言葉
<夜の月もあり、昼の太陽もあり、
夜も語るも昼を語るも、憎くて言っているのでは、ありませんから、
どちらも、ある意味、光明思想だと思っております。>

この言葉に、志恩様の『心』を観ました。志恩様の『やさしさ』と同時に、志恩様が、深層心に『二元的に物を観てる』ことが分かりました。志恩様の『やさしいさ』を触れた事は、嬉しく思うしだいです。
ありがとう、志恩様、また、後日改め、この事は、感想を申します。感謝敬白、合掌。

②、そして、ハマナス様の御言葉です。

< 「今」 新 生 す る (『新版 生活の智慧365章』P.81)

神は常に吾らに新しき日を与え給うているのである。朝々が常にその人にとって
「新生」なのである。神は、「今」新生するとき、過去をもって責め給うことは
ないのである。神が「今」を吾々に与え給うことを、神に対して感謝しようでは
ありませんか? 過去の何があったであろうとも、それは既に過ぎ去ったのである。
「今」は一切の過去を変貌される力をもっているのである。「今」ここに自分の
生命(いのち)に神が在(まし)ますことを自覚したとき、それは自己の魂に
燈をともされたのと同じことなのである。

 過去の一切の悪も業も罪も、闇と同じような仮存在に過ぎないのである。
闇は実在するかのように見えるけれども、それは「光りの非存在」の仮の相(すがた)
であって、光さえ射し込ませれば消えるのである。それと同じく、「今」自己の内
に神が存在し給うことを本当に自覚するとき、過去に如何なる罪や因縁や業が
あるかの如く見えていても、それは消えてしまうのである。>


ハマナス様の御言葉を読むと『人間神の子、本来罪なし』を繰り返し、お話してくださり、大変、感動してます。
いつも、聞く、雅春先生のテープでも『スターデリのキリストを観て、本来罪なしに目覚めた』お話をされてました。ハマナス様、いつも、明るく、勇気をくれるお話、ありがとうございます。感謝敬白、合掌。


御二人は対極的に、私には、観音様の化身です。ありがとうございます。

それから、『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。

★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。

トキ様、この言葉、現在の、総裁から、教団幹部、分派幹部、全ての信徒が、聞いて欲しい、言葉かと、思われました。

すいません、生意気な事しまして、トキ様、神の子の皆様、寒いですから、お風邪ひきませんように、暖かく、して、おやすみ下さい。お話きいてくださり、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1356ハマナス:2012/03/03(土) 00:19:56 ID:u5mC.eb2
ももんがさま

いつも讃嘆して下さいまして、ありがとうございます。
ももんが様の、讃嘆、明るい言葉によって、掲示板の皆さまの実相を引き出して
下さっているように、思います。

>ハマナス様の御言葉を読むと『人間神の子、本来罪なし』を繰り返し、お話してくださり、
大変、感動しています。
いつも、聞く、雅春先生のテープでも『スターデリのキリストを観て、本来罪なしに目覚めた』
お話をされてました。ハマナス様、いつも、明るく、勇気をくれるお話、ありがとうございます。
感謝敬白、合掌。<

ももんが様が、仰います通り、『生命の實相』をはじめ、SAKURA様引用の『幸福を招く365章』や
、a hope様引用の『人生読本』、雅春先生のどの本をとっても『人間神の子、本来罪なし』が
繰り返し書かれてあり、感動いたします。

そして、『実相と現象』の実に素晴らしいご文章をありがとうございました。

>それから、『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。
★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において
完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある
神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって
徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、
団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、
批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まる
ばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけて
もらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は
教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の
完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。<

もし、掲示板を、ご覧のすべての方々が、お互いに“感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、
激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れ”、“欠点を見ないで、実相の完全円満さを
念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげる事”が、できたら、生長の家は日本のみならず、世界中に
広まり、世界の人類光明化に絶大は力を発揮すると、思いました。
 
大先輩のももんが様に、生意気なことを申しました。ご教示下さいまして感謝いたします。
合掌

1357ももんが:2012/03/03(土) 07:14:21 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今朝は、雨上がりで、少肌寒いですが、素晴らしい、朝がやって来ました!さあ、今日も、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日していきましょう。ありがとうございます。感謝合掌、拝。




>>この世の中は、コトバで言うことが実現するのであって、それ以外の何ものでもない。だから毎日『ありがとう』『ごくろうさん『サンキュー』『メルシー』と言う人たちには、ありがたいことが次々に出て来るのだ。もちろん一日中『ありがとう』ばかりり叫んでいるわけないから、色々と出て来るが、ムッツリとして黙りこくって、文句ばかり言ってる人には、それなりのいやな”注文品“が出て来るのである。<<


〜谷口清超先生著・『ありがとう』はすばらしい!より〜


また、この言葉を貼り付けて、すいません。しかし、今朝も、私は、この言葉を読むと、新たな気持ちなれて、私の好みで、貼りました。皆様、ご勘弁下さい。
それでは、寒いし、雨で、道も濡れてますから、色々気をつけて、元気に、明るく、楽しく、お過ごし下さい。いつも、御拝読ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

追伸・今朝は、ハマナス様の御言葉、大変、有り難く、勇気を頂きました。いつも、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1358ハマナス:2012/03/03(土) 10:21:56 ID:u5mC.eb2
みなさま、おはようございます。

今日は桃の節句、おひなまつりです。何となく気分がウキウキします。
皆さまにとって、素晴らしい日でありますように。

    無 我 の 愛  (『新版 生活の智慧365章』P.79より)

 「兄弟の愛を常に保つべし。見知らぬ人に対し愛を与えることを忘れるな。
見知らぬ人に愛(親切)を与えることにより、その人は知らず識(し)らず天の使
(つかい)に愛の歓待を施したことになる」と「ヘブル書」に書かれているのである。
知った人、懇親に人のみに愛を与えるのには、自分の執着による依怙贔屓(えこひいき)がはいっていて、「無我の愛」とは言いがたいのである。電車や汽車に乗った時、
その隣にいる人に生長の家の教えを伝えてあげるのも、見知らぬ人に愛を施すことである。
知らず識(し)らず天の使を歓待していることになり、其の後、その天の使が大いに
人類光明化運動に活躍して下さることにもなるのである。

 若し誰かが失敗したならば、それは「現象」であり、「現象」は実在ではなく仮の
相(すがた)があらわれているのであるから、現象の悪をつかまえて責めることなく、
其の人の内なる実相が「神の子」であり完全であるということを、瞑目して一心に
念じ(又は祈っ)てあげることが、「兄弟の愛を保つ」ということなのである。
深くその人の実相の完全さを祈ってあげれば、自分の祈りの深さに応じて、その人の
実相の完全さがあらわれ、その人が立派になるものである。

感謝合掌

1359HONNE:2012/03/03(土) 12:37:40 ID:jtmmmlXY
 ぼるぼさんには、たぶん「ハッピーリンク」の時から、その書き込み等のコメントで、
いろいろ勉強させてもらっています。
 現在の教団の不本意な姿に関してですが、私は、組織又は組織の維持が優先し、
創始者たる雅春先生、求道者たる雅春先生に対する思いが軽んじられた結果なのではないか
と思います。私は雅春先生を知ることが、生長の家の道であると思います。
 何故、私が雅春先生にこだわるのか?
 私が生長の家を知る前から、何故か家には昭和10年発行の黒布製【生命の実相 第10巻 
神示を受くる迄」があった。今の【自伝篇】になるのでしょうか。このようなことが
あったことも要因かもしれません。

1360ももんが:2012/03/03(土) 18:05:14 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子の皆様

トキ様、神の子の皆様、こんばんは。本日は、雛祭りでしたね。少し、良い御天気でしたね。合掌、拝。

さて、昨晩、掲示した、谷口雅春先生の御言葉を、今一度、掲載さて、もらいます。

>>『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。<<



遠い過去の雅春先生の御言葉ですが、雅春先生も『
『和解』する精神を尊んでおられるように、私は、個人的には、思いました。


では、トキ様、神の子皆様、私は、本日は、忙しいので、これにて、退散します。

季節の変わり目ですから、体調に、気をつけて下さいませ。いつも、御拝読、御感想、御批判、感謝申し上げます。ありがとうございます。合掌、拝。

1361トキ:2012/03/03(土) 19:21:44 ID:Ddf82KKs
ももんが 様

 「実相と現象」の有名な言葉ですね。実は、私等は、ダメ役員でしたから、この文章を読んで慰めに
しておりました。
 実は体調が回復したら書くつもりでしたが、組織の指導者とそれ以外の人物では、やはり感じるもの
が違います。例えば、メンバーの時は、指導者の決定に、「こうすれば良いのに」と感じる事はあり
ますが、実際にその立場になると、理屈の通りにはなかなか行かない、と感じる場合が多いです。
 ただ、リーダーも、常にメンバーの考え方を頭にいれながら行動を決めて行く、という能力は必要
みたいです。慣れて来ると、将棋でいう「何手先」が読めて来ます。ただ、私は無能でしたから、そう
いうだけの力量はなく、メンバーには迷惑をかけたと思います。
 就任をした時に満点の指導者はいなくて、辞める頃にようやく自分なりの方法とか方針が確立した
というのが感想ですね。人に寄って、やり方に違いはありますが、常にメンバーの利益を優先し、
自分の利益は後回しにしないと、みんなから支持を集められないとは思います。
 本題とは違いますが、多いつくまま、書きました。

 では、また、宜しくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1362a hope:2012/03/04(日) 11:32:12 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

小さな欠点を大なる美点に化せ

シカゴの有名な或る百貨店の支配人は、暑中休暇に、休暇をとってどこかへ旅行して帰って来ると、
必ず自分の百貨店の店飾(みせかざり)の遣方(やりかた)をスッカリ変えてしまうということです。

この支配人は休暇をとるといっても、ただぼんやりなどしていないのです。
いつも、何事にも行届いた注意をして、ちょっとしたことにでも、もっと新しい遣方はないか、
もっといっそうよい遣方はないかと研究し、ちょっとでも、いっそうよい新しい遣方があれば、
さっそくその実行に取掛かるのです。
そしてその支配人が旅行から帰った後には、その店は別の店のように新しい陳列法で人々の目を惹くのです。

小さい欠点だといって疎かにしているようなことでは、その店は繁昌しないのです。
それが「欠点」である間は小さくて、どちらでも好いような些細なものでありましても、
この小さな部分を「美点」にかえてしまったら、今までは毒にも薬にもならぬほどの小さな部分が、
ぐっと人々を惹きつける特徴になってくるのです。

一枚のチラシ、振替貯金用紙の裏に印刷する広告文句などでも、
一行の文句を換えることによって素晴らしい効果をもってくるのです。

商売上手ということを軽蔑するような宗教家もありますが、宗教の極致は、
商売の極致とも一致しなければならないのです。
商売は実際の世の中に生命を生かす道です。

本当の宗教は、過去のお寺さんのように、死骸にお経を誦(あ)げることではありません。
生命を本当に生かす道を教えるのが宗教なのです。高座の上や本の上で、
生命を生かす道を説くだけでは宗教ではないのです。

宗教は生活の上に実際に人々の生命を生かさねばならないのです。
職業の上に、仕事の上に、商売の上に、すこしも抜目のないような行届いた智慧が出てくるのが宗教の生きた働きです。

宗教とは、寝ていて欠伸(あくび)をして手を伸ばした拍子に「棚から牡丹餅」が転がり落ち、
口へ入ったというようなものではありません。
どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです。

こういう人には失敗というものはありません。
ここにいたっては、商売も商道であり、尊い宗教であります。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

みなさま おはようございます。

>どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです<

わたしは、この文章をよんで、「本当の生長の家の教え」とは、悪(欠点)を見ない教えではないのだ!
と感じました。
欠点に見えることや困難なことでも、すべてが「神の教え」であると、何か自分に意味がある出来事だと受けとって、
それを、自分自身の魂を磨く糧にしていくことなのではないかと思いました。

日時計主義を、だた、だた、「人生の明るい面だけを観て生きていく」という風に受け取りと、
「自分自身の魂を磨く」という大切なことが抜け落ちてしまうのではないかと感じました。


それでは、わたしの大切な「生長の家」のみなさま、今日もすばらしい一日をお過ごしください!

1363ハマナス:2012/03/04(日) 19:20:56 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

    相手の姿は自分の心の影  (『新版 生活の智慧365章』P.82)

私たちは往々他の人の悪や欠点をみとめて、それに腹を立て、苛酷に批難することが
あるけれども、それは自分の心の影であることがある。自分が彼に対して苛酷な考えを
もっているから、彼が自分に対して苛酷にあらわれ、或いは「悪人」の如くあわわれて
見えるのである。彼に対する、こちらの考えを変えれば彼が変わることになるのである。

 先ず神想観を修して自分自身が神の愛に充たされ、すべての人々を赦し得る心境と
なり、然る後、彼もまた神の愛に充たされ、全然悪意なき神の子となっている姿を
心の中で描いて、それを凝視するがよいのである。やがて其の人の神性があらわれて、
其の人が過去を懺悔し、あやまりに来て善人になるような実例が随分たびたびある
のである。

感謝合掌」

1364ももんが:2012/03/04(日) 20:50:15 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様

トキ様、神の子皆様、こんにちは。今日は、空も曇り少し肌寒いですね。いつも、お話を拝読くださり、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

今日は、朝から、忙しいく、朝のお話出来なくて、あいすいませんでした。合掌。

最近は谷口雅春先生の講義をテープで、“拝聴”するのが日課のように成ってしまってる私です。雅春先生に“直接御指導”されてるような感覚になっております。

さて、本日、雅春先生曰く
“宗教の第一義”について語られました。

〜『甘露の法雨・実在』より〜

★実在はこれ永遠
実在はこれ病まず
実在はこれ老いず
実在はこれ死せず
この真理を知ることを道を知ると云う。〜


ここの部分を、雅春先生は、引用されて、
『永遠に死ないところの命を自覚させることが、宗教の第一義である…』

この雅春先生は、言われました。

即ち、先日より、私や役行者様が、紹介された事を、雅春先生御自身が、講義テープで、講義されております。

『内在の自己の実相』自覚を一番第一の目的とあげておれました。

それを知るのに、一番はや道は『神想観』で、自分自身の実相を貫くように、観抜く心の力ようです。

それか、本日、『信仰版』読んでて、“心”止まった御文章が、ありました。

①、それは、a hope様の“人生読本”からです。

>>>どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです<<

とても、素晴らしい、御文章です。これは、他人の欠点を見つける意味ではなく、“自己の内在の実相”を自己見参して、光明思想にもとずきなら、“実参実究”して行くと云うことと私は、日頃の雅春先生の講義よりそう思います。

そして、谷口清超先生も、『明る心』に成るのは、訓練だと、言われてます。

<<

〜明るい心、暗い心〜

この世では誰でも『幸福になりたい』と思っている。では幸福になると、どんな心持ちだろうか。『まだなかったことがないから、分からない』というかも知れないが、その点をごく簡単に整理して、『明るい心』か『暗い心』かどちらかと聞かれると、『明るい心』に○をつけるだろう。
それならば、先ず『明るい心』になるとよい。するとその心によって、次第に幸福になって行く。一ぺんにならなくても、だんだん、『幸福』になる。
何故かというと、この現実世界は、心によって作られるからだ。心が全ての現実を作って行く。部屋でも、暗くしようと思えば、カーテンでも暗幕でも引いて暗くできるし、明るくしよう思えば、電灯をつけるか、窓をあけるか、天井をブチ抜くかすると、明るくなるだろう。
ところが『明るい心』になるには、そんな天井をブチ抜くほどのことをしなくてもよい。世の中の美しいところや、人に深切なところ、自分や周囲の人々の『美点』を見るようにすればよい。それん見る“練習”をし、鏡の前で笑ったりしていると、だんだん『明るい心』になって行くのだ。その反対に、人の欠点や、いやな所や、きたない所を見て、フクレ面する練習をすると、かならず『暗い心』になって、『不幸な人』になるのである。
ウソと思う人は、この二つの方法のどちらかお好きな方を、せめて一週間ぐらい続けてやると、きっと、『ハハー、なりそうだ』と予感がして来て、さらにもう一週間続けようということになるかま知れない。

〜谷口清超先生著『ありがとう』はすばらし より〜>>

〜以下つづく

1365ももんが(つづき):2012/03/04(日) 21:06:15 ID:XXCuaQns
>>1364(つづき)


私も、余り、偉そうな事は、言えないが、体験的にいうなら、清超先生の御言葉ように、“『明るい心』を保つ訓練 ”を、日時計主義の生活と思います。『明るいコトバ』を使うように心掛けたり、『神想観』『聖経』『聖典』を読んだり。『日時計日記』を自分なりつけてみたり。
勘違いしないで、欲しいのは、明るコトバとは『あいさつ』『返事』や『行動』までも、含まれると、自分は、思ってます。

最後に、『正法眼蔵随門記』より

>>玉は琢磨によって器となる。人は練磨によって仁となる。いずれの玉か初より光りある<<
(玉は琢磨することで立派な器となるのである。人は練磨(訓練)することで立派な人となるのであります。どんな玉でも初めから光るものはなし、どんな人でも初めから鋭利な人ではないのである。)

a hope様の『人生読本』の御文章は、正に『随門記』この一説と同じ意味と私は思いました。
a hope様、素晴らしい御文章、ありがとうございました。また、御投稿、よろしく、お願いします。感謝。
それでは、皆様、トキ様、明日は、雨のようです。寒い日続きますから、暖かくして、おやすみください。御拝読、ありがとうございます。感謝合掌、拝。

1366ももんが:2012/03/04(日) 21:22:30 ID:XXCuaQns
>>1356

ハマナス様


ハマナス様、先日は、私の投稿した、”雅春先生の言葉“を賛嘆して下さり、ありがとうございます。感謝合掌、拝。


ハマナス様に、”大先輩“などと、言われまして、肩身の狭い、私です。

ハマナス様に比べたらたら、”生長の家信徒“としては、生徒と、先生くらいに違いますから、是非、今後も、光明的な、観方を勉強させてください。いつも、心遣いと、素晴らしい、御言葉に、感激感謝してます。

先日は、

<<お互いに“感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、
激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れ”、“欠点を見ないで、実相の完全円満さを
念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげる事”が、できたら、生長の家は日本のみならず、世界中に
広まり、世界の人類光明化に絶大は力を発揮すると、思いました。>>


上記の御言葉に、感激いたしたしだいです。ハマナス様の言われるとおうりですね。皆で、心から、平和の心をだしあえば、きっと、明る、世界に成りますよね。
ありがとうございます。

おつかれでしょ。ゆっくり、おやすみください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1367復興G:2012/03/04(日) 21:31:54 ID:ojEbkDH2

 私は、3月1日早暁、遠方にいる近親者(弟)が亡くなり、弔いのため出かけまして、やっと葬儀を済ませ、今日帰ってまいりました。それで暫くぶりの書き込みとなります。
 親族の中にはキリスト教信者もいて、讃美歌を教えてくれました。その中に、次のような讃美歌がありました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(讃美歌244番)
1.行けどもゆけども ただ砂原(すなはら)
 道なきところを ひとりたどる
 ささやく如くに み声きこゆ
 「疲れしわが友、我にきたれ」
2.やけたる砂原 いたむ裸足(はだし)
 渇きのきわみに 絶ゆる生命(いのち)
 しずかにやさしき み声きこゆ
 「生命のいずみに 来たりて飲め」
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 私はこの讃美歌を聞いて、故 榎本恵吾講師の書かれた『光のある内に』の一節を思い出しました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 それは私が中学3年生のときのことです。そのとき私は高校入試の勉強をしておりました。もう夜の11時頃でした。ふと眼を外に向けると、窓の外側のところに小さな植木鉢がおいてあって、それには一本のおしろい花が植えてありました。そのおしろい花はまだ咲いてはいませんでしたが、20センチくらい伸びて、かなり枝も出ておりました。
 しかし、誰も水をやらないので葉という葉は全部だらりとしなびておりました。その下りようは、もう全然生気のない、死んでいるような感じでした。葉のつけ根は細く、もう全く葉を支える力を捨てていました。そして鉢と植わっているものを包んで、全体に“死”がなびいているように思えました。
 私はその時、何気なく立ち上って台所に行き、ヤカンに水を一杯入れて来て、渇き切った鉢の中にどんどんと注ぎこんでやりました。いくらでも入りました。まるで鉢そのものが水を飲んでいるような感じでした。しばらくして、ヤカンに殆んど水がなくなって来たころ、一番上の小石の上に水が出て来ましたが、まだまだつぎ込みました。水は鉢から溢れました。たっぷりと水を注いで自分の心が何となく落ちついたとき、私は窓を閉めて、それから蒲団に入りました。
 翌朝、何の期待もなく、窓を開けたとき、全く生きかえったおしろい花の葉の姿を見ました。葉はピンと張り切っているし、先には小さな水滴さえつけて、陽の光を反射させておりました。そして、枝全体が力いっぱいに広がっていました。
 このときほど私は、植物が水で出来ていることを感じたことはありませんでした。まるで昨夜の水がこの植物となっているように思いました。葉も水でした。くきも水でした。緑色も水でした。全部水なのでした……。
 私は『生命の實相』を開くとき、この水のことを憶い出すのです。
<以上、『光のある内に』(榎本恵吾)p.64より>
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 私は生長の家から『生命の實相』がもし無くなったら、それはしなびて「生弔の家」になってしまう、と改めて思うのです。

1368ももんが:2012/03/04(日) 22:30:46 ID:XXCuaQns
>>1361

トキ様

トキ様、お疲れなのに、心からのお返事に、感謝感激です。合掌、拝。


『実相と現象』の文章は、完全に、『和解』を唱えてると、私は思いました。

最近は、先程も、書きましたが、毎日、雅春先生の講義テープ聴いてる、状態です。

こんな事言うと、バカにされるかもしれませんが、総裁先生と雅春先生と、近い事言ってる処もあるように、私は、感じる事がありますよ。

話は、変わりますが、私の良く行く、神田の本屋に、『大本教関係』のコーナーがありまして、勿論、大本の聖典『霊界物語』全巻あります。
他に、大本系、分派と思われている教団、まあ、生長の家も、大本の分派と見られるので、そのコーナーにあります。結構、大本分派て、多いですね。

生長の家から、分派した、市川の白光教団でしたけ?
生長の家と、非常に良く似てますね。少し、立ち読みしただけなんですけど、白光真宏会の先生て、生長の家の講師で、神様の啓示を受けたて、書いてありましたね。あと、確か、ケネディ大統領の前に、演武をした、名前が思い出せないので、すいません、合気道の達人の先生が、白光真宏会の先生と一緒に写真に写ってました。合気道の達人の先生は、大本教に居たらしいですね。

他にも、園頭先生て、元生長の家の講師の方で、GLM教に、変更した、先生も、いたんですね。

これは、雅春先生が、総裁先生された、時代の方々ですね。

先日の『実相と現象』の雅春先生の言葉から、雅春先生生前から、色々な出来事は、あったんでしょね。

今の、裁判や、色々の事も、やはり、信徒一人、あの言葉を心に刻み『和解』するように、努力すべきと、思いました。それには、今日少し、『限りなく日本愛す』にも書いてありましたが『譲る心』=『赦す心』持つ事でしょうね。
トキ様が、いつも、言われてる事ですね。
トキ様、暖かくして、おやすみください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1369ももんが:2012/03/04(日) 23:00:09 ID:XXCuaQns
>>1367

復興G様


復興G様、こんばんは。御投稿文の榎本先生の文、大変、良かったです。感謝、合掌、拝。


<< 私はこの讃美歌を聞いて、故 榎本恵吾講師の書かれた『光のある内に』の一節を思い出しました。
  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 それは私が中学3年生のときのことです。そのとき私は高校入試の勉強をしておりました。もう夜の11時頃でした。ふと眼を外に向けると、窓の外側のところに小さな植木鉢がおいてあって、それには一本のおしろい花が植えてありました。そのおしろい花はまだ咲いてはいませんでしたが、20センチくらい伸びて、かなり枝も出ておりました。
 しかし、誰も水をやらないので葉という葉は全部だらりとしなびておりました。その下りようは、もう全然生気のない、死んでいるような感じでした。葉のつけ根は細く、もう全く葉を支える力を捨てていました。そして鉢と植わっているものを包んで、全体に“死”がなびいているように思えました。
 私はその時、何気なく立ち上って台所に行き、ヤカンに水を一杯入れて来て、渇き切った鉢の中にどんどんと注ぎこんでやりました。いくらでも入りました。まるで鉢そのものが水を飲んでいるような感じでした。しばらくして、ヤカンに殆んど水がなくなって来たころ、一番上の小石の上に水が出て来ましたが、まだまだつぎ込みました。水は鉢から溢れました。たっぷりと水を注いで自分の心が何となく落ちついたとき、私は窓を閉めて、それから蒲団に入りました。
 翌朝、何の期待もなく、窓を開けたとき、全く生きかえったおしろい花の葉の姿を見ました。葉はピンと張り切っているし、先には小さな水滴さえつけて、陽の光を反射させておりました。そして、枝全体が力いっぱいに広がっていました。
 このときほど私は、植物が水で出来ていることを感じたことはありませんでした。まるで昨夜の水がこの植物となっているように思いました。葉も水でした。くきも水でした。緑色も水でした。全部水なのでした……。
 私は『生命の實相』を開くとき、この水のことを憶い出すのです。
<以上、『光のある内に』(榎本恵吾)p.64より>
  〜〜〜>>


復興G様、『生命の実相』無くなるなんて、今のところは、そんな、気配は無いように、私は、思いました。楽観的、言葉を言ってしまして、ごめんなさい。

一昨日ですか、母が教化部からもらって来た、原宿本部の月間講義の予定を、見ていたら、『生命の実相』を使った講義や『真理』を使った講義を、結構されていますよ。

練成や、誌友会でも、輪読してますよ。

『無くなる』『無くなる』と心に描くより、『大丈夫』『大丈夫』と心に描いて、『生命の実相』読み続けましよ!
雅春先生、昨日聞いた、テープの中で『丈夫な子供、子供を病気にさせないないには』神想観の時に… 『お前は、達者だ』『お前は、達者だ』と、子供の実相を拝み、思い描き、実相貫くことが、肝心と、言われてました。


復興G様、『生命の実相』が、どんな形であれ、戻ってくると、信じて、実相を貫きましよ。雅春先生の言葉を、私は信じます。


では、復興G様、寒いですから、暖かくして、おやすみください。いつも、いつも、素晴らしい、言葉や教え、ありがとうございます。これからもたくさん、教えください。感謝敬白、合掌、拝。

1370ももんが:2012/03/05(月) 07:16:08 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様

トキ様、神の子の皆様、おはようございます!合掌、拝。

今日は、首都圏、雨、ですが、本日も、元気に、明るく、楽しく、”ありがとう“の生活を楽しみましょう!ありがとうございます!合掌、拝。


〜明るい未来を思え〜

物事の光明面を見て、明るく伸々と、たのしく生活し、さらに伝道などして『よいこと』をしていると、必ず『よいこと』が起こり、思いが叶い、どこからともなくポッカリと幸運が舞い込んで来るのである。それ故、多くの人々がこのように『神の子・人間』を信じ、ありがとう“日時計主義の生活”をやるようになることが、日本の運命をよくし、豊かにし、平和にする唯一最高の道であると言うことが出来る。

〜谷口清超先生著・『ありがとう』はすばらしい・より 〜


昨日も、たくさんの方に『おはよう』『ありがとう』とコトバを交わしました。“掲示板の世界”では、まだ、まだ、ですが、外の世界では、皆様、挨拶するだけで、嬉しくなるのが、伝わるようです。ここの処、雨や雪が多く、寒い日がつづきますが、花は少しつづ咲いていますね。毎度言いますが、来ない、春は無いのですね。では、では、皆様、本日も、素晴らしい日をお過ごしください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1371役行者:2012/03/05(月) 08:24:08 ID:5hSWQZlE

 ももんが様

 >>1368
 トキ様、横から失礼します。

 >生長の家から、分派した、市川の白光教団でした け? 生長の家と、非常に良く似てますね。少し、立ち読 みしただけなんですけど、白光真宏会の先生て、生 長の家の講師で、神様の啓示を受けたて、書いてあ りましたね。<

 確か、五井さんと申し上げたかと存じます。すごく良い内容の本なのでときどき、読みます。


>あと、確か、ケネディ大統領の前に 演武をした、名前が思い出せないので、すいませ ん、合気道の達人の先生が、白光真宏会の先生と一 緒に写真に写ってました。合気道の達人の先生は 大本教に居たらしいですね 。<

 植芝翁と思います。確か、大本教におられましたね。
 雅春先生とも縁があったと聞いております。
 武道のカリスマですよ!


>他にも、園頭先生て、元生長の家の講師の方で GLM教に、変更した、先生も、いたんですね 。<

 知りませんでした。いろいろな方がいたのですね!

>これは、雅春先生が、総裁先生された、時代の方々 ですね。 先日の『実相と現象』の雅春先生の言葉から、雅春 先生生前から、色々な出来事は、あったんでしょ ね <

 いろいろとご苦労された様子が、本の内容や過去の文献から伺えますね。


 >今の、裁判や、色々の事も、やはり、信徒一人、あ の言葉を心に刻み『和解』するように、努力すべきと、思いました。それには、今日少し、『限りなく 日本愛す』にも書いてありましたが『譲る心』= 赦す心』持つ事でしょうね 。<

 まったくもって、同感です。
すべての方々が生かされる方向で和解されることを深く深く望みます。

       合掌

1372トキ:2012/03/05(月) 10:26:32 ID:HSteYA1A
>>1367

復興G様

 弟様のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。また、お疲れの中、貴重なご文章をご投稿下さり
ありがとうございます。

 榎本先生のご文章、生き生きとしたもので、深い感銘を受けました。

実は、昨日は、原宿教団の行事の後、個人指導を担当しておりました。
相談の内容は言えませんが、親兄弟にも友人にも相談が出来ないような
話でしたので、こちらもウンウンとうなりながら、考えていました。
 まあ、どこまで役に立ったのか、すこぶる怪しいですが、それでも
相手は喜んで下さりました。
 水の話を拝読し、感じるものがありました。

 聖典は、棚に飾っておく存在ではなくて、すぐそばに置くべき存在
だと痛感しました。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1373ハマナス:2012/03/05(月) 10:38:58 ID:u5mC.eb2

神の子の皆さま
 
おはようございます。
昨日、天皇陛下が無事にご退院なさいました。
御所では、秋篠宮ご夫妻や悠仁さまが出迎えになられたそうです。
ごゆっくりと、ご静養あそばされまして、ご快癒をお祈り申し上げます。    

実相を祈り顕(だ)す   (『新版 生活の智慧365章』P.84)

常に実相の完全さを祈り念ぜよ。人の悪口がゴシップの話材に出たときには、
皆と一緒にその人の悪口をいうことなく、静かに「彼(その人)も神の子であり、
神性が宿っているのであるから、今後は屹度(きっと)よい事をするに相違ない」と
念じてあげるのがよい。人が病気にかかって苦しんでいるということをきいたら、
「神はその人を護りたまうて、病は最早(もは)や消えてしまったのである」と
念じてあげるのがよい。これが実相を祈り顕(だ)すということである。

 自分と誰かの間に誤解があって争いや葛藤があるときに、それを解決する道は、
先ず自分の心を平和にして、「彼と自分とが神の愛に包まれて完全に調和していて、
互いに何らの誤解も争いも存在しない」と念ずるがよいのである。心の奥底に、
この平和と調和の念が深く打ち建てられたら、自然に現象界の紛争は解決せられ
ることになるのである。

感謝合掌

1374トキ:2012/03/05(月) 10:44:36 ID:HSteYA1A
>>1368

ももんが様

 さすがはももんが様、詳しくご存知ですね。

 園頭広周先生というのは、確か、鹿児島の方で、陸軍大尉から生長の家の職員になり、本部講師になられた
方だと記憶しております。彼は、途中で谷口雅春先生に叛旗を翻し、高橋信次さんのGLAに入ってしまい
ました。が、その後、高橋さんが亡くなり、お嬢様が跡を継いだ事でGLA内部で紛争が始まると、やはり
飛び出して自分で「国際正法協会」という団体を設立し、一時は活発に活動をしていたみたいです。

 しかし、最近、調べたところでは、彼は既に亡くなっており、彼が設立した団体は全て解散をしているよう
です。

 生長の家でも様々な分派ができましたが、長続きしません。今回の分派騒動がどうなるか、軽率な事は言えません
が、うまくいかないと思います。が、その動機については、よく理解できるし、また教団の反省の材料とすべき点が
多々あります。
 ですから、双方がお詫びする事で、「手打ち」にすれば良いと思います。

合掌 ありがとうございます

1375a hope:2012/03/05(月) 12:36:27 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

第一印象が大切


小さな欠点だと思ってばかにしている人は、鏡の前に立って自分の顔を鏡に映してごらんなさい。
そして、しばらくその顔を眺めてから、一本の人差し指で、
鼻さきをちょっと下から上へグッと押し上げてごらんなさい。
ただそれだけの異いで、どんなにかあなたの顔が不細工な顔に見えるでしょうか。
鼻のさきわずか一分位の形がちがっただけで、そんなにも人間の顔は不格好に見えるのです。
このように小さな欠点が、どんなに人様に対する感じを悪くしているかは考えなければならないことです。
一分の異いで美人が醜婦(しゅうふ)になるのです。

それは「人間の顔」だけのことではありません。
あらゆる物が、小さな欠点をそのままにしておくために、
どんなに他(ひと)からみて見苦しく見えていることでしょう。
これを考えたら、小さな欠点をおろしかにしておくことはできません。

物にも、人にも、第一印象が大切です。
第一印象とは、最初チョット見たときに、なんとなく良い感じがするとか、
なんとなく好かぬ感じがするとかいう感じを申します。

最初チョット見たときに、小さな欠点くらい好かろうと思って、
鼻のさきを一分(ぶ)だけあおむきにして人に会ってごらんなさい。
その人は「変な人だ」と思って、二度とあなたを尊敬しますまい。
それと同じく、最初によく思われることが肝腎です。
最初に一度だめだと思われたら、二度目からはよほどよくならないと、
他(ひと)からは尊敬されません。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

みなさま こんにちは

ももんがさま

>>1364

>①、それは、a hope様の“人生読本”からです。

>>>どんな些細な事にも、神様の教えを見出し、どんな小さな事でも良いと思うことはことごとく実行し、
礫(こいし)の形の間は、毒にも薬にもならない程のどうでも好い欠点でも、
磨き上げて多勢(おおぜい)の人を惹きつけるダイヤモンドに仕上げることなのです<<

とても、素晴らしい、御文章です。これは、他人の欠点を見つける意味ではなく、
“自己の内在の実相”を自己見参して、光明思想にもとずきなら、
“実参実究”して行くと云うことと私は、日頃の雅春先生の講義よりそう思います。
そして、谷口清超先生も、『明る心』に成るのは、訓練だと、言われてます。<

昨日のわたしの投稿への素晴らしいコメントありがとうございます。
さらに、

>>1365
>最後に、『正法眼蔵随門記』より

>>玉は琢磨によって器となる。人は練磨によって仁となる。いずれの玉か初より光りある<<
(玉は琢磨することで立派な器となるのである。人は練磨(訓練)することで立派な人となるのであります。
どんな玉でも初めから光るものはなし、どんな人でも初めから鋭利な人ではないのである。)

a hope様の『人生読本』の御文章は、正に『随門記』この一説と同じ意味と私は思いました。<


という、道元禅師のお言葉も紹介していただき、とても勉強になります。

いつ何時も「明るい心」を保っていられるようになるには、大変な修行が必要なのだと思われます。
そのためには、どんな時にも、相手の実相を見つめることができなければいけないのだと思いました。
相手が、気に入らないことをいったからとか、嘘をつかれたからとか、自分と性格があわないからとか、
そんなことで、一々腹を立て、暗い気持ちになるようではではまだまだだということでしょうか?

わたしは、ももんがさまのお言葉を聞いて、一生かけて“実参実究”し、魂を磨いていきたいと思いました。
ももんがさま、いつも色々教えていただきありがとうございます。
毎回、たくさんお勉強させていただけるので、ももんがさまの投稿を拝見するのを楽しみにしています。
これからも、ご指導どうぞよろしくお願いいたします。

1376a hope:2012/03/05(月) 12:57:12 ID:kcv2QXTk

復興Gさま

御弟様のご冥福を心よりお祈りいたします。

また、素晴らしい讃美歌と、榎本恵吾先生の『光のある内に』の一節をご紹介していただき、
ありがとうございます。

わたしにとっても「生命の實相」は枯れかかったわたしの心に、
生命という水を注いでくれる大切な、大切な聖典です。

もし、その聖典が「生長の家」教団からなくなるようなことがあるとしたら、
もしくは、ないがしろにされるようなことになったら、わたしは、そのような「生長の家」教団には、
全く興味がありませんので、自分一人でも「生命の實相」を聖典として、
「真の生長の家」の教えを学んでいきたいと思います。

復興Gさま、これからもご指導、どうぞよろしくお願いいたします。

1377SAKURA:2012/03/05(月) 13:39:37 ID:AwMruBLQ
復興G様 へ

3月1日…御弟様の悲報…さぞお別れにしましても無念の思いがあられる事と…
心から哀悼の意を表しますとともに、
故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます…。

>1367 拝読させて頂きまして…
「生命の実相…」これは【真理…】そのものだと思います…。
従いまして、雅春先生の御文書の中に…

■ 真理の奥座敷が何処にあるか分からないのである。
その真理の奥座敷を指示して、その奥座敷に万教をゲストとして招待する教え
――これが「生長の家」である。

このように私共の“心の奥殿”に、一度“門”をたたきました以上は…
【永遠…不滅…ではと思います。何故なら?“真理”そのものですから…】
                          再合掌

PS: 投稿文を、私なりに拝読させて頂いております…。

1378SAKURA:2012/03/05(月) 13:43:13 ID:AwMruBLQ
トキ様 へ
皆様 へ

【 栄える生活365章 】
■万教を真理の奥殿に招待するもの

「自分」という狭い固い殻の中に、「自分の考え」という狭い先入観念を
持ちつづけている限り人間は幸福になれないのである。
自己否定が一たんは是非必要なのはそのためである。
仏教で “無我”と説き、キリスト教で「凡そ天国に入る者は、この幼児の如き
ものである」とイエスがいったのは、幼児の如く【親の処置に全托し切って無我に
なっている者」が本当に天国即ち「実在の世界」(実相)にあるすべての恵福を素通しに
現象界に投影して、その恵福を実現し得ることができることを訓えたのである。
「われわが心を空しくして神のみこころを聴かんことを欲す。みこころを我に示したまえ」
このように神想観中に念じて、無我全托の心境の中にただ坐るのである。
“祇管打座”と道元がいったのはそれであり、“一向専心念仏”と真宗に於て説かれて
いるのはそれである。すべての宗教は唯一つの真理を説くのであるけれども、
道を伝える人が “派閥の心”を棄て切れず、自分の宗門を護るに急であって、
他の宗門をけなそうとするから、いたずらに“門”のみ多くして、
真理の奥座敷が何処にあるか分からないのである。
その真理の奥座敷を指示して、その奥座敷に万教をゲストとして招待する教え
――これが生長の家である。  
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

「神想観」をしている時…空しくなる時が、あります。
何故このような事態に、なったのかしら〜〜〜ン?…と、
まるで空論の様に見えるのです…。
「生長の家」の教え…が、先生の過去の文章を、引き出したり…
まだ!当時先生の【未完成な状態】をわざわざ持ち出したりでスゴ〜〜〜く?
嫌な気持ちです…。

【過去の文章】を知った事が、そんなに素晴らしい事なのでしょうか?
何もその文章を拝読いたしましても“感銘”が、私には伝わりません…。
本当に【人を救いたいの〜〜カモ??】疑問視ですが…??
■【同じ宗門】で、騒いでる事…まるで【現象】をつかんでいるのでしょうか?

それでも、強く念じて行きますと【実相世界】が見えてくるようです。
「生命の実相」を読むだけで…お寺の住職さんとの討論が出来る様になり、
少しづつ意味が、分かる様になりましたが…?
今…【派閥の戦い??は…“現象”】として見えてしまいますが……??

■■ 【祈り〜〜に、祈り〜〜に、徹する事】でしょうか??

今日は、とても難しいですが…【実相・現象の見方】
「イメ−ジで実相…」を、見て行くうちに“現象世界”に、現れる訳ですよ〜〜ネ!
現在!起きている事物は、【現象世界…】それを認めるのではなく…
【実相を見る訓練…】を、私達は、今!今!与えられている事を、認識しまして、
その事に深く〜深く〜【感謝…】します…。

                                 再合掌

■ ■【真理の奥座敷…】現在、皆様の行動…あるのでしょうか…?
この派閥闘争は…「この奥座敷…いずこにかあらんや????」の心境ですが…?
今の私共は…【この奥座敷に…招待!!つまり、真理の愛行…】
この事が、私共に課せられました【使命…】と思います…。

PS:トキ様
今日の【栄える生活365章…】の中からの抜粋文章ですが…
此処の【真理の奥座敷…】どの様にお考えでいらっしゃいますでしょうか…?
“アドバイス…”頂きますと幸いに存じます…。

1379復興G:2012/03/05(月) 17:15:35 ID:ojEbkDH2

>>1369
ももんが様。

丁重なレス、お褒めを頂き、ありがとうございます。
>(『生命の實相』が)『無くなる』『無くなる』と心に描くより、『大丈夫』『大丈夫』と心に描いて、『生命の実相』読み続けましよ!<

ありがとうございます。しかし総裁先生も、『太陽はいつも輝いている』の中で、“日時計主義とは単に「悪いものを無視」したり、「臭いものにフタ」をする生き方ではない”とおっしゃっています。『生命の實相』が無くならないようにするためには、『大丈夫』『大丈夫』と心に描いて、『生命の実相』読み続けるだけではなく、“植木鉢に水を注ぐ”ような具体的行動が必要ではないかと思っております。

その具体的行動は、どうすべきか。

私は基本的な考えとして、
『生命の實相』とは、形の上の本だけのことではなく、むしろ「永遠の生命」「自他一体、大調和の、歓喜無限の生命」という意味での「人間は神の子だという真理」、「生命の実相の自覚」が大切である。──それが無くなったら、生長の家はもはや存在意義を失ってしまう、死んでしまうと思うのです。

で、今“植木鉢に水を注ぐ”ことに当たる行動は?──
それは、正しい智慧、神の智慧に導かれた行動でなければならない。a hope様が >>1117で謹写してくださった『人生読本』第4章「智慧の生かし方」にあるように、智慧のない愛はかえって愛する者を殺してしまうこともありますから。常に祈りつつ、適切な智慧に導かれての行動が大切で、油断や暴走は禁物。今こそ正念場であります。「正念場」とは、「正念」すなわち全き神のこころ、まこと(まること)の心を出さなければどうにもならないような局面ということであります。そこで──すでに申し上げてきたことをまとめて決意を新たにし、実践して行きたいと思います。──

① 信徒として「内なる法燈継承」を。「法燈」とは、谷口雅春先生が神啓を受けて悟られた「真理の火」である。「肉体なし」「現象本来なし」と過去の自分を否定し、「あるものは唯神のみなり」「我神なり」「すべては我が心の展開なり」と自覚する。そしてすべての人を神の子として礼拝し、「今起て!」と真理の火をすべての人に点じて行く。その「内なる法燈継承」の時は、「今」なのである。

② 実相を祈る。「総裁は神にまします。“本流”を名乗る方たちも神にまします。すでに大調和し協力し合って、『生命の實相』を大切に護り、人類光明化運動は御心のままに大発展しつつあるのである」と。

③ 「一切者の自覚」「主人公の自覚」を持って、人時処に応じた、勇気ある発言・行動を行う。

ということになろうかと考えます。

ところで、NHKでパワーハラスメント(大人の世界の“イジメ”)についての特集番組を見ました。パワハラは、「職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」と定義されていますが、部下たちが上司をいじめる──たとえば親睦の飲み会や旅行に誘わないでシカト(無視)する、というようなこともパワハラになるんだ──と言っていたと思います。それを見ながら私は、生長の家の現状のこと、自分自身のことを考え、反省していました。
雅宣総裁が職員に対してパワハラ的人事権を行使したとも言われますが、その総裁が『生命の實相』裁判敗訴で苦境に追い込まれた今は、逆にかつての下位者で「本流」を名乗る人たちが総裁に対してパワハラを始めている、という見方ができるかも知れません。私自身も、その仲間に加わる恐れが無きにしも非ずみたいな……でも、これは本来大調和の生長の家ではない。イジメは、いけませんね。それは、前記3項目に反することです。意見があれば、実相を祈りつつ愛をもって正々堂々と献言(諫言)申し上げるべきだと思っております。

1380復興G:2012/03/05(月) 19:04:28 ID:ojEbkDH2

トキ様。
a hope様。
SAKURA様。

コメントをいただき、ありがとうございます。
トキ様、この掲示板の管理人として本当にご苦労様です。お風邪はもう大丈夫ですか。
弟の昇天に皆様から弔問のお言葉も賜り、ありがとうございました。私より2歳年下の弟なのですが、安らかな昇天で、よい葬式ができました。私は弟の志をも果たすべく、長生きしなければと思っています。

a hope様

いつも『人生読本』筆写も、ありがとうございます。
>わたしにとっても「生命の實相」は枯れかかったわたしの心に、生命という水を注いでくれる大切な、大切な聖典です。もし、その聖典が「生長の家」教団からなくなるようなことがあるとしたら、もしくは、ないがしろにされるようなことになったら、わたしは、そのような「生長の家」教団には、全く興味がありませんので、自分一人でも「生命の實相」を聖典として、「真の生長の家」の教えを学んでいきたいと思います。<

そんなことにならぬよう、精一杯がんばりましょう。

SAKURA様

>すべての宗教は唯一つの真理を説くのであるけれども、道を伝える人が“派閥の心”を棄て切れず、自分の宗門を護るに急であって、他の宗門をけなそうとするから、いたずらに“門”のみ多くして、真理の奥座敷が何処にあるか分からないのである。その真理の奥座敷を指示して、その奥座敷に万教をゲストとして招待する教え――これが生長の家である。<
という谷口雅春先生のお教え(【栄える生活365章】より「万教を真理の奥殿に招待するもの」)、感銘深く拝読しました。この最高の御教えを頂いた私たち、それを割り引きすることなくしっかと受け取り、伝えていかなくてはならないと思いました。ありがとうございます。

1381トキ:2012/03/05(月) 19:18:23 ID:HSteYA1A
>>1378

 生命の実相の第二巻に紹介されています浅野和三郎先生のご令息の浅野新樹さんの
霊界通信は、実は、「新樹の霊言」として出版されています。内容は結構、面白いで
す。天狗が出て来たり、天女が出て来たりします。乃木希典将軍との対談もあります。
しかし、その対談の内容は、もう少ししたら、大きな戦争が起こる・・・というもの
です。本が出版された辞典では満州事変も起こっていないので、これはすごい予言で
す。

 ところで、その中で、生前、熱心なキリスト教の信者だった人と法華経の信徒だった
人の死後の様子が紹介されています。それぞれ、亡くなって当初は生前の信仰に固執し
ますが、亡くなって霊界の様子が分かると、段々と生前の信仰というのは方便が入って
いるとわかり、あまりこだわらなくなるそうです。
 で、結局は谷口雅春先生がお説き下さった通りだという結論になるみたいです。
 
 まあ、そのあたりの事は死ぬとよくわかるみたいです。楽しみにしておいて
下さい。

1382元職員:2012/03/05(月) 19:55:25 ID:???
復興Gさま、お身内がお亡くなりになったとの事、こころよりご冥福をお祈り申し上げます。

さて、以前から復興Gさまの書き込みは長い間本部や教区でご活躍された本部講師らしく、信仰に基づき
ご体験からくる説得力があり、感服いたしております。
さて、
>>雅宣総裁が職員に対してパワハラ的人事権を行使したとも言われますが、その総裁が『生命の實相』裁判敗訴で苦境に追い込まれた今は、
逆にかつての下位者で「本流」を名乗る人たちが総裁に対してパワハラを始めている、という見方ができるかも知れません。
と・・
申されておられますが・・?下位者が上位者にものを申すことはパワハラとは通常言いませんね。「抗議」「反発」では無いでしょうか。
それから、雅宣総裁は決して追い詰められていません。総裁は想定内の事だと思います。
根拠は、通常の彼の頭脳では今回の件<地裁で負けたものが最高裁で何とかなるとは絶対に思っていないはずです。わたしが想像するに
最高裁でも負けたのだからという大義名分の上で「仕方がない」と『生命の實相』を諦めさせて、自分の考えを「真理」とする機会と考えていると
思うのです。そうです!雅春先生の神想観にたいして「新バージョン」を平気で発表した同じ思考回路であれば、その可能性は大きいのではないでしょうか。
かつて・・・外会場で清超先生を排除した冷房の効きすぎる会場での「教修会」に貴殿も教化部長として参加しておられたと思いますが・・・あの時に
「雅春先生も間違えることがあるのです、いや間違ったのです」
という雅宣副総裁の衝撃発言を覚えておられますか。私は前にあった机を乗り越えて殴ってやろうかと思いましたが、貴殿はどんなお気持ちでしたか。
休憩時間に、友人の教化部長さんたちと話しましたが、ある教化部長は「殺意」がおこって身体が震えたと言っていましたね。最近もそれらの友に会いましたが、
怒りは消えていませんでしたよ。総裁の心が変らなければ絶対に「和解」にはならないと、ほとんどの教化部長は内心思っているのではないでしょうか。
わたしは、
「日時計主義」を前面に出したときに、それらの怒りや裁判が立て続けにおこる現状から信徒の目をそらすためにつまり不利な部分に対して「思考停止」させるために「日時計主義」をなるほど使ったなと感じました。日時計主義であればどうして裁判を起こし、さらに控訴し続けるのでしょうか。
わたしはこのような欺瞞は許せません。無明だから許せんのです。

懺悔と謝罪がなくて(これはお互いに)和解などが実現できるとは到底思えません。
ちなみに『生命の實相』と聖経。社会事業団は日本教文社が著作権者の希望を考慮して、今までの裁判での問題を正しく認識してそれなりの謝罪があれば、以前のように出版を許可する用意があるようですが、
彼らはもはや、自分達で決断できないほど押さえ込まれられているようで・・・自滅するまで裁判を続けるようです。残念ですが実態は改善していません。

1383元職員:2012/03/05(月) 20:02:47 ID:???
上記のかれらとは、日本教文社の社長以下社内取締り役のことを指しました。

1384SAKURA:2012/03/05(月) 21:34:42 ID:EUALcDkQ
復興G様

合掌 ありがとうございます。
ご丁寧なる“お返事”恐縮しております…。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて「亡き母の御霊」不思議な現象がありましたので、
(偶然…御霊様を写真を撮る事となりましたが…)
今週中に詳しく“投稿”させて頂きます…。「霊界通信…?」
無念の思い“亡き弟様…”いつもそばに目に見えなくても…いらっしゃいます事が…
私自身感じられますモノがあります…。
                        再合掌

1385SAKURA:2012/03/05(月) 21:39:16 ID:EUALcDkQ
トキ様…

体の具合は…いかがでしょうか…?
自称…「食いしん坊?」の私事…事もあろうに「お雛様祭り…」
…ギブ…アップ!!
「ひなまつり料理…」せっかく…?ハマグリ買う事が出来ましたのに…><

話は変わりますが…「霊界通信…」
>浅野和三郎先生のご令息の浅野新樹さんの霊界通信は…
実は、「新樹の霊言」として出版されています…。<

さっそく“アマゾン”にて、注文させて頂きました…。
私も、亡き母の事も含めまして「生命の実相」に書いてあります
『霊界編…』以前よりも、雅春先生のその文章から拝読させて頂き、
感慨深いモノがあります…。

「今週中に…母の御霊様」投稿したいと思います…。
その時は」、一番にご連絡いたします〜〜ネ!
随分悩みましたが…この「母の御霊様」を見ましてから、
「肉体人間…」を卒業…?「霊体人間」の修行中…?私です。

今…この「現象世界」にて“心の修行の旅” 再!再!…
                      再合掌

1386復興G:2012/03/06(火) 00:06:59 ID:ojEbkDH2

>>1382
元職員様。

ご丁寧なコメント、ありがとうございます。

>下位者が上位者にものを申すことはパワハラとは通常言いませんね。「抗議」「反発」では無いでしょうか。<

通常の使い方は、その通りと思います。ところが「厚生労働省が明文化したパワーハラスメントの定義は『職場のパワーハラスメントとは、同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為』。なお、優位性とは、職場における役職の上下関係のことではなく、当人の作業環境における立場や能力のことを指す。下位者でも、ある点で優位性をもつ者が上位者に苦痛を与える行為はパワハラという」のだそうです。(NHKの番組でも、そう言っていました)まあ、その言葉の使い方は重要なことではないでしょうが。

>雅宣総裁は決して追い詰められていません。総裁は想定内の事だと思います。根拠は、通常の彼の頭脳では今回の件、地裁で負けたものが最高裁で何とかなるとは絶対に思っていないはずです。わたしが想像するに、最高裁でも負けたのだからという大義名分の上で「仕方がない」と『生命の實相』を諦めさせて、自分の考えを「真理」とする機会と考えていると思うのです。<

この点については、その通りであることが判明すれば、私は雅宣総裁を見限って、現教団からきっぱりとおさらばします。それは、すでにはっきりと宣言しているとおりです。(>>1204
が、現段階では、役行者様が「そんなことはないと思われる」とおっしゃってますので、一応それを信じて、成り行きを見守っているところです。

>(「教修会」で)「雅春先生も間違えることがあるのです、いや間違ったのです」という雅宣副総裁の衝撃発言を覚えておられますか。<

覚えています。それは(雅宣副総裁の方が)間違っている、と思いました。

>懺悔と謝罪がなくて(これはお互いに)和解などが実現できるとは到底思えません。<

その通りであると思います。
「懺悔と謝罪」──今までのことを考えたら、それはほとんどあり得ないことかも知れませんが、私はその「奇蹟」が起こりうることを、まだ愚直に思っているのです。一人ぐらい、そういう馬鹿者がいてもよろしいのではないでしょうか。村上和雄先生は『アホは神の望み』『奇跡を呼ぶ100万回の祈り』という本も書かれています。その「アホ」を貫いて、できる限りのことをしたいと思っているのです。どうぞ、アホをお認め下さい。

1387志恩:2012/03/06(火) 04:35:32 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

弟様がご帰幽されたそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。

私の母も兄弟姉妹も,親戚も、50年以上続けてまいりました聖使命会員を、全員やめました。普及誌の年間購読も、全員やめました。
もう,講習会にも、われわれは行きません。脱原発の話し等、聞く気になりませんので。
総裁の事は,何十年とみなで祈り続けてまいりましたが、それだけ、総裁に対して、大失望しているということです。
私だけは、白鳩誌のみ、年極めで拝読していますけれどね。(以前は、全誌を購読)

総裁が、雅春先生を尊敬しているお方に交替すれば、全員,戻るつもりでおりますが。
それも、ないようです。
現総裁は、今も凝りもせず、信徒の浄財をつぎこんで、最高裁へ上告。裁判を重ねております、これ以上、かれの
裁判費用の協力は、したくありませんので、やめました。

われわれは、独自で生長の家を、明るい気持ちで生きていく所存でおります。

1388志恩:2012/03/06(火) 05:38:56 ID:.QY5jUA6
トキさま

浅野和三郎氏著「新樹の通信」を読まれたそうですね。私が、ときどき引用しておりました心霊秘話の竹内氏は、その浅野氏の流れのお方です。
(浅野和三郎氏は、日本の心霊会の第一人者。)
私はまだ「新樹の通信」は読んでいませんでした。SAKURAさんも注文されたそうですが、私もアマゾンコムへ注文したところです。

1389役行者:2012/03/06(火) 07:18:07 ID:5hSWQZlE

 復興Gさま

 おはようございます。
 お久しぶりです。 

 突然、姿を消されたのでどうされたかと思っていました。

 弟君のご不幸、悼み入ります。また、心よりご冥福をお祈り申し上げます。



 弟君のご不幸とは露知らず、突然の消息不明(^_^;)に心配をしておりました。
 生長の家教団と離縁してしまわれたのかと・・・


 さて、


  >>雅宣総裁は決して追い詰められていません。総裁 は想定内の事だと思います。根拠は、通常の彼の頭 脳では今回の件、地裁で負けたものが最高裁で何と かなるとは絶対に思っていないはずです。
 わたしが 想像するに、最高裁でも負けたのだからという大義 名分の上で「仕方がない」と『生命の實相』を諦め させて、自分の考えを「真理」とする機会と考えて いると思うのです。<<

 という元職員さまの投稿に対して、


>この点については、その通りであることが判明すれ ば、私は雅宣総裁を見限って、現教団からきっぱり とおさらばします。
 それは、すでにはっきりと宣言 しているとおりです。( >>1204) が、
 現段階では、役行者様が「そんなことはないと 思われる」とおっしゃってますので、一応それを信 じて、成り行きを見守っているところです<

 取るに足らない私の言葉を信じてくださり、ありがとうございます。
 確かにいままでなら、数十年もの間、現総裁と同じ職場で仕事をされたと謂われる元職員さまの判断が、適切かと存じます。
 
 しかし、今回ばかりは状況が違うと思うのです。生長の家の根本聖典・聖経が失われようとしているからです。 

 以前挨拶版にて、新参者さまに返答するとき申し上げましたが、ギリギリまで和解を提唱し、信じ抜きます。

 すべての方々が生かされ、大いに人類光明化運動に貢献するであろう生長の家を心から祝福します。

           合 掌

1390ももんが:2012/03/06(火) 10:05:24 ID:XXCuaQns
素晴らしい神の子の皆様、おはようございます。本日も、雨が降って、寒いですね。それでも、昨日、梅の花を見た時は、希望と、元気と、明るさが、沸いてきました!さあ、明る心で、本日も素晴らしい日にいたしましょ。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。



〜知恵の言葉 より〜

『隠れたところてにて人を賞(ほ)めうる人となれ、その人の心境は朗らかである。』


いま、『生命の実相』と同時に、”『ありがとう』はすばらし“拝読中ですが、シオリの言葉に、こんな、言葉が、あり、心に止まりました。”人を讃える”とは、難しですね。
カトリックの教会でも、ミサの時、必ず、前後左右の人を“祝福”しますね。
生長の家の“賛嘆”の風もこうした、事のに“原形”がある様に私は、思い、いつも、素晴らしい、“行い”だと、思って、実行してるつもりです。

それでは、皆様、本日も、素晴らしい日を、お過ごしください。いつも、御拝読、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1391元職員:2012/03/06(火) 11:36:31 ID:???
復興Gさま、そして役行者さま

 ありがとうございます。お二人が心底「生長の家人」でおられることに感動しました。
みなさまの祈りが実現しますようにと私も祈りたいところですが・・・

最後まで(ギリギリまで)信じてお祈りになると申されますが、その最後のギリギリとはいつのことでしょうか。
最高裁が上告を棄却した時でしょうか。その敗訴決定が出た後の行動を見守ると言うことでしょうか。

のちの行動を待っている・・・また長く長くかかりそうですね。

私の場合、雅宣総裁が総裁代行になってから清超先生を完全に無視して教団の人事や決定を行ったことを確認する
場面があり、その時に完全に「終わった」と思い退職しました。
中心帰一を唱えながら、本人は総裁に帰一していない。それだけではなく創始者の雅春先生を「間違っていた」と
評価しながらその同じ口で「われこそは法燈継承者」と宣言するありさまは、私の目には狂気と映り退職を決意しました。

 その後のお父上の葬儀における非人道的なありさま、なりふり構わない裁判。自分のわがままを通すために職員やその家族まで巻き込んで
森に引きこもる姿。

わたしは、皆さんと違いずいぶん前から奇跡を待ち、そして10年前に待ちくたびれて清超先生が総裁代行に権限委譲をされた時点で
最後のギリギリの線が消えた失望で退職した者ですので、このたびの裁判の様子を見ていて「相変わらず酷いものだ」と感じていますから、
何も変らないと残念ながら想像できるのです。

しかし、奇跡は起こることを信じたいし今でも祈ることは欠かしていません。わたしも生長の家ですから今でも心は・・・

1392元職員:2012/03/06(火) 11:43:42 ID:???
>>何も変らないと残念ながら想像できるのです。
とは
谷口雅宣さんの方針や方向性や性格は・・・という意味です。

1393神の子さん:2012/03/06(火) 12:50:07 ID:???
元職員様

占領された街から逃げ出されたわけですね。

占拠される前にできる事があったはず。現場にいたのだから。

でも、何もせず、さっさと住民を見捨てて逃げ出した。


職務放棄せず最後まで街に残る人々を、非難される事に大義名分は要りません。

やりたいようにやっているだけ。

街の外から野次馬仲間と囃し立てるお姿は、実に楽しそうです。

1394元職員:2012/03/06(火) 13:11:59 ID:???
名無しの神の子さん

貴殿がどう受け止められようとそれは自由です。

私が何をしてきたかは知っている人は知っています。
その結果、どのような仕打ちになったかも知っています。

何もしないで(出来ないで)イエスマンになり、教団を教区の思いと反対の間違った方向へと導き、
さらに、本部に居続けて信徒の浄財で暮らすことは私の魂が汚されると共に<信徒の皆様に申し訳なく
思ったから退職の決意をしました。

そのまま残って何かをされるのも、その人の自由です。
ところで貴方はなにをなさっているのでしょうか。内部からの具体的な改善案をお持ちですか。

私の知り合いには野次馬はおりません。立派な志をもった信仰者ばかりです。そういう意味では私は恵まれています。

楽しそうに見えますか。それはよかったありがとう。貴方も楽しく明るい人生を送ってください。

1396役行者:2012/03/06(火) 13:26:51 ID:5hSWQZlE
 元職員さま

 割レス、失礼いたします。
 大いに、語り合っていただくこと、心より希望します。
 
 >しかし、奇跡は起こることを信じたいし今でも祈る ことは欠かしていません。わたしも生長の家ですか ら今でも心は・・・ <

 言葉になりません。
 生長の家を心から愛しておられることが、文面に滲み出ておられます・・・


 >最後まで(ギリギリまで)信じてお祈りになると申 されますが、その最後のギリギリとはいつのことで しょうか。
  最高裁が上告を棄却した時でしょうか。
 その敗訴決定が出た後の行動を見守ると言うことでしょうか。
  のちの行動を待っている・・・また長く長くかかり そうですね。 <

 正直云いまして、上告したときにはビックリしました。まさか!!
 という驚愕の気持ちでした。生長の家教団の幹部以外の方は、殆ど端っから勝てると思ってならったのですから・・・そ
のうえでの上告です!
 あのときは一生懸命に訴えました。その甲斐もなく・・・

 兎に角、1日もはやく、元の生長の家に戻ってもらいたいとの思いです。

 また、本流対策室にて、トキさんが下記のように投稿され、


 >教区の立場としては、早 く和解をして欲しいし、もし、和解の前提条件とし て、総裁の過去の言動や 指導が問題になっている場合、進退は別にしても 率直なお詫びや訂正はお願いをしたいと思う次第で す。
 別にそれを実行しても 総裁の威厳や尊敬は損なわれる事はないと思いま す。 <


 と、その返答に元職員さまが、


> 1922: 元職員さま
2012/03/05(月)

  トキさま ありがとうございます。
 社会事業団と原宿教団の雅量が試されるときですね。
  わたしは、社会事業団の理事長の雅量を信じていま す。し、教団理事各位の良心の発動を信じています。<

 と、コメントされておられます。
 きっと、奇跡が起こると信じています。
 そして、和解後に、みなとも集い、同じテーブル上でケンケンガクガク、大いに語り合っている姿が目に浮かびます。

         感謝 合掌


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