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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1330ももんが:2012/03/01(木) 23:44:35 ID:XXCuaQns
>>1324

ハマナス様


ハマナス様、いつも、素晴らしい投稿文拝読するたびに、心、洗われる思いです。感謝敬白、合掌、拝。


<<1324:ハマナス
12/03/01(木) 23:12:45 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま、こんばんは。

昨日とは変わって、今日は立教記念日にふさわしい晴々とした良いお天気でした。
話しに寄りますと、本部会館は大勢の人でいっぱいだったそうです。
心からお祝い申し上げます。
     
三 月  万物めぐむ (『光明道中記』より)

      美 的 価 値 と 行
 
人間は宇宙の生命が咲き出でた美花である。それに気着かぬに人が多いのは
悲しむべきことである。人間自身が花であると云うことに気が着いたならば、
人間はただ美しく生きることに懸命になれるに相違いないのである。
人間の価値には、美的価値と、道徳的価値と、経済的価値とがある。経済的価値とは
物の生産と消費との関係に於ける価値である。経済的価値を生産のみにあると思う
のは間違である。生産と消費との調和に価値が生まれるのである。道徳的価値とは
人間の心に生じたるものを行為に表すところの価値である。経済的価値も、道徳的
価値も、行(ぎょう)を通してのみ、その価値を成就する。美的価値は離れて観る価値
であるから、行と最も縁深いところの価値であるが如く思われる。 併(しか)し、
「美」もまた行(ぎょう)を離れて存在し得ない。「美」は紋理であり、相(すがた)で
あるが、相もコトバの振動によって展開するから、行(ぎょう)なくんば美もまたないのである。

     三月一日   栄光を見る日

 われわれを神が造った。 神と呼ぶのが嫌やな者は生命と言っても好い
                      (『生命の實相』第七巻)

人間の受胎はすべて神性受胎であると云うことである。「斯かる人は血脈(ちすじ)
によらず、肉の欲(ねがい)によらず、人の欲によらず、ただ神により生まれしなり。
言(ことば)は肉体となりて、我らの中に宿り給えり我らその栄光を見たり」
(『ヨハネ伝』第一章)その栄光を見ることが悟りである。われを肉欲によりて
生れたる者と観ず、われをただ神によりて生れたと観るのである。彼を、汝を、我が
親を、子を、良人を、妻を、すべての人々を神によりて生れしものなりとして観るの
である。そこに人生ならぬ「神性」が始まり、肉生(にくしょう)ならぬ霊性
(れいしょう)は始まり、自分の周囲に住む人々は悉く「神より生れし人々」となる。
かくて自分の周囲は神の国となり、天国となり浄土となる。

 観の転回である。「観ること」が転回して見られる世界と、観られる人間との貌
(すがた)が変る。「菩薩心浄ければ浄土浄し」暗黒を見る心が一転して栄光を見る
心になるのが悔(くい)改めである。
 
「光は暗黒(くらき)に照る。而して暗黒は之を悟らざりき」(『ヨハネ伝』第一章)
栄光は照り輝いているのである。栄光のほかに何もののない。されど暗黒は之を悟ら
ないのである。人はすべて神の子である。神性受胎である。吾れ今呱々(ここ)の
声をあげてその栄光を見る。>>



二元化した世界を脱却するには、

“神に全択する”しかないですよね。


いつも、素晴らしい教えをありがとうございます。
ハマナス様には、真に、教えられます。

ゆっくり、おやすみください、いつも、心尽くしの言葉、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。


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