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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板
1097
:
トキ
:2012/02/13(月) 22:48:54 ID:Tydet.8s
>>1092
ももんが様
寒い日がつづきますが、ご高齢と拝察するももんが様が元気なのは驚きます。
私も見習って、元気にがんばります。
では、おやすみなさい。
合掌 ありがとうございます
1098
:
トキ
:2012/02/13(月) 22:50:03 ID:Tydet.8s
SAKURA 様
すばらしいご投稿、ありがとうございました。
深い内容ですから、少し考えてから書きます。
感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1099
:
うのはな
:2012/02/13(月) 22:57:50 ID:El6gIMAw
真空妙有の宗教 『幸福の原理』谷口雅春 先生著より
ここで申し上げたいのは、生長の家は佛教家から時々、「あれは正当の佛教でない。
あれは外道だ」というような批評を聞くことが往々あります。併し外道が悪いということではないのです。
外道というと、外の道と書いてあるのですが、お化けのことでも鬼のことでもない。外道というのはお釈迦さんの
説いた佛教ではないというだけのことです。キリスト教などもお釈迦さんが説いたのではないから外道であります。
佛教よりも立派な道が外道にあるかもしれないのであります。
橋本徹馬氏の『紫雲荘百話』という本の中に、生長の家の批評を書いてあるところがあります。
氏はヘッケルの『生命の謎』という書物を引用して、物質は無・ただ生命のみ實在するというと、結論に導いているのですが、
その書の一節に、ある佛教の大家が生長の家は佛教の本物でない。
こういう批評をしているけれども、佛教の本物で挙げているような功績よりも、まだまだ實際に色々の奇蹟を現わし、神秘を現わして、
人間を一層本当の人間たらしめ、死生を超越せしめ、世の中を實際に救っているような点から言ったならば、佛教の本物かうそ物か、
そんなことはどうでもいいではないか と言って批評を書いていらっしゃるのであります。
橋田邦彦氏の本にも「あんなに佛教が何派にも岐れておって、みんな自分が正しい正しいと被仰っている。
これを思ったならば、佛教の本物なんてどれか判らないじゃないか」と書いてありました。
印度渡来の本物であろうが、舶来でなかろうが、日本で出来たものであろうが、出所が何所かということよりも、
その教えが真理であって、もっと立派に役に立ったらその方が却って好いのであります。
1100
:
うのはな
:2012/02/13(月) 23:12:55 ID:El6gIMAw
佛教と生長の家とは、無我全托(帰命無量寿如来)の精神に於いて、素直に「ハイ」と
随順する精神に於いて、非常によく似ているけれども、最後に重大なところが異うのであります。
それが異うと解る人は偉いのであります。
好い加減に見て、原始佛教も生長の家も同じだ位に思っている人もあるけれども、あれは一寸異う。
日本大乗佛教になったり、法華経の如来寿量品のところなどは生長の家と同じであります。
けれども、小乗佛教、原始佛教とは一寸異うところがある。
何も日本の佛教が印度そのままの佛教、印度や唐宋に現われた正統の佛教でなければならぬことはない。
例えば印度の棉よりも日本の絹の方が上等であれば、何も印度から来た棉ばかりに頼る必要はない。
日本の絹に頼っても好いように、日本的な佛教が出来てもよい。
また出来なければならぬと思うのであります。
『幸福の原理』P67 谷口雅春 先生著
1101
:
復興G
:2012/02/14(火) 06:16:49 ID:ojEbkDH2
志恩さま
a hope さま
私の
>>1079
の書き込みにコメントをくださって、ありがとうございます。
志恩さまは、すぐさま打てば響くような反応をくださいました。
a hope さまには、再度貼り付けまで、して頂きました。
うれしくありがたく、感謝しています。
私の反応が 遅くて、失礼しました。ごめんなさい。
今まで、生長の家における「法燈継承」と言えば、それは即「総裁の法燈継承」いうことでした。(平成15年度生長の家教修会の記録『歴史から何を学ぶか』の研究発表でも、そうなっている)
しかし、私はここで「信徒の内なる法燈継承」ということが大切と、考えました。考えたというよりは、「ひらめいた」というべきでしょうか。
「法燈継承」は、他人事(ひとごと)ではないのだ。信徒一人一人の中に信仰の火を燃やすという「法燈継承」が行われてはじめて、総裁の法燈継承ということに真実の意味をもたらし、本当の光が、よろこびがわき上がってくるのではないか。──という思いが、湧き上がってきたのです。
『生命の實相』第6巻第1章の冒頭に、
<「生長の家」が人類に告げんとするところは、人間の実相のなかにすでにすべてのものが備わっている、外に求むるよりも内に求めよということであります。>
とあります。
また『叡智の断片』49頁以下には、『臨済録』のご解釈として、
<悟りというものは、一切を外的原因だとして、責任を外に負わしていた者が、一転一切の責任は自己にありと、脚下照顧、自己に反照して、一切万事吾より出でて吾に還ると知ることである。外に神を求め、社殿に廟宮に寺院に教会に跪(ひざまづ)いて、此処に神仏があり自分を不幸にも幸福にもする力ありと思っていた迷信から一転して、汝の祖師、釈迦仏もキリストも汝の内にあり、功徳の本源は自己の内にありと自覚する事が真の宗教であるのである。引用せる臨済録の「馳求(ちぐ)の心」とは外に求める心であって、「外に求めていた心を歇(や)めてしまったら、汝は、すなわち、今直ぐ仏と同体だ。汝、仏が何処にあるか知りたいと思うか。では教えてやろう。此の眼の前で仏法を聴いているそいつ(汝)が仏そのものじゃ」と一喝したのである。>
とご教示いただいています。
無門関には、“内外打成一片(ないげだじょういっぺん)”という言葉が出てきます。
<無門禅師は、倶胝(ぐてい)の“悟り”も、若い侍者の“悟り”も、指の上にはないといいます。では、何処にあるのか...
それは、自己を“無”にした時に見えてきます。
眼前するリアリティーの世界を観じる時、世界という自己が、世界という自己自身を見つめている関係になります。私は目の前の風景であり、雲であり山であり川であり...その私が、風景そのものを見ています。雲が、山が、川が、それ自体を見つめています。この時、自己が“無”なっています。二元的自己を超越し、“内外打成一片”が実現しています...>
──ということだそうです。これだ! と思いました。
これです。「法燈」も外にあるのではなく、わが内に、すでにある。すでに与えられている。それを本当に自覚したとき、外なる総裁の法燈継承と“ピタリ”と一つになり、「内外打成一片」となって、実を結ぶのだと思います。総裁が法燈を継承されても、信徒がただ奴隷のようにそれに従うことで、神の国が実現するというのが生長の家の教えではないはずです。
「人類光明化運動指針 第9条」に、「生長の家大神──総裁・副総裁──御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である」とありますが、「光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である」とも書いてあって、「神意が中心」なのであります。「肆意(しい)が中心」ではないのであります。神意は、己を無にしてすべてを礼拝する心になったときにあらわれるものだと思います。
<つづく>
1102
:
復興G
:2012/02/14(火) 06:17:59 ID:ojEbkDH2
<つづき 2>
谷口雅春先生が晩年に、『動向』という雑誌に《耿耿(こうこう)の言》としてしばらく連載で投稿されたご文章があります。「耿耿」の「耿」には、<耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない>という意味があり、「耿耿」は、<心が安らかでない。気にかかって寝付かれない>という意味です。引用させて頂きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『動向』誌所載
《耿耿の言》
谷口 雅春
暴力から合掌へ ─ 学内暴力の一掃策 ─
毎朝わたしは神前に坐して『甘露の法雨』又は『天使の言葉』の如き生長の家の聖経を朗読することにしているのである。その聖経の中に「一つの物体(光源)の周囲に百万の鏡を按きて相対せしむれば百万の光を発せん。人は神より発せる光であって甲乙丙丁互いに相分れて別々の存在と見ゆれどもすべて“神”なる一つの光源の反映であって、本来一つの光であって、すべて一体であるからその実相を自覚すれば互いに愛と讃嘆の念湧き起らん」という意味の事が書かれているのである。それを読みながら近頃、頻々として起っていることが報ぜられている教師と生徒との間に於ける反感や暴力沙汰は、この真理を互いに自覚すれば、教師と生徒との間に起る反感や暴力沙汰は自然に消えてしまうのに!! と思いながら、日本の文部大臣にこれ位のことがどうして出来ないのかと歎息の溜息を吐いたのであった。
教師と生徒とが一つの大生命(神)より発した光であり、互いに兄弟姉妹であり、互いに愛と讃嘆の念が起るならば、教師と生徒との間に起る暴力の原因が消えてしまうのである。こんな簡単明瞭な真理がどうして現代の教師にも生徒にも解らないのだろう。すべて教師と生徒との両者に生長の家の説く真理を会得さしてしまえば、それで万事はOKである筈である。それが出来ないのは皆な唯物論者であって、互いの神性を拝むということを知らないからだ。
そう思ったとき、私はもう数十年も前の事であるがこんな記憶があるのを思い出した。大阪の難波の駅から急行電車に乗って和歌山へ私は行くことになっていた。その時信徒の人たちが多勢私を見送りに来て、皆々私の方を向いて合掌していた。私も見送りの人たちに向って、列車の窓に両肘を突き窓から半身を乗り出すようにして合掌していた。肉体の形が合掌しているのではない。互いの魂が相互に合掌して礼し敬しているのである。
その時、ひとりの男の人が私のいる列車の窓口ヘつっと近づいて来て、私を合掌して拝んだ。そして云った。
「私は今日、刑務所から出て来た者であります。娑婆へ出て来たけれども、どうして今後生活すれば好いか見当が付かないのでした。しかし私は先生の合掌していられるそのお姿を拝しました。そして私は今後どのようにして生活すればよいかを知らして頂きました。」
私は列車の窓から腕を突き出して、その男の人の手を握った。「兄弟よ、あなたは“神の子”である。如来である」と私は心で念じた。
今、日本の諸方の学校で起っている校内暴力はどうして起るのであるか、総理大臣も文部大臣も唯、拱手傍観していて、「暴力者は悪い奴である」と念ずるばかりで為すべきすべを知らないらしいのである。そして此の暴力沙汰を引き起す原因については何ら御存知ないらしいのである。本当の暴力の起る原因は教師の「心」の中にあるのだ。
(註)その暴力者を「悪い人である」と念ずる教師自身の「心」の中にあるのだ。
<つづく>
1103
:
復興G
:2012/02/14(火) 06:18:51 ID:ojEbkDH2
<つづき 3>
谷口雅春先生が晩年に、『動向』という雑誌に《耿耿(こうこう)の言》としてしばらく連載で投稿されたご文章の続きです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『動向』誌所載《耿耿(こうこう)の言》より
谷口雅春先生 (承前)
現在、学校で教職についている先生方は自分の知りている知識を生徒に授けるのが教職者の仕事であるとのみ思っているらしい。“授ける”“受ける”の立場に立って、先生と生徒との関係は、上位と下属との関係であると漠然と思っている先生が多いのではあるまいか。なまけていて進歩の少い生徒は劣等の人間であると、先生はその生徒を軽蔑する。生徒は教師の自分に対する軽蔑を先生の表情又は雰囲気で直感する。生徒はこんなとき先生よりも霊感的であり、先生の軽蔑心をすぐ直感的に身を以って体感する──“何クソ”と生徒は先生に反感を起すのだ──もうこうなったら“正しい教育”は成り立たないのである。生徒は先生に対して敵意をもつ。生徒の教師に対する校内暴力は此の敵意のあらわれであるのだ。
私は老齢既に卒寿を越えて脚腰の動作が不便であり、坐位でも椅子でも直立でも、相当時間一定の姿勢をつづけて講義することは勿論、執筆すらも長くつづけることができない。併しもう少し若かった頃公会堂その他の大会場で、皆に話すために演壇に立った時、いつでも聴衆に向って私は低身合掌して「皆さん、ありがとうございます」と先ず礼拝の言葉を演べた。私は講演するとき、相手を見くだして教える心で立ったことはない。
皆なを拝む心で演題に立てば、皆なが話者を拝んでくれるのである。演者は別にその効果を期待して、聴衆を合掌して拝んでいるのではない。真理の講話を話しに来る者、またそれを聴講に来る者、倶に深い因縁のあることである。
学校暴力とか校内暴力とか云う乱暴な出来事が起るのは、教師も生徒もその深い因縁に気付かないで教師が、“生徒を拝む心”で講壇に立つのではなく「万一の事が起った時には護身のために必要だから」と理窟づけして、教師の方がポケットに護身用ナイフを忍ばせて演壇に立つからである。即ち、相手を傷つける想念は隠し持ったる護身用具に随伴する。想念は造る力であるから、自分の予想するものが形の世界にあらわれて来て、自分を傷つけ又、相対する相手を傷つけることになるのである。
私は中学時代大阪市岡中学で学んだのであるが、教師は演壇に立ったとき、生徒総代又は級長が号令をかけて「先生に礼拝……直れ」などと音頭をとって「形式的に敬礼」させるのでは軍隊式で、形式が先に立って「先生に礼拝する」ごとき魂で恩愛を感じて自然にお辞儀が出来てくるのとは違って、強制される礼儀形式ばかりが先に立つ。生徒の中にはそんな形式的な命令に従ってお辞儀をさせられる事は、「自由を縛る束縛だ」と反感を懐きながらお辞儀をしている者もあっただろうと思うが、私もそれ等生徒の一人であった。尤もその時代の中学生と先生とは、弟子と師と云うような階級的な次元に於いて対立感情で向かい合っているのではなかった。儒教的な「三尺さがって師の影を踏まず」という「礼」の秩序性が表現されたものであって、先生と生徒とは互いに共学の研心の同朋であった。相互は、学校の授業時間だけに於いて共学研心の同朋であるだけでなく、学校の授業時間を了えて校外に出ても、先生と生徒とは何らかの意味に於いて研心の同朋であった。あの時代の中学教師と中学生との精神関係を喚び戻すことが出来れば楽しいと思う。私は数学の時間に幾何や代数の問題で先生に屁理窟を云うと、先生は「もう谷口君にかかったら負けだ」と笑いながら云った。尤も、それは同様な性格をもつ先生と生徒とである場合に於いては一層、この事実は研心の同朋たる人間関係を明らかに実現していたように今でも思う。今でも先生と生徒との関係が愛情によって結ばれていたことをなつかしく思う。
茲で云う教師と生徒とが互いに懐かしく愛情を以て結びついていると云う表現によって、私は決して性的又は同性愛的に結びつくことを指すのではない。教師が本当に生徒たちに皆一視同仁的に各々の生徒を愛の心を以って立ち向うならば、教師の表情が愛に満たされた様子で、常にどの生徒に対しても同様に立ち向うことになる。その時には黒住教祖の宗忠尊師が
立ち向う人の心は鏡なり
おのが姿を映してや見ん
と、いみじくも詠われた状態が現れて、生徒はその教師に対して親愛の感情を感ずるのである。これは空想ではない、現実に成り得る問題だ。
<つづく>
1104
:
復興G
:2012/02/14(火) 06:19:40 ID:ojEbkDH2
<つづき 4>
谷口雅春先生が晩年に、『動向』という雑誌に《耿耿(こうこう)の言》としてしばらく連載で投稿されたご文章の続きです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『動向』誌所載《耿耿(こうこう)の言》より
谷口雅春先生 (承前)
しかし教師が生徒に対して、各自の勉強能力や熱意がどうあろうとも、一様に親愛の感情を以て臨むということは、余程人格の練れた教師でないと難かしいであろう。何でも自分(教師)の演壇に立って言うことに対して目を輝かして聴き入っている生徒は、自分(教師)を愛している(又は“好き”である)と教師は感ずる──その感じは忽ち教師自身が、その生徒を特に可愛く感ずる感情を喚び起す。ある一人又は数名の理解の優れた生徒に対して教師が起した愛情は、常に各学科の成績が悪く点数が少い生徒に対して起した愛情とは全く同じものでないことは已むを得ない。けれども本当の愛は、拙い性格をもった子供ほど親からみたら不憫であって可愛くて仕方がないほどに愛しなければならないのだ。しかし、私は教師たる者に対して云いたい。学業優秀なる生徒をより一層愛する差別の愛は、神の愛ではない。人間の好悪の感情によって遮られたる月蝕の如き愛である。教師たるものは本当は「真理の人格化」でなければならないのだ。イエスは「神は善人にも悪人にも同様に光を与え給う太陽の如き愛である」と教えて居給うのである。また神の愛は雨の霑いを善人にも悪人にも与え給うが如き、平等の愛であるとも教えられているのである。
けれども、“神の子”たる人間はその平等の愛を受けながら、渇いて病む人もあれば、洪水に流されて財を失い、家を失い、自分の体も被害を受けて病死する人もある。神の愛は「平等」でありながら「受ける側」から視ると、その祝福を受けながら被害者となり、祝福の重荷に立ちあがることが出来ない人間もある。
生長の家の箴言には、いつも天気に対してお礼を云う気持で“神様、好いお天気を与えて下さいまして有りがとうございます”と念ずる習慣のある人は、天気に祝福されて、その人が旅立つときには好天気が常につき添うて下さるのである。
もう十数年も前のことであるが、私たち夫婦は各国を身を以て知るために世界旅行に出掛けたことがある。ドイツを廻った時の季節は、朝晴れているかと思うと数時間もすると雨が降る「秋しぐれ」の季節であった。ドイツで私たち夫婦を道案内して下さった方は、日独交換教授として、ドイツに駐在中の日本の早稲田大学の独逸語教授の山田先生であった。山田先生は「ドイツのこの季節にはいつ時雨るかも知れませんから雨具を用意してまいりましょう」と時々云われたが、わたしは、「常に天気に対して私たちはお礼を云っていますから私が観光に出掛けている時間には雨は降らないでしょう」と答えたものである。そして“雨降る”予報の天候は、私の言った通りに私たちが宿舎に帰ってから降り始めるのであった。私たちの案内役をつとめて下さった山田先生も、天候が私の云う通りに適当に変化するので偶然としてはあまりに不思議だと感心していられた。
近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候があまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うのである。古への為政者はこのような時、自分たちの政治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっている点があるのを御気付けして下さるのではなかろうかと反省して、行政の姿勢を正したものである。今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰の世界であるから、為政者にして、
「罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生みし子なれば」
とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないのである。現下の日本に必要なものは、何よりも為政者の心の姿勢を反省することである。今こそ私は「教育勅語」の復活を中曽根総理大臣に宣言して頂いて、為政者自身の心を浄めることを「第一の事」として、先ず何事も第一の事を第一に為し、国民総じて実践する道を行く扉を開かれんことを希望するのである。今、日本の為政者が教育勅語の実践的復活をみづから提唱し、みづからが率先して実践せられるならば、想像もつかない教育界の大なる浄化作用が滔々として起ることを期待して、その実現を私は待ち祈るのである。
※ 耿耿(こうこう):耿=耳がひらいてあきらか。目がさえて眠れない。耿耿=心が安らかでない。気にかかって寝付かれない。
1105
:
ももんが
:2012/02/14(火) 07:28:55 ID:XXCuaQns
皆様、トキ様、おはようございます。今日も、素晴らしい朝が、やって来ました!さあ、元気に、明るく、ありがとう!と、頑張っていきましょう!感謝敬白、合掌、拝。
いや、朝から、志恩様に悪言を吐かされて、しまいまして、志恩様、どうもすいません。
まだ、まだ、簡単に、ありがとうの雰囲気をだせないですね。
でも、頑張って、本日も、ありがとうをたくさん、言いますよ!
それでは、トキ様、皆様、社会にありがとうを、振り撒きましょう!ありがとうございます!合掌、拝
1106
:
役行者
:2012/02/14(火) 08:17:46 ID:XZ18itA6
合掌
復興Gさま、お待ちしておりまた。
> 近頃、日本の国では人間界だけではなく、天候が あまりにも傷ましいほどに大自然の暴力を揮うので ある。
古への為政者はこのような時、自分たちの政 治のあり方に、天意に背く間違ったやり方を行なっ ている点があるのを御気付けして下さるのではなか ろうかと反省して、行政の姿勢を正したものであ る。
今は民主主義の時代であって、何事も人民主宰 の世界であるから、為政者にして
罪あらば我をとがめよ天つ神、民はわが身の生み し子なれば
とお詠みになった歴代の天皇の大御心を自分の政 治の上に復唱する者は、既に為政者の中心にないの である。
現下の日本に必要なものは、何よりも為政 者の心の姿勢を反省することである。<
ありがとうございます。
雅春先生が現代民主主義に批判的だったのは、生長の家の用語を使えば、【一切者の自覚】つまり、責任、また、「このような状況になってしまったのは自分の為政に問題があったためだ!」と自省され己を進化向上させていった、消えゆく古き良き時代の日本人を偲んでのことだったのでしょう。
己の我を通そうとする人民主催の民主主義では、確かにトラブルの連続でやがては滅んで行くのでしょう。そこには徳がないからです。
また、我と我のぶつかり合いになるからです。
「このような状況になったのはすべて私の心の姿勢の現れである」との自覚から、反省が生まれ、自他共々、まわりの状況も好転してゆくのでしょう。
すでに一切者の自覚をお持ちになられた天皇陛下をはじめ、為政者ならびわれわれ民に至るまで、このような心の姿勢にて生活をすれば日本の国はますます良くなって行くのでしょう。生長の家もまたしかり!
復興Gさま、ありがとうございました。
1107
:
a hope
:2012/02/14(火) 08:50:25 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
憎み合う心の中には神様は無い
なぜならば、「神様」も「仏様」も憎み合う心や、争う心の中では、
そのほんとうの善いお姿をお現しにならないのですから。
「神様」のお姿はみな美しいものばかり、善いものばかりになって、
この世に現れておいでになるのです。
すべてこの世の善いものは、「神様」のお光なのです。
ですから、「争う心」「憎む心」というような、
「よくないもの」が現れているということは、
「神様のお光」の見えない真暗闇(まっくらやみ)ということなのです。
あなたは、真暗闇の中で美しいものや善いものを見たことはないでしょう。
憎み合いの世界は地獄で、そこには人間の顔をした鬼がいるばかりです。
心の中で憎み合い争い合いをしながら、「神様」や「仏様」を知ろうと思うのは、
ちょうど、この真暗闇の中で美しいものを見ようと思うのと同じことです。
ですから、皆さんがほんとうに神様のおつくりになった、
しあわせな世の中を知りたいとお思いになったら、
まず、「自分は神の子、仏の子である。神の子、仏の子は、
このままで誰とも仲よしになれる素直なよい心をもっているのだ」
ということを考えなければならないのです。
自分は「神の子」である、「仏の子」である、この事がよくわかると、
人間はちっとも無理をしないで、「神の子」「仏の子」らしくなって、運がよくなって来るのです。
みんなひとつの神様仏様から生まれた子供達ですから、その本当のことを知ったら、
みんな神の子、仏の子らしくなって、仲よく運がよくなるのは、なんの不思議もないわけです。
(第三章、終了。 次回、第四章「智慧の生かし方」へ)
みなさま おはようございます。
「立ち向う人の心は鏡なり
おのが姿を映してや見ん」
これが、できるようになると、すべて上手くいきそうですね!
今朝は、この板の、復興Gさまからのボリュームある書き込みはじめ、その他の板にもうのはなさまなどの、
真理の言葉の書き込みがたくさんありました。本当にうれしいですね!
後で、もう一度、ゆっくり拝見するのを楽しみに、a hope はこれからお出かけの支度をします。
今日は、わたしも、ももんがさまを見習って、「ありがとう」できるだけたくさん言って、
「ありがとう」の雰囲気を出せるようにがんばってみたいです。
わたし、この掲示板大好きです!
「訊け」管理人さまも、早く戻ってきてくださいね!
それでは、わたしの大好きな「生長の家」のみなさま、今日も元気にお過ごしくださいね!
1108
:
トキ
:2012/02/14(火) 10:56:40 ID:Jc32ftMk
>>1105
ももんが様
>>それでは、トキ様、皆様、社会にありがとうを、振り撒きましょう!
素敵な言葉のプレゼント、ありがとうございます。
1109
:
トキ
:2012/02/14(火) 10:57:51 ID:Jc32ftMk
復興G様
始めて拝見する御文章です。感激しました。ご紹介、ありがとうございます。
1110
:
ハマナス
:2012/02/14(火) 11:21:17 ID:u5mC.eb2
神の子の皆さま、ありがとうございます。
皆さまの素晴らしい投稿を拝見し勉強させて頂いております。
復興G様が引用下さいました、谷口雅春先生の『動向』に連載された《耿耿(こうこう)の言》の
貴重なご文章、ありがとうございます。
「敵 は な い」 『生活の智慧365章』P,57より謹写
すべての人間は皆、神の子であり、同じように神性・仏性が宿っているのであるから、
本心の於いて悪い人などは決して無いのである。決して本心に於いてあなたを害する人は
ないのである。決して本心に於いてあなたに敵意をもっている人はないのである。
各々の立場に於いて各人は互いに自己を主張していて、時としてその主張が衝突し、互いに
昂奮して傷つけ合うことがあるように見えることがあるにしても、実相に於いては、
一体の生命であるから、昂奮して悪しざまに言い合う事を止め、静かに座して相手の実相が
自分と共に”神の子“であり、互いに調和していることを念ずるならば、やがて、本来
一体なる実相の生命があらわれ、現実世界に於いても調和し得るようになるのである。
「汝の敵のために祈れ」とイエスは教えたが、その本当の意味は汝の敵のように見えて
いる者も、本当は敵でないから、その敵でないところの「実相」を念じてやれという
意味である。これが本当に「愛する」という意味である。
感謝合掌
1111
:
ももんが
:2012/02/14(火) 18:26:09 ID:XXCuaQns
>>1110
ハマナス様
ハマナス様、投稿文を拝読して、実に、感激を受けております。感謝合掌、拝
《《 「汝の敵のために祈れ」とイエスは教えたが、その本当の意味は汝の敵のように見えて
いる者も、本当は敵でないから、その敵でないところの「実相」を念じてやれという
意味である。これが本当に「愛する」という意味である。》》
本当にそうですね。ハマナス様。これを、どう、『実戦』するかだと、何時も、思うしだいです。
ハマナス様には、何時も、勉強させらる、私です。
前回、『碧眼録』のことを、私が、お話した時も、ハマナス様だけは、“平和の雰囲気”を忘れないで、私と、お話しようとして下さいましたね?
私は、その事が、大変、嬉しい、気持ちにさせていただくことが、できました。
あのとき、私のあり方は、ハマナス様に対しては、良いあり方ではありませんでしたね。その事だけは、不作法だなと反省しております。
本当に、ハマナス様ありがとうございましす。
例え、どんな時でも、相手を批判したりしない事は、出来るようで、出来がたい、行為ですね。
まずもって、相手を祈る事からする。
ハマナス様、良き御言葉、ありがとうございました!また、よろしく、お願いします。
感謝敬白、合掌、拝。
1112
:
SAKURA
:2012/02/14(火) 21:28:04 ID:FEa/NNlc
トキ様へ
皆 様へ
【幸福を招く365章】
■汝自身を幸福な神の子と観ぜよ
病気も不幸も何人にも属するものでないのである。
それは群衆の潜在意識の放送を、
個人の潜在意識が受信し易い状態になったときにあらわれた
スピーカーの声みたいなものである。
本人がその声を出していないのであるから、
本人は不幸でも病気でもないのである。
それを自分の本当の姿だと思って苦しんだり悩んだりするところに錯覚があり、
その錯覚を断ち切らないところに、錯覚は錯覚を招んで苦しみを
増大することになるのである。
汝自身を病人だと観る限りに於いて、
汝自身は病人の姿をあらわし、
汝自身を不幸だと思う限りに於て、汝自身は不幸の姿をあらわすのである。
すべからく汝は現象を超越して実相に超入せざるべからず。
(谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
“潜在意識”が、受信されやすい状態になった時は…「実相世界」です。
その様に、解釈しますが…?
病気もない不幸もない…と、わかっても〜〜今の現状は?と…… ><
思いますが…其処をモット!奥深く〜〜〜〜見ていく内に、
必ず!良くなる…!益々!良くなる…!と、繰り返していますが……?
どうかしますと、時折むなしくなる事もありました。
が…その様な時は…
【目を閉じて、一番!楽しかった“思い出”を、思い出しながら…それを、
“一つのドラマ”の様に “スクリ−ン”に映し出して【瞑想…】していきます。
勿論!!“主人公・・・私”なのです〜〜ョ!
だん!だん!深か〜〜〜く!深か〜〜〜く!入っていきまして…
「心がボジティブ感」になり、私は「必ず幸せになれる…!」との確信!
その後…「神想観」しますと…【実相世界…】に突入!!
必ず!!必ず!!「この現象界に現れる…」との確信でしょうかしら〜〜〜ン!
今!!新たに【神様へのアンテナ…】を向けて…“受信”できます様に…
ひたすら〜ひたすら〜♫ “内なる願い”を“神様”へ…「お祈り」しております…。
再合掌
>トキ様は、どのように“解釈”されますでしょうか?
“アドバイス”頂きますと幸いです…。
1113
:
ももんが
:2012/02/15(水) 00:02:02 ID:XXCuaQns
>>1108
トキ様
トキ様、皆様、こんばわ。
合掌、拝。
本日は、嬉しいく、楽しい、1日でありましたでしょうか?
私は、それなりに、明るく過ごす事ができました。
掲示板では、朝、喧嘩をしたりしましたが、職場では、『おはようございます』にはじまり、『お疲れ様でした』で終わりました。勿論、仕事ですから、仲間同士で、揉める様にはなりますが、不思議に自然と、仲良くなれてます。
お客さんや、知り合いにも、『ありがとう』『こんにちは』とたくさん、挨拶できて、気持ち良く、生きられました。
清超先生著書:『ありがとう』はすばらしい、より。
《《この世の中は、コトバで言うことが実現するであって、それ以外の何ものない。だから毎日『ありがとう』『ごくろさん』『サンキュー』メルシー』と言っている人たちには、ありがたいことが次々に出て来るのだ。》》
と、清超先生は、言われているようです。
私も、これは、これからも、実戦して、社会の光明化に尽くして行きたいと思います。
トキ様、管理人として、職員として、大変ですよね。辛いでしょが、耐えがたき耐え、忍び難きを、良く忍ぶ事が、心の肥やしになるはずですよ。もう一人の尊敬者、玄峰老師のテープ聴くと、その実感と勇気を着けてくれます。
生長の家のテープじゃなくて申し訳ありませんが、本当に、聴いて欲しい、テープの一つです。トキ様に特に勧めちゃいます。
では、おやすみなさ。感謝敬白、合掌、拝。
1114
:
ハマナス
:2012/02/15(水) 00:28:17 ID:u5mC.eb2
ももんが様へ
ご丁寧にお返事をありがとうございました。
仕事で帰りが遅くなりこんな時間に失礼いたします。
>本当にそうですね。これを、どう、『実戦』するかだと、何時も、思うしだいです
同感です。生活の中で“実践”する事は、難しいです。
私も、身近な家族の実相を観れなくなり、悩むこともあります。
でも、清超先生がご本の中で、「ピアノと同じように、訓練をすれば上手になる。」と
お書きになられていますので、私も日々、『魂の訓練』をして行きたいと思っております。
あまり、争いや口論が好きではないので、この掲示板だけでなく、他の掲示板でも、
数人の方が喧嘩ごしに悪口を書いたり、お互いに傷つけあうことばを見ますと、
心が痛みます。
ましてや、インターネットで不特定多数の方が見ているとなると、なおさらです。
『甘露の法雨』の中の「懺悔の神示」の中の次のことばを思い出しました。
「懺悔は密室にて行うか、手紙に書きて教えの先達に送りても宜し。
されど暗(やみ)の前に、いたずらに悪評する民衆の前に、罪を暴露しても
何の効なし。暗に暗を照らさしむるとも何の甲斐(かい)かあらん。」
ももんが様いつも、素晴らしいご文章をありがとうございます。
「正法眼蔵」のお話しも毎回楽しみにしております。
どうそよろしくお願い申し上げます。
感謝合掌
1115
:
志恩
:2012/02/15(水) 02:18:06 ID:.QY5jUA6
復興Gさま
1101,1102,1103,1104と、
たくさん書き写してくださいまして、ありがとうございます。
早速プリントアウトして、しみじみ学ばさせて頂きました。
私も,雅春先生が晩年に『動向』という雑誌に書かれた《耿耿の言》のご文章は、初めて拝読しました。
今の生長の家とわれわれ自身に対しての適格な真理のお言葉だと感じました.
われわれ一人一人の、脚下照顧は、たいせつ。
また、
「光明化運動に於いては”人は中心ではない。””神意が中心”なのである」も、その通りだと思いました.
耿耿の言似ついての、コメントは、
1106:
役行者さまが、これについての感想を述べておられますが、私も同感の想いです。
しかし、閣下は、すごいですよね。私より、ずっと年上の、お兄さんでいらっしゃるのに、
パソコンをこれだけ駆使されて、生長の家関係の山ほど持っているといわれる蔵書のなかから、選ばれて
ここへ載せておられるのですものね。さすが、頭脳明晰、東大卒。
話変わり、昔のことですが、雅春先生は、ご普段は、とてもお優しいお方でしたが、虚説に対しては、激しく叱咤されるお方でしたよ。
実相は完全だからと言って、いつも、なんにでも、間違ったことにも、にこにこされてたわけではないのです。
復興Gさまもご記憶かもしれませんが、雅春先生が、東京の渋谷区隠田(お山)にお住まいで、原宿本部へ
お通いになられていた時代、
あの頃、本部では、毎月第1・第3金曜日の、午後1時~3時。
3階の『白鳩の間』で、
雅春先生ご夫妻が、ご臨席されて、直接,信徒と質疑応答してくださる「白鳩会」が、開かれておりました。(たまに、清超先生ご夫妻も、共にご臨席)
参加費は、タダで、毎回、参加者は、300人くらい、廊下の方まで、入り切れないほどの人々で溢れていました。
挙手した人に、マイクを渡し、雅春総裁先生に質問します。すると、雅春先生が、直接それに答えてくださるという大変贅沢な時代でした。
あるとき、ある政治家の奥さんが、いらしてて、マイクを手に話されたのですが、どうも、生長の家を利用されようとしたのかどうか、私は、はっきりは、
わからないのですが、それに答えられる雅春先生は、激しく、その方に怒りましたので、虚説に対しては、こんなに怒られるのだ、と強い印象として残って
おります。
(私は、そのときは、マイクを渡す係をしていました)
1116
:
ももんが
:2012/02/15(水) 07:15:03 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日は、雨天ですが、素晴らしい、朝がやって来ました。さあ、元気に、明るい心で、嬉しく、楽しく、1日、楽しく生活していきましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
《《人から何かをしてもらった時、『ありがとう』とお礼を言うのは当たり前だろ。ところが、そうしないで黙っていたり、無視したりすると相手の人は何となくいやな気分になる。『ありがとう』が欠落するからである。〜
谷口清超先生著書・『ありがとう』はすばらしいの、はしがきの書き始めより〜
全く、そのとおうりだと、思います。
しかし、実生活では、『ありがとう』一つでも、すんなりとは、行かない場面は、皆様もあるのでは、ないでしょうか?
1日、1日、瞬間、瞬間に、その時に、その人に合わせた、ドラマが、待っているようです。
それでも、『ありがとう』の様な、明るいコトバ、プラスになるコトバを、自分の口から、吐き出すように、頑張って、行きたいと、思います!
皆様、それでは、御寒いですから、暖かくして、お過ごしください。御拝読ありがとうございます!感謝合掌、拝。
1117
:
a hope
:2012/02/15(水) 10:20:41 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
第四章 智慧の生かし方
智慧なき味方
或る時、カーシー国の片田舎に親子の大工が住んでいました。
親の大工は頭のてっぺんが禿げて、その周囲にだけ白髪が残っているのでした。
親の大工が木を切っておりますと、一匹の藪蚊(やぶか)来て、その鋭い嘴(くちばし)で、
禿げている頭の真中を針で刺すように蠚(さ)しました。
大工の禿げた頭には、それがまるでナイフで刺されたかのようにハッキリわかりました。
ズンズン蚊の嘴から頭の血が吸い上げられて、自分の血が減ってゆくように感じて、
親の大工は気が気ではありません。そこで側で仕事をしている自分の息子に、
「この蚊の野郎、俺の頭に止まって、まるでスポイトのように血を吸いやがるから、早く敵をとってくれ」と言いました。
息子は父の頭を見ますと、大きな藪蚊が見る見るうちに血でふくれ上がり、
ホオズキのように真赤になっていきます。
それを見ると、息子はその蚊をだだ逃がすのはおしいような気がしました。
「この野郎!そこを動くな。今に敵をとってやるから。」
息子はこういうと、たちまちソッと起ち上がって、道具箱の上にあった大きな手斧をとり出して、
一撃のもとに斃(くたば)れ!とその蚊を目がけて打ちおろしました。
蚊はその瞬間逃げてしまいましたが、大工の親の頭は、二つに割った西瓜のように割れていました。
そしてとうとう、その息子は親殺しで重い重い刑罰に処せられました。
・・・・智慧のない味方は、智慧のある敵よりもかえって味方に仇(あだ)をする。
智慧のある敵は、相手に刃向かうことが損だとわかるので、かえって害をしないものである。
(つづく)
すごく、考えさせられる、お話ですね。
息子は父親のことを愛していたにもかかわらず、父を失い、自分も罰せられたのですから...
たった、一匹の藪蚊のために...
1118
:
「訊け」管理人
:2012/02/15(水) 12:03:52 ID:???
>復興G閣下
激務のため、手短な返答をお許しください。ご掲載文章でありますが、感
動いたしました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
>>1079
真理への道はただ一つ、「人間は神の子だ」ということである。
和解への道はただ一つ、「人間は神の子だ」という「法燈継承」を、全信徒が行うことである。
それなくして、相手を責めてばかりいては「和解」はできず、「和解」ができなければ生長の家はつぶれてしまう。生
長の家が潰れれば、「万教帰一」がなくなり、人類の恒久平和はあり得なくなるのである。
もはや、絶体絶命の時が来たのである。
さあ、「今」全信徒が「法燈」を継承すべく、起ち上がろうではありませんか。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
チ ェ ス ト !!!
・・・信徒はもう、「カスタマー(消費者)意識」、これを払拭せねばなります
まい。そしてそれに代えて「当事者意識」、これを持たねばならぬ、そう考え
ます。仮に総裁が継承しておらねばその法燈、我々が継げばよいのです。
そしてその、継承すべき「法燈」とは何なのか?・・・・・『生命の實相』に語
り尽くされているわけであります。もう我々は聖典の拝読に一心注力ではな
いでしょうか。
また敬愛する榎本恵吾先生は、以下のように語られておられます。我々
が法燈継承するにあたり、重要な視点になろうかと考えております。(行数
の関係で二例のみ掲載)
『試論・波状光明化への道』342項より謹写
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『唯神實相論』は実在そのものであり、高天原であり、生長の家そのものなのである。それ
故、唯神實相論だけではいかぬ、現象も現象としてはある、と云うのは、生長の家の外と言
わなければならないのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
同書347項より謹写
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今此処に『生長の家』人類光明化運動を論ずるに当って、先づ、その運動が伝道としての
ものであろうと学究の運動であろうと、その二つに分ける前に、その運動が『實相独在論』
『唯神實相光明一元論』のそのままの展開として、自己と世界との分裂なき運動として如
何に可能であるかの間題を解決しておかなければならない。解決すると言っても、既にこ
の道は尊師によって説き明かされているのであるから、<<これを再自覚>>すると云う
ことである。・・・(中略)・・・如何にすれば各人一人一人が一瞬一瞬に於いて、全宇宙との
関係において必要且つ充分なる歩を運び得るかの問題である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<耿耿(こうこう)の言に関し>
有名なお話をひとつ。あるクラスが新学年を迎える季節、新担任が生徒
のIQ記録を引き継いだらしいのですが、その記録が「間違っていた」という
話です。
簡単に書きますが、IQの高い子が「低い」と報告されそして、低い子が「
高い」として新担任に引き継がれました。一年後の結果は・・・「IQ低い」と
報告された優秀児ですが、その知能は悪化しておりました。反対に天才
児と報告されたIQ低生徒は、優秀になっていたとか。まあ、「相手をどう見
るのか」がどれだけ重要なことかという、そんなお話でありました(おそらく
閣下はご存知だと思いますが)。教師に於ける生徒を「見る目」ですけれど
も、これだけ大切なのですよね。
さて、大半の信徒が「悪い」と見る指導者ですが、どんな現れがこの三次
元世界に、展開されましょうか。
追伸
同耿耿(こうこう)の言ですがたしか以前、山ちゃん1952様ブログにも
掲載されておりました。久しぶりに拝読しまして感動です。ありがとうござい
ました。
1119
:
「訊け」管理人
:2012/02/15(水) 12:04:38 ID:???
補足
『生命の實相』38巻122項より謹写――
―――――――――――――――――――――――――――――
なんじの愛の乏しきを嘆け。
なんじの心に審判の満ちたるを嘆け。
なんじの心に虚偽の満ちたるを嘆け。
働きを惜しむ心を嘆け。
真理がなんじの心のうちに未だ顕われざるを嘆け。
本物を覆い隠す泥棒のみ
主人公の顔をしてなんじのうちに幅を利かせてい
ることを嘆け。
なんじの物質精神を嘆け。
「本当の汝」はいずこにいるぞ。
それでもなんじは「真理」を悟ったというか。
『生命の實相』を読んだというか。
いな、いな、いな、断じて。
――――――――――――――――――――――――――――――
1120
:
ハマナス
:2012/02/15(水) 14:16:13 ID:u5mC.eb2
神の子の皆さま、ありがとうございます。
今日も素晴らしい一日でありますように。
二月一五日 卑怯を捨てる日 (『光明道中記』P.57より謹写)
自己弁解したい心は卑怯なる潜在意識の作用(はたらき)であって、
多くの人を病気にしている。 (『生命の實相』第四巻)
同情を求めたい心は病気を招き、不幸を招(よ)び寄せる。
みずからを弁護したい心は弱者の心である。それは既に弱き心であるが故に
肉体も傷き、病気に罹(かか)る。それは既に病気の心であるが故に、そんな
心の持ち主が病気に罹り易いのは当然である。すべてを受けると云う心の中には、
全てに対抗するだけの強い自覚がある。すべてを受ける心になったとき病気が治り
易いは、すべてを受ける心は既に強い心であるからである。
「お前がこんなことをしたからこんな結果になった」とは、家庭でも会社でも
よくあり勝ちな争いの原因である。そんな罪を押し附けられたら、進んで罪を
自分に引き受けようと思っていてすらも反抗的に「私にそんな責任はありません」
と言いたくなる。
彼が「失敗(しま)った」と思っている時、なお追及するのは武士の情けを知らぬ
ものである。彼が「失敗った」と思って悔恨の情にかられているとき、「君が悪い
のでは無い、私が悪いのだ」と他から言われたならば、その人は何ぼう感激して
善に復帰するだろう。
1121
:
八百比丘尼
:2012/02/15(水) 14:56:32 ID:j8iOdie.
あっ、「訊け」さまが戻ってらしたわ。良かった。
昨日の彼のブログには、義春さんやかぴばらさま始め、沢山の
ファンからの暖かいメッセージがあって、とてもうれしく
拝見しました。
愛とチョコレートの海で溺れる夢を見ましたか?
何があっても、めげない強い子、良い子。
鉄は叩かれ鍛えられて、名刀になるのです。
ーー鈴夜 居眠り狂四郎(田村正和よりGACKT似)ーー
《 福山キケハル殿、おぬしに恨みはござらぬが、
世の中のモテぬ男たちからの依頼にて、斬らせてもらう。
フッ、フッ、フッ、今宵も妖刀、無想正宗が血を求めておるわ。
円月殺法、受けてみよ!
キケハル「居眠り狂四郎、円月殺法破れたり!」
なに!? ああ、そ、それは・・・・・・・・。
奥義『浄円月観』
「天地一切の創造主にましまして、吾が生みの御親にまします神よ、あなたの無限の愛を吾に流れ入らしめ給いて、吾に於いて愛の霊光燦然と輝き給いて、すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛したまえ。
神の無限の愛吾に流れ入りたまいて吾に於いて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾れに浄円月の雰囲気ただよう。吾に浄円月ただよう。
吾れに於いて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。すべての人々に平和と喜びとを与え、すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである。」
む、無念じゃ。
愛とチョコレートの海に負けた・・・・・・・。
あたた、居眠りしながら刀振り回したら、 大事なヒゲ切っちゃった。 》
1122
:
「訊け」管理人
:2012/02/15(水) 15:35:33 ID:???
>ニャンコ先生
せ、先輩・・・・
r────────────、
./ |__ .-::~ ̄~^γ'^~ ̄~ヽ、___/|
/ γ::::::::.. _ ..:::::::::::::::::::::::::ヽ / .l
./ /( / / ./ ヽ/ /三 )i / ./
/ / ト..: ̄.:. ̄..:::::::::::::::::::::/,.ノ ./ ./
/ / ヾ、..::::::::::::::::::::::::_;::/./ / ./
./ / ヾ、::__;;;::.-::'^ ,./ / ./
/ / ヾl_;;;::.- '^~ ./ ./
i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~i ./
|_____________,l/
しょーがねーなー。もらっといてやるか。
・・・てなセリフを来世で吐きたい、「訊け」管理人です。「シャッチョ
ー!チョコあげる!!」という女子はたくさんいるんですが、なぜか(キャ
バ嬢)営業メールばかりです。モテモテ男はツライですが、こういうモテか
たは微妙ですね。それに、義理チョコもらうために一時間¥5,000の店に
は行けません。なにせ現内閣は、あの「どじょう」であります。で、今年は
●個という、過去最低記録。しかも「嫁さん」「お義母さん」含むでの●個
という・・・(中略)・・・でも、娘がくれたから、いいの(笑)
・・・・で、過去の栄光話など。
いやー、たしかに学生時代はモテました。しかしモテたと云ってもこれ、
チョコ数で云えば、16個というモテ方であります。ええ、非常に 微 妙
な 数 です。まあそれでもこの私、学内はおろか、年上のOLお姉さまなんか
からもチョコを頂戴しまして、まあ「 東 京 最 高 」な青春時代であり
ました。
しかし私の場合、努力して「これ」です。世の中にはハナッカラ、チョコの
数など数えない、とんでもレベルのモテ男なんてのもおりまして、そんな奴は
「はあ?」てなもんです。私のように「16個もらったー!!!イエーイ!!
!」てな騒ぎ方をしている奴は・・・(中略)・・・ちなみに、フェリス女学
院の彼女からは、チョコ、届きませんでした(笑)・・・・・あっ!トラウマ
で今、吐きそうになった(笑)
追伸
義春の件です。チョコと縁遠いかの非イケメンですが・・・・さっそく弊ブ
ログ内で女子大生をナンパしております。しかも私への挨拶なしで、「リサさ
ーん」てな感じのアプローチです(笑)ああ、非イケメン全開ではないですか
。もう、とんでもない奴ですので女子の皆さんはご注意を。
>義春
女子大生リサちゃんが、オレのブログに来なくなったらオマエのセイ(笑)
1123
:
志恩
:2012/02/15(水) 15:37:04 ID:.QY5jUA6
訊け君
久しぶりですね。
訊け君のおっしゃりたい気持ちは、わかりましたよ。
閣下は、昔から、「実相独在」を貫いて、いきてこられましたお方です。法燈継承の件も、おっしゃりたいことは、わかっております。
ahopeさまも、ハマナスさまも、真理のコトバを書き込まれて、閣下と訊け君に、同意の意見を示されたことは、理解しました。
本来の生長の家の『教え』は、個人として考える場合は、その通りですが、
公である、現総裁のことも、実相を観て、見守り続けましょう、というメッセージですよね。
私は、この掲示板では、最初から、極少数派の存在でしたから、仕方ありません。
ほんとのこと言えば、むしろ、私の方が、間違っていたなぁ、、で、終わりたいです。
総裁が、潔く裁判での負けを、くやしいでしょうけれど、認めて、兄弟と和解し、新編生命に実相も、こころを大きく開いて、組織として使うことにしたり、
などなどの、話し合いに応じ、本流と和解してくださるのが、一番望ましい事です。そうすれば、森のオフィスの件も、応援が得られる気がしています。
あとは、いつも言うように、ここをご覧の皆様のご判断に、委ねます。
訊け君、
いまさっき、山ちゃん1952さまの、ブログを拝見しましたら、
「耿耿の言」のこと、山ちゃんが、私宛のコメントを、ブログに書いてくださっていました。
生長の家本流”青年”掲示板のほうへ、昨年の6/11に、この「耿耿の言」という題の記事を、山ちゃん1952さまが、書き込みされてたということなので、
今、そちらへ行って、見て来ましたよ、たしかに載っていました。
私は、不覚にも”青年”掲示板のほうは、見てなくて、知りませんでした。山ちゃん1952さま、失礼しました。
青い三角定規が,昔、歌ってヒットした「君の祖国(くに)を」は、覚えています。
昔の曲は、ゆったりしてて、セピア色の佳き時代や、郷愁を感じるいい曲が、多いですね。
1124
:
うのはな
:2012/02/15(水) 15:43:48 ID:El6gIMAw
生命の實相本の広域流布だといっては周囲を騒がせ、次は右肩あがりの世代と
ちがって、いまどきの人はこの値段は高いだとか、いったいこの人はなんだろうかと
おもいました。
色々事情があるのは仕方がないことですが、たぶん1600円が高いという人は
1000円になっても買わないと思います。
1125
:
志恩
:2012/02/15(水) 15:46:00 ID:.QY5jUA6
あらら、
ママも鈴夜ちゃんも、愛とチョコレートの海に、よわいからねぇ。また、溺れちゃったの?
昔から、愛と、おいしいものに、ふたりとも(一人+一匹)目がないから、
そうやって、すぐに、溺れちまうのよ。
1126
:
うのはな
:2012/02/15(水) 15:48:13 ID:El6gIMAw
ハラスメントが入ったようなのでここは失礼します。
1127
:
志恩
:2012/02/15(水) 15:55:27 ID:.QY5jUA6
うのはなさん
ご意見に、同意します。
ちなみに、ケチ付ける人は、800円に値下げしても買わないかもね。
私は1600円でも、今後も買います。
そのお値段の、数千倍以上の価値、ありま〜す。
とにかく読み易いですから、ここをご覧のみなさま、どうぞ、
買ってくださいね。
「新編 生命の實相」のことです。
本屋さん、光明思想社、アマゾンコムでも、買えます。
1128
:
SAKURA
:2012/02/15(水) 16:13:17 ID:b5yt5Rk.
皆様へ…
昨日の「バレンタインデ−」続編でしょうか・・・?
此処の【お部屋】…話題豊富のようで〜〜〜すネ?
楽しく〜〜ルン〜〜ルン〜〜♫ 「拝読」
「眠れる森…??」から目覚めまして…本日の「神様からの啓示」…
投稿させていただきます〜〜〜〜〜ネ??
再合掌
1129
:
SAKURA
:2012/02/15(水) 16:14:25 ID:b5yt5Rk.
トキ様 へ
皆さま へ
【栄える生活365章】
■自己のうちに一切がある
現象的には時間の流れに於て、そして空間的ひろがりに於て、一切のものは現れ、
行われるのであるけれども、実在の世界に於ては時間空間を超越して其処に既に
「完全なるもの」があるのである。
実在の世界は、空間を超越しているから、縦横厚みの広がりを超越して
「無空間」とも謂い得るが、「無限次元」とも謂い得るのであって、
縦横厚みの三次元に見える空間は、無限の次元のうちから、感覚器官が、
ただ縦横厚みだけを捉え得ただけであって、残る「無限の次元」は
感覚器官が捉え得なかっただけだとも謂い得る。
その無空間又は無限次元の世界に於ては、自己の内に「無」があり、
同時に自己の内に「無限次元」があるのであるから、
自己の想うことは同時に「無限次元」が想うことであるのである。
まことに「われ祈れば天地応え、われ動けば宇宙動く」である。
自己が悟ることは全人類が悟ることである。
地上に戦争が絶えないのは皆自分がわるいのである。
(谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は【三次元の世界…!時間空間…縦横の厚み…】>三界唯心所現…
今の「生長の家」は、まさのにその様にも思えます…。
「実相…」では起きない“問題点”其処に“ゆがみ・歪”が出てくる…何故?
“信者・職員・幹部達…の考え方”が?それは“ゆがみ・歪”に見えてくるのカモ
以前、私はいつも想うのですが…何故?
今は亡き2代目総裁先生清澄先生がご生存中“本部の補修工事”を
しなかったのですか?更に!
【第1期のかなりの優秀な信者】が離散……?
私が高校の頃は、私の周辺部は「生長の家の信者」が多かったのです…。
更に!熱心な信者が当時【市が合併する前迄は○○区…】でした…
区の中心の駅に…道場!!しかも当時と致しましては
“コンクリート建ての2階建て”!立派な“モノ”でしたが……!!!!
その頃は、小学校??4〜6年位??でしたでしょうか…?
「中学の夏休み」に、なりますと…必ず!「早朝行事…」がありまして参加!!
このように、熱心に【信仰=真理=哲学】学んでおりましたが…?(理解度は個々?)
その頃の信者…“私達の世代”は、今は何をしているのでしょうか…??
「雅春先生」が亡くなってから、その後の私達の仲間は離れていましたが…??
その頃の「熱心な信者」は何処へ〜〜〜何処へ〜〜〜♫
私の近所のお兄さんは、今現在!世界中のひのき舞台で活躍中です…。
<続く> No.1
1130
:
SAKURA
:2012/02/15(水) 16:15:27 ID:b5yt5Rk.
<続く> No.2
「亡き2代目総裁清澄先生」が、現役時代は…
正直申しますと「雅春先生のテキスト」よりご自身の“テキスト中心”に思えますが?
今思いますと…此処から既に根本が多少ずれてきているのでしょうか…?
ここから…“捉え方の尺度”が当然「雅春先生」とは違いますから…“中身”は…?
このように漠然的に思えます…。
まず!は「現3代目総裁先生」が
目覚める事を…もう一度!!信じてみようとも想いたいのですが……?
「昨日バレンタインデ−」…いつもですと…「チョコレ−トケ−キ」を作りますが…
正直!作る気持ちには、なれませんでしたが…(現状を考えますと)
【現象世界】にどっぷり浸っている様にも思えますが…
■【われ祈れば天地応え、われ動けば宇宙動く・・・】
まず!!!各々【真理は一つ】なのです…。
一つ理解すれば…全てが見えてくるのではないのでしょうか?
それを、あらゆる観点より「雅春先生」は私共にご指導して
頂いているモノと思いますが…?
このたび、私は「母の御霊様」を見まして…人間は「霊的人間」悟りましたが…
誰〜〜誰〜〜とかの【優越感の問題】ではない!!!!と思います…。
雅春先生の【人類光明化…生活に実践】この事が…
■人間がどうして生きてゆくべきかの「生きる道…」これが根本…
…自己が悟ることは全人類が悟ることである…!
上記の事を認識して…【一人一人が歩む限り…「生長の家」は不滅!!】
もう一度、私達は考えなければならない直面に来たものと想う所存ですが??
再合掌
PS:
トキ様へ…私の解釈論ですが…トキ様でしたらどの様に解釈されますでしょうか?
ご指導して頂きますと…幸いに思います。
1131
:
トキ
:2012/02/15(水) 16:51:05 ID:YIKhrEHc
>>1112
:SAKURA 様
こんにちは。少し用事があり、お返事が遅れてすみません。
私が先輩から言われたのが、「悟ったフリをするな」という事でした。
分からないのなら、分からないと正直に言いなさい、という事です。本
に書いてある・・・・というのは、読めばわかるのですが、それが心の
底から分かった、と言えるのは、いろんな体験をしてからだと思います。
私は、今でも、生長の家で分からない点が多く、勉強の最中です。
きっと、死ぬまで勉強でしょうね。
と、いい加減なご返答でごめんなさい。
1132
:
トキ
:2012/02/15(水) 16:58:30 ID:YIKhrEHc
ももんが様
山本玄峰老師の講話テープですか。探してみます。しかし、ももんが様もマニアックなテープを
ご存知ですね(笑)。山本老師は、昭和天皇からもご信頼があつかったと聞いております。非常に
幅の広い人から尊敬を受けました方です。ただ、女性にだらしない男性、とくに不倫をする男性を
非常に嫌ったと言います。
逸話の多い、面白い方です。また、何か書いてみたいです。
では、また、ご指導のほど、宜しくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1133
:
トキ
:2012/02/15(水) 17:12:31 ID:YIKhrEHc
「訊け」管理人 様
お久しぶりです。どうされたかと心配をしておりました。が、義春さんも登場して
彼も元気みたいですね。鶴岡八幡宮で暴漢を取り押さえた、との記述もありました。
あんまり、心配する必要もなさそうですね(笑)
ところで、いつも素晴らしいご文章を紹介して下さり、ありがとうございます。
素晴らしい内容で、感服しております。今みたいな時期だからこそ、ああいう
文章は大切ですね。頑張って下さい。
1134
:
「訊け」管理人
:2012/02/15(水) 17:16:48 ID:???
>女神さま
合掌ありがとうございます。
さて、「この人はなんだろうか」と思わせてしまった様です。女神さまの脳内
掲示板にこの訊け、またなにか書いてしまいましたでしょうか。それならば
謝ります。
なお、同掲示文は復興Gさま並びに、ニャンコ先生へ向けて書いたもの
であります。貴女は ま っ た く 関 係 ご ざ い ま せ ん 。 貴女
さまが誤読されたのであればわたしの文責であります。謝罪致しますので本
件でのご心配から、早々に解放されんことを祈念致します。
重ねてではありますが、どうも、申訳ありませんでした。
拝
1135
:
うのはな
:2012/02/15(水) 18:27:07 ID:El6gIMAw
訊けさんへ
> なお、同掲示文は復興Gさま並びに、ニャンコ先生へ向けて書いたものであります。
貴女は まったく関係ございません。貴女さまが誤読されたのであればわたしの文責であります。
わたしは今日の訊けさんの投稿だけでなく、わたしの脳内では、訊け管理人さんの過去文や
谷口雅春に訊けブログを見て、それらの文意からの感想をいっただけです。
別に誤読してるとは思っていません。
あなたがなにかにつけて細かいことを気にする性格で、いちいち理屈立てる性癖の持ち主なのは
以前から知っていますが、余計な文責の心配をされることはないと思います。
こんなことで「祈念いたします」なんていう大げさないいぐさには呆れます。
1136
:
役行者
:2012/02/15(水) 18:27:37 ID:KDgzEzMg
ももんが様
ハマナス様
>>1111
にて
> 例え、どんな時でも、相手を批判したりしない事 は、出来るようで、出来がたい、行為ですね 。
まずもって、相手を祈る事からする。 ハマナス様、良き御言葉、ありがとうございます。<
生長の家にとっての根本聖典が失われようとしている現在、
過去いろいろあった人間関係におけるまた、思想上における、行き違い、錯綜、恨み、憎しみなどを一旦、棚の上に置いといて、双方とも許し合い、祈り合いに入ることが大切かと存じます。
複雑に絡み合った双方の遺恨は数十年ものと推察するため、それはそれはちょっとやそっとでは収まり着かないことは分かります。
ただ、いまここ非常事態!信徒のことを第一に考えて、まずは祈り合いからはじめて、一刻も早く手打ちがなされることを望みます。
もちろん、双方ともに生かし生かされた条件のもとにおいて・・・なお、鈴夜チャマも浄円月観をとおして、祈ってくれています(#^_^#)
合掌
1137
:
うのはな
:2012/02/15(水) 18:52:29 ID:El6gIMAw
われわれも“通訳” 先生にお供して 徳久克己 先生
ニューヨークで、生長の家の信徒幹部が、谷口先生御夫妻をお招きして、夕食会をした時、
谷口先生が「9年前にきて、私は生長の家の真理の種を、アメリカにまいたのですが、通訳がよくなかった
ので、真理が正しく伝えられず、その種が育たず枯れてしまったようです。こんどは通訳もよいので、時間は
短かかったけれど、私の伝えようとする真理は、十分に理解されたと思います。どうぞ、この私のまいた種を、
皆さんで育ててください」
というような意味の御挨拶をされました。私は、ジーンと心を打たれました。これは、アメリカだけのことではない。
日本だって、同じことだ。先生のお伝えになろうとする真理を、私たち講師は、通訳して伝えているようなものだ。
講師が生長の家の真理を、十分に理解して、正しく伝えなかったら、通訳が悪くて、先生のお伝えになろうとする真理を、
まちがって通訳するのと同じことだ。先生は40年にわたって、御自分の身をローソクのように燃やして、真理を伝えておられるのに、
私たち講師幹部がもっともっと、先生のまかれた種を、育てなければならない、と深く反省させられました。
ニューヨークでは、ユニティのバタワース博士の教会で朝の10時から、午後の5時までの1日御講習をされました。
その講習料は15ドル(約5000円)でした。それでも教会がいっぱいでした。
そして、先生のお話を聞いて、感激した聴衆によって、ニューヨークにあった先生の英語の御本は、売り切れてしまいました。
「私は医者ですが、もっと生長の家で、霊的な力を得て病人を癒したい。どのようにすればよいですか?」
と尋ねてきた人もいました。また、
「私はローマンカトリックの牧師なのですが、生長の家の先生になりたい。どのような手続きをとればよいですか?」
という牧師もありました。
先生のお話を一度聞いて、現職の牧師が、それをやめて生長の家の講師になりたいというのです。生長の家の真理が
いかに高度のものであるか、ということを、私はヒシヒシと教えられました。
『真理は民族を超えて』 谷口雅春先生御夫妻海外御巡錫記念写真帖
1138
:
「訊け」管理人
:2012/02/15(水) 20:36:00 ID:???
人を心で憎むことと、人の悪口を言うこととは、短刀をもってその人を
刺し貫くに等しい。
『生命の實相』37巻86項より謹写
二月十一日の法語
悪評は盗罪、嘲笑は殺人
「人の悪評をつたえるのは、人からその名声を奪う盗罪である。人を嘲笑
するのは人の尊敬の念を殺す殺人である。盗みとは物質ばかり盗むのだと考
えてはならないのである」とガードナー・ハンチング氏は言っている。人間
がそのゴシップ中で人を賞めることばかりやっていたならば、どんなにか此
の世は天国になるであろう。
『光明法語』より謹写
二月十二日の法語
後ろから卑怯に斬るな
若し相手に悪がないのに虚構して悪口するのであれば尚一層卑怯である。誰
も警戒していないのに後ろからバッサリやるのは昔から〝悪ざむらい〟の所行
である。
幸福になろうとする者は人の美点を賞めることから始めよ。
『光明法語』より謹写
二月十四日の法語
他人に対して寛大なれ
他に寛大なるものは、神からも寛大に取扱われるであろう。其処に「善人なおもて救われる況や悪人をや」と親鸞の言ったことがもっともだと思われるのである。人を赦すものは神からも赦されるのである。人を審判く者は法則によって審判かれるのである。神につかえる道は人につかえることにあるのである。
1139
:
ももんが
:2012/02/15(水) 20:50:45 ID:XXCuaQns
>>1136
役行者様
役行者様、いつも、お褒めのコトバを賜り、大変、嬉しゅうございます。本当に、色々と、心配りして頂き、感謝しております。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
私も、教団の中で、両方の気持ちが、一つになれたらと、『和解』は、心から願っております。
今、この、掲示板では、復興G様の御言葉へ賛同が、多いようですね。
私も、内容的には、復興G様の御言葉は、大変素晴らしく思い、賛同に近いのですが?
実際は、『聖光録』289〜301ページにある。第二代総裁・谷口清超先生の御文章が、
『法燈継承の真義』として、書いてあります。
特に、この文章の中の『御心のままに』に中間には、谷口雅春先生の、清超先生へ法燈継承のコトバがあり。
その後、『不立文字の継承』の部分には、谷口清超先生
の御コトバとして、継承の意義をお説きくだされてます。
〜<<継承とか嫡々相承というこはそういうことなんです。例えば、明治天皇様が、大正天皇様にお位をお譲りになる、あるいは、大正天皇様が今上天皇様(当時は昭和天皇様)にお位をお譲りなるという事は、『わしと同じ事をお前達はせよ』ということでは、なかったのです。真理というのは、その時その時に応じて色々な相をもって展開されねばならかったのです。〜>>
と、谷口清超先生の御言葉として、信徒が守るべき『聖光録』に記されいます。
私は、清超先生の御コトバを、謝りであり、反故にしてはもらいたくは、ありません。
その昔、武烈天皇という、悪帝みたいな、時代も、日本にはありました。
意見が、別れて、教団を去られた方も、本当は、素晴らしい、神の子さんだと、信じております。
総裁や幹部が、嫌でも、教団の中に居ながら、教団の教えの良いとこと、本流の教えの良いとこが、自然な形で、交わりながら、変えていくのが、私は、一番素晴らしいと、思ってます!
人間なんて、個性と個性のぶつかり合いだと思います。
だから、本流派の人たち、教団が、嫌いかも、しれないけど、一緒にやりながら、お互いの良いところを、混じわって、認めあうように、頑張って貰えたら、嬉しくですね。
役行者様、私は、生長の家の信徒の皆様は、やれば出来る人ばかり、霊力たかい人ばかりですから、本流の人たちが、来たら、教団も変わると思いますよ。
私の、夢の希望です!
清超先生の真似して、カン拾いも、実戦中の、ももんが、です。
役行者様、いつも、やさしい御言葉と気遣いとても、感銘を受けております。不作法は私ですが、また、よろしくお願いいたします。感謝敬白、合掌、拝。
1140
:
うのはな
:2012/02/15(水) 21:38:38 ID:El6gIMAw
訊け管理人さんは女信者の投稿を何回も連続投稿転載するだけでなく、
これみよがしに、何回も同じ聖典引用をして、認知症でないならなんですか?
認知症の人はさっき食事しても、ごはんはまだかといったり、何回もおなじことを
いうのが特徴ですよ。
1141
:
ももんが
:2012/02/15(水) 21:48:19 ID:XXCuaQns
>>1132
トキ様
トキ様、いつも、丁寧なコメント有難うございます。合掌、拝。
玄峰老師のテープは、落語のテープより味があります(^_^)
雅春先生も、面白いですよね
田中忠雄先生の師の、沢木老師のテープもありますよ(^_^)
トキ様お話は、変わりますが、やはり、掲示板と言う場所は、それなりのマナーやルールで規制しないと、実に、管理やお互いのプライバシーさえ保てない事もあるし、その人の、日常の人格とは、違う人格に成ってしまい、お互いが、意識の深い部分で、歪み会うような、心で相手を観ている物ですね。
このコミュニケーションの世界は、生長の家の出来たころは、存在していなかったので、このコミュニケーションが、人間の心や、脳に与える、影響は、生命の実相の中では、説かれていないと、私は、思うのですが、トキ様は、ご存知ですか?
実際、パソコンの使いすぎにより、脳ミソの過労で、過敏性のテンカンや、発作なども、あると、聞いたことが、あります。
パソコンやインターネット内は、黄泉国と言えるかなて?私は、思ってます。
人格をパソコン内に置いてきてしまう、人は、たくさんいるようです。
トキ様は、この様な人を現実の世界で、指導されてるのかと、思うと、本当に、精神カウンセラー待遇だと思え、頭が下がります。
私、でも、以前の会社で、上記の様な若い者の面倒を観て、大変だった経験はあります。勿論、私は、仕事でしたけれども。
トキ様、私はこの場所は、皆様の心の垢の捨て処と、最近は、思えてきました。
トキ様、たくさんの個性の方々を調和させるて、大変ですね。本当に、トキ様は、忍耐に、感謝敬白です。御体きおつけて、これからも、頑張ってください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
1142
:
ももんが
:2012/02/15(水) 22:54:00 ID:XXCuaQns
>>1114
ハマナス様
いつも、ステキ、お返事を下さり、大変有り難く、心に染み入る思いです。本当に、慈悲深い御言葉、ありがとうございます。感謝合掌、拝
とくに、この御文章
<<でも、清超先生がご本の中で、「ピアノと同じように、訓練をすれば上手になる。」と
お書きになられていますので、私も日々、『魂の訓練』をして行きたいと思っております。
あまり、争いや口論が好きではないので、この掲示板だけでなく、他の掲示板でも、
数人の方が喧嘩ごしに悪口を書いたり、お互いに傷つけあうことばを見ますと、
心が痛みます。
ましてや、インターネットで不特定多数の方が見ているとなると、なおさらです。
『甘露の法雨』の中の「懺悔の神示」の中の次のことばを思い出しました。
「懺悔は密室にて行うか、手紙に書きて教えの先達に送りても宜し。
されど暗(やみ)の前に、いたずらに悪評する民衆の前に、罪を暴露しても
何の効なし。暗に暗を照らさしむるとも何の甲斐(かい)かあらん。」>>
全く持って、私の心と同じでございます。
私は、生命の実相を今、読んで、おりますが。
人間=霊人(ヒト)=コトバ(文字も含む)
コトバ=話コトバ、文字、コミュニケーションの全般含む(手話も、ゼエスチャーや、その時々の色々方法も含む)
上記は、いま、少し読んでる。清超先生の『ありがとうは素晴らしい』に似た内容が出てましたので、正しいかなと、思うしだいです。
明るいコトバ、プラスのコトバ、コミュニケーションを、広める事が、人類光明化運動の、大切な仕事の一つだとすると、毎日、各自一人、一人が『ありがとう』や『おはようございます』を広める事は、人類光明化運動をしてる人間(コトバ)と言えると、私は、思うのです。
逆に、人を批判するコトバ、人に悪言を言うのは、その人自体が、無意識であったにせよ。マイナスのコトバ、マイナスのコミュニケーションを広めているわけだから、知らない内に、人類暗黒化運動をその人が、しているのだと、言えると、私が、生命の実相を読んだところでは、そう感じらました。
だから、無意識であっても、自分が正しくて、相手が間違えているとしても、人を批判したり、指摘仕方に寄っては、他者との軋轢を産みやすくなり、その人自体の心が、暗黒化しやすくなるのだと、私は、思うしだいです。
ハマナス様の昨日の御文章を読み、プラスのコトバを使い続ける難しさを改めて、実感しております。
そう簡単に出来たら、先生方皆様、出来てしまわれるでしょね。そこが、また、耐え忍ぶからこそ、魂も鍛え磨かれて行くのだと、私は、思うしだいです。
ハマナス様、本当に、いつも、御優しいコトバで、教えいただき、ありがとうございます。お寒いですから、暖かくしてお休みください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
1143
:
SAKURA
:2012/02/15(水) 23:27:37 ID:FEa/NNlc
>1141 モモンガ様
独り言…
「聖光緑…」これって??昭和28年1月1日から〜〜始まりましたよ〜〜ネ!
「雅春先生」からではないの〜〜ですか? “変”です〜〜ネ!!
確かに、幾つかの変遷はありましたでしょうが…?
それから??私の手元にありますのが“古〜〜〜いモノ”なので…?
失礼ながら…
いつ頃の「改訂版」なのでしょうか? 再合掌
1144
:
ももんが
:2012/02/16(木) 00:08:03 ID:XXCuaQns
>>1143
SAKURA様
SAKURA様、こんばわ。合掌、拝。
私の手元にある『聖光録』は、
正式名=『新編 聖光録』(生長の家信徒必携)
監修:谷口清超
発行人:中島省治
発行所:㈱日本教文社
印刷・製本:光明社
平成八年二月二十日発行
となってます。
これでも、古いかも、知れませんね。
駄目でしたら、教えて下さい。
ありがとうございます。合掌、拝。
1145
:
うのはな
:2012/02/16(木) 01:24:27 ID:El6gIMAw
某氏が女子大生をナンパしてるなんてのも、デマみたいなものだと思いますが、
他の人のことをデマしても、自分のことになると神経質に騒ぎ立てる男のクズもいるようです。
1146
:
ハマナス
:2012/02/16(木) 01:30:32 ID:u5mC.eb2
ももんが様
ご丁寧にお返事ありがとうございました。ありがたいお言葉を頂き、恐縮しております。
また、お教授を頂き、嬉しゅうございます。
清超先生の『ありがとうは素晴らしい』のご本は、手元にありましたので、拝読しておりますが、
新書サイズで読みやすい本です。
雅春先生は、生涯400冊位のご本と書かれたと聞きましたが、清超先生も沢山お書きに
なっておられるのですね。
ももんが様の素晴らしご御文章に感動しました!
>私は、生命の実相を今、読んで、おりますが。
人間=霊人(ヒト)=コトバ(文字も含む)
コトバ=話コトバ、文字、コミュニケーションの全般含む(手話も、ゼエスチャーや、その時々の色々方法も含む)
上記は、いま、少し読んでいる。清超先生の『ありがとうは素晴らしい』に似た内容が出てましたので、正しいかなと、思うしだいです。
明るいコトバ、プラスのコトバ、コミュニケーションを、広める事が、人類光明化運動の、大切な仕事の一つだとすると、毎日、各自一人、一人が『ありがとう』や『おはようございます』を広める事は、人類光明化運動をしてる人間(コトバ)と言えると、私は、思うのです。
逆に、人を批判するコトバ、人に悪言を言うのは、その人自体が、無意識であったにせよ。マイナスのコトバ、マイナスのコミュニケーションを広めているわけだから、知らない内に、人類暗黒化運動をその人が、しているのだと、言えると、私が、生命の実相を読んだところでは、そう感じらました。
だから、無意識であっても、自分が正しくて、相手が間違えているとしても、人を批判したり、指摘仕方に寄っては、他者との軋轢を産みやすくなり、その人自体の心が、暗黒化しやすくなるのだと、私は、思うしだいです。
まったく、同じ思いでございます。
私たちは、幸運にもこの素晴らしい真理に触れて、素晴らしい恩師の方々の
お陰で、幸福になりました。
生長の家がなかったら、今の私もないと思います。
是非とも、この最高の真理と云われています、生長の家の御教えを先輩の皆さまと
共に手を取り合って、日本そして世界中にお伝えしなければならないとの思いを
強く致しました。
素晴らしいおことばに、心より感謝致します。
1147
:
うのはな
:2012/02/16(木) 02:46:21 ID:El6gIMAw
志恩様へ
昨夜訊けさんから誤読だといわれて眠れないので、前から気になっていたことを
お尋ねします。志恩さんはよくここでキケサンのブログを紹介されていますが、
その中には私へのからかいや攻撃が満載になっていた、私の記事転載しまくっていた
クレームブログや、本流サイトへ挑むようなページやからかうような写真が掲載されていたのを
ご存知のうえで、おすすめになっているのでしょうか?
なにをすすめ、どこに何を書かれようが、それはもちろん志恩さんの御自由ですが、
こないだもどなたかへの返信を本流でされていたようです。
失礼ですが、本流掲示板で「志恩様へ」の記事を再読されることをおすすめします。
余談ですが、個人のホームページでも、デザインやなにやらで20万以上かかる計算になるとき
があります。そんな中で無料レンタル版を使い、他人の記事をネタに遊んでるんだからいい気なもんだと
思っています。
1148
:
志恩
:2012/02/16(木) 07:10:59 ID:.QY5jUA6
うのはなさん
うのはなさん、コメントありがとう。うのはなさん、昨夜は、遅くまで、眠れなかったのですね。
今、新設された「愛国源流『谷口雅春先生の大復活』ブログ」と、訊け君の「谷口雅春に訊け」ブログを、拝見したところです。
「愛国源流」掲示板、すばらしいのが、新設されましたね。そうですね、今度から、こちらも、お勧めしないと。
ここを、ご覧の皆様、「愛国源流」という、大変すばらしいブログが新設されましたよ、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
管理人は、澤水紘一様(67)と書いてありました。皆様、よろしかったら、こちらも観て下さいね。
訊けブログについてですが、私が、訊けブログを宣伝してきたは、なぜかと言いますと、
私の場合は、気持ちとしては、ここをご覧の、世界中の生長の家の皆様を対象にと、いつも考えて来ているからです。
私のことも、悪く書いてある訊けブログ内のクレーム欄も読んでいます。
うのはなさんに関する以前の特集は、今は奥の院へ入って見えなくなっています。
そういえば、最近、本流記事に挑むクレーム記事が、多く載っていますね。
これは、本流派としては、×××の気持ちになりますけれど、
トキさまや、訊け君に挑む記事は、本流のほうに、たくさん載っていますから、お互い様だと、私は思っていて、
本流は、大激流なので、多少、ブーイングされるのは、しょうがないとも思っているのです。
しかし、それらはさておいて
それに勝る「今の教え」にはない ほんものの生長の家の真理を 訊けブログは、日々載せて下さっている。広く考えれば、まるで、本流の応援記事のようでもあると感じまして
それで、私は、宣伝しているのです。
もう、本流掲示板や、愛国☆掲示板、そして、ここで、さんざん「今の教え」や現総裁の内幕は、暴露されてきました、その相乗効果で「学ぶ会」関係の記事も読まれていると思います。
世界中のネットを観てる人の、知るところとなりました。ボディーブローは、効いています。
いろいろな意見があるので、相互が、刺激されて、観るお方の注目度も高くなり、よりよくなっているのでは、ないでしょうか、
ですから、本流のカウント数が、少し前までは、一日3,000が、平均だったのですが、最近、増えていますよ。
それから,本流掲示板「志恩さんへ」の記事ですか。あぁ、あれね、
あちらに投稿するときは、「私は、総裁を引退させるというここの趣旨に、賛同するものです」と宣言してから、書き込むようにというのね。
うっかり、わすれていました。すみませんでした。
1149
:
ももんが
:2012/02/16(木) 09:39:33 ID:XXCuaQns
皆様、トキ管理人様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました。今日も、寒気いっぱいの朝ですが、元気に、明るく、楽しく、神の子として感謝感謝の、楽しい日にいたしましょう!ありがとうございます!合掌、拝。
皆様は、カラスくんや、野良猫くんに、挨拶した事は、ありますか?
私、何時も、会う、三羽のカラスくんと、三毛猫の三毛太郎君に、いつもの彼らの縄張りで、会う度に。
『おはよう!』
『今日は、ごはん、食べたと』
挨拶をします。不思議ですが、彼らも、コトバは無いのですが、鳴き声や、仕草で、挨拶してくれてる感じを私はするのです。気の性だと思われる方は、そう思って下さい。(^_^)
動物達と挨拶出来るだけでも、地球の光明化に役立つかな?と一人よがりな、自分であります。
〜明るい未来を思え〜
<<このように、物事の光明面を見て、明るく伸々と、たのしく生活し、さらに伝動などして『よいこと』をしていると、必ず『よいこと』が起こり、思いが叶い、どこからともなくポッカリと幸運が舞い込んで来るのである。それ故、多くの人々が『神の子人間』を信じ、ありがとうと“日時計主義の生活”をやるようになることが、日本の運命をよくし、豊かにし、平和にする唯一最高の道であると言うことが出来る。
谷口清超先生著書:『ありがとう』はすばらしい!より〜23〜24㌻
ありがとうを、言う事は、日時計主義であり、日時計主義は、人類光明化運動だと、確信するしだいだいです。
さあ、皆様、今日も嬉しく、たのしく神の子生活を楽しみましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
1150
:
役行者
:2012/02/16(木) 09:42:29 ID:KDgzEzMg
>>1139
ももんが様
文章全体の流れを良く理解しました。
本流宣言掲示板は三代目総裁を追放することも目的としてます。ですから、あのような表現になってしまうのでしょう。
ただ、そのような掲示板であるはずなのですけど、最近、和解を旨とする文章もときどき垣間見れますね。
何か大いなるもののはからいを感じる今日この頃です。
さて、法統継承のことなのですが、結論から言いますと、私は天皇家と同様に男系の血筋の方が継ぐことを望んでおります。
いろいろとあると思いますが、日本という国は家族制度により守られてきたと思うのです。家に中心があり、その文化・伝統が連綿と続き、この象徴が天皇家と思っております。
その天皇家が代々受け継がれてきた伝統の一つに大和の精神が厳然と存在していると思います。
この大和の心の継承が家制度の延長線で繋がってきたところに、日本の国の現在の平和があると思っております。たとえば老舗文化もそのひとつと思ってます。
その意味でも、私は三代目、四代目と、長兄血筋が継承されるべきと思っています。
それが秩序だからです。
それと同時に、復興G様の仰るよう、一人一人がそれぞれの立場において、【あるべきよう】(明恵上人の言葉)的に、神の子の自覚をされ、それぞれの細胞も生かされて行くべきと思っております。
頭脳も、心臓も、手足も、一切者の自覚をもって生きていくのが最善と思っております。
また、時代背景や説かれた場所によって同じ真理を語ったとしても随分と表現が違ってきます。
しかしそれは表現の問題であって真理は永遠不滅です。
ですから、時代にあった表現方法は大切かと思っております。
そして、
>総裁や幹部が、嫌でも、教団の中に居ながら、教団 の教えの良いとこと、本流の教えの良いとこが、自然な形で、交わりながら、変えていくのが、私は 一番素晴らしいと、思ってます! 人間なんて、個性と個性のぶつかり合いだと思いま す 。だから、本流派の人たち、教団が、嫌いかも、しれ ないけど、一緒にやりながら、お互いの良いところ を、混じわって、認めあうように、頑張って貰えた ら、嬉しくですね。<
まったくもって、異議ありません。
本流の皆様もできれば日本をより良い国にするため、大同団結して一つの方向に進むことを望んでいらっしゃるとおもうのです。
ところが、数十年の遺恨、ならび現総裁は雅春先生の生命の実相、並び甘露の法雨を消滅させ、自らの聖典を拵えるのではないか!というような恐怖が、総裁追放に火を付けていると思うのです。
でしたら、同じテーブル上に付き、そのことも含め、十数年の遺恨もさながら、徹底的に議論を交わしたら良いかと思うのです。
きっと、疑惑は晴れることと信じております。
> 役行者様、私は、生長の家の信徒の皆様は、やれば 出来る人ばかり、霊力たかい人ばかりですから、本 流の人たちが、来たら、教団も変わると思います よ。
私の、夢の希望です! 清超先生の真似して、カン拾いも、実戦中の、もも んが、です 。<
そのように思います。
まったくもって、皆様元気で、百歳になっても現役で頑張って行くのでしょう(^。^;)
同じ土俵にあがってともに、日本の国のため、世界のため、人類光明化運動に邁進すべきと思う今日この頃です。
すべての人を生かしながら、大いに議論し、昔のように皆ともに人類光明化に貢献すべきと思っております。
合 掌
1151
:
トキ
:2012/02/16(木) 10:00:33 ID:TWnjN6n.
>>1149
ももんが様
おはようございます! ももんが様の御文章に刺激を受けて、書きたい事がありますが、
少し長くなるので、後で投稿します。
では、本日もすばらしい1日でありますよう、お祈り申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1152
:
「訊け」管理人
:2012/02/16(木) 10:06:54 ID:???
>復興G閣下
昨日久し振りに『人生の秘訣365章』を拝読しておりました。そうしました
ら下記のようなご文章がございました。ここに謹んでご報告申し上げます。
『人生の秘訣365章』309項より謹写――
――――――――――――――――――――――――――――
宗教家よ口に剣をとること勿れ
世界の平和は、神を信ずる宗教ですら宗派争いをして激しく他の教団の
悪口を宣伝して自分の宗派を拡大しようというような劣悪な教団が幅を利
かせているような有様では、到底達成することはできないのである。この山
にてもあれ、この教会にてもあれ、この寺院にてもあれ、本尊の名前は異
なれども、等しく宇宙本源の唯一の神を礼拝するようにならなければなら
ないのである。キリストは「剣をとる者は剣にて滅びる」とペテロに教えてい
るのであるが、この剣は決して、鋼鉄をもってつくられた剣だけのことでは
ないのである。烈しく他教団を悪口をもって斬りまくる宗教人は、やはり剣
をとる者である。神は愛であるのに、愛をもって一切宗教を包容することが
できずに、攻撃をもって自分の勢力圏の拡大を願う如きは、結局、我執と
貪欲と権勢欲によって掉り廻されているのであって、そのような者は宗教
界の風上にも立つことができないものである。
――――――――――――――――――――――――――――
以上であります。
・・・・それでもどうしても、現総裁。「引退に追い込むにはどうすべきか?
」というような、そんな話は起ると思います。ならば悪口攻撃に代えてどん
な攻撃方法があるのでしょうか。(ここでいう〝攻撃方法〟とは無論、方便
の表現ではありますが)聖典に準拠したかたちではなにか、この腹のムシ
を押さえる方法はないものでしょうか。
聖典に準拠したかたちでの〝総裁追放策〟ですが、まあ、下記箇所の
ようなものになるかと考えます。愚生蔵書の聖典80冊ではこれ、雅春先
生〝ご許可〟の方法としては、これしかないと考えます。
『幸福を招く365章』186項 より謹写――
―――――――――――――――――――
<「迷い」はどうしたら消えるのか>
心の「迷い」を無くするには、「迷い」を捉えて破壊しようと力む事は要
らないのである。それは却って自分の心が「迷い」を掴むことになって益々
大いに「迷う」ばかりである。「迷い」を無くする唯一の道は、心を「迷い」
から一転せしめて、「人間」の本来完全なる相を見詰めるようにすれば好い
のである。自分の病気を癒すには、自分の病気を見詰めないで、自分の実相
の完全さを見詰めれば好いのであるし、他の病気を治すには、彼の病気を治
そうとか、病気をどうしようとか思わないで、ただ彼の完全さを見詰めれば
好いのである。全世界の人々が、ただ、他の善のみを見詰めるようにすれば
忽ち平和は来るのである。
〝自分が〟祈る力や、自分の思念力によって不幸や病気を退散せしめよう
などと思ってはならないのである。われわれが善き言葉で祈り、善き想いを
想念したならば、あとは神が成就したまうのであると知らなければならない
のである。それは種を蒔くのと同じことである。善き言葉又は善き想念を述
べることは、大宇宙の創化力の沃地に、善き種子を蒔くことになるのである。
その種子を育て生長せしめたまい実を結ばしめ給う力は神にあるのである。
吾々は自分の力で、蒔いた種子から茎や葉を引張り出そうなどと考えてはな
らないのである。「吾れはただ善き想念の種子を蒔く、これを育てたまうの
は神の力である」と念じて、静かに神に全托せよ。
―――――――――――――――――――
以上、雑談のようなご報告でありました。
追伸
閣下ご提唱の法燈継承――これに関連いたしまして昨日、ブログ記事を
作成致しました。各信徒が自分の中の「主人公」、これにいかに呼びかけ
るかが重要と考えます。わたし個人もこれから毎日、「主人公、主人公」と
呼びかけて参りたい所存です。雅春先生が「是非実行なさってくださいま
せ」とお勧めされてもおられますし、まあ、やらねばならぬでしょう(笑)
●『光の言葉』
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65631587.html
1153
:
うのはな
:2012/02/16(木) 10:24:21 ID:El6gIMAw
マッチポンプといわれてる人やひとりよがりな人がこういうことは楽しくやらなくてはいけないと
といって騒ぎを起したり漫才やりだしたり、他人の投稿や投稿時間を追いかけて
あれこれいうのもへんだと思います。口に剣というほどではなくても。
1154
:
a hope
:2012/02/16(木) 10:56:04 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
平等にして差別があるのが大調和
或る時、一人の行者が仏様の教えをきいて悟りました。
本当は悟ったと思ったのです。
どう悟ったかといいますと、生きとし生けるものは、ことごとく仏の子であるから、
どんなものでも兄弟だと思い、深切にしなければならぬと思ったのでした。
そう思って、或る朝庭に立って見ておりますと、
一匹の毒蛇がにょろにょろとその行者のところへやって来ました。
行者は、生きとし生けるものはみんな兄弟であるから、深切にしてやらねばならぬと思って、
座敷の上へ上げてやり、食物を与えて大切に飼っておきました。
すると一人の友人が来て、「君は毒蛇を飼っているそうだが、
人間は人間、畜生は畜生であるからいっしょの待遇をしてはならぬ。
ことに毒蛇などと一緒の生活をしたら、しまいには噛み殺されてしまう」と、
深切に忠告してくれました。
しかし行者は答えました。
「生きとし生けるものは、みな兄弟であるから、深切に平等の扱いをしなければならない。
君のように差別的なことを言うものは迷っているのだ。」
友人は自分の忠告がきかれないのを、悲しく思いながら帰って行きました。
その後しばらく、行者は毒蛇と仲よく暮らしておりましたが、
或る日食物を集めるために、やや遠いところへ旅をしました。
一週間も家を明けて帰って来ますと、毒蛇は餌(え)を与える人がないので、
行者を待ちかねていましたので、行者が「そら蝮(まむし)さん、さぞひもじかっただろうね」
と言って、餌を口のところへ持って行ってやりますと、毒蛇はあまりにもお腹が空いていましたので、
あわてて餌と間違えて行者の指先に咬みつきました。
見る見る行者の指先から毒が廻り、腕が腫れ、身体ぜんたいが赤紫に腫れてしまって死んでしまいました。
・・・・・生きとし生けるものが平等だということは、
生きる命はみんな神様の力でやどっているのであるから、どれも皆同じように尊いということである。
しかし形の世界では、その神様の力のあらわれ方がみんな異う。
平等にして差別ありの真理を知らねばならぬ。
人間はみんな尊いが、人と時と処の三つの相応(ちょうどよい)ということを知らねばならぬ。
この相応を得たときにすべてのものが大調和するのである。
蛇を座敷へあげるというようなやり方では、この行者のように、
遂に毒蛇に咬み滅ぼされてしまうものです。
(つづく)
みなさま おはようございます。
なんか、この板、すごく深いお話が展開されているようですね。
後で、もう一度みなさまの投稿を拝見して、わたしも、自分なりに考えてみたいと思います。
それでは、わたしの大好きな「生長の家」のみなさま、今日もすばらしい一日をお過ごしください!
1156
:
ももんが
:2012/02/16(木) 16:10:45 ID:XXCuaQns
ハマナス様
ハマナス様、御言葉ありがとうございます。ハマナス様の心遣いは、真に素晴らしいです。いつも、教えていただき、ありがとうございます。感謝合掌、拝。
<<私たちは、幸運にもこの素晴らしい真理に触れて、素晴らしい恩師の方々の
お陰で、幸福になりました。
生長の家がなかったら、今の私もないと思います。
是非とも、この最高の真理と云われています、生長の家の御教えを先輩の皆さまと
共に手を取り合って、日本そして世界中にお伝えしなければならないとの思いを
強く致しました。>>
そうですね、基本は『明るい心』をいかに、保ち、これを、コトバ(コミュニケーションを取る方法なら、深い意味では、コトバらしい)
で伝えて行くが、光明思想の在り方のようですね。
昨晩は『天使の言葉』をあげていましたが、ベートーベンの事が、出できますよね?
ベートーベンは、耳がきこえません。
通常、『コトバ』と言えば、『音』もイメージしますよね。
ベートーベンの様な人は、『コトバ』は、音で聞かないわけですよね。
実際には、色々なコミュニケーションの手段で、『コトバ』や『音』を心で捉まえて理解するのでしょ。
人間は霊的存在で、魂や心を使って、日常活動してるからですよね。
人間だけじゃない、ネコや犬でも、そうじゃないかな?思わせられる時ありますね。
気の性かもしれませんが。
でも、そう考えると、万物皆兄弟と、思えてきますね。
本当にそうなったら、いいですね。
では、ハマナス様、お仕事、お忙しいのに、私に色々教えてくださり、ありがとうございます。インフルエンザ流行ってますから、気おつけて下さい。感謝敬白、合掌、拝。
1157
:
ももんが
:2012/02/16(木) 16:12:45 ID:XXCuaQns
トキ管理人様
1155の文章は、未完成文です。削除願います。
1158
:
ももんが
:2012/02/16(木) 16:15:38 ID:XXCuaQns
>>1150
役行者様、
役行者様、ご丁寧なお返事いつもながら、心遣い、御礼もうします。ありがとうございます。感謝合掌、拝。
役行者様の御文章を読み、私と、同じ様に思えていただき、感謝感激でございます。
<< さて、法統継承のことなのですが、結論から言いますと、私は天皇家と同様に男系の血筋の方が継ぐことを望んでおります。
いろいろとあると思いますが、日本という国は家族制度により守られてきたと思うのです。家に中心があり、その文化・伝統が連綿と続き、この象徴が天皇家と思っております。
その天皇家が代々受け継がれてきた伝統の一つに大和の精神が厳然と存在していると思います。>>
真の法燈継承としては
役行者様は、清超先生の『法燈継承の真義』の御言葉を大切にされる御気持ちは、私と同じ気持ちである事に、感銘を覚えました。
そして、復興G様の『継承』意味は
<< それと同時に、復興G様の仰るよう、一人一人がそれぞれの立場において、【あるべきよう】(明恵上人の言葉)的に、神の子の自覚をされ、それぞれの細胞も生かされて行くべきと思っております。
頭脳も、心臓も、手足も、一切者の自覚をもって生きていくのが最善と思っております。>>
各自の心の部分での『継承』と言う事ですね。
それならば、理解出来るし、納得出来きるものです。
役行者様のこの御言葉、全く、そうなってくれたれ、大変、私は、信徒の一人として、嬉しい思いです。
<< 本流の皆様もできれば日本をより良い国にするため、大同団結して一つの方向に進むことを望んでいらっしゃるとおもうのです。
ところが、数十年の遺恨、ならび現総裁は雅春先生の生命の実相、並び甘露の法雨を消滅させ、自らの聖典を拵えるのではないか!というような恐怖が、総裁追放に火を付けていると思うのです。
でしたら、同じテーブル上に付き、そのことも含め、十数年の遺恨もさながら、徹底的に議論を交わしたら良いかと思うのです。
きっと、疑惑は晴れることと信じております。>>
今日、生命の実相第1巻の、
172㌻の3行目に、こんな文章がありました。
〜だから、わたしはこのページを読まれのを機会に、読者諸君にむかって、あなたの全ての隣人をゆるすことを提議したいのであります。〜
それから、170㌻に
〜万物調和=万物一体 、この真理から生ずる感じが愛でありますから、
その反対たる
万物孤立=万物争闘、という『迷い』から生ずる悪感情(したがって生ずる生理的反映たる病気)を征服するには、やさしい言葉や行いでかたわらにいる人が『愛』をありありと実際に示してくれるかぎるのであります。〜
今、お互いが、お互いを、心の底辺では、即ち、無意識の層において、『許す』事は出来ていないのでは、ないでしょか?
確かに、裁判は、本流サイドの支援や応援してる側が、『勝ち』目に見える型では、総裁や幹部のしてる行為は、信徒を裏切る行為なのかもしれません。
しかし、もし、『勝ち』側のサイドが、無償で、全ての権利を放棄して、教団や総裁、幹部を許せるなら、それは、一般の思考と違い、宗教的思考からするなら、すごい、事であり、本流サイドの人たちの優れた、宗教者として資質を示す事になるように、私は、思うのです。
あまりに、大きい事を言うと、叩かれますね。
ももんがの、単なる、夢に、過ぎません。
役行者様、いつも、素晴らしい、御言葉と、私へ気遣いは、本当に、感謝してもしきれません、いつも、ありがとうございます。また、色々、教えて下さい。
ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
1159
:
ももんが
:2012/02/16(木) 18:22:57 ID:XXCuaQns
>>1151
トキ管理人様
トキ管理人様、御寒いですね。いつも、お心遣い、感謝しております。合掌、拝。
今朝の、『ありがとう』のお話で、恐縮なのですが。
トキ管理人様や、本部関係の方に、清超先生は、偉大なお方で、私の様な、一信者が、清超先生のゴミ拾いの日常の風景を目撃出来るなんて、罰当たりと、思われても、仕方ないですね。
本当に、申し訳ありません。
しかし、逆に、裏表の無い、真の宗教者の姿を教えていただき、本当に、私は幸せ者です。
実は、私の禅の方の師も、清超先生と良く似て、裏表なく、淡々と日常をこなす方でした。
私は、清超先生の御文章から、いつも、”曹洞宗の風 ”を感じていましす。
大分前ですが、安泰寺の住職であらされた、内山興聖老師のお話を、テレビで見ていました。
内山老師が、折紙を降りながら、色々なお話をされていましたが、折紙を手から離して、覚りについて、お話されていと思います。
『手放し、手放し』と何回も、同じコトバを繰り返して、お話される姿は、自然な雰囲気をかもし出して、なんとも、すがすがしさを感じました。
清超先生も、わかりませんが、どこかで、内山老師とかと、お話される機会が、会ったのかと、想像してしまいます。
正法眼蔵随聞記、いいでしょ?トキ様?
なんか、いろんな、物が、凝縮されていて、いつも、心で味わうようにしてます。
今夜は、寒いです。暖かくして、おやすみ下さい。不作法な、ももんがより、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
1160
:
ハマナス
:2012/02/16(木) 18:42:25 ID:u5mC.eb2
神の子の皆さま
ありがとうございます。今日は寒い一日でした。
二月十六日 自己の尺度を捨てる日 (『光明道中記』P.58より謹写)
他(ひと)を自分の尺度で測って善ならしめようとすれば、
相手を害(そこな)い、自分を害う。 (『生命の實相』七巻)
電車の中で人の顔を見ていると、実にいろいろの顔があり、色々の事を教えられる。
一つの顔を眺めても、見ている人の立場の位地の相違から、悉く異なって見えるもの
である。争いは、見る立場は一つしかないと云う根本的な迷誤(まちがい)から発(おこ)る
のである。或る人には一つ顔の横顔が見え、或る人には正面が見え、或る人には斜めに
見える。もっと委(くわ)しく分けるならば、一つの顔でも全然同じように見えることは
あり得ないのである。そこですべての人の意見は一致しないのが本当な位である。
そこで吾等が他と争うことを避けようと思うならば、吾等は事物を考えてやるのに相手の
立場に立って考えてやらなければならないのである。「あの人の身になったらどうだろう」
此の思いやりが本当の愛である。愛は自他一体である。昔は、「己の欲せざるところを他に
施す勿れ」と言ったが、今は己の欲せざる所も、彼は欲するかも知れないし、己の欲する所も、
彼は欲しないかも知れないことを知って、各々相手の立場に立って相手を生かして
やらなければならぬ。
毎日、神想観の前に、『生命の實相第37,38巻』『光明道中記』『光明法語』の
その日の箇所を読んでいます。
数々の素晴らしい聖典を残して下さいました、雅春先生に深く感謝いたします。
合掌
1161
:
ハマナス
:2012/02/16(木) 19:41:04 ID:u5mC.eb2
ももんが様
合掌ありがとうございます。ご親切にご教示頂きまして感謝いたします。。
>昨晩は『天使の言葉』をあげていましたが、ベートーベンの事が、出できますよね?
ベートーベンは、耳がきこえません。
通常、『コトバ』と言えば、『音』もイメージしますよね。
ベートーベンの様な人は、『コトバ』は、音で聞かないわけですよね。
実際には、色々なコミュニケーションの手段で、『コトバ』や『音』を心で捉まえて
理解するのでしょ。
人間は霊的存在で、魂や心を使って、日常活動してるからですよね。
そうなのですね。私たちは目、耳などの五感を使って見たり聞いたりしているようですが、
実際は魂や心を使って見聞きしている、見聞きしなければならないのですね。
そうなると、講習会での総裁先生ご夫妻のご講話や練成の講話などの、真理のことばは
頭だけでなく、“こころの耳を開いて”、聞かないといけないことが、わかりました。
いつも大切なことを気づかせ頂きましてありがとうございます。
ももんが様も、お寒いですのでどうぞお身体を大切になさって下さいませ。
感謝合掌
1162
:
トキ
:2012/02/16(木) 19:44:46 ID:TWnjN6n.
ももんが様
道元禅師の逸話でしたが、ももんが様のご文章を拝読しえ思い出した事があります。もし間違っていたらごめんなさい。
確か、道元禅師が鎌倉幕府の執権の北条時頼から招かれた時のエピソードだったと記憶しているのですが、
北条時頼を訪問した時に、北条時頼が手みやげを道元禅師に渡そうとしたら断られたので、随行の弟子に
手渡したそうです。で、永平寺に返ってから、弟子が道元禅師にその手みやげを渡そうとしたら、道元禅師
が激怒し、即座に破門したばかりか、彼がいつも座っていた場所の下の土をも掘り出して遠くに捨てた、と
いう話が記憶にあります。(間違っていたらごめんなさい)
そう言えば、谷口清超先生も、普段は温厚な方でしたが、教えや信仰の純粋性には厳しい方だったという
印象を持っています。その点は、道元禅師に共通する、真摯な姿勢の持ち主だったという感想があります。
もっとも、私のようなふざけた人間は、道元禅師の弟子としても、谷口清超先生の弟子としても、落第のよう
な気がします。
では、今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1163
:
SAKURA
:2012/02/16(木) 20:46:10 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
【幸福を招く365章】
■重荷を負える者よ 我れに来たれ
神にまかせるのでは無条件全托である。
完全に神にその処置権を譲り渡すのでなければなりません。
何一つ、自分のところへ止めて置くと云うものがあってはならないのです。
魚釣の餌のように、神に与えたものに釣糸をつけて置くと
云うようなことをしてはならないのです。
人間は神に任せた程度に従って、自分の肩の重荷がおりるのです。
神の自動車にのせて頂きながら、自分の荷物を自動車の中で
肩にかけているようなことをしてはなりません。
「重荷を負える者よ、吾れに来たれ、吾れ汝らを休ましめん。」
神はこう云い給うているのです。
あなたが重荷を負う位なら、神は貴方を救う必要がないのです。
神は貴方を完全に重荷から解放するために生長の家を
お創になったのです。
(谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■「全托…」
「無条件に処置権…」を、神に与える事でしょうか…?
今の私は…又!新たなる【難問題…】が起きてきていますが… ><
“全神経神”を、集中させていこうと思います…。
今日は?「歯科院へ…」
以前から“歯の痛み”があり…担当医は休みでしたが…
とりあえず「歯石」をとって頂きまして(多少の予防策かしら〜〜ン)と思いつつ?
それも兼ねまして…「歯石」を取って頂きましたが…
其の「歯石を取る」これが?物凄く〜〜〜〜〜〜“イタイ”のです。><
そこを私は「神の子」と唱えて…「痛みはない」と云いながら……><
一番痛い“歯”〜〜〜〜〜其の箇所に来た時は??もう〜〜〜〜たまらなくなり??
「神に委ねて」…任せて「歯石」を取って頂きましたら……
不思議です…。かなりの出血でしたが…「綺麗な〜真っ白な〜歯」に…
最終的には“レントゲン”を取って頂き「虫歯もない!!」結果に!!
今日は、担当医がいなくて、他の先生に見て頂きましたが…
日常の小さな出来事でも〜〜〜「たかが歯?」位でも…思われるかもしれませんが?
「神に重荷を委ねます…」と…必ず!いい方向に行くと“確信”…
今!「イヤ〜〜ナ吸血鬼・ゾンビ達・黒幕デザイナ−」の問題に悩んでいますが…
■「重荷を負える者よ、吾に来たれ、吾れ汝らを休ましめん」
安心して“神に委ねます”……“神の御心に”
せっかく「事務所」を構えたのに…
又??又??どうしてこの様になるのでしょうか…・…?
全て「神の御心に…全托」
この法則を教えて頂いた「雅春先生」に感謝申し上げます…。
再合掌
PS:トキ様へ
本日の解釈?「日常の出来事」を踏まえまして、捉えてみましたが…?
どのように解釈されますでしょうか?
1164
:
a hope
:2012/02/17(金) 11:37:18 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
白鳩と烏と料理人
或る所に、長者があって白鳩を一羽飼っておりました。
白鳩を入れてある鳥籠は、長者の家の料理場の出口のところにかけてありましたが、
料理場にはおいしそうな魚や羊の肉がならべてありましても、
白鳩は欲深ではありませんでしたから、自分のために与えられてある豆、粟、玉蜀黍(とうもろこし)などのほかは、
けっして手をつけませんでした。
すると或る日、一羽の烏(からす)がやって来て、料理場をのぞいてみると驚きました。
魚のフライや、羊の挽肉がおいしそうにならんでいるではありませんか。
烏は、「白鳩というものはなんてぜいたくな御馳走を食べているものだろう」と羨ましくなりました。
そして、「ひとつあの白鳩の友達になって、その魚や羊の肉を食べたいものだ」と思いまして、
計略を考えつきました。
白鳩の鳥籠の入口は自由に空いていまして、いつでも出入りができるようになっていました。
毎朝、夜があけると、料理人が料理場の出入口の扉を開きますので、
そこから白鳩は遊びに行ったり、間食(おやつ)を探しに行ったりするのでした。
烏はそれを待っていて、白鳩と友達になろうと、しきりに白鳩を追いかけて飛んで行くのでした。
「なぜあなたは、私のあとばかりねらって飛んで来るのですか。
私は白鳩ですし、あなたは黒い烏ですから、夫婦になるわけにはゆきません」と白鳩は申しました。
烏は猫撫で声をして申しました。
「私はごらんのとおり黒い醜い鳥ですから、あなたのように、
その白い清浄な美しい方と夫婦になろうなどとは思ってはいません。
あなたの飛んでいられる上品な羽の姿を見せていただいていますと、
私もこの黒い羽が白くならなくとも、せめてあなたのような立派な美しい飛び方が、
見よう見まねでできるだろうと思うのでお近づきになりたいと思うのです、
どうぞ私をあなたのお友達にならせてください。」
白鳩は烏に誉められたので、得意になってしまいました。
そして烏に友達になることを許して夕方、白鳩は自分の籠へ烏を連れて帰ってまいりました。
料理人はそれを見つけて、「白鳩が黒鳩を連れて帰って来た」と申しまして、
二羽分の豆や粟や玉蜀黍を入れてくれました。
或る日、長者は親類の人々をお招きするのだと言いまして、たくさんの魚と羊の肉とを料理人に買わせました。
夜があけて料理場を見ると、それらの肉がおいしそうにズラッと俎(まないた)の上や料理台の上にのっております。
白鳩は「烏さん、一緒に外へ遊びに行きましょう」と申しました。
烏は「いいえ、今日はお腹が痛くて飛べませんから、あなたひとりで遊んできてください」
といって、ただひとり籠の中に残っているように頑張りました。
(つづく)
1165
:
a hope
:2012/02/17(金) 11:45:10 ID:kcv2QXTk
(つづき)
「烏が腹痛などになるものではない、おまえは貪欲(よくばり)のことを考えているね。
欲深いことをすると、必ず自分を害することがあるから気をつけなさい。」
こう言って白鳩は飛んで行ってしまいました。
料理人たちは魚を料理し、羊を挽肉にして、一方で煮立てながら、
それらの料理を盛るべきお膳を取りに行こうと、みんな一度に出て行きました。
烏は、ちょうど好いおりだと思いまして籠から飛び降り、
回転式になっているスープの濾器(こしき)の上にとまって、
一つの大きな羊の肉片(にくきれ)をとらえました。
スープ濾器は、烏の重さと肉片の重さで、それを啄(ついば)むたびごとにコトコト音を立てました。
料理人は、猫でも来たのであろうかと思って急いでやって来てみますと、猫ではなくて烏なのです。
「鳩が羊の肉を食べる奴があるか。妙に黒い鳩だと思ったら、お前は烏だったんだな。
よく人間様を騙しやがった。」こう言って料理人は烏の羽をことごとく引きむしって、
その爛(ただ)れた傷あとへ、印度辛子のピリピリしみる奴をつけて、籠の中へほうりこみました。
白鳩はそこへ帰って来て烏に申しました。
「・・・・・だから私はお前に言ったのだ。何事も分(ぶん)を守らねばならぬ。
欲張ったら自分を滅ぼすことになると。
誰でも、与えられているものが、一番その時の自分にとって好いものである。
今あるものを感謝して受け、今あるもののありがたさを、
しみじみ受け味わって行くようにすれば、他(ひと)のものを欲張ることはいらぬ。
日光の中で羽を伸ばす喜び、空気の中を思うさま翔けまわる喜び、空から下界を見下ろす喜び、
心の目を開いてみれば、誰にも感謝し切れない喜びがこの世界に満ちているのだ。」
烏は白鳩の教(おしえ)を聴きながら死んで行きました。
彼は白鳩の教をきいたので、その次に生まれかわって出る時には、
釈迦の弟子として生まれたと『本生経』に書いてあります。
世の中に不平を持っている人は、この愚かな烏と同じことです。
実際心の眼をひらけば、喜べる恩恵が、自分にいっぱい与えられていながら、
それに気づかず人のものを欲しいと思うのです。
仕事でも忙しいといって不平に思う人がありますが、
はじめて就職して仕事を得た時に「仕事があることがどんなに嬉しかったか」を考えてごらんなさい。
今、勉強がうるさいとか面倒くさいとか考える学生さんは、
入学できて勉強できる資格ができた時の嬉しさを、もういちど思い起こしてごらんなさい。
1166
:
a hope
:2012/02/17(金) 12:17:19 ID:kcv2QXTk
みなさま こんにちは
わたしは、このお話を読んで、自分が、はじめて「生命の實相」を手にした時、
「生長の家」の教えに触れた時のことを、思い出してみました。
魂が震え、「この教えこそ、わたしが今まで求めていた教えだ!」
と実感した時の喜びがよみがえってきました。
しかし、現実の「生長の家」教団は、あまりにもわたしの求める、「教え」とかけ離れていました。
本流復活をめざす方々は、それは、雅宣総裁先生の指導が間違っているからだと、
おっしゃっています。
そして、信徒の方々ですら、そう思っている方が多いのだと思いますが、
新入生のわたしには、それはわかりませんでした。
だから、わたしは、雅宣先生の間違った教えのために、自分の魂が混乱して、
体調まで壊してしまったのだと思いました。
でも、今はこの「生長の家」の問題は、雅宣総裁先生だけが原因ではないと思っています。
復興Gさまの、
>「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。それは、自分のことである。
「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、
生長の家信徒一人一人が皆、各自の内に「法燈継承」をすべきではないか――――と。<
とご教示をきいて、今までの自分の心のわだかまりが、“ぱーっ”と消えたような気がしました。
雅春先生は、「生長の家」を愛するすべての人々に、「法燈継承」して下さっていたのですよね。
そのために、たくさんの聖典を残して下さっているのですものね!
わたしは、この「生長の家」の教えに出会えたことに、あらためて大きな感謝の気持ちが湧いてきました。
そして、この素晴らしいみなさまとのご縁にも感謝の気持ちでいっぱいです。
わたしの大切な「生長の家」の先輩方、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
1167
:
「訊け」管理人
:2012/02/17(金) 12:34:31 ID:???
>a hopeさま
――――――――――――――――――――――――――――――――――
復興Gさまの、
>「法燈継承」は、外のことではない。「法燈継承」は、他者のことではない。それは、自分のことである。
「法燈継承」は、総裁お一人のことと考えるべきではなく、
生長の家信徒一人一人が皆、各自の内に「法燈継承」をすべきではないか――――と。<
とご教示をきいて、今までの自分の心のわだかまりが、“ぱーっ”と消えたような気がしました。
雅春先生は、「生長の家」を愛するすべての人々に、「法燈継承」して下さっていたのですよね。
そのために、たくさんの聖典を残して下さっているのですものね!
――――――――――――――――――――――――――――――――――
チ ェ ス ト ! !
1168
:
ハマナス
:2012/02/17(金) 23:03:40 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
こんばんは。今夜は、雪がちらついていました。
二月十七日 自在を得る日 (『光明道中記』より謹写)
一つのものにでも執したら、苦しみは其処から始まる。(『生命の實相』第十一巻)
解脱を仏と言う。解脱とは執なきを言う。
執のなきを自在と言う。執を縛と言う。執は一定のところに縛り附けて其の自由を
奪って了(しま)うからである。
子供に執すれば、子供はその自由を失って病気に罹ったり成績が悪くなったり
するであろう。執愛は縛愛であり、一定の場所に相手を縛りつけて自由を失って
了う愛であるからである。
子を愛する者は、子をよく放たねばならぬ。小鳥を愛する者は小鳥をよく放たねば
ならぬ。小鳥を愛すると称して籠の中につなぎとめて置くとき、その小鳥は永生き
しないであろう。放たれてこそ、小鳥はその『生命の實相』の自由を発揮して健全
なるを得るのである。故も亦斯くの如くよく放つとき、よく生きる。
「愛」を釈迦は煩悩のうちに数えた。愛をキリストは神性のうちに数えた。
愛は煩悩より出でて神性にまで昇るものである。
愛は神性より出でて煩悩にまで墜落するものである。
愛が愛である使命を果たすには智慧に導かれねばならぬ。
1169
:
ももんが
:2012/02/18(土) 05:59:10 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。首都圏は、昨晩から雪が降ったりして、寒いですね。それでも、元気だして、明るく、楽しく、笑顔で、家族と供に、素晴らしい日を造りましょう!ありがとうございます。合掌、拝。
〜いのちの環3月号より〜
☆いのちの回廊
毎日毎日を、神から与えらた
『幸福』の日であると信じて“毎日”を感謝しなさい。
あなたが素直に“神の祝福”を見る眼をもって
“毎日”を迎えらるならば、至る処に神の祝福を見出されるに
相違ないのであります。
そこに、今、愛し愛し愛される家族があるではありませんか?
親も子も配偶者もない天涯孤独の人であっても、そこに今“神”が居たまうのです。
〜谷口雅春著『如意自在の生活365章』173㌻
昨日は、大変暖かい日でしたね。しかし、夜には大粒の雪が、降って来て、春と冬との狭間に、いま、季節は、あるのですね。
トキ管理人様、ハマナス様、役行者様、皆様、昨日は、私用が多く、御返事も書き込みも出来なくて、相すいませんでした。
生長の家の、現在の現象も、季節の移り変わりの如く、必ず、”春“は来るはずです。
まずは、心に春の日差しを描くようにすれば、神様は、知らない内に物事を解決する事もあるように、私は思われます。
では、では、本日は天候も良くないですが、暖かくして、明るく、楽しく、お過ごしください。ありがとう、ございます。感謝合掌、拝。
1170
:
役行者
:2012/02/18(土) 07:00:37 ID:KDgzEzMg
合 掌
昨夜の雪が信じられないほどの今朝のさわやかな晴天は、春の日差しをさえ感じます。
さて、本日18日は、天皇さまが手術をなさる日です。
春の日差しが、春風に乗って よいお知らせを運んで下さると信じつつ、ご平癒をお祈り申し上げます。
すべては良くなる兆しなのでしょう。
1171
:
ももんが
:2012/02/18(土) 07:17:21 ID:XXCuaQns
>>1170
役行者様
役行者様、おはようございます。合掌、拝。
私も、同思いでございます。今朝の、神想観でも、天皇陛下の御快癒御祈りいたしました。
本日は、春の日差し、よき日に成といいですね。
誠に、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
1172
:
ハマナス
:2012/02/18(土) 08:24:18 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
おはようございます。
今日の、天皇陛下の手術が大成功であります事をお祈り申しあげます。
そして、皆さまにとって、素晴らしい新生の一日でありますように
お祈り致します。
先ず自分自身に和解する (『生活の智慧365章』P.112より)
どんな不調和な状態が現在その団体にあろうとも、又その家庭にあろうとも、
又人と人との関係にあろうとも、その団体を祝福し、その幹部及びメンバーに
感謝し、その家庭を祝福し、その家族ひとりひとりに完全に感謝し、紛争の
起こっている相手があるならば、その相手の人を神想観の時に祝福し、その相手に
和解と善意と感謝の愛念を送ることにするならば、相互の間は不思議に調和を
取り戻すことができるのである。
原因は環境にあり、又相手側にあると見える時にも実は自分の心の内にあるのである。
紛争や不調和が起こる原因の一番根底には「自己嫌悪」が横たわっていることが往々にしてあるのである。自分自身を嫌悪しているために、それが他の人に移入されて文句を
言いたくなるのである。吾々はもっと度々神想観をして、自分自身を祝福し自分自身に
感謝し、自分自身に和解しなければならない。
感謝合掌
1173
:
役行者
:2012/02/18(土) 08:41:58 ID:KDgzEzMg
ももんが様
ハマナス様
世界も、日本も、生長の家も、自壊作用を織り込んで、すべてご神意のまにまに良くなっていきます。
合掌
1174
:
トキ
:2012/02/18(土) 11:27:33 ID:IcchsNRU
ももんが様
いつも素晴らしい御文章を投稿して下さり、深く感謝申し上げます。
私も、よく留守をしますから、気にされないで下さい。書ける時に、投稿をして下されば結構です。
おっしゃる通り、気候でも冬がくれば、春が来ますから、生長の家も春は近いと思います。
寒い日ですが、元気で過ごしましょう。
合掌 ありがとうございます
1175
:
a hope
:2012/02/18(土) 12:52:29 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
]
猿と園丁(えんてい)
或る王様の国の御料林(ごりょうりん)に、猿がたくさん棲んでいました。
園丁は猿と仲好しになっていまして、猿の中に、猿の王様というべき頭があって、
園丁の言うことはなんでもわかり、園丁の言うことには、なんでも素直にそのとおりしてくれるのでした。
その頃、王様の即位三十周年記念祭がありまして、国の都で大仕掛な花火や花車(だし)や、
神輿などの催しがあり、国を挙げての大騒ぎが始まりました。
園丁は、御料林の樹を枯らしてはならないと思いまして、猿の王様を招(よ)んで、
「私はお祭見物に王様の都へ行って来るから、この林の中の、
旱(ひでり)に弱い灌木には水を毎日掛けておいてください」と言って頼みました。
「よろしゅうございます。私が猿の家来どもに申しつけて、必ず有効に水を全部の灌木にかけておきます。」
こう言って猿の王様は引受けました。
山の灌木に水を皆そそぐことは、なかなか大変な仕事であり、谷川の流れまで水を汲みに往っても、
それを山の上まで持ち上げるのは、猿にとって大変でした。
そこで猿の王様は、好いことを考えついたと思って家来どもを集めてこう言いました。・・・・・
「おい皆のものよ、水を谷から上げるのは、人間のように真直に立って歩けない吾々猿にとっては、
なかなか大変なことであるから、水を有効に使わなければならない。だから灌木に水をかけたときには、
どのくらいまで実際水が根に沁みているのか、灌木の根をいちいち引き抜いてみて検(しら)べた上で、
あまり水の多いのは、こんど水をかけるのを節約しなければならぬ」と言いきかせました。
猿達は御料林にある灌木に水をかけて、いちいち引抜いては挿し、引抜いては挿してゆきました。
園丁が、国の都の祭りが終って帰って来たときには、山中の灌木という灌木は、
猿達がいちど引抜いてまた挿したためにことごとく枯れていました。
園丁は自分の仕事をおろそかにしたというので、きびしく罰せられました。
・・・・・智慧のない深切は、かえって殺すことになるというのが、生長の家の教えである。
人は自分に委(まか)された仕事を、自分が遊ぶために他(ひと)に委せては、こんな失敗が起こる。
自分に委された仕事は、自分に一番適するから委されているのである。
(第四章 終り、 次回、第五章 能力の生かし方)
みなさま こんにちは
今日は、朝、とても寒かったですが、今はとても暖かくてなりました。
今朝は、調子のちょっと悪い子どもを病院へ連れていったのですが、インフルエンザでなくてよかったです。
もう、元気に遊んでますし...(笑)
今朝は、土曜日ということもあり、ちょっと朝寝坊して神想観する時間がありませんでした。
それで、病院の待合室で椅子に座り、心の中で神招歌を唱えてから神想観をしてみました。
まわりはざわざわしているし、TVのボリュームも大きかったのですが、意外とすぐに集中できました。
これなら、どこでも、いつでも神想観ができると思い嬉しくなりました。
試験の前とか、面接の前とか、スピーチの前とか、緊張するようなとき、
神想観で心を落ち着かせることができたら、鬼に金棒ですよね!
わたしも、天皇陛下の御快復、お祈りさせていただきました。
1176
:
SAKURA
:2012/02/18(土) 15:20:04 ID:q9UkkTZw
トキ様 へ
皆さま へ
こんにちは
昨日は「母の法要…」と私用のために“留守”しておりました。
今日“パソコン”を開きますと、皆様のいろんな方の“意見投稿”が…目にとまり…
昨日は、お寺に行く途中“雪が降り”出して…此処九州でも雪が今現在降っておりますが?
“雪の中”を風を切る様に歩いて…無事!に着き…
「亡き母の57日法要」も無事に終えてまして、その後いろんな世間話をしまして、
私は、此処昨今の改めて「人生の月日の流れ」をかみしめた次第ですが…?
「生長の家」が、今!どの様にこれからの【航海の舵…】を握る事は…
一人一人の多種多様な考え方もあり…「一つ過渡期」でしょう〜ネ?
当に!!これから良くなる【自壊作用…】の始まりでしょう…。
■幸福を招く365章
【自分の罪を赦しなさい…】
すべての不安は、神と離れた感じから起こるのである。
だから「神と一体である」という自覚を呼び起こすあらゆる方法はすべて、
不安を解消し、健康を増進する目的に適うのである。
神と離れていると云う感じは、「罪がある」という自覚からくるのであるから、
「罪がゆるされた」と云う感じを与える方法は
不安を解消し健康を増進する目的に敵うのである。
だからイエスは「汝の罪赦されたり」と云う語(ことば)で
人々の病気を治しているのある。
病気の人は自分が自分の罪を赦せばよいのである。
イエスは「審判(さばき)は子(人間)にゆだねられたり」云っている。
自分を罰するのも自分であれば、自分の罪を宥すのも実は自分であるのである。
「神がわが罪を赦したまいて、その愛の蓑手をもて抱きたまう、
我はすでに癒されたり」と念ずるのは、自己責罰を自分で赦すよき方法である。
メニンジャー博士はその著「おのれに背くもの」
(日本教文社発行、下巻の(焦点的自殺)の項)の中で咳が他を憎んで
毛嫌いする心から起こると云うことを書いているのであるが
1951年1月21日発行のウイ−クリ−・ユニティ誌に於いてもスティヴンス・
ハットフィ−ルド氏が「正しく思え、正しくあれ」(Think right Be right)
の中で同じような実例を挙げている――或る婦人が自分の甥を貰って
実子のように育てていたのである。
甥は戦争のため入隊したが或る日休暇で一人の友人と共に帰って来た。
海軍の服装をつけているためにその年齢では出入出来ない遊び場に出入
するようになった。酒場で出入りして酒を飲む、パチンコをやる、
ダンス、賭博とある限りの歓楽を尽くすのである。
養母はどんなに説得してもきかなかった。
その時20年間影をひそめていた気管支炎が再発して重体に陥った・・・・・・
この種の家庭に於ける精神的葛藤が病気を起こすことは数知れずである。
殆ど病気の大部分がそれであると云うことが出来る。
吾々の肉体は、吾々の抱懐する想念感情と同じような種類の形につくられる。
家族の誰かに対していだいている怒りをゆるすことは、自分の心を
縛っていた縛りをほどいてしまうことになるのである。
身体が硬直したり、不自由になったりする病気は人を赦さないことから
起こっている場合が多いのである。
だから人を審判(さば)いてはならないのである。
たとい相手が悪くとも、相手が悪いからとて、こちらが心を硬(こわ)ばらせば、
自分の肉体の組織が硬ばることになるのである。
狭心症や血管の硬化や、喘息や、組織を狭窄(きょうさく)せしめる
病気は人をゆるさない心から起こることが多いのである。
(谷口雅春著)
今日の内容は、現実的な事にも入るのでしょうか?
今回【原宿本部と社会事業団との裁判の行方…】は?確かにどちらが悪いとか??
確か「中島様」は現総裁より年上の方なのでしょう…。
「現総裁先生=>お孫さん」という見方で、多少は自分のご年齢(経験…)も踏まえ、
「自分が正しい…」という感覚から来たのでは?と思えるふしが…
多少なきにもあられるのでは?ないのでしょうかしら〜〜ン??
<つづき> No.1
1177
:
SAKURA
:2012/02/18(土) 15:21:16 ID:q9UkkTZw
<つづき> No. 2
「雅春先生亡き20年間」の間に…「雅宣先生」側に加担するより…
「2代目清超先生」に加担されていたのでしょうか…?
既に!!!この時から「2代目清超先生 対 3代目雅宣先生」この派閥間での、
【闘争問題…】がありました事を、お聞きいたしている次第です…。
この件を、或る時?“お話”を聞いたことがありますが…
もう何年前の事ですので…但し現状は…??まだ?続行なのでしょうかしら〜〜ン?
「2代目清超先生」が、倒れられまして、何年かした頃?当時の理事会の方が…
【派閥】に分かれていて…大変!と聞いたことがあります…。
この頃からの「2代目清超先生」が亡くなられてからの【闘争問題…浮上】でしょう?
冷静な目で判断させて頂きますと…
「ときみつる会」「学ぶ会」の方々の中には…「2代目清超先生」がご健在の頃は…?
【怠慢!!増冗漫!!的行動…】が、私達一般信者(末端)でも見えましたが…
■どちらが正しいのではなく…まず“年輩の方”から“腰を下ろす”事も必要では…?
これが…【人格…】
“一般信者”はたまた?“世間の見方”…このように捉えるのではないでしょうか…?
まず!!「現総裁」をたててから…「話し合い…じっくり」が必要ではと思います…。
肝心なのは!!!!
■【我と我の張り合い…】これは最終的には、何も生み出せませんし、逆に…??
私事ですが、現在!いろんな形で「不利な立場」に於かされていますが…
【吸血鬼・ゾンビ…黒幕??】
【中傷…金の為】に、あらゆる所に…もしかしたら「生長の家」の個人相談まで…(微笑)
■■【今日先生の言葉】から、まず!【神の儀に入ることが神の入門】ではと…
少し思えるようになりましたが…私も今回!!
この「先生の言葉」が“的”をうって…いるのかしら〜〜〜〜ン?
此処!九州…雪が降っています。昨日と違って、“積りそう〜〜”にも見えます。
TYO方面は、如何でしょうか…?
■私がTYO在中の頃ですが…?【 或る天気予報の方…】が…
【2月一番寒い時に、大きな地震が来ると…】云っておりました“言葉”…
私の潜在意識の中に入り込んでおりますので…“気になり”ます。
(ネガティブな感情で…ごめんなさい)
……トキ様……皆様 風邪をひかれませんように…
PS:
トキ様でしたら「今日言葉」の解釈どの様に…思われますでしょうか?
1178
:
ハマナス
:2012/02/18(土) 20:50:00 ID:u5mC.eb2
ももんが様
役行者様
皆さま
ありがとうございます。
天皇陛下の手術が無事に終わり、ほっと致しました。
皇后様も黒田清子様もどんなにかご心配されてお待ちあそばされたことでしょう。
ご平癒をお祈り申し上げます。
>世界も、日本も、生長の家も、自壊作用を織り込んで、すべてご神意のまにまに
良くなっていきます。
私もそう信じます。
神様の御心のもとで早く生長の家が世界に使命を果たす日が来る事を
信じたいと思います。
感謝合掌
1179
:
ももんが
:2012/02/18(土) 20:53:38 ID:XXCuaQns
>>1174
トキ管理人様
トキ管理人様、今日は、晴れていて、大変よかったですが、風が、大変冷たかったですね。いつも、心尽くしの御返事、感謝しております。誠にありがとうございます。合掌、拝。
先日、頂戴した、道元禅師と北条時頼公の下記のお話の件、お答えします。
<< 道元禅師の逸話でしたが、ももんが様のご文章を拝読しえ思い出した事があります。もし間違っていたらごめんなさい。
確か、道元禅師が鎌倉幕府の執権の北条時頼から招かれた時のエピソードだったと記憶しているのですが、
北条時頼を訪問した時に、北条時頼が手みやげを道元禅師に渡そうとしたら断られたので、随行の弟子に
手渡したそうです。で、永平寺に返ってから、弟子が道元禅師にその手みやげを渡そうとしたら、道元禅師
が激怒し、即座に破門したばかりか、彼がいつも座っていた場所の下の土をも掘り出して遠くに捨てた、と
いう話が記憶にあります。(間違っていたらごめんなさい)>>
トキ管理人様の上記の、お話のとうりで、ございます。
宝治元年に、在家の弟子の波多野義重公の頼みで、時の執権・北条時頼公の招きに応じて鎌倉へ八ヶ月程滞在したそうです。それは、その後のお話です。
道元禅師は、先師・天童如浄禅師の遺言である。
『町中に住んではならない、権力者にもちかづいてはならない、深山幽谷に住み、たたっひとりでもよいから本当の弟子を育てるのだ、禅の道をたやすでないぞ。』
正法眼蔵随聞記を読むと、道元禅師が、天童如浄禅師の事の教えを意かに忠実に守って来た理解できるし、今日の曹洞宗の教えの中でも心に刻みたい教えです。
トキ管理人様。清超先生が職員の皆様に厳しいのは、雅春先生の継承者として常に厳しくあったのでしょね。清超先生と道元禅師が、トキ管理人様のお話から、だぶって、来てしまいした
後、北条時頼公も、禅僧として諸国行脚した逸話があるほどの人です。玄峰老師の本にこんな、詩が載ってました。
『心こそ、心迷わす、心なり、心に心心許すな』
最明寺時頼こと、北条時頼公の詩です。
後、お話変わりまして、別の版にあった、トキ様のお話に、宗教者の香りを感じた、私であります。
<< ただ、最近、ようやく分かったのが、相手を「型」にはめるのではなく、相手の
個性とか人格を伸ばすのが、大切だと思います。生長の家だからこうあるべきだ、
というのではなくて、その人の根底にあるものが生長の家の信仰であれば、自由
であり、平等だと思っています。
環境がどうの、とか、国家がどうか、という大きな話には正直、あまり関わりが
ありません。死ぬ時には、どうせ裸で死ぬのですから、生長の家という大きな看板
を掲げるのではなくて、一人の人間として、もう一人の人間と接する、という姿勢
でお会いしています。たまたま、早く産まれたり、あるいは早く生長の家に触れた
ので、お世話をさせていただいています。生長の家が真理だとか、他の宗教が悪い
とか、というスタンスではなくて、この信仰を通じて、目の前の人が幸せになって
欲しい、というスタンスで伝道をしております。生長の家は真理ですが、それを
信じている私が生長の家を正しく理解しているとは言えませんから。
そういう観点から考えると、私は生長の家の事を何も分かっていないし、何も
実践できていない、という事は痛感します。まあ、だから、勉強をしているので
しょう。>>
正しく、トキ様の云わんとしてる処が、宗教者の本質と私も思います。
良く、私は、禅の師から、『何事も成りきり、好きだ、嫌いだ、損だ、徳だと、言わないで、捨て切ることがかんじだよ』と言われました。
トキ様の言葉の中にも、成りきろ、己を捨て様とする、大慈悲心が、感じられました。
大慈悲心=観世音菩薩の心=聖母の心
なんじゃないかと、私は思います。
これ、大変重要な事だと、私は、個人的に、思ってます。
それでは、トキ様、寒いですから、暖かくして、おやすみください、いつも、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
1180
:
トキ
:2012/02/18(土) 21:01:39 ID:IcchsNRU
>>1176
SAKURA 様
素晴らしい御文章、ありがとうございました。
少し話題が違いますが、感じた事があります。
悪い遊びの件ですが、長い人生を考えると、いろいろな体験をした
ほうが良い場合もあります。
遠山の金さんで有名な北町奉行の遠山影元は若い頃は不良で
遊び歩いていたのですが、そのおかげで庶民の事情に通じるに至り、
よい奉行になったと言われています。
私の友人で、東京大学の大学院を出た友人が述懐しておりましたが、
若い頃、勉強ばかりしていたので、世間の事がわからず後年苦労をした
と言います。
そう考えると、生長の家が今、苦労をしているのも、ある意味では
悪い事ではないと思います。
老婦人と同じく、それを心配し過ぎて、病気になったりするのも
つまらない話だと感じます。
どうも、少し論点がずれて、ごめんなさい。
1181
:
トキ
:2012/02/18(土) 21:05:13 ID:IcchsNRU
>>1179
ももんが様
わざわざ調べて下さったのですね。恐縮いたします。言った本人が忘れていたのに、
どうもすみませんです。こういう部分は本当に無責任だと自分でも痛感します。
まあ、私の場合、本当に生長の家の事が全然分かっていないのですから、とても
威張れた話ではありません。単なる居直りです。(笑) 我慢してやって下さい。
では、寒い日が続きますが、ご自愛下さい。
今後ともよろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
1182
:
ももんが
:2012/02/18(土) 21:24:38 ID:XXCuaQns
役行者様
ハマナス様
皆様
今日も、風が、冷たかったですね。皆様、役行者様、ハマナス様、暖かくされて、いますか?いつも、素晴らしく、お話、ありがとうございます。感謝合掌、拝。
役行者様のお話
<< 世界も、日本も、生長の家も、自壊作用を織り込んで、すべてご神意のまにまに良くなっていきます。>>
誠に、その様に感じらる、今日ですね。
こうした時は、一番身近な、家族の為に、祈る、和解することから始めたら、良くなる様に思います。
結構、家族て、和解してるつもりでも、心の奥底(深層意識)では、和解して無い事はありますね。
無意識層を支配するは、難しですね。
それと、ハマナス様の今朝の御文章、とても、素晴らしいですね。感動しました。
<< 先ず自分自身に和解する (『生活の智慧365章』P.112より)
どんな不調和な状態が現在その団体にあろうとも、又その家庭にあろうとも、
又人と人との関係にあろうとも、その団体を祝福し、その幹部及びメンバーに
感謝し、その家庭を祝福し、その家族ひとりひとりに完全に感謝し、紛争の
起こっている相手があるならば、その相手の人を神想観の時に祝福し、その相手に
和解と善意と感謝の愛念を送ることにするならば、相互の間は不思議に調和を
取り戻すことができるのである。
原因は環境にあり、又相手側にあると見える時にも実は自分の心の内にあるのである。
紛争や不調和が起こる原因の一番根底には「自己嫌悪」が横たわっていることが往々にしてあるのである。自分自身を嫌悪しているために、それが他の人に移入されて文句を
言いたくなるのである。吾々はもっと度々神想観をして、自分自身を祝福し自分自身に
感謝し、自分自身に和解しなければならない。>>
正しく、そのとうりと、私も思います。何時も、適切な御指導有難うございます。これからも、よろしく、おねがいします。
皆様、天皇陛下、早くご快復される良いですね。
其では、まだ、風は冷たいですから、暖かくして、おやすみください、ありがとうございます!感謝敬白、合掌、拝。
1183
:
ももんが
:2012/02/19(日) 06:48:00 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。今日も、素晴らしい朝が、やって参りました。今朝も、寒いですが、元気に、明るく、楽しく、生活して参りましょう。ありがとうございます。合掌、拝。
〜『ありがとう』はすばらしい より。抜粋〜
☆この世の中は、コトバで言うことが実現するのであって、それ以外の何ものでもない。だから毎日『ありがとう』『ごくろうさん』『サンキュー』『メルシー』と言っている人たちには、ありがたいことが次々に出て来るのだ。もちろん一日中『ありがとう』ばかり叫んでいるわけでないから、色々と出て来るが、ムッツリとして黙りこくって、文句ばかり言っている人には、それなりのいやな“注文品”が出てくるの出ある。
さっきコトバと言ったが、それには広い意味だから、表情もコトバだ。笑顔も、会釈も、握手も、キスも、すべてコトバの(行)ななである。犬が尻尾を振るのも、彼らなりの『ありがとう』である。〜谷口清超先生著〜
昨日も、たくさんの人に、挨拶をしました。今日も、清超先生の教えの要に、たくさん、明るいコトバを、振り撒いて行きたいと思う、私です。
それでは、今日も、明るく、楽しく、明るいコトバで、神の子の生活を楽しんで行きましょ!ありがとうございます。合掌、拝。
1184
:
復興G
:2012/02/19(日) 06:50:07 ID:ojEbkDH2
皆々様。
ありがとうございます。
天皇陛下に限りない感謝を捧げ、御平癒を祈念申し上げます。
さて、現象界はいま、日本の大変な国難の時であり、人類全体の大変動の時でもあり、そして万教帰一の生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動が、ガタガタになってしまいそうな危機の時でもあると思われます。全信徒が本当に初心に還って、新生再出発しなければならないときです。
前に、1月12日の日経夕刊に和田昭允氏が「明日への話題」欄に「孫子の兵法」について書かれていたのをご紹介しましたが、私は今、
『孫子の至言』(田口佳史著、光文社刊)という本を読んでいます。
「孫子」と言えば「兵法」──戦争の技術など、争いを良しとしない生長の家とは縁が遠いものかと、以前は勝手に思い込んでいましたが、そうではありませんでした。実に面白い本でした。
今直面している生長の家の重大課題解決への道を探るのに、とても参考になると思われることが、いっぱいありました。
孫子の時代というのは中国で紀元前770年から同221年まで550年も続いた春秋・戦国時代。この乱世の時代に、諸子百家と呼ばれるさまざまな思想が生まれました。なぜかと言えば、古い秩序が崩壊し、武力が幅をきかせる乱れた世の中にあって、誰もが平和な未来を希求していたからです。それをいかに創り出していくかが、時代の最重要課題であったのです。そのなかで孫子は、「平和を取り戻すために勝つ」ことを目した兵法書を編纂したのでした。孫子は決して暴力的・好戦的なのではなく、社会がそれほどに厳しい状況にあったということです。
『孫子』は、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあって、どう戦って勝つか、ということを前提とした戦略を伝える書です。まさに、命がけの戦い。負けは死を意味します。だからこそ、絶対に勝たなければいけないんですね。
生長の家も、ある意味で今、「生きるか、死ぬか」の瀬戸際にあるとも言えるでしょう。だから、『孫子』がとても参考になると思うのです。
孫子は、この兵法書の中で、「軽々しく戦うな」ということを言っています。たとえば
「兵は國の大事にして、死生の地、存亡の道なり。」
という一文があります。これについて、『孫子の至言』の著者田口佳史氏は、
<「戦争というのは国の存亡を分ける重大事である」とし、だからどう行動するかについては、「察せざる可からず」と言っています。この「察」の字は、下に「示」とありますね。これは神棚を表し、上の部分は手で肉をお供えしていることを意味します。したがって、神棚の前で雑念のない真っ白な心で自分自身に問いかけなさい、公平無私な判断をしなさい、というのです。「戦いというのは生きるか、死ぬかの大事なのだから、軽々しくやってはいけませんよ」ということです。
私たちはときに、どうでもいいことで争うことがあります。命を取られるほどのことはないからいいではないかと言われればそうですが、無用の争いはやはり避けたほうがいい。負ければ、心身の消耗が激しく、命を縮めることにもなりかねませんからね。
どうしても争わなければならないにしても、絶対に勝てるのか、勝つことの意味は何なのか、といったことを熟慮する必要があるでしょう。
争い事を前にしたら、むやみやたらと戦いに打って出るのは一番の愚策。命を損なう危険も視野に入れて、慎重に考えなければいけないのです。
── 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋
<つづく>
1185
:
復興G
:2012/02/19(日) 06:50:55 ID:ojEbkDH2
<つづき>
── 『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋
○百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。(謀攻篇)
凡そ兵を用ふるの法、國を全うするを上と爲し、國を破るは之に次ぐ。
「国を全うする」というのは、自国はもちろんのこと、敵国をも無傷のままに勝敗を決することを意味します。
それが一番上等な戦いで、勝ったとしても敵国に損害をおよぼすような戦い方は褒められたものじゃあないというんです。
どういうことかと言うと、戦争に勝つことは敵国を占領することが前提ですから、被害が大きければ大きいほど復興が大変です。その任を負うのは戦勝国のほうで、「本当に勝ったんだろうか」と思えるくらい、戦後の復興に莫大な費用とエネルギーを要するのです。
そればかりか、これでもかというくらいの攻撃をすれば、多くの人を殺すことになります。当然、負けた国の人々からものすごい恨みを受けるでしょう。
だから、敵をこてんぱんにやっつけるのは、上等な勝ち方とは言えないのてす。
○勝ってから戦うのが順序
「勝ってから戦うのが順序ですよ」と言うと、たいていの人はポカンとした顔をします。
そりゃあそうです、私たちはふつう「勝つために戦う」というふうに、勝ちと戦いをいっしょくたに考えますから。
けれども、孫子は実際に戦うかどうかは脇に置いて、何よりもまず勝つことを追求することが大事だとしています。
つまり、戦う以前の問題として、頭脳の限りを尽くして謀攻の策を練り、「よし、絶対に勝てる」というところまで自分を追い込む、ということです。
勝兵は先づ勝ちて、而る後に戦を求め、
敗兵は先づ戦ひて、而る後に勝を求む。(形篇)
「戦わずとも、すでに勝ったのも同然」
という状況をつくり出してから戦う。
それが、「勝ってから戦う」ことの本意です。
逆に言えば、「戦ってみなければ、勝てるかどうかわからないよ」という状況では、戦ってはいけないんです。
この考え方は、人生に降りかかるさまざまな困難を乗り切るための戦術にもつながるでしょう。
無策のまま困難に体当たりしたのでは、文字通り、当たって砕けてしまう危険性が高い。だから、まずやるべきは、いかに有利な方向に転じさせるかをとことん考えて、作戦を練ること。それで「よし、これで克服できる。勝てる」と確信できる状況をつくってから、行動することが肝要なのです。
この方法でいけば、多くの場合、実際に戦う前に、問題が解決するはずです。
かつて、松下幸之助さんに「経営者に必要な条件は何ですか?」と質問したら、松下さんは間髪入れずに、
「それは、運が強いことでしょう」
「運を強くするには、どうすればよいのですか?」
「それは、徳を積むことや」
と、明快に答えてくれました。
それが、「戦わずして勝つ」完璧な備えになるのです。>
── 以上は、『孫子の至言』(田口佳史著)からの抜粋でした。私たちにとっても、すばらしいヒントがあるのではないでしょうか。
1186
:
役行者
:2012/02/19(日) 17:28:30 ID:zj01Dmac
>>1182
ももんが様
>こうした時は、一番身近な、家族の為に、祈る、和 解することから始めたら、良くなる様に思います 結構、家族て、和解してるつもりでも、心の奥底(深層意識)では、和解して無い事はありますね 。無意識層を支配するは、難しですね 。<
道徳の基本であり、宗教の基本であり、また、禅の基本ですね。
脚下照顧!
禅の世界においても、一番基本であり、また一番難しい公案ですね。
すべての諸問題はここに還ると思います。
深層意識までの和解!
すばらしい公案をいただきました。
祈りを深めてまいりとうございます。
ありがとうございました。
合掌
1187
:
ももんが
:2012/02/20(月) 06:09:04 ID:XXCuaQns
皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝が、やって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、太陽の様に笑いながら、神の子の生活を楽しんで行きましょ!ありがとうございます。合掌、拝。それから、昨晩、役行者様、御言葉ありがとうございます。昨晩は御返事できず申し訳ありませんでした。また、改めて、御言葉の御返事させてもらいます。いつも、心尽くしの言葉ありがとうございます。合掌、拝。
〜日時計主義の生き方より〜
諸君は『日時計』と云うものを見たことがあるか、それは一本の直立せる針と、時間をしるした一枚の盤とでその主要部分が成り立つている。太陽の光線がその直立せる針に落ちると、針は盤面の目盛りの上に影を落とし何時だと判るのである。太陽のない日は時間が判らない。そして自分が見た日時計の盤面きには、こんな標語が、あつた。
“I record none but of sunshine”(吾れ太陽の輝く時刻のみ記録す)
自分はこの標語を『日時計主義』だと云つている。そして『生長の家』では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思いだす。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。〜以下抜粋
月刊生長の家第一号、20㌻より。(谷口雅春先生著)
上の、文章は、最初の生長の家誌に、出ていた文章です。生命の実相以上に、雅春先生の初心を感じながら、いつも、拝読させてもらてます。
日時計日記とまでは、行きませんが、日時計メモをして、『明るいコトバ』書く練習してます。『ありがとう』より、チョト難しです。
昨日は、天皇陛下の御快癒を祈念しながら、心で『ありがとうございます』を唱えながら仕事してました。
皆様、本日も、まだ、まだ、寒いですから、暖かくして、おでかけください、ありがとうございます。合掌、拝。
1188
:
役行者
:2012/02/20(月) 08:19:22 ID:/noWjbQE
復興Gさま
>勝兵は先づ勝ちて、
而る後に戦を求め。
敗兵は先づ戦ひて、而る後に勝を求む。(形篇)
戦わずとも、すでに勝ったのも同然 という状況をつくり出してから戦う。
それが、「勝ってから戦う」ことの本意です。
逆に言えば、「戦ってみなければ、勝てるかどう かわからないよ」という状況では、戦ってはいけな いんです 。この考え方は、人生に降りかかるさまざまな困難 を乗り切るための戦術にもつながるでしょう。 無策のまま困難に体当たりしたのでは、文字通 り、当たって砕けてしまう危険性が高い。だから まずやるべきは、いかに有利な方向に転じさせるか! をとことん考えて、作戦を練ること。それで「よ し、これで克服できる。勝てる」と確信できる状況 をつくってから、行動することが肝要なのです。
この方法でいけば、多くの場合、実際に戦う前 に、問題が解決するはずです 。
かつて、松下幸之助さんに「経営者に必要なことは 何ですか?」と質問したら、松下さんは間髪入れず に、
それは、運が強いことでしょう 。
運を強くするには、どうすればよいのですか?
それは、徳を積むことや! と、明快に答えてくれました。 それが、「戦わずして勝つ」完璧な備えになるので す。<
深い公案をいただきまた。
今回、教団は最高裁にまたもや、上告しました。
果たして勝てる見込みがあるのでしょうか?勝算があって、挑んでいるのでしょうか?
徳を積むとは、地球を、人類を、隣人を救済してゆくことでしょう。人を陥れることばかり考えていたら、得は積んでも、徳は削られてゆくでしょう。
果たして今の教団幹部にどれだけ徳を積んでいる方かいるのでしょう。どれだけ多くの人をシアワセにしている方がいるのでしょう。果たして、裁判をする事が徳を積むことなのでしょうか?
松下幸之助翁が仰るよう、徳を積んではじめて、真に勝つ見込みが出てくるものと思われます。すなわち、戦わずにして勝てるようになれると思うのです。
これぞまさしく、正真正銘の生命の実相の生き方を行じることでしょう。
運を開くにはこれしかないと思われます。
一方、本流側の方々なのですが、総裁を追放する!とのスローガンのもと、万が一追放が成功しても、その後、どうするのでしょうか?
生長の家の今後のグランドデザインをたてているのでしょうか?
未来永劫に世界の為に貢献していける生長の家の姿を
強く信念までに具象化されているのでしょうか?
追放の念は必ず報復を招くでしょう。心の法則です。世界の歴史、日本の歴史を少しでもかじっていれば理解できることなのですが・・・
ですから、私には、たとえ追放されたとしても、報復が報復を呼び、崩壊を招き、多団体に内部から外部からねらい打ちされている姿しか浮かびません。
やはり、真に勝つとは、ともに生かし合い、助け合う、相互扶助の精神で和解することしかないと思っております。
そこには生かし生かされる、あらゆる徳が満ちあふれているからです。
いまこそ、双方、無条件降伏の昭和大帝の徳の爪の垢でも煎じて飲むときと存じます。
いくら格好良く体裁をつくっても、生長の家世論からすればみっともないことバレバレなんです。
果たして孫子の兵法に照らし合わせて、
>無策のまま困難に体当たりしたのでは、文字通 り、当たって砕けてしまう危険性が高い。だから まずやるべきは、いかに有利な方向に転じさせるか! をとことん考えて、作戦を練ること。それで「よ し、これで克服できる。勝てる」と確信できる状況 をつくってから、行動することが肝要なのです。 <
どうでしょうか・・・生長の家世論の見方はたぶん、相打ち後、ばらばらと見ているでしょう。
そのとき、もうこの掲示板発祥の当時から述べてますが、二手に分かれたエージェントによる最終攻撃が待っているでしょう。彼らには遠大な計画があります。トコトン練られた作戦のもと、赤子の手を捻るよう、ノックダウンされるでしょう。
生長の家存亡の危機に双方トップの英断だけがあと頼りとなりました。
双方が生かし生かされている世界を、神々をはじめとして、すべての方々、諸団体が望まれていることと存じます。
策略に長けている諸団体が見つめるなか、双方、遺された道は徳積みしかなきように思われます。歩み寄るには我を取るしかないと思われます。そして生長の家の運は拓かれ、世界に、人類に貢献出来るようになると思うのです。
合 掌
1189
:
a hope
:2012/02/20(月) 11:42:31 ID:kcv2QXTk
人生読本 谷口雅春先生著
第五章 能力の生かし方
なんでも上手になるには
「あなたは近頃、絵が下手になりましたね。絵が死んでしまっている、生き生きとしたところがない。
幼稚園のときの絵は実に伸び伸びした絵を描いていたのに、それから五年間も学校へいって、
その頃の絵におとるとはどうしたのでしょうね。」
これは或る日おとうさんが、その子供の絵を見て言われた言葉でした。
私はなぜ、この子供の絵が、五カ年間も学校で勉強しながら下手になったかを本(もと)にして、
人間の生き方をいろいろに考えてみたいのです。
この子供の描いた絵が生き生きとしなくなったのは、上手に描こうと思って、
お友だちの描いたものを真似はじめたからなのです。
自分自身が、既に上手であることを忘れてしまったからなのです。
そして他の人は自分よりも上手であると思って、自分の生命を出そうとしないで、
負けてはならない、負けてはならないと心が固く凝りはじめたからです。
心が固くなってしまっては、一本の線を引いても、伸び伸びしたところが出ません。
生き生きとしたところができません。
自分自身の中に持っている佳(よろ)しさが出ないで、他の人の上手を真似たのですから、
真似されたものは、真似されたものよりも下手になるのはきまっているのです。
人真似ばかりするものは、決して人より上手になりません。
自分は「神の子」だと信じて、自分の中に必ず善いものがあるのですから、
それを幼稚園の子供のように、無邪気に素直に出すようにすれば、絵は必ず佳いものとなるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
みなさま こんにちは
小さい子どもって、みんな純真だから、「あなたは神の子ですよ」なんて大人が言ってあげなくても、
自分は「神の子」だってちゃんとわかっているんですよね。
だから、生き生きとしたいい絵も描けるし、無我夢中で自然と一体化して遊べたりする。
それが、成長するに従って、周りから評価されたり、理不尽に怒られたりして、
だんだん「神の子」の自覚をなくしていってしまうのですよね。
でも、わたした大人だって、やっぱり「神の子」ですよね!
今朝の神想観では、神さまとぴったりひとつになれた気がします。
「そうだ!わたしにはいつも神さまがついていて下さる。怖いものなんて何にもないじゃん!」
ありがたくて、ありがたくて、またまた、感動の涙を流してしまった、アホの a hope です(笑)。
1190
:
SAKURA
:2012/02/20(月) 19:07:00 ID:yTatjic2
トキ様 へ
皆様 へ
【幸福を招く生活365章…】
■「神よ、私はあなたに対して今日約束します」
皆さん、こう云って神様に約束の祈りをして下さい。
「今日より私は、あなたのお力を得て、私の心よりすべての暗黒なるものを、
憎しみや、悲しみや、嫉妬や、人の不幸を喜ぶ心などを綺麗に洗い流して、
再びそのような感情を私の心の中に起こすことなきように誓います。
この誓いが実行出来るようなお力をお添(そ)え下さい。
私はあなたの許しを得て、
私の意志と感情と想念とあなたの中に投げ込みます。
あなたの尊き高き清らかなる意志と想念と感情と我れに流れ入らしめ給え。
わたしの心は既に私のものではありません。
あなた様から与えられ、あなた様に献げられたるものであります。
私は力を尽くしてこの私の心があなた様に捧げられたる目的に
かないますよう聖らかになるよう努力致します。」
(谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「今日の言葉」当に、“ピッタリ”です…。
きっと「神との融合」が出来ます様に、神にゆだねる“心”
そのものが大事でしょうか…?
今日「T練成道場の方?」からの報告を拝読させていただきまして、
ある面では「マインドコントロ−ル」されていらっしゃいます部分が?
御有りなのでしょうか…? 文面からの“インパクト…”その様にも?
解釈できないことはないのかしら〜〜〜〜ン??と私一個人の感想です。
「研修生…」でいらっしゃいましたのかしら〜〜〜ン??
「文章表現…」本当に難しいです〜〜〜〜〜ネ!
ブレイクしますが…私一個人としては?懐かしい〜〜♫【T道場…】です…
今日「志恩様…」からの投稿文…拝読させていただきながら…
更に皆様方の“投稿文”拝読しながら…感じました事が…??ありまして
文章をしたためましたが〜〜〜〜〜><
随分…悩んだ末にて“投稿”を、ストップ……!!
これは「トキ様宛…」が懸命かしら〜〜ンと?判断致しましたので…【保存ファイル】
後程、私の感じました事を“投稿”させていただこうかしら〜〜ンと思った所存です。
■「今日の言葉…」通りに流れを〜〜〜〜〜〜〜♫見ながら?つくづく〜〜〜
【如何なることも“神様=心”ですから“神様】”にまかせています…。】
必ず!!!いい方向に行くでしょう……!信じます。
【信力…】
再合掌
PS:「T道場…」はよく“奉仕活動”させていただきました…。
第三者的に感じました事は…当に“職員中心・研修生中心”の方が…
濃厚に感じ取りました感想です…。(徳久先生・吉田先生…6〜7年前の奉仕活動…etc)
後程…裏側から???の感想をと、思っておりますが……??
>トキ様…本日の言葉?どの様に解釈されましたでしょうか…??
1191
:
復興G
:2012/02/20(月) 21:27:48 ID:ojEbkDH2
役行者様。
ありがとうございます。『孫子の至言』に同意してくださって、うれしいです。
>今回、教団は最高裁にまたもや、上告しました。
果たして勝てる見込みがあるのでしょうか? 勝算があって、挑んでいるのでしょうか?<
この「勝算」という言葉は、やはり『孫子』から来た言葉ですね。『孫子』には
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<勝ってから戦うためには、現状を把握して勝つ態勢を整えることが重要です。そのためのポイントを、孫子は五つあげています。これらは「五事」と呼ばれるもので、敵と比較するときのポイントである「七計」と合わせて、「五事七計」と言います。>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とあり、「五事」とは「道・天・地・將・法」の五つ。
一つ目の「道」とは、トップ以下みんなの心が一つになっているかどうか。
二つ目の「天」とは、天の時、タイミングはどうか。
三つ目の「地」とは、地の利はどうか。
四つ目の「將」とは将軍のことで、軍を操る器量があるかどうか。
五つ目の「法」とは、組織を統制する能力があるかどうか。軍の運営をきちんと制度化し、兵士たちの地位や職務を明確にし、みんながルール通りに動くよう管理する能力が、将軍には求められるということです。
これら「五事」は組織を強くするために重要なポイントとされています。「五事」に照らし合わせて、自らを正しく評価して強み・弱みを知り、弱いところは強化していく。それができる人は勝ち、できない人は勝てないわけです。
そして「七計」、七つの視点から考察することを、孫子は勧めています。
(1)君主は人心を得ているか。
(2)将軍は有能か。
(3)天の時・地の利は有利か。
(4)法令は遵守されているか。
(5)軍隊は強いか。
(6)士卒はよく訓練されているか。
(7)賞罰は公正に行われているか。
これら七つの視点から、敵と比べて自分たちが勝っているかどうかを分析する。こうして「五事七計」により戦いのシミュレーションをきっちり行えば、戦わなくても勝負はわかるとしています。
結論として、孫子はこう言う。
「戦わないうちから廟算(びょうさん)して勝つ者は、五事七計をもとに比較計量して得られた勝算が相手よりも多いからだ」と。
「廟」とは、日本で言うなら、ご先祖様を祀るお墓でしょう。「廟算」というのはつまり、「ご先祖様に誓って、嘘偽りなく、自分に都合よくなど見ないで公正な目で勝算を測ります」というような意味になる。その「廟算」を厳しく、公平に、かつ入念に行えば、必ずや勝つ。
逆に、これをいい加減にすると、負ける。
それが当たり前の法則なんだ、と言うんですね。
人間には自分に甘いところがあるので、何の根拠もなく、すべてが自分に有利に運ぶと信じて、「大丈夫、勝てる」などと思い込む傾向があります。「廟算」をおろそかにするどころか、まったく勝算ありなしを考えずに戦ってしまうことすらあるでしょう。そんなふうでは、「戦わずして負けた」も同然です。「五事七計」をもって、厳しく公正な目で勝利のシミュレーションをすることこそが、「戦わずして勝つ」ことの基本なのだ、というのです。
これが「勝算」の語源なのですね。
勝算がないのに戦うのは無謀というべきなのでしょう。
1192
:
トキ
:2012/02/20(月) 21:51:39 ID:kAYDAC5Y
ももんが様
すばらしい御文章、ありがとうございました。天皇陛下のご快癒の記帳に
参上しました。たくさんの人がお越しになっておられ、感激しました。
では、これからも宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
1193
:
トキ
:2012/02/20(月) 21:57:37 ID:kAYDAC5Y
>>1190
毎朝、起きて神想観をするのですが、その時に祈った事が
日々の生活の中で、ついつい忘れます。その時に忘れない勇気
を智慧を持つのは、自分がなすべきことです。
自分も反省し、精進を重ねたいと思います。
合掌 ありがとうございます
1194
:
ももんが
:2012/02/20(月) 23:12:51 ID:XXCuaQns
>>1186
役行者様
役行者様、いつも、細かいお心遣いの御言葉くださり、ありがとうございます。合掌、拝。
一昨日、素晴らしい御言葉を下されたのに、御返事遅くなりて、恐れいります。
<< >こうした時は、一番身近な、家族の為に、祈る、和 解することから始めたら、良くなる様に思います 結構、家族て、和解してるつもりでも、心の奥底(深層意識)では、和解して無い事はありますね 。無意識層を支配するは、難しですね 。<
道徳の基本であり、宗教の基本であり、また、禅の基本ですね。
脚下照顧!
禅の世界においても、一番基本であり、また一番難しい公案ですね。
すべての諸問題はここに還ると思います。
深層意識までの和解!
すばらしい公案をいただきました。
祈りを深めてまいりとうございます。
ありがとうございました。>>
上記の様な、御言葉、もったいなです。
何も、“公案”などと、大した文章では、ありませんから、役行者様、皆様の心の片隅に、でも、止め置かれた、幸いと存じます。私も、自分自身、常に実行してみてる事なので、書いてみたのです。
役行者様は、本当に、素晴らしい方ですね。争いを無くそうと、色々と工夫されおらる。きっと、普段も、お心、御平らな方なんでしょね。本当に、色々と、勉強させもらってます。
それでは、春も近いですが、まだ、風が冷たいですから、気おつけてください。感謝敬白、合掌、拝。
1195
:
ももんが
:2012/02/20(月) 23:52:46 ID:XXCuaQns
>>1192
トキ管理人様
トキさま、いつも、暖かい御言葉くださり、誠に、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。
<< すばらしい御文章、ありがとうございました。天皇陛下のご快癒の記帳に
参上しました。たくさんの人がお越しになっておられ、感激しました。
では、これからも宜しくお願いします。>>
誠に、上記の様な、御文章、大変嬉しく思います。
トキ様?掲示板を作ると云う事は、それだけで、大変な“修行”ですね。
毎日、たくさんの人の“愚痴、悪語”を、自分の心で受け止めないといけない。
私には、とても出来ませんよ。
今日も、掲示板をザット見ましたが、皆様、言いたい事を良く、吐き出すなと、思いました。
『生命の実相・第1巻』には、悪いコトバを吐く事を、“人類暗黒化運動”とか、云ってたと記憶してましたが、暗黒化運動に知らず、知らず、協力してしまう事に、ビックリマークです。
私も、気おつけておりますが、難しですね。コトバの使い方て。
トキ様、梅の花も、大分膨らんできました。私は、春を身近に、感じなが、毎日を“ありがとう”を唱えなが、活きる事に、喜びを見いだしてます。
小説、宮本武蔵の最後のコトバに“百尺下の水の深さ”と云うコトバがあり、私は、世間で強く活きる為、人の話にたぶらかされない為の、教訓として、何時も、心に止めてるコトバです。
人の噂より、自分自身と神様を信じる心を、私は、大切にして、毎日を活きてます。
トキ様も、信念を持って、辛い事もあるでしょが、がんばってください。何時も、暖かい御言葉ありがとうございます。おやすみなさい。感謝敬白、合掌、拝。
1196
:
SAKURA
:2012/02/21(火) 01:34:59 ID:CiRRllnU
トキ様 へ
>>1193
本日の投稿に関しまして“お返事”ありがとうございます…。
私も…【一日…】神様にお任せして〜〜〜〜
もう!何も考えないようになれますと……?素晴らしい〜〜〜ですネ?
“日々の祈り…”致しますが……
何か??願いをかなえた〜〜いと思っても……
きっと〜きっと〜☆「自然に物事の行動」が現れるのでしょうか……?
私も「神様にお任せ」しまして…
その後!!忘れるぐらい“大海原〜〜♫”どっぷり〜どっぷり〜揺られ“大安心”…
日々…昇進します。
但し…悩みは??「神の叡智」いかにして頂けますでしょうか???
再合掌
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