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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1372
:
SAKURA
:2013/02/07(木) 21:43:50 ID:dGeUHjWM
トキ様 へ 観覧者の皆様 へ
こんばんは……。 ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
先日からの?素敵な〜〜〜書籍との出会い〜〜〜☆
その中からの“投稿”をと…(微笑) 今日は…・…【NANCY】が、キーボードの打ち込み!!
>>1364
>>1365
>>1366
>>1367
>>1368
>>1369
>>1370
>>1371
>> 投稿の続きです…。
■ 臨死―――
―――|―― ハンプトンズ 第一章 ――――― 【第 九 回】
ニュ−ヨ−ク州ロングアイランド
一九八四年七月二日夕方
私は毎晩自信にあふれ、ごう慢でした。年は三十七歳。ブロンドの非常に魅力的な美人のウエイ
トレスト付き合っていました。彼女はまだ十九歳で、ほとんど私の半分の年齢です。それまで結婚
や子供を持つことからうまい具合に逃げおおせていました。たとえどんなに魅力的な女性でも縛り
付けられるのはまっぴら御免でしたし、子供は邪魔としか思えませんでした。付き合ってきた女性
は皆ブロンドで全員とびきり美人でしたが、どの付き合いも長続きしたことがなく、しかもそれが
気に入っていたわけです。
私が育ったのはヘイゼルトンという、そこそこ中流といえる地域でした。ペンシルバニア州の北
東にあたる小さなまちです。一九六四年、聖ガブリエル・カトリック高校を卒業すと同時にその町
を離れ、ニューヨークシティのセント・ジョンズ大学に進学しました。そこでの専攻は「パ−ティ
と女の子」です。ウォ−ル街で短期間の職にありついたあと、フルタイムでパ−ティをするために
ハンプトンズに移りました。まんまと兵役とベトナムを免れる方法を修得してからのことです。ハ
ンプトンズではまず不動産業を始めました。ここで最も手っ取り早くお金を稼ぐには不動産に限る
と思ったからです。それから除々にナイトクラブのビジネスに手を広げていきました。
一九七六年の夏、ハンプトンにクラブマラケシュをオ−プン。そして一九七八年にはフロリダの
ウエストパ−ムビ−チにマラケンシュの二号店を開きました。店は両方とも信じがたい程の大成功
を収め、私は夏をハンプトンズで、冬をウエストパ−ムビ−チで過ごすようになりました。
ハンプトンズにプ−ルつきの豪華でモダンな家を構え、マンハッタンとパ−ムビ−チにはマンショ
ンを所有していました。ベンツのコンバ−ティブルを乗り回し、自家用のジェット機や水上飛行機、
ヘリやリムジンを使って旅をしました。最もトレンディなレストランで、有名人やスポ−ツ選手た
ちと食事もしました。マスターが案内してくれるのは、そのレストランで最高のテ−ブルばかりで
した。
私はベビ−ブ−ムの世代です。そして我々のゴ−ルは物質的な成功と安楽さです。敬虔なロ−マ
カトリックの家庭で育ったにもかかわらず、私はスピリチュアルな人生などにまったく興味はあり
ませんでした。死後の生など頭から信じていなかったのです。人生がおしまいになったら一巻の
終わり。そう信じて疑いませんでした。不可知識者でも無神論者でもありません。面白おかしく
過ごすために、そんなことにかかずりあっている暇がなかっただけです。私のモット−は「死ぬ
ときおもちゃを一番持ってる人が勝ち!!」でした。私のおもちゃはどんどん増えていきました。
他のことなどどうでもよかったのです。
私の人生は刺激と興奮に満ちていました。充実していたし、世の中の富や「おもちゃ」はみな
私の所へ集まっていましたが、だからといって、ストレスのない生活をしていたわけではありま
せん。私のライフスタイルとその悪評、それから高額のキャッシュを取り扱っているという事実
は、国税庁の目をしかりと引き付けていたからです。実際、マネ−ロンダリングやオフショアバ
ンクによる脱税の疑いをかけられ、国税庁の三年間の所得税徹底調査の対象となっていました。
米国財務省の査察官によってでっちあげられた容疑は、ほとんどばかげた連想にしかすぎませ
んでした。確かにニュ−ヨ−クとフロリダ双方のマラケシュで、あまり評判の芳しくない連中と
付き合ってはいました。彼らは法律を無視して様々な活動に手を染めていましたが、私自身は一
切関わっていませんでした。ただ連邦政府の機関、国税庁やFBI、財務省などはそうは考えず、
彼らの目に、私はハリウッド映画に登場する典型的なナイトクラブのオ−ナ−として映っていた
のです。
つづく
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