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生長の家政治連合と「今の教え」を考える

1647天の使い:2012/09/03(月) 10:55:26 ID:ylTHV3z6
>>1646続ハニー紹介、名前記入漏れなので、追加書き込みします。


道を知るまで
 
ハニー
2011/07/10 02:05

当時の高等女学校を卒えるとすぐ大阪へ出た田舎者の私にとって、大阪の女は素晴らしく映った。
美しくて、根性があって、多能な人ばかりに見えた。
私は劣等感のとりこになってしまった。私の心は萎縮してしまって、買物に行っても、電話に出ても、大阪の言葉が解らないと涙が湧いて来た。接する人は皆自分より年長で、物事をテキパキ処理して行かれるので、私は恥ずかしくて身の置所ない思いであった。
 高女を出て間もない私は、大大阪に押しつぶされそうになった。魂は圧倒され、体は病身であった。女学校では、入学から卒業まで一日も休まなかったので卒業式の日には皆勤賞を貰ったほどの健康な私だったのに、劣等感にとらわれて心弱くなると、体まで弱ってしまった。
 おばさんと言っていた多能な二人の中年婦人が、完全な夫婦生活をしていないのを見て、結婚生活というものに私は自信を失ってしまった。あんなに偉いおばさん達でさえと思ったからであった。
 生長の家の真理を知るまでと、知ってからの運命とは雲泥の相違である。若い頃を追憶して見ると、覚束なかった自分がいじらしくなる。あの頃に信仰心があったなら、幸せな生活がもたれたであろうのにと思うと、今の若い人たちに、一人でも多く正しい信仰を知らして上げたいと思う。
人々を幸せに導くことは、何にも勝って善行ではなかろうか。多くの人々に歩むべき道を知らして上げ、世の中が清く明るくなるような運動にはげむことが、私たちに与えられた生き甲斐であり、喜びの生活だと思う。

 『人生の光と影』 谷口輝子 先生 著



コメント

1.ぼるぼ
2011/07/10 14:49

ハニーさん、ありがとうございます。

輝子奥様は正しく雅春先生の半身として生まれた女性であったと思います。

かつまた、雅春先生の第一の弟子である、ということを誇りとしていた。徳久先生が、何時も雅春先生に随行していて、時間的に長く接触していたから、自分は雅春先生の第一の弟子であるといったら、いいえ、第一の弟子は私です、と言って譲らなかったのは有名な話ですね。

夫婦が互いに信じ合うことができることが、真理を生きる基本であると思います。


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