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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える

1996SAKURA:2012/07/05(木) 20:59:06 ID:V.pKl3yA
           <つづく>                No.2

>>1995 続き投稿です…。

(五) 心神の浄化修養を目的とする者

  人間には、病気もあり、また煩悩もあります。ひとたび自己をふり返り、反省すれば、自分の
  醜さがほとほといやになります。これをとり除くには、積極的と消極的との二つの方法があります。
  積極的方法とは、つまりある一つの立派な目的に全身全霊を打ち込むことで、それが心身浄化の
  常道であることは言うまでもありません。先に列挙した諸目標は、たしかに心身浄化向上の最も
  よい手段ではありますが、人間はいつも、そう積極的にのみ進めません。時には、消極的に
  自己の心身のよごれを一帰する目的をもって、静坐内観を行う必要もあります。
  従って、その時の心持はあくまで謙虚で、自分が神と一致するよりは、むしろ神のみ前にひれふす
  というような気持でなければなりません。さもないと、いたずらに誇大妄想式の自己陶酔に
陥ってしまいます。
精神統一の目標として、よいと認められるのは、大体石の数種類です。念のため、次に感心
出来ない目標をあげてみます。
  
(1) なんらかの正しくない、不合理な欲望や野心に駆られる者
(2) 好奇心に駆られる者
(3) これを職業にしようとする者
(4) 目標のない者  などであろうかと考えます。
  
第一にあげた中には、表面上はいかにも殊勝にみえて、実は大きな野心欲望をかくし持って
いることがあるので、油断できません。たとえば、一切の現世的欲望や執着から解説するのを
目標にすることは、肉体を離れた帰幽者にとっては必要でしょうが、現世の人間がこれを最高
の目標とすることは、結局、途中の進化の道程をふまずに、一挙に理想の境涯、いわゆる神や仏
になろうとすることで、その害は非常に大きいのです。印度思想にかぶれた者、たとえば、あの
霊智学徒の一部や、日本でもよくみられるあの悟ったつもりの生半可な禅者などがそうです。
彼らは、内に宿る神性や仏性を開顕する為に統一をするなどと、もったいぶって言います。
それならば、自己の肉体、幽体、霊体などは、最初から必要ないというのでしょうか。
こうした考えは、まさに自然に反するものです。もちろん、私がこう述べるのは、一切の
現世的欲望や執着に熱中しなさいとか、自己に内在する神性を無視せよ、ということでは
ありません。ただ、地上の人間は地上の人間らしく、自分の天分に応じて過不足のない目標を
たて、おだやかに着実に、一歩一歩向上進歩することをわすれてはならないということなのです。
さもなければ、人生は滅びます。インドがなによりです。
次に、精神統一の用意、方法についてひと言のべます。これには、身体的と精神的との
一方面があります。

次は〜〜〜【身体的用意】に〜〜〜この事を、引き続き“投稿”させて頂きます。
                         <つづく>

PS:
  精神統一をいろんな角度で見て行きますが…
いろんな「精神統一??方法」がありますのです〜〜〜ネ!
今!新たに、考えてしまいます…。

■>一切の現世的欲望や執着に熱中しなさいとか、自己に内在する神性を無視せよ、
ということではありません。ただ、地上の人間は地上の人間らしく、
自分の天分に応じて過不足のない目標をたて、おだやかに着実に、
一歩一歩向上進歩することをわすれてはならないということなのです…。<

此処の文章が〜〜【やはり!!“心の法則”…意識集中】でしょうか??

今回“文章…抜粋投稿”致しておりますが、ある程度まとまった時点で、私の考え?
“投稿”させて頂きます…。


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