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死んだらどうなるの?

50メビウス@管理者:2012/04/26(木) 19:45:07
>>47
以前から一元論の合理性についてあれこれ考えて少しずつ纏めていたのですが、
これを機会に草稿みたいなものを書いてみます。
(一部>>33の説明と重複します)

カントは時空を知覚の「形式」であるといいます。
それではわかりにくいので私は「性質」と言い換えます。

たとえば、「赤」の性質(クオリア)とはどんなものかといえば、血の色である
「それ」であり、「青」の性質とはどんなものかといえば、澄んだ
空の色である「それ」という表現でしかクオリアの本質は表現できません。

コンピューターや各種センサーを搭載したアシモのようなロボットは、人間同様に
行動します。しかしジョン・サールが「中国語の部屋」の思考実験で示したように、
アシモは赤や青のクオリアを感じることはできないでしょう。
時間と空間も同様だと私は考えます。
アシモは人間同様に時空を理解しているかのように行動しますが、
それはアシモが「機能的意識」を持っていることの証明でしかありません。
アシモは時間と空間を「感じて」いるわけではないでしょう。

アシモのようなロボットに「流れる」「刹那」「広い」「遠い」といった
時間と空間の性質を説明するのは、「赤」の性質を説明するのと全く同じ
レベルの不可能性があります。アシモは「数字(bit)」だけで時空を
理解しているよう行動します。

結論すれば、「赤」が赤であるように「時間」は時間である、ということです。
機能主義的な説明からは抜け落ちている部分が、時間の「性質」です。

私には確かに時間が「流れているように感じる」のですが、アシモには理解できない
その時間の「流れ(変化)」の「感じ」こそが、時間の「性質」だと考えます。
空間も同様になります。

つまり素朴実在論や科学的実在論のように、最初に時空の存在を前提して、
その内部に知覚やクオリアがあると考えるのでなく、逆に知覚やクオリアと
いうものがあって、それらの「性質」として時間が空間があるということです。
これはカントについての観念論的、規約主義的解釈です。


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