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「霊」とは。
4
:
ダチョウ
:2002/10/17(木) 07:28
>>1
「霊のメカニズム」論、興味深く拝見させてもらいました。
孔雀さんの言うところの霊とは心であり、情報として取り扱え、脳にて
「読める」「感じ取れる」モノであるというのがこの論の骨子なので
しょうか?
誤読していたら申し訳ないですが、以下の反論はこの前提に従って行なって
いきたいと思います。(ある意味、恐ろしく偏っている反論であります)
まず霊が人の心であるという孔雀さんの御意見には賛成です。恨み、怒り、
悔恨、懺悔、悲しみ、嫉妬etc・・・、これら執着心で世に迷い出る幽霊達は
まさしく人の心に他なりません。馬鹿は死んでも治らないと言われるように、
人は死んでもなお人の業から逃れがたいものなのですな。(うぅ・・・、悲しや)
しかしです、この後に続く「幽霊=心という情報が人の脳にダイレクトに
見える」という御意見には賛同致しかねます。何故なら脳というものは
心や情報といったものを直接に取り扱うことは出来ない器官であるからです。
脳が心や情報を取り扱えないと言うと奇異に聞こえるかもしれませんが、実際
脳がやっていることを考えてみれば、脳が心や情報といった「形の無いもの」を
取り扱っていないということは明らかなはずです。読書、音楽鑑賞、会話など、
脳が取り扱っているのはあくまで「形あるもの」で、−(例えば、音、光、感触
など)−人の感覚器を使って感じ取れる範囲に留まるものです。我々はこれら
「形あるもの」を通して初めて脳に心や情報といった「形ないもの」を生成
可能にするわけです。
心や情報は脳内にしか存在しません。心が心として、情報が情報として、そこら
辺をぶらぶらしていることはあり得ないことです。例えば「喜びが街に溢れて
いる」という表現は実際に「喜び」という心が街に溢れているということでは
ありません。喜びを示す「形あるもの」が街に溢れ、それを脳が解釈している
に過ぎないのです。人に心や情報が伝わるためには必ずそこに「形あるもの」
が存在していなければなりません。
このような考えにおいて、やはり霊視は出来ないことだと僕は思っています。
心や情報は直接に脳が取り扱えるものではないのです。心や情報は直接には見え
ないし、聞こえない。見えたり、聞こえたりするのは「形あるもの」のみです。
「形あるもの」を無視しては「形のないもの」は伝わりようが無い。脳の機能
から言って、人と人は「形あるもの」を通してしか連絡できないものなのでは
ないのでしょうか?
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