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新・生長の家大論争掲示板1
2940
:
名無しさん
:2012/08/28(火) 20:40:17
「「苦しみは、物事の有りようを正しく知らない無知ゆえに生じる」と、ダライ・ラマは日本講演で述べた。その上で、「釈尊(しゃくそん)(釈迦)は、自身の言葉を分析する自由を与えている。私も釈尊の教えに従い、分析したい」と語り、学ぶ姿勢の大切さを強調した。
感想:
サイトを検索していましたら、来日中のダライ・ラマの上記の言葉を知る事ができました。
正しく知る=正知(せいち)( 外部リンク )の大切さを、ダライ・ラマも話された様です。
ただ、その次に続く「自身の言葉を分析する自由」が問題です。ここで言う、
1。自身=釈尊の言葉、なのか?
2。自身=私たち自分自身の言葉、なのか?
1番ならば、そもそも釈尊の言葉とされる物自体が、翻訳過程で加筆修正されております。原本の成立自体が、釈尊死後の数百年後に出来た物です。そんな「死んだ言葉」を100年間分析したところで、人間に目覚めは起こりません。今までと同じです。
しかし、自分の言葉を、自分自身で分析して見る姿勢を持てば、どうなるのか?
やはり、気付きがあります。簡単に言えば、昔の自分が書いた日記や詩などを見れば、「ヤメテくれ〜」と顔から火が出る人もいるでしょう、笑。
要は、私たちは、自分自身から学ぶ為に、生まれて来たのではないでしょうか?
だから、各人のバラバラの環境の中で、それぞれの学びと成長が在るのだと思います。
つまり、今が苦しくて、ギリギリの折れそうに成っている人が居ても大丈夫なのです。
他人と比較して、同じ基準に成ろうとするから苦しいのです。
苦しい現状の中でも、自分が生かされている事に気付きましょう。これに気付くことが出来れば、学びを起こさせるための嫌な刺激は、徐々に静まります。
この現実界とは、気付きを起こさせるように物事が流れる仕組みなのです。だから逆に、自分から積極的に気付けば、嫌な現状はだんだんと晴れて行きます。
一人で生まれ、一人で死んで行くのです。生きている間は自分を見ずに、他人ばかりを見ようとします。
自分に内在する神様へ、視線を向けましょう。」
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