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新・生長の家大論争掲示板1

1671名無しさん:2012/04/04(水) 19:23:50
>>1670

たとえば、一個の生き物が此処(ここ)にあるとして、その生き物が永遠に死なず又は殺されずにいるとすれば、彼の「生命」は永遠に一定の環境にあってなんらそれ以外の生活経験を閲(けみ)することはできません。彼は自分の属する環境以外の経験を知らず、従ってまたそれ以上に向上すべき異種の機縁を与えられません。彼の肉体はなんら他より迫害されず、苦痛を与えられずして幸福かも知れませんが、彼に宿る「生命」は他より迫害されざるがために、相互の摩擦なきがために、苦痛の刺激なきがために、却って向上の機会が与えられないと云うことになります。「生命」の目標が向上にあるとすれば、かくのごとき摩擦なき苦痛なき寂静世界こそ、げに厭うべき沈滞の世界ではありますまいか。

(谷口雅春著『人間死んでも死なぬ』日本教文社、序5ページ)
―――――――――――――――――――――――――――――
雅春先生がおっしゃっているように、苦痛の刺激があるから、われわれは生命の向上の機会が与えられるのです。

このたび雅宣総裁が新しい聖経を書かれたのも、われわれに苦痛の刺激を与え、わわわれの生命の向上の機会を与えるためなのです。


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