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【資料】神秘主義の系譜【探索】
196
:
名無しさん
:2013/07/22(月) 23:19:17
>>195
[神道の教説] 素朴な神々への信仰は,仏教の影響のもとで,徐々に教説を生み出すことになった。寺院を建立するためには,境内地の神々をまつらねばならず,堂塔の用材を伐り出すためには山や森の神々をまつることが必要であるというように,仏教の受容は土着の神々との接触の中ではじまったが,仏教の僧侶は,土着の神々を人間と同列に置き,仏の慈悲によって神々も成仏できるものと説いた。神前で読経を行い,仏事を営んだのはそのあらわれである。やがて,仏教が日本人の間に浸透しはじめると,神はもとはインドの仏・菩醍であり,日本の衆生を救うために姿を変えて神としてあらわれたという本地垂迹(ほんじすいじやく)説がさかんになった。本地垂迹説は大乗仏教の教説で,絶対的な仏と歴史的な釈梼との関係を説明するものであったが,それを応用して仏教を受容した諸民族・諸地域の神々を,仏教に結びつけることが行われていた。日本では,平安時代に入って神仏習合がさかんになり,元来明確な神格を持たなかった神々も,仏・菩醍に対比して神としての性格を論じられるようになり,素朴な儀礼も荘厳なものに発展した。中でも密教の教説による習合がさかんになり,両部神道(りようぶしんとう)と呼ばれる神道説の流れが形成され,真言系の両部神道に対抗して,天台系の山王神道が唱えられたりした。律令制度のもとで手厚い保護を受けていた古来の神社は,中世に入るころから神領を侵され,仏教が庶民の間に浸透しはじめると,強い危機感を持つようになった。神官の中には,神威と神の加護を宣伝し,神社への寄進を勧めようとする者があらわれたが,その際,神社の固有の主張を説こうとすれば,仏教に対抗する教説が必要になる。伊勢外宮の神官を世襲してきた度会(わたらい)氏の人々は,易や陰陽五行説,老荘思想などを援用して,仏教に対抗する伊勢神道の教説を立てようとした。伊勢神道は,神仏習合から一歩踏み出した点で,後の時代の神道説に大きな影響を与えた。中世の後期に入って,神道説の仏教からの離脱は進み,儒・仏・道など諸思想を習合して神を中心と説く吉田神道が成立した。近世に入って全国の神職のほとんどが吉田神道の支配下に置かれたが,吉川惟足は儒学を摂取した神道説を唱え,吉川神道(よしかわしんとう)を学んだ山崎闇斎は,儒学の立場をさらに深めた垂加神道(すいかしんとう)を主張した。また真言僧慈雲は,記紀などの神典を密教で解釈する雲伝神道を立てたが,その主張は仏教や儒教などの思想を習合した神道を,すべて俗神道としてしりぞけ古典の精神に帰ろうとする国学の立場(復古神道)に近いものであった。⇒本地垂迹
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