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【資料】神秘主義の系譜【探索】

195名無しさん:2013/07/22(月) 23:18:22
>>194


[信仰と参詣]  神道の世界観は,高天原(たかまがはら),葦原中国(あしはらのなかつくに),黄泉国(よみのくに)(根の国(ねのくに))の三つの世界を考えるが,この天上,地上,地下の垂直的な世界観のほかに,海上のかなたに妣(はは)の国,常世国(とこよのくに)があるとする水平的な世界観が併存している。またそれらの世界とは別に,山中に他界を想定する信仰も広く存在していた。人間が死ぬと霊魂は肉体から離れて,他界に行くと考えられた。他界に住む霊魂は,祭祀に応じて人々のもとに帰ってくるが,年を経るにつれて個性を失って神々に近づいていく。したがって,いくつもある他界の性格と相互の関係は明確でないところが多い。ただ黄泉国は暗黒の世界と考えられており,罪や穢れに満ちた世界でもあったから,地上の罪や穢れを,すべて黄泉国に祓い去る儀礼が行われた。神道では,神々の加護によって幸を得,神々の力による禍を回避するためには,人間が正直で清浄な心で神々に接しなければならないとされる。正直で清浄な心とは,さまざまな作為を捨てた,生まれたままのような純粋で自然な心のことであり,それは禊(みそぎ)や祓によって達せられると説かれる。また,精神が統一され,一心不乱になった状態が,純粋で清浄な心に近いと考えて,その修行の方法がさまざまにくふうされた。

 元来,祭りは共同体の行事として行われるものであったが,平安京の神社では,祭りが華麗な催物としての性格を持つようになり,祭りに参加せずに見物する人々があらわれた。そして,祭りの担い手ではなく傍観者になった人々は,祈願に際して他所の神社にも参詣するようになる。中世になって参詣はさかんになり,徐々に庶民の間にもひろまった。参詣する人は,身心を洗い清めて米銭などを奉った後,神々の加護を願い,誓いを立てる。中世以降各地に多くの参詣者を集める神社があらわれたが,中でも伊勢神宮や熊野大社では,参詣者を集める御師などの専門的な神官があらわれ,遠隔地からの参詣者の団体を組織した。参詣者は祈願成就のために,旅の苦労と道中の禁忌に耐えて参拝するが,目的を果たした後に,門前町のにぎわいの中で精進落しの歓楽に浸る。さらに参詣のしるしとなるみやげを持ち帰って隣人に配るが,こうした遠隔地参詣のさまざまな習慣は,何世紀にもわたって繰り返されるうちに,日本人の旅行のしかたの型となった。


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