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【資料】神秘主義の系譜【探索】
193
:
名無しさん
:2013/07/22(月) 23:16:41
>>192
[神社と神官] 祭りのたびに神々を迎える信仰のもとでは,神々が来臨する磐座(いわくら)・磐境(いわさか),祭りが行われる森や山などが神社であり,神殿は作られない場合が多かった。しかし,建築の発達につれて,神体,御霊代(みたましろ),神宝などを安置する秀倉(ほくら)や,神をまつる人々がこもって潔斎をするための建物が建てられるようになると,前者は本殿へ,後者は幣殿・拝殿へと発展し,それを囲む垣,神域を表示しその入口を示す鳥居,神饌を調理する御饌殿(みけでん),参拝者が身を浄める御手洗(みたらし)をはじめ種々の施設が加わって,神社の形が整った。神殿の建築は,穀物倉を原型とする伊勢神宮と,住宅に由来する出雲大社の神殿が代表的なもので,後に寺院や宮殿の形式をとり入れながら,数々の日本独特の様式が生み出された。
祭りをつかさどる者は,政治的な支配者でもあったから,政治的な統一が進むにつれて,祭祀権の統合も行われ,各地に大規模な神社が建てられるようになると,そこには神官の集団が生まれた。出雲国造家,熱田大宮司家などは,古い国造(くにのみやつこ)の系統が神社と結びついて後世まで残った例である。神職の名は神社によってさまざまであるが,祭主(さいしゆ),宮司(ぐうじ),神主(かんぬし),衝宜(ねぎ),祝(はふり),預(あずかり),神人(じにん)などはその例であり,八幡宮や梢園社などには,社僧(しやそう),供僧,神僧,宮僧などと呼ばれる僧形の神職があった。他方,小さな神社では,氏子の座や講などの組織から,一年神主,当屋神主などが選ばれて,祭りを行うのが一般であった。
《延喜式》の神名の巻には,平安時代中期の国家が神威を認めていた2861の神社の名が記され,後世それらの神社を由緒正しい神社として〈式内社(しきないしや)〉と呼んだ。また式内社以外で六国史にその名を記されている391の神社を,〈国史現在社〉と呼んで,式内社につぐものとした。式内社に対しては,神梢官から奉幣することが定められていたが,平安時代のはじめに,遠隔地の神社には国司が代わって奉幣を行うようになったので,国司奉幣の神社は,神梢官奉幣の神社を官幣社と呼ぶのに対して,国幣社というようになった。
国司は任国に着くと,まず国内の主要な神社に参詣し,その後政務を執るように定められているが,その参拝の順序が固定して一宮(いちのみや),二宮,三宮の呼称がおこり,それが国内の神社の序列をあらわすことになった。さらに平安時代の末になると,国内の数々の神社を一社に統合して奉幣を簡略にすることもはじまり,そうした神社を総社(そうじや)と呼んだ。同じころ,朝廷でも重要な祈願に際して,畿内を中心に主要な神社を選んで奉幣することがはじまり,二十二社(にじゆうにしや)の名が固定した。神社の祭祀を政治の中で重視することは
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