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倉工ファン Part 5

332名無しさん:2022/06/12(日) 11:12:01
☆ 高校1年生でカネやんに投げ勝った審判   山本文男の歴史     【越智正典 ネット裏】



審判団がキャンプインして、キャッチャーの後ろで「ストライク!」。元気なコールを聞くとたのしくなる。
日、一日と開幕が近づいてくるのを実感する。

1960年代から70年代にパ・リーグで審判員を務めた露崎元弥(通算出場試合1242)は、
元プロボクサーらしく接近戦でパンチを繰り出すようなファイティングポーズで「ストライク!」とコールしていた。
これもドラマを呼びそうでたのしかった。


アマチュア野球の国際審判、心やさしい男、布施勝久(明治大学、大和証券監督)は“御大”島岡吉郎の命令で審判になったのだが、
後輩が教わりにくると「ラン、ストップ、ルック、ジャッジを守ってやればいいんだ、頼むよ」。

打球が飛んだときの基本動作はプロと同じだろう。
1987年、セ・リーグの審判団が中日キャンプの沖縄の石川球場で連日、実戦さながらの演習を繰り広げていた。


同年2月17日、私は具志川(うるま市)で練習している中日二軍を見に行った帰りに、恩納村のムーンビーチホテルに寄った。

和食の店「桂」に入ると、審判35年、出場試合通算3564、90年〜96年、セ・リーグの審判部長を務めることになる山本文男が
審判32年、出場試合3036の大里晴信らを連れて来ていた。山本文男さん、いつ逢っても気風がいい。うれしい出会いである。




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