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法華経について

138わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/16(日) 11:19:00
Leoさん

> 仏種はそういう実体があるのでなく、「仏になる可能性」と捉えれば
> (捉えなおせば)縁起・空と相反しないです。

 仏教には理ばかりでなく、教法(教導するため)も入っていますから仕方ないのかもしれませんが、わめは何だかこの”仏”って言葉が、仏教が神秘的なイメージになり、多くの人にあらぬ妄想を生ませてしまっているようにも思います。
 もっと現代にマッチした、ありきたりの言葉に変換できないかな・・・


ドプチェクさん

> お釈迦様や日蓮聖人といった偉大な覚者の方々は、常人にはわからない“何か”が信仰を通して心の目?とでもいうもので見えていた、信仰の力で“何か”を感じ取っていたのではないか?と思っていて、私も何らかの形でそれを実感し、信仰の確信が掴めればと願っています。

 わめは、ブッダや日蓮は、「信仰の力で“何か”を感じ取っていた」とは思えません。汗
 ブッダの場合、自ら信仰上の難行・苦行をし、信仰では悟ることができないことを知り、信仰により迷妄する人々の目を覚まさせようとしたように思いますし、日蓮の場合は、当時として法華経を選び取ったことは、極めて合理的であったように思います。
 ブッダや日蓮は”理”を悟られ、信仰することにはその警鐘として、厳しき言葉(信仰を棄てよ・排他性)を残されたのではないかなんて思ったりしてw^^


Libra師匠キター━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━>

> 「縁因仏性」は「善き仲間のなかにあるということ」[*1]だとおもっています。この
> 点については、三枝先生のいわれる「他者の発見」[*2]という視点がキーにな
> るとおもいます。

 わめ的には、これは縁起を関係性と観る捉え方かなって感じます♪
 って安易にコメントする前に、もっと考えてみなくちゃw汗


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