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○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について

170Leo:2005/12/02(金) 01:19:57
わめさん、こんばんは。

くまりんさんとLibraさんの哲学や仏教理解の違いは面白いですね(共通する部分もあるのだけれども)。
くまりんさんは法華経否定派、Libraさんはどちらかというと肯定派。
また、くまりんさんは「犀の角のようにただ一人歩む」を、Libraさんは「われを善き友として」をよりどころとしてます。
くまりんさんは法華経を哲学的凡庸といいます、一方Libraさんは「あらゆる人々は哲学者である」を引用。

「仏教とは知性と分別で形而上学的構築物を脱構築して無常にも縁起する自らの危機的で孤独な時間を
 犀の角のようにただ一人歩む道を切り開くメシアなきメシアニズム」(くまりんさん)

「いくら多くの教団が所為の経典としているから、あるいは日本の仏教の中心的存在であるからといっても
 正当な仏教の相続の流れの中ではいささか異流であるしヒンドゥ的通俗さを大いに取り入れて仏教の世俗化に
 貢献した法華経は所詮それ以下でもそれ以上でもありません。」(くまりんさん)

「法華経は「空・縁起(因縁)」の思想を説いています」(Libraさん)

「われを善き友として」(増谷文雄)(http://page.freett.com/Libra0000/012.html)

「あらゆる人々は哲学者である」(カール・ポパー)(http://freett.com/Libra0000/113.html)
「すべての人は哲学者である。人は、たとえ哲学的な問題を抱えているとは意識していないときでも、
 やはり哲学的な先入見をもっている。そうした先入見の大部分は、人びとによって自明なものとして
 受け入れられている理論である。」


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