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○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について

1わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA:2005/06/17(金) 12:30:37
 生命とは生体の生存維持活動に必要不可欠な意識(自意識・自己「エゴ」)である。
この自意識は実在ではない。脳が創り出す生存維持に不可欠な要素である。
この意識はおそらく動植物にも備わっているものと推測する。
この意識の主体が死亡(脳死含む)することで消滅する。
自らの意識と他者の意識は互いに影響を与え合う。
 しかしこのことにより、影響(他者・他物「書物・メディア等」)を受け合う対象たる生物は、その影響の度合いに応じて自らの行動・言動に変化が現れる。そしてその行動・言動が連鎖的に他の生物に影響を与え、また影響を受けて行く。この意味において、一人の人間の死は、そのものが生存中に他の人間を含むあらゆる生物の意識に影響を与え、この影響の連鎖を、影響を与え合うすべての生物の死滅を除いて止めることはできない。また、その生物の生存中に残した遺物が、後の世の生物の意識にも影響を与えるものである。一人の人間の意識は、ある意味宇宙やすべてのものが消えてなくなるまで消滅することは無いのかもしれない。
 またこの意識は、生存中の様々な経験を、脳かあるいは何らかの器官を通じ、物質(生化学的)的に記録しているものとおもわれる。これは遺伝的要素として子孫にも影響を与えていくものである。
これらを総括して、
・1個の生物としての生命(自意識)の永遠性はない。
・1個の生物としての生命(自意識)は、他の生物に永遠に受け継がれていく。

私は現在、釈尊の説かれた縁起の法・空・無我を、このように理解している。

※読まれた方、ご意見(ご批判大歓迎)を頂けましたら幸いです。

2わめ@管理人 ◆TJ9qoWuqvA:2005/06/18(土) 00:23:09
読み返してみると言葉足らずが一杯だ・・・w
それにスレタイは最初「試論 生命について」にしようと思ってたけど、やっぱりそのほうがよかったかもw汗
このスレもわけわかめだw。・゚゚・(>_<)・゚゚・。

3わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/06(水) 16:57:31
わけわかめなわめのたわ言より、やっぱりこっちかw

佐倉哲さんのエッセイ集 仏教について
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

4わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/09(土) 14:24:01
ペガサス師匠の掲示板から、わめの書き込みを文字数制限のため3回に分けて転載
(「存在とは関係こと」を「存在とは関係のこと」と訂正)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
投稿者 : わめです 投稿日時 : 2005/07/09 12:01

○○さん、トムクルーズの宇宙戦争を朝方見終わったわめです^^

>わめさんの言っていた信号の色ってことから連想して書いてみました。
>
>http://home.newsch.net/gizmo/archives/blog221.html
>↑
>「自分を信じること」

あ、わめがPoh師匠に書いたこと、信号の話が書いてある♪
わめの現段階で思うこと、ちょうどいい題材です^^
読んでみてふっと感じるわめの思うこととの違い”自分”と”信じること”、なのでそこからくる答えのようなものが当然違ってきます。

わめの”信じること”への捉え方は、こちらをみてもらえば分かると思います。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/sports/20126/1109570758/

”自分”って存在についてなのですが、わめなりに考える”自分”ってものを、無我、縁起の法、またペガサスさんが書いてくれてた量子力学の観察物と観察者のお話から話を進めさせていただきます。^^
とはいえ、わめの拙い文章より、佐倉哲さんのエッセイのほうがよっぽど分かりやすいので引用します。
佐倉哲さんのエッセイ集の仏教に関する来訪者の声の「死後の世界観から(7)」から、全体として長いのでリンクじゃなくその部分のみ引用・貼付けします。
続く

5わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/09(土) 14:25:15
続き
---引用---

(3)関係性と存在

もちろん存在のないところに関係性はありませんが、「最初にあるのは存在であり」そのあとに関係性が生じる、というのは誤解ではないでしょうか。むしろ、すべての存在(すくなくともわたしたちの知っているすべての存在)は始めから関係性の中にあるのではありませんか。
子供の最初の形態を形作ったのは精子と卵子の特殊な関係であり、その精子と卵子はそれぞれもともと父母の体の中にあって、その体の一部として、父母との(部分と全体という)関係を持っていたものです。また、父母の体の一部である精子や卵子を構成する分子のそれぞれは、父母の食べた物質から直接あるいは間接的に作り出されたものでしょう。

そして、ご存知のように、分子とは原子と原子の間の特殊な組み合わせ(関係)のことであって、分子がそれ自体で存在しているわけではありません。その原子も原子核と電子の間の特殊な組み合わせ(関係)のことであって、原子がそれ自体で存在しているわけではありません。また、原子核は素粒子の関係であり、素粒子はクオークの関係であり・・・・という具合で、すくなくともわたしたちの知っているすべての「存在」は、よくみると、すべて関係のことです。

父と母との関係、精子と卵子の関係、体とその構成要素との関係、食べる生物と食べられる物質との関係、物質と物質との関係、等々、一人の人間の存在は、このような複雑で無数の関係に依存して、始めて「生じる」ものです。「最初にあるのは存在であり」そのあとに関係性が生じる、というのは誤解だと思います。

---引用終わり---

と言うように佐倉哲さんは”自分”を含め「存在とは関係のこと」と結論づけています。

わめには、ズバリ「存在とは関係のこと」とまで言い切れませんが、相対性がないものを人間が認知できないように、自分に対する何らかの関係性があるものがなければ、自分さえ認知できないことになってしまいます。
量子力学の観察物と観察者のお話でも、月があるのか無いのかは、その観察者がいてこそあるといえるし、観察者がいなければ無いともいえる。

以上のように、関係性の中に”自分”はあるのだから無我、関係性とは縁起の法そのものではないかと思います。

わめの思う”自分”と”信じること”は、このような感じ方ですから、
続く

6わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/09(土) 14:26:23
続き
>世間的に見て正しいか正しくないかなんて関係ない。
>本人の中で正しければそれでいいと思います。

世間も関係なのですから関係があり、

>そんなんじゃいつまでたっても、
>自分の思い通りに生きることは出来ないと思うんです。
>まず自分を信じて、周囲がどう思っていようとも、
>一歩を踏み出せなきゃどうしようもないでしょう。

自分の思い通りに生きるの”思い通り”とのその思いは、実は関係性の中から生まれたことであり、周囲(関係)が無ければ今の自分の思いさえないことになる。

>他人は他人。自分は自分。

これも他人がいるから自分と認識できる、他人(関係性)無しに自分の存在さえ認知できないのだから、他人は他人ではない。

>本当の自分の心に聞いてみて、
>自分の心が「青だ」と答えたら、それは青です。
>自分の心を信じることが信心だと、俺は思っているので、
>自分の心の声は絶対的に信じます。

本当の自分の心も、関係性(ここでいう周囲)の中から生まれたことであり、周囲(関係)が無ければ”本当の自分の心”さえないことになる。わめはこのように感じました。

それぞれの思い、それぞれの思考、それぞれの個性は、縁起の法の彩であり素晴らしいと思います。
また人が、縁起の法を無視・否定しようとも縁起の法は、その人をも包み込んでいると感じます。

佐倉哲エッセイ集 仏教について
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/index.html

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注.ペガサス師匠をペガサスさんと書いてしまったw汗

7フルナ:2005/07/09(土) 18:48:27
わめさん、こんばんは。

昔、般若心経を中村元先生が訳したものを読んで感動したことがあります。

色即是空──すべての物質的現象には実体がない。
空即是色──実体がないからこそ、物質的現象であり得るのである。

ぼくはこれを読んだとき、「空」がわかったと思いました。その思いは現在も変わっていません。「自分」というものを存在と捉えるから固定的に見てしまうのであって、「現象」と捉えればどうでしょうか?

8わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/09(土) 19:31:55
フルナさん、いらっしゃい♪
F1フリー走行を見ながらなわめでです。^^
こちらでもよろしくお願いいたします。<(_ _)>

自分を現象と捉えるですか。ある意味「空」というものを捉えやすいかもしれませんね。^^

> 色即是空──すべての物質的現象には実体がない。
> 空即是色──実体がないからこそ、物質的現象であり得るのである。

ただこの偈だけみると、わめには物質的現象には実体(アートマン)があるといってるのか、無いといってるのか分かりません。
小乗教も大乗教も難し過ぎてよくは分かりませんが、大乗経典は全般的に、どうもウパニシャッド思想を仏教に取り入れてしまっているように思えて、人間ブッダ好きのわめにはどうにも馴染めません。w汗

わめは信仰心のない罰当たりもんですw笑

9フルナ:2005/07/09(土) 19:55:45
レスありがとうございます。

>ただこの偈だけみると、わめには物質的現象には実体(アートマン)がある
>といってるのか、無いといってるのか分かりません。
ぼくにもよくわかりません。

結局、それが生き方にどんな影響を与えるか?──にしか興味がない、と言ったらキザでしょうか?釈尊のスタンスも、おそらくそういうことだったのではないかと拝察します。

ヘタな喩えで恐縮ですが、クルマのエンジンの構造がわかることよりも、安全に運転する術を身に付けることの方が役に立つように・・・。

ただ「執着するな」と言われるより、「あなた自身も現象なのだよ」と諭される方が胸にスッと落ちませんか?ぼくには、それで十分です。

10フルナ:2005/07/09(土) 20:11:04
すみません、ひとつ書き忘れ。

実体として「無い」ということは、とりもなおさず現象としては「有る」ということなんですね。「道元とサルトル」という本に書いてありました。

11わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/07/09(土) 20:42:47
フルナさん、もうすぐF1公式予選にわくわくなわめでです。^^

> >ただこの偈だけみると、わめには物質的現象には実体(アートマン)がある
> >といってるのか、無いといってるのか分かりません。
> ぼくにもよくわかりません。

そのわからないとポイしておくこと、非常にいいと思います。

> 結局、それが生き方にどんな影響を与えるか?──にしか興味がない、と言ったらキザでしょうか?釈尊のスタンスも、おそらくそういうことだったのではないかと拝察します。

あ こっちでいいと言うべきでしたw汗

> ヘタな喩えで恐縮ですが、クルマのエンジンの構造がわかることよりも、安全に運転する術を身に付けることの方が役に立つように・・・。

いい譬えだと思います^^

> ただ「執着するな」と言われるより、「あなた自身も現象なのだよ」と諭される方が胸にスッと落ちませんか?ぼくには、それで十分です。

下手に執着すると、この教えを信じると見えない力が事故からあなたの身を守るのですとか、危ない方向に引き込まれかねませんしねw

> 実体として「無い」ということは、とりもなおさず現象としては「有る」ということなんですね。「道元とサルトル」という本に書いてありました。

...ψ(。。)メモメモ...

わめはこの「有」を、関係性の上からあると捉えてます。

学ばせていただきました。<(_ _)>

12みれい:2005/09/04(日) 13:15:18
わめさん

スレッドの趣旨がずれるのでこちらへきました。
(ここでもずれるかもですが、ここのスレッドにとりあえず)

>わめは一時期はある意味成功した人間です。
その時は自尊心も強かったです。
でもそれが崩れて(成功)からは、色々ありましたが結果自分は”バカ”だったと言う結論に達しました。
それ以降自分の中身を総入れ替えしたくてここまできました。
なので固執しているのは”自分を変えたい”なのです。

http://www.urban.ne.jp/home/omijo/houwa/aohara.html

天上天下唯我独尊

自尊心のバランスを整えることも、自らを愛し、他を愛し、そこに分け隔ての無い事を知ります。

相手を立てすぎるのも自尊心の裏返しですね^^
人を尊敬するのと同じくらい、自分を尊敬する。
自分を愛するのと同じくらい、他人を愛する。

みんな自尊心はあるし、自分を守るし、自分をかわいがりたいはずです。
自分を変えるときは総入れ替えなんてせずとも、「自分の視点を変える」だけでいいはずです。意識すれば学べば学ぶだけ万華鏡のように視点を変えられます。
わめさんはこれだけの書き込みが出来るのを見ても、コミュニケーションを見てても、おバカでもなんでもなく、賢いし、もともと尊い方のはずです。
これからも今のわめさんを大事にして生かしてください。

スレずれしまして、お邪魔しました(^o^)ノ

13わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/09/04(日) 15:32:51
みれいしゃん、励ましのお言葉、ありがとうなわめです^^

 「自分の中身を総入れ替え」は、ちょっとJAROから怒られそうな誇大表現かもでしたね。(^^;;

 それくらいの強い気持ちじゃないと、みれいしゃんの言われているように、『みんな自尊心はあるし、自分を守るし、自分をかわいがりたい』気持ちと、戦え(学会言葉か?w汗)なくって、以前の「自分の中身」との対決をしてきたつもりなんです。

 でもわめにはそれくらいで丁度良かったように思います。だってわめは自分が、誰よりも優れた人間だなんて、心の中で密かに思ってたみたいなのですものw怖

 で、それが事業等の失敗により、社会的地位や人望等を失ったこと(失望感・脱力感等々)で脆くも崩れ、しばらくの猶予期間の後、わめの中では「自分の中身の総入れ替え」が始まったわけですが、そこからの長い時間の中でふっと気が付くと、生存していくことのなんと簡単で(安堵感・畏怖的妄想の消失等々)、自分にとって何が必要かを知ることができ、信仰と言う夢幻に支えてもらう必要がなくなっていったのです。

 それでも今後の人生において、一体何が自分の身に起こるかはわからない、その不安もあったわけで、葛藤しながらあるひとつの答えを見つけることができました。

 見つけたもの、それは”信仰”ではなく”覚悟”だったのです。今後我が身や、関わる方に起こるであろう様々なことに対して、例えそれがどのようなことであっても、”覚悟”を決めて、それに備える心こそ大事ということを見つけたのです。

 そのような覚悟を決めてからも、様々な人生の変転はありましたが、この覚悟にどれだけ救われたかも、いずれブログ等で述べていきたいと思っています。

 話が全然在らぬ方向に脱線しちゃいましたがw汗、でもこの”覚悟”は、このスレに相応しい現在(将来は分かりません)のわめの、答えなのかもなんて思っています。^^

 って、誰もが気が付くようなことを、この歳(内緒♪)になるまで分からなかったことや、しかもそこからもっと先にあるかもしれないものも掴んでないなんて、わめはやっぱりバカかもですがw涙

14フルナ:2005/09/04(日) 15:44:12
>>13

こんにちは。

う〜ん、現在のわめさんと自分の心境って似てる気がしますね。

「覚悟」っていうのは、現実をありのままに見ることから始まります。「諦める」も「明らかに見る」ということでしょう。おごるのでもなければ、投げやりになるのでもない。「いま」自分にできることを精いっぱいやって、結果は淡々と受け入れる。

簡単なことのようで実は難しい。よほどの覚悟がなければできません。

15わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/09/04(日) 16:03:29
フルナさん、こんにちはなわめです^^

> う〜ん、現在のわめさんと自分の心境って似てる気がしますね。

きゃー♪

> 「覚悟」っていうのは、現実をありのままに見ることから始まります。「諦める」も「明らかに見る」ということでしょう。おごるのでもなければ、投げやりになるのでもない。「いま」自分にできることを精いっぱいやって、結果は淡々と受け入れる。

 小難しいことはよくわかりませんがぉぃw、実感として”覚悟”は素晴らしいと思ってます。^^
 っていうか、わめは”誰よりも優れた人間”だなんて思ってたわけですから、超厚着で貴金属などのアクセサリー多数を着け、財布の中身は札束一杯で思いし嵩張るし、高級車まで背中に背負ってたような人間ですからぉぃw、それらをみんな剥ぎ取られたら軽い軽い♪

 あれ?、なに言いたかったんだろう・・・ あ、わめはすべて剥ぎ取られて何もなくなったから”覚悟”が楽だったということです。^^

> 簡単なことのようで実は難しい。よほどの覚悟がなければできません。

 皆さん大切なものを沢山背負ってられるかもですね。うらやまし〜^^
 大変かもしれませんねw

16フルナ:2005/09/04(日) 16:12:11
わめさん、ぼくはテーラワーダを知って本当によかったと思います。

誤解を恐れずに言えば──池田氏のスピーチには何の感動もありませんが、スマナサーラ長老の説法はまさに「目から鱗」でした。ぼくは、ひとりでも多くの学会員に長老の話を読ませたい、そして覚醒させたいと真剣に思います。

17わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/09/04(日) 16:23:05
フルナさん、速レス感謝^^

> わめさん、ぼくはテーラワーダを知って本当によかったと思います。

最近、フルナさんのそのようなコメントをよく見かけますね。(^▽^)

> 誤解を恐れずに言えば──池田氏のスピーチには何の感動もありませんが、スマナサーラ長老の説法はまさに「目から鱗」でした。ぼくは、ひとりでも多くの学会員に長老の話を読ませたい、そして覚醒させたいと真剣に思います。

覚醒できることはいいかもとは思います。
でも、こっちの水は甘いぞ〜、あっちの水は苦いぞ〜的なことになって、更に甘い水にハマりこんでしまわないか心配です。

ブッダがホントに”信仰を棄てよ”と言ったかは分かりませんが、言った言わない&また深い解釈はどうでもよくて、ただ”信仰を棄てよ”との言葉は、わめは覚醒の言葉かもと思っちょりますばいw

PS
今からドラマ鑑賞に没頭します。m(_ _"m)ペコリ

18みれい:2005/09/06(火) 23:58:22
上座部もきびしい自力の教えのようですし、
悟りとか覚悟とか目覚めとか覚醒になると、すでに宗教(いわゆる学会などのような功徳など神秘性を説くような)ではなくなりますよね。
私は禅(ジャーナ)もそういう意味では宗教ではないと思うし(宗派となると皆どう捉えるのかわかりませんが)、
皆がどんどん「目からうろこ」になれば、と思うのでした。
うろこが落ちても色眼鏡はかけたままの事もありますね。体験談。

悟り(覚醒)も何段階かあるみたいですね。わくわく。

19わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/09/07(水) 00:11:35
きゃー みれいしゃんいらっしゃい^^

> 皆がどんどん「目からうろこ」になれば、と思うのでした。

目からウロコ現象でたー♪

> うろこが落ちても色眼鏡はかけたままの事もありますね。体験談。

ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!

> 悟り(覚醒)も何段階かあるみたいですね。わくわく。

目からウロコ現象は無限大にあって欲しい!!

20わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/09/07(水) 11:24:47
皆さん、(*゜ー゜)vオハヨ♪

 いいもの発見!

曽我さんのWebサイトより『…現時点の私の仏教理解の総括…』2004年11月23日(第2回総括)
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/summary.html
 上記リンクで曽我さんは、具体的に「無常=無我=縁起を納得する方法」を述べられています。

曽我さんのWebサイト『月を差す指はどれか?』
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/

21みれい:2005/09/13(火) 22:39:27
http://tozanji.exblog.jp/
ブログ

http://www.geocities.jp/tozanji/
HP「仏とは何か」

宗教家と宗教解説者では少し違うみたいです。
日本の禅僧からの視点もたまにはいいかと。
カテゴリー別で禅語教えてくれます。
「自分」という言葉も、自然の分身というところからきた禅語だったと最近知りました。

22snow:2005/10/06(木) 22:16:48
わめさん

「法華経」スレでの誘導に乗って(笑)こっちに来てみましたよ〜♪
でもね、かなしいかな、>>2までしかよくわからないれす…(T_T)
わめさんが廃案にした「試論 生命について」ってスレだったら、私も大好きなジャンルだから飛びついてたかも〜。
仏教用語は、やっぱり今に私にはかなりネックです…。

そうは言ってもなかなかおもしろそうなんで、ゆっくり時間のあるときにリンク先とかも見ながら読んでみますね。
はじめはまた「なぜなに坊や」になりそうな気もしますが(笑)
お話しできたら嬉しいです〜

23わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/06(木) 22:37:58
snowさん、こんばんは。^^

廃案じゃなくてこのスレッドのタイトルに「試論 生命について」と付けようかと思っただけで、中身は変わってないです。(^^;;

と、生命を縁起の法からみてどのようなものかを、>>1で書いてみたのです。

でね、ここに誘導したのは、学会員さんが言う仏法は日蓮仏法を指すわけで、日蓮さんは法華経に釈迦の教えの真髄(縁起・空)があると思い宣揚し、結局、縁起の法が究極の教えであると繋がってくるわけです。

ですから、縁起の法と学会員さんが言う仏法の違いが、snowさんの求めるところに当てはまるのではないかと思うのです。

できましたらsnowさんから、学会員さんの?と思うところを提出していただけましたら、縁起の法から言えばその?はどうなのかを、考えていきたいと思っております。

でも一辺に沢山にあげられると、わけわかめになりそうなので、ひとつひとつ?を話し合っていきたいと思いますので、そこのところをよろしくお願いします。<(_ _)>

24snow:2005/10/07(金) 11:30:40
中間報告です。

>>20の曽我さんの「総括」を読みました。
私には、大変納得のいくお話でした。
もちろん、100%理解した、などとはいえませんが。
今まで私が漠然と考えていたことが整然と説明されてて納得がいった点、
気づかなかったけど、言われてみれば納得がいく点などが多く、
最後まで一気に読めました。

まだイマイチ「縁起の法」とやらが掴めませんが、
(本当はそんな簡単に掴めるものじゃないんだろうけど・笑)
「仏法」と言うより、哲学、科学に近いなぁ、と思いました。
「理詰め」なところとか。

あと、サイトそのものの感想ですが、
仏教用語が少ない、または使ったとしても、わかりやすい説明が付いていたので読みやすかったです。

「違う!」と怒られそうですけど、私は「バカの壁」に書かれていることとの共通点が多いと感じました。

究極、科学者も宗教家も、専門用語を使わないで人に説明出来る人が本当にわかってる人、って気がしました(笑)

また来ます。

25わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/07(金) 13:40:11
おおsnowさん、曽我(中川村村長)さんのサイトをお読みになったのですね。^^

> まだイマイチ「縁起の法」とやらが掴めませんが、
> (本当はそんな簡単に掴めるものじゃないんだろうけど・笑)

いえ、本当は簡単に掴めるものですよ。(^^;;
あるもの(普遍的な現象)が対象ですから、それぞれの人間個々にしたって、それを意識するしないはともかく、生きていく中で漠然と知っていることなのですから、掴む必要もないのかもしれません。

> 「仏法」と言うより、哲学、科学に近いなぁ、と思いました。
> 「理詰め」なところとか。

哲学・科学もそして本来の仏教も、この世界にある普遍的な現象(少し語弊があるかもしれませんが)を、見つけ研究し、そしてそれをどう捉えるかといった意味では同じだと思います。

> あと、サイトそのものの感想ですが、
> 仏教用語が少ない、または使ったとしても、わかりやすい説明が付いていたので読みやすかったです。

ホントのことを企みなく説明する言葉は分かりやすいと思います。

> 「違う!」と怒られそうですけど、私は「バカの壁」に書かれていることとの共通点が多いと感じました。

それはホントのことを書いているからかもしれませんね。^^

> 究極、科学者も宗教家も、専門用語を使わないで人に説明出来る人が本当にわかってる人、って気がしました(笑)

科学の場合はその途上ということもありますが、つまりはホントと決まっていないことも説明しなければならず、分かりやすい説明は非常に難しいのかもしれません。(^^;;

四則演算などもなんで1+1=2なのかの前に、1があるわけで、1が何で1なのかを説明できる方はいないと思います。
1は1なんだとの定義からはじまるわけで、数学は真理じゃない便宜上のものだからかもです。^^

26わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/07(金) 13:43:09
一瞬思ったバカなわめの妄想

数学は、世界共通認識の宗教かも?

27青空:2005/10/07(金) 14:25:32
わめさん^^

数学を万物の楚とした教団がありますよ。

その名も、ピタゴラス教団!!!!!!!!!

http://inri.client.jp/hexagon/floorA7F/_floorA7F_pythagoras.html

面白いよん!!

28わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/07(金) 14:39:10
(ノ´▽`)ノオオオオッ♪ 青空さんお久しぶり〜♪

> 数学を万物の楚とした教団がありますよ。
> その名も、ピタゴラス教団!!!!!!!!!

やっ、やはり数学は宗教だったかぁぁぁw爆

29青空:2005/10/07(金) 16:02:21
うん、数学者はマルチな方が多いみたい。

ちなみに、世界最古のカルト教団とされてます。

30Leo:2005/10/08(土) 00:04:24
ピタゴラス教団って電卓たたきながら(昔そういう名前の電卓があった)白装束着ている集団を想像してしまった(^^;

西洋では数学と宗教と音楽の間に密接な関係があったようですね。

ギリシャの音楽哲学
ttp://www.geocities.jp/hukuhuku_pii_623/heikinritu.htm
「紀元前6世紀にはすでに、ピュタゴラス派による音楽と数学という最も高度な分野の学問研究が、
 算術・幾何学・音響学の基礎を築いていた。音響学では、数学の理論が主要な音程を決定するのに用いられた。」

中世音楽概観1 〜中世の音楽とは
ttp://www.mab.jpn.org/lib/gothic/outline1.html
「その音楽は一聴して不思議な魅力を 与えるが、楽譜を詳細に検討するとその背後には
 当時の細密画を 連想させるような緻密な構成があることが明らかとなる。
 数学的ともいえるその高度な手法こそ、音楽が学問であった中世の 音楽の神髄ともいえるものであろう。」

31わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 00:20:01
 わめが余計なことを書いたため、話がおかしな方向に脱線してしまっているかもw汗

 縁起とはなんだ? みたいな話に進行して行ければありがたいです。(^^;;

32Leo:2005/10/08(土) 00:29:52
音楽って縁起だなーということで(^^;
中世の西洋の音楽のサイト私もこの中のCDのいくつかきいたことがあります。
澄んでいて神秘的なんです。中世のメリスマ(声をふるわせる)って引き題目に似ているかも。

ノートル・ダム楽派
ttp://sawat225.hp.infoseek.co.jp/page028.html

音楽は縁によって起こり、固定的な実体がないです。題目も音楽に近く縁起なんですね。
音楽の話はこれぐらいにしておきます(^^;脱線終わり。

34わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 00:37:11
Leoさんも、相当縁起にハマってますな。o(*^▽^*)oあはっ♪

ってわめもだけどw汗

>>32にみたいな感じもいいと思います。

でも縁起とは何を指すのか、実感として分かりやすい言葉で表現したいです。
なかなか難しいかもしれないですが、じゃないとsnowさんが悩んじゃいそうw

35わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 00:44:14
わめ的には>>5の佐倉哲さんの、縁起を関係性として説明されていますが、これなんか非常に感銘を受けました。^^

「すべての存在は関係性の中にある」極論すると「存在とは関係のこと」

ここまで言い切っていいのだろうとか、少し不安になりますが、縁起の特徴が見事に出ているように思います。

36わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 00:45:19
訂正w

>ここまで言い切っていいのだろうとか、少し不安になりますが、縁起の特徴が見事に出ているように思います。

ここまで言い切っていいのだろうかと、少し不安になりますが、縁起の特徴が見事に出ているように思います。

37わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 01:07:36
佐倉哲さんの「和の思想と空の思想」から引用

ナーガールジュナの空の思想

 ナーガールジュナの空の概念は、このブッダの無我の概念を人間だけではなく、すべての存在に適用して、ブッダの思想をより普遍化したものである。だから、空の概念は、よく俗説に言われるように、すべての存在は夢や幻のごとく人間の心のなかにしか存在しない、というような説ではない。そうではなく、変滅する現象の背後に、なおも、ある不変な何ものかを想定しようとする人間の執着、それを否定する思想なのである。
−−−−−−−−−−引用終

「変滅する現象の背後に、なおも、ある不変な何ものかを想定しようとする人間の執着」、このような執着を持つ信仰者は多い気がする。
何故か日蓮仏法を信仰する方達にも・・・

38Leo:2005/10/08(土) 01:08:25
今度はチベット仏教を参考にしてみます。

チベット老僧の教え
ttp://www.lung-ta.org/buddhism_teaching/teaching4.html

空と縁起とは

「もし今、あなたが苦しみを感じているならば、それは誰かを傷つけた結果であり、
 もし幸せを感じているならば、それは誰かを幸せにした結果なのである。」

「相手を責めるのは間違いだ。原因は自分の行動や考え方にある。」

「今までの自己中心的な生活、行い、考え方を止め、意固地にならず、
 他の考え方を柔軟に受け入れられる考え方をした方がいい。」

「仏教の聖人でのないかぎり、自分に見えているものは、大きく現実からかけ離れているのだから。」

39わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 01:13:06
Leoさん、

> 「もし今、あなたが苦しみを感じているならば、それは誰かを傷つけた結果であり、
>  もし幸せを感じているならば、それは誰かを幸せにした結果なのである。」
と、
> 「相手を責めるのは間違いだ。原因は自分の行動や考え方にある。」

これは、すごく宗教的で、こんなの証明できっこない気がするのですが・・・w汗

> 「今までの自己中心的な生活、行い、考え方を止め、意固地にならず、
>  他の考え方を柔軟に受け入れられる考え方をした方がいい。」

これは道徳的ですね。^^

> 「仏教の聖人でのないかぎり、自分に見えているものは、大きく現実からかけ離れているのだから。」

これは危ないんじゃないw 縁起からも反する気が・・・

40Leo:2005/10/08(土) 01:22:44
>これは、すごく宗教的で、こんなの証明できっこない気がするのですが・・・w汗

一見神秘的とか超自然現象に思えますが、これは作用・反作用というか十如是と
いうか、「思い込み」(先入観)を反省とか、幸せや苦しみも縁によって起こり原因がある
という意外と理にかなったことかなーと思います。

>これは危ないんじゃないw 縁起からも反する気が・・・

これは「思い込み」(先入観)への戒めと思います。人はなんらかのフィルター(先入観)を
通して外界を見ているという。

41わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 01:33:24
>>40 Leoさん、わめにはちゃんと分かる気がするのです。^^

でも縁起を、人が生きるための教訓とか教法話に逝っちゃうと宗教臭いし、縁起そのものが掴みにくくなってしまう気がするのですがw

42わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 01:35:51
「ビルから飛び降りると大怪我もしくは死にますよ」では、万有引力や重力を語っているとは思い難いです。(^^;;

43Leo:2005/10/08(土) 01:38:15
おお、そういうことでしたか。

44わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 01:40:42
もし誰も万有引力や重力を知らないとしたら、
「ビルから飛び降りると大怪我もしくは死にますよ」と説くだけで教祖になれそうですが。
(*´Д`)y−~~~ウマー!

い、いかんw 脱線してるwm(。_。;))m ペコペコ…

45わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 01:48:00
Leoさん、案外こんな話を続けていくだけで、何か縁起がおぼろげながら見えてくるようにも思いますね。^^

Leoさんに感謝です。ぺこ <(_ _)>

46Leo:2005/10/08(土) 01:59:59
>Leoさん、案外こんな話を続けていくだけで、何か縁起がおぼろげながら見えてくるようにも思いますね。^^

そうですね。わめさんと私がこのように話していることも縁起です(^^;

そういえば、「ひろさちや」訳「般若心経」ってなんかわかりやすいですね。
ttp://www.scn.tv/user/terao-ji/singyo.htm
ttp://structure.cande.iwate-u.ac.jp/religion/hirohannya.htm

学会(ないし日蓮(正宗)系)って「般若心経」読まないのだけれども。

47わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 02:16:23
> そうですね。わめさんと私がこのように話していることも縁起です(^^;

ですね。(⌒▽⌒)アハハ!

> そういえば、「ひろさちや」訳「般若心経」ってなんかわかりやすいですね。

分かりやすいけどやっぱり教法も入ってきてしまいますね。(^^;;

一度縁起を宗教から切り離して、と言うか、
暫定真理(わめはそう思う)みたいな、現象としての縁起を話し合ってみたいな。(*゜▽゜*)

48Leo:2005/10/08(土) 09:14:45
>もし誰も万有引力や重力を知らないとしたら、
>「ビルから飛び降りると大怪我もしくは死にますよ」と説くだけで教祖になれそうですが。
>(*´Д`)y−~~~ウマー!

そういえば、縁起や空が一般にあまり知られていない時代に大本尊を「幸福製造機」と説いて
教祖のようになった方(肩書きは会長だけど)がおられましたなあ。

>一度縁起を宗教から切り離して、と言うか、
>暫定真理(わめはそう思う)みたいな、現象としての縁起を話し合ってみたいな。(*゜▽゜*)

釈迦も哲学というか宗教ぽくなかったとか。縁起って一種の現象学なのかな。

49Leo:2005/10/08(土) 11:28:11
ガイシュツかもしれませんが(縁起からややはずれますが)近藤さんという方のこのようなページがあります。

日蓮思想・創価学会批判
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~kondotak/Texts/nichiren/nichiren.html

近藤さんは日蓮思想(大聖人の結論)は現代ではあまり価値のないものと捉えています。
それに対しLibraさんは日蓮思想も批判に耐えて残るものがあると捉えていると思います。
最後は個人個人の選択と思いますが興味深いですね。

50わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 12:36:02
>>49

 既出じゃないですが、わめもこの方のサイトは以前より見てまして、わめとよく似たこと書いてるなって思ってました。^^

> 近藤さんは日蓮思想(大聖人の結論)は現代ではあまり価値のないものと捉えています。
> それに対しLibraさんは日蓮思想も批判に耐えて残るものがあると捉えていると思います。
> 最後は個人個人の選択と思いますが興味深いですね。

 日蓮の中心思想に、縁起を見るか見ないか、案外そこだけが大きな差かもしれませんよ。

>>48 

> 縁起って一種の現象学なのかな。

 現象に”学”をつけて調べて、かなり迷路にハマりこんでしまった感のあるわめです。汗
 なのでわめのレベルに合わせていただけるなら、縁起を”現象”として捉えて、その縁起の現象とは何か?を、当然部分観になってしまうかと思いますが、これは縁起の現象だと思うことを思うままに書き込んで、それらを題材にまた議論していけたらいいかなんて思ったりしています。^^

51Leo:2005/10/08(土) 14:01:33
わめさん、こんにちは。>>50

>日蓮の中心思想に、縁起を見るか見ないか、案外そこだけが大きな差かもしれませんよ。

確かに、そうかもしれません...

>現象に”学”をつけて調べて、かなり迷路にハマりこんでしまった感のあるわめです。汗

(Libraさんがポパーに興味が出る前にフッサールの現象学に興味があったとのことで、
現象学と仏教のに類似性がみられるとか)
現象という言葉を見るとつい現象学と書いてしまうLeoです(^^; ドンマイ、ケンチャナヨ。

>なのでわめのレベルに合わせていただけるなら、縁起を”現象”として捉えて、
>その縁起の現象とは何か?を、当然部分観になってしまうかと思いますが、
>これは縁起の現象だと思うことを思うままに書き込んで、それらを題材に
>また議論していけたらいいかなんて思ったりしています。^^

「これは縁起の現象だと思うこと」ですが、私は世の中にすべてが縁起の現象のように思います。

人間の心も実体がないし、物質は原子やクォークが集まって出来ているのですが、
現代物理でも相対論によると物質はエネルギーと等価で、量子論によると物質は波動とのことです。
(物質についても固定的実体がないということです)

また、生命も縁起と思います。学会教学では「仏とは生命なり」としますが、
「仏とは縁起なり」「生命とは縁起なり」ではないかなーと思います。

52わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 14:50:41
Leoさん、わめは少しづつ面白くなってきました。(*゜▽゜*)

> 「これは縁起の現象だと思うこと」ですが、私は世の中にすべてが縁起の現象のように思います。

このような捉え方だと、世の中すべてが重力の現象とも言えなくない。
世の中すべて、エントロピーが増大してる=時間が過去から未来に流れている=宇宙は膨張している。
何か特別な力が働かなければ、時間の経過と共に高い熱は、周囲の温度と混ざり合い平均化していく。

このようなことですね。
でもこれも漠然と捉えると言った意味では、良い答えに思います。^^

> 人間の心も実体がないし、物質は原子やクォークが集まって出来ているのですが、
> 現代物理でも相対論によると物質はエネルギーと等価で、量子論によると物質は波動とのことです。
> (物質についても固定的実体がないということです)

粒子と波動との二重性はよく言われていますね。でも光子は粒子ではなかったですか?

まだ解明しきられていないように思いますので、”物質についても固定的実体がないらしい”と言うところで止めておきましょう。(^^;;

と言うか、量子力学の世界では、観察者や測定機器が観察物に与える影響が甚大で、まだまだこれからと言うか、楽しみな世界であるように思います。

> また、生命も縁起と思います。学会教学では「仏とは生命なり」としますが、
> 「仏とは縁起なり」「生命とは縁起なり」ではないかなーと思います。

これはまた宗教臭くなりそうですので、もう少し将来的に話し合えればと思います。

53わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 15:04:16
ああ、エントロピーの増大(熱力学の第二法則)って唯一の真理と言われているらしいですが、これだって宇宙の膨張が止まったら、真理じゃないように思いますので暫定真理とわめは思っています。

54わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 15:14:29
わめの縁起の素朴な捉え方としては、この3つです。

・原因があって結果がある。 その逆は宇宙が縮小に向かわない限りあり得ない。
・↑とよく似てますが、無常ということ。 変化しないものはない。(宇宙が膨張か縮小している間)
・すべての存在らしきもの(人間も含め)は、関係性の中でのみの存在。(実体は何もない=無我)

55わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 15:25:27
追加

無我を個を指して言う言葉? 空はすべての存在・世界を指す無我みたいなもの?

要は縁起ですね。^^

56Leo:2005/10/08(土) 18:51:08
>粒子と波動との二重性はよく言われていますね。でも光子は粒子ではなかったですか?

光は回折現象のような波動としての性質を持つし、波長もあります。
(たとえば可視光の波長は3500〜7500オングストロームなど)
光も粒子と波動との二重性があります。

>と言うか、量子力学の世界では、観察者や測定機器が観察物に与える影響が甚大で、まだまだこれからと言うか、楽しみな世界であるように思います。

量子力学は色々奥が深いようです。量子力学によれば、素粒子の状態は観測するまで分からないとのこと。
それに観測すると状態も変化してしまいます。

話が脱線してしまいますが、池田先生がバリバリ学会員の主張するように「すごい人」なのかアンチ学会が主張するように「悪者」
なのか本人を直接観察するまでわからないということです。

57わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 20:30:10
 う〜ん、やっぱ縁起はこの世の中の普遍原理であり、Leoさんの言うようにすべては縁起の現象か・・・

 でもこれを読んでくれる方、縁起について分かってもらえるかな?w汗

58わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 20:48:09
 snowさん、勝手にリンク(*_ _)人ゴメンナサイ http://swla.exblog.jp/2835126/

 まぁなんていうかその・・・ やっぱ多くの人に縁起を理解してもらいたいかもw汗

59わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 21:18:25
 このスレ、縁起のスレだからこれでいいかもしれないけど、第三者から見て、わめやLeoさんって”縁起信仰”してる人みたいに見えてたりしてw爆

 縁起の言葉は避けて、暫定真理とか、普遍原理とか、在りのままをつぶさに観てなどの表現にしたほうがいいのかな・・・w汗

60snow:2005/10/08(土) 23:06:55
わめさん、Leoさん、なんというかその…。
とにかく、ありがとうございますm(_ _)m

おかげさまで、縁起のしっぽのさきっぽに、触れたような気がします。
しっぽ切って逃げられるかもしれませんが。(←縁起の正体はトカゲか!?)

>Leoさん
初めまして。お名前は何度も拝見してましたが、ごあいさつはまだでしたよね?
これからもいろいろお話し聞かせていただけると嬉しいです。

>わめさん
なんか、いっぱい書き込んであって、ビックリしました〜(笑)
私の名前もいっぱいあってビクリシタアル〜。
でも、ありがとうございます♪

あってるかどうかわからないけど、今の時点での私の縁起のとらえ方、↓に書いてみます。
またツッコミいれてくださいませ。

61Leo:2005/10/08(土) 23:19:29
>このスレ、縁起のスレだからこれでいいかもしれないけど、第三者から見て、わめやLeoさんって”縁起信仰”してる人みたいに見えてたりしてw爆
>縁起の言葉は避けて、暫定真理とか、普遍原理とか、在りのままをつぶさに観てなどの表現にしたほうがいいのかな・・・w汗

なるほどなるほど。宗教臭くない方向とすると東洋哲学研究所の友岡さんという方の仏教の解説が参考になりそうです。

縁起とは何か?縁起とは世界のありのままの現象といえますが、人間側からすると
「一切の偏見や先入観を排除した認識の態度」といえるということです。

『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
ttp://page.freett.com/Libra0000/016.html
(楽天ブックス)
ttp://item.rakuten.co.jp/book/1301746/

「人々に自分が考えているよりもはるかに自由なのだと教えること、人々が自明で真理だと信じていることが、
 歴史の特定の時点に作り出されたものであり、このみかけの上の自明性(簡単にいえば「常識」)が、
 批判し破壊することができるものだと示すこと」(ミシェル・フーコー)
→世界は縁起であるからこそ固定的常識が破壊できる

「ブッダは何か、すばらしい、一つの固定的なものを知ったのではありません。すべてのものに対して、
 一切の偏見や先入観を排除した認識の態度を身に付けたのです。ブッダとは、「何かを覚った人」ではなく、
 すべてのものに対する「偏りのないものの見方を持ちえた人」のことだといえるでしょう。」
→縁起とは偏りのないものの見方

「何度も言うことですが、ブッダの思想の特徴は、「立場」を永遠に突破することにあります。
 一つの立場に固執することから、常に飛躍するところにあります。」
→縁起によれば虚無にも固執にも陥ることなく人は進化できる

62Leo:2005/10/08(土) 23:22:54
snowさん、こんばんは。

書き込みされている途中で書き込んだようになってしまいすみません。
なんか一杯か書き込んでしまってびっくりされていると思いますが
あまり気になさらないでください。

63わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 23:37:10
snowさん、こんばんは〜^^

> あってるかどうかわからないけど、今の時点での私の縁起のとらえ方、↓に書いてみます。

合ってるわけないと思いますよ。わめやLeoさんも、正しく縁起を捉えているはずがないと断言できますし、だからこうして話し合っているわけだし・・・

> またツッコミいれてくださいませ。

はい、誰も彼も正しくないのですから、お互い訂正しあいましょう。(゜▽゜*)ニパッ♪

64snow:2005/10/08(土) 23:40:33
え〜っと、とりあえず…。

多くの人が「自分」というモノがあると思っている。
身体(物体)としてだけでなく、それぞれが固有の精神というものも存在している、と思っている。
でも、実際は身体にしても精神にしても、変わらないものがあるわけではなく、
常に周囲の影響を受けながら変わっていくものである。
(↑これが諸行無常ってこと?)
自分と他者があるのではなく、自分も他者も、互いに影響・関係しながら流動的に変化するモノで、
境目がない。
で、今まさに変化している自分・他者・世界といった現象(状態?)は、
なんらかの原因があって、その結果で現在の状態になっているのであって、
現在の「結果」は未来の「原因」となって、変化はずっと続いていく。

これが私たちを取り巻いている世界の正体である。

どですか?

65わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/08(土) 23:53:17
snowさん、何だか宗教臭いですよ。笑

> 多くの人が「自分」というモノがあると思っている。
> 身体(物体)としてだけでなく、それぞれが固有の精神というものも存在している、と思っている。

これは、多くの人が自立自存していると、思い込んでいると言ったほうがいいかな。
自分と言うものは、心身共に関係性の中で生起していることに、気が付いていないということでしょうか。

> でも、実際は身体にしても精神にしても、変わらないものがあるわけではなく、
> 常に周囲の影響を受けながら変わっていくものである。
> (↑これが諸行無常ってこと?)

大当たりしているので何も書けないと書いてみるテストw

> 自分と他者があるのではなく、自分も他者も、互いに影響・関係しながら流動的に変化するモノで、境目がない。

これは微妙だと感じます。でも外れじゃない。 ただ境目がないは観念的な気がする・・・

> で、今まさに変化している自分・他者・世界といった現象(状態?)は、
> なんらかの原因があって、その結果で現在の状態になっているのであって、
> 現在の「結果」は未来の「原因」となって、変化はずっと続いていく。

これに、今は過去の結果であり、未来の原因であると言うことで、今は因果倶時とも言います。
^^

> これが私たちを取り巻いている世界の正体である。

 これがすべてかと言うと、そうではないと思いますが、正体ですね。^^
ってsnowさんは、元からある程度知っていたはずです。だってこの世界で生きて、色々経験してきているのですもの。
 色眼鏡をかけなければ、以外と誰でもすんなり理解できるはずなのです。

66snow:2005/10/08(土) 23:59:18
>>61 >>62
Leoさん、レスありがとうございます(^-^)
かえって気を遣っていただいて、すみません。
書き込み途中だからといって、私は全然気にしませんので(掲示板とはそう言うものだと思っています)
これからも気にせずガンガンいろいろ教えてください。

>「一切の偏見や先入観を排除した認識の態度」といえるということです。

このいい方、大変わかりやすかったです。ご紹介ありがとうございます。

67わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/09(日) 00:01:06
因果倶時って、わめも宗教臭いこと書いたわw汗

> これに、今は過去の結果であり、未来の原因であると言うことで、今は因果倶時とも言います。
> ^^

因果倶時=すべての現象に因(未来の因)と果(過去の果)が具わっている。

これがずっと続いていくのですから、惰性とか、習慣とか、思い切ったことが、なかなかできないとかの理由のようにも感じたりします。^^

68snow:2005/10/09(日) 00:03:33
ありゃ、もうわめさんからレスついてる(笑)
とりあえず>>63

そりゃそうですよね〜。あってる訳ないですね(笑)

69わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/09(日) 00:24:55
>「一切の偏見や先入観を排除した認識の態度」といえるということです。

Leoさんかっこ (・∀・)ィィ

更にかっこいいレスが付きそうだから、わめはROMろっと。♪
無我・空がでてくるかも・・・ ((o( ̄ー ̄)o)) ワクワク

70snow:2005/10/09(日) 00:28:32
>>65
え〜?宗教臭いかしら〜?
だとしたら、夜な夜なむかっ腹立てながら創価話を眺めている恩恵かなぁ(遠い目)
諸行無常とか書いたからかな?

…と、とりあえず気になったので脱線してみる(笑)

>自分と言うものは、心身共に関係性の中で生起していることに、気が付いていないということでしょうか。

なるほろ。もとからあるものに気づけるかどうか、って事ですね。
…って、「生起」って宗教臭いかも〜(笑)

>大当たりしているので何も書けないと書いてみるテストw

イェイ♪一個マルもらえて嬉しい生徒の気持ちを思い出せた(笑)

>これは微妙だと感じます。でも外れじゃない。 ただ境目がないは観念的な気がする・・・

>これがすべてかと言うと、そうではないと思いますが、正体ですね。^^

↑部分、書いてるときも引っかかりながら書いてました。
まだまだ曖昧ですけど、もうちょっと考えてみます。

71わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/09(日) 00:38:07
あ、snowさん、Leoさんご紹介の下記ですが、
友岡雅弥氏って東洋哲学研究所の研究員方で、もちろん学会員でもあるわけですが、学会にはこんな方もおられるのです。
わめは大ファンです。^^

『ブッダは歩む ブッダは語る』(友岡雅弥)
http://page.freett.com/Libra0000/016.html
(楽天ブックス)
http://item.rakuten.co.jp/book/1301746/

72Leo:2005/10/09(日) 00:51:44
わめさん。>>69

(念のため...)
>>「一切の偏見や先入観を排除した認識の態度」といえるということです。
>Leoさんかっこ (・∀・)ィィ

「一切の偏見や先入観を排除した認識の態度」は友岡さんが仰ったことです...

言い方は語弊あるかもしれませんが、創価学会の方(=友岡さん、東洋哲学研究所の方)でも、
少数派かもしれませんが、理にかなったものの見方をされている方がおられるのですね。

余談ですが...1990年代半ばぐらいに聖教新聞に「仏典散策」という記事がありましたが、
友岡さん担当だったらしいです(確かLibraさん談)。当時は私は「なぜ釈迦仏教の記事があるの?
(釈迦仏教なんてやってたらダメじゃない?)」と大いに疑問で、岩波文庫の「スッタニパータ」
とか読み始めました。それが1990年代終わりにLibraさんに出合って妄信から離れるきっかけに
なったと思います。

私は理論派ではないですが「仏典散策」に目が向くとかLibraさんに出会うとか嗅覚というか
直観力は少しあったのかもしれません。

73Leo:2005/10/09(日) 01:24:55
>更にかっこいいレスが付きそうだから、わめはROMろっと。♪
>無我・空がでてくるかも・・・ ((o( ̄ー ̄)o)) ワクワク

かっこいいレスは難しいですが(^^;

>(゜▽゜*)ニパッ♪

にちなんで、「スッタニパータ」(中村元訳、岩波文庫)より。

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。」

自我に固執する見解をうち破って→無我ということですね。

74Leo:2005/10/09(日) 17:46:34
友岡雅弥『ブッダは歩む ブッダは語る』、第三文明社 より

「例えば「悪人」という実体はありません、いままで、悪いことをしていなかった人でも、
さまざまな人生の状況で悪をなしてしまうことがあります。ある瞬間、悪を行うならば、
その人は悪人なのです。しかし、それを心から反省して善を行っているなら、その時は
善人なのです。」

 私は韓ドラの「オールイン」を観て上を思い出しました。

「そのような意味で、行為とその結果の因果関係は、過去世の因が現世に報いるという
形ではなく、今何をしているかがその人を決めるという「同時存在性」(因果倶時)なのです。
また、それは固定的なものでなく、瞬間瞬間変化する関係です。これが「縁起」です。
ある一定の「生まれ」とか「階級」を、固定的で不変化な「悪」と決め付けることへの
根源的な批判が、「縁起説」という形で、ブッダによってなされたのです。」

 因果倶時は「同時存在性」と表現できるのですね。

「人はしばしば何かを固定的で変化しないものと、実体的に見ることがあります。
それがブッダの批判したものです。」

「「習慣を疑え」−これは本の最初の方に何度も繰り返したブッダのマニフェスト(宣言)です。」

友岡さんは学会批判の方ではないようですが、私が個人的に思うことは「学会指導」が「習慣」
になっていないかということです。

75Leo:2005/10/09(日) 21:04:47
縁起・空について思うこと by Leo

ロケットの軌道って縁起・空だと思う。軌道って実体がない。
軌道という線路のようなものがあるのでない。
ロケットが計算した軌道通りに飛ぶといっても、ロケットエンジンの燃焼状態など
により目標の軌道からずれるわけで、そうるすとメインロケットや補助ロケットの噴射などによって、
軌道修正したりする。そこには精妙な制御がある。制御とは測定と修正により成り立っている。
制御がないロケットは大砲とかわりがない。
目標に向かうことはおぼつかない(月や惑星になどに行けない)。

76わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/09(日) 23:14:54
Leoさん、こんばんは〜

>>72 > 「一切の偏見や先入観を排除した認識の態度」は友岡さんが仰ったことです...

かっこいい言葉を抽出されるのも、そのLeoさんの嗅覚・直観力かもしれませんね。^^

>>73 「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。」

これだけ見ると無我かなって気がするのですが、中村元氏は韻文がより仏説に近いと執着する方に思え、氏の空の捉え方はどうなんだろうとか?、無我を打ち破り真のアートマン登場みたいなこと考えてたりしてw汗

>>74 >「例えば「悪人」という実体はありません〜

あるともないとも分からない過去世に縛られるなと言うことですね。(^。^) ただ、

> 「そのような意味で、行為とその結果の因果関係は、過去世の因が現世に報いるという
> 形ではなく、今何をしているかがその人を決めるという「同時存在性」(因果倶時)なのです。

の、このような表現の因果の同時存在性(因果倶時)は、ちょっと理解しにくいです。(^^;;
過去世なんて無いと思っているわめですから、現世のみで考えてみると、昨日と今日が同時に存在するって意味に取れちゃうわけで、そうなるとわめの思う、今日には、昨日の果と明日の因を含むのだから因果倶時との捉え方とは、ずれてしまいますね。

>>75 >ロケットの軌道って縁起・空だと思う。軌道って実体がない。

 目的地に向かう正しい軌道は、出発点から目的地に向かうその空間において、ロケットに与えるほぼすべての影響を、人間が知っているという英知の結晶だと思います。
 重力計算が重要だと思うけど、Leoさんは縁起に重力は含まれると思ってらっしゃるのかな? わめは重力は重力として暫定真理かなって思ってますが。

77Leo:2005/10/10(月) 00:29:51
>これだけ見ると無我かなって気がするのですが、中村元氏は韻文がより仏説に近いと執着する方に思え、
>氏の空の捉え方はどうなんだろうとか?、無我を打ち破り真のアートマン登場みたいなこと考えてたりしてw汗

古代は文字で記録するのが貴重(高価)だったし一般的でなかったから、韻文(詩形式)というのは声に出しながら
記憶するのに便利な方法だったようです。人間テープレコーダというか、人間MDというか。
仏教では釈迦滅後の仏典結集までは文字化されてなかったそうです。
そういう意味で経典の韻文部分がより古い時代のものである可能性はあります。

確かに(すぐにソースが出てこないですが)「真のアートマン」を主張する人もおられます。

大学の先生や研究者でさえも(中村元氏含む)曖昧さを残したり間違えたりする可能性をLibraさんが指摘(および紹介)
してました。(すでに参照されているかもしれませんが...)

○「無我」と「非我」は違うか? 
http://freett.com/Libra0000/z011.htm

「〈我〉(a(_)tman)に対する否定を表し、〈我が無い〉と〈我ではない〉(非我)との両方の解釈がなされる。
中村元他編『岩波仏教辞典』、岩波書店、1989年、p. 779) 」
仏教の根本思想に対して「無我」と「非我」と対立する解釈はおかしいのではないかということです。

○『スッタニパータ』vs.『ダンマパダ』(袴谷憲昭)
http://freett.com/Libra0000/008.html

中村元氏は自分の著書で矛盾することを書いてしまった。

○『スッタニパータ』の立場は「ジャイナ教的相対主義」(松本史朗)
http://freett.com/Libra0000/009.html

最も古い経典についても他宗教の影響がみられるのですね。相対主義は議論なんかしても意味がないという
立場ですが、議論(または批判)せずにどうやって真理に迫ることができるのだろうかということです。

78Leo:2005/10/10(月) 00:40:57
補足です。

>相対主義は議論なんかしても意味がないという立場ですが、議論(または批判)せずにどうやって
>真理に迫ることができるのだろうかということです。

相対主義 → 議論なんかしても意味がない
批判的合理主義 → 議論(または批判)によって真理に近付くことができる

>重力計算が重要だと思うけど、Leoさんは縁起に重力は含まれると思ってらっしゃるのかな? 
>わめは重力は重力として暫定真理かなって思ってますが。

重力についてのニュートン力学も暫定真理で、アインシュタインの相対性理論が出てきた
(これも暫定真理)。

Aという物体とBという物体が存在するとその間に重力が発生し、Aという物体も
Bという物体もなければ重力も存在しない。重力はそれ自体で存在しない。
ということで重力も縁起ではないでしょうか。

79Leo:2005/10/10(月) 00:56:51
業務連絡(←?!) Libraさんは年末にまた掲示板に来られるとのこと。
それまでにLibraさんに質問(出来れば議論)できる話題が集まるとよいかもしれません(^^;

80わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/10(月) 01:16:06
Leoさん、重力についてもう少し勉強してみようと検索してみたら、面白いページを発見w笑

ちょっと思索してみますのでお返事はまた後日に。m(_ _"m)ペコリ

重力を制御する方法
http://www13.big.or.jp/~redsky/grav/

本来は↓など読めばいいのかもしれませんが、↑が面白そうなのでwぉぃ
http://vldb.gsi.go.jp/sokuchi/gravity/gravity_exp.html
http://www.kagaku.info/faq/gravity000221/

> 業務連絡(←?!) Libraさんは年末にまた掲示板に来られるとのこと。

そんなに長く来られないのね。(´・ω・`)ショボーン

> それまでにLibraさんに質問(出来れば議論)できる話題が集まるとよいかもしれません(^^;

(*゜ー゜)(*。_。)(*゜ー゜)(*。_。)ウンウン

81Leo:2005/10/10(月) 11:02:04
わめさん、こんにちは。>>80

>重力を制御する方法
>http://www13.big.or.jp/~redsky/grav/

「未公開の重力発電機」といっても小型実験機を作成したりシミュレーション
(どのくらいの回転でどのくらいのエネルギーを発生できるか)を
やっていないことから実現性を無視したアヤシイ提案に思います(^^;
(本売れたのかなー?)

○スペースコロニー
ttp://spaceinfo.jaxa.jp/note/kouso/j/kou102_colony.html
「自転の遠心力を重力に代用する」

○惑星科学のための宇宙探査機
ttp://www.cgh.ed.jp/TNPJP/nineplanets/spacecraft.html
「重力による加速」

などは確かに「重力を制御する方法」「物体を加速させる方法」には違いないです。
こんなのもあります(卵を宙に浮かせるだけでもかなり大変)。

○回転するゆで卵は本当に宙に浮く
ttp://slashdot.jp/article.pl?sid=05/07/12/1420252
「ゆで卵を毎秒30回転以上させると、重力に逆らって宙に浮く」

82Leo:2005/10/10(月) 11:14:13
>「未公開の重力発電機」といっても小型実験機を作成したりシミュレーション
>(どのくらいの回転でどのくらいのエネルギーを発生できるか)を
>やっていないことから実現性を無視したアヤシイ提案に思います(^^;

ジャイロが一定方向に動く実験映像はありましたが、実際に発電しないと。
このジャイロを仕込んだ自転車などで走り回るのでもよいけど。
摩擦で減少するエネルギーを補うのに電力とモータが必要になって
永久機関にならないのではないかと思います(^^;

83Leo:2005/10/10(月) 17:10:18
そういえば既知の「重力発電機」ってありますね。水力発電がそう。
ライト兄弟だって人間を乗せて飛ぶ飛行機を実際に製作しなかったらただの変人に終わったでしょう。

84わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/10(月) 17:53:03
Leoさん、こんばんは。

> そういう意味で経典の韻文部分がより古い時代のものである可能性はあります。

 その可能性はありそうですね。
 でも古いのと仏説に近いのと、因果関係としてどうなのでしょう。ブッダが韻文を言ったなど聞いたことないですし、教えを説くという意味では散文だと思うし、韻文から散文ができたなどという説はその内容の違いからも疑義がありますし、まぁいずれにしても滅後100年上も経ってからの経典結集ですからね。(^^;;
 やっぱそれより思想史的方法がいいように思うな。^^

仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
http://freett.com/Libra0000/082.htm

85Leo:2005/10/10(月) 18:02:19
永久機関について。
ドクター中松なんかはマトモな発明もしているけど(フロッピーディスクとか手動醤油(後に石油に使う)ポンプとか)、
結構トンデモな発明もしてますね(本人はギャグでなく本気かもしれないですが)。
そういうトンデモも世の中を愉快にさせるという点では有意義かもしれないです。

ドクター中松エンジン
ttp://www.dr-nakamats-shop.co.jp/dr/nakamatu.html

ttp://www.ch-sakura.jp/bbs_thread.php?GENRE=sougou&ID=117120&P=150
「このドクター中松エンジンIIとはどういうものかというと、
宇宙にあるエネルギーを取り込んで無接触で回転するものである。
その構造は、装置本体に三つの特殊なアンテナがついていて、
そのアンテナから、宇宙にある赤外線、可視光線、紫外線、
エックス線、ガンマー線などあらゆるエネルギーを吸収して、
無接触でエンジンを動かす仕組みになっている。
この『ドクター中松エンジン』の重要なポイントは、
全く接触せずに回転し つづけることである。つまり、
機械的エネルギーロスがゼロで 機械的磨耗がないので、メンテナンスが不要だ。
これがどうい うことかというと、ドクター中松エンジンIIは永久機関ということだ。
それも世界初の永久機関である。現在、永久に回転する永久機関は、
『熱力学第二法則により不可能』というのが定説である。」

宇宙エネルギーといって外部からエネルギーを取り込む時点で永久機関じゃなくなってます(^^;
たとえば太陽電池や水力発電などが半永久的に使用できても永久機関ではないです。

86Leo:2005/10/10(月) 18:06:40
わめさん、こんばんは。>>84

> やっぱそれより思想史的方法がいいように思うな。^^

す、するどい。

>仏教解明の方法─中村元説批判(松本史朗)
>http://freett.com/Libra0000/082.htm

お、中村元氏批判はそこにありましたか。

87わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/11(火) 19:17:44
 Leoさん、わめの重力の話から脱線しちゃいましたが、重力発電機や永久機関にしろ、今までの既成概念に囚われないで、更に探求していく姿勢は学ぶところが大きいと思います。

 友岡さんの「習慣を疑え」も、既成概念を何でも当たり前のように思い込んでしまうことへの警告なのかもしれませんね。

 ところで、『今何をしているかがその人を決めるという「同時存在性」(因果倶時)』の”同時存在性”が、>>76で書いたようにわめには理解しがたいのですが、Leoさんは理解されておりますか?

 もし理解されているようなら、Leoさん流理解で結構ですので、ご意見をいただければ幸いです。

88わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/11(火) 19:31:24
「同時存在性」と言えば量子力学で、各1個の光子を正反対の方向に同時に発射して、その片方を途中から鏡なので曲げると、もう一方も同じ方向に曲がるという話があったような・・・

これは極端な例として、宇宙の端と端までその光が伸びたとしても、その片方を宇宙の端で曲げると、やっぱりもう一方も同時に同じ方向に曲がるとされる理論を読んだことがあります。

この現象には時間の概念が存在しないと言うことで、このようなことが言われているようですが、因果倶時の「同時存在性」もこのような意味合いのものなのかな?

( ̄ヘ ̄;)ウーン

89Leo:2005/10/11(火) 23:08:00
わめさん、こんばんは。

>Leoさん、わめの重力の話から脱線しちゃいましたが、重力発電機や永久機関にしろ、
>今までの既成概念に囚われないで、更に探求していく姿勢は学ぶところが大きいと思います。

(念のため...)私は永久機関否定派でいわゆる疑似科学(トンデモ)を批判するにやはり反証は有用と思いました。

> ところで、『今何をしているかがその人を決めるという「同時存在性」(因果倶時)』の”同時存在性”が、
> >>76で書いたようにわめには理解しがたいのですが、Leoさんは理解されておりますか?

同時存在性とは原因が結果として短時間にあらわれるということではないでしょうか。
たとえばAさんが学会員であるのは、未知の過去世に池田先生の久遠の弟子であったからではなく、
入会したからとか、親が学会員であったからによるものです。

別の見方をすると、卵(原因)と鶏(結果)は同時存在といえないでしょうか。卵が消えて鶏になるので
はなくだんだん成長するわけで、空間方向だけでなく時間方向も一体の存在と捉えることが
できるのではないかと思います。

90Leo:2005/10/11(火) 23:40:29
同時存在性に関係ありそうな時間論はこのようなページがありました。

○時間論
ttp://www.geocities.jp/enten_eller1120/thema/time.html

>「同時存在性」と言えば量子力学で、各1個の光子を正反対の方向に同時に発射して、
>その片方を途中から鏡なので曲げると、もう一方も同じ方向に曲がるという話があったような・・・

もしかして量子テレポーテーションですね。その話題に行く前に、わめさんの以前「光」の
話で疑問点が出てきました。光は一種のエネルギーですが、ビッグバン理論によって無から
宇宙が生じたとすると、光などのエネルギーが宇宙のはじめにそれ自体存在し、
縁起説が危機になるように思います。ありゃ?

○ビッグバン
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%83%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%B3

無といっても「エネルギーの揺らぎがあってそこから物質と反物質がポット生まれてすぐ消える、ゆらいだ状態」
(量子論的無)からの宇宙の発生だったら縁起説に反しないかな?

○現代の宇宙論
ttp://www1.fctv.ne.jp/~ken-yao/Recent.htm

91Leo:2005/10/11(火) 23:50:14
そういえば時間も実体のないものですね。
ものごとが変化しなければ(地球が自転したり、時計が動いたりその他諸々)時間も存在しないでしょう。

92わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/12(水) 00:31:18
Leoさん、こんばんは〜^^

> (念のため...)私は永久機関否定派でいわゆる疑似科学(トンデモ)を批判するにやはり反証は有用と思いました。

わめは否定はしないけど永久機関は、第一種・第二種ともにまず無理でしょうとは思っておりますが、既成概念は否定的でもそれに屈せず探求する姿勢は好きですよ。^^

> 同時存在性とは原因が結果として短時間にあらわれるということではないでしょうか。

これだとわめの思う、昨日の今日の結果と明日の今日の原因とが、共に同じ事柄を指すということでの因果倶時かなっとは思いますが、その意味だと原因と結果に時間のズレがありますから”同時”存在性とはならないような・・・

時間方向で言えば、最初は分かりませんが整数と考えて、2は1の果で3の因、3は2の果で4の因・・・となってそれぞれの数字は因果両方含むわけで、つまりは因果倶時ではないかと。

> もしかして量子テレポーテーションですね。その話題に行く前に、わめさんの以前「光」の
> 話で疑問点が出てきました。光は一種のエネルギーですが、ビッグバン理論によって無から
> 宇宙が生じたとすると、光などのエネルギーが宇宙のはじめにそれ自体存在し、
> 縁起説が危機になるように思います。ありゃ?

ビッグバン理論によって宇宙は生まれたのでしょうか? わめには分かりませんw汗 ただ時間が流れているわけですから、始まりはあったのではないかと思うのです。と言うのはわめは始まりがないと、時間が流れないと思ったりしてるわけですけど。(怪しい?)

> 無といっても「エネルギーの揺らぎがあってそこから物質と反物質がポット生まれてすぐ消える、ゆらいだ状態」
> (量子論的無)からの宇宙の発生だったら縁起説に反しないかな?

それが本当のことなら縁起に反するのかな? てか縁起が成り立たない? 成り立たなければ棄てましょう。(^^;;

> そういえば時間も実体のないものですね。
> ものごとが変化しなければ(地球が自転したり、時計が動いたりその他諸々)時間も存在しないでしょう。

わめは物事が変化(壊れていく?)するのは、時間の矢が過去から未来に向かっているからで、それは宇宙の膨張=エントロピーの増大が原因じゃないかと思ったりしています。^^

93Leo:2005/10/12(水) 00:42:08
>> 無といっても「エネルギーの揺らぎがあってそこから物質と反物質がポット生まれてすぐ消える、ゆらいだ状態」
>> (量子論的無)からの宇宙の発生だったら縁起説に反しないかな?
>
>それが本当のことなら縁起に反するのかな? てか縁起が成り立たない? 成り立たなければ棄てましょう。(^^;;

宇宙が完全な無から発生したとすると縁起説に反するけど、量子論的無から発生したとすると縁起説に反しないかな
と思いました。
でも縁起説に固執するのも縁起的でないし、縁起説に反証が出てきてもおかしくないです。
そうでなければ縁起信仰になってしまう(^^;

>わめは物事が変化(壊れていく?)するのは、時間の矢が過去から未来に向かっているからで、
>それは宇宙の膨張=エントロピーの増大が原因じゃないかと思ったりしています。^^

なるほど。物事が変化するのはエントロピーが増加するということで。

94Leo:2005/10/12(水) 23:41:50
わめさん、勉強になります。ありがとうです。

時間
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82
「簡単にいえばエントロピーが増大する方向に時間は流れるのである。」

「仏教
 龍樹に代表される空思想においても時間は、現在意識を軸に考察されている。」

「同時存在性」って「現在意識を軸」が関係するのかもしれないですね。

他の話ですが、量子テレポーテーションはこのようなサイトがありました。
ttp://www.nanoelectronics.jp/kaitai/qteleportation/

絶対盗聴不可能、三菱の量子暗号通信システムが87kmの長距離通信に成功
ttp://pcweb.mycom.co.jp/news/2002/11/14/07.html
へえ!
でも7.2bpsってまだ1秒間にアルファベットか数字1文字しかおくれない。

95わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/10/13(木) 00:04:56
Leoさん、こんばんは。^^

> わめさん、勉強になります。ありがとうです。

Σ(^∇^;)えええええ〜 初めてお役に立てましたか!♪ d(⌒o⌒)b♪

> 時間
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82
> 「簡単にいえばエントロピーが増大する方向に時間は流れるのである。」

んでこれは、宇宙の膨張が成せる業じゃないかと・・・
縮小を始めると時間も過去に戻るのかもw汗

>  龍樹に代表される空思想においても時間は、現在意識を軸に考察されている。」
> 「同時存在性」って「現在意識を軸」が関係するのかもしれないですね。

「同時存在性」って「現在意識を軸」ですか・・・ 同時って現世を指すことならわめの思う因果倶時と同じですけど。^^

> 他の話ですが、はこのようなサイトがありました。
> ttp://www.nanoelectronics.jp/kaitai/qteleportation/

わめの言ってたのは「双子のパラドックス」だわ。
量子テレポーテーションはそれの応用なのね。

> 絶対盗聴不可能、三菱の量子暗号通信システムが87kmの長距離通信に成功
> ttp://pcweb.mycom.co.jp/news/2002/11/14/07.html
> へえ!
> でも7.2bpsってまだ1秒間にアルファベットか数字1文字しかおくれない。

いやいや、暗号キーのみそれで送って、後は通常通信で問題ないのだからこれは実用レベルですよ。^^

96わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/16(水) 19:26:52
Leoさん、くまりんさんの、曽我さんのサイトをちゃんと読んでいないにも関わらず、その印象というか、それを

> このかたはどうしてブッダを自分の思うあるべき仏教に引き入れるんだろう?程度の認識しかありませんでしたのでこんどちゃんと読んでみます。

と鋭く観察されているように思います。^^

 それはわめも感じておりましたが、曽我さんは慈悲心(これ自体も縁起・無我の捉え方かも)をもって、原始仏教を捉えられているのかなって思ってました。

 縁起を関係性と捉えるわめには、曽我さんの思いにも感銘してますし、縁起を基調としていますが、仏教という枠に自分をはめ込みたくはないし、また仏教を引き入れたいとも思ってはいないように思うのだけど、客観的な思考と、縁起の思想の関係性からの思い(他者の存在の必要性・あるいは他者の不存在?)と、バランスなのか立て分けなのか分からないけど、結構難しく感じます。

97Leo:2005/11/16(水) 23:41:12
わめさん、こんばんは。

わめさんがくまりんさんのリンクを引用していたのでてっきりお知り合いと
思ってしまいました。

くまりんさんの「どうしてブッダを自分の思うあるべき仏教に引き入れるんだろう?」
の指摘は考えさせられますね。
ブッダをタイムスリップさせて現代に連れて来れないですが、文献や最新の研究成果などから
素直にブッダの声に耳をかたむけてみるという点もよいと思います。

曽我さんとajitaさんの間で大激論があったり、曽我さんがヴィパッサーナ合宿に参加したり
色々あったのですね。

98わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/17(木) 01:13:29
Leoさん、こんばんは。^^

> わめさんがくまりんさんのリンクを引用していたのでてっきりお知り合いと
> 思ってしまいました。

(o_ _)ノ彡☆ギャハハ!! バンバン!
 ってわめは、くまりんさんのブログ内でトップページや記事ごとのリンクについてご自由に、連絡も無用とのコメントを発見しておりましたので、お構いなしに活用させていただいておりました。汗
 誤解させて(^∧^) ゴメンゴメーン

> くまりんさんの「どうしてブッダを自分の思うあるべき仏教に引き入れるんだろう?」
> の指摘は考えさせられますね。

( ̄  ̄) (_ _)うんうん
 ブッダを尊敬すればするほどそうなってしまうのかもしれませんね。ましてそれに強い慈悲心も伴えば尚更かもしれませんが、わめ如きにはやっぱり曽我さんやくまりんさんのテキストに触れても、そうなのかぁ〜程度にしかわかっていないかもです。涙

> ブッダをタイムスリップさせて現代に連れて来れないですが、文献や最新の研究成果などから
> 素直にブッダの声に耳をかたむけてみるという点もよいと思います。

 Leoさんはそっちにいきますか。^^
 わめは師匠'sやくまりんさんやLeoさんのその成果を教えていただくだけで十分かもです。♪
 わめはどちらかと言えば仏教以外に目を向けていきたいと思っちょりますばい。笑

> 曽我さんとajitaさんの間で大激論があったり、曽我さんがヴィパッサーナ合宿に参加したり
> 色々あったのですね。

 曽我さんのヴィパッサーナ合宿でのお話は同サイトにアップされて読ませて頂きましたが、大激論のテキストは見つけられませんでした。(´・ω・`)ショボーン

99わめ ◆TJ9qoWuqvA:2005/11/17(木) 17:29:30
Leoさん

早速くまりんさんの「どうしてブッダを自分の思うあるべき仏教に引き入れるんだろう?」から連想して、「どうして日蓮(大聖人)を自分の思うあるべき仏法に引き入れるんだろう?」に置き換えて記事にしてみました。^^
http://wame.seesaa.net/article/9440778.html

でも当たってると思わない?

100Leo:2005/11/17(木) 22:58:18

わめさん、こんばんは。

>早速くまりんさんの「どうしてブッダを自分の思うあるべき仏教に引き入れるんだろう?」から連想して、「どうして日蓮(大聖人)を自分の思うあるべき仏法に引き入れるんだろう?」に置き換えて記事にしてみました。^^
>http://wame.seesaa.net/article/9440778.html
>でも当たってると思わない?

確かにそうですね。

『聖徳太子』というドラマで、蘇我馬子が机の上で小さい仏像をぐるぐる回していたアレですよ。
どんなお偉い方であっても「信心利用」はいけないってことですね。

それにたとえば「分断は悪」という指導は全体主義であり独裁なのでしょう。

ぜんたいしゅぎ 【全体主義】
「〔totalitarianism〕個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、
 全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。
 そこでは、国家・民族が優先し、個人の自由・権利が無視される。」
(「大辞林 第二版」)

どくさい【独裁】
「絶対的な権力を握る一定の個人または集団・階級が独断によって全体を治めること。また、そのような体制。」
(「大辞林 第二版」)

>大激論のテキストは見つけられませんでした。(´・ω・`)ショボーン

くまりんさんの話で大激論があったとわかったのですが、大激論の直接のテキストはないようです。
曽我さんのテキストの力こぶから推測するしかないようです。


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