したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

白銀月夜の狼

1緋織:2011/12/18(日) 17:05:41 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp
はじめまして。緋織(ひおり)と申す者です。

未熟者ですが完成までいけたらいいなと思います。
感想や指摘など、なんでもお気軽に書き込んでください。
では>>2よりスタート!

2緋織:2011/12/18(日) 17:06:34 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp

序章 狼



白く冷たい風が辺りの木々を撫でる。
 葉も無い枝は、サワサワと哀しく軽い音を立てて静まる。
 気温は下がっているというよりも、ない。水などの液体も存在しない。何故なら瞬時に凍ってしまうから。
 生物が全くいないようなこの真っ白な冬の森。
 真冬。闇夜。満月。雪。―――この条件が揃ったときのみ、「それ」は姿を現す。

 白銀の体毛で覆われ、睫毛も白銀。
 色が薄く、いかにも儚いといった感じで煙のように消えてしまいそうな。
 しかし濃蒼色の瞳が爛々と輝き、儚いという印象を打ち消す。その瞳は、まるで。

 
 狼。

 そこには二匹の狼が静かにこちらを見つめていた。
 
 



***



「何故だ……。何故死なねばならぬ。あのような下等な生物の為に」
「下等は貴様だ。我が掟を破るなどと愚劣な行為を」

 この場は冷たい。寒い。
 緋色の髪。燃え盛る炎の如きその髪色は、我が種族にとっては不愉快極まりない。いつだ、いつになれば……。

「お前は大罪を犯した。二度とここに現れるでないぞ」

 それは、我が同胞を護るために犯した罪だとしても。生きるために殺したのだとしても。
 掟を壊さぬために作られた掟は、あまりに残酷だ。





 
 銀よ。かつて我を創っていた銀よ。
 もう一度我を受け入れてくれたまえ。そして。



「あの森に。あいつの元へ……。逢いたいのだ……」

3緋織:2011/12/18(日) 17:09:58 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp


1章 邂逅

 1−1



「あーあ、何でこんなことに……」

 コートに首巻に手袋に、と体中を防寒具で包み込んだ少年は小さく息をついた。
 青い瞳に金髪が眩しく光るこの少年の名は、カーティス・エアルドレッド。エアルドレッド伯爵家の三男坊である。
 歳は十三。何となく大人に近づいてはいるが、その顔にはまだ子供特有のあどけなさがしっかり残っている。良く言えば「可愛らしい」、悪く言えば「童顔」だ。
 何故彼がこんな時間にこんな所をうろついているのかというと、
「そもそもティファニーとカイルが悪いんじゃないか。僕は何もしてないし。ティファニーのただの自業自得なのに……」


 昨夜はカーティスの姉・ジュリアナの十六回目の誕生日だった。
 普段から美しい姉だ。誕生日ということで侍女が気合を入れて召かしこんだジュリアナはいつもより増して美しかった。カーティスは昨夜のジュリアナへは「美しい」「綺麗」しか口から出なかった。他にこの姉を飾りたてる形容詞を思いつかなかったのである。
 でも……。
 でも、姉さまはお化粧なんかしなくても、とっても綺麗だよ。
 素直に述べるとジュリアナは、ニコッと白い歯を覗かせながら、「ありがとう。今日一番嬉しい賛辞をもらったわ。大好きよ、カーティス」と白く華奢な腕でたった一人の弟を抱きしめた。
 その美しさと同等に、ジュリアナは心も美しかった。困っている人を放っておけない性格なのだ。病気で道端で転がっている貧しい乞食の少年を屋敷まで運び入れ、看病したこともある。
 そんなジュリアナ嬢を祝おう、とエアルドレッド家に招かれた貴族が沢山屋敷に足を運んだ。勿論、親戚のベックフォード子爵家も。
 ティファニー・ベックフォード。
 茶髪の巻き毛が可愛らしいティファニーは6つ年下の7歳。カーティスとは従兄妹になる。カーティスの母とティファニーの父が姉弟なのだ。即ち、ベックフォード家はカーティスの母の実家だ。
 ティファニーは、ジュリアナに「ジュリアナ、お誕生日おめでとう」と抱擁を交わした。その後ウロウロしていたのだが、食事の準備をしていた侍女にぶつかり、その弾みで侍女は持っていた食事を食器ごと床に落としてしまった。それを見ていたジュリアナは、「用意が出来たら呼んでもらうから、カーティスの部屋で遊んでいなさいね」と柔らかく微笑んで「あとは頼んだわよ」とカーティスの耳に囁いた。
 
 ティファニーに部屋で一緒に遊ぼう、と告げるとティファニーはタタタッと走り出した。ティファニーはよくこの屋敷に遊びに来ているので、何処にどんな部屋があるのかよく知っている。階段を一目散に駆け上がると、まだ登っている途中のカーティスを急かした。
「はやくはやく! はやくしないと部屋を荒らしちゃうわよー」
「無駄だよ。闖入者が勝手に入らないように鍵をしてあるから。そして鍵は僕が持ってる」
 巻き髪少女は、カーティスの答えにぷくっと小さな頬を膨らませる。
 ようやく部屋の扉の前に辿り着いたカーティスは、ポケットから黄金に輝く鍵を取り出した。鍵穴に差し込み回すと、ガチャ、と錠が外れて扉が開く。
 カーティスの部屋に入ると、あの動作の何が不思議なのか、ティファニーは小首を傾げた。
「ねぇ、何で鍵なんかしてるの? カーティスを狙う悪者でもいるの?」
 どうやら動作が不思議だったのではなく、何故鍵をしているのかが気になったらしい。

4緋織:2011/12/18(日) 17:11:39 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp


 1−2



 カーティスは小さな巻き髪少女の質問に答えてやる。
「僕はこう見えても伯爵子息。現在のところ、爵位継承権第3位だよ? 暗殺者がいたとしてもおかしくない」
 まぁ、どうせ僕に継承権なんかまわってこないだろうけどね。だって予備の予備だから。
「あんさつしゃ? それなあに?」
 やっぱり小さな巻き髪少女。頭の中も小さいらしい。カーティスの言葉は恐らく半分も理解できていない。
「物陰からそおぅっと覗いて、隙をついてこうグサッ、とやる奴らのことさ」
 カーティスは自分の胸を突き刺す真似をした。ティファニーは怖がるだろうと思ったが、この幸せ少女に『恐れる』という感情は多分ない。ぴょんぴょん飛び跳ねて楽しそうに笑った。跳ねるたびに、ドレスの裾がヒラッヒラッと舞う。
「こら、貴族の息女たるもの、はしたない行動をしちゃいけないよ。ブライスさんにも怒られたんだろ?」
 ブライスさん、というのはティファニーの女性教育係(家庭教師)だ。目まぐるしく動くティファニーを見つけては諌める。このお転婆少女を育てるのだから、きっと骨は折れまくるんだろうなぁ。
 ブライスの名前が出ると、いつも途端に大人しくなるティファニーだが今日は違った。
「はしたなくなんかないもん! この前ジュリアナだってティファニーとおんなじようなことしてたもの!」
「姉さまがティファニーみたいなことするわけが……」
 ハッとして口を噤む。思い当たることがあったのだ。
 ジュリアナはもう17。もうそろそろ社交界デビューをしてもおかしくない。社交界デビューをして婚約者を見つけるのだ。
 そのためにはダンスを踊れなければならない。これは嗜みなんだとジュリアナが言っていた。
 恐らくティファニーはジュリアナがダンスの練習をしていたのを見ていたのだろう。しかし、ジュリアナの(きっと)素晴らしいダンスと、巻き髪少女が飛び跳ねたのが『おんなじ』なわけがない。そこは訂正する。
「違うよ、ティファニー。姉さまのとは違うんだから、人前で飛び跳ねちゃだめだよ。ブライスさんが首根っこを摑まえて怒るよ、きっと。いや絶対」
 と今回は効果があったようだ。ティファニーは興奮のため真っ赤になっていた顔がスッと鎮静した。そしてそのまま喋らなくなった。
 そのまんますぎるな、と苦笑。カーティスは優しく巻き髪頭を撫でてやった。
「ごめんごめん。ほらこれで機嫌なおしてよ。ティファニーには明るい笑顔が似合うよ」
 カーティスはそう言って立ち上がり、ある物を手に取って戻ってきた。

5緋織:2011/12/18(日) 17:12:33 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp


 1−3



 「うわぁ、すごい! 鳥なんて初めて見た!」
 ティファニーは声を荒げて、くるん、とした目を輝かせた。
 カーティスが持ってきたのは鳥籠だった。中には水色や青などの色鮮やかな鳥。カーティスが12歳の誕生日のとき、ジュリアナからもらったのだ。
「可愛いだろ。名前はカイルっていうんだ」
「へーぇ。カイルっていうんだ。かーわぁいい!」
 語尾をやけに伸ばして、ティファニーはニコニコ顔だ。そりゃそうだ、鳥なんて滅多に見ないもんな。最近はとっても寒いし。そうでなくても僕たち貴族はほとんど屋敷から出ないし。
「あれ? どうしたのかな、カイル?」
 何かしたのかティファニー? とカーティスは一緒に鳥籠を覗き込む。
 カイルの粒のような黒い瞳は、ティファニーの胸辺りを見つめて微動だにしない。
「ああ、ティファニーのこのブローチが気になるんだよ。鳥は光るものが好きらしいし」
「へぇ、そうなの。ねぇ、カイルを籠から出していい?」
 ティファニーがあまりにも笑顔を輝かせて言うものだから、カーティスは許可した。
「いいよ。カイルは賢いから合図すればすぐ籠に戻るよ。例え外にいてもね」
 と言うと、ティファニーはカイルを鳥籠から出した。そして胸元のブローチを外してカイルの足元に置く。
 カイルがブローチを興味津々で覗き込んでいる間に、ティファニーは窓際に駆け寄ると窓を開けた。瞬間(当たり前だが)冷たい風が部屋に吹き込んできた。
「ちょっ……。やめてよティファニー。寒いじゃないか」
「少しだけ少しだけ。ほぅらカイル、外に出てごらん」
 カイルは飛び立った。
 ティファニーのブローチを嘴に携えて。

「ああ――――――――っ!!」

 ティファニーの絶叫が屋敷中に響き渡った。カーティスはティファニーの口を塞ぐことしか出来なかった。
 


 ―――こうして冒頭に戻る。
 あのあとすぐカーティスは口笛を吹いてカイルを部屋に戻らせた。
 戻ってきたカイルの嘴には何もなかった。きっと重みに耐えきれずどこか(恐らく森。カイルは外に出せば絶対森に行く)に放置してきたのだろう。
 ティファニーは泣きぱなっしで、カーティスが慰めたが落ち着く気配がなかった。ブライスを呼ぼうとしたが憚られた。あのブローチはティファニーの祖母の遺品なのだから。
 ジュリアナの誕生祝いには何とか涙は引っ込んだが、目は真っ赤に充血したままだった。食事をそこそこで席を立ち、ティファニーはブライスに連れられ客室に籠ってしまった。

「ああもう、何処だよ。あんな小さいブローチなんか見つかるわけない……」

 屋敷を出てからもうそろそろ小一時間になるだろう。手は悴んで、身体には血が巡っていない気がする。
 もう諦めて帰ろうとした時に、小さな、しかしよく響く鈴の鳴るような声がカーティスを引き留めた。



「探し物はこれか……? 朝早くからご苦労なことだな……」


 ―――――雪と同じ白銀の髪が見えた。

6緋織:2011/12/18(日) 17:13:57 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



 1−4



 枯れ果てた木々。辺りを白に染め変える雪。
 この余りにも寒々しい森の中に、その少女はいた。

 ―――顔は人形の如く端整。筋が通っている高い鼻。小さな薄い唇。まさに十全十美という言葉が相応しい。肌は色が無いのかと疑うほど白い。少女が身に着けているのはあまりにも簡素な衣服だ。真っ白なワンピースのようなもので、膝丈ほどしかなく細い腕や脚が晒されている。
 髪は真っ直ぐで長く、小柄な少女を覆い隠すほどだ。
 すべてが『白銀』で統一されている身体に、唯一の『色』がある。
 瞳だ。濃蒼色で、獲物を捜しているかの如く爛々と危険な輝きを放っている。右眼がやけに。それはまるで、―――肉食獣。
 普通の生物なら一瞬で凍えてしまいそうなこの雪。しかし少女は無表情で雪の上に座り込んでいる。
 
 少女は、鈴が鳴るような涼やかな声で、

「探し物はこれか……? 朝早くからご苦労なことだな……」

 今にも折れてしまいそうな華奢な腕。指に何か光るような物を持って掲げていた。恐らくティファニーのブローチだろう。
 カーティスは暫らく言葉を失っていたが、ようやく声を喉から絞り出した。

「……ああ、そう、それだよ。無くして困ってたんだ。ありがとう、助かったよ……」
 カーティスは、少女の方へ震えながら手を伸ばした。震えているのは寒さからか、驚きからかは彼には分からなかった。
 カーティスと少女の指先が触れる。カーティスはぎょっとして眼を瞠った。
 手袋ごしだが、あまりにも冷たいのだ。雪と同等かそれ未満の冷たさ。氷でも触っているかのようだ。
 何だこの子は。人間なのか?
 カーティスにブローチを手渡すと、少女はもう用は終わったと言わんばかりに踵を返した。更にカーティスはその姿を見て驚いた。
 靴を穿いていなかった。裸足だったのだ。直で雪を踏みしめて大丈夫なのかと思ったが、赤くなっているわけでもなく、手足の色と変わらない。

7緋織:2011/12/18(日) 17:15:06 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp


 1−5



 彼はとっさに、背を向けた少女に声を掛けた。

「ね、ねぇ! ブローチを拾ってくれたお礼がしたいんだけど! 時間、あるかな?」
 少女はぴたりと足を止めた。
 そして、ゆっくり、実にゆっくり首をこちらに向けた。

「……礼、時間。……構わぬ」

 と、単語だけを発した。
 その声の裏側に何やらありそうで、カーティスは身震いしたが少女の手を握った。
 やはり冷たく、放しそうになったが何とか持ちこたえた。彼はこの少女が孤児で森に放置されたのだと思い、少女が了承すればエアルドレッドの屋敷に置くつもりだった。
 手を繋いで歩いていたが、少女は何も喋らない。先程、少女の衣服が余りにも寒すぎると思ったので、首に巻いていたマフラーを差し出そうとした。しかし少女に「要らぬ」と一蹴された。それきりお互い一言も発しない。時間が立つのと比例して、どんどん沈黙が重くなってきたのでカーティスは思い切って少女に尋ねた。
「ねぇ君。……名前は?」
 やや沈黙が流れる。
 やがて少女は、完璧に整った顔の一部分の唇を動かした。

「……フェリシア、だ」



***


 
 3分ほど歩くと、待たせていた馬車が見えてきた。
 馬も流石に寒いのか微妙に身体を震わせている。御者もブルブルと震えながら外套をかき寄せている。
 カーティスは長い時間待たせていたことを非常に申し訳なく思い、小走りになって馬車に近づいた。
 
「遅くなってごめんなさい、グレアム!」
 大声で御者のグレアムに謝罪する。するとグレアムは顔にパッと赤みを散らせて微笑んだ。
「おお! カーティスぼっちゃま! なかなか戻られないので遭難でもなされたのかと……。もしそうなれば私は腹を切らねばならぬと……。ああ、ご無事で何よりでございます!」
 大袈裟だな。グレアムは感涙に咽んでいる。カーティスはポケットからハンカチを取り出すと、グレアムに手渡した。
「ありがとうございます、後で洗って必ずお返しいたします」
「いいよ、ハンカチならいつでも用意してもらえるし。ねぇ、お願いがあるんだけど、いいかな?」

8緋織:2011/12/18(日) 19:30:40 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



 1−5



「はい、何なりと」
 グレアムは目元を拭き終わると、ハンカチを丁寧に畳んだ。その間にカーティスは自分の後ろに隠れていた、少女フェリシアを前に連れ出した。フェリシアを目線を上にあげるように促す。
「おや、この子は一体……? それにしてもそのような粗末な衣服とは。乞食ですかな」
 グレアムもカーティスと同じことを考えたようだ。しかしその明け透けな言い方がフェリシアを傷つけないかと、カーティスは内心ヒヤヒヤしながら返事をした。
「いや、よくは分からないんだけど……。さっき森で出会ったんだよ。この子も屋敷に連れて帰ってもいいかな」
「はぁ……、それは私の権限ではありませんので何とも……。旦那さまに伺うしか……」
 言われてみれば確かにそうだ。父上のお考えを拝聴するか。
 カーティスはフェリシアを押し上げて先に馬車に乗らせる。自分も乗った後、扉を閉めた。
「あ、そうだグレアム。このままエアルドレッドの屋敷に帰らずに、ベックフォードの屋敷に寄ってくれる? ティファニーに渡すものがあるんだ」
 すぐさま「承知しましたぁ!」と上げ調子な了解の声が聞こえた。きっと鞭を振り下ろす直前だったのだろう。
 パシィッ、と馬を叩く音が辺りに響く。それを合図に馬車が走り出す。
 ふとカーティスは隣りの少女の横顔を伺う。すると彼女は美しい顔を、苦虫を噛み潰したかの如く酷く歪ませていた。



***


 ベックフォード家の呼び鈴を鳴らすと、少し時間がかかったが執事が応答した。
 ブローチをティファニーに渡してくれるように、と言付けてカーティスは巻き髪少女の屋敷を後にした。
 再び馬車に乗り込むとグレアムが「今日はやけに寒いですな」と声を掛けた。
 確かに。カーティスも、この馬車の中に居るよりも外に出ていた方が、まだマシだったような気がしていた。
 フェリシアが乗っているからだろうか。
 初対面のときから感じていること。それは、この銀髪少女が「冷気」という見えないオーラを纏っているようだ、ということ。まじまじと彼女を見つめていると、フェリシアは不機嫌になったらしい。ふん、と鼻をならせてそっぽを向いてしまった。
 カーティスはフェリシアに嫌われてしまったのかと、若干気を落としながら黙って馬の蹄の音に耳を傾けた。

「着いたよ、フェリシア。ここが僕の家さ。降りようか」
 立派な大邸宅の前に馬車が止まる。カーティスを出迎えようと、数人の侍女が門先で待っていた。カーティスは先に降りると、フェリシアに手を貸そうとした。しかし彼女が裸足だったということに気づき、傍に控えていた侍女に貴婦人用の靴を持ってくるように指示した。
 数分後、侍女が淡い桃色のセミ・パンプを抱えて戻ってきた。
「フェリシア。裸足のままじゃ寒いし、怪我するから靴を履いて。1人で出来るかい?」
 貧乏孤児なら、ヒールがある靴など履いたことがないだろうと気遣う。と、フェリシアはまたもや、ふんと鼻を鳴らして眉間に皺を寄せた。
 気遣われたのが気に障ったのか、とカーティスはこの少女をどう扱えばいいのか分からなくなった。
「…………ぬ」
「え?」
「私は靴など履かぬ。人間が作ったという物なら尚更な」
「そんなこと……。君も人間なんだろう?」
 人間なんだろう?
 途端フェリシアは、くっつきそうなほど眉根をぎゅっと寄せた。眼も鋭くなり、厳しい険のある表情になった。
「……やはり礼や詫びなどろくでもないな。人間など信用ならぬ」
 馬車の上から冷たい視線で冷たい声を投げる。
 フェリシアが口を開いたとき、カーティスは吃驚した。
 歯が尖っている―――牙が見えたような気がしたのだ。
 いやいや。流石に違うよな。瞳も体温も言動もおおよそ人間らしくないが、姿は人間そのもの。しかも怪物や妖怪などいるはずがない。カーティスは架空の生物は信じない性質(たち)なのだ。
 気を取り直してもう一度、フェリシアに話しかける。
「そんなこと言わないで。外は寒かっただろう? 屋敷の中なら暖かいから」
 すると彼女は、怒ったような哀しくて泣き出しそうな―――。何ともいえない表情をした。

「―――私はあの森を離れられない。私は厳寒の地でないと生きられないのだ」

9緋織:2011/12/19(月) 19:06:31 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



 1−6



 フェリシアは目の前にある靴を無視して、馬車を飛び降りようとした。
 しかし辺りがよく見えなかったのか、馬車の扉部分にぶつかって悲鳴を上げた。余りに痛かったのか、その場に蹲ってしまう。カーティスは慌てて彼女の顔を覗き込んだ。
「ちょっ、大丈夫!? どこ打ったの!?」
 真っ白い顔の額部分が、すこぉし赤くなっていた。カーティスがフェリシアの額部分に手を当てようとすると、彼女は細い腕で振り払った。
 そして呆気にとられているカーティスをはじめ、周りの侍女たちを尻目に自力で立ち上がる。今度こそ馬車から飛び降りると、侍女たちの静止も聞かずに走り出した。華奢な脚だが、恐ろしく速い。あっという間に視界から消えた。あの方向だと、今来た道だからあの極寒の森だろう。
 
「何なんだ……。フェリシア、君は一体……?」
 カーティスはフェリシアが走り去った方向を凝視しながらつぶやく。
 刹那、ゴオォッと強い吹雪が辺りを飲み込んだ。侍女たちが、キャアッと甲高い悲鳴を上げる。
 フェリシアの白銀の髪と同じ色の雪が、更に寒々しい冬へと誘う。
「さぁ、カーティスさま。お部屋に入りましょう。遅くなりましたが朝食もご用意してございます」
 侍女の一人が雪から眼を守るために、眼を窄めながらカーティスの背中を押した。
 カーティスは促されるまま、暖かい屋敷へと戻ったのだった。

10緋織:2011/12/19(月) 19:09:43 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp


すみません、>>8から間違えました。
>>8が 1−6で、>>9が 1−7です。



 1−8
 


 木々が今日はやけにざわつくな。
 ああ、そうか。今日は何故か吹雪が強いのだ。
 濃蒼色の瞳の少女―――フェリシアは生まれ育った森に戻ってきた。長い白銀のさらさらと風に靡かせながら。
 いつものように雪の上に座り込もうとする。すると急に左眼に激痛が走った。
 左眼を押さえて蹲る。心臓がドクンドクン、と強く激しく脈を打っているのが分かる。
 しばらく激痛に耐えていると、少しずつ痛みが緩和されてきた。フェリシアは立ち上がり、傍の木に凭れかかった。
 その衝撃で、枝に引っかかっていた雪たちが髪の上に舞い落ちてきた。
 フェリシアは冷たさというものには強く対して気にはならないが、そっと頭の上のものを払いのけた。
 
「あいつ」がいなくなったのも、こんな風に白銀が美しく映えている日のことだったな。

「はやく姿を、無事な姿を……。私はお前に逢うまで死なぬ。死ぬことはできぬ。何故なら『白銀(誇り)』を失ってまで、私を護ってくれたのだからな……」

 白銀の髪の少女は、今なお雪を生み出している空を仰ぐ。弱々しく手を伸ばしたが虚空を掻くばかり。
 フェリシアの「右頬」には、透明な涙が伝っていた。
 ―――神よ。我らを創りし神よ。どうか、もう一度あいつに。あの荘厳な姿に。

「もどらせてくれ……」

11緋織:2011/12/19(月) 19:10:32 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



 1−9



 カーティスはその日も、勉学に励んでいた。
 政治に経済、物理に科学に数学に至るまでありとあらゆる分野の知識を頭に柔軟に叩き込む。
 カーティスには既に2人の兄がいる。しかもどちらも屈強な父に似て頑丈な体躯をしている。長男か、長男が不幸なことになれば次男か。どちらにせよ、カーティスが跡継ぎという可能性は低い。
 次兄は、長兄がエアルドレッド伯爵となった暁には、国王陛下直属の軍隊に入隊するつもりらしい。貴族の子弟は、よっぽど無能ではない限り、尉官や佐官以上の上級将校の地位が約束されている。
 要するに軍か学か、どちらかで身を立てていくのだ。
 そして三男であるカーティスは後者を選ぶつもりでいる。兄たちのように力がないことはもう十分分かりきっているし、何より軍人というものが苦手なのだ。
 兵器を使いこなせる自信も、傷つき流す血を無心で眺めていられる自信もない。誰かの命を奪うということはどうしてもやりたくない。そして「祖国のためだ、国王のためだ」という覚悟も恐らく出来ない。陛下の御尊顔は肖像程度で、直に拝見したこともないのに、尊い命など捧げられるものか。口に出せば貴族社会から煙たがられてしまうだろう。だから漏らしはしないが、軍人、軍役などはごめんだ。
 次兄は過去の軍書を読んで、心が勇み震えたという。だがそれは実戦に出ていないからだ、とカーティスは思っている。大きな砲弾や破裂音が飛び交い、冷静にいられる人間がいるものか。「勇み震える」は「恐れ慄く」に変化していくに違いない。
「戦争や恨みごとがない世界に変えられる人になりたい」それがカーティス心からの願いで、夢だ。だから色々な方向から物事を捉えることを可能にするために、膨大な知識を身に付けているのだ。貴族だからって優遇されたくない、実力で未来を切り拓きたい。

「戦争のない世界」……綺麗ごとなのも分かっている。この世には何万という膨大な数の人々がいる。その何万が1つの考えにまとまるなどあり得ない。違う思いや意見を持っていて当然だが、それが諍いになり、国単位の戦争に発展していくのを食い止めることが出来たら……。命を捨てて国を護るより、話し合いや外交で国を護るほうが何倍も格好いいに決まってる。カーティスはそう確信していた。
 外国の読解不能の書物は、それぞれの教科の教師に訳してもらう。それは教師もカーティスも難儀したが、得られるものは少なくない。
 
 今日の分の勉強が済むと、もう日が落ちようとしていた。ぶっ通しで4時間弱机に向かっていたということになる。毎日フラフラになるが、確かな手応えは日々感じている。
 頭が疲れて痛くなってきたので、カーティスは自室の寝台に倒れこんだ。夕日が放つ淡い橙が優しく癒してくれる。
 少し睡眠を取ろう、とウトウトしている状態のとき、扉を叩く音が聞こえた。

12緋織:2011/12/19(月) 19:11:43 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



 1−10



 はい、と返事をして寝台から起き上がると、遠慮がちに扉が開いた。
「ジュリアナよ。……お時間はあるかしら?」
 金色の髪を見事に結い上げたジュリアナだった。
「ごめんなさい。お疲れのところを邪魔してしまって」
 カーティスの自室に入り、扉をまた遠慮がちに静かに閉めた。
 この姉は、たとえ相手が弟であっても丁寧な態度と言葉づかいをする。もともと斟酌をする人物ではあるのだが。
「いいえ、邪魔ではありませんよ。それより姉さま、どうなされたんですか?」
 しつこいようだが、確かジュリアナも今ダンスのレッスンに忙殺されているはずだ。そのジュリアナがわざわざ弟の自室を訪れるなど、何かあったのか。
「ええ……。もしかしたら私の勘違いかもしれないのだけど。……最近貴方に元気がないように見えて。それで、心配になったの」
 ジュリアナは長い睫毛で目を伏せながら、手近にあった椅子に腰かけた。カーティスも向かい合わせになる体で椅子に座る。
「私の見間違いだったらごめんなさい。でも普段元気なカーティスがつらそうなのは、私もつらくて。もし、話せることなのだったら、私に話してほしいなって」
 ジュリアナはよくこの弟・カーティスのことを見ているようだ。自分でも出していないと思っていた細やかな感情の変化を感じ取れるとは。
 「元気がない」思い当たるのは……。
 
 人間離れした少女・フェリシアのことだ。

 カーティスはあのとき―――森で、フェリシアの手をとったとき―――フェリシアから受け入れられたと思っていた。それが2回も鼻であしらわれ、挙句の果て「信用ならぬ」と言って走り去ってしまわれては、傷つく。誰であっても。……と思う。
 しかしそれを他人に言うのは憚られた。何故か、とは言い表しにくいが、とにかく誰にも彼女の存在を広めたくなかった。
 カーティスは出来るだけ明るい表情になるように努めて答えた。
「大丈夫です。僕には何の心配も悩みもありませんよ。ただ強いて挙げるなら、『童顔』からおさらばしたいものですね」
 『童顔』。これはカーティスのコンプレックスのひとつだ。
 ジュリアナは、ぷっと吹き出すと手で口元を押さえた。それすらの動作でさえ、優雅で気品が漂う。
「そう。なら良かった。だーいじょうぶ。童顔なら時間が立てば何とかなるわよ。父さまも母さまもお綺麗な方でいらっしゃるしね」
 ジュリアナは最後に弟を抱きしめる。抱きしめる腕はカーティスと変わらないか、カーティスより細い。カーティスも姉の背中に腕を回した。姉の滑らかな金髪が顔にかかって少々むず痒かった。


***


 そのころフェリシアはまた、左眼の眼痛に苦しめられていた。
 最近どうも激痛の頻度が増え、間隔も短くなってきている。
 しかし薬はない。だから黙って耐えているしかない。
 痛みの最中には、脳裏に何かが浮かび上がってくる。何かの、断片のような。
 ほどなくして痛みが落ち着いてくると、フェリシアは目をそっと閉じた。途端世界は真っ暗な何もない世界へと切り替わる。
 いつまで、私は。

「孤独でいればよいのだ……。これも掟を破った罰なのか……?」
 
 目を開ける。見ると、一度止んでいた雪が、再び降り出した。フェリシアにとって雪ほど心地よいものはない。
 木々に凭れると、雪がフェリシアの全身にかかり、やがて自然と敷布のようになる。
 そういえば、あの数日前に出会った少年。変におせっかいなヤツだったな。……私とは違う、きっと常に誰かに囲まれて過ごしているのだろう。私のことなど、とうに忘れて。
 自分から蹴ったくせに、何だか寂しくなってきて。フェリシアはぶんぶんと頭を振る。乗っていた雪はハラハラと舞い落ちて、地面の雪と同化して分からなくなる。
 陽と月が交代した。これからは漆黒の闇が広がっていく。
 フェリシアは激痛に襲われた疲れのせいか、痛みから解放された安堵のせいか、目を閉じるとすぐに意識を手放した。
 
 そもそも私は今までずっとひとりぼっちだったではないか。その私が『寂しい』という感情を持つわけがないのだ―――……。

 
 

『 ―――生きろ。生き続けるのだ。我の分身よ。誇りを失わなければ、いずれきっと…… 』

 

 嗚呼、そんな日は、果たして訪れるのだろうか―――……?

13緋織:2011/12/28(水) 08:26:19 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp


1-11



雲の切れ端まで隅々みえる。草木がかすかに揺れる程度に風が吹く。鳥たちが木や空で大合唱。
 そして、最近灰色一色だった空に、色鮮やかな青が戻った。そう、今日はこの寒い地方じゃ滅多にない、晴天の日だ。
 雲や霧に邪魔されず、本領発揮の太陽から光が溢れ漏れだしている。それは、カーテンを切り裂く勢いで、窓から差し込む。
 本来なら踊り子ならば、舞の一つや二つ舞うところなのだ。
 が。……カーティスはそれのおかげで目が覚めた。
 カーティスの場合、一度目が覚めるとスイッチが入ってしまうのか、二度寝は出来ない。侍女や教師は褒め称えてくれるが、ティファニー曰く「二度寝より心地よいものはないよ〜。カーティスはしないの? えっ、できないのぉ? ……へー、すごいね。―――ねぇそれって嫌味?」らしい。このティファニーの後者のひねくれ具合は、後ろにブライスが立っていたからだろう。
自分の体温ですっかり温かくなった布団を剥いで、もそもそと寝台から下りる。枕は寝るときと変わっていない。寝相は良すぎるくらいだ。……とティファニーに言ってみたら睨まれた。
 ああ、今日は正直ゆっくり寝ていたかったなぁ。昨日はあんなに遅かったんだから。
 というのは、昨日ブローチの礼で、ティファニーが訪ねてきたからである。

「カーティスさま。先日は寒い中御手を煩わせてしまい、大変申し訳ありませんでした。……ほら、お嬢さまからもきちんとお礼と謝罪をなさい。カーティスさまにご迷惑をたぁーっぷり掛けたのですからね」
 『たっぷり』をかなり強調する背景には自分の失態を巻き髪少女に理解させるためだろう。
 黒縁メガネでティファニーを叱る様は、家庭教師そのものだ(実際そうである)。
 ブライスさんって……、役にハマりすぎ。
 カーティスは、苦笑いで子爵令嬢(ティファニー)と家庭教師(ブライス)を眺める。
「お嬢さま。前にしっかりお立ちになって。……何をなさっておいでなのですか」
 ティファニーはブライスの後ろで、何やら指をごにょごにょと動かしていた。ブライスの背中に垂れた黒髪を指に巻きつけているようである。呆れ顔になったブライスはティファニーの腕を、強引に引っ張ってブライスの前に立たせた。
 ティファニーは顔を上げず、床を睨み付けている。
「……お嬢さま」
 これで何度目なのか分かっているのか、と言わんばかりのため息で、ブライスはティファニーの肩に手を置いた。
 それでもティファニーは視線を上げない。よく見れば、大理石の床に雫の粒が。
 上げられなかったのだ。ティファニーの小さな身体は小刻みに震え、小さな嗚咽が漏れていた。
 カーティスはそんな従兄妹を見て、腰を落とした。目線を合わせるために。
「ティファニー。もう泣かないで。……ブローチなら戻ってきたじゃないか。ね?」
 優しくあやすように声を掛けてやると、ティファニーの堰は切れたようである。本格的に泣き声を上げ始めた。
 カーティスは巻き髪少女の濡れた目元を拭ってやる。しかし拭いても拭いてもその目元は乾かない。
「どうしたの、何か傷ついているのかい?」
「……ウゥッ、だってぇ……ヒッ、ぅ、カーティス、怒ってたじゃない。……フッぅ、あの食事したときぃ……。すっごく、すっごく怒ってたじゃない。……ティファニー、……どうあやまっていいのか、……分かんない、の……」
 食事のとき? ああ、そうか。ティファニーは、
「勘違いしちゃったのか。違うよ、ティファニー。あのときはね、怒ってたんじゃないよ。君のブローチのことが心配だったから……」
 ティファニーのブローチをカイルが外で失くしてしまった夜の食事のとき(ジュリアナの誕生日)。ブローチはティファニーの祖母の遺品で、大変高価な物である。だが、それ以前にベックフォード家、おばあちゃん子だったティファニーの大切な物だと知っていた。だからもし、誰かに盗られてしまったら。あのまま見つからなかったら。とカーティスは心配していたのである。それでつい、難しい顔をしてしまっていた。それを見たティファニーが「怒ってる」と、思い間違えたのだろう。
 普段温和なカーティスが怒るなど、ティファニーには信じられなかった。だから、どう謝ればいいのか、分からなくなってしまった。と、涙ながらで話すティファニーの言葉からカーティスは繋ぎ合わせた。
 ブライスはそっとティファニーの肩から手を外した。
「バカだねティファニー。僕はそんなことで怒ったりしないよ。……怒ってないから泣き止んで」
「……本当に?」
 ティファニーは目を潤ませながら、小さな声で問い返した。

14緋織:2011/12/28(水) 08:27:59 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



1-12



「ああ、本当さ」
 微笑みながら抱きしめてやると、ようやくティファニーは落ち着き始めた。
 腕を解いて立ち上げると、ブライスがそっとカーティスに囁いた。
「……流石ですね。素晴らしい。このお嬢さまの憤懣を爆発せずに慰撫できるとは。屋敷中を探しても、貴方様に勝る方はいらっしゃいません。素晴らしい、実に素晴らしい。私も見習わせていただきます」
 素晴らしい、素晴らしいと連呼するさまは、日頃巻き髪少女にどれだけ手を焼いているかをよく表していた。
 ブライスさん、必死になりすぎると駄目ですよ。押しちゃだめです、引くんですよ。
 と余計だろうが(ブライスはプライドが高い。ことに教育に関しては)つけたしてやると、ブライスは意外に、
「非常に参考になります。ありがとうございます」
 と一礼してみせた。

 ……その後ティファニーはベックフォード家に戻るのかと思いきや、
「ティファニー、今日はカーティスの屋敷にいたい! だってベックフォードに帰っても誰もティファニーの話聞いてくれる人いないんだもん……。ねぇ、ブライスいいでしょ?」
 来たときとは打って変わって、ティファニーは笑顔全開だ。
 しかし、ブライスは顔面にレンガをくらったような顔をして、動かなくなっていた。これは恐らくショックを受けている顔だ。「話を聞いてくれる人がいない……? おかしい、私は毎日聴いて差し上げているのに……」とブツブツ呟いていたので、カーティスは必死に執り成した。
「そんなわけないだろう、ティファニー。ブライスさんだってちゃんと……」
「ううん。ブライスはすぐ『消灯の時間です。おやすみなさいませ』だけ言ってすぐ電気消しちゃうんだもん」
 言葉を用意していたかのように、カーティスの言葉を途中でぶった切った。
 ブライスは完全に固まっているのを見て、カーティスはまた苦笑い。

 ……ベックフォード家からもエアルドレッド家からも了承を得て、ティファニーはエアルドレッド家で一夜を過ごすこととなった。
 しかし、結局はティファニーはベックフォード家に戻ることになった。
 それは深夜のこと。
 年が離れているとはいえ、カーティスとティファニーは異性なので同じ部屋で寝るわけにはいかない。そこで、ティファニーはジュリアナと一緒に就寝することになったのだが……。
 カーティスが夢の真っただ中にいる中、扉を遠慮がちに叩く音がした。寝ぼけながらでも何となくわかった。この叩き方はジュリアナだ。で、ジュリアナがカーティスに用があるとすれば……。

「……ティファニーか」

 予感は見事的中。ジュリアナが部屋に入ってきたとき伴われていたのは。
「夜分遅くに申し訳ないわね。……でもティファニーが」
「……ティファニー。何があったんだよ……」
 ティファニーは何故か泣きじゃくっていた。目元は腫れているような気がする。
 ティファニーが泣いて答えないので、ジュリアナが代わりに答える。
「……家が恋しいみたい。ブライス、ブライス、って呟いていたから……」
 何だかんだ言って、やっぱり頼りになるのはブライスさんじゃないか。
「どうする? ティファニー、ブライスに迎えに来てもらう?」
 ジュリアナが訊くと、ティファニーは僅かながら首を縦に動かした。
 ジュリアナは執事を起こし、ティファニーの迎えを寄越すようにとベックフォード家に連絡を入れさせた。
 
 ティファニーが馬車で帰るのを見届けると、カーティスもジュリアナも倦怠感が襲ってきた。それもそのはず、今は真夜中なのだ。しかもジュリアナはティファニーがグズっているのにも付き合っていたため、疲労は甚だしい。
「カーティス、もう寝ましょう。おやすみなさい」
「おやすみなさい、姉さま」
 こうして2人はそれぞれの自室に引き上げて行った。

 ……というわけで、今日はぐっすり眠って朝寝坊していたかった。執事がその旨伝えてくれているはずなので、カーティスもジュリアナも今日は朝食は遅くても構わない。
「……とはいえ、二度寝は出来ないからなぁ……。よし、起きるか」

15緋織:2011/12/29(木) 17:03:53 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



1−13



 朝食を食べに食堂へ降りると、ジュリアナはもう食事を開始していた。
「おはようございます、姉さま。お早いですね」
「あら、おはよう、カーティス。実は私も寝られなくってね」
 ジュリアナは微笑むと、カーティスに向かいの席に座るように促した。カーティスは素直にそれに従って椅子に腰かける。
 ナイフとフォークを握って、食物を口に運ぶ。
 今日の朝食は、朝遅いこともあって少なめに摂った(昼食が食べられなくなるので)。
「昨日はお互い大変だったわね。今日はゆっくり休んでちょうだい。……あら」
「どうかなさいました?」
「ええ、今日は雪が溶けてるな、と思って」
 ジュリアナが窓の外に視線を向けたので、カーティスもそちらを伺う。
 白銀の雪はほとんど溶けかけていて、新緑の草がちらほら見える……。って、
 カーティスはまだ朝食途中なのに、ナイフとフォークを叩きつけるようにして食堂を飛び出した。
「え!? ちょっと、カーティス!?」
 ジュリアナの絶叫が後ろで響いていた。

「グレアム! グレアム! 急で悪いけど馬車出してくれ!」
 馬小屋で馬の毛並の手入れをしていたグレアムは、カーティスの声に振り返った。
「はぁ、いかがなされたのですかな」
「いいから、今すぐ! 行先は前の森で!」
 急いでいるというのに、このグレアムの鈍感さは若干じれったい。
 が、従順なグレアムはカーティスの顔色に気づき、弾かれたように慌てて馬車を出してきた。
 カーティスはそれに乗り込むと、森へ急いだ。
 
 白銀髪の少女―――フェリシアがいる森へ向かって。

16緋織:2011/12/29(木) 17:04:38 HOST:121-84-18-13f1.hyg2.eonet.ne.jp



1−14



『行くな、何処へも。……お前だけは』
『ああ、いるとも。私たちは、2人でひとつなのだから』

『……私たちにとって、幸せとは何なのだろう』
『はたして幸せはあるのだろうか』



『―――……いつまでも……共に』



***


「ああ、もうここでいい、降ろしてくれ!」
 森まではまだ少しあるが、カーティス自身の疼きが声を作っていた。
 えっ、ここで? とグレアムが言うより早くカーティスは馬車から転がり出た。その弾みで、靴先を扉付近で思い切りぶつけてしまったが、痛みを知覚野にのぼらせる時間を与えている暇はない。
 今日より澄みわたった空を、カーティスは生まれてから見たことが無い。いつもは寒くて凍えてしまいそうなのを防ぐために着こんだ服は暑くてしょうがないくらい。走りながら、身体中が汗を吹きだしているのが分かる。
 数日前まで雪しかなかったくせに、あんなに積もっていたのに。快晴だからとはいえ、何でたった半日程度で溶けかけようとしてるんだ。

『私は厳寒の地でないければ生きられないのだ』

 哀愁を漂わせながら、そう呟いた少女の顔が忘れられない。頭からこびり付いて離れない。
 その姿を脳裏に思い浮かべると、不安で心配で。
 
 雪の彫刻で創られたかの如き少女は、―――溶けていないだろうか、と。

「フェリシア! 君はどこにいるんだ!?」
 カーティスの悲痛な叫びは、木々が空気を吸うかのように吸い取ってしまった。


***


 銃身から飛び出た弾丸は、真っ赤な血を引きずり出した。
 一瞬だった。
 生まれ持った素質と、鍛えぬいた反射を持ってしても視界に捉えることは出来なかった。
 何がどうなったのかは理解できなかった。
 片手で片眼にそっと手を当てる。その手に染みついたものをもう片方の眼で見つめる。
 そのとき初めて何が起こったのかが分かった。脳が、そして身体中が全てを理解した。しばらくの間沈黙していた痛みは、患部に集中する。
 
『フェリシアッ!』
 
 甲高い悲鳴が辺りに響くが、そんなことにまで精神を割けるほど、この身体が頑丈でないことを思い知る。
 なんだ、所詮やはり寿命ある生物だったのか。それでは生み出された意味が。
 
『おのれ、よくも―――! 思い知れ、下劣で下等な者よ!』

 駄目だ、そんなことをしては。
 薄れゆく意識の中で、感情に任せて暴れまわるもう一人の自分をみた。
 そこにいたのは人々が魔界の住人と恐れ、蔑んできた獣の姿であった。
 感情を制御する機能が備わっていない獣は、暴れ狂い己の全てを出し尽くすまで止まることはない。たとえ、同胞であったとしてもくい止めることは不可能だ。
 誰であっても暴走を止められない。それ故に、獣と畏怖されるのだ。姿だけでなく、中身までも狂暴な血と細胞で埋め尽くされているのだと。
 しかし、それではいけないのだ。
 それでは、我らはこれからもずっと誰からも信用されない。
 助かるために、生きるために、折れることは必要なのだ。怒りや憎しみといった感情を手放さなければならないのだ。
 
『……何ということを。やはりお前らには無理なことであったか。……咎人は消え去るほか道はない―――!』

 やめてくれ。そいつを私からとらないでくれ。
 私にはもう何もない。何も、誰かのぬくもりでさえも。
 二人でずっとずっと共に寄り添い、生きると約束したのだ。だから……。


「私たちを離れさせないでくれ、孤独は嫌だ、独りにしないで……!」


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板